unchained melody iii

屋根裏ネコのゆううつ II

夜、オレンジの海に素足をつけて、波打ち際を歩く。
空は今夜もオレンジの光を映してぼんやりと明るく、ほの暗い海の水は心地良い冷たさだった。
この海の水は、僕らの知る海と同じ水じゃない、という話は、確か、Lに聞いたのだったかな。
塩分に満ちた地球の海水とは違う、アルカナの星の海の水。
それは実際、地球の海の水ほど重くなく、歩いてもほとんど抵抗がない。
足を上げると肌をつたう水はすっと消えて、オレンジの海に降る雨と同じように、すぐに乾いて濡れた感触がまるで肌に残らない。
その不思議な感触が楽しくて、気づいたら遠浅の海を、かなり沖まで歩いていた。
その時、からからと砂浜のトーテムに下げた貝殻の風鈴の鳴る音が、ヘッドホンから聞こえる。
あ、戻らなきゃ。
そう思った次の瞬間には、トーテムの前に僕は立っていたので、びっくりした。
「何を驚く」
テラスから僕を見下ろして、可笑しそうにナナが問う。
そうだよね、僕の意識空間だもの。距離に関係なく、戻ろうと思えば、一瞬で戻れる。
それはそうなのだろうとわかってはいるものの、実際にそれが僕の身に起きると、やっぱり驚く、よね。
「難儀なばかりでもないか。知る楽しみも二度味わえるのじゃからの」
あきれたような、少し困ったような笑顔で、ナナは云う。
ふたりでテラスのいつもの席に腰かけて、僕は指を鳴らしてお茶を出す。
ジャスミンかな、爽やかなお花の香りがする。
無意識にお茶を出すと、その時の気分なのか体調なのか、なんとなくそれっぽいお茶が出てくるのが面白い。
「楽しそうで何よりじゃ」
ふふっと笑って、ナナはお茶を一口飲み、静かにテーブルに湯呑みを置く。
「それで」
顔を上げるなり、単刀直入にナナは問う。
「あやつに何を云われた」
いつもながら、話が早いのは助かるけれど。
あの時の事、だよね。
昨日、パーティ会場でハンスと初めて出会って、ドーリーの「渦」で意識空間に引きずり込まれた時の話。
まるで世界が死に絶えたような、冷たく白い灰が降りしきるククリ島の、真っ暗な巨大ビルの壁面に僕は立ってた。
ひび割れたスピーカーのような、ハンスの声が、僕の脳裏によみがえる。
「あなたは、もしや、「キクタ」では?」
10mほど下の、同じビルの壁面に立つ彼は、あの奇妙な丸いゴーグル越しに僕をじっと見つめていた。
「いつも、「キクタ」の話は、常に断片的です」
降りしきる白い灰を受け止めるみたいに、大きく手を広げて天を仰ぎ、ハンスは云う。
何かに祈るように、あるいは何かを讃えて歌うように。
「曰く、狂気の科学者から哀れな身無し子たちを救った。曰く、世界を揺るがす大発明をした。曰く、其のアルカナを4人の子供たちに分け与えた。そして曰く、数多を聞くものである、と」
眼には見えない「キクタ」という幻に語りかけるみたいに。
「それがもし、あなたなら」
そう云って、彼は僕の眼の前に一瞬で接近し、僕の首に向かってその手を伸ばす。
その後は、Lやみんなに話した通り、ナガヌマのゴーストがハンスを手刀で叩き伏せて、僕の意識はホテルのパーティ会場へ戻された。
ふむ、とナナはうなずいて、
「ドーリーがモニカのゴーストであるなら、「渦」の力が使えるのも不思議ではないな。意識空間が、灰の海ではなく、死したククリ島と云うのが、何とも奇妙じゃが。ゴースト故の何かなのか、あるいはあの場に合わせてあえてそのように作り変え、おぬしに見せただけの演出なのやもしれぬが」
包帯ぐるぐるの右手を唇に当てて、何やら考え込む。
僕を驚かすだけの演出にしては、ずいぶん凝った事をするなあ、とは思うけれど。事前に準備していたわけでもないのだろうし。
「それについては、折を見てH何某に尋ねてみればよかろ。それがあやつの指示だったのなら理由を聞かせてくれようし、ドーリーの意志だったのなら、答えを聞く事は叶わぬじゃろうがな」
