月曜日、いつもより早く教室へ着いて、ふと思う。
早めに来るのが、すっかり習慣になってしまったかもしれない。
すでに何人か来ていたクラスメイトに「おはよう」と声をかけて、席に着いて、思い出す。
「うちゅうのひみつ」はもう読み終えて、先週金曜に図書室へ返しに行ってたんだった。
読む本もないので、頬杖をついてぼんやりと校庭を眺めるともなく眺めながら、オレンジの海を「振り返る」
テラスの丸テーブルの上、小さな丸い一輪挿しには、黄色い金木犀の花が咲いてる。
今日、ハナは登校するらしい。
ルナがルリおばさんのマンションに住み始めてから、月曜日はルナがハナを連れて来てくれるので、以前ほど心配はなくなったのだけれど。
それでもナナは、約束通り花瓶にお花を挿してくれてた。
それも習慣、なのかもしれないけれど。
「おはよー」
いつも通りののんきな声がして、教室の後ろの入り口を振り返ると、
「キクター」
元気なハナが駆けて来て、僕の膝の上にぴょこんと飛び乗ってしがみつく。
「おはようハナ、今日も元気だね」
目の前でふわふわ揺れるハナの灰色のドレッドヘアをなでるまでが、月曜日の朝のいつものお決まりのパターンだ。
「おはよー。はなちゃん元気だよー」
にこにこ笑うハナを、ルナが僕の膝から抱き上げて、
「キクちゃん?あんた、何か忘れてなぁい?」
心の声で云うのは、何だろう。ルリおばさんの真似かな。ちょっと似てるけれど。
見上げると、ルナの赤い眼が、ちらちらと僕の前の席を見てる。
前の席に座ってる、制服の後ろ姿は、ヨッちゃん?だけれど。
ぴこん、とつながる。
そうだった、ヨッちゃんに聞きたい事があったんだ。
今なら教室にそんなに人もいないし、何よりヨッちゃんの仲良しのサッチンもまだ来てない。
チャンス、って事かな。
「よろしくねー」
さらりと云って、ハナを抱いたまま、ルナは自分の席に着く。
そこで聞かせてもらう、って事かな。
何だか少し緊張しながら、僕はコホンと小さく咳払いをして、
「あの、ヨッちゃん?」
思い切って、声をかける。
「んん?」と振り返ったヨッちゃんに、
「ちょっと聞きたい事があるんだけれど」
少し声を潜めて、云う。いや、演技とかではなく、あんまり大声で聞くような事でもないかなと思って。
「何、どしたの」
ヨッちゃんも声を潜めて、興味津々な顔。それは、そうだよね。僕が自分から彼女に何か聞くなんて、初めての事だものね。
「あの、もし知ってたら、教えてほしいんだけれど」
そう前置きをしたのも、ヨッちゃんの興味を引くため、とかではなくて、単に言い出すタイミングを測りかねて、だったのだけれど。
ヨッちゃんは何故か、ますます興味津々で、ぐいっと体ごと椅子を僕の方へ向けて、
「うんうん、何なに?」
眼をきらきらさせながら、聞くので、
「ええと、「シロヌリ」って、何?」
思い切ってずばり尋ねたら、ヨッちゃんの眼が、きらーんと光った、ような気がした。
「え、何で?スズキっち、もしかして、見たの」
僕の机にぐいっと身を乗り出して、囁くように、云う。
そんなに食い付くとは思わなかったので、僕は少したじろいでしまう。
それに、「スズキっち」って何。それ、僕のあだ名なの。初めて呼ばれたけれど。
「み、見てない、けれど。噂を聞いて、気になって。何なのか、ヨッちゃんなら知ってるかなって」
もごもご云ったら、ヨッちゃんの顔が「ははーん」みたいな、何だろう、獲物を見つけた小動物みたいな顔、かな。
眼を細めて、にんまりと口角を上げて、ふむふむとうなずきながら僕を見る。
そして素早く教室内をくるりと見渡して、
「内緒だよ、誰にも云っちゃダメだからね」
口の前に人差し指を立てながら、囁くように云うので、僕は無言のまま、カクカクとうなずく。
「最初に見たのは、2組の男子なの。その子、トモちゃんとピアノ教室が一緒でね。トモちゃんに「気をつけて」って教えてくれたんだって。
黒い服に黒い帽子の全身真っ黒な人間なんだけど、顔だけが真っ白なんだって。昔のお芝居に出てくる人みたいにね。それで「シロヌリ」って呼ばれてるみたい」
黒い服に黒い帽子、全身真っ黒
それだけなら、特に珍しい特徴とも思えない。そんな人もいるよね、くらい。肌も色黒なのかもしれないし、日焼けしてるのかも。それとも、アフリカ系の外国人とか。
でも、顔だけ真っ白
それは、ちょっと怖いかも。
「そしたらね、先週、ピアノの帰りにトモちゃんも見ちゃったんだって。夜に、川沿いの遊歩道で、全身真っ黒なのに顔だけ真っ白の人」
ヨッちゃんの言葉に、僕は自分の顔がこわばるのがわかった。
先週、トモちゃんも見ちゃった
川沿いの遊歩道で
「そ、それで?」
思わず尋ねてしまう。トモちゃんは無事だったのだろう、それはわかる。だってその話をヨッちゃんにしたのは、当のトモちゃん自身なのだろうから。
けれど・・・。
