daydream believer

屋根裏ネコのゆううつ II

Jの「記憶の夢」を見た。
見覚えがある学校の、見覚えのない6年生の教室。
それが夢だとわかったのは、そしてJの記憶だと気付いたのも、同じ理由で、だった。
それは、「泡」が見えたから。
どうやら昼休みらしい、教室の中に生徒はまばらだった。
廊下側の前の方、隅にかたまって、おしゃべりをしている女の子のグループと、窓際の席で、誰かに借りたと思しき宿題のプリントを必死に書き写している数人の男の子、みんなの頭の上に、ふわふわと「泡」が浮いていた。
子供の頭くらいの大きさの、緑や青の半透明の「泡」
緑と青がちょうど半々くらい、黄色や赤はいないようで、僕はホッと安心する。
少なくともいま教室にいるJのクラスメイトたちは、全員が「いい子」に違いない。
廊下側の列の真ん中辺りの席で、Jは座って本を読んでる。
図書室で借りたらしい、宇宙と星の本。
宇宙の始まりと終わりについて書かれたページを、Jは熱心に目で追ってた。
子供向けに書かれたものらしく、僕にも読める漢字、やさしい文体で書かれている本で、つい興味深く、Jの視線に合わせて僕も内容を目で追ってしまう、と。
「ジーンちゃん」
背後から、遠慮がちな女の子の声に呼ばれた。
本から眼を上げ、Jの視線が、教室の後ろを振り返る。
一番後ろの席に座った、眼鏡をかけたおとなしそうな女の子が、困った顔でJをすがるように見ている。
彼女がちらちらと横目で気にする先が眼に入り、困り顔の理由は、すぐにわかった。
教室の後ろの入り口、戸口に頭をぶつけないよう、くぐるように首をすぼめて室内をじろじろと眺め回す茶髪の大男がぬっと立っていた。
アイだ。
アイの頭上にも、青い半透明の「泡」が、横開きのドアの上、壁にほとんど埋もれるように浮いている。
はあ、とJはアイにも聞こえるくらい大きなため息をつく。
読みかけの本にしおりを挟んでぱたんと閉じると、席を立つ。
「ユウちゃんありがと」
まだ困った顔でJを眼で追っていた一番後ろの席の女の子に、にこりと微笑みかけて横を通り過ぎる。
「よお。ちょっと、いいか」
Jに気づくとアイは、180cmを超える巨漢には不似合いな、まだ声変わりしていない甲高いソプラノでそう云って廊下の向こうを親指で指す。
そして返事も聞かずに、首をすぼめたまま、くるりと身を翻してそちらへずんずん歩いて行った。
はあ、とまたJは大きなため息をつく。
アイについて歩き出そうとすると、
「ジーンちゃん、だ、だいじょぶ?」
ユウちゃん、と呼ばれた一番後ろの席の女の子が、席から半分腰を浮かしかけるような格好で、ますます困った顔をしてJに尋ねる。
だ、だいじょぶ?の意味は、
今すぐ先生を呼んで来ようか?それとも助けてくれそうなクラスの男子を探して来ようか?
といった所、なのかな。
僕にはあまり実感がなかったのだけれど、同じ6年生であっても、アイに呼び出される、という事はそれくらいの一大事、らしい。
みんなから恐れられているアイ、というリアルな真実を初めて眼にしてしまったので、僕はあらためて「へえ」と思ってしまった。
Jはもう一度、ユウちゃんににっこり笑いかけ、廊下をずんずん歩いていくアイの大きな背中を、細くて長い人差し指でまるで撃ち抜くみたいにびしっと指さして、
「だいじょうぶ、幼なじみだから」
苦笑しながら云う。
そして、その手をすっとユウちゃんに伸ばして、彼女のくせっ毛の頭を、ぬいぐるみでもなでるみたいにふわふわっとなでてた。たぶん、無意識に。
Jはそのままアイを追って廊下に出て歩きだしたので、見えていなかったけれど、きっとユウちゃんは、あの時の僕と同じ顔でJを見送っていたに違いない。
あの時、公園でアイにからまれた時。
Jは素知らぬ顔で気にも止めずに、「ふふふ」と笑って僕の頭をふわふわっとなでてた。
あの時のJは、まるでアクション映画のヒロインのようにかっこよかった。
きっとユウちゃんの眼にも、Jがにっこり笑ってラスボスとの戦いに赴く勇敢なヒロインのように見えていた事だろう。
いや、実際には、アイと戦ったりするわけではないのだろうけれど。
制服の白いシャツがはち切れそうな筋肉質のアイの大きな背中は、振り返りもせずに廊下をまっすぐに進んでいく。
肩で風を切るような、堂々としたいつものアイの歩き方で。
Jは小さく肩をすくめながら、少し急ぎ足でその後を追う。
6年生の教室を通り過ぎ、廊下の角を曲がると図書室や5年生の教室があるのだけれど、アイはそちらへは曲がらず、そのまま廊下をまっすぐに突き当たりまで進む。
正面には5段ほどの階段があって、その向こうに「視聴覚室」のプレートが掲げられたドア。
その階段の手前で、アイは足を止め、振り返った。
角を過ぎた廊下のつき当たりなので、確かに人通りはない。視聴覚室へ向かう人さえいなければ、だけれど。
アイの少し後ろで、Jも足を止め、腕組みをして見上げる。
やっぱり、頭上の青い「泡」は廊下の天井すれすれの所で浮いていて、今にも天井に当たりそうだった。
眼には見えない、Jにしか見えない「泡」なので、天井に当たろうが埋もれてしまおうが、アイは痛くも痒くもないのだけれど。
やっぱり、とJが思ったのは、「泡」の色の事だろう。
やっぱり、青だった。2ヶ月ほど前に緑になって、その前は黄色だった、とJは云ってた。
「あ」
何か云おうとして口を開きかけ、まっすぐに自分を見つめるJの視線に気圧されたように、アイは口ごもって眼をそらす。
僕のよく知る、いつものアイだった。
みんなに恐れられているアイではなく、いつもの気のいいお兄ちゃんのアイだ。
「そう云や、おまえ、眼覚めたんだな。良かったな」
どこか廊下の向こうの中庭に面した窓の辺りを見ながら、アイはぶっきらぼうに云った。
Jに対しては、まだ何か、照れがあるのかもしれない。
あ、そうだった、と、
Jはそこでようやく思い出したらしい。
「あの時は、ありがと。Kを助けてくれて」
まっすぐにアイの眼を見てそう云って、Jはぺこりとおじぎをする。
わたしを運んでくれて、ではなく、
Kを助けてくれて、と云うところが、何ともJらしい。
「いや、俺は、別に。たまたま、通りかかっただけ、だから」
ちらっとJを見て、またすぐに眼をそらして、アイはもごもごと口ごもる。
たまたま通りかかっただけ、なわけではなく、実は黒犬のラファエルに追われて僕とJの元に連れて来られていたのだけれど、アイはそれを知らない。
もちろん、その大きな黒犬ラファエルの中に、孤高の天才美少女・ミクリヤミカエルの意識がいた事を、知る由もない。
「で、なあに?」
Jは普通にそう尋ねたのだろうけれど、僕はちょっとびっくりした。
で、なあに?
