地下施設の夢を見た。
最初、僕はそれがあの地下だとは気づかなかった。
煌々と蛍光灯の明かりが灯る、窓のない広い通路。
床も天井も白っぽいコンクリートボードで、左右の壁も同じ材質に見える。
病院か工場か、何かの研究施設かなと、なんとなく思っていた。
カツカツと靴音を響かせて、その広い通路の右端を、僕は歩いている。
一瞬、ざざっと砂嵐のようなノイズが視界を覆い、すぐにまた元に戻る。
そこで気づいた。
これは夢だ。夢で見る、誰かの記憶。
誰かの?ではないよね。
ノイズの混じる記憶には、ふたりしか心当たりがない。
ナナか、キクヒコさんか。
という事は、これはベースだ。
まだ全ての明かりが灯っているところから見て、火事の前かな、もしかしたら・・・
そう思った時、ゆるやかに左へカーブする広い地下通路の向こうから、ふたり連れの外国人が歩いて来るのが見えた。
ふたりとも男性で、ひとりは黒っぽい軍の士官服を着た中年の男、もうひとりは深緑色の軍の作業着姿の若い男。
間違いない、軍の撤退前の、まだ稼働していた頃のベース、なのだろう。
こちらに気づいた作業着の男が、笑顔で片手を上げて近づいて来る。
「ハイ、キクヒコ!***、*****?」
すれ違いざまにぽんとこちらの肩を叩きながら、陽気な笑顔で云う。たぶん、英語なのだろう。
残念ながら、僕には何を云ってるのかはわからなかった、けれど。
キクヒコ
そこだけは、はっきりとわかった。
視界の主は、キクヒコさん。
これは、キクヒコさんの「記憶」に違いない。
「***、******」
ひらりと片手を上げて、キクヒコさんが何か答える。これも英語なので、僕にはわからない。
キクヒコさん、英語が話せるんだ。それはそうか、ベースで育ったんだものね。
じゃあ、ルリおばさんも英語ペラペラなのかな。
でも、そうだよね、カムパニーの偉い人とも話せるくらいなのだし。
立ち止まる事なく、挨拶をかわしただけで、ふたりは通り過ぎて行く。
キクヒコさんもそれを気にする風でもなく、すたすたと通路を進んで行く。
この通路は、と考えて、ひとつ、思い当たる。
前にナナが教えてくれた、ロリポリのホールを通らずに、ぐるりとその外側を回って、居住区と研究施設を行き来できる通路。それじゃないかな。
通路の広さと天井の高さは、たぶん、4mほどあったあのハッチの前の地下道とほとんど同じに見える。
ずっと緩い左カーブが続いているのは、ホールの外周を取り巻いているから、なのでは。
もしそうなら、キクヒコさんは、どこから来て、どこへ向かっているのだろう。
北の居住区から来て、西の研究施設へ向かうのだとしたら、通路が左カーブなのもうなずける、けれど。
そうと断定できないのは、ホールの東側を歩いているのだとしたら、海沿いの連絡通路の方から来て、北の居住区へ向かっている、って可能性もあるかもしれない。
くるりと円を描くようにホールを取り巻く通路なのだから、どこを歩いても緩いカーブを描いてるはずで、この「記憶」の映像だけでは、どこから来てどちらへ向かっているのかはわからない、よね。
しばらくそのまま進むと、前方、右側に少し通路が広くなっているような場所が見えて来る。
どこか別のエリア、研究施設か居住区へ向かう道との交差点、なのかな。いや、それなら、その対面の左側にロリポリのホールへとつながるあの大きなハッチがあるはずだけれど、それは見えない。
そこが、目的地だったらしい。歩く速度を緩め、キクヒコさんが右を向くと、広くなった眼の前にあるのは、エレベーターホール?
