daydream believer iii

屋根裏ネコのゆううつ II

放課後、帰りのホームルームが終わり、さよならの挨拶をした後で、もう一度席に着いた。
ランドセルを背負って、次々に教室を出て行くクラスメイトたちを眼で追って、
「キクタ、帰らない、の?」
僕に倣って椅子にぴょこんと飛び乗り、ハナが不思議そうに僕を見る。
「ちょっと待ってね」
ハナにそう云って、頭の中、オレンジの海を「振り返る」。
「L、今日公園へ行くよね?」
心の声で尋ねると、秘密基地のドアが細く開いて、
「もう向かってるよー。てか、前にも云った気がするけど、わざわざあそこへ行く意味あんの。Kの「海」のコテージで良くね」
歩いているのだろうか、いつもより早口にLの声が云う。
「意味あるよ。じゃあLはコテージでいいの?公園なら、クロちゃんやNちゃんも来るのに?」
窓を開けたらしい、Jがそう云ってめずらしくいじわるにくすくす笑う。
「おっと、オレとしたことが」
チッとLは舌打ちして、
「あれ、じゃあラファエルも連れてきた方が良かったかー?今日は庭に姿が見えなかったから、置いてきちゃったけど」
ふふん、と鼻を鳴らしてる。
ラファエルいないの、それは残念だな。いたら、ハナが喜んだだろうに。
ふとそう思って、あれ、ハナは犬が好きなの?僕が知るはずもないのに、どうしてそう思ったのだろうと、少しだけ心に引っかかったけれど、すぐに消えてた。
でも今日は、転校生を連れて行くから、公園じゃないと困るかも。
云ってから、いや、困らないのかな、と思い直す。
ナナが王なのだとしたら、僕の「海」に来れるのかな。
「転校生?」
LとJの声が被る。
うん、夢のあの子。みんなが揃ったところで話がしたいって。だから一緒に行くよ。
「ほう」
きらり、とLの青い眼が輝くのが見えるようだった。姿は、見えないけれど。
「夢のあの子が転校生なの。じゃあ2年生?」
Jが興味津々に食いついてくるので、少し驚いた。
いつも冷静に黙って聞いてるイメージのJなのだけれど、転校生、というワードに何か引っ掛かるものがあったのだろうか。
とは云え、ハナを連れた状態で、Lのように歩きながら話すのは僕には難しそうだったので、
「うん、同じクラスで僕の隣の席なんだ、けど、ごめん、詳しくは公園で話すよ」
そう云って、「海」での通話を終えた。
「お待たせ。ハナ、帰りに公園へ行こうか」
僕がそう云うと、ハナはパッと顔を輝かせて、
「公園?いくー、はなちゃん公園いくー」
ぴょこんと元気よく、椅子から飛び下りた。

ハナと手をつなぎ、学校を出て公園に向かいながら、何となく、後ろめたい気分になっているのに気づいた。
ハナの家は、海の見える高いところ。
つまり本来ならば、公園のある北向きの通学路ではなく、海岸沿いへ向かう南向きの通学路を通って帰るはず。
通学路を守らない事に、何か特別なペナルティがあるとは聞いた事はなかったけれど。
もしも通学路を外れての寄り道が見つかれば、担任の先生にお説教を食らうとか、かな。
せいぜいその程度の事、だとは思う。
それに、おそらく僕とハナが通学路を守ろうが破ろうが、そもそも誰からも認識されないのでは、と思ったりもする。
だから、実はそこまで気にしなくてもいいのかもしれない、けれど。
やっぱり、決められたルールを守らない、という事に対して、何だかとても悪いことをしているような、そんな後ろめたさを感じてしまう。
いやきっと、いつもの僕の考えすぎ、それだけなのかもしれないけれど。
手をつないで隣を歩くハナは、そんな僕の思いは気にもならないようで、
「こうえんーこうえんー」
小さなか細い声で歌うようにそうつぶやきながら、元気に手を振って歩いて行く。
たぶん、ハナが楽しみにしているような、遊具のたくさんある立派な公園、ではないのだけれど。
だから公園の入り口に着いて、ハナに、
「着いたよ」
と声をかけながら、きっとがっかりさせてしまうのだろうなと、僕は少し気が重かった。
けれど、
「おおー、公園だー。おっきい公園だねー」
教室で初めて僕の姿を見つけた時のように、ハナが相好を崩してそう云ったので、僕は驚いた。
ハナが嫌味や皮肉を云うような子だとは思えない。
オレンジのきれいな眼をまんまるに見開いて、うれしそうに笑う姿は、演技とも思えない。
おっきい公園
この公園が?
真ん中に水の涸れた噴水があって、その周りにベンチがぽつりぽつりと置かれ、鉄棒と、小さな砂場と空っぽの花壇、奥の方には電車ブランコがひとつあるだけ。
あとはプレハブの物置と、水飲み場と簡易トイレくらいしかない、小さな公園なのだけれど。
これが「おっきい公園」に思えるような、もっと小さな公園しか見た事がないの、かな。
いったいどんな場所で、ハナは暮らしていたのだろう。
そう考えて、すぐに答えは見つかる。
そうだ、あの地下だ。
ロリポリのクレーターにつながる地下施設、軍の研究者やその関係者が暮らす地下の街。
そこにあった公園なのだとしたら、限られた地下空間に作られたもの。
この公園よりももっと小さな、ささやかな公園だったのかもしれない。
それなら、良かった。ハナがこの公園に喜んでくれたなら、何よりだ。
公園の中をのぞくと、いつものベンチにLが座っていて、その脇に、今着いたところらしい、Jが立っている。
学校帰りのJはもちろん、学校にはちっとも来ないLも、いつも通り小学校の制服姿だった。
ふたりがこちらを向いたので、僕は空いている左手を軽く上げて挨拶し、「行こう」とハナを促して公園の中へ入る。
何故かふたりがそのまま固まったように動かず、声も出さないのを不審に思いながら近づいて、ハッと気づいた。
ハナの色だ、「泡」と「線」の。
ふたりには、黒い泡と黒い線が見えてる。
慌ててオレンジの海を振り返り、
「待って、説明するから。「黒」だけど、ハナはだいじょうぶなんだ!」
そう叫ぶ。
手をつないでいるので、ハナにも聞こえたのだろう。
びっくりした顔で立ち止まり、僕を見上げてる。
「えーっと、何て?」
Lがベンチから立ち上がり、呆然と立ち尽くすJのランドセルをガシッと掴んで引きずるように歩き出しながら、「海」で云う。
「こいつが固まってるのも含めて、何となく察したけど。まあ、とりあえず座ろーぜー」
普段通りの声でそう云って、Lは電車ブランコまでJを引きずって行くと、ランドセルをどんと両手で押して、Jをブランコのベンチに座らせ、自分もその隣に「どっこらせ」と座る。
「ハナ、電車ブランコ乗ろうか」
止まってしまったハナにそう声をかけたら、
「でんしゃブランコ?はなちゃん乗るー」
スイッチでも押したみたいに、くるりと一瞬で笑顔に変わり、ハナはつないだ手をぶんぶん振っている。
あ、そうか。電車ブランコがどれの事だか、わからないのかな。
こっちだよ、とハナの手を引いて電車ブランコの前まで進み、ハナを先に座らせて、僕もベンチにそっと腰を下ろす。