「ちょうど車道を車が通りかかってね、ライトがピカーって、歩道の端の、ほら、川沿いにフェンスがあるでしょ、あっちの方を照らした時に、その向こう側に立ってたんだって、全身真っ黒で顔だけ真っ白な「シロヌリ」が」
川沿いのフェンスの向こう側
「あのフェンスの向こうって入れるの。塞がれてるよね」
「そうなの、だからおかしいでしょ。どうやって入るの。わざわざフェンスを乗り越えて?それとも、ずーっと先の上流のフェンスの始まるところから回って入ったの?何のために?っていう、謎の人物。それが「シロヌリ」だよ」
ぴこん、と立てた人差し指を、ヨッちゃんはもう一度唇に当てて、「内緒だよ」と念押しするように云う。
僕はうなずいて、
「その2組の男の子は?その子も同じ辺りで見たのかな」
重ねて尋ねると、ヨッちゃんは神妙な顔でうなずいて、
「らしいよ。噂では昔、あの辺の川で軍の船が沈没したんだって。だからもしかしたら「シロヌリ」は、昔の軍人の幽霊かも?」
怖い顔でそう云って、ちらっと教室の入り口の方へ目をやって、
「あ、サッチンおはよー」
急に笑顔で手を振って、席を立つ。
それから思い出したようにくるりと振り返って、僕の方に顔を寄せて、
「スズキっちも、気をつけてね」
囁くように云い置いて、サッチンの席へさっさと駆けて行ってしまった。
置いてきぼりにされてしまったような気分で、僕はヨッちゃんを目で追っていたけれど、もうこちらには何の関心もなくなってしまったようで、サッチンと楽しそうにおしゃべりを始めてたので。
ゆっくりと椅子を後ろに下げて、くるりとルナを振り返る。
膝に乗せたハナのドレッドヘアをふわふわとなでてたルナが、眼を上げて、
「お疲れ、スズキっち」
心の声で云うのは、何なの。
「何なのって、祝福?だよ。ヨッちゃんにあだ名をつけてもらえて、あんたもようやく、このクラスで認められたってコトだよねー」
そう云ってルナは、赤い眼を細めてニヤニヤしてる。
祝福?認められたって事?
それなら、転校初日から「ルーちゃん」呼びだったルナは、いきなり祝福?されてたわけだね。
「ひがまないで、スズキっち。そんなコトより、シロヌリでしょ。やっぱりピエロ男なんじゃない?」
顔をしかめて、首をかしげてる。
白いピエロの仮面が暗い夜道のせいで真っ白な白塗りの顔に見えた、って事なのかな。
「トモちゃんは、車のライトで照らされたのを見たんでしょ。だったら、お面の顔だけ光が反射して、真っ白に見えたのかもね」
ルナのいつもの雑な推理も、今回ばかりは当たっていそうな気がする。いや、今回も、かな。雑なわりにいつも核心を突いてる事が多いような。
「あー、「雑」って云ったー。女の子にそーいうコト云っていいのー?おねーちゃんに云っちゃおー」
ルナがニヤリと笑って、膝の上のハナに「ねー」と頬ずりしてから抱き上げ、ハナを僕の隣、ハナの席に座らせる。
もう予鈴が鳴る時間?教室の正面の時計を振り返るけれど、まだだいぶ時間はある。
もう一度、ルナを振り向いて、僕はぎょっとした。
さっきまで、膝の上にハナが座ってたので、見えていなかったのだけれど。
ルナの制服、焦げ茶色のブレザーの胸元に、まるで大きめのブローチか何かのように付けてる、それって・・・。
「ん?いま気づいたの。おーちゃんだよ」
当然の事のようにさらりと云うけれど、何でなの。
何で黄金虫を制服の胸に付けて、学校へ連れて来てるの。
「何でって、るなについて来ちゃうからだよ」
何て事ないみたいな顔で云う。
僕の隣でハナがうんうんうなずいて、
「そーそー、おーちゃんね、ルナが好きみたいだよー」
にこにこ笑って云う。
好きみたいで、ついて来ちゃうからって、そんな、お花のコサージュや何かじゃあるまいし。制服の胸元に付けなくても。いや、そうじゃなくて、だいたい、重くないの。
「あー、手で持つと重いから?でも付けたら軽いんだよー」
いつもののんきな調子で、ルナが平然と云う。
そんなわけないでしょ。持った時と服に付けた時で重さが変わるの?まさかそんな。
「変わるんだよー。じゃああんたも付けてみなよー」
そう云ってルナは「おーちゃん、ちょっとごめんねー」とか云いながら、黄金虫を胸から外して、僕に差し出してるけれど。
いや、ごめん、それは、むりだよね。
思わず身を引いたら、ルナは露骨にあきれたような顔をして「はあ」とかため息までついて、
「じゃあ、ハナ」
ふわりと席から腰を浮かせると、僕が止める間もなくハナの制服の胸元に黄金虫を付ける。
いや、止める必要は、ないのかもしれないけれど。
どういう仕組みなのか、黄金虫が自分の足で服に掴まってるのかな、付けられたその場所で、おーちゃんはじっとしてるけれど。
「おとなしいんだよ。るなが遠くに離れると、急に元気になって追いかけて来るけどねー。るながいれば、じっとしてるよ」
遠くに離れると、急に元気になって追いかけて来る?
何なのそれは、親鳥と雛の関係みたいな?