正面にエレベーターらしき扉のある、2~3メートルほどの空間だった。
ロリポリのホールの外周通路に?エレベーターホールがあるの。
ちょっと予想外すぎて、もしかしたらこれは全く別の通路なのかな、とも思う。
僕だって、あの広い地下施設の全てを知っているわけではないのだし。
「キクヒコ、遅いデスネ」
エレベーターの前で待っていた、白衣の若い男性が、外国人らしいイントネーションの日本語で咎めるように云う。
焦げ茶色の長い髪、色の薄い青いサングラスをかけ、豊かな口ひげを生やした二十代後半から三十代くらいの研究員、だよね。
白衣を着ていなければ、カメラマンかアーティスト?あるいはバンドマンのよう。
「sorry」
悪びれる風でもなく、さらりとキクヒコさんは云って、エレベーターの呼び出しボタンを押す。
相手も若いけれど、これが撤退前だとしたら12年よりも前のはずなので、キクヒコさんもだいぶ若いはず、だよね。少なくとも、この口ひげの研究員よりは年下のはずだけれど、何だか偉そう、だな。
ずっとベースで暮らしていたはずなので、たぶん、子供の頃からの知り合いか何かで、先輩後輩とか、どっちが年上だとか、あまり気にしない間柄、なのかな。
それとも単にキクヒコさんが、そういうのをあまり気にしない人なだけ、なのかもしれないけれど。
「デイブ、****、**?」
エレベーターの到着を待ちながら、キクヒコさんが口ひげの研究員に云う。
デイブ、というのが、この口ひげの研究員の名前かな。
云われたデイブさんはあからさまに困った顔で、やれやれと肩をすくめながら、片手でサングラスを少し下げて、上目遣いにキクヒコさんをにらむ。
「キクヒコ、アナタ、困った人ネ」
チリンと軽やかなベルが鳴り、エレベーターの扉が開く。
4~5人乗ったら満員になりそうな、狭いエレベーターだった。
あの西側の地上への出口にあったエレベーターよりも、さらに狭いかもしれない。
ふたりが乗り込んだエレベーターの押しボタンは、ふたつ。「B3」と「B1」だけだった。
普通に考えたら、地下3階と地下1階、なのかな。
ロリポリのホールの外周通路なのだとしたら、乗り込んだ場所が「B3」なのだろうけれど。
だったら、「B1」というのは、どこなのだろう。
地下施設に、そんな場所があったのかな。
キクヒコさんは迷わずに「B1」のボタンを押し、エレベーターの扉が閉まって、動き出す。
「*****、***?******」
ちらりと隣のデイブさんを見て、キクヒコさんが英語で云う。けれど、相変わらず発音が良すぎて、僕には一言も聞き取れない。
何か疑問形、のようだけれど、質問ではなくて、デイブさんに云われた「困った人ネ」に対する、反論なのかもしれない。
デイブさんは答えずに、「はあ」と困った顔で大きなため息をついて、薄青いサングラスをかけ直してた。
また軽やかなベルが鳴って、エレベーターが「B1」に到着したらしい。
開いた扉の先は、まっすぐ左右に伸びる狭い地下通路だった。
床や壁の材質は、先程までと同じ、白っぽいコンクリートボードのようだけれど、道幅も天井までの高さも2mほどしかない。
煌々と明かりが点いているので、狭苦しい感じはしないけれど、それでも、先程までの通路の半分ほどしかないので、かなり狭く感じる。
「***、****、***・・・」
狭い通路を左へ、デイブさんの後ろについて歩きながら、キクヒコさんは英語で何やらぶつぶつ云い続けてる。
何を云ってるのかはさっぱりわからないけれど、なんとなく、云い方からして、愚痴とかぼやきの類かな、という気がした。
デイブさんが、あきれたように肩をすくめるだけで、何も答えないのもあって、たぶんこの仕事に対する愚痴なのかもしれない、となんとなく僕は思ってた。
よくわからないけれど、この狭い通路の先へ、キクヒコさんはあまり行きたくないのかも。
ドアも窓もない狭い通路を、しばらく歩いたところで、不意に前を行くデイブさんが足を止める。
自然とキクヒコさんも愚痴るのを止め、足を止めてた。
ゆっくりと振り返ったデイブさんは、右手の人差し指と中指で、立派な口ひげの端をぴんとつまんで、
「それでも、デス」
ニヤリと笑って、左手の親指で、背後を指差しながら、云う。
「いつか、開く時が来ますヨ、Country Roadがネ」
デイブさんの差す指の先、背後の通路正面には黒っぽい鉄のドアがあり、キクヒコさんの視線がそのドアの中央にかけられたプレートを見る。
「Country Road」
鉄のプレートには、そう刻まれていた。
その時、
ゆらり、と視界が不自然に揺らぐ。
眩暈?かなと思ったけれど、違う。
これは、
「地震か?」
キクヒコさんが云う。
「かなり、大きいネ」
デイブさんは大きくよろめいて、壁にもたれかかってる。
尻もちをつきそうになるデイブさんに、キクヒコさんが手を差し伸べる、けれど。
キクヒコさんもまた大きくよろめいて、そのままその手を壁について、体を支えてる。
「しかも、長いな」
遠くから断続的に、地鳴りのような低い音がする。
壁と床、天井のコンクリートボードがきしむように鳴り続け、鉄のドアもギシギシと低く悲鳴を上げている。
まさか、これは
12年前の大地震?
