(just like) starting over

屋根裏ネコのゆううつ III

何事もなく数週間が過ぎて、11月の半ばになってた。
寒さに目を覚まして、珍しく早起きをした火曜日の朝。
この秋初めて、制服の上にウインドブレーカーを羽織って、早めに学校へ行こうと家を出た。
マンガの吹き出しみたいな白い息を吐いたら、通りの向こう側、白い工事現場の塀の根元の地面が、朝日を浴びてきらきらと反射してる。
夜の間に、雨でも降ってたのかな。いや、この寒さだから、みぞれかもしかしたら雪だったのかも。
なんとなく気になったので、通りを渡ってみたら、塀の下のすっかり枯れた草むら、土の地面に霜柱が立ってた。
寒いわけだよね。
運動靴で踏みつけると、靴底にザクザクと氷の砕ける感触が楽しい。
そのまま塀沿いの草むらの端を、霜柱を踏みながら南へ下る。
コンビニの角、工事現場の南の端まで行くと塀はそこから西へ曲がるので、土の地面もそこでおしまい。
歩道を渡って、通学路に土の地面を探しながら歩いてみたけれど、意外に霜柱が立つような土の地面はなくて。
市内へ進むにつれ、アスファルトで覆われていない土の地面すら見当たらなくなり、なんとなく、寂しいような気がした。
昔はきっと、もっとたくさんあっただろうに、ね。
それこそ、「キクタ」が子供だった頃、70年前とかは、霜柱も踏み放題だったのでは。
まあ、軍の地下施設で暮らしていた「キクタ」が、霜柱を踏んで歩いた事があるのかどうかはわからないし、僕に「記憶」は残ってないので、あったとしても覚えてすらいないけれど。

いつもより早く学校に着いて、教室の席に座り、図書室で借りた宇宙の本を広げる。
先週の金曜日、Jが図書委員の当番だった昼休みに、なんとなくひとりでふらりと図書室へ遊びに行ってみた。
その時にふと思い出して、以前、僕が偶然見てしまった「記憶」で、Jが教室で読んでたあの本を教えてもらって、借し出しの手続きをしてもらい、借りてきた。
「うちゅうのひみつ」というタイトルの通り、ひらがなが多めの、低学年向けに書かれた本だけれど、読みやすくてなかなか面白い。
つい夢中になって読んでいたので、ガラリと元気にドアを開けて、「おはよー」といつもののんきな声で挨拶しながら教室へ入って来たルナに、僕はぜんぜん気づいてなかった。
「ねー、キクター」
後ろから声をかけられて、初めてルナが来てた事に気づき、何気なく振り返る。
席にもつかずに立ったまま、ルナは僕に右手を差し出して、
「これってさー」
その小さな手のひらに乗せられた「もの」を見て、僕は飛び上がるほど驚いた。
いや、実際に飛び上がって、椅子から転げ落ちそうになるのを、とっさに背もたれを掴んで体を支える。
悲鳴をあげそうになってた口を、グッと閉じて堪えた。
10センチくらいの、丸い錆びた鉄の塊のような「もの」。
人の顔のように見える気味の悪い模様と眼があった気がして、背筋がゾッとする。
・・・黄金虫・・・
「だよねー、やっぱりー」
のんきな声でそう云って、
あー、あんたって虫ダメなんだっけ、ごめんごめん、てへへと笑って、ルナは右手を引っ込める。
そして左手だけで器用にランドセルを下ろして机の横に掛け、椅子を引いて席に着く。
右手に黄金虫を乗せたまま、無造作に机の上に置いてる。
それ、どうしたの。
心の声で聞いたのは、怖くて声が出なかった、わけじゃない、決して。
だって、黄金虫だよ?大声で話すような事じゃないし、もし誰かに見られたらどうするの。
「あ、そーか」
いま気づいたみたいにルナはぽつりとつぶやくと、机の横にかけたばかりのランドセルをまた片手で器用に机の上にどんと乗せて、ぱかっと蓋を開けて、
え?