Jでもそんな、何というか雑な?云い方をする事があるんだ。
決して冷たい云い方ではなく、いじわるな感じもしなかったけれど、
僕やLに対して、Jがそんな尋ね方をした事は、たぶん一度もなかったから。
もしかしたら、Jも少し照れ臭かったのかもしれない。
あるいは、幼いころは、アイとそんな風に会話していたのかな。
それがつい出てしまっただけ、だったのかも。
「お、おう」
アイはあらためて、Jの顔を見て、ひとつ咳ばらいをすると口を開いた。
「あー、キクタのこと、なんだけど」
ぴんと来た、けれど
「Kの?」
Jはあえて、とぼけてそう尋ねる。
「あ、おまえは、ずっと眠ってたから知らねえのかもだけど。あいつが、夏休み中に3日か4日ほど行方不明になって、街中あちこちで探されてた事。警察や消防隊だけじゃなくて、市内の緊急放送とか、日に何度も流れて。俺もミカエルもあっちこっち探し回ってて」
ふむ。
「うん、Lから聞いてる」
Jはそううなずいて、
これは、どういう事?
と、心の中で考え込む。
アイの云う通り、その時、Jは例の眠り病(病気じゃないけれど)によって約3週間の長い眠りについていたのだけれど。
その間も、Jの意識は、カラスのクロちゃんの中にいて、僕(の体)が行方不明になっていたのも全部知ってる。
いや、知ってるどころか、一緒に行方不明の僕(の体)を探してくれていたんだ、アイがそれを知らないだけで。
無意識に、Jは細くて長い人差し指をあごに当てて、いつもの考えるポーズで、じっとアイを見つめ、次の言葉を待つ。
「それが、ヘンなんだ。夏休みが終わって、学校に来たら、少しは騒ぎになると思ってた。いや、少しどこじゃねえ大騒ぎになるんじゃねえかって。小2のチビが3日も4日も行方不明なんて、こんな平和な田舎の街の小学生にとっちゃ、大事件だろ。あいつはまだ眠ってるけど、目を覚ましたらまた学校に出てくる。だから、あいつのために、おかしな事を云うやつらは今のうちに黙らせておかなきゃと俺は思ってた。けど・・・」
アイはそう云って、途方に暮れたように黙り込む。
ふむ。
Jは何かを確信したようにうなずく。
アイは、覚えてるんだ
そう、心の中でつぶやいて、
「誰も、何も覚えてないみたい?まるで、何もなかったみたいに」
あごに当てていた人差し指をぴんと立てて、名探偵のようにJはそう云った。
云ってから、
どういう事だろう?
とまたJは考え込む。
僕は僕で、夢の中でJの記憶を見ながら、考え込んでいた。
何かが起きた。
そして、
何が起こっているのかは、明らかだ。
認識の喪失
僕が、夏休み中に行方不明になり、アイの云うように、警察本部の緊急放送が日に何度も街中に流れ、探されていた事、その認識が、消されている。
小学校のアイの周りの子供たちから。
いや、たぶん、それだけにはとどまらず、みんなから。
つまり、街中の全ての人から。
夏休み明け、すでに2日が経っていた。
昨日が2学期の始業式で、今日からは普段通り授業が始まってる。
だから今日は昼休みがあって、Jは教室で、図書室で借りた宇宙の本を読んでいた。
おそらく、Jは昨日、夏休み明けの登校初日の時点で、みんなの認識が消されている事に気づいていたのだろう。
どういう事、とJが思ったのは、アイがそれを覚えているからだ。
能力者ではないはずの、普通の子のアイは、認識の喪失の効果を受けるはずなのに。
アイは、僕がいずれ目を覚まして登校した時に、行方不明事件の当事者として騒がれたり面白がられたりしないよう、事前におかしな事を云う子を脅かして?黙らせて?おこうと考えていた。
僕からしたら、いや、お兄ちゃん、別にそこまでしてくれなくてもいいよ?という感じだけれど。
騒がれたり面白がられたりするのだろうな、とは、あの緊急放送を聞いた時からもう覚悟していたし、それが嫌だからという理由で、街中から「僕が行方不明になった事」の認識を消す、というのは、それは違うだろうと思ってた。
僕が4日間いなくなり、街中で探されて、父や母にものすごく心配をかけた。そしてアイにも。
それは僕の不注意から起きた事で、その責任とかそれについて回るいろんなものは、僕が背負わなきゃいけないものだ。
認識を消すことで、それをなかったことにしてしまうのは、何だかずるい事のように思えた。
だから、僕は「認識の喪失」の力を使っていない。
それに、今は体が眠っていて、僕の意識は小さな黒ネコのNの体の中にいるので、あの力は使えない。
それなら、いったい誰が?