だとしたら、この直後かほぼ同時刻に、隣の県の海沿いの原発で事故が起きてるはず。そして翌日には、本国から全軍撤退の命令が出る、はず。
ビシッと何かが裂けるような大きな音が鳴って、天井に大きなひび割れが走る。続けて、床とキクヒコさんがもたれた壁にも。
地下全体を震わせるように、サイレンが鳴り始めていた。
警報のような、低くお腹に響くサイレンが、けたたましく鳴り続ける。
ずるずると崩れ落ちるように床に尻もちをついたデイブさんが、胸元に手を当てて何か祈りの言葉を呟いてる。
隣に座り込んだキクヒコさんは、辺りを警戒するように見渡す。
揺れはまだ収まらず、ふわふわとまるで床が波打つような気がする。
パラパラと天井のひび割れから細かい砂粒のようなものが降って来る。
見上げた視界に、上から闇のカーテンが下りるように、暗くなる。
記憶は、ここで終わりらしい。
真っ暗な視界の中、僕はまだドキドキと鳴り続ける自分の鼓動を聞いていた。
「カントリーロード」は、あった。
そしてたぶん、キクヒコさんはそれを知ってる。
水曜日、僕は早々と登校して、教室でルナが来るのを待っていた。
早朝、夢から目覚めてすぐに、ベッドの枕元で充電していたスマホを手に取って、キクヒコさんのアイコンをタップしてた。けれど、サーバーで眠っているのか、オフラインの表示が出て、何度押してもつながらなかった。
どうしても、今すぐに、キクヒコさんに確かめたかった。
「カントリーロード」を、キクヒコさんは知ってる、はず。
あの黒い武骨な鉄のドアにかけられた、金属のプレートに刻まれた「Country Road」の文字。
そして、デイブさんの言葉、
「いつか、開く時が来ますヨ、Country Roadがネ」
いつか、開く
Country Road
ドアのプレート
「カントリーロード」は、あの地下通路の先の、黒い鉄のドアの向こうにあるの。
今すぐにオレンジの海を「振り返って」、大声でそう尋ねたい衝動に駆られる、けれど。
僕はそれを、必死に押し殺してた。
冷静に、落ち着いて、まずは、キクヒコさんに確かめよう。
それまでは、「海」で騒ぎ立てるべきじゃない、よね。
ルリおばさんは、まだ絶対安静なのだし。
Lも論文の仕上げで、夜遅くまで頑張っていて、きっと今頃は眠ってるはず。
ナナの体調も万全ではないのだし、今日は平日で、みんな学校がある。
自分勝手な都合だけで、朝から「海」で騒ぎ立てるなんて、いかにも「キクタ」がやりそうな事に思えて、何だかすごくイヤだった。
まだ暖房がついたばかりで寒い教室の席に、ダウンの上着を着たまま座って、ポケットに両手を突っ込んで震えながら、じっとルナを待ってた。
頭の中には、あの夢の場面が繰り返し流れてる。
ふわふわと気味悪く揺れ続ける狭い地下通路。遠い地鳴りと、ミシミシと軋むコンクリートボードの音。
そして、鳴り響く低いサイレン。
思わずぎゅっと眼を閉じれば、黒い鉄のドアの金属のプレートが脳裏に浮かぶ。
その上に刻まれた「Country Road」の文字。
あのドアの先には、何があるのだろう。部屋なのか、それとも何か、もっと大きな施設なのだろうか。
その場所の名称が、カントリーロード、なの。
当初思っていたような、キクタの計画、ではなかった、という事なのかな。
ロリポリを宇宙へ帰す、「キクタ」のそんな計画。それ自体は、きっとあったはず。
モニカの最後の言葉、
「あの子達は、私の希望です。彼らが、あの素敵な夢を叶えられますように」
それはきっと、キクタの「ロリポリを宇宙へ帰す」計画、のはず。たぶん、だけれど。