おーちゃんが二度目にルナの所へ来たのは、金曜日だったろうか。
じゃあ、それからずっと?家でもつけてるの、服に。
尋ねたら、ルナはあきれ顔のままで、
「金曜は、ランドセルに入れてお家に連れて帰って、そのままランドセルに入れてお部屋に置いてたら、いつの間にか出て来て、るなのスカートにくっついてたんだよ。だから、お家ではそのままくっつけてたねー。土曜日は、ハンスちゃんのいる所へ連れて行けないじゃん。だから、お家でハナに見ててもらったんだよ」
そう説明されて、僕は思わずハナを見る。
ハナは、にっこり笑って、うんうんうなずいてた。
平気なんだ。ハナは、黄金虫が怖くないんだね。
そう云ったら、ハナは少し首をかしげて、
「おうごんちゅう?はわかんない。でも、おーちゃんはかわいいよ。いい子だしー」
胸に付けたおーちゃんをオレンジの眼で見下ろして、またにこにこしてる。
だったら、良かったけれど。
「やれやれ」
ルナは大袈裟に肩をすくめて、「ハナありがと」とハナの胸からおーちゃんを外して、自分の制服の胸元にとまらせて、席に戻る。
「あんたの事だから驚くかなーとは思ったけど、こんな大騒ぎするとはねー。早く来て正解だったねー」
くるりと辺りを見渡して、苦笑してる。
慌てて僕も周りを見回したけれど、だいじょうぶ、誰も僕らの(僕の?)騒ぎには気づいてないらしい。
ほっと息をついたら、「海」で貝殻の風鈴がからりと鳴る。
「振り返る」と、Lの基地のドアが開いていて、ふわふわの金髪がひょっこり顔をのぞかせてた。
例の禁止令のせいかな、最近このパターンが多いね。
「あれ、L?今日から東京じゃなかったの」
尋ねたら、Lはニッと笑って、
「いま移動中だよー。新幹線の中でヒマだから、誰かいないかなーと思って」
新幹線の中でヒマだから?って、東京まではほんの一時間ほどだよね、と思いかけて、察した。「Lだから」ね、それは照れ隠しで、本当は僕らの様子が気になって見に来てくれたのだろう。
僕らのって、主に僕とルナだろうけれど。
まじめなJは学校では窓を閉じてるだろうし、たぶん、ガブリエルも。
「あ、L?ちょうどよかった」
後ろの席でルナがそうつぶやいて、早速ドナドナモードになってる。
このまま僕まで「海」へ行ってドナドナモードになってしまうと、ハナがひとりで教室に置いてきぼりになってしまうよね。
かと云って、ハナに「僕の海へ来て」で、通じるのかな。思えば、いつも僕の「海」へ来るのはナナで、ハナは今まで一度も来た事がなかった。
何か事情でもあるのかな、一瞬そんな思いが頭をかすめたけれど、まさかね。僕の「海」だし、危険は何もないはず。
ナナが前の王で、今はハナが王。なら、僕の「海」へ来るのも、何の問題もない、よね。
「ハナ、おいで」
椅子の上でくるりと横のハナの方を向いて、僕はハナを手招きする。
「はーい」
待ってましたとばかりに?元気な返事をして、ハナが僕の膝の上にぴょこんと飛び乗って来る。
そのまま、落とさないように両手で左右からハナの体を支えて、オレンジの海を「振り返る」
狙い通り、僕はハナ(の意識体)を抱いたまま、テラスの椅子に腰掛けてた。
バーン、と勢いよく基地のドアが開く音がして、振り返ると、Lが飛んで来る。僕の膝の上の、ハナをめがけて、一直線に。
「ハナチャンハナチャンー!今日もカワイイネーカワイイネー」
お約束の甲高い鼻声で叫びながら、Lは僕の膝からハナを素早く抱き上げて、熱烈な頬ずりをしてる。
ハナもいつも通り、「きゃー」なんて歓声をあげて喜んでた。
ひとしきり頬ずりをして満足したのかな、Lはハナを抱いたまま僕の隣の椅子を引いて腰掛けながら、ふわりと片手で僕の頭をなでて、
「おまえ、最高。100点だねー」
ニヤニヤ笑ってる。
喜ぶだろうなとは思ったけれど、100点まで貰えるんだ。ハナの力はすごいな。
「いやあ、だって今日は公園行けないしさー。もう来週までハナチャンに会えないのかと思って、しょんぼりしてた所へ、おまえ、天才、最高、ありがとう、神様」
天才でも神様でもないけれどね。そんなに喜んでもらえたなら、何よりだね。
「へえ、やるじゃん。あんたって、たまーに冴えてるよねー」
テラスの入り口であきれ顔をしてたルナが、ニヤニヤしながらやって来て、僕の後ろを通りながら、ふわりと頭をチョップする。
Lもまだニヤケ顔のままで、
「ほんとにね。てっきり、ハナチャンはここに来れないのかと思ってたぜ。今まで来た事なかったよね?」
そう云われて、少し心配になる。いきなり連れて来てしまったけれど、本当にだいじょうぶなのかな。
何か、ここへ来ちゃいけない理由とかがあって、それで毎回ナナが来てた、とかではないよね。
「王と王だろ?フツーに問題なさそうな気がするけどな。それでも、おまえが云うように、あえていつもナナちゃんが来てたのなら、何かあんのかな」
Lと顔を見合わせて、うーんと唸っていたら、ハナが顔を上げて、
「はなちゃん?ここへ来たことあるよー。もうずーっと前だけど、キクタと、ナナちゃんと」
Lと僕の顔を見比べながら、不思議そうに云う。
来た事あるの
「キクタ」とナナと?