それ、ランドセルにしまうの。
思わず尋ねると、赤い眼をまんまるにして僕をにらんで、
「かわいそうだけど、しょーがないじゃん。じゃーどーするの。机の中じゃ、誰かに見られちゃうかもでしょー」
心の声で、そう云う、けれど。
いや、そうなのだけど。確かに誰かに見られる前に、一刻も早く誰の目にも触れない場所へ隠すべき。それはごもっとも、なのだけれど。
でも・・・、とルナの右手の黄金虫と、蓋を開けたままの赤いランドセルを見比べる。
「キクタのランドセルじゃないじゃん。るなのだもん、別にいーでしょ」
ふん、と鼻でため息をつくと、ルナはさらりとそう云って、まるで何か大事な物でもしまうように、そっと黄金虫をランドセルの中へ入れて、
「ごめんねー。暗くて狭いけど、ちょっとがまんしててねー」
囁くように、心の声で云うのは・・・
それ、黄金虫に云ってる、んだよね。
生きてるの。いや、もちろん生きてるよね。
でも黄金虫って、言葉が通じるの。
「あんた、ちょっと、何それ?サベツ的ハツゲン?じゃん。いくら苦手だからって、ひどいよ」
ルナはまた心の声で云って、顔をしかめて僕をにらんでる。
思わぬルナの強い口調に驚いて、
あ、そっか、そうだよね。それは、ごめん。
差別とか、そんなつもりは、もちろん、ぜんぜん、ないのだけれど。
「ロリポリちゃんの子供でしょ。そりゃ日本語は、わかんないかもしれないけどー、気持ちは通じるでしょー」
気持ちは通じる
口を尖らせてランドセルをそっと閉め、まるでそれを守ろうとするみたいに両手で抱えたルナにそう云われて、ハッとした。
それはそう。見た目はともかく、黄金虫っていう呼び名だけれど、虫や何かではなくて、ロリポリの幼生体だ。
意識や意志のようなものはあるのだろうし、ルナの云う通り、日本語はわからないにしても、気持ちや心は通じるのかも。
からからと「海」で貝殻の風鈴が鳴って、Lの基地のドアがガチャリと開く。
「朝っぱらから元気だねー。何の騒ぎ?黄金虫がどーのこーの?って聞こえたけど」
寝癖でボサボサのふわふわの金髪をかき回しながら、寝ぼけまなこのLがドアからにゅっと顔を出す。
「黄金虫が来たの、るなのとこに」
心の声でいつものようにのんびりと答えるルナは、両手で大事そうに抱えたランドセルを机の上に置いたまま。
さっきみたいに机の横に引っ掛けたら、中の黄金虫がゴロゴロ転がっちゃうから、なのかな。
じゃあ、今日は一日中、机の上にランドセルを乗せたまま?
まあ、認識の消されてるルナのする事は、こちらからあえて主張しない限り、他のクラスメイトや先生から注目される事はない、はず。
あ、だとしたら、慌てて隠さなくても、騒ぎ立てさえしなければ、黄金虫もみんなにはスルーされてた、のかな。
Lが困った顔で苦笑しながらひらひらと手を振って、
「えーと、待て待て。こちとら寝起きでね、頭が回らねーのよ」
ひらりとドアからコテージのテラスへ飛び降りると、いつもの席にどっこらせ、と座る。
テラスのテーブルには、僕の視界の窓が出したままにしてあるので、机の上に乗せたランドセルを両手で大事そうに抱えた、ふくれっつらのルナがLにも見えるはず、だけれど。
振り返ると、教室にはそろそろクラスメイト達が揃い始めていて、ざわざわと賑やかになりつつある。
ぱちんと指を鳴らしたつもりで、僕の視界の窓の隣に、ルナの視界の窓と、ついでに寝起きのLに、眠気覚ましのお茶を出す。
僕は前を向いて自分の席に座り直し、机の上に広げたままだった「うちゅうのひみつ」を閉じて机の中にしまってから、あらためて「オレンジの海」を振り返る。
教室の自分の席に座ってるのだから、ドナドナモードでも問題はないよね。僕の認識も、このクラスの中ではだいぶ薄まってるはずだし。
僕がふわりとテラスの前の砂浜に立つと、
「あー、「海」へ行くのねー、はいはい」
ひゅっと音もなく、ルナがテラスの上に現れる。相変わらず、神出鬼没だね。
ぱちんと僕は指を鳴らして、ルナと僕の分のお茶をテーブルの上に出しながら、Lの隣に座る。
「まず、認識どーのこーのは、どうだろね。黄金虫の認識は、消されてねーんじゃねーかな。ハルが見つけた時点では、消えてなかったって事だよね」
あ、そうか。
ロリポリに属するものではあるけれど、ベースやロリポリの認識を消した人物が、そこに黄金虫を含めていなければ、消されてなかった、かも知れない。
ベースの認識を消した容疑者は、キクヒコさん。今のところは、だけれど。
なので、キクヒコさんなら黄金虫の存在そのものは、学生の頃にゲンゴロウ先生のところで見て知ってたはず。
Lの推察通り、12年前の火事の時に彼が「無意識に」ベースの認識を消したのだとしたら、ベースにいたわけではない黄金虫は、その対象に含まれていなかった、かも。
「まあ、ハルを救出した後で、ハンスちゃんが消してるんだろーけどね。黄金虫も、ハルの行方不明事件も、まとめてなー」
なるほど、それもそうだ。
それならひとまず、万が一教室で誰かにルナのランドセルの中をのぞき込まれても、黄金虫を見られてしまう事はない?かな。
「たぶん、だぞ。ハンスちゃんがどこまで消してんのかは、あいつしか知らねーからなー。でも、あいつの事だから、その辺に抜かりはないだろーさ」
んで、とLがテーブルの上の視界の窓を指さして、
「こっちが、ルナチャンの視界?」
「あー、るなが、おーちゃんを見ればいいのねー」
云って、教室でドナドナモードになってたルナが、机の上のランドセルをぱかっと開いて、ゆっくり傾けながら、そっとのぞき込む。
予鈴のチャイムが鳴って、教室のみんなはぱらぱらと席に着き始めてるので、列の一番後ろのルナの席、その机の上のランドセルの中を、誰かがうっかりのぞき込む、という事はなさそう。
「おーちゃん、だいじょうぶ?苦しくない?」
開いたランドセルに顔を寄せて、ルナは小声で囁いてる。
おーちゃん
オウゴンチュウだから、おーちゃん?