「そ、そうなんだ。そうだけど、じゃあ、おまえもか?おまえは、覚えてる?」
アイは大声でそう云ってJに詰め寄るように近づきかけて、はっと気づいて「すまん」と謝り一歩下がる。
はあ、とJは小さくため息をついて、
「覚えてる。わたしと、Lも覚えてる。でも何でみんなが覚えてないのかは、わからない」
まじめなJらしく、まじめにそう答えた。
心の中では、
なんでわたしに聞くの?もう、Lが学校に来てくれないから・・・
さんざん愚痴っていたけれど、きっと「オレンジの海」につながる窓を閉じていたのだろう。
僕にも、Lにもそれは聞こえなかった。
「もしかして」
はっと何かに気づいたように、アイは大きく息を吸って、
「ミドノ原のあれと同じか?キクタの両親が覚えてない、思い出せない、記憶・・・」
勢い込んで云いかけたものの、その恐ろしさに気づいたみたいにすぐに声は小さくなり、最後は口ごもってしまった。
鈍そうなイメージのあるアイだけれど、実は意外と鋭い。
能力や認識の喪失について、何も知らないはずなのに、さっきのJの答えだけで、父と母の「ミドノ原の記憶」と同じ、と察する事ができるくらいには、鋭い。
まさにその通り、正解、だと思う。
Jは、意外そうな顔をしていた。
アイの察しが良いので、驚いたのかもしれない。
もっとわけのわからない事をあれこれ聞かれて、めんどくさい事になるのかと思っていたのかも。
ほっとあからさまに安堵の息を吐いて、
「そ。だから、Kが目を覚まして学校へ来ても、騒がれたり揶揄われたりする心配は、ひとまずなさそうだね」
ふふふ、と魔法の声で、Jは笑った。

眼を開くと、「オレンジの海」のコテージだった。
僕の意識空間、アルカナの故郷の星の風景が広がる、オレンジの海。
広いテラスのテーブルに頬杖をついて、僕はうたた寝をしていたらしい。
木目の美しい丸い木のテーブルには、白い陶器のマグカップがひとつ。
まだ白い湯気とともに淹れたての紅茶の香りが立ち上っている。
先週、Jが目覚める前の最後の週末に、僕らは「オレンジの海」の改装を試みていた。
僕の陳腐な想像力では、どこかで見た東屋を借りてくるくらいの事がせいぜいだったので、もっと素敵な拠点にすべく、Jにアドバイスをお願いしたのだ。
そして、Jの指示に従って、あれこれと建物を出しては消しまた出しては消していたのだけれど、小一時間ほど頑張ってみたものの、僕の貧困な想像力が災いして、どうにもパッとしなかった。
ふと思いついて、
「J、指を鳴らしてみて」
そう、僕はJにお願いした。
「わたし?でも、ここはKの意識空間、でしょ」
JにはJの意識空間があって、その素敵なお庭は、Jの思い通りにカスタマイズができる。
オレンジの海は、僕の意識空間。
だから、僕が頑張ってどうにかしないといけない、僕もそう思って僕なりに頑張ってみた、というわけなのだけれど。
僕の意識空間、であるならば、主である僕がそれをヨシとすれば、Jが思い通りに改装する事もできるのでは、と思いついたので。
何だっけ、Lが前に云ってた、そう、動物の体を使わせてもらうための権限とか何とか。
だったら、僕の意識空間を改装する権限を、Jに渡せばいいのでは。
そう思ったので、お願いしてみた。
「ふむー」
Jは人差し指をあごに当てて、少し考えてから、その手を高く掲げて、
「こうかな?」
ぱちんと指を鳴らすと、白い星の砂浜に、素敵なログハウス調のコテージが、ポンと現れた。
海に面して、大きな掃き出し窓があり、そこから広いテラスが続いている。
テラスには透明なガラスの庇がかかっているので、いつも雨降りなオレンジの海でも、濡れずに過ごせる。
まあ、雨が吹き込んでも、肌に触れた途端に乾いてしまう不思議な雨なので、実際には濡れることはないのだけれど。
まんまとうまくいったので、これ幸いと内装や家具も全て、J先生に見繕ってもらって、ついに僕のオレンジの海にも素敵な拠点が完成したのだった。
そのおしゃれな南国風のログハウスと、波打ち際との間には、あの流木がぽつんと残されている。
「これ、置いとくの?」
Jにそう聞かれたので、
「景観てきに問題があるなら、消してもらってもいいけれど」
そう答えたら、くすくす笑って、やさしいJ先生は、何も云わずにそのままにしておいてくれた。
テーブルとお揃いの白木の椅子には、背もたれがついている。
伸びをしながら椅子にもたれて、さっきの夢を反芻する。
ここで、誰かの記憶を夢に見たのは、2度目だった。
1度目は、Lの云う「夢のあの子ちゃん」の灰の海と地下道の記憶の夢。
「王」の意識空間には、つながりのあるアルカナの記憶が全て保管されている。
あの時、Mはそう云っていた。
『アルカナの「王」は、権力の象徴でもなければ、統治するものでもないのです。「王」は云うなれば、「記憶する者」です。つながりのあるアルカナのすべての記憶を集め、保管する者、それがアルカナの「王」です』
その理屈でいえば、僕とつながりのある、JやL、ガブリエルの全ての記憶が、このオレンジの海に保管されている、はず。
だから、さっきのようにテラスでうたた寝しただけで、「海」に保管されたJの記憶につながって、それを夢として見る、という事も、まあ、あるのだろう。
偶然、だけれど。しかも、夢で、だけれど。
Mが云うには、
『キクタは、大人になるにつれ自身の「海」の構造を理解し、かつての自分の記憶も、他のつながりのあるアルカナの記憶も、自在に読むことができるようになっていました』
とのことだったので、本来は「自在に読むことができる」ものなのだろう。
今のところ、そのたくさんの記憶のライブラリー的なものががいったいどこにあるのか、どうすればそれが読めるのか、残念ながら、僕には全くわからないのだけれど。
ともあれ、さっきの夢、Jの記憶は、興味深いものだった。
あらためて、テラス越しに「オレンジの海」を見渡すと、もうすっかり日は暮れて、夜になっていた。
紅茶を淹れてテラスに出てきたのは夕方くらいだったはずで、その紅茶が冷めずに湯気まで出ていたので、ほんの数分かと思ってしまったけれど、そもそも意識空間の紅茶なのだから、冷めるも冷めないも僕の思うままなのだ。