ナナの言葉に、僕はついため息が出る。ハンスに聞きたいことが多すぎて、本当にノートにメモでもしておかないと、次から次へと忘れてしまいそうだ。
ナナはふふんと鼻を鳴らして、
「心配せんでも、あやつの方からあれこれ話してくれるじゃろうよ。しかし、またずいぶんと好かれたものじゃな。おぬしの伝説やらを、指折り数えて讃えてくれるなぞ、あやつくらいのものじゃろ。それを子供らに聞かせるのが恥ずかしくて、黙っておったのか」
ニヤリと笑うけれど。
そんなわけないでしょ。
身無し子たちを救った、とか、大発明をした、くらいならまだいいけれど。
アルカナを分け与えた、だなんて、とても褒められた事じゃないかもしれないのに。
「人の眼とは、そうしたものよ。おぬしはすっかり忘れておるのじゃろうがの」
そう云って、ナナはまたお茶を一口飲んで、
「これは儂の想像じゃが」
そう前置きして、話し出す。
「あやつの身の上を考えてみよ。悪い噂には事欠かぬH・O・アンダーソンのクローンとして生まれ、「4号」などと呼ばれておったのじゃろ。生まれつき、足も左手も眼も不自由で、言葉を発するのにも機械の助けを借りねばならぬような体じゃ。どんないきさつがあって、あやつがH・O・アンダーソン本人として帰国する事になったのかはわからぬが、アメリカへ渡り、認識が消されたおかげでベースの研究データを全て目にする事が出来るようになった。おそらく、そこで見たのじゃろうな。ナガヌマに命を救われた赤子。ベースで成長し、発明家となり、身無し子たちを救った男の記録をよ。あやつがあれほど憧れるのも、まあ無理もないと思うぞ。野球少年が大リーガーに憧れるように、クローンのアニーは、同じアニーのちょっとした有名人であったおぬしに憧れた。あやつの持たぬ多くのものを持った、おぬしにの。あるいは地下に潜んでおった頃から、噂に聞いて知っておったのかもしれぬ。実際、救われた子供のひとりはあやつと同じクローンだったのかもしれぬわけじゃからな」
そうナナは云うけれど。
僕は野球少年ではないので、大リーガーに憧れるような気持ちというのは、よくわからない。
Jが幼い頃に見た浴衣のおねえさん、ルリおばさんに憧れて、今でもずっとその気持ちを抱き続けてるというのも、それはとっても素敵だなとは思うけれど、僕自身の実感としては、やっぱりわからない。
それに、ハンスがどんなに褒め称えてくれても、それは僕ではなくて「キクタ」の事で、それがうれしくないわけではないけれど、なんとなく、どこか他人事として聞いてしまう。
ふむ、とナナは湯呑みをテーブルに置いて、
「ならば、「数多を聞く者」も、か」
オレンジの海を眺めて、ぽつりとつぶやくように云う。
そうだ、それこそ他人事なんだけれど、何かの聞き間違いかな。
だってそれは、ナガヌマの記憶で見た戦時中の、あの元帥閣下の話に出てきた言葉。
それを、ハンスが知ってるはずはないと思うのだけれど。
「さにあらず。考えてもみよ、ナガヌマは一時期、あやつ自身の意志でH・Oの研究所におったのじゃぞ。ベースを脱走したあやつが、何故わざわざ、いわくつきの元ナチスの科学者なぞに接触しようとしたと思う?」
それは・・・、いやそれも、僕にはわからない。
あの時ナガヌマは「ここを出ようと思えばいつでも出られる」って云ってた。
それでもあの研究所にいて、「飽きた」と云うほど、H・O博士の研究に付き合っていたのは、何故なの。
「あやつは知りたかったのじゃろ。御子とは何なのか。数多を聞く者、その秘密をな」
淡々と、でも何か確信をもって、ナナは云う。
それを、H・Oが知ってるの。いや、そんなはずはない、よね。
そういう事じゃないのかも。
H・Oがそれを知るはずはないけれど、彼の研究に協力する事で、ナガヌマ自身がそれを知る?と云うか、その秘密に近づく?みたいなことなのかな。
ふと、つながったような気がした。
じゃあそれが、ナナの「気掛かりな事」なの。
あの後も、ナナはひとりでナガヌマの記憶に潜っていたんでしょ?