Jの向かい側に僕、Lの向かい側にハナが座ってる。
青い眼をきらきらさせながら僕とハナを見比べているLと、青ざめた顔でハナから眼をそらすJを気にも止めず、
「キクタ、でんしゃブランコ、動く?」
ハナがにこにこしながら、僕に尋ねる。
動くのだろうけれど、そう云えばこの電車ブランコに座る事はあっても、ブランコとして漕いでみた事は一度もなかったかもしれない。
「動くぜー?ちゃーんとつかまってろよー」
ハナの顔をのぞき込むようにしてLがニヤリと笑いながら云って、「せーの」と掛け声をかけると、ゆっくり電車ブランコを漕ぎ出した。
「きゃー」
楽しげな悲鳴を上げて、ハナは包帯ぐるぐるの右手でブランコの手すりをぎゅっと握る。
きぃきぃと錆びた鉄の擦れる音を立てながら、ゆっくりゆっくり、電車ブランコが動き出す。
ハナは満面の笑みを浮かべて手すりと僕の手をぎゅっと握りしめ、きゃあきゃあとはしゃぎ声を上げてる。
「おいおい」
オレンジの海で、Lが云う。
「何だよ、めっちゃかわいいじゃん。これがほんとに夢のあの子ちゃんなの」
うん、いや、そうなのだけれど、そうではなくて。
「K、ごめん、いい?」
Jがそう切り出して、
「さっきの「黒」って、Kも見たの?この子の「泡」の色。それで、だいじょうぶって、どうして?」
困ったような、今にも泣き出しそうな顔で、Jが云う。
本当にごめん。僕が、そこまで気が回らなかったせいだ。
その事だけでも、先に説明しとくべきだった。
「ふむ、揃ったの。もうひとりの金髪がおらぬようじゃが」
いきなりそう、ナナの声がオレンジの海に響いて、びっくりした。
「何を驚く。おぬし・・・、まあ良いわ」
云いかけて、まためんどくさそうにナナは止める。
ナナの声は海で聞こえるけれど、ハナは僕の隣で、ゆっくりと揺れる電車ブランコに興奮し、きゃあきゃあ楽しげな声を上げていた。
昼休みの教室の時みたいに、交換してハナの体で話すのではなく、ナナはこのまま、オレンジの海で話すのかな。
「ふむ、儂はどちらでも構わぬが、ハナが楽しそうじゃからの。そのままにして、儂らは「海」で話すとするか。金髪どもも此方へ来るが良い」
そうナナに云われ、オレンジの海を「振り返る」と、コテージのテラスの前の砂浜に、ナナが立っていた。
ハナの姿のナナが。
色素の薄い灰色の眼が、僕を見る。
「どうぞ」
テラスの階段を手で差して、ナナに上がってもらうようすすめる。
ハナと同じ姿なのに、何故だろう、何か威厳のような、圧があるような。
王だから?なのかな。
「埒もない事を」
ぽつりと云って、ナナは階段を上り、テラスの椅子に座る。
ハナのように、ぴょこんと飛び乗るのではなく、ふわりと浮かび上がるようにして、すっと座った。
お庭の窓と基地のドアが同時に開いて、
「金髪ども、登場だぜー」
陽気なLの声が云う。
いつもの事だけれど、本当にLは、何でも楽しそうだ。
対照的に、Jはまだ、何か思い悩むような暗い表情だった。
それは、無理もないかもしれない。
あの黒い泡は、小学生のJには重すぎる、よね。
ナナの右にLが、左にJが座ったので、僕はふたりの間、丸テーブルを挟んでナナの正面に座った。
「ふむ。ではまず、おかっぱの憂いを晴らすかの」
ナナは暗い表情のJをちらりと見て云う。
おかっぱ
確かにJは、黒髪を肩口でまっすぐ切り揃えたショートカットだけれど。
金髪におかっぱ、じゃあ僕は、何なのだろう。
それには答えず、
「ハナは死なぬ。黒い「泡」が見えるのは、肉体が死にかけのまま停止しておるからじゃ」
何の前置きもなしに、ナナはいきなりそう云った。
肉体が死にかけのまま停止?
そう聞くと、今にも死んでしまうのかと思うけれど、でも停止。
死の間際で止まってる?だから死なない?という事、なのかな。
「おかっぱの「泡」は、意識の器である肉体の状態を「色」で示すものじゃろ。その者が抱く敵意や悪意から友愛の情まで、そやつの精神の状態とも云えるな。興奮しているか、落ち着いているか、混乱しているか、壊れかけているか、そんなものを測り、色で示しておるのじゃ。そして、体が死にかけておる状態の色、それが黒じゃ」
すらすらと流れるように、ナナはそう説明する。
思えば、僕らの「能力」を誰かにきちんと説明してもらうのは、初めての事だった。
これまで僕らが認識していたそれは、JとLが長年ふたりで実験と試行を繰り返して、その経験から得たものだ。
でも今のナナの説明を聞く限り、それは概ね、当たっていた事になる、のかな。
「アルカナ本来の機能で云えば、黒は忌避すべき色なのじゃろ。入り込んだとて、すぐに肉体が死んでしまうのでは、アルカナ自体も助からぬからの」
アルカナ、と自然に口にするナナは、やっぱり地下の関係者なのだろう。
黒は忌避すべき色
その理屈も、アルカナの性質から云えば、うなずける。
ハナと同じ幼い声で、けれど淡々とナナは云う。
「本来は避けるべき、死にかけの人の肉体に入ってしまったアルカナ。研究者どもはそれを「レムナント」と呼んでおった」
レムナント
聞いたことのない言葉だった、英語、なのかな。
「金髪、意味がわかるか」
ナナはそう、Lに問う。
Mもそうだったけれど、なぜ大人(っぽいアルカナ?)は、Lに質問したがるのだろう。不思議だ。
ふむー、とLは遠くを見るような顔になる。
「レムナント(Remnant)。英語で、残り物とか、断片、生存者、あと、端切れとかって意味だねー。何だか随分、失礼な呼び名だなー。皮肉のつもりなのかな」
めずらしく、Lがムッとしてる。もちろんそれは、ナナに対してではなく、そう名付けた誰かに対してだろうけれど。
「さての。軍人やら研究者なんぞの考えは、儂にはわからぬ」
めんどくさそうに云うナナは、ではそのどちらでもないのだろう。
「あーでも、聖書で云うレムナントは、わりといいイメージだったよねー。「真の信仰を持つ数少ない者たち」とか、そんな書かれ方をしてるんじゃなかったっけ」
フォローをするように、Lは云う。電車ブランコに楽しそうに揺られるハナを、やさしい眼で見つめながら。
「ふむ、博識じゃの」
感心したようにナナはLを見て、
「曰く、御名を呼び、戒めを守り、証しを護る。不正を行わず、偽りを語らず、真の恵みにより選ばれし残された者」
歌うように、そう云った。
何だろう、聖書の一節、というのかな。
ナナは、聖職者とか、何かそういう宗教関係の人なの。地下に街があったのなら、教会もあったのかもしれないけれど。
「まあ良い、続けるとしよ」
コホンと咳払いをして、ナナは話を続ける。
「人の体が、死に向かいかけておる状態、即ちその人の意識はほぼ死んでおる、おそらくの。その状態で、アルカナが入るのじゃ。人の意識はすでに死んでおる故、アルカナが消滅する事はない。赤子でなくば入れぬという条件も、その人が死にかけておれば無効化される、というわけじゃな」