つまり、うたた寝ではなく、わりとしっかり2時間くらいは寝ていたのだろう。
「能力」を使うことで体に負荷がたまり、それが一定値に達すると回復のために体が深い眠りに陥る。
それと同時に意識が体から追い出され、動物の中に「避難」する。
Lがそう考察した、僕らの「能力」と「眠り病」についての仕様てきなものは、ほぼ間違いないのだと思う。
体の回復のための眠り、プラス、意識は意識で眠りを必要としているらしい。
その僕の体が眠りに落ちてから、すでに3週間ほど経っていた。
僕の体が行方不明になって、探し回ったあの冒険の日々から、3週間、あっという間だった。
そろそろ、僕も目を覚ます頃なのだと思う。
2学期の始業式には間に合わなかったけれど。
Jは僕より1週間ほど早く目を覚ましていたので、先週は、夏休みの宿題に追われてた。夏休み前半から眠ってしまっていたので、やりたくてもできなかったのだ。
それでもきっちり最後の1週間で全ての宿題を仕上げ、ちゃんと始業式に間に合わせていたのは、さすがJと云ったところだ。
さて僕は、どうしたものかなと思ってた。
目を覚ましてもしばらく学校へは行かずに、夏休みの宿題をきっちり終わらせてから登校しようか、と画策したり。
あるいは、あの行方不明事件とその後の眠り病での入院とで、宿題はやらなくてもお咎めなしなのでは、と少し甘い事を思ったりもしてたのだけれど。
どうやら、さっき見たJの記憶によると、行方不明事件は免罪符にならなさそうな雲行きだった。
「認識の喪失」で誰もあの事件を覚えていないのなら、だ。
さすがに、その後の眠り病までは消されてはいないと思うけれど。
なので、今の僕の状況は、夏休み後半に謎の眠り病で入院してしまい、1週間ほどの検査入院のみで退院して家に戻ってはいるけれど、いまだ眠り続けているので2学期になっても学校へは行けずにいる、というところなのだろう。
「オレンジの海」は、日が暮れても完全に暗くなることはなく、夜でもぼんやりと薄明るい。
なんとなくそういうものなのだろうと思っていたけれど、これが実際に宇宙のどこかにあったアルカナの星の風景、と云われてしまうと、それなら、この夜の明るさにも何か理由があるのかな、と考えてしまう。
まあ、考えても、その理由はわからないのだけれど。
「そーか?ヒントは、アルカナの星って何だっけ、だなー」
そう声をかけられて、テラスの右手を振り返ると、そこに秘密基地へつながるドアが開いていて、Lが浜から木の階段をトントンと駆け上ってくるところだった。
広いテラスの左右には、直接砂浜へ下りることができるよう3段ほどの木の階段が付いている。
テラスの右側にはLの基地へのドアが、左側にはJのお庭への窓が、すぐ近くに現れるようにふたりが調整してくれていた。
ガブリエルの部屋の窓は、まだだったけれど。
ヒントは、アルカナの星って何だっけ
アルカナの星は・・・あ、わかったかも。
Lの云うそれは、もうヒントじゃなくてほぼ答えだよね。
「はっはー、やさしすぎたかー?じゃあ、答えは?」
まるで自分の家のような気やすさで、テラスの椅子にどすんと腰掛けて、Lはニッと笑う。
僕はぱちんと指を鳴らして、Lの前にも紅茶の入ったマグカップを出しながら、
アルカナの星は、そのほとんどがオレンジの海。
つまり、星全体が半透明のオレンジ色の液体?なので、二重の太陽が沈む、つまり星の自転によってここが夜の側に入っても、星そのものを二重太陽の光が通り抜けてこちらまで届く、のかな。
「おお、さすが。たぶん正解だー。たぶんねー」
たぶんを強調しながら、Lはニヤニヤ笑って、
「全体が、って云っても核はあるんだろーけどね。固体の核、鉄か何かの硬いのが。でもほぼほぼ、このオレンジの海だから、ふたつもある太陽の明るい光が、星の中を通って夜の側にも届いちゃうって事なんだろーねー」
楽しそうに云った。
明るいオレンジの海が、オレンジ色にぼんやり光っているように見え、その上の空も、海の明るさを映してほのかに明るい。
見たことはないけれど、ノルウェーとかの極圏で見られる白夜、というのはこんな感じなのかもしれない。
「うん。云われてみりゃ、絶景だよなー。何百光年か何千光年かわかんねーけど、はるか遠くの異星の景色だもんねー」
ふふっとうれしそうに、Lは笑顔で云う。
かちゃっと窓が開く音がして、テラスの左側にJのお庭の窓が開いた。
「あ、Lもいたんだ。静かだからいないのかと思った」
ふふふ、と笑いながら、Jがふわりと砂浜に降り立つ。
「泡」で飛んで来たのだから、そのままテラスに降りたらいいのに、きちんと砂浜に降りて、階段を上ってくるところは、律儀でまじめなJらしい。
「静かだから、って、何。オレだってたまには、しんみり海を眺めたりするのよ?」
そう云ってLは、にやにや笑っている。
「おじゃまします」
階段の上で立ち止まり、わざわざそう云ってから、Jはテラスに入って来て、椅子に座った。
僕はぱちんと指を鳴らして、Jの前にも紅茶の入ったマグカップを出す。
ありがと、と僕ににこっと微笑みかけてから、Jは、
「今日、アイが来たんだけど」
前置きもなしに、そう話し始める。
「ほう」
Lは興味津々な顔になった。
僕は、実はJの記憶をさっき夢で見ていたので、すでに話の内容は知ってるのだけど、ひとまずその説明は後にしようと決めて、Jの話を聞く事にした。
昼休みにアイに呼び出された件を、Jは丁寧に僕らに話してくれた。
そして、
「アイ、どうなってるの。あの子もやっぱり、能力者なのかな」
そう、Lに尋ねる。
ふふん、とLはNみたいに鼻を鳴らして、
「前にもそんな話をしたよーな気もするけどなー」
頭の上で腕を組んで、椅子にもたれかかりながら云う。
「可能性で云えば、その方が自然だよねー。あいつだけ違うってのがヘンなんだよなー」
能力者であるか否かで云うと、違うのかもしれない。
アイが能力を使っているところも、その能力も、僕らは見たことがない。
「海」にもつながっていないし、手をつないでも、心の声は届いていないみたいだった。
でも、アルカナが入っているかどうかで云えば、入ってる、ような気がする。
アイは、あの公園にも工事現場にも入れたのだ。