だからいつも、あんなに疲れて。
今日だって、ハナがウサギを追いかけて、穴に落ちた事にも気づかないくらい・・・
「それはもう云うてくれるな。疲れておったのはその通り、「気掛かり」の答えを探して、毎日ナガヌマの記憶を探っておったのじゃ」
ナナは苦い笑みを浮かべて、僕を見る。
ぱちんと指を鳴らして、僕はお茶のおかわりをナナに出した。
ナナは僕に小さくお辞儀をして、苦笑いを消し、ふと表情をあらためて、
「おぬし、己の名前の由来を知っておるか」
湯気の立つ湯呑みに顔を近づけて、その香りを嗅ぎながら、そんな事を云う。
僕の名前の由来
それは、知らない。特に誰かから、例えば祖母や母から、それを聞いた事はなかったし。
「キクタ」というくらいだから、先代「キクタ」の名前をそのままもらったのかな、とはなんとなく思っていたけれど。
「その「キクタ」よ。これは、元々おぬしに聞いた事ゆえ、あらためて儂から話すのもおかしな気がするがの」
ナナはそう云って、包帯ぐるぐるの右手の人差し指を伸ばして、
「多くを聞く、つまり「聞多」でキクタじゃ」
テーブルに指で「聞多」と書いて見せてくれた。
多くを聞く
「おぬしの持つ「音」を聞く力、それと何か関りがあるのやもしれん。そう、おぬしはその時に云うておったがの」
それは、そうなのかもしれない。
誰が名付けたのかは知らないけれど、その人は「キクタ」の力を知っていて、その名をつけたのかな。
でもそれと、ナナの「気掛かり」に何の関係があるの。
そう尋ねると、
「まあ聞け」
そう云って、ナナはまたゆっくりとお茶の香りを嗅いでから、口を開く。
「儂の「気掛かり」は、元帥殿の云う「御子」よ。そのものではなく、国を守る力、そして失えば、この星全体の存亡にも影響を及ぼす力、それがどうにも気になっての。遠い昔、幼い頃に、それに似た何かを知っておった気がするのじゃ。遥かに遠すぎて、それを見たのか聞いたのか、何をどれ程知っておったのか、それすらも定かではないがの。じゃからよ、おぬしの云う通り、ナガヌマの記憶を探っておった。肝心の、あやつが「御子」と出会った所の記憶は、未だに見つけられておらぬがの」
ナナの云う、「遠い昔」がいったいいつの事なのか、何十年か、もしかしたら何百年?まさかね、とも思うけれど、でもナナだったら、それも不思議ではないような気もする。
それに確かに、元帥はそんな事を云ってた。
米軍が気まぐれに爆弾でも落としたり、通信機か何かを設置するためにあの無人島に上陸して、御子を見つけ、持ち去るような事があれば、この国が終わる。歴史からも地図の上からも消え去る、とか。
いやそれどころか、世界が終わるかもしれない、とか、この星の人類そのものが、とまで云ってた。
てっきり僕は、元帥殿の誇大妄想か何かかと思っていたけれど。
「そうとも云い切れまい。おぬしも見たろう、島から離れようとするナガヌマを襲った、天変地異が如き現象を。あんなもの、儂もいまだかつて見た事がない。あれが何なのかはわからぬが、あの日のナガヌマの任務は、「御子を回収する」事。そして、ナガヌマはあの時、御子を回収していたのではないか。」
静かにそう語るナナの言葉に、僕の脳裏にはあの時のナガヌマの姿が思い浮かぶ。
胸に抱えた背嚢。
その底の部分が裂けていて、ナガヌマは左手を背嚢の中に突っ込んでいた。
岩壁から船に乗り込む時も、そしてその後も、左手は背嚢に突っ込まれたままだった。
まるで何かを庇うように、その左手に持った何かを、誰の眼にも触れないよう、隠しているようにも見えた。
そして島が突如沸き起こった黒雲に覆われて、ぎしぎしと空気がきしむように鳴り、猛烈な突風が吹きすさぶ中、背嚢が光を放っていた。
何か生き物の生命の鼓動のように、分厚い布越しに、背嚢の中身が激しく明滅を繰り返していた。
あれが、「御子」なの?