証拠も何もない、ただの僕らの想像、だけれど。
想像と云うより、願望、かな。
そうであったらいいな、という、ただの願い、なのかもしれない。
実は、ぜんぜん違うのかも。
カントリーロードが、その計画の名前ではなかったように。
僕らがそう思い込んでいただけで、本当はまるで見当違いな事なのかも。
もやもやと、とりとめのない妄想に沈んでいた僕を、
「おはよー」
いつも通りののんきな声が、現実に引き戻す。
思わず僕は席を立ち、勢いよく振り向いてた。
「おー、何?びっくりしたー」
赤い眼をパチクリさせながら、赤いフード付きの上着を羽織った赤ずきんちゃんみたいなルナが僕を見る。
「ルナ・・・、あ、おはよ」
勢い込んで話しかけそうになり、慌てて我に帰る。ここは2年1組の教室で、今日は水曜日、今は朝で、ホームルームが始まるにはまだだいぶ時間がある。
「なにごと?るなを待ってたの」
困った顔で笑いながら、ルナは椅子を引いて席に着く。座ったまま、器用にランドセルを下ろして、机の横に掛けてる。
上着の胸元には、今日も赤い眼の黄金虫、おーちゃんがとまってる。
「あ、うん」
うなずいて、僕も椅子を後ろ向きにルナの席の方に向けて座る。
ダウンの上着のポケットから、スマホを取り出して、
「朝からキクヒコさんに用があって、スマホで呼ぼうと思ったんだけれど、オフラインになってて」
画面をタップしながら、ルナに向けて差し出す。
「ふむー?」
ルナは首をかしげながら、僕のスマホを受け取る。
外から入って来たばかりだからかな、少し触れたルナの指先が、氷みたいに冷たい。
「オフラインだねー。サーバーで寝てるんじゃない?キクヒコに、急用なの」
うん、と僕はうなずいて、ルナの「金色の草の海」を「振り返って」、
「昨夜、キクヒコさんの「記憶」を夢で見た。そこに「カントリーロード」があった」
心の声で云う、僕の声は、少し震えてた。
「え、あった?って、どーいうコトなの。カントリーロードって「モノ」なの」
心の中で僕に尋ねるルナの声は、いつも通りのどこかのんきな声で。
いつもの事だけれど、ホッと心が少し軽くなる気がする。不思議だけれど。
「ベースのどこかにある黒い鉄のドア。そこに「Country Road」ってプレートが掛かってた。それから、キクヒコさんと一緒にいた人が云ってた。「いつか、開く」って、「Country Road」が」
「ちょ、ちょ、待って待って」
心の声で云いながら、ルナは僕の手にスマホをぐいっと押し付けるように返して、その手をまるでJみたいに顔の前でブンブン振ってる。
「とりあえず、「海」ー?」
疑問形で云って、席についたままドナドナモードになってた。
僕も自分の席に前向きに座り直して、返してもらったスマホを上着のポケットに入れ、それを手に持ったままオレンジの海を「振り返る」。
テラスに降り立つと、ルナが手すりの前で見上げてるのは、Lの基地のドア。
やっぱり、そうだよね。
「そんなの、るなとあんたじゃ、どーにもならないじゃん」
ふくれっつらで、にらんでる。
どーにもならない
それは、仰る通りだけれど。
ぴこんと人差し指を立てて、基地のドアの呼び鈴を鳴らす。
からからと小気味よく貝殻の風鈴が鳴って、スカボロフェアのおまじないが刻まれた鉄のドアが、細く開く。
「はぁい」
陽気なハスキーボイスは少し小さくて、やっぱり寝てたのかな、と思ったら、
「ちょっと待って、いま風呂入ってる。すぐ出るから」
お風呂に入ってるの、こんな朝から?