体が死に向かいかけている状態
意識はすでに死んでいるので、アルカナが消滅する事はない
赤ん坊にしか入れないという条件にもあたらない
ふと何かが、心に引っかかるのを感じた。
けれど、ナナは僕に構わず話を続ける。
「但し、アルカナにとっては本来避けるべき「黒」じゃ。無論只では済まされぬ。人の場合、死にかけた肉体の方が変異するのじゃ。呼吸も心拍も極端に減る、ほとんど止まっている程にの。かろうじて血は流れ、息もしておるが、ひどく緩やかなものじゃ。そして肉体の成長も止まり、老化も止まる。皮膚が黒く冷たくなり、傷口があれば固まって塞がる。治癒はせぬ、溶けた蝋が冷え固まるように、冷たく固くなるだけじゃ」
死にかけた肉体が変異する
呼吸も心拍も、緩やかなもの・・・
「それがレムナントじゃ」
成長も止まり、老化も止まる
皮膚が黒く冷たくなり・・・
そうだ、わかった。何が僕の心に引っかかったのか。
その答えを、ナナが淡々と告げる。
「おぬしらもよく知っておるじゃろ。ナガヌママゴイチ。あやつが最初のレムナントじゃ」
ナガヌママゴイチ
ヌガノマはレムナント。
隕石の落下から、身を挺してキクタを庇い、左腕、左足、左眼を失って、ヌガノマは死にかけていたの。
その彼の中に、アルカナが入った。
アルカナは消滅することなく、死にかけていたヌガノマはレムナントとなり、生き残る。
黒く冷たい皮膚と、老いぬ体。
あやつも、とナナは云った。
つまり、ハナもレムナント。
だから、黒い「泡」を持つけれど、すぐに死ぬわけではない。
「うむ。「泡」はあくまでその体の状態を色で示すのみ、じゃからの。それがレムナントかどうかなぞ、泡にはわからぬ道理よ」
か細く幼いハナの声で、淡々とナナはそう云って、Jを見る。
「おかっぱ、憂いは晴れたかの」
ナナの淡い灰色の眼には、Jをいたわるような慈しむような、そんなやさしさがあるように僕は感じた。
Jは、じっと白い木のテーブルを見つめていた眼を上げて、
「ジョウノジーン、Jです」
ナナをまっすぐに見てこくりとうなずく。
「おかっぱのJ、じゃな」
ナナは、ふむ、とうなずいて、
「金髪、おぬしは」
Lを見て、尋ねる。
「ミクリヤミカエル、Lだよー」
ニッと陽気な笑顔で、Lは答える。
「ふむ、儂はナナ。そこでブランコにはしゃいでおるのがハナじゃ。かわいかろ」
そう云って、ナナはにっこりと笑う。
ハナと同じ笑顔のはずなのに、やっぱり違う。何か凄みみたいなのが、ある。
これは、何なのだろう。
「これは何とな。おぬしが縮んで失くしたものじゃ、年の功というやつよ」
凄みのある笑顔で、ナナににらまれた。
あはははー、とハナが楽しそうに笑う。
「キクタ、またナナちゃんに怒られたねー」
それを聞いたLが、ぷっと吹き出して、楽しそうな笑顔で云う。
「おまえ、どーしたの。早くもいじられキャラ確定なの」
いじられキャラって何。
いや、それは別にいいけれど、なんでLはそんなに楽しそうなの。
「いやあ、うちのおじいちゃんが、みんなに愛されてるなあってね?」
よくわからない。また疑問形だし。
「ね、Lってわかりにくいでしょ。Kが愛されキャラでうれしいって事かな?」
そう云って、Jがいつもの笑顔になってくれたので、まあ、結果オーライかなと僕は思う事にする。
「それで」
と、笑いを収めて、Lがナナに向き直り、
「ナナちゃんはハナちゃんの中にいるの。Kの中にガブリエルがいたみたいな感じかな」
いつものように、ずばり核心を陽気な声で尋ねる。
本当に、いつもながらこういう時のLは頼りになる。話が早い。
「左様」
めんどくさそうに、ナナは短くそう答えた。
話の早さで云えば、彼女も負けていないかも。
「ああ、面倒で思い出したわ。おぬし、先程何やら云うておったの」
くるりとナナがこちらを向いて、急に僕に話を振るので面食らう。
面倒で思い出した?先程何やら?
それだけのヒントでは、何のことかさっぱりわからない。
「歯痒い奴じゃの。わからんの何のと云うておったじゃろ。ほれ、あやつの事じゃ、アイザック・アインシュタイン・・・」
「わあああ!」
ナナが云いかけるのを、ハナが突然大声を出して止める。
「ナナちゃんー、それはないしょだよー。だれにもいわない、やくそくのー」
揺れる電車ブランコの上では、JとLがきょとんとした顔でハナを見つめてる。
うん、内緒だよね。
もうハナが云っちゃったけれど。
「そじゃったかの」
ナナはオレンジの海の空を見上げて、素知らぬ顔をしてる。
なんなの、ふたりとも。
とぼけるのも嘘もへたなの。
「アイザック・アインシュタイン?」
なんだそりゃ、という顔でLが僕を見て、Jを見る。
「アイのこと、でしょ」
しれっとJが云うので、僕はびっくりした。
J、知ってたの。
「え、うん。だって、わたし、教会の子だよ」
あ、そっか、それは、そう。
アイの養子縁組は、小学校に上がる前、という話だった。
それまで、Jはアイと一緒に育ったんだ、ホタルが丘教会で。
改名する前の、アイの元の名前を知らないはずがない。
「改名?なに、あいつ、アイザック・アインシュタイン・アンドウって名前だったの」
Lが素っ頓狂な声を上げる。
いや、養子縁組の前だから、アンドウは付かないけれど。
「やれやれ、結局、おぬしが全て暴露してどうする」
また、僕はナナににらまれる。
元はと云えば、ナナが口を滑らせたくせに。
「へえー」
Lは、ニヤニヤ笑ってる。
少し意外な反応だった。もっと、何て云うかこう、痛烈に皮肉ったりするのかと思った。
「え、オレが?いやあ、しないよそんな事。だってほら、うちもだろ。双子でミカエルとガブリエルって大概じゃね?センスで云えば、アイザック・アインシュタインとどっこいなイイ勝負だろ?」
ふふん、と苦笑いをして、
「まあ、まだそれに気づいてなかったちっちゃな子供の頃とはいえ、オレも愛犬にラファエルって名前付けちゃったからねー。もうひとりいたら四大天使が揃っちゃうとこだぜー?だから、名付けのセンスに関しちゃ、なんも云えねーなー」
はっはー、といつものように笑い飛ばしてる。
それなら、まあ、良かったけれど。
「それで、アイがわからんの何のって、あいつのアルカナの事?」
ズレまくった話題を、Lが軌道修正してくれる。
「それよ、金髪の」
ナナがこれ幸いと話を元に戻す。
「あやつがおぬしの騒動を覚えておる事、それにハナのサングラスが見えておる事、それをわからぬとおぬしは云うたの」
確かに、云った。
アイは僕の行方不明事件を覚えているし、ハナのサングラスも見えていた。
でも、アイはこのオレンジの海につながっていないし、何か能力を持っている様子もない。
だから、アイはわからない。
確かに、僕はそう云った。
「ふん、だから、全て失くす、と。それを・・・まあ良い」
また何かブツブツ云いかけて、めんどくさくなってナナは止める。
ナナの「まあ良い」は本当に良いのかな。実はちっとも良くはないのでは。