「おそらくな。ナガヌマは元帥の指示通りに、「御子」を発見し、回収したのじゃろ。その後、あやつが「御子」をどうしたのかは、わからん。その辺りの記憶も、まだ見つからぬのじゃ」
ふっとナナは海の彼方に眼をやり、小さくため息をつく。
「おぬしの予想通り、あの梯子は海に保管された記憶の「ラベル」であり、「目次」であったが、それでも人ひとりの一生分の記憶であるからの。その数は膨大じゃ。それをひとつひとつ確認して、これはと思うものに潜ってみてはおるが、なかなか、当たりは引かぬわ」
そう云ってまた、ナナは疲れたような苦笑を浮かべる。
それは、そうなのかも。
ラベルのようなもの、とは云っても、何年何月何日、どこの記憶と書かれているわけでもないのだし、あの記憶で見た限り、順番もばらばらで間が抜けてたりもした。
梯子に手を触れて中の記憶の一部が見えたとしても、本人でもなければそれがいつどこの記憶かなんて、思い当たるはずもない。
風景やそこに見えた物や人物などから推察して、それらしき記憶を探すだけでもたいへんな労力だろう。
そして、それが探し求める記憶かどうかは、潜ってみなければわからない。
「じゃが」
と、ナナは眼を上げて、ニヤリと笑う。
「おかげでいくつか、面白いものは見れたぞ」
面白いもの
ふむ、とナナはうなずいて、それを思い出すみたいに、ふっと仄かに光るオレンジの夜空を見上げて、
「例えば、H・O・アンダーソン博士じゃ。あれは噂とはだいぶ違う、至ってまともな学者であったわ」
飄々と、そんな事を云う。
至ってまともな学者
本物のH・O・アンダーソン博士を、ナガヌマの記憶で見たの。
うむ、とナナは平然とうなずいて、
「穏やかで物腰の柔らかな老人じゃ。とても人体実験やら、子供を攫ったりなど、するような者には見えんかったの。手足も普通についておったし、レムナントでもなかったわ」
そう云って、僕を見る。
そうなの。
僕の最初の印象は、怪しげなレムナントの研究者で、自らレムナント化しているような、かなり危険な人物というイメージだったけれど。
と、その時、からん、と遠慮がちに、貝殻の風鈴が鳴る。
かちゃり、と細く基地のドアが開いて、
「ちょっとー、そーいう面白い話の時は、呼んでくれないとー」
陽気なハスキーボイスが、不満げにぼやいてる。
ナナがほほっと笑って、
「これは失礼。てっきり、良い子はもう寝ておるのかと思うての」
「あーね。Kは夜更かしの悪ぃ子だもんね。まあ、オレもだけどー」
はっはー、と陽気な笑い声と共にドアが大きく開いて、Lが砂浜に飛び下りて来る。
L、聞いてたの。
「いやあ、少し前から、海で誰かの気配がするなーとは思ってたけどね。聞いたのは、ついさっき。本物のH・Oの記憶でしょ?それは、逃せないよねー」
ふふん、と笑ってLはいつものナナの隣に座る。
ぱちん、と指を鳴らして、僕はLの分のお茶を出す。
Lはお辞儀代わりに、僕にニッと笑いかけて、ナナの真似をするみたいに、湯呑みを両手で抱えて、顔を寄せてる。
きらきら光る青い眼で、上目遣いにナナを見て、
「ナチスの噂はあくまで噂、って事かなー。案外、そーいうもんなのかもね」
Lは、ふむーとお茶の湯気を吸い込む。
至ってまともな学者
穏やかで物腰の柔らかな老人
あらためてナナにそう云われてみると、それほど意外、という感じはしない、かも。
そう思えるのは、ハンスのあの(少し変わってはいるけれど)誠実そうな人柄や、やさしそうな所、それに、アルカナを守ろうとする真摯な態度と迅速で真面目な仕事ぶりを見ればこそ、なのかな。
その元となった人物なのだから、と思えば、うなずける、ような気がする。
でも、その一方で、ナガヌマはレムナントに関する研究のための実験に付き合わされていたはずで、それはモニカが「あの博士の実験を止めたい」と云うくらいのもの、だったはず。
それに、実際、子供の頃のルリおばさんやキクヒコさんは彼らの元で実験台として改造をされてたはずだし、ハンス自身が博士のクローンである事もまた事実。
まるで良い博士と悪い博士がいるみたいな、博士がふたりいるような、その印象の差は、何だろう。
それに、老人、とナナは云った。
レムナント化していないのなら、普通に時間の経過とともに年をとっていたのだろうけれど。
だとすると、そのナナが見た記憶は、わりと最近のものなの。
ふむ、とナナは記憶を辿るように唇に右手を当てて、
「云う程最近ではないじゃろうが、ナガヌマの記憶全体で云えば、最近に近い時期のものであろうの。記憶の中のH・Oは、80は越えていたように見えた。90でもおかしくはないかもしれぬ。80年前、ロリポリの落下時点で、あやつが30代だったと仮定すれば、80代なら、あの記憶は今から30年ほど前、かの」
30年ほど前
ナガヌマはその頃に、H・Oの秘密の研究所にいた。
30年前なら、ルリおばさんとキクヒコさんは、まだあの場所にはいなかった、のかな。生まれる前か、生まれたばかりの頃、だろうか。
キクタがルリおばさんとキクヒコさんを救出したのが、20年ほど前って、話だったよね。
「あくまで仮定じゃぞ。ロリポリが落ちた時点で、H・Oが30代だとしたら、じゃ。それが40代や50代なのだとしたら、あの記憶は40年前、50年前になる故、小僧と跳ねっ返りは、まだ生まれてすらおらぬ。当然、あの場所におるはずもない時期じゃが」
そう云って、ナナは少し考え込むようにうつむいて、何かを思い出したように顔を上げる。
「おぬし、あのふたりの研究者を覚えておろう。ブラウンという黒人研究者と、もうひとり背の高い痩せた研究者、あやつはホワイトというらしいが」
もちろん、覚えてる。
Lにも、その話は全部してる、よね。
ホワイト、というその名前は、初めて聞いたけれど。
牢から姿を消したナガヌマを探していたのが、痩せて背の高い白人研究者、ホワイト。そのホワイトを捕まえて、あれこれ文句を云っていたのが、小太りの黒人研究者、ブラウン。
あの記憶で見た限りだけれど、ホワイトは20代の若い研究者、ブラウンは中年の40代くらいだったかな。
「ふむ。H・Oがナガヌマに語ったところによれば、どうやらあのブラウンとホワイト、あやつらが曲者だったようじゃな。ブラウンは遺伝子改造の専門家で、ホワイトの方はクローン技術に特に詳しい男だったそうじゃ」
「げ」
Lがへんな声を出すのも、わかる。
遺伝子改造とクローン技術
じゃあ、遺伝子改造でアルカナの能力を改造したり何かしてたのはブラウン?