「ごめんねー、「海」で待ってるよー」
のんきな声でドアに向かってそう云って、ルナは僕を手招きして、テラスの椅子に座る。
僕もルナの隣に腰かけて、Lを待つ。
までもなく、バーンと勢いよく基地のドアが開いて、Lが飛び出して来た。
いつも通り、ふわふわの金髪をたてがみのように振り乱して、制服をだらしなく着崩したLが。
「いやあ、論文の仕上げに朝までかかっちゃってねー。よーやく終わったから、風呂入ってさっぱりしてから寝ようかなーと思って」
ふわふわの金髪をかき回しながら、へへへ、と笑うLの青い眼の下には、くっきりと隈が出来てた。
徹夜して、今から寝るところだったんだ。それは、ごめん。
どっこらせ、といつもの席に座るLに、僕はぺこりと頭を下げて、ぱちんと指を鳴らして3人分のお茶を出す。
「ごめんねー。でも、それどころじゃないんだよー」
困った顔でルナは云って、ちらっと僕をにらんでる。
僕のせいなの。いや、まあ、僕のせい、かな。
ナナみたいに湯呑みを抱えて、お茶の香りを吸い込んでたLが、「ん?」とルナに続きを促す。
「キクタが、キクヒコの記憶でカントリーロードを見た、って」
いつもののんきな声で、いつもの雑な説明をルナがすると、がたん、と椅子を鳴らして、Lが席を立つ。
「まじで?」
さっきまで眠たそうだった青い眼が、爛々と輝いて僕を見てる。
「うん、そうだけど。L、ひとまず座ろうか」
「え?あー」
立ち上がってた事にすら気づいてなかったのかな、Lはまたばさばさっと金髪をかき回して、椅子の上にあぐらをかいて座り直し、聞く態勢になる。青い眼を、この上なくきらきらさせながら。
明け方に見た夢の、キクヒコさんの記憶の話を、僕はふたりに共有した。
聞き終えるなり、Lはまた椅子から立ち上がりかけて、いやいや、と首を振りながら座り直してた。
「おまえ、それ、オレもすっごく見たいんだけど?」
ものすごく熱烈に、Lはそう訴える、けれど。
記憶の保管庫へ行って、キクヒコさんの「記憶の梯子」から、ピンポイントにその記憶を見つけられるかどうか。
Jによると、本人ならば、ある程度はその「記憶」がどこにあるのかがわかるので、狙って再生ができる、との事だったけれど。
「じゃあ、キクヒコ!」
ビシッとLがルナのスマホを指差す。
「それ、朝からキクタも試したんだけど、キクヒコ、オフラインになっててつながらないんだよー」
ストラップをつまんで、スマホをゆらゆら揺らしながら、ルナが云う。
「じゃ、ゲンゴロー先生は?先生にキクヒコ呼んでもらおーぜ」
「ふむー」
ルナがスマホを手に取り、ぴこぴこと画面をタップする、と
「お呼びでしょうか。おや、ルナちゃん、今は学校にいる時間では?」
機械の声が淡々としゃべり出す。
「まだホームルームが始まる前だよー。ゲンゴロー、キクヒコはー?」
「ああ、キクヒコ君にご用ですか。少々お待ちを」
そう云って、ゲンゴロウ先生はキクヒコさんを探しに行ってくれているらしい。
サーバーの中って、どうなってるのだろう。広いのかな。