「おお、こりゃまさに、黄金虫だね」
青い眼をきらきらさせながら、Lが視界の窓にぐいと近づくので、僕も横目でちらっと窓を見る。
暗いランドセルの中に身を縮こまらせた黄金虫の眼が、きらりと赤く光った、ような気がした。
「んで、この子が、ルナチャンのとこへ「来た」って云った?」
Lが尋ねると、テラスのLを挟んで反対側、いつもナナが座る席にちょこんと腰掛けたルナが、
「うん。黄金虫が来たの、るなのとこに」
さっきと同じセリフを、さらりと繰り返す。
「通学路を歩いてたらねー。えーと、橋を渡り終えて、川沿いの遊歩道の辺りで、この子がころん、と出て来たんだよ、歩道に」
ころんと出て来た
歩道の脇の、草むらから、なのかな。
ハルが黄金虫を見つけたのは、橋の下の河川敷、と云ってた、よね。
ハナがうさぎさんを追いかけて、穴に落ちたのは、橋のたもとの歩道のフェンスの端。その切れ目から、下った土手の中ほどにある大きな桜の木のところ。
でもあのフェンスの切れ目は、あの後ハンスが市役所へ連絡してくれて、少し前に補修工事が終わって、完全に塞がれてた、はずだけれど。
体長10センチ程度の黄金虫なら、通れるくらいの隙間は、まだいくらでもありそうではある、かな。
「草むらから?って云うより、目の前にころんと落ちて来た、みたいな感じだったよー。あーでも、どっかから落ちて来るのを見たわけじゃないけどねー。足元でころんって音がして、見たらこの子がいた、って感じ」
足元でころん?
「あーまあ、飛べるからね?」
さらりとLが云うので、どきっとする。
確かに、そう。
前にもLはそう云ってた。ロリポリと同じように、体を丸めて飛べるはず、って。
仕組みは、よくわからないけれど。
「仕組みはね」
ニヤリとLは笑って、
「地球上の動物で云えば、空を飛ぶには、翼や羽根で羽ばたくのが一般的なんだろーけどね。あとは、モモンガみたいに滑空するか、かなー。トビウオなんかもそうだね」
ぴこんと人差し指を立てて、そう説明してくれる。
「おーちゃんは、そのどっちでもないの。羽ばたきと、カックウ?」
ルナが尋ねると、Lはうなずいて、
「軍の研究者も、興味津々でいろいろ調べたらしいけどねー。だって、単独で星からの離着陸ができて、さらに宇宙空間を長距離かつ長期間に渡って航行できるんだからさー。その方法がわかれば、この星の常識がひっくり返るよねー」
青い眼をきらきらさせながら云うので、その凄さがわかる。
「Lでもわからないの」
さらりとルナは尋ねるけれど、
「米軍の研究者が、70年もかけて観察やら研究やらしてもわかんないくらいだからねー」
ふふん、と笑うLは、じゃあどうしてそんなにうれしそうなの。わからないのに、悔しくないのかな。
「悔しくは、ないよね?だって、未知の地球外生命体だよ。まあ、わかんないのが当然だよねー。でもさ、実際にあの子はアルカナの星を飛び立って、遥か遠い宇宙空間を旅して、この星に着陸してるんだぜー。ちょっと、トラブルあって壊れかけちゃったけどさー」
壊れかけちゃった
確かにロリポリは、落下の途中で体が三つにちぎれてしまってた。
それを「数多を聞く力」で察知した御子とナガヌマのおかげで、どうにか無事だったけれど。
「で、今も実際にあの地下にいて、しかもMちゃんによれば「再び飛び立つための力を蓄えてる」んだろー?だったら、悔しがる事なんてぜんぜんないよねー」
まだいくらでも、それを知る機会はあるから、って事かな。
確かにそうだよね。まだあそこにいるのだから、悔しがる必要はないのかも。
「それにさ」
ニヤリとLは僕に笑いかけてみせて、
「我らがキクタおじいちゃんの計画じゃ、ロリポリを無事に宇宙へ帰す算段も、どうやらあるらしいしなー」
うれしそうに云うけれど、それはあくまで、まだ予想だよね。
ゴースト化して僕らとは直接話す事ができないナガヌマが、苦心しながら(?)伝えてくれたヒントと、Mがみせてくれたモニカの最後の「記憶」からの推察。
カントリーロード
ロリポリを宇宙へ帰す、そんな「キクタ」の計画。
ほぼ、それに違いない、とは思うけれど。
「その計画って、どんなの。ロケットでも作るの」
ネコみたいな赤い眼をまんまるにして、ルナが尋ねるけれど、どうしてそれを僕に聞くの。
「だって、あんたの計画なんでしょ。「キクタ」はすごい発明家だってキクヒコも云ってたから、ロケットとか作れるのかなって。それとも、もうすでに出来てて、どこかに隠してるの」
真面目な顔で云うけれど、ルナ、それは、冗談だよね。
僕にロケットなんて作れるわけないでしょ。
それに、「もうすでに出来てて、どこかに隠してる」?