それならやっぱり、何の問題もないのかな。
「とは云え、気になるよね。ハナチャン、ナナちゃんは?」
Lがハナに尋ねるのは、ナナに確認しておきたいって事かな。それはそうだね、何か問題があるのなら、聞いておきたいし。
ハナはどこか上の方、オレンジの空を見上げてるけれど、ナナに確認してくれてるのかな。
「ナナちゃん?さっき寝てたけど。あ、起きてたよ。えーと・・・、はーい」
そう云って、オレンジの眼を閉じる。
すぐにスッと開いた眼は、薄灰色のナナの眼になってた。
「これはこれは、金髪の膝の上とは、寝起きにまた夢を見ているかの如きじゃの」
ニヤリと笑うので、僕は密かにホッとする。寝起きのナナは、割と機嫌が悪いイメージがあるので。
「ナナちゃん、ずばり聞くけど、ハナチャンを「海」に連れて来なかったのには何か理由があるの?」
ナナを膝の上に乗せたまま、平然と尋ねてるLもなかなか、剛毅だよね。
ふむ、とナナはちらっと僕をにらんでから、
「概ね、おぬしらの想像通りじゃの。レムナント化して以来、ハナは此処へ来ておらぬ。理由は、今となっては瑣末な事じゃな。杞憂じゃったと云うべきかの。
ハナのレムナント化に加えて、此奴が縮んでおった、そんな状況じゃ。何がどう影響するやもしれん。それで念の為、ここへは儂のみが来ていた、様子見を兼ねてな。それだけの事よ。ハナもここの事は、忘れておったようじゃ。行きたがる事もなかった故な」
そう説明してくれて、僕もLもホッと息をつく。
それなら、特に問題はないんだね。
云ったら、ナナはまたちらりと僕をにらんで、
「今の所は、じゃぞ。何が起きるかなんぞは、誰にもわからん。おぬしと儂、いずれも「理に反した」存在であろ。御子が云うには、罰やらそんなものはない、との事じゃったが、だからと云って慢心するようなものではなかろ。慎ましくおとなしく、波風立てずに過ごすのが儂の持論じゃ」
それは、そうだね。ナナの云う通りだ。何が起きるかはわからない。慎ましく、と云うのも、確かにそう。
「なるほどね、よくわかったよ。ナナちゃんありがとー」
そう云って、Lがハナにするみたいに、ナナのドレッドの髪をふわふわなでるので、僕はびっくりした。
「なんで?一緒だろ?ハナチャンにするのも、ナナちゃんにするのも」
Lはそう云って、何故かニヤニヤしながら僕を見る、けれど。
一緒?ではないよね。
そりゃ、見た目は一緒かもしれないけれど、中身は、ナナとハナだよ?
「いちいち五月蝿い爺いじゃの」
ナナはうんざりしたような顔で僕をにらんで、
「用は済んだな。ならば儂は休ませて貰うぞ。金髪、またの」
眠たげな眼でLを見上げて、にっこり微笑んで眼を閉じる。
「ナナちゃんありがと、またねー」
ふわふわとLがまたドレッドの髪をなでると、ぱっちりとハナがオレンジの眼を開いて、
「キクタ、またナナちゃんに怒られたねー」
わははー、いつものように、楽しそうに笑ってる。
何だろうね、これも習慣、みたいなものかな。
「それで、ルナチャン」
くるりとLがルナの方へ向き直って、
「それって黄金虫?だよね。すげーな、服にとまらせてんの。かっこいいじゃん」
ハナを膝に抱いたまま、椅子ごとぐいぐい移動して、ルナの胸にとまるおーちゃんを食い入るように見てる。
え、いや、ちょっと待って、おーちゃんも「海」に来れるの。何で?
「何でって、るなの制服にくっついてるからじゃないの」
ルナはめんどくさそうに僕に云う、けれど。
服にくっついてるけれど、服の一部じゃないよね。生き物だよね。
ルナは眠っていないし、おーちゃんの中にルナの意識が入ってるわけでも、あれ?
云いかけて、何か最近同じような事を云ってたよね、と思い出す。
ブランシュだ。
あの時も、ルナは眠ってたわけでもブランシュの中に意識が入ってたわけでもなかった。
それでもブランシュの意識体はルナの「草の海」にいて、僕と話が出来てた。
それと一緒、という事?なら、ルナが特別製だから、なのかな。
「そーなるねー」
さらっとどうでもよさそうにLが云う。きらきらする青い眼は、ルナの胸のおーちゃんに釘付けのままで。
「触ってもいい?」
云うと思ったけれど、L、やっぱり云うんだ。
「いいよー。おーちゃん、ちょっとごめんねー」
ルナはまたおーちゃんにそう囁いて、制服の胸から外すと、そのまま手のひらに乗せてLに差し出す。
「おー、おお、重いな。え、この重さで制服にくっついてたの。上着がずり落ちちゃうんじゃね」
「手に持つと重いけど、服につけたら重くなくなるんだよ」
またルナはそう説明するけれど。
以前に僕がランドセルごとおーちゃんを持った時、両手にずっしりと重さを感じた。さすが、あのロリポリの幼生体だけの事はあるなと妙に納得できる重さだった。
でも、Lの云う通り、あの重さのものが制服の胸にくっついたら、重みで布地が引っ張られて、上着がずり落ちるとか、もしかしたら生地が破れてしまうかも?