以前キクヒコさんは、先生に見つからないよう「隠れてた」とか云ってたので、それなりにスペースはありそうだけれど。
しばらくして、
「お待たせしました」
機械の声が云うのは、ゲンゴロウ先生、だよね。同じ機械音声なのでわかりにくいのだけれど。
「ひと通り探してみましたが、姿が見えませんね。昨夜は、ロリポリのホールでの一件を話してくれていたのですが」
姿が見えない、というのは、いないのかな。
それとも、いるけれど、またどこかに隠れてて見えない、という事なのかな。
「はい」
ルナがこちらを向けてくれたスマホ画面で、先生のアバターがうなずいて、
「サーバの中にいるのは確かなようですが、姿は見えません。以前の、「隠れてた」という状況と同じ、でしょうか。しかし今さら彼が「隠れる」とは思えませんが」
「寝てんのかな」
Lが尋ねると、先生のアバターがうなずく。
「そうかもしれません。サーバは電子データの「海」のようなもので、それらの合い間に埋もれて眠っていたとしたら、見えないのも不思議ではありませんね」
「じゃー、もし起きてきたら、すぐにキクタのスマホに顔を出すように云ってー。だいじな用があるからーって」
ルナが云うと、アバターがぴこんと「OK」の顔文字の吹き出しを表示して、
「承知しました。必ず伝えます」
そう云って、先生のアバターはアイコンに吸い込まれるように消えた。
「んじゃまあ、「記憶」を見るのは後回しにするとして、だなー」
Lは椅子にもたれて座り直し、腕組みをする。
「今のおまえの話を聞いて、いっこ思い出した事があるぜー」
ニヤリと陽気な笑みを浮かべて、ぴこん、とLは人差し指を立てる。
今の話で、思い出した事?
なぜか僕は、どきどきしてた。
「例のキクヒコのパソコンに入ってたベースのデータね(プラス、ハンスにコピーしてもらった分もあるけど、あれは明らかに足りてないから、まあ一旦置いて)、あの中に、オレが楽しみにしてたヤツが、実は入ってなかったんだよねー。それが何かって云うと・・・」
ふふん、とLは勿体つけるように、そこで一呼吸おいて、
「ベースと海沿いの地下施設、それら全部の図面だよ。設計図、だなー」
ベースと海沿いの地下施設、全部の図面
設計図?
「そ。あんだけの大規模な施設を、まさか設計図もなしに造れるはずはないよねー。綿密な計算の元、正確な図面を引いて、きっちり設計図を起こして、それを元にして建設が進められたはず、だろ。そしてその設計図を見れば、地下施設の規模や、どこに何があるか、一目瞭然のはず、だったんだけど、どこにもカケラも見当たらないんだよなー」
地下施設の規模や、どこに何があるか
だとしたら、それを見れば、あの「Country Road」のドアが、ベースのどこにあるのかも、わかる?
「うん。それがあれば、ね。いや、だから、ないんだけどさ」
困った顔で、Lは肩をすくめてみせる。
どうしてないのだろう。
トップシークレットには違いないよね。だから、キクヒコさんやハンスが入手できるような場所には、そもそも保管されてなかった?