認識の消された場所、普通の人には入れないはずの場所へ。
「入りたくねえ感じ。ぞわぞわする」とは云ってたけれど、入れないわけではなかった。
「だなー。それよりK、おまえ、予知能力か何かに目覚めたの?」
急にLが僕に話を振るので、驚いた。
予知能力、って、何。そんなの目覚めてないけれど。
「あれ、そう。何か、Jの話を聞く前から知ってた風じゃね。おまえの行方不明事件の認識が消されたってのに、あんまり驚いてなかったし?」
Lがにやにやしながら云うと、
「そうそう、なんで?もしかしてそうかなって思ってたとか?」
Jも不思議そうな顔で僕を見る。
あ、はい。それについては、報告が遅れまして。
Nの真似をしてみたけれど、自分でも何か違うなって思った。
夢とはいえ、勝手に人の記憶を見てしまう、というのが、何と云うか、ちょっと後ろめたい感じがして、どう説明しようかと考えていたのだけれど、上手い云い方が思いつかなかった。
気を取り直して、さっき見た夢の話をありのまま、ふたりに説明した。
「ほほう、そりゃ便利だなー。まあ、夢でしか見れないってのと、選んで見れるわけじゃねーってのが、改善の余地ありだけど」
Lは、いつでも何でも楽しそうだから、勝手に記憶を見られても嫌がりはしないと思うけれど。
ちらっとJを見ると、眼が合って、
「わたし?わたしもぜんぜん気にしないよー。だって、Kだし。それに、選んで見れるわけじゃなく、夢で見ちゃうんだったら、それは仕方ないよねえ」
ふふふ、といつもの魔法の声で笑ってくれたので、少しほっとした。
「それ、どこまで見えるの?あのMちゃんが見せてくれたA-0の記憶みたいな感じ?」
Lにそう聞かれ、気づいた。
Mが見せてくれたA-0の記憶とは、少し違う気がする。
あれは、映像、というか、画面の中に入り込んでるような感覚だった、ような。
宇宙を飛んでるロリポリの視界は動いてはいたけれど、音は聞こえなかった。
夢で見る記憶は、音もあるし映像も動いてた。
それに、今日のJの記憶で云えば、終始Jの視点で、Jの心の声も聞こえていた。
「え、わたし、だいじょうぶ?へんなこと云ってない?」
Jが笑いながら、口に手を当てて困った顔をしてみせる。
へんなことは云ってなかったけれど、アイに「おまえも覚えてる?」って聞かれた時に、
「なんでわたしに聞くの?もう、Lが学校に来てくれないから」
って心の中で云ってたのも、僕には聞こえた。
ぷっとLが吹き出して、
「それは、ごめんね?」
Jにそう云って、またにやにやしてる。
「ふむー。じゃあ、いつもの感じだね。いつも心の声で話してるくらいの事までは、その記憶に残ってて、後から聞けるんだ」
どうやら、そうらしい。
考えてみれば、A-0の記憶に音声が入っていたとしても、僕らには理解できない言葉だったのかもしれない。だからあえて、Mはサイレントで記憶を再生していた、という事なのかも。
「キクヒコが云うには、Mちゃんはアルカナでも王でもないって話だから、そもそも仕様が違うって可能性もあるけどなー。あくまで、それっぽく見せてただけなのかも」
Lの説にも一理ある。
子供だまし、とはあまり云いたくないけれど、Mの目的が僕らをだまして信用させるため、だったのだとしたら、A-0の記憶を、それらしくMの意識空間に再現して見せただけ、なのかもしれない。
「でも、Mちゃんの話では、王だけじゃなくて、アルカナ自身も王の中に保管された記憶を見ることができる、って云ってたよね。じゃあ、わたしも見れるのかな?Kの中にあるわたしの記憶」
Jに云われて、はっとした。
あの時、Mと、「人に入ったアルカナが、助かったと云えるのか」、という話をしていた時だ。
『肯定します。記憶は残っています』
『全部覚えている、というのは、少し違う気がします。正確には、全部残っている、です。「王」の中に』
『そして、「王」とつながってさえいれば、その記憶を読むことはできます』
あの時は、それでアルカナが助かったのか、生き残ったと云えるのか、そっちにばかり意識が向いていたので、その仕様について深く考えていなかったけれど。
「あー、考えてみりゃ、これってすげーことだよな。だって、さっきみたいにJが「今日アイが来て」なんて説明するまでもなく、その時の記憶をどこかその辺の海から引っ張り出して、ほいってここで再生したら、オレにも見れるって事だろ?」
Lが眼をきらきらさせて云う。
そう、それどころか、「キクタ」の記憶を探してくれば、同じようにここで見れるのだ、みんなで。
ぴこん、とJが人差し指を立てて、
「じゃあ、キクヒコやルリさんの記憶も?」
そう云ったので、僕はびっくりした。
Jまでキクヒコさんを呼び捨てなの。
いや、ちがう。それもだけど、驚いたのはそこではなく。
「あれ、そうだね。でも、キクヒコはキクヒコって感じでしょ。ルリさんは、ルリさんって感じだけど」
細いあごに人差し指を当てて、Jはガブリエルと同じ事を云う。
なんでなの。
おかしくなってつい笑ってしまったけれど、ちがう、だから、そっちじゃなくて。
Mにその話を聞いた時、『つながりのあるアルカナのすべての記憶を集め、保管する』という王のオレンジの海の仕様を聞いた時、何かが心に引っかかるのを感じていたのは、まさにそれだった。
人の意識は、他の人の体にも入れる。けれど、代償として、海とのつながりと記憶の大半を失う。入った方も、入られた方も。
ルリおばさんは、これまでに二度、ヌガノマに意識を移されて、海とのつながりと記憶の大半を失っている。
キクヒコさんも、ルリおばさんを救うために、ヌガノマの体に意識を移して、海とのつながりと記憶の大半を失った、はず。
実際、あのロリポリの地下ホールで再会した時、Lに「おまえは誰だ」と尋ねられたキクヒコさんは、「おれは、誰だ?」と、自分の名前すら思い出せないようだった。
その後、Mの意識空間に姿を現したキクヒコさんは、あのヘッドホンと虫みたいなゴーグルをつけた僕の姿で現れ、Mに『自分自身の名前も姿も覚えていない、そんな「記憶」のないあなたに、何がわかるのです』と揶揄されていた。
『つながりのあるアルカナのすべての記憶を集め、保管する』