その発想は、僕には全くなかったけれど。
だとしたら、どこに?
あの地下のベースに、って事?
「まあ、待て待て」
Lが楽しそうにニヤニヤしながら、左右に座る僕とルナに手を振って、
「おじいちゃんが「すでにロケットを完成させててどこかに隠してる」ってのは、なかなか最強だけど、残念ながらハズレかなー。まず、ロケットでロリポリを飛ばすのは、たぶん無理だよ。今の科学力じゃ、そんなロケット作れないのよ」
「そうなの」
そうなの?
ルナと被ってしまった。
なんとなく、だけれど、それを作るための資金だとか、建造にかかる時間だとか、そういう問題さえクリアできれば、作る事自体はできるのかと思ってた。
だって、何だっけ、あれ。
時々晴れた空にきらりと見える、地球の衛星軌道上を回ってる、あの大きな。
「国際宇宙ステーションか?ああ、なるほどな。あのでっかい宇宙ステーションを打ち上げられるんだから、ロリポリくらい打ち上げられるんじゃね、って事?」
うん、なんとなく、イメージてきに、だけれど。
全長20mほどのロリポリよりも、宇宙ステーションの方がもっと大きい、よね。
「国際宇宙ステーションは、110mかける70m、サッカー場くらいあるんだけど、そもそも、いま飛んでるあれを、あの形のまま打ち上げたわけじゃないってのは、わかるよね。何回にも分けてパーツで打ち上げて、宇宙で組み立てたのよ」
ああ、そっか。それは、云われてみれば、そう、だよね。
「仮に、あの形のまま打ち上げたとしてもだな、質量が違いすぎるぜー。宇宙ステーションは、全体で420tって云われてるよね。満載にした10tトラックで42台分なー。ロリポリの質量は、(あの子を乗せられるような計りがないから、あくまで軍の研究者たちの計算上だけど)推定1200t、国際宇宙ステーションの約3倍だぜ?大きさはほんの20mほどでも、あの子は未知の合金でできた外殻が分厚いからねー。アルミ合金なんかで軽量化されてる宇宙ステーションとは、比較にならない重さだよね。しかも、あの子の場合、分解して少しずつ打ち上げるってわけにはいかないからねー」
1200トンがパッとどれくらいの重さなのかはわからないけれど、宇宙ステーションより重いどころか、その3倍以上?
それじゃ、そもそもロケットに積み込むだけでもたいへん・・・と云うか、積み込みすらできないのでは。
「一応、もしもロケットで打ち上げるなら、って計算した研究者はいたらしいよ。ベースの資料に残ってた。えーと、その場合に必要なエネルギー量を、だね。まず、地球の重力を脱出するのに必要な速度は、11.2km/s(秒速11.2キロ)、時速で云うと、4万320キロだね。つまり?」
ニヤリとLが楽しそうに笑う。
重さ1200万トンのロリポリを、時速4万320キロで打ち上げるロケットって・・・
「あー、「少なくとも数×10¹⁵ジュール(ペタジュール)のエネルギーが必要」なんだって。ペタジュールって、もはや単位が意味不明だよね。10の一千兆倍かな。ざっくり、水爆数十個分のエネルギーらしいよ」
「ムリじゃん」
ルナがそう云ってくれて、僕は密かに、ほっと胸をなでおろしてた。
すごい発明家だろうと何だろうと、ムリなものはムリ、だよね。
そもそも僕はもう、すごい発明家でも何でもないただの小学生なのだし。
んむーと腕組みして何やら考え込んでいたルナが、
「じゃあ、気球は?」
ぴこん、と人差し指を立てて、赤い眼をまんまるにして云う。
気球?
「そー、ものすごーくおーっきな気球を作って、それでロリポリちゃんを引っぱって宇宙まで持ち上げて飛ばすの」
ものすごく大きな気球でロリポリを吊り上げる、の。
1200トンの隕石を浮かび上がらせるような気球?