それくらいの、重さだったように思うのだけれど。
「重くなくなる?何それ、何のパワーなの。え、ほんとに?」
さすがにLも怪訝な顔で、手にした黄金虫をそっと自分の制服の胸元へ持って行く。
Lの膝に乗ったままのハナは、結果がわかるからなのかな。何やら楽しそうにニコニコしながらLを見つめてる。
「おお、すげー。ちゃんと自分で掴まってくれるんだ。賢いなー、って、ええ?!何これ?」
胸元につけたおーちゃんをしげしげと観察してたLが、素っ頓狂な声を上げて、目の前のハナを見て、隣のルナを見て、最後に僕を見る。
ハナとルナは、その「何これ」の正体を実感として知ってるから、なのかな、にこにこ笑ってLを見つめてる。うんうん、わかるよ、みたいな顔で。
僕ひとりが、たぶん困った顔でLを見つめ返してた。
「あーね、おまえはこれ知らねーのか。だよね、苦手だもんね。いやでもこれ、すげーぞ。どーなってんの。ほんとに「重くない」。重くなくなる、どころか、重さがなくなる?どーいう事?」
Lの青い眼が、これまで見た事がないくらいきらきらと熱を帯びて輝いていて、それを見ただけで僕は、何故かとてもわくわくしていた。
何だかわからないけれど、何かとんでもない事が起きてる。
あのLが、こんなにも興奮するくらい、何かすごい事が。
「え、おお、んん?」
Lは眼をきらきらさせたまま、何やらブツブツ云いながら、胸につけたおーちゃんにそっと触れたり、ゆっくり指を近づけたり離したり、下にそっと手を添えたり、そうかと思えば上からゆっくり押してみたり、してる。
「ふむー?」
ひとしきり観察すると、いつものように腕組みをしようとして、胸にくっついてるおーちゃんを見て「あ」みたいな顔をして、その手を頭の上で組んで、Lはオレンジの空を見上げる。
何かブツブツと口の中でつぶやいてるけれど、その声までは聞こえない。
いや、意識空間のオレンジの海なので、心の声で聞こえるはずだけれど。独り言だから、外へ出さないように心の中だけで話してるのかもしれない。誰と?たぶん、L自身と。
「いやあ、参ったねこりゃ。謎パワーだよ」
いつものLらしく、結論から伝えてくれる、けれど。
謎パワー
って、何。
「謎のパワーだな、うん。いやでもこれ、今まで誰も気づかなかったのか?米軍の科学者も?何で?」
きらきら光る青い眼でLは僕を見てるけれど、もちろんそれは、僕に聞いてるんじゃないよね。
僕には、何のことやらさっぱりなのだけれど。
「あ、そーかごめん。おまえはこれ、体感してねーんだもんな」
困ったように苦笑して、Lは少し考えて、
「まず、物に重さがあるのは、地球に重力があるからだよね。オレもおまえも、椅子やテーブルも、全て重力の影響を受けてる。つまり、重さってのは重力の大きさなの。物にかかる万有引力の大きさ、ってことだねー」
当然だよね、みたいな顔でLは云うけれど、えーと、L、ごめん?僕、小学2年生なのだけれど。
ルナも隣で、赤い眼をまんまるにして、ふんふんうなずいてる。同意って事だよね、僕に。
ふむ、とまたLは小さくつぶやいて、青い眼を楽しげにくるんと回して、
「こないだ話してた、国際宇宙ステーション、あの中では重力はほぼ0だから、宇宙飛行士さん達はふわふわ浮いてるよね。地上では、体重50kgとか60kgとかあるような大人がね。だから、眠る時には、体を寝袋で固定してるんだよ。そうしないと、ふわふわ浮いちゃうからね」
重力
宇宙ステーション
浮いてる
固定
僕はきらきら光るLの青い眼を見つめて、考え込む。
おーちゃんの謎パワーの話、だよね。
それが地球の重力や、宇宙ステーションのほぼ無重力な状態と、いったいどんな関係があるの。
ルナがぴこんと人差し指を立てて、
「つまり、おーちゃんが服に掴まってる時は、無重力で眠ってる宇宙飛行士さんみたいな状態、ってこと?」
無重力で眠ってる宇宙飛行士さん
体を寝袋で固定してる?ふわふわ浮いちゃうから?
「さすが、優秀だねー」
Lは僕とルナを交互に見て、にっこり笑ってる、けれど。
え、何でなの。僕には何のことやら相変わらずさっぱりわからない。
「何でって、あんた自分で云ってるじゃん。ふわふわ浮いちゃうから固定してるって」
ルナは赤い眼を細めて、怪訝な顔。
浮いてるの、おーちゃんが?固定って云うのは、その、足で服に掴まってる事?落ちないように掴まってるんじゃなくて、ふわふわ浮かないように掴まってるの。まさかそんな。
「まさかそんな、って思うじゃん。でも、そーとしか思えねーんだよ。あーもう、おまえも服にとまらせてみりゃ一発でわかるんだろーになー。感覚的にさー。手に乗ってる時のおーちゃんは「浮いてない」。ずっしり重さもある、つまり、重力の影響を受けてるって事だよねー。けど、手を離れて、服に掴まらせると、重みがなくなる。軽くなるとかそーいうレベルじゃねーんだ。重みがないんだよ。つまり、「浮いてる」。だから足で服に掴まるんだ、ふわふわ飛んで行かないようになー」
何でそんな事になるの。重い鉄の塊みたいな生き物が、浮くの。地球の重力を無視して?何でそんな事ができるの。
それはいったい、どんな力なの。
「だろ?だから、謎パワー」
ふふん、とLは満足げに微笑んでるけれど。
本当にそんな未知のパワーを黄金虫が持ってるんだとしたら、さっきLも云ってたけれど、どうして軍の研究者達が気づかないの。
あ、でも、黄金虫がいたのは、ベースではなくて、隠れ潜んでた博士達のラボだったから?
いや、そうだとしても、まずH・0・アンダーソン博士がそれに気づくのでは。
博士は、知ってたのかな。黄金虫が、何というか、ふわふわ「浮く」事ができるのを?
「いやあ、どーかな。知らなかったんじゃねーかと思うぜー。だってそれこそ、米軍が探し求めてたロリポリの情報じゃね」
チッチッと立てた指を振りながら、Lが云う。
米軍が探し求めてたロリポリの情報?
「そ。ロリポリは、どーやって飛ぶのか。どーやって単独で、星への離着陸が可能なのか。その答えが、重力を無視して「浮く」事ができるから、だとしたら?