その言葉のままに受け取るなら、大半を失ったはずのキクヒコさんやルリおばさんの記憶も、僕のこのオレンジの海に保管されているのでは。
そして、どうにかしてふたりにそれを見せることができれば、ふたりは失った記憶を取り戻す事だってできるかもしれない。
「おお」
人差し指をあごに当てたまま、灰色がかった眼をまんまるにして、Jは驚いてる。自分で云ったのに。
そんなJをちらりと横目で見て、Lはにやりと笑い、
「な、こいつ時々天才なんだよなー。天才ってか天然?いや、天然の天才か?」
また褒めてるんだか何だかよくわからない事を云う。
まあ、Lなりに褒めてるのだろうけれど。
「へえ」
Jは驚いた顔のままLを見て、
「それは、ありがと。でも、褒めてもらったけど、それもMちゃんの話が全部嘘じゃなければ、っていう条件付き、でしょ」
冷静に、そう云った。
嘘じゃなければ
Lの推理では、Mが「アルカナの王」という部分だけが嘘、という事だったけれど。
「うん、Mちゃんの目的がオレたちの信頼を得る事だったとしたら、尚更ね。そこは嘘つかねーと思う。ただ、おまえの云うように、Mちゃんが研究者側の人間なんだとしたら、「嘘」じゃないけど「間違ってる」って可能性はあるかも」
青い眼をきらきらさせたまま、Lは云う。
間違ってる可能性
Mが人間なのだとしたら、王の記憶の保管について、完全に把握しているわけではない、かもしれない、という事かな。
「でも、実際にJの記憶は、おまえにも見ることができたわけだからね。王の海に「つながりのあるアルカナの記憶が保管されてる」ってのは、ほぼ間違いねーだろ」
それは、そう。Lの云う通りだ。
それがどこにあるのか、どうやって見るのか、それさえわかれば、キクヒコさんやルリおばさんの記憶が、そこにあるのかどうかも確かめる事ができる、かもしれない。
そう思った時に、ふっと心をよぎる思いがあった。
心がひりつくような痛みを伴う、思い。
ヌガノマは、無理なのだろうか。
「んんー、無理じゃね」
苦いものでも食べたように顔をしかめながら、Lが云う。
「ヌガノマの記憶が保管されてるとしたら、それは「キクタ」じゃなくてヌガノマとつながりのあった「王」って事だろ。そいつが誰なのかはわかんねーけど。いや、それが実は「キクタ」だったって可能性もなくはねーけど」
可能性
Mによると、キクタは11番目の王
最後の王はMで13番目という話だったけれど、キクヒコさんにそれは嘘だと否定された。
キクヒコさんが正しいなら、最後の王はキクタで、つまり軍の研究者に確認された王は、キクタ以外にあと10人いる、という事になる。
王ひとりにつき、つながりのあるアルカナが何人くらいいるものなのか、正確なところは不明だけれど、キクタの例で云えば5〜6人、ざっくり10人くらいというところだろうか。
11人の王にそれぞれ10人前後のつながりのあるアルカナがいたとすれば、アルカナの総数は100人余りという事になる。
ロリポリに乗っていたアルカナの総数も不明なので、具体的な数はハッキリしないけれど。
それに80年前のロリポリ落下時点から、キクタが王と判明するまでの3年ほどの間で、という注釈も付く。
キクタ以外の10人の王のうち、何人が現在も生き残っているのかは、わからない。
Lの予想では、人間の中に入って無事に生き残ったアルカナの数は「それほど多くはない」という事だった。
王が亡くなった場合、次の王が「記憶」を引き継ぐ、というのもMからの情報だった。
歴代の王の記憶全てを引き継ぐわけではなく、引き継げるのは一世代分まで。
そこが妙に具体的だったのは、Mが自身を「A-0の次の王」だと僕らに信じ込ませるために、あえて強調していたのだろうか。
ヌガノマとつながりのあった王がすでに亡くなっていたとしても、その次の王がヌガノマの記憶を引き継いでいるかもしれない。けれど、その王も亡くなっていたとしたら、一世代前のヌガノマの記憶は、その次の王には引き継がれない事になる。
そんなにたくさんのアルカナが、無事に人間の中に入って生き残っていたなら、の話だけれど。
「あーなるほど。多いな、とは思ってたんだけど、そーいうことか。研究者が王を10人までナンバリングしたのは、人間に入ってから、ってわけじゃなかったんだろーね。そうそう都合よく、1歳未満の赤ん坊がその辺にいたわけないしなー。実際、A-0とのやり取りは、ロリポリの中にいる状態で行われてたっぽいし。ロリポリの中にいたのが10人、外で見つかったのが1人。で、それがキクタって事か」
おそらく、そうなのだろう。
12年前、地震により施設から軍が撤退するまでの間、約70年間は、あの場所でアルカナとロリポリの研究が続けられていた。
その間に地下施設は拡張され、大勢の研究者やその家族が暮らす地下都市が形成された。
70年の間に、地下都市で生まれた赤ん坊には、アルカナが入る。
けれどやはり、それはそう多くはなかったのではと思える。
数人、という事はないにしても、数十人、にはとても及ばないのでは。
無理じゃね
とLが云うのも、わかる。
ヌガノマの「王」に当たるアルカナが今日まで生き残っているかどうか、
その王が亡くなっていたとして、その記憶を引き継ぐ次の王がいるかどうか、
期待は、あまりできそうにない。
もうひとつ、Lが云った、
それが実は「キクタ」だったって可能性
そちらの方は、さらに望み薄だと僕は思ってた。
感覚的に、だろうか。
僕がキクタの器を引き継いでいるからこそ、ヌガノマは「違う」
そう思えた。
「ふむ」
めずらしく、Lが言葉に詰まるように黙り込む。
眼が合うと小さく自嘲するように笑って、
「いやあ、気安く「おまえの気持ちはわかる」なんて、云えねーなーと思ってね?想像はできても、うーん、ごめん、やっぱわかんねーわ」
そう云ってやさしく眼を細める。
Lのやさしさはうれしかったけれど、僕自身、よくわからなかった。
ヌガノマを、僕はいったいどうしたいのだろう。
最初は地下道で襲われて懐中電灯を奪われそうになり、ガブリエルと思い込まれて延々追いかけられた。
二度目には罠に嵌められて、地面に殴り倒され、首を絞められた。
そのヌガノマは、隕石の落下から、身を挺してキクタを守ったという。