「五月蠅い、それは良い。アイの事じゃ」
また怒られた。
わはははー、とブランコを揺らしながらハナが笑ってる。
ふふん、と鼻で笑って、
「結論を云えば、あやつにもアルカナは入っておる。おぬしのこの「海」とつながるはずのアルカナじゃ。但しおぬしも云う通り、何故か「力」に目覚めておらぬ。その原因は、儂にもわからぬ」
ナナは云い、何やら考え込む表情になった。
それならやっぱり、アイが認識を消されないのも、ハナのサングラスが見えるのも、この公園や工事現場の塀の中に入れるのも、アルカナのおかげ、なのだろう。
「ひとつあるとすれば、あやつは未熟児じゃったの」
ぽつりと、思い出したみたいにナナは云った。
ぴこん、と何か閃いたみたいに、ハナが包帯ぐるぐるの右手を上げて、
「あー、カプセルー!アイザッ・・・ちがった、アイちゃんはねー、赤ちゃんのとき、カプセル入ってたんだよー。こーんなにちっこかったー」
こーんなに、と包帯ぐるぐる巻きの人差し指と親指で輪を作ってみせるけれど、いやいや、さすがにそこまでちっこくないでしょ。
「ちっこかったよー、こーんなだよー」
ハナは僕の目の前に右手をかざして見せながら、ふくれっ面でそう云ったけれど、揺れるブランコに「ちゃんとつかまってろよー」とLに云われた事を思い出したらしい、慌ててその右手でまた手すりにつかまる。
アイが未熟児で、カプセルって?
透明なガラスケースのような、保育器?のことだろうか。
「うむ、小さく生まれた故な。半年か1年ばかり入っておったか。つまり金髪やおかっぱとアルカナが入った時期は同じでも、あやつは半年か1年ほど年上じゃ。金髪どもが0歳なら、あやつは1歳になっておったという事よ」
あの、人一倍体の大きなアイが未熟児だった、というのも驚きだけれど。
それよりも、
「え、じゃああいつ、年齢詐称じゃね。1コ上なら中学生だろ」
Lが云って、僕もJも目を丸くする。
そうなる、よね。
12年前の冬、白いおくるみに包まれて、教会の入り口に置き去りにされた赤ちゃんは、4人とも1歳未満の乳児だと思われていた。
だから、引き取った神父さん(Jのお父さん)は、4人を見つけた日を誕生日にして、0歳児として育てていた、けれど。
「実際は、未熟児で「0歳児に見える1歳児」がひとり混じってた、って事だなー。いやあ、そりゃわかんねーだろ、見た目じゃ。何か専門的な検査でもすりゃわかんのかもだけど、教会じゃそんなのしないだろーしなー」
はっはっはー、といつものようにLは笑っているけれど。
え、それは笑い飛ばしていい事なの、かな。
「良いも悪いも、そうするよりなかろ。笑い飛ばさんで何とする。如何にして真相を明かすのじゃ。市役所の戸籍係の職員やら小児科の医者やらを、あの地下へ案内でもするつもりかえ」
あきれ顔でナナが云う。
それは、そう。
それに、いま仮に「アンドウアイは、実は中学生だ」と声高に叫んだとしても、冗談だと思われるか、何を云ってるんだと笑われるか、だよね。
Lの云う専門的な検査まですれば、それが証明できるのかもしれないけれど、逆に云えば、そんな大掛かりな検査でもしない限りは、それは誰にもわからない。
「うん、実際は採血するくらいだから、云うほど大掛かりでもないらしいけどね?生物学的年齢検査、だったかな。DNAの老化具合を調べるとか何とか。まあでも、わざわざするようなもんでもないよねー」
ニヤリとLは僕を見て笑う。
「だからかー。なんとなく、お兄ちゃんぽいとこ、あったよね」
しみじみとJが云うので、なるほどと僕も腑に落ちた。
アイも自分で云ってたよね「あいつは、妹みてえなもんだから」って。
まさか本当に自分の方が年上だったとは、思ってもいないのだろうけれど。
「なるほどねー」
Lがうなずいて、
「そのアルカナが入った時の年齢的なズレが、あいつがいまだに目覚めない原因かも、って事?」
ナナに尋ねる。
「あくまで、かも、じゃ。0歳が1歳じゃろうが、あやつに問題なくアルカナが入ったのは間違いない。あるいは、他の要因があるのやも知れぬ」
ナナがそう答えるのを聞いて、僕はMの話を思い出してた。
王の話、僕が特殊な例という話、だっただろうか。
『肯定します。事例としては、初なのです。アルカナが人の意識に入ったのも、それほど事例が多いわけではありませんが、少ないながらも無事は確認できています。しかし、人の意識の中にいたアルカナが、別の人に入った初めてのケース。それがK、あなたです。とは云え、何も変わりはないのかもしれません。アルカナが人に入るのと、同じなのかも。けれど、そうだと断言することは、やはり私にはできません』
Mのせいでも何でもないのに、申し訳なさそうにMはそう云ってた。
アイの場合も、同じだ。
アルカナが人に入る、その事例自体が、少ない。
未熟児で、0歳ではなく1歳になっていたアイに、アルカナは無事に入った。けれど、それがどんな影響を及ぼすのかは、誰にもわからない。
「疑問の解決には至らぬが、あやつについてはそうした事情じゃ。ひとまずそれで由とせよ」
ナナは云って、
「では、ハナよ、帰るとしよ。おぬしらも参れ。見せたいものがある」
ぐるりと僕らを見回す。
見せたいもの
おぬしらも参れ、って、ハナのお家に、それがあるのかな。
「えー、もう帰るのー?電車ブランコー」
ハナは不満そうに口を尖らす。
「電車ブランコは逃げやせぬ。また学校の帰りに来ればよかろ」
ナナは云って、
「おねぇちゃんに此奴らを会わせてやるのじゃ」
ニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべる。
いたずらっぽい、と云うには、凄みがありすぎるのだけれど。
「わーい、キクタ、おねぇちゃんに会いに行こー」
またスイッチを切り替えるようにくるりと満面の笑顔になって、ハナが僕の手をぎゅっと両手で握りながら云う。
Lが立ち上がり、電車ブランコから片足を下ろして地面につき、ブレーキをかけてくれた。
とは云っても、小さなハナのためにゆるゆる漕いでいただけだったので、すぐにブランコは止まる。
Lが先に降りて、下からハナに両手を伸ばしてる。
ハナがぴょこんと電車ブランコの床に飛び降りて僕の手を離し、Lの腕に飛び込むようにぴょんと跳んだので、びっくりした。
「うひょー」
Lが奇妙な嬌声を上げて、ハナを抱っこしたので、まさか、と思った。
Jもハッとした顔で僕を見ている。
「ハナチャンハナチャンーカワイイネーカワイイネー」
両手でハナを抱き上げて、もしゃもしゃのドレッドヘアに顔をうずめながら、あの甘ったるい声でLは云う。
「きゃー」
ハナはハナで、電車ブランコが動いた時と同じうれしそうな悲鳴を上げて、にこにこ笑っている。
いや、ちょっと待って、そんな事より
僕、ハナの手を離しちゃってるけど、だいじょうぶなの。
ナナが僕の海にいるのに?