そんな大きな気球ができるかどうかはさておき、ロケットよりは、もしかして、いけるのでは、と思ってしまう、けれど。
「だってほら、お空の上の方の、成層圏?だっけ、あの辺は空気薄くて軽いし、気圧とかも少ないんでしょ。だったら、そこまで浮かべれば、あとは、ぴゅーって」
ルナが人差し指を振り回しながらそう力説すると、きらきらする青い眼を細めて、楽しそうにLはニヤニヤしてる。
もしかして、アリなの。
「いやあ、ムリなの」
笑顔で首を横に降るLは、何とも楽しそうで、ついつられて僕まで笑顔になってしまうけれど。
「同じようなコト考えた研究者がいたんだよねー、ベースの資料に残ってたよ。ルナチャン、もしかしたら研究者に向いてるかもね。
それによると、1200トンのロリポリを飛ばすために必要な気球のガスの質量は、約1,000万立方メートル。つまり、ヘリウムのみで約1,700トン。えーと、資料によるとだなー・・・」
そう云って、Lは部屋でパソコンの資料を見てるのかな。コホンと咳払いして、「海」でその内容を読み上げてくれる。
「えー、気球にすると直径は約300mだって。その巨大風船の、膜だけで重さが数百トン。加えて、係留索、吊架構造、ガス維持装置、安定翼などを含めると気球の総質量は数千トン規模になる。これらの重量を補うためにはさらに体積を増大させる必要があり、えーと、理論上は、直径400〜500m級になるって。建造するには空港全体くらいの土地が必要らしいよ。
—— 結論:ムリ」
「ええ?」
ルナは不満げなふくれっつらだけれど。
「まず建造の時点で無理だねー、とても実現不可能だなー。仮にどうにか作れて飛ばせたとしても、さらに問題があってね」
まだあるの。
ふくれっつらのルナをやさしい眼で見つめて、Lは資料の続きを読み上げてくれる。
「気球は高度上昇に伴い外気圧が低下するため、浮力は急激に減少する。対象を成層圏(約40km)まで上昇させる場合、気球体積は地上の3〜4倍が必要。またこの規模の構造体は風圧・温度変化・紫外線・静電放電に極めて脆弱であり、実際の打ち上げ継続時間は10分未満と推定される」
つまり、もしうまく飛ばせても、10分ももたずに膜が破れちゃうの。風船みたいにバーンって。
「そだね、巨大すぎて構造がもたない。さらに、成層圏到達後も脱出速度(秒速11.2km)を得るための推進力は別途必要だぜ。けど、気球単体では速度エネルギーを得られないため、軌道離脱は不可能」
気圧が下がるので浮力を失う
それはなんとなく、あーなるほどそうなのか、と思えたけれど。
そんな高高度まで飛んでも、まだ脱出速度が必要なの。重力はあるのかな。
ついさっきまで教室の席で読んでた「うちゅうのひみつ」に書いてあったけれど、宇宙ステーションの中は無重力で、宇宙飛行士さんがふわふわ浮いたり、地上ではできない無重力実験とかをしてるんだよね。
「あー、それなー」
Lはふんわりやわらかく微笑んで、
「重力は、フツーにあるよ。気球の資料で云う成層圏、高度40kmとか50kmあたりなら、地上とほとんど変わらない95%くらいの重力がね。Kの云う、国際宇宙ステーションの高度400km辺りでも重力はまだあって、80〜90%くらいある。だから、実は地球の重力に引かれて、宇宙ステーションは「落ちてる」んだよ」
「え、危ないじゃん」
ルナがぎょっとしてるけれど、それはそう。乗ってる人も、地上に住む人も、危ないよね。あんな大きなものが落ちてきたら。
ふふん、とLは楽しそうに笑って、
「なんで落ちて来ないのかって云うと、落ちるのと同じ速度で水平に飛んでるからだよ。あの子が地球の周りをぐるぐる回ってるのは、そのせい。ボールに紐をしっかり括り付けて、紐の端を持ってぐるぐる振り回してるような感じ。ボールが宇宙ステーションで、紐が重力ね。ちなみに内部が無重力になるのは、ざっくり云うと両方から引っ張られてるからだよ。厳密に云えば宇宙ステーションの中は完全な無重力空間じゃなくて、擬似無重力って感じだねー」
それは、よかった。いや、宇宙ステーションが、地上に落ちて来なくて、だけれど。
気球の方は、残念ながらダメ、かな。
仮に成層圏まで浮かべることが出来ても、気球じゃ脱出速度を得られないのは明らか、だよね。
そもそも、そんな大きな気球を作る時点で、とても現実的ではないのだけれど。
「じゃあどーするのよー。どーやってロリポリちゃんを宇宙へ帰すの」
これ以上ないくらいぶすっとほっぺたを膨らませて、ルナが僕をにらんでる。
それは、僕に聞かれても、困るのだけれど。
ふふん、とLが満面の笑みで、
「だから、それを今、Kとルナチャンで探してくれてるんじゃん」
「キクタとるなで?あー、マゴちゃんの「記憶」の、カントリーロード?」
ぴこん、とルナは人差し指を立てる、けれど。
でも今の話を聞いてしまうと、本当にそんな事ができるのかな、って思ってしまう、よね。
ロケットでも気球でもダメ、なんでしょ。
「まあね」
ニヤリとLは笑って、
「フツーに考えたら、ムリ。米軍の偉い科学者が「ムリ」って云うくらいだからなー。今の人類の科学力じゃ、どう頑張ってもムリなんだろーねー」
笑顔でお手上げのポーズ。
今、パッと聞いただけでも、僕はもう絶対無理だよって完全に諦めモードだけれど。
しかもLですら「ムリ」って云うものを、本当に「キクタ」にどうにかできるのかな。
いや、他人事みたいに云ってしまうのは何だか申し訳ないけれど、ひとつも覚えていないので。
少なくとも、いまの僕には、とてもできそうには思えない。
「フツーに考えたら、だぜ?常識や科学や計算で考えたら、絶対ムリって事だなー。でも、フツーじゃない方法なら、イケル、のかもしれない」
「ふつーじゃない方法って、どんな方法なの」