わからない、ヌガノマという人物の事が。
わからないから、知りたいのだろうか、その記憶を。
ただ、その記憶がもしも見つかったとして、僕はそれを見る事ができるのだろうか。
恐れずに、逃げ出さずに、見れるのだろうか。
オレンジの海に、静寂が訪れる。
やさしい波音だけが、低く響いている。
違う、話が逸れてる、
唐突にそう思った。
一番肝心なことに、僕らはまだ触れていない。
「よーっし」
ぱちんと手のひらに拳を打ちつけて、Lがいつもの声で云う。
「じゃあ本題に入るか。まあたぶん、これも結論は出ねーんだけど」
ニヤリと笑って、
「Kの行方不明事件の「認識を消した」のは、誰なのか。オレじゃないよ?」
おどけるように云って、Jを見る。
「え、わたし?」
Jは眼をまんまるにして驚き、
「わたし、できないよ。できたとしても、それは、しないし」
そう云って、僕を見る。
うん。
ふたりがそれをしないのは、もちろん僕にもわかってる。
それにLが、
これも結論は出ねー
と云った理由も、おそらく、わかる。
該当する人物が、思い当たらない。
「認識の喪失」の力を使える能力者で、僕の行方不明事件を知っている人物。
そしてそれを消す事で、何か得をする人物。
あやしいのは、あの一件のラスボス候補でもあるキクヒコさんかMなのだけれど。
まずキクヒコさんには、あの力は使えない、はず。海とのつながりと、記憶の大半を失っているから。
同じ理由で、ルリおばさんでもない事になる。
地下道で倒れていたところを、アイに発見され救助されたルリおばさんは、搬送された大学病院から逃げ出して現在も行方はわからない。
逃げ出したのは、僕の行方不明事件の重要参考人として、警察からの聴取を逃れるため、だったはずなので、僕が発見され、事件が事件にならずに終わった今となっては、もう逃げ隠れする必要はないはずだった。
元々、どこに住んで何をしているのかも知らないおばさんなので、もう普段の生活に戻っているのかもしれないけれど。
ふたりでないのだとすると、残る容疑者はMなのだけれど、動機がない。
僕の行方不明事件の認識を街中から消して、Mに何のメリットがあるのかがわからない。
それは、Mに限らずだけれど。
認識を消すことで、得をする人物が、思い当たらない。
というより、いない。
強いて云えば、僕くらいでは。
アイが心配していたような、しばらくの間、学校で面白がられて騒がれる、それがなくなって、唯一得をする、と云えなくもない。
ただ、本当にそれは、とっくに覚悟を決めていた事だったし、ちょっとめんどくさいとか煩わしいのを辛抱すれば、そのうち終わる程度の事なのだ。
街中の認識を消す、なんて大ごとにする必要は全くないと思っていたし、今でもそう思う。
それなら、いったい誰が何のために?
それがわからない。
「うん。まあ単純に、アルカナにまつわる事で街中を騒がせちゃったから、なかった事にした、ってだけなのかもだけどなー」
Lが云うと、
「なるほど。Kがどうこうって事じゃなくて、アルカナ全体の秘密を守るため、って事?」
あごに人差し指を当てたまま、Jが云う。
その理由なら、Mが犯人でも納得できる、かもしれない。
Mが軍関係者なのだとしたら、騒ぎになったり記録として残されることを嫌ったとしても、不思議ではないのかも。
ただ、大掛かりなことをする割に、実入が少ないというか、なんと云うか。
本当にメリットとしては、僕が騒がれなくなる、だけしかないような。
Jがぴこんと人差し指を立てて、
「うん、実質的には、Kがちょっぴり助かるだけ。でも長い目で見たら、アルカナ全体を守るため」
そう云うと、Lも、
「まあね。でも守りに徹するって意味では、すごくアルカナっぽくはあるよね、保守的というかさー」
椅子の背もたれにぐいっと身をもたせかけながら云う。
アルカナ全体を守る
すごくアルカナっぽい
確かに、ふたりの云う通りなのかもしれない。
アルカナは、地球外生命体だけれど、よくあるSF映画やゲームなどに出てくるような侵略者ではない。
云うなれば、宇宙の遭難者であり、避難者だ。数も少なく、力も、たぶん弱い。
意識生命体なので姿も見えないし、人間にはない能力を持っているけれど、弱者だ。
滅び去った故郷の星を遠く離れ、果てしない旅の末にようやくこの星へ辿り着いたものの、故郷と同じ「海」は限られた場所にしかなく、しかもそこへ入り助かるためには条件がある。
それでも「生き残った」とMは云ったけれど、やっぱり僕にはそうは思えない。
本当にアルカナが生き残るためには、この星では不十分だ。
星全体がオレンジの海に満ちているような、かつてのアルカナの星と同じ環境へ辿り着いて、そこでようやく「助かった」「生き残った」と云えるのでは。
この星で、人の中で生き残ったとして、数の少ないアルカナは、いずれ薄まって、絶えてしまう。
王の記憶も、やがて途絶えてしまう。
「ふむ、じゃあKよ、おまえはどーする?」
何故かLが、眼をきらきらさせながら僕を見ていた。
そんな、何かを期待する眼で見られても、僕は名ばかりの、しかも借りものの「王」なので何もできないのだけれど。
困ってJに眼をやると、何故かJも大きな眼をまんまるにして僕を見ている。
なんでなの。
何を期待されているのだろう、ぜんぜんわからない。
僕の勝手な希望を云ってもいいのなら、ロリポリだった。
もう一度、ロリポリを宇宙へ飛び立たせてあげたい。もちろん、アルカナを全員乗せて。
そして今度こそ、ロリポリが「そのままざぶんと飛び込める」ようなオレンジの海の星へ辿り着かせてあげたい。
そう、思う。
そんな、なんとも子供じみた、夢みたいな話かもしれないけれど。
「いいね、オレもそー思うぜー」
そう云ってLは、僕に右手を広げて掲げている。
「わたしも、賛成ー」
Jもにっこり笑って、同じように手のひらを僕に向ける。
ハイタッチ
いつか、そんな話を3人でこのオレンジの海でしてたよね、そう思い出す日が来るのだろうか。
今の僕らの「記憶」も、この海のどこかに保管されるのだろうか。
そんなことを、なんとなく、僕は思っていた。

遠く、雷鳴のような轟音が響いている。
ごおごおと大地が鳴き、世界が震えていた。