それこそ、こないだ話してたすんごいロケットもバカでかい気球もいらないよねー。だって自分でふわふわ「浮ける」んだもんね。星の重力を無視して、だよ」
きらり、とLの青い眼が本当に光を放ってるみたいだった。
星の重力を無視して、「浮ける」
ロケットが必要なのは、地球の重力圏を脱出するための速度(秒速11.2km)が必要だから。
けれど、重力を無視できるのなら、そもそもその速度さえ必要ない、って事なの。
気球もそう。途方もない規模の気球が作れたとしても、結局は重力から脱するための速度が必要になる。
でも、ロリポリはその重力を無視できる、のだとしたら。
いや、でも、待って、それこそ何で?だよ。
ロリポリは、米軍の科学者達が70年もかけて研究・観察してたはず、でしょ。
だったらどうして、それに気づかなかったの。
本当にそれを知らないの。
実はすでに知ってて、ベースの資料に残ってるとか、あるいは、トップシークレットみたいな扱いで、隠されてるとか?
「いやあ、どーだろね。トップシークレットは確かになー、完全に否定できる材料はないけど。
でも少なくとも、ハンスにもらった資料にも、キクヒコのパソコンにあった資料にも、そんな記録は一切なかったよ。仮説みたいな感じで、「重力を無視できるのでは?」みたいなレポートもなかったな。
まあそれももっともなんだよね。だって、ベースにはロリポリがいるからね。目の前にあのでっかい隕石みたいな生物がどーんといて、眠ってるんだもの。あれを見て、「こいつ浮くんじゃね」って思える人は、さすがにいないよねー。
オレ達が今それに気づいたのは、ほんとに偶然。ルナチャンとおーちゃんのおかげ。おーちゃんがルナチャンの所へ何度も来てくれて、ルナチャンがおーちゃんを返さずに家に連れて帰ってくれたおかげ。
そーでなかったら、おーちゃんがランドセルを抜け出して、ルナチャンの制服にとまったりしなかったでしょ。それでルナチャンが気づいたわけでしょ、服にとまったら、おーちゃんの重さがなくなる事にね。ベースの科学者が、ロリポリを服にとまらそうとすれば、気づいたかもしれねーけどなー。そんな事、思いもしないよね。あんなでっかい、20mもある隕石みたいなロリポリをさー」
はっはー、Lは陽気に笑う。説明しながら、楽しくなっちゃったらしい。
それはまあ、そう。
偶然、おーちゃんがルナの所へ来た。そして服にとまり、それでルナは、重さがなくなる事に気づいた。
だからそのまま学校へ連れて来て、Lに見せて、その謎に気づいた。
ルナとおーちゃんだからこそ、それに気づいた、のだとしたら、軍の科学者や、H・O博士がそれに気づけなかったのも、納得はできる。
「まああくまで、「そう見える」ってだけの仮説に過ぎないけどね。おーちゃんがそうでも、ロリポリも全く同じとは限らないよなー。もしかしたら幼生体だけがそんな風に「浮ける」のかも知んないし」
Lはそう云って、頭の上で組んだ手をほどいて、ふわふわの金髪をぐしゃぐしゃかき回しながら、
「おまえの云う、トップシークレットも十分あり得るよね。実はすでに軍には知られていて、その資料は米軍のどこか秘密の場所に保管されてんのかも。まあだとしても、認識は消されちゃってるんだろーけど」
認識は、そうか、ロリポリに関するもの、として一括りにされているのだとしたら、確かに消されてるのかもしれない。
「いやあ、でも、面白いわー」
背もたれから身を起こしながらLは云って、手を伸ばしてルナのくせっ毛の頭をなでる。
「ルナチャンありがとー、このネタいただくわー」
このネタ?
いただくって、何するの。
「試験に受かったら、大学の審査?みたいなのがあるんだって。面接と論文。面接は、たぶんいつものメンターの先生だからね、まあ問題ないんだけど。
論文のネタ、どーしよーかなーと思っててさ。諸々情報を伏せて、ロリポリかアルカナで何か書こうかなーとは思ってたんだけど、これにする。もう決めた。
重力を無視して惑星間を回遊する生物に関する考察、みたいな。絶対面白いよねー」
はっはー、いつもの陽気な笑顔でLは云う。
確かに、難しい論文の事なんて全然わからない僕が聞いても、何だか面白そうなテーマだなと思うけれど。
面白いとかで決めていいのかな。Lが楽しそうなのは、何よりだけれど。
「いいんじゃね。論文の審査すんのも同じメンターの先生だもん。先生の大学の先生の学部に入るんだからね。だったら面白い方が絶対受けるよねー」
「ふぅん」
ルナがいつもの調子で、のんきにうなずくので、何だか力が抜けてしまう。
すごい発見に貢献したはずなのに、本人にその実感はないのかな。
「だってー、るな、何にもしてないじゃん。その謎パワー?気づいたのはLだしー。やっぱLはすごいねー」
赤い眼を細めて、ニヤニヤ笑ってLを見てる。素直にそう云えるルナも、なかなかすごいと僕は思うのだけれど。
Lがぴこんと人差し指を立てて、
「もしかしたら、おじいちゃんはこれに気づいてたんじゃね。どーやって気づいたかまでは、さすがにわかんねーけど。だって、そーでもなきゃ、あのロリポリを宇宙へ帰そうなんて、フツーは思えないよねー」
カントリーロード?