「と、オレも思ってたの。きっと本国の軍の本部とか、何かそーいう厳重に警備されたどこかに保管されてんのかなって。でもさ、ふと気づいたんだけど、ってか、何でもっと早く気づかなかったんだろって感じなんだけど、そもそも、ベースが建設されたのって80年前なんだよな。ロリポリが落ちて来て、その周辺の土地を軍が押さえて、そっから計画を進めて、10年とか20年とかかけて、造ったんだよね、あの地下施設をさ。80年前から、20年かけて造ったとしても、完成したのは60年前だぜ?」
80年前は、「キクタ」が生まれた年で0歳の時。それから20年かけてあの地下施設が造られ、60年前に完成したのなら、「キクタ」は20歳。
あの地下施設とともに成長して、大人になった「キクタ」
だったら、「カントリーロード」を知っていても、何も不思議ではない、よね。
「おじいちゃんはね。もしかしたら、仲良くしてた軍の建築や設計を担当してたおじさん達から、見せてもらったりしてたのかもね。それはまあ、一旦置いといて」
ニヤリ、とLは笑って、
「じゃあ何で、図面やら設計図やら建設計画のデータやらが、キクヒコのパソコンにも、ハンスのコピーにも、ひとつも残ってないのか。それは、データじゃないから、なんだよ。パソコンが普及したのっていつ頃だか知ってる?この国で一般に普及したのは、せいぜい20年前だぜ。アメリカの軍にパソコンが導入されたのも、せいぜい30年前ってとこじゃね。だから、ないんだ。60年前とか、80年前の図面や設計図は、パソコンのデータなんかじゃなくて、「紙」なんだよ」
さらりと云う、けれど。
それは、盲点だったかもしれない、ね。
キクヒコさんが、撤退前に大慌てでコピーしたベースの全データ。
それはあくまで、ベースのパソコンに保存されていたもの。
30年ほど前、軍にパソコンが導入されて以降の、ベースの全てのデータだ。
それ以前の「紙」のデータや資料は、入っていない、の?
「もちろん、軍だからね。それ以前の「紙」の資料も、しっかりとデータ化して、パソコンに保存してたとは思うけどなー。残念ながら、キクヒコにはそれらの閲覧権限までは、なかったんじゃねーのかな。それか、とっくの昔に本国へ送られてて、ベースには残ってなかったのかもね。少なくとも、12年前、撤退前にキクヒコがコピーする事ができたベースのデータには、それは含まれてなかった、ってコトだねー」
80年前から、60年前の「紙」のデータ。
だとしたら、Lの云う通り、すでに本国へ送られて厳重に保管されているのかもしれない。
認識を消されて、誰にも気づかれないまま。
それとも、「紙」なのだったら、火災で焼失してる可能性もあるのかも。
あの火事が起きた時まで、ベースのどこかで保管されていたとしたら、だけれど。
「まあそれはそれとして。おまえの見たキクヒコの「記憶」は、お手柄だよね。そのものずばり、「カントリーロード」だろ。だったら、その黒い鉄の扉?ご親切に「Country Road」のプレートまで付いてるんだから、それを見つけりゃいいわけだ。いや、探すまでもなく、キクヒコに聞けばいいんだよね。行った事あるんだからさ、さすがに覚えてるだろ、「記憶」も取り戻したわけだし」
それは、やっぱりそうだよね。
Lでもそう思うんだ、と僕は少し安心してた。
あの夢から眼が覚めてから、ずっとひとりでもやもやと考えていて、少し、いやかなり、焦った気持ちになっていて、早くキクヒコさんに確かめなくちゃ、ってそればかり考えてた。
だから、どこかで、不安だったのかもしれない。
何だか僕ひとりが、先走って、空回りして、ただただ焦っているような、そんな不安。
「まあ、おまえは特にね、ずっと探してたわけだし。そーいう意味では、ルナチャンも、だけど」
云われて、あらためてルナを見る。
白木のテーブルに頬杖をついて、いつも通りのルナが「なあに」みたいな顔で、僕を見てた。
ルナは、ぜんぜん焦ってないね。
いつもと変わらないように見える。
「ちょっとー?それ、どーいう意味なの。それじゃ、るな、鈍いひとみたいじゃん」
赤い眼で僕をキッとにらんで、ふくれてるけれど。
違うよ、そういう意味じゃなくて。いつも通り、落ち着いてるように見えるって事で。
「落ち着いてるわけないじゃん。慌ててここに来て、Lを呼んでるんだから」
まったくもー、とか云いながら、ルナはふくれっつらでそっぽを向いてた。
「まあまあ」
Lがニヤリと笑って、
「じゃあもういっこ、これは、そのキクヒコの「記憶」を見せてもらってから云おうと思ってたんだけど」
ぴこん、と人差し指を立てる。
「そのエレベーターの先の通路ってさ、おまえ、心当たりあるんじゃないの」
きらきら光る青い眼が、じっと僕を見る。
エレベーターの先の通路
心当たり?