オレンジの海で、目の前に座るナナが、憐れむような眼で僕を見て、大きなため息をついている。
「おぬし、・・・はあ、まあ良い」
呆れて物も云えぬ、とその黒い顔に書いてあるようだった。
また、まあ良い、なの。絶対、まあ良くないでしょ、それ。
「K、しっかりして。ナナちゃんはだいじょぶ、でしょ。Kが手をつないでも離しても、関係ない、でしょ」
Jが、諭すように僕に云う。
え、あ、そうか。
王は、他の王とつながることが出来るから。
え、じゃあ僕は手をつながなくてもハナと話せるの。
「おかっぱよ、此奴、いよいよボケておるのか。おぬしも大変じゃの」
ナナが、同情するような眼でJを見て云う。
Jは困ったような笑顔を浮かべて、
「え、いやあ、あははー?」
何と答えたものかわからないようで、笑ってごまかしていた。
ごめん、ちょっと混乱してた。
僕の海とつながりのないハナとは、ずっと手をつないでいないといけない、そんな勘違いをしてた。
ナナが王だから僕の海とのつながりは問題にならないし、それならJの云う通り、手をつないでも離しても関係ない、よね。
電車ブランコを降りて、ふと公園を眺めて思い出す。
そう云えば、Nの姿が見えない。
クロちゃんは、と見るといつもの物置小屋の屋根の上に彫像のように立ち、僕らを見守ってくれている。
眼が合うと、ほんの少し首をかしげて、「どうしたの」みたいな顔をしてる(ような気がした)。
電車ブランコを降りたJが僕の横に並んでくるりと公園を見渡し、クロちゃんに手を振ってから、
「ほんとだね、Nちゃん、今日はお休みかな」
小首をかしげて、残念そうに云う。
律儀なNが、月曜に公園へ顔を出さない?
そんな理由なんて、僕にはちょっと思い当たらなかった、けれど。
Jの云うように、Nにもお休みは必要かもしれない。
何より、Nはネコなのだし。気まぐれは天性のものなのかも。  
「参るぞ、南じゃ。港湾地区のククリ島へ」
ナナが云う。
ククリ島
海沿いの広い河口にある中州になった島、だったろうか。
地震の後の再開発で、全く新しい街ができたとか。
残念ながら、僕は行ったことはなかったけれど。
ひとしきりハナとじゃれて満足したのか、仲良く手をつないだLが、
「おーう」
と元気に返事をして、ハナの手を引いて歩き出す。
「おーう」
ハナもLを真似て元気に声を上げ、きゃっきゃと楽しそうに笑っている。
「いやあ、かわいいわねー」
オレンジの海のテラスでは、椅子にだらしなく崩れるように座ったLが、にやにやと締まりのない顔で笑って、
「こんなかわいい子、今までどこに隠してたの」
何故か僕に聞いた。
なんで僕なの。それに、隠してもいないし。
「丁度、眠りの時期での。少し前に眼を覚ましたところよ。今回は2年程じゃったの」
さらりとナナが云う。
そしてちらっと僕をにらんで、
「ところでおぬし。このテーブルは飾りかの」
つんとあごを上げて、僕を見下ろすような眼で云う。
実際には、ハナの体で僕より小さいので、見下ろされているわけではないけれど、何だろうこの威圧感。
それに、テーブルは?もちろん飾りじゃないけれど。
ナナに何を云われたのかわからず、きょとんとしていると、Jが小声で
「K、お茶か何か、出してあげて」
そう僕に囁く。
まあこの距離なので、小声で囁いてもナナには聞こえているだろうし、もちろんJもそれは承知の上だろう。
「水だけで良いぞ。レムナントは、食事も必要ないのじゃ。僅かな水さえあれば、死なぬ」
しれっと怖い事を云う。
本当に水でいいのかなと思いつつ、僕はぱちんと指を鳴らして云われた通りグラスに入った水を4つ、テーブルの上に出した。
給食の時間を、思い出す。
ハナはパンを少しかじって、牛乳をほんの少し飲んだだけだった。
「眠りの時期かー。じゃあ、基本的には睡眠だけで、もろもろ補給できるって事なの」
そうナナに尋ねるLの顔は、まだだらしなくにやけてる。
あ、そうか、ハナと手をつないで歩いてるから、意識の方もにやけちゃうのかな。
「左様」
短く答えて、ナナはグラスを手に取り、小さく一口水を飲んだ。
何か、まだご機嫌斜めなの。水が美味しくなかったのかな。
「さにあらず」
ちらりとナナはまた僕をにらむ。
そして、くるりとJを見て、
「おかっぱよ、この瀟洒な小屋は、おぬしが建てたのじゃったな」
唐突にそんなことを云う。
瀟洒な、小屋?
コテージだけれど。
「いちいち五月蝿い奴じゃの。おぬし、少し黙っておれ」
また怒られて、またハナが「わはははー」と楽しそうに笑う。
どうしてハナは、僕が怒られるのがそんなに好きなの。
「はい、わたし、ですけど」
僕がナナに怒られ続けるのが忍びなくなったのかな、Jが手を上げて、話を戻してくれる。
「うむ。なかなか小洒落た良き家じゃが、未だ足りぬ」
そう云って、ナナはまた僕をふっとにらんで、
「此奴が何も彼も失くしておる故、詮無しとはいえ、迂闊すぎるぞ。これでは、丸聞こえじゃ」
そう云った。
ナナがしきりに「失くしてる」と云うのは、先代キクタの記憶の事なのだろう。
先代の記憶がない僕は、ナナから見るといろいろと不甲斐ないらしい。
何か云いかけては「まあ良いわ」とため息をつくのは、たぶんそのせい。
このコテージは、確かにJに建ててもらったもので、それ自体はナナも「瀟酒」で「小洒落た」「良き家」だと褒めてくれてる、けれど。
未だ足りぬ
迂闊すぎる
丸聞こえ?