「そりゃわかんないわよ。だって、フツーじゃないんだもん。もしかしたら、「輪」の能力を超パワーアップさせて、巨大なワームホールを出現させる!とかね。ハンスちゃんは「人間ふたり」くらいなら「輪」で飛ばしてたよね。じゃあ、ハンスちゃんがあと10人か20人くらいいたら、直径20mのロリポリちゃんを飛ばせるようなでっかい「輪」が出せるのかもしんない、みたいな?」
Lは疑問形だけれど。
もしかしたら、それはもしかするのでは。
「輪」の能力で飛ばせるのは、飛ばす対象が行った事のある場所。
ロリポリはもちろん、宇宙を飛んで来たので、「行った事ある」の条件はクリアしてる。
だったら、ロリポリを宇宙へ「飛ばす」事も可能、なのかもしれない。
「いやあ、あくまで「例えば」だぜ?フツーじゃない方法の一例として、って意味だよねー。だって、まあ例えがちょっと悪かったってのもあるけど、遺伝子改造の産物である「輪」の能力者を10人も20人も揃えるって、その時点でダメだよね、別の意味で」
Lは困った顔で苦笑して、肩をすくめる。
それは、そう。
あくまで、例として。
ただ、Lの云う「フツーじゃない方法」、その考え方の方向性はわかった、ような気がする。
常識や科学や計算ではなく、発想、という事かな。
教室では、チャイムが鳴ると同時にナガタ先生が入って来て、ホームルームが始まってた。
日直さんの号令を聞き逃して、ドナドナモードで座ったままでいた僕の頭を、後ろからルナがふわりとチョップしてくれる。
僕は慌てて立ち上がり、みんなと声を揃えて「おはようございます」の挨拶をする。
後ろの方の席だから、ひとり遅れて立ち上がった事にはたぶんクラスメイトは誰も気づかないし、そもそも僕らの認識はこの教室ではほぼ消えてるはず。
くるりと教室を見渡してみんなに「おはよう」と挨拶するナガタ先生も、僕には目も止めないくらいだ。
海で「ふふん」とLが笑って、僕はまたドナドナモードになり、意識を「海」へ切り替える。
「そ。だから、話を戻すけど、黄金虫がホントに飛べるんなら、ね。ロリポリちゃんも飛べるでしょ。体さえ、元気に治ればね」
云われて、思い出す。
そうだった、黄金虫の話だった、ね。
ルナの視界の窓では、暗いランドセルの中、隅っこの方に身を縮こまらせた黄金虫が、じっと息をひそめてる(ように見える)。
その黄金虫を見つめたまま、ルナが云う。
「カントリーロードが、そのふつーじゃない方法?」
「だと思うんだよね。だって「キクタ」おじいちゃんが考えた計画だもんなー」
Lがさっき云ってたナガヌマの「記憶」の捜索には、ルナとふたりで、「1日ひとつずつ」と決めて、毎晩寝る前に、ハナの「海」の記憶の保管庫へ出かけてた。
まあ、ふたりで、と云いながら、ナナが何度か心配して同行してくれたり、御子がふらりと現れてふわふわと楽しそうについて来たりもしてたので、本当にふたりだけで行ったのは、数えるほどだったけれど。
保管庫にある梯子状の構造物、ナガヌマの「記憶」が保管されたそれには、ナナが「気掛かり」の記憶を探していた際に、調べた「記憶」の横木に目印として白いリボンを付けてくれてた。
リボンの付いてる「記憶」はナナが中身を確認済み。だから、そこにカントリーロードの情報はない。
梯子の横木を見ただけでそうわかるようにしてくれてたので、印のない横木を順に開いて、毎晩ひとつずつ、ナガヌマの「記憶」を確認してる。
ナナを真似て、僕らもチェック済みの横木にはリボンを付けようか、ってルナに云ったら、「じゃあピンクねー」と何の相談もなしにピンクに決めてた。まあ、わかりやすくていいのだけれど。
とは云え、80年分以上もある、ナガヌマの「記憶」の中からたったひとつの目当てのものを見つける、という探索なので。
気の遠くなるような作業には、違いない、よね。
1日ひとつ見ていたのでは、1年かかっても「記憶」1年分も見れないかもしれないわけで、週末や休日には、まとめていくつか見るようにはしていたけれど、焼け石に水と云うか、それほど捗るわけでもない。
「お疲れさんだぜー」
小さく肩をすくめて、Lは苦笑して、
「それもあって、オレもさっさと大学行きたいんだけどねー」
眠たげな眼をこすって、あくびをかみ殺しながら云う。
「Lは大学で、その勉強をするの。ロリポリちゃんを宇宙へ帰すための?」
ルナが尋ねるので、
「じゃあ、天文学部へ行くの」
僕も質問を重ねてしまう。
うん、とLはにっこりうなずいて、
「例のホームスクーリングの、メンターでお世話になってるアメリカの先生が天文学者でねー。試験に受かったら、先生の大学の研究チームに入らないかって誘ってくれてるんだよねー」
さらっと云うので、驚いた。
もうそんな具体的な話まで決まってるの。
しかも大学の研究チームって、さすが、ギフテッド、いや天才美少女、いやいや「Lだから」、という感じだけれど。
Lは苦笑しながらちらっと僕を見て、
「まあねー。どーせ大学行くんなら、何か役に立ちそうな勉強や研究が出来た方が絶対いいじゃん。その先生のチームってさ、NASAの研究員なんかも参加してるらしいんだよねー」
NASAの研究員
聞き慣れない単語すぎて、頭の中で繰り返してしまう。NASAって、あのNASAだよね。正式名称は、何だっけ、アメリカ航空宇宙局、だったかな。
え、それはもはや、勉強とかじゃなくて、本物の研究チームなの。
「本物って何?本物じゃない研究チームなんてないでしょ」
ふふっとLは小さく吹き出して、
「本物のNASAの研究員でも大学の偉い先生でも、勉強はするよね。そのための研究チームだからねー。学者ってそーいうもんじゃね。研究イコール勉強って感じ?」
それは、そうなのかな。
僕には、ちょっと想像すら追いつかない世界だ。
あっけにとられる僕を横目に、ルナは平然と、
「その試験って、いつなの」
何だか、ペン習字とかそろばんの試験でも受けるみたいな、気楽な感じで尋ねてる。
「11月末だから、来週?」
LはLで、さらりと疑問形で答えてるし。
来週?