いや、ごめん。
ない、けれど。
「あれー、そうか?エレベーターの前の、ゆるくカーブしてた広い通路は、あのホールの外側にあるっていう連絡通路だろ。前にナナちゃんが云ってたやつ」
それは、たぶん、そうかな、と思ってた。
でも、そこからエレベーターで上へ上がった場所?なんて、心当たりも何も、そんな所に何かがあるなんて、僕は思いもしなかった。
そもそもあの地下施設は、ロリポリ本体の落下地点でもあるクレーターを中心にして、その周辺を掘り進めて造られてる、はずだよね。
だから、施設があるのはクレーターの底と同じ深さのその周辺で、そこからエレベーターで上へ上がる?って発想がそもそも僕にはなかった。
地下施設が、そんな階層構造になってるなんて、思いもしなかった。
そこからエレベーターでまっすぐ地上へ出る、というのなら、まだしもだけれど。
でも、地上はあの工事現場の白い鉄製の囲いの中、だよね。
ショッピングセンター建設予定地、という事になっていて、地上はカチカチに踏み固められた平らな地面しかなかった。
「ほんとに?」
首をかしげて尋ねるLは、何だかとても楽しそうに、ニヤニヤしてる。
ほんとに
何もなかった。あの夏の日に、アイとふたりで塀の中へ侵入して、全部を歩いて確かめたわけじゃなかったけれど、見渡す限りまったいらの、黒くて硬い土の地面で、何もない・・・。
いや、あったと云えば、マンホールがひとつ、あったけれど。
「あったね。アイがアンドー先生に見つかって怒られて、翌日おまえがひとりで出かけて、蓋をこじ開けて中に入ったら、上から誰かに蓋閉められて閉じ込められちゃったマンホールが」
ニヤニヤしながらLが妙に詳しく説明するので、ルナがあきれ顔で僕を見て、
「あんた、いったい何してるの」
深々とため息ついてる。
何って
何だろうね、僕にもよくわからないけれど。
いやあ、とLが立てた人差し指をちっちっと振って、
「そのマンホールだけどさ、地下何メートルくらいだった?5~6メートルって云ってたっけ」
マンホールの、深さかな。
しっかり測ったわけじゃないけれど、たぶん5メートルくらいだったと思う。
下には2メートルくらいの地下道があって、まっすぐ東の古い市の下水道につながってたので。
ぴこん、とLの人差し指が僕を差して、
「東はね。じゃあ西は?」
西?
行き止まりの、鉄の壁、だよね。
煤で真っ黒に汚れていて、たぶん、地下で火災があった時の・・・。
あれ?
地下5メートルの深さにある、西へ向かう2メートルの地下道、だよね。
マンホールから西へ20メートルほど進んだところで、真っ黒に煤で汚れた鉄の壁で塞がれて、行き止まりになってた。
いったい何のための地下道なんだろうって、あの時も思っていたけれど、結局、何だかわからずじまいだった。
「じゃあ、キクヒコの記憶で、エレベーターを降りた先、「B1」は、2メートルくらいの狭い通路って、おまえ、云ってなかったか?」
ニヤニヤしてるLの、その笑顔の意味は、もしかして。
「何の目的もなく、せっかく塞いだクレーターの上に、マンホールなんか掘るわけないんだよね。しかもそれを、古い市の下水道につながるように、地下道まで掘ってさ。西の行き止まりの鉄の壁は、行き止まりじゃなくてその先に通路があるんじゃね。エレベーターと、「Country Road」の黒い鉄のドアにつながる地下通路がね」
楽しそうに微笑むLの青い眼が、きらきらと輝いてきれいだった。
オレンジの海の二重の太陽に照らされて、夏空みたいな青い眼が、きらきらと微笑みながら僕を見ていた。
country road
屋根裏ネコのゆううつ III