まる見え、ではなく。
「何か防犯対策てきな?あー「丸聞こえ」だから、盗聴対策かなー」
Lが云うと、
「それよ」
また短く答え、ナナはうなずく。
防犯対策、盗聴対策?
意識空間の?
確かに、Lの秘密基地ならそのドアを、Jのお庭ならそこへ通じる窓を、それぞれ閉じてしまえば、声のつながりは途切れる、けれど。
オレンジの海は「王」の意識空間で、みんなとつながってる、んだよね。
僕のこの果てしなくだだっ広い「海」で、何をどう閉じたらいいの。
「・・・」
またナナは僕をにらんで、何か云いかけて口を開いたけれど、そのまま何も云わずに口を閉じる。
もはや喋るのもめんどくさいのかな。
Jが、細くて長い人差し指をあごに当てて、
「丸聞こえ。つまり、外に聞こえないように、閉じればいいの、かな。ふむー」
と、考え込む。
「何、小難しく考えるでない。分厚く高い壁で取り囲んで塞ぐ必要もないぞ。尤も、それが一番わかりやすいのじゃが、それでは折角の景観が台無しじゃろ」
何でだろう、ナナは、LやJには、ずいぶんやさしい気がするのだけれど。
「当然じゃ。儂は子供に優しいのよ」
ふふんと鼻で笑われた。
僕だって子供だけれど。
「何を云う、耄碌爺いが」
ばっさり一太刀。
しかも、モーロクじじいって。
どんどんひどくなってる気がするんだけれど、扱いが。
「うーん」
あごに人差し指を当てたまま、Jがすっと立ち上がる。
お願いしますJ先生、これ以上は、僕のメンタルが耐えられないかもしれない。
「わははー、キクタ、おもしろーい」
ハナがきゃっきゃと楽しそうにはしゃいでくれるのは、何と云うか癒されるし救いなのだけれど。
「わははー、おまえ、おもしろいねー」
なんでLまで楽しそうなの。
「いやあ、だって怖いもの知らずのおまえが、ねー?これ、アイに見せてやりてーなー」
はっはっはー、とLは豪快に笑い飛ばしてる。他人事だと思って。まあ、他人事だけれど。
Jがゆっくりと人差し指をあごから離し、右手を高く掲げる。
僕は女神に祈りをささげるような気持ちで、胸の前で指を組んだ手を合わせてJを見上げる。
ぱちん、とJが指を鳴らして、コテージの両端、テラスの先の砂浜に、何かがポンと現れた。
あれは・・・
「ほう」
ナナが薄い灰色の眼を細めて、にんまりと微笑む。
木彫りのトーテムポール、だろうか。
ハワイとかパプアニューギニアとかの南の島にありそうな、小ぶりなトーテムポールだった。
南国リゾート風な木造のコテージには良く似合う。さすが、J先生。
「トーテムか、考えたの。上出来じゃ」
うむ、と満足げにうなずいて、ナナが太鼓判を押す。
「ナナちゃんのヒントが良かったから。壁で囲まなくていいなら、柱かなって。あの、何て云うの、マンガとかでよくある、忍者とか魔法使いが、地面に何か陣みたいなの描いて・・・」
うーん、とJがあごに指をあてる。
「結界、とかか?」
Lが云うと、ぴこん、とJの人差し指が立つ。
「そう、それ。コテージの四隅にトーテムを立てて、結界?を張ってるイメージで、ね」
ふふふ、と人差し指を立てたJが笑顔になる。
カラフルなトーテムに、ざっくりと彫られた動物のモチーフは、犬、ネコ、鳥、ウサギ、だろうか。
「えへへ。ラファエルとNちゃんとクロちゃん、だよ。ウサギは、かわいいから、って云うのもあるけど、盗聴防止でしょ。ウサギの耳が外を向いてたら、んん?あれ、逆によく聞こえちゃう?」
はっと口に手を当てて、Jは困った顔になる。
「構わぬよ。外の音が良く聞こえる分には問題なかろ。中の音が漏れねばそれで良いのじゃ」
ふふん、とナナが笑うと、Jもほっと息をついて笑顔に戻る。
「おー、うさぎさんー、かわいいねー。Jちゃん、すごいねー」
ナナの眼を通して、ハナにも見えているらしい。にこにこ笑って、ハナが云う。
これで、僕の「オレンジの海」での会話は、「丸聞こえ」じゃなくなったのかな。
テラスに出ていても、コテージを囲むトーテムの結界の範囲内であれば、会話は外に漏れない、って事だよね。
僕もほっと一安心して、椅子にもたれかかる、と、
「何を腑抜けておる。おぬし、外へ出よ。早速実験じゃ」
くいっとあごで砂浜を指して、ナナが云う。
結局僕なの。ずっとこの扱いは変わらないのだろうか。
「おぬしの家じゃろ。家主が確認せんでどうする」
しっしっと野良犬でも追い払うみたいに、ナナは雑に手を振ってる。
それは、仰る通りだけれど。
立ち上がってテラスの階段を下り、トーテムの外側まで出る。
あの砂浜の流木は、トーテムの内側だった。さすがJ先生。
これなら流木に座って話していても、だいじょうぶ。
流木の横を通り過ぎ、波打ち際まで進んでコテージを振り返って、「おーい、聞こえるー?」と大きめな声で呼んでみた。
「ほお、こりゃおもしれー」
Lの声が、「海」からではなく、あれ?耳から聞こえる?