H・O博士のクローンであるハンスやキクヒコさんを作ったりしてたのは、ホワイトだった、のかな。
「うむ。ブラウンは特に、H・Oが研究していた「アルカナ物質」と彼が隠し持っていたロリポリの幼生に興味津々であったらしい。人造アルカナと黄金虫じゃな。それをホワイトのクローン技術によって大量生産して、世界中の金持ち相手に売り出さないかとH・Oに持ちかけたそうじゃ。無論、H・Oは断ったそうじゃが」
人造アルカナと黄金虫
それをクローン技術で大量生産して、売り出す?
何のために?
「そりゃあ、おまえ・・・」
Lがうんざりしたような顔で、
「あんまり気持ちのいい話じゃねーけど。クローンで増やした黄金虫の中には、人造アルカナが入ってるんだろ。云わば、携帯用のアルカナだ。で、それを買ったお金持ちの連中は、お守りのように持ち歩くんだろね。人造アルカナ入りの黄金虫を、いざという時のために、ね」
いつものハスキーボイスも、少しげんなりしてる。
それはつまり、事故や急な病気で「死にかけた」時のために。
「左様。いざという時、とはよう云うたものよ。聞こえのいい言葉で云えば、保険じゃの。死にかけた時、レムナント化して生き長らえ、かつほぼ不老不死となれる、そんなお守りじゃ」
そんな事が、可能なのかな。
黄金虫を常に持ち歩くとか、いつでも部屋の手の届く場所に置いておくとか。
そして実際に死に瀕した時に、黄金虫の中にいる人造アルカナがその人の中に入るの。
科学者でも何でもない小学生の僕が考えても、それはだいぶ無理があるのでは、と思えるけれど。
「まあね。おじいちゃん、虫嫌いだもんね」
Lが苦笑して、
「ただまあ、眼に見えない意識生命体であるアルカナを、どうにかして持ち歩こうと思えば、そういう形になるのかなー。だからって、なんで黄金虫なんだよって気はするけど。他の動物にはない何か利点が、黄金虫にはあるのかもだなー」
それに、前から不思議だったのだけれど、そんな難しそうな、設備や器材もたくさん必要そうな研究を、ブラウンやホワイトは、あの坑道跡の地下道なんかで隠れて秘密裏にできていたのかな。
「それよ。どうやら秘密の研究所に隠れておったのは、H・Oだけだったようじゃ。ブラウンらは、普段はベースに居り、何食わぬ顔をしてベースの設備やら器材やらを使って、遺伝子やらクローンやらを研究しておったらしい。そして、ベースに置いておけない成果物、つまり改造した遺伝子やクローンそのものを、秘密の研究所に隠しておった、という事のようじゃ。さらには、ベースではできないような実験の場として、H・Oの秘密の研究所を利用しておった、という事じゃな」
なるほど、それなら納得かも。
あの記憶が、30年くらい前、まだベースが拡張を続けていて、本国からの援助や増員も多くあった時期だったのだとしたら、確かにベースにそのまま居続ける方が彼らの邪な研究も捗る事だろう。
そう聞くと、H・O博士に関する怪しげな噂話というのも、そのブラウンやらホワイトやらが、自らの不正な行いを隠すために、あえて広めていたんじゃないか、とも思える。
悪い噂や疑いの眼を全て、姿をくらましたH・O博士ひとりに押し付ける事で、自分たちの悪事を表に出さないための隠れ蓑に使っていたのでは。
ふふんとナナは、薄く笑って、
「勘が良いの。おそらく、そうなのじゃろ。そして無論、H・O自身も、それは承知しておったらしい。ナガヌマにはっきり云っておったよ、「彼らは信用できない」とな」
だったらどうして。
そうまでして、H・O博士がベースから隠れて秘密の研究所にいなければならない理由って、なんだろう。
レムナントの研究のため?