ーー 或いは其れは、失くした何かを忘れ去る物語
あの声が、そう囁くのが聞こえて、眼を開くと僕は灰の海にいた。
あの、幼い女の子のように聞こえる、少し舌足らずなか細い声。
夢のあの子だ。
では、これは夢。
この灰の海は、あの子の意識空間、なのかもしれない。
暗い灰の海に、その姿は、見えなかった。
はらはらと雪のように、白い灰が降りしきる。
砕けた星の砂が、降り続く白い灰と混じり合って堆積した、灰の砂浜に僕は立っていた。
裸足の足の裏に、ちくちくと星砂の破片が当たって痛い。
これは夢で、誰かの意識空間のはずなので、本当に足の裏に刺さったりはしないのだろうけれど。
何かが焦げたような匂いが、つんと鼻をつく。
果実が腐ったような、酸味のある苦い匂いも混じっている。
ごおごおと大地が悲鳴を上げ、細かく震えるように揺れている。
かつて海だったはずの、赤黒くひび割れの走る海底に眼をやると、砂浜に立っていた僕の体は、強い力にぐいと引き寄せられるように、そちらへ移動していた。
近づいてみるとひび割れはかなり大きく、ギザギザに折れ曲がりながら海底を走るその全長は、数百mにも及ぶかもしれない。
ひび割れの縁から、向こう岸までの距離もかなり広く、2〜30mはありそうだった。
のぞき込むと、赤黒くマグマの光る底はかなり深いらしく、ぼんやりとしたその赤い光しか見えない。
引き摺られるように、空中をぐいぐい移動していた僕は、ひび割れの上で投げ捨てられるように乱暴に止まった。
そのままひび割れの中へ落ちるのかと思ったけれど、そんなことはなく、投げつけられた慣性も無視してひび割れの上の空中にぴたりと止まっている。
ひび割れの底で、赤黒いマグマがうごめいているのは見えないけれど、赤い光が動いているのでそれを感じられる。
まるで、それ自体が生きてうごめいているかのよう。
ーー 或いは其れは
先ほど聞こえたあの声が、もう一度、僕の耳元で囁くように云う。
ーー 失くした何かを忘れ去る物語
幼い子供の声には不似合いな、どこか不吉な響き。
失くした何かを忘れ去る?
そんな意味の言葉を、最近どこかで聞いたような気がする。
記憶に関すること、だったろうか。
失くした記憶
キクヒコさんの、ルリおばさんの、そして、ヌガノマの。
人の体の中に人の意識を移す。
その禁忌に触れて、失われた大半の記憶。
それは、王の意識の海に保管されているはず。
失くした記憶を忘れ去る、のは僕ではなく、キクヒコさんやルリおばさん、そしてヌガノマ。
でも、僕は忘れない
いや、僕がもし忘れても、あの海は忘れない。
「ふっ」とまた、耳元であの声が笑う。
あの時と同じように、揶揄うように小さく笑う。
ーー 其の海が「死」んでも?
あの声は囁く。
疑問系だったけれど、疑問ではない。
Lがよく云うのと一緒だ、
疑問ではなく、確認するような、念を押すような、そんな云い方。
海が死んでも?
海が死ぬ、オレンジの海が灰の海になっても。
Mは(王ではないとキクヒコさんは云ったけれど)意識空間に灰の海を持っていた。
あるいは以前にどこかで、A-0の記憶や他の王の意識空間で灰の海を見たことがあって、自身の意識空間に「灰の海の風景を再現しただけ」だったのかもしれない。
そう思っていた、けれど。
本当に?
キクヒコさんが知らなかっただけで、Mは本当に王なのでは。
M自身がそう告げたように、A-0の次の王。
「自分自身を「アルカナの王」と名乗るアルカナの王など、いるはずがない」
キクヒコさんは、そう云った。
それはある意味では、正しいのかもしれない、けれど。
そもそも、Mが軍関係の人間なのだとして、能力を使える点から云っても体内にアルカナが入ってるのはほぼ間違いがない。
そのアルカナが、A-0の次の王だったのだとしたら、Mは、アルカナの王であることに違いはない、よね。
それなら、意識空間が灰の海でもおかしくはないし、A-0の記憶を保管しているのも何ら不思議ではない。
つまり、さっきあの声の云った
ーー 其の海が「死」んでも?
その海が死んで、灰の海になっても、
記憶は、まだその海に保管されている
ごおっとひときわ激しく大地が鳴る。
ばりばりと雷鳴のような轟音が海全体を、一帯の大気を震わせて、足下のひび割れが大きく裂けた。
同時に、浮力を失ったように僕の体はひび割れの中へすとんと落下して行く。
落ちる、というより、吸い込まれる、に近い感覚だった。
夢、ではあるけれど
それに何より、意識空間のはず、だけれど
どこまで落ちて行くのかと途中で呆れてしまうくらい、長い長い落下だった。
周りはほとんど何も見えず、遠く下の方に赤黒いマグマの光だけがぼんやりとうごめいて見える。
と、何も見えないと思っていた周囲に、階段、だろうか。
落ちる僕の周囲をぐるりと広く取り巻くように、長く細い螺旋階段が底の見えない下へと伸びている。
いつの間にか、落下速度がゆるやかになっていて、ぐるぐると回る螺旋階段のその1段ずつのステップまではっきりと見えるくらい、僕はその長い螺旋の中心をゆるゆると舞うように落ちて行く。
いよいよ足下に赤黒く渦巻くマグマの表面が見える頃、また慣性を無視した動きで僕の体はふわりと止まる。
螺旋階段は、マグマの中へ続いている。
焦げるような匂いが強くなり、裸足の足の裏にマグマの熱を感じた。
ごおごおと鳴る大地の悲鳴に包まれて、さっきの僕の声が、心の中によみがえっていた。
その海が死んで、灰の海になっても、
記憶は、まだその海に保管されている
小さな冷たい手が、僕の右手を握るのを感じた。
その手は、見えなかったけれど。
ーー 止めはしない
あの声が耳の後ろで囁く。
その幼い少女のような声に、揶揄うようなどこか楽しそうな響きがある。
振り返っても、そこには誰もいない。
ぐるぐる回る螺旋階段が、赤いマグマに照らされている以外は、深淵へと至るような暗い闇。
「ふっ」とまた、耳元で声が笑い、見えない小さな手が僕の右手をぎゅっと強く握る。
ーー 荊の道へ往かん
くすくすと心から楽しそうに、夢のあの子は笑った。

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