確かにあのロリポリを宇宙へ帰すなんて、いったいどうするつもりなのだろうと思ってたけれど。
もしも本当に、ロリポリに重力を無視して星空まで浮かび上がれるような力があるのだとして、それに「キクタ」が気づいていたのだとしたら、実現の可能性は、だいぶ高くなる、のかな。
それでもまだまだ問題は山積みのような気もするけれど。
「山積み?それってあの「尾」のコンテナのこと?だったら、おっちゃんがクレーンで運んでくれるんでしょ。もう解決済みじゃん」
尾は、確かにそうだね。ススガ丘学園からニュータウンまで運ぶのも、いったいどうしたら、と思っていたけれど。
親分が引き受けてくれて、どうにかなりそうな気はする。
でもまだ、腹部「揺り籠」もある。あちらの方が尾よりも小さいとは云え、地下深くのラボにあるし、そのラボを実質管理してるのは、ハンスだ。
勝手に動かすわけにもいかないだろうから、相談なり報告なりは必要だろうし、あそこからどうやって運び出すかという問題もある。
「2mくらいの岩のプールでしょ。キクヒコのセーメーイジソーチを「輪」で飛ばせるなら、あれも、ハンスちゃんに頼んで・・・、あー待って、やっぱだめ」
云いかけて、何かに気づいたのか、ルナは自分の案を否定する。
ハンスに「輪」で飛ばしてもらう?
確かに、大きさで云えば、「揺り籠」はキクヒコさんの生命維持装置とそう変わらない気がする。
だったら出来ないことはないだろうけれど、「輪」で飛ばすには、
「あーね、飛ばす先の条件かな。ベースのロリポリのホールへ飛ばすには、ハンスがあの場所へ行く必要がある?」
条件の「行ったことのある場所」で云うなら、そうなるね。
でも、飛ばされる側で云えば、それはクリアできるかも。
「飛ばされる側?あー、ロリポリちゃんのお腹、だから?本体のところへ飛ばす事は、できるでしょってコトねー。じゃあ、ダイジョブじゃん。ハンスちゃんにお願いするのは、まあキクタにやってもらうとして、だけど」
うーん、とLが両手を上に上げて、伸びをするようにうなって、
「まだこまごまとした問題はいろいろありそーだけど、もういっこ、わりとでっかい問題があるよねー」
もういっこ、わりとでっかい
ロリポリの本体、かな。
「本体?ロリポリちゃんは、自分で「浮ける」んでしょ。だったら、あー」
ロリポリがベースのホールで浮くところを想像して、ルナにも思い至ったらしい。
あの場所、ロリポリのホールは、地下20m以上あるクレーターの底で、地上はカチカチに踏み固められた地面に覆われてる。
あの場所でロリポリが浮き上がったとしても、地面が邪魔をして地上には出られない。
ホールの天井を塞ぐ地上の地面をどうにかしない限り、ロリポリはあの地下から出られない。
「それこそ、「輪」の力で地上へピューっと飛ばしたいところだよねー。いやまあ、「輪」で飛ばせるんなら、地上と云わず、直接宇宙空間へ飛ばしちゃえばいいんだけど」
そうなるよね。
いつの間にか、チャイムが鳴ってたらしい。
教室内でガタガタとみんなが席を立つ気配がして、ちらっと「振り返る」と、ナガタ先生が教壇に立ってた。
ドナドナモードを解除して立ち上がろうとして、ハナを膝の上に抱っこしてた事を思い出し、まあいいか、と諦める。
ルナはしっかり立ち上がって、「おはようございます」の挨拶をしてたみたいだけれど。
「お、先生来たの。こっちもそろそろ東京に着きそうだし、じゃあこの辺でおいとましよーか」
そう云ってLは胸につけてたおーちゃんを外して、「おお」とか云ってその重さにあらためて驚きながら、「ありがとねー」とルナに返す。
ハナチャンハナチャンカワイイネー、の儀式?を最後にもう一度しながら、「あ」とLがふと思い出したように、
「そー云えばさっき、ルナチャンさ、「L、ちょうどよかった」とか云ってなかった?それって、おーちゃんの件だったの」
尋ねると、ルナがぴこんと人差し指を立てる。
「忘れてた。聞きたいことあったの。おーちゃんのコト?じゃなくてねー」
立ち上がりかけてたのに、ルナはまた椅子に座り直す。
長い話なのかな。
うん、シロヌリだよ、僕にそう云って、
「あのね、謎の怪人「シロヌリ」っていうのが、クラスで噂になってて・・・」
ルナは先週聞いたというシロヌリの噂と、ついさっき、僕がヨッちゃんから聞いた話をLに説明してくれる。いつものように、ざっくりと、だけれど。
「へえ、それがブラウンじゃないかって、ルナチャンもおまえも思ってるわけね。なるほどなー」
ふむふむとLはうなずいて、
「まあたぶん、そーなんだろーね。何であいつが今ごろになって、人目に付くような活動を始めたのかはぜんぜんわかんねーけど。それで、ルナチャンは何が気になるの」
「その「人目に付く」ってところだよー。あいつは認識を消されてるはずでしょー。だったら、クラスの子がどこかで見かけても、そもそも見えないんじゃないのー?」
いつもののんびりした調子で云われて、ハッとなる。
それはそう、ルナの云う通りだ。
でも、考えてみれば、ヌガノマもそうかも。
片目片腕片足の怪人「ヌガノマ」
認識を消されたレムナントであるはずのあいつが、何故都市伝説の怪人になれるの。
そもそも、認識されていないのだから、例え誰かの目に入っても意識されない。だから、噂にすらなり得ないのでは。
「いやあ、それは逆じゃね。まさにおまえの云う、都市伝説の怪人、そっちの認識で上書きされてるって事なんじゃねーかな。
例えは悪いかもだけど、おまえがスズキの親分に「キリノの旦那」でなく「孫のキクタ」って認識させたのと一緒。ブラウンやホワイトが、狙ってそうしたのかどうかはともかくね」