でもそれこそ、ベースにいた方が余程便利だし、研究も捗るのではと思えるけれど。
「面白いもの、と云うたのはそれよ。記憶の中で、H・Oはその理由をナガヌマに告白しておった」
ゆっくりとお茶を一口すすって、ナナはちらりと僕を見て、Lを見る。
そして、コホンと小さく咳払いして、話し始める。
「金髪、おぬしの想像通り、そもそも、H・Oはナチスではないらしい。ドイツ軍に徴集され、戦線で軍医をしていた事はあるそうじゃが、「ナチス党員ではない」とはっきり云うておった。亡命したのも、戦後ではなく、戦時中だそうじゃ。と云うのも、彼の母方の祖母がユダヤ人で、それが露見して軍に追われる身となった。あわや連行され収容所へ送られそうになるも、すんでのところで脱出し、先に亡命していたユダヤ人科学者の友人の助けを借りて、海を渡り、アメリカへと逃げ込んだのじゃ。そして、ドイツでの医学博士としての実績と、軍医をしていた経験を買われ、米軍の研究機関に職を得て、戦後、彼は駐屯軍と共にこの国へやって来た。そこで、ロリポリの落下に遭遇した、というわけじゃな」
元ナチスで戦後亡命して米軍に潜り込んだ科学者と、ナチスではなくユダヤ人の血を引く科学者で、戦時中にユダヤ人狩りを逃れてアメリカに亡命した人とでは、まるで真逆と云うか、立場が全く違うのでは。
「元ナチスというデマも、怪しげな噂を強調するためにブラウンらがあえて付け足したものかの。あるいは、むしろブラウンらこそが、元ナチスという噂に踊らされ、H・Oに接触したのやもしれぬがの」
だったら尚更、H・O博士には、隠れるような後ろめたい理由なんてない気がするけれど。
「それが、あったのじゃ。ロリポリの腹部を発見したのは、他ならぬ、H・O・アンダーソンじゃった。そして、それを軍に報告せず、隠す事に決めたのもH・Oの独断じゃ」
ロリポリの腹部を発見して、軍に報告せず、隠した。
それは、十分に隠れる理由にはなる、けれど、どうして彼はそんな事を?
「何故なら、あやつは「軍を信用していなかった」のだそうじゃ」
軍で働く研究者でありながら、軍を信用していなかった?
だから、発見したロリポリの腹部を、軍に渡したくなかった、という事?
彼がそんなにも軍を嫌う理由は何なの。
ドイツにいた頃も、徴集されたとは云え、軍医を務めていた事もあったのに。
「その、ドイツで徴集され東ヨーロッパの前線で軍医を務めていた頃に、彼の家は空爆に焼かれ、妻と4人の幼い子供をいっぺんに亡くしたのだそうじゃ。米英連合軍による、市街地への無差別な空爆で、の」
淡々と告げるナナの声に、僕は、言葉を失う。
Lも沈痛な面持ちで、じっとナナを見つめてた。
米英連合軍による、空爆
妻と4人の幼い子供をいっぺんに亡くした
そんな事が。
ナナは薄灰色の眼を上げて、ふっとオレンジの海を見て、話を続ける。
「彼が発見した時、クレーターの底で、ロリポリの千切れた腹部は、それでも必死に、中にいた幼体を守ろうとしていたように、彼には見えたのだそうじゃ。その守るべき小さな「子供たち」を、任務や命令だからと軍に引き渡すことなぞ、彼にはできなかったのじゃな。ドイツで、妻と幼い4人の子供を亡くし、その後、自身が生き延びるためとは云え、愛する家族を奪った敵国であるアメリカへ亡命したことには、複雑な思いがあった事じゃろ。しかも、何の因果か、そのかつての敵軍で働く事になってしもうた。運命と云うには、あまりに皮肉よの」
ナナはふっと眼を伏せて、また話を続ける。
「そして彼は、ロリポリの腹部をその中にいた幼生体ともども隠した。勿論、たったひとりでそれができるはずもない。幾人かの同僚が密かに協力を申し出たそうじゃが、いずれも、元ナチスの噂を聞きつけて、彼に近づいてきた者達じゃ。下心ある野心家の研究者たち、というわけじゃな。彼はその噂を肯定も否定もせず、ただロリポリの腹部とその子供たちを隠す事、その目的のためだけにその者らを受け入れた。彼もまた、己が目的のために彼らを利用したのじゃ」
ふう、と僕は大きく息をついて、すっかり忘れていたお茶を飲む。
でも僕は、いまナナからその話を聞いただけ、だけれど。
ナナはナガヌマの記憶で、H・O本人の語る、その話を聞いたんでしょ。
それは、重さが違う、よね。
「左様」
ナナは短く答えて、
「じゃが、聞いておいて良かったぞ。その上で、あのH何某に会えたのじゃからの。なるほど確かに、あの男のクローンじゃなと思えたわ」
ふふんと小さく笑う。
それは、まあ、そうなのかもしれない。
じゃああの時、ハンスに約束の「理由」を聞いたのは?