その大事な試験、もう来週なの。
こんなことしてる場合じゃないのでは。
そう云ったら、Lはまたニヤッと笑って、
「こんなことって何?だいじょぶだいじょぶ、だからちゃんと毎晩スクーリングしてるでしょ。時差が14時間あるからねー。向こうの昼間が、こっちの夜中なんだよなー」
ふぅん、といつもの調子でルナはうなずいて、
「じゃあ、来週アメリカへ行くの。試験を受けに」
さらりと云うので、僕はまたびっくりする。
でもそっか、アメリカの大学なんだから、当然試験も現地で受けなきゃ、だよね。
「いやいや、試験は日本でも受けられるんだよ。SAT(大学進学適性試験)ってやつでね、誰でも受けることができて、年に4回かな、日本でも試験が実施されてるよ。全国に何カ所か会場があってね。あと、アメリカンスクールとか、米軍基地とかでも受けられるらしいねー。オレは、東京で受けるから、来週ちょっと行って来るよー」
まるで近所のコンビニへ行って来るみたいな気軽さで云うのは、何ともLらしいけれど。
僕は何だか、他人事ながらどきどきしてしまう。
そんな大事な試験、しかももう来週、だなんて。
いやいや、苦笑して、ひらひらとLは手を振って、
「そんな事よりもだなー」
また小さく肩をすくめながら、
「ルナチャン、黄金虫どーするの」
さらりと尋ねる。
そんな事よりも?かどうかはともかく。
そうだった、黄金虫。
どうしよう。どうすればいいのかな。
ふむー、とルナは人差し指をあごに当てるJのポーズを真似て、首をかしげて、
「交番に届けるわけには、いかないでしょ。じゃあ、持ち主に返す、でしょ」
心なしか、口調までJみたいになってるけれど。
持ち主って・・・
黄金虫の持ち主は、ロリポリ?
んにゃ、とルナがネコみたいな声を出すのは、肯定なのか否定なのかよくわからない。
「ハンスちゃんのパパ?あの博士のおじーちゃんの「オレンジの海」のプールに帰すよ。あそこなら、るな、飛べるし」
H・O・アンダーソン博士?
彼が黄金虫の持ち主、と云えるかどうかわからないけれど、確かに、博士のラボにあるロリポリの腹部「揺り籠」へ帰す、という意味なら、間違いではない、よね。
「うん。昼休みにぱっと飛んで、返してくるよー」
だからおーちゃん、もうちょっとしんぼうしてねー
ランドセルの中の黄金虫に、ルナはそう小声で囁いてる。
昼休みにぱっと飛んで
あの地下のラボへ?