「今のはこっち、体の方の声なー」
ハナと手をつないで前を歩くLが振り向いて、僕に云う。
あ、そうか。僕は外にいるから、聞く側だよね。
ハナもくるっとこっちを向いて、
「キクタ、ナナちゃんが、「たわけー」って。「おぬしがはなしてどうするんじゃー」って、怒ってるよー」
わはははー、と楽しそうに笑われた。
そうだよね、それは、そう。
ナナの怒声が、僕には聞こえない。つまり、結界は効いているって事だ。
成功して、うれしいはずなのに、なんだかしょんぼりと肩を落として、僕は砂浜をとぼとぼと歩き、コテージに戻る。
「ふふふ」
魔法の笑い声が耳元で聞こえて、見ると隣を歩くJが灰色がかった眼を細めて微笑んでる。
オレンジの海ではなく、ハナのお家へ向かって、いっしょに歩いている方のJが、
「いつもしっかり者のKが、ナナちゃんの前だとドジっ子になっちゃうの、なんでかな。不思議だね」
そう云って、また、ふふふ、と笑った。
なんでかな、僕にもわからない。
僕は、いつも通りのつもりなのだけれど。
眼の前を歩くLとハナは、仲良く手をつないで、弾むような足取りで、今にも鼻歌でも唄い出しそうなくらい楽しそうだ。
そんな楽しそうなふたりの後ろ姿を見ているのに、何故かきゅっと胸をしめつけられるような気がして、僕は戸惑う。
ふと、こんな場面を以前にも見た事があるような、そして同じように胸が苦しくなる感覚を味わったような、奇妙な既視感を覚えた。
これは、何だろう。
キクタの記憶、だろうか。
「ねー、ナナちゃん」
いつの間にかコテージの椅子にまっすぐ座り直していたLが、めずらしく神妙な顔つきでナナを見て、云う。
「ハナちゃんの包帯の、わけを聞いてもいい?」
ふむ、とつぶやいて、ナナの薄灰色の眼は、どこか遠くを見ている。
白い星の砂浜の、トーテムポールの向こう、オレンジの海の波打ち際の方を。
教室で尋ねた時、ハナは「あとを隠してるんだよー」と云ってた。
何の「あと」なのかと聞いたら、「んんー、わかんないー」と笑ってた。あっけらかんとした、あの笑顔で。
「火傷じゃ」
短く、ナナは答える。
やけど
ナナはちらっとLをにらんで、
「金髪よ、トーテムで結界を張らせたのは、ハナの秘密を語るためではないぞ」
はあ、とため息をつく。
「じゃが、あの子に聞かせまいとするおぬしの気遣いには、礼を云おう」
そう云って、ナナはLに向かい、丁寧に頭を下げた。
一呼吸おいて顔を上げたナナは、水の入ったグラスを見つめ、少しの間黙り込んでいた。
結界の有無に関わらず、ナナの海でつながっているハナには、こちらの声は届いてるはず。
でも、僕らにもそれが自然とできていた事から考えて、同じようにハナに声を聞かせる・聞かせないの選択もできるのだろう。
ナナがお礼を云ったのは、Lはさっきの質問を、ハナには聞かせないよう、僕らとナナの間でだけ聞こえるように云ったから、という事。
「おかっぱに、この海を外から遮断させたのは、何も内緒話をするためではない」
もう一度そう云って、ナナはまた、海を見る。
「おぬしらはまだ子供じゃが、子供ゆえに、邪な輩に眼を付けられぬとも限らぬ。現に、M何某やらいう、得体の知れぬ者が接触して来たのじゃろ」
ふう、と薄い息を吐いて、ナナは
「何も必要以上に恐れたり警戒する必要はない。儂らに明確な「敵」はおらぬからの。普段通り、慎ましく真面目に、おとなしく暮らしておれば、虎の尾を踏むような事はまずなかろ。結界は、念のための保険に過ぎぬ」
ナナの色素の薄い灰色の眼がゆっくりと動いて、Jを見て、Lを見て、そして僕を見る。
「おぬし、夢を見たろう」
そう、ナナは云った。
「地下道で、4人の赤子を抱いた若いふたり連れと、儂が鉢合わせた所よ。あれは儂の「記憶」じゃ。儂らの「海」にあるその記憶を、ハナが夢に見ておったのよ。間の悪い事に、いや、かえって良かったのやも知れぬが、その時、儂はこの「海」につながり、浜でのんきに寝ているおぬしを呆れて眺めておったのよ」
ナナは苦笑いを浮かべる。
確かにあの時、僕はこの「海」の砂浜の流木で、クッションを枕にして眠っていた。
云い訳するつもりはないけれど、そこで眠ろうとして眠ったわけではなくて、海を見ていてそのままうっかり眠ってしまっただけだった。でも、いま思えば、ナナの云う通り、迂闊だったのかも。
「まあ良い。おかげでこうして、12年ぶりに金髪とおかっぱの元気な顔が見れたからの。あの時は、赤子の顔も見せてもらえなんだが」
ほんの少し口の端を上げて、ナナは皮肉っぽく笑う。けれど、すぐにその笑みは消える。
「あの時は、儂もそれどころではなかった故な。おぬしが見た夢の記憶では見えなかったじゃろうが、儂はあの時、腕にハナを抱いておった」
何故か、すーっと冷たいものが背中を滑り落ちるのを感じた。
ナナの視線がテーブルに落ちて、また水の入ったグラスを見るともなしに見る。
「半身に火傷を負って、死にかけているハナを腕に抱き、どうすることもできぬ絶望に、儂はただ呆然としておったのよ」
ハナと同じか細く幼い声で、淡々と、ナナはそう云った。
南へ向かう僕らは、商店街の広い歩道を歩いていた。
前を歩くLの足が止まる。それより先に、隣を歩くJの足が止まって、僕も思わず足を止めていた。
Lと手をつないでいたハナも立ち止まり、不思議そうにLを見上げて、
「Lちゃんどうしたのー?つかれちゃったー?」
心配そうに、下からLの顔を見上げてる。
「あー、ごめんごめん。ぜんぜん疲れてないぜー」
はっはー、というLの笑い声に、いつもの元気はない。
それでもLは、ハナの眼をのぞき込んでニッと笑いかけ、また歩き出す。
「めんぼくねー、オレから聞いといて、このざま」
コテージの椅子にもたれ、Lは片目をつぶって苦い笑顔を見せる。
「何を云う、平然とされたら儂も困惑するわ」
ふっとナナは笑って、
「火傷じゃ。で、話を終わらす事も考えんではなかった。じゃが、あの火災は、おぬしら4人にも全く関係のない話ではないからの。済んだ事じゃ、気に病むな。ハナは今も元気に生きておる」
そう云われて、そうだよね、と思った途端、
「おかげでずっとかわいいままじゃ」
悪気はないのか、それともわざとなのか、とても重い事実をナナはニヤリと笑顔で云う。
「何じゃ、おぬし。ハナがかわいくないと申すか」
鼻息を荒げて、ナナが僕に食ってかかるけれど。
そうじゃないでしょ、論点をずらさないで。
成長しない、年を取らないレムナントになった事を、「ずっとかわいいまま」なんて、そんな云い方は、ちょっと・・・。
「聞いたか、金髪よ。差別発言じゃ。こやつ、レムナントを差別しておる」
包帯ぐるぐるの右手で僕を指さして、ナナは云う。
急に巻き込まれて、Lは困ったように苦笑してる。
差別なんてしてないでしょ、僕はそんなつもりは。
「ごめん、あの、じゃあ、ナナちゃんは?」
僕らの不毛な云い争いを遮るように、Jがめずらしく大きな声で云った。
「ナナちゃんの体は、どこにいるの」
灰色がかった眼に今にもこぼれ落ちそうなほど涙をためて、Jはまっすぐにナナを見ていた。
ナナちゃんの体は、どこにいるの
云われて、はっとした。
ナナとハナの関係が、少し前までの僕とガブリエルと同じものなら、ナナの体は今もどこかで眠っているはず?