「うむ、確認じゃな。迷う様子もなく「アルカナを守るため」と答えた時、あやつめ、H・Oと同じ顔をしておったわ。まあクローンじゃからの、顔は元より同じじゃが」
ぷっとLが思わず吹き出して、苦笑を浮かべてナナを見てる。
ナナはどうして、いい話をすると、最後にちょっぴりブラックな事を云うのかな。
「ほう、気に入ったかの。ならばもうひとつ、ブラックな話を教えよう」
ニヤリとまた、あの凄みのある笑みをナナは浮かべて、云う。
「あやつがレムナントの研究に執心していたのは、噂通り事実じゃったらしい。モニカにレジデュとやら云う白い灰を集めさせ、人工的にアルカナを作り出そうとしておったそうじゃ。人造アルカナ、あやつは「アルカナ物質」と呼んでおったがの」
人造アルカナ、
アルカナ物質。
それは、いったい何のために?
「ナガヌマが尋ねたのもそれよ。「何のためにそれを作る?」、その問いにH・Oは、疲れた顔でぽつりと「もうやめようと思う」と答えた。そして告白を始めた。あやつの言葉を借りれば、「妄執に憑りつかれていた」のだそうじゃ」
もうやめようと思う
妄執に憑りつかれていた?
その言葉を、僕は心の中で繰り返す。
「未知なる地球外生命、眼に見えぬ意識生命体であるアルカナ。そして其れが、死に瀕した人の体に入る事で生まれるレムナント。そこにH・Oは奇蹟の力を感じた。そして夢見たそうじゃ。亡くなった愛する妻と4人の幼い子供たちを再び甦らせる事ができるのでは、とな」
ナナの言葉に、僕は何かにぎゅっと胸を締め付けられるのを感じる。
不死に限りなく近い存在の、レムナント。
意識生命体であり、人にはない不思議な力を持つ、アルカナ。
奇蹟の力
亡くなった人を再び甦らせる
そんな事が、できるの。
「否」
ナナはきっぱりと、首を横に振る。
「故に、「妄執」よ。それに憑りつかれ、H・Oは何年も何十年もその研究に没頭しておったらしい。レムナントとなったモニカが自ら研究所へ来たのか、あるいはブラウンらによって連れて来られたものか、それはわからぬ。だが当初は、モニカもH・Oの研究に協力的であったらしい。あれも何やら、複雑な事情を抱えていそうではあるな」
モニカについては、ハンスも確か似たような事を云ってた。
「彼女、ドーリーは、少々複雑な経歴を持っていますので、その全てをお伝えするには、とても長い話になってしまいます」
最初の王A-0の記憶を持つと云うM。
彼女と同一人物かどうかはわからないけれど、軍の看護士でナガヌマの担当、そしてレムナントでもあるモニカ。
そのモニカが亡くなって、ゴーストとなったのがドーリー。それなら、複雑な事情や経歴を持つのは当然なのかもしれない。
「理論上は、とH・Oは云うておった」
ナナの話は続く。
「死したアルカナの残滓である白い灰「レジデュ」から、アルカナと同じ性質を持つ物質を作り出す事は、理論上は可能、じゃと。だがそのためにはどうしても、「人の意識」が必要となる、らしい。生きた人の中から意識だけを取り出し、レジデュと混ぜ合わせる。実際はそんな単純なものではないのじゃろうがの。長年の研究の果てに、どうしても覆せぬその結論に至り、彼は「妄執から醒めた」と云っておった。亡くなった者を甦らせるために、見ず知らずの他人の意識を奪うなど、悪魔の所業だ、とな。意識を抜き取られた人間がどうなるか。死にはせぬのかもしれぬが、抜け殻のような、心のない人形のような存在になるのは、想像に難くないであろ。そんな非道な技術でそれが完成したとして、本当に妻や子供たちが甦るかどうかはわからぬ。仮に甦ったとして、どんな顔をして彼女たちに会えばいいのか。悪魔の如き所業に手を染めた夫を、父を、妻や子らが喜んでくれるはずがない、とな」
それなら、人造アルカナは、H・Oの云う「アルカナ物質」は、完成しなかったの。
「おそらくの」
ナナは短くそう云って、かすかに皮肉な笑みを浮かべる。
「せっかくの博士の告白も、聞いていたナガヌマにはチンプンカンプンじゃったろうがの。何せその時点では、ナガヌマはレジデュが何であるかも知らなければ、モニカの「渦」の能力も知らぬのじゃ。それを知るのは、モニカと共に研究所から逃げた後、じゃろ。おぬしも記憶で見た、あの川原で実際にモニカの「渦」によって、灰の海に引き込まれた時、じゃからの」