確かにルナも一度、僕らと一緒にあの場所へ、ハンスの「輪」で飛ばしてもらって行った事がある、けれど。
だからルナの「輪」で飛ぶこと自体は、問題なくできるのだろう、けれども、ね。
むむ、とLが険しい表情を浮かべて、
「王子、姫の護衛をお願い」
まじめな顔で云うのは、何だろう。
「何だろって、「お願い」だけど。我らが「いばら姫」を、ひとりであんな暗い地下へ向かわせるわけにはいかねーだろ」
きりっと美少女のキメ顔で云うのは、だから、ずるいよね。
いばら姫も、そう云われてみれば、だった。
ルナは、米軍の海沿いの研究施設(の資料)では、そう呼ばれてたらしい、けれど。
「暗いだけでしょ。るな、ゴーグルあるからへいきだよー」
それに、とルナは僕をちらっと見て、
「キクタじゃ護衛にならないよねー。ただのちびっ子じゃん」
赤い眼を細めて、ニヤニヤ笑ってる。
それは、まあ、そうだね。否定できないけれど。
「いやいや、マゴちゃんがいるでしょ。いざって時には誰より頼りになるよね、だって、ナガヌマンだぜ?」
何だかよくわからない変身ヒーローみたいなポーズを決めて、Lが云う。
L、絶対ふざけてるよね。まじめな顔してるけれど。
そう云ったら、Lは僕の頭をふわりとチョップして、
「まじめに決まってるでしょ。ルナチャンに万一の事があったらどーするのよ」
万一の事
云われて、ハッとする。
確かに、あの地下のラボはハンスが設置した電子ロック付きの鉄の扉で守られてる、という話だったけれど、実は古い本棚の裏に、ハンスも知らなかった隠し通路があった事が判明してる。
実際、前回みんなでラボを訪れていた際に、その通路が開いてヌガノマホワイトが姿を現した。
肩を撃たれ、右腕を血に染めたホワイトが。
あの後、ハンスがホワイトを鉄の鎖で拘束して、地下道にある古い牢につないでいたはず。
その後どうしたのかは聞いていないけれど、解放する理由もあるとは思えないので、ホワイトはたぶん、今も牢につながれてる。
だから安心、とは云い切れないのは、そのホワイトを撃ったブラウンが、今もあの地下のどこかに身を潜めてる(かもしれない)からだった。
銃や、もしかしたら爆弾なども持ってるかもしれないブラウンは、ホワイト以上に危険な存在であるのは間違いない。
あいつが今も博士のラボに出入りしてるとは思えないけれど、Lが「万一」と云うのは、その可能性が「0」ではないから、なのだろう。
「キクタだけじゃなくてLまで心配性なの。るなはゴーグルもあるし、何かあればたぶんその前に「聞こえる」から、だいじょーぶなんだよー」
いつもののんきな調子でルナが云うと、Lはふるふると首を振って、
「心配だよ、ああ心配だね。ルナチャンが「聞こえる」のは、毎回必ずってわけじゃないでしょー。万一ブラウンとかがラボに潜んでて、たまたま「聞こえ」なかったらどーすんのよ」
それはそう。Lの云う通りだ。
僕の中にいるはずのナガヌマのゴーストも、その理屈で云えば毎回必ず助けに来てくれる、わけではない、けれど。
だとしても、僕もゴーグルとヘッドホンを付けた上でルナと同行すれば、より広い範囲を警戒できるし、何よりあの「音」は、今のところほぼ100%鳴ってるはず。
僕の耳の中で今も聞こえてる「音」は、危険が迫れば、警告音に変わる。危険が察知できれば、すぐに「輪」で飛んで逃げ帰る事だってできる、かもしれない。
「いや、やっぱオレも今から学校行くわ。昼休みには十分間に合うよね」
「来てもいいけど、るな、そんなにいっぺんに「輪」で飛ばせないよー?やった事ないからわからないけどー。ハンスちゃんだってふたりずつだったじゃん。それに、今日もガブちゃんがLの制服着て学校に来てるんじゃないのー?校内でバッタリ出くわしたらどーするの。何だっけ、ドッペルゲンガー?じゃん。孤高の天才児がふたりいる!って大騒ぎになるよー」
ルナはいつものようにのんきに云うけれど、口調はのんびりなのに妙に説得力があるのは、何なのだろう。不思議だよね。
実は年上のお姉さんだから、なのかな。全然そんな風には見えないし、普段はちっともそんな感じはしないのだけれど。
「あー、まあね?」
Lも何故か、納得したらしい。
「じゃあオレは行くのやめとくけど、せめてKだけは連れて行ってよ。ルナチャンひとりじゃ、やっぱ心配だわ」
そこは譲れないらしい、強い口調でルナにお願いしてる。
Lの気持ちは、僕にもわかる気がする。
あの日から、ずっとある、そこはかとない不安。
半月ほど前、みんなでMに会いに行ったあの日、
迷いながら、Mが僕らに見せてくれた、モニカの「最後の記憶」。
3年前の嵐の晩、暗い橋の上で、モニカを背後から狙い撃った犯人は、たぶん、今もまだこの街のどこかに潜んでる。
それがブラウンなのかどうかは、わからない。
ブラウンか、それともモニカを撃った犯人か、そんな怪しい人物が、博士のラボに潜んでる可能性は、たぶん、限りなく「0」に近いのだろうけれど。
それでも、拭えない不安が、ずっと僕らに影のように付き纏ってる。
「わかったよー。じゃあキクタも連れて行くよー」
やれやれ、みたいな顔で大袈裟に肩をすくめて、ルナは苦笑してた。
無用な心配なのかもしれないけれど。
それでも、やっぱり、どうしても、警戒せずにはいられない、よね。
「うん。そう考えると、Mちゃんがあの「記憶」を見せてくれたのは、正解だったって事だよね」
ふふん、と困ったような顔でLは小さく笑う。
そうだね。
僕らのひとりひとりの心の中に、そんな風に何かに警戒したり、気をつけたりするような思いを植え付けた、という意味では、間違いなく正解、なのだろう。
「さてと」
Lはお茶をぐいっと飲み干して、
「じゃあ、あんまり授業の邪魔しちゃ悪いから、そろそろオレは帰るよー」
どっこらせ、と椅子から立ち上がる。
とんとん、と軽快にテラスを駆けて、ふわりと基地の扉へ飛び上がると、ひらりと僕らに手を振って、
「ドアは開けとくから、何かあったら呼んでくれよなー」
陽気なハスキーボイスを残して、Lはドアの中へ姿を消してた。

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