ぴこんと立てた人差し指を振りながら、Lの青い眼はまだ膝の上に乗せたままのハナの顔をじっと見つめているけれど、きらきらと輝いてどこか遠くを見ているよう。
それなら、トモちゃんがブラウンを見ても認識を消される事なく、「シロヌリ」だ、と認識出来たのはわかる。
でもそれなら、トモちゃんに「シロヌリ」を教えた2組の男の子の場合は、どうなのだろう。
「それも一緒だろ。「シロヌリ」として認識したわけじゃなくても、全身黒ずくめの顔だけ真っ白な気味の悪い人間、として認識したんだ。何だろう、と思って認識を消される前か、いや、消された後でもそう上書きされるんだろーな。
親分だってそうだったんだろ?「キリノの旦那」を思い出しそうになって何度も認識を消されてた。そこへ「孫のキクタ」だって認識を上書きした。以降、固まる事は無くなったんだろ」
だとすると、消された認識の上書きには、印象の強さやわかりやすさも関係するのかもしれない。
父と母にとってのルリおばさんもそう。認識を消された上で、「おかしな事をする変な人」というわりと強めの印象で上書きされてた。
その後、僕が「仲直り」をして、ルリおばさんのマンションへ「遊びに行った」事で、ただの親戚の「ルリちゃん」になってる、はず。ふたりに詳しく確認したわけではないので、そこは、僕の願望もかなり含まれるけれど。
「まさかとは思うけど、まあ思いついちゃったから、おまえとルナチャンには云っちゃうけど」
少し困った顔で、ハナのドレッドヘアをふわふわなでながら、Lが僕を見て、
「ホワイトやブラウンはベースに所属する研究者ではあったけど、アルカナの能力、特に「認識の喪失」については、まるでわかってない風に見える、ってのがオレたちの共通認識だったよね。「認識」って言葉が被るとややこしいから、「暗黙の了解」って事にしようか。
何十年にも渡って、地下を徘徊していながら、ホワイトが地上へ出たのは、ガブリエルの誘拐の時だけだ(オレが知る限りでは、だけどね)。おまえを罠に嵌めるために、わざわざルリちゃんの体を使ったりしてる点から見ても、ひと目につくことを避けてる(ように見える)。
ブラウンも同様に、顔を隠すためにわざわざピエロの仮面まで付けてる。爆弾魔の考察の時、あの仮面も認識を消されたアイテムか?って疑ったけど、今となってはあれは間違ってたね。あくまで認識を消されてるのは、中身のブラウンがレムナントだって点だけだ。ルナチャンの友達が仮面を見て「シロヌリ」だと思った所から見ても、仮面はただの仮面で、認識は消されてない。そもそも、あいつらが「認識の喪失」を知らないって前提なんだから、それはそうなんだよな。仮面の認識を消せるはずがねーんだ。
そんなブラウンが、今になってひと目につくような場所に姿を現してる。何でだ?」
ホワイトやブラウンが「認識の喪失」を知らない、それはLの云う通り、僕らはみんなそう思ってた。
そのはず、だった。
けれど、ブラウンは(仮面を被っていたとは云え)自ら爆弾を届けるためにススガ丘学園の研究棟へ赴いて、監視カメラにばっちりその姿を映してる。
そして、夜とは云え、まだ塾帰りの小学生が通るような時間帯に、川沿いのフェンスの向こう側に姿を現してる。
いったい何をしているのかは、僕にはわからないしわかるはずもない。
でも、Lが云うのは「何でだ?」
ひょっとしてブラウンは、自分自身が一般の人には「認識されない」事に気づいたのかもしれない。
あるいは、気づきつつある、のかも。
「だなー。まだ確信してはないのかもだけど、「もしかして、気づかれてなくね?」くらいは、思ってるのかも。爆弾の時にその可能性に気づいて、今は少しずつ様子見をしてる、とかね」
それは、あまりうれしくない想像だったけれど、でも可能性としては、否定できない。
そうでなくとも最近のブラウンは、ホワイトを撃ったり、何か行動を起こそうとしているようにも思える。
いや、たまたま長い眠りから目覚めて、数年ぶりに動き出しただけ、なのかもしれないけれど。
「でもー、だったら仮面は、あいつにとっては逆効果だねー。だって、トモちゃんが白塗りの顔を見て逃げ出したりしたらさー、「あれ、見えてるじゃん」って思うんじゃない、あいつ」
ルナにそう指摘されて、少し不安が薄らぐのを感じた。
「だよね。確かに、ルナチャンの云う通りかもだぜー。いやあ、オレもおじいちゃんの心配性がうつって来ちゃったのかもねー」
Lは困ったような顔で苦笑してる。ほんの1週間とは云え、みんなのそばを離れるとなったら、それはね、心配にもなるでしょ。
ハナがオレンジの眼を丸くして、Lを見上げて、
「Lちゃん、心配なの?でもだいじょうぶだよ、キクタがいるからねー」
にっこり満面の笑みで云うので、僕はドキッとした。
Lも青い眼を丸くしていたけれど、すぐにだらしなく頬をゆるめて、
「もー、ハナチャンはカワイイネカワイイネー」
いつもの鼻声で、ハナをぎゅっと抱き寄せて頬ずりしてる。
「へえ」
ルナが席を立ちながらニヤニヤ笑って、
「すっごい信頼されてるんだねー、キクちゃん。くれぐれも、ハナの信頼を裏切らないようにねー」
無責任な感じで云うのは、冷やかしかな。
「よっし」
Lもハナをそっと床に下ろしてから、スッと立ち上がって、
「まあ、気をつけるに越した事はないよね。頼んだぜー」
パチンときれいなウィンクをして、基地のドアへ飛び上がる。
そうだね、気をつける。僕らにできるのは、それくらいだ。
「Lちゃん、またねー」
元気に手を振るハナの明るい声が、オレンジの海に響き渡ってた。
livin’on the edge v
屋根裏ネコのゆううつ III