それは、そう。そういう事になる。
それならナガヌマは、モニカに「一緒に逃げよう」と云われた時には、すでに博士が「アルカナ物質」の研究をやめる事を知ってた、という事、だよね。
「左様。そして、モニカはそれを知らなかった。故に彼女はあの時も「もうここにいたくありません。あの博士の実験を、私は止めたい」なぞと云うておったのじゃろ。H・Oが何故その告白を、モニカでなくナガヌマにしたのかはわからぬし、それと知りながら、ナガヌマがモニカの脱走の誘いを受け入れた理由も、儂にはわからぬがの」
だからナガヌマは、あんなどこか醒めたような、どちらでもいいような態度を取っていたの、かな。
ふむ、とナナは記憶を辿るように眼を細めて、
「あの時あやつは、ホワイトから銃を奪うついでに「哀れな博士に挨拶でもして行くか」などと云うておったの。あれは皮肉か冗談かとも思うておったが、あるいは真面目にそう云うておったのやも知れぬな。あやつなりに、真面目に別れの挨拶をしようかと考えておったのやも。結局、モニカに止められてしもうたがの」
妄執に憑りつかれ、何年も研究を続けた結果、それが叶わないと知った「哀れな博士」という事?
そして、博士がその研究を止めた事を知らないモニカは、博士が黙ってナガヌマの脱走を見過ごすはずがないと思った、のかな。
「だろーねー」
放心したようにぽつりと云って、Lは椅子にもたれて空を見上げてる。
僕はまた小さくため息をついて、お茶を飲む。
ナナが疲れ果てていたのも、わかる気がする。
こうして話を聞くだけでも、やっぱり、十分に重い。
しかも、記憶を見る順番は、完全にバラバラだ。
前に見た記憶よりも以前なのか、それ以後の事なのか、整理して見ないときっと頭が混乱する。
ふふん、とナナは笑って、
「その通り。梯子を順に見れば、記憶も順に再生されるという訳でもないしの。ある程度の内容は、ラベルを覗き見れば判断できる事もあるが、それとてアテにはならぬ。結局、ひとつずつ確認するしかないかと思い始めたところよ」
やれやれと肩をすくめてみせる。
そういう事なら、手伝うよ。
僕も「数多を聞くもの」が何なのか気になるし。
「キクタ」に関わりのある事なのだとしたら、知っておいた方がいいかも、というより、知っておかないといけないような気もするし。
そう云ったら、ナナはかすかに笑って首を横に振る。
「おぬしはまず、跳ねっ返りの記憶を先にどうにかせねば、であろ。予想通り「切れ目」がすぐに見つかれば良いが、そればかりは儂も見た事がない故、どうなるかはわからぬ。こちらは急ぐ理由もなし、ひとりでのんびり進めるわい」
それは、そうか。
膨大な人の記憶の中から、たったひとつ目的のものを見つけ出すという点では、ナガヌマの記憶もルリおばさんの記憶も変わらないのかも。
ナナの云う「切れ目」がぱっと見てわかるようなものであればいいけれど、そうではない可能性もあるし。
見つける事が出来たとしても、ルリおばさんの方は、それを元通りにつないであげないといけない。
ナナはニヤリと口の端を上げて、
「まあ、こういう時の為に、「4人の子供たち」が揃っておるのじゃろ。せいぜい力を合わせて励むが良い。3人寄れば何とやらと云うが、4人も居ればどうとでもなろ」
何だかいい加減な事を云う。
「4人の子供たち」って、ハンスじゃあるまいし。
「まあねー」
Lが「どっこらせ」ともたれていた椅子に座り直して、テーブルに身を乗り出すように、
「でも、なんてったって「ルリちゃんの記憶」だからね。Jもやる気満々だし、ガブリエルだって本気出すだろーしなー」
はっはー、といつものように高らかに笑う。
確かに、Lの云う通りかもしれない。
何よりもその陽気なハスキーボイスを、僕は頼りにしているけれど。
ナナの云う通り、みんなが一緒なら、どうとでもなる、ような気はする。
「その意気じゃ」
ナナはそう云って、カッカッと楽しそうに笑った。

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