いや、違う。同じじゃない。
同じであるためには、ナナの体にハナの意識が入ってないといけない。
ハナとナナは、僕とガブリエルとは、同じじゃない。逆なんだ。
ナナが王で、ハナがその次の王なのだとしたら、次の王の中に、王の意識が入ってる事になる。
「その通りじゃが、ちと違うの」
そう云って、ナナはゆっくりとグラスを手に取り、小さく一口水を飲む。
「まったくおぬしら、少しは子供らしく、何でも素直にハイハイと鵜呑みにしたらどうじゃ。可愛げのない」
ぐるりと僕らを見回して、ナナは何故か、ふふんと笑った。
「ハナを見よ、素直でかわいいじゃろ。純真無垢で、天使のようじゃ。あの笑顔を守るためなら、何でもできると思わぬか?」
ナナは微笑みを浮かべる。あの凄みのある笑みを。
「王はハナじゃ。儂はその前の王。死して全てをハナに引き継いだ。あの笑顔を失くさぬためにの」
Jの灰色がかったきれいな眼から、涙のしずくがこぼれて落ちた。
まっすぐにナナを見つめ、Jは黙ったまま、大きな灰色の眼からきれいな涙のしずくをぽろぽろと流していた。
オレンジの海のコテージに、沈黙が降りてくる。
遠く遠慮がちな波音が、やさしく響いている。
「どうやって?」
その静寂を静かに破るかすれた声が、Lのものだと僕は最初気づかなかった。
いつもの陽気なハスキーボイスの影もない、のどに詰まるような苦しげな声。
どうやって
王が亡くなると、その記憶は全て次の王に引き継がれる、Mは確かそう云ってた。
『文字通り、次の王、です。王が亡くなった後、その王の記憶を受け継ぐ者です。私はA-0の次の王でした。私がA-0の「記憶」を引き継いでいるのは、そのためです』
ナナが亡くなれば、ハナがそのすべての記憶を引き継いで王になる。
けれど、ナナはハナの中にいる。
亡くなったのに?
「さて、魔法かの。さもなくば、奇跡というやつか」
ナナは笑みを浮かべたまま、Lを見る。とぼけているのだろうか。
それとも、Lを試しているの?
何か理由があってそう思ったわけではなかったけれど、ふと、そんな考えが僕の中に浮かんだ。
コホンと咳払いをして、のどに詰まる何かを消し去ろうとするみたいに、Lが低い声で、
「ハナちゃんは、次の王。つまりハナちゃんの中にもアルカナがいたんだよね?」
そう尋ねる。
「左様」
ナナの答えは短い。
「レムナントの定義は、「人の体が死にかけている状態、即ちその人の意識はすでに死んでいる状態で、アルカナが入る。人の意識はすでに死んでるから、アルカナが消滅する事はない。赤ん坊でなければいけないという条件も、その人が死にかけていれば無視される」だよね?」
そう尋ねるLの声に、いつもの力強さが徐々に戻っているような気がした。
「左様」
淡々と、ナナは答える。薄い灰色の眼が、熱を帯びているように見えたのは、僕の錯覚だろうか。
「アルカナ人間、じゃなかった、えーと、アニー?だったっけ。その呼び名、オレたち誰も使ってなくね?まあ、いいけど。その、アニーの意識は、他のアニーに入ることができる、ただし?」
そう云って、Lの青い眼が僕を見る。きらきらと何かにきらめく眼。何か、わかったのだろうか。でも何が?
アニーの意識は、他のアニーに入ることができる、ただし、
海とのつながりと記憶の大半を失う。
「じゃあ、もしそのアニーが死にかけていたら?」
そう云って、Lはまっすぐに僕を見る。
半身に火傷を負って、ハナは死に瀕していた。そのハナに、ナナの意識が入った、のだろうか。
ハナの体の中にいたのは、ハナの意識、つまりアルカナだ。そこへ入ったのは、ナナの意識、アルカナ。
アルカナ同士であれば、入れる。入ったナナは、消滅しない。
けれど、海とのつながりと、記憶の大半を失うはずでは。
条件が違うのだろうか。
死に瀕していたから?レムナントになる、肉体の変異の方が強く出た、という事?
魔法かの。さもなくば、奇跡というやつか
ナナがそう云ったのは、その事?
「残念。K、ひとつ忘れてるぜー」
Lがいつもの声で云って、人差し指をちっちっと振る。
「入ったのと入られたのが、王と次の王だった。つながりは消えないし、記憶も失くさない。おまえとガブリエルみたいにね、順番は逆だけど、問題にならねーんだろ。意識の問題はそれで解決。レムナント化は、それこそハナちゃんが死に瀕してたから、だろ。ナナちゃんの狙いは最初からそれだったんだ。死にかけてるハナちゃんを救うため、あえてレムナントになるって手段を選んだ。意識が問題なく入れるのなら、あとは体の変異を受け入れさえすれば、ハナちゃんはレムナントになることで助かる。
王の記憶が引き継がれたのは、なんでかわからん。レムナント化による不具合かなー。あるいは、王は自分の意思で記憶を次の王に引き継げるのかも。現役チャンピオンが突然引退するみたいにね。それともナナちゃんには、そこまで計算尽くで予想してた、とか」
復活したLの推理は冴え渡り、弁舌は小気味良くぶんぶん回っている。
ふふん、とナナは鼻を鳴らして、
「概ね正解じゃが、最後のは深読みしすぎじゃ。予想などできぬわ」
ナナに笑顔でにらまれて、Lは肩をすくめてみせる。
「そうなの。なーんだ、それも「年の功」ってやつなのかと思ったぜー」
陽気な声で、Lはそう云って、Jを見て、
「だから、おい、J、泣くな。ナナちゃんは死んでねーぞ、たぶんどっかその辺で寝てんだろ」
ふふん、と笑う。
「え、でも・・・」
まだ涙をぽろぽろこぼしながら、Jはナナを見る。
「死して、すべてを引き継いだ、って」
薄い灰色の眼を細め、慈しむようにJを見ていたナナが、ふわりと椅子を下りて、Jの横に立つ。
そして爪先立ちで背伸びをして黒い左手を伸ばし、Jのさらさらの黒髪をそっとなでた。
そしてそのまま、僕とLを交互に見て、
「見よ、おかっぱのJは素直でかわいいじゃろ。純真無垢で、天使のようじゃ。それに比べて、おぬしらと来たら、本当に可愛げがないのう」
ニヤリと笑って云う。
え、ちょっと待って。
うちのJを泣かしておいて、何その云い草。
「そう思うなら、きっちりしっかり守らんか。開けっ広げに砂浜なんぞで寝とる場合か」
ふん、と鼻息を荒げて、また怒られた。
それは、ぐうの音も出ない、けれど。
「Jよ、驚かせてすまんかったの。Lの云う通り、儂は生きておる、安心せい」
そう云って、Jににっこり笑いかけ、ナナはまたふわりと椅子に戻る。
そして一変、まじめな声音になって、
「じゃが、これは内緒の話ぞ。アイザック・アインシュタインどころの話ではなく、ハナの身の安全に関わることじゃからの。表向き、儂は死んだ事になっておる。そう心得よ」
ナナはそう云った。
ハナの身の安全に関わる?
ナナがハナの中で生きている事が、人に知られてはまずい何かがあるのだろうか。
Lも首をかしげて、
「でも、敵はおらぬ、ってさっきナナちゃん自身が云ったよね?」
そう、ナナに尋ねる。
ナナは小さく首を横に振り、云った。
「明確な敵は、じゃ。例のM何某のみならず、の。12年前の地震で引き上げた連中には、おぬしらの云う「アニー」もいくらか含まれとる。認識を消されず、覚えておる奴が少なからずおるのじゃ」
地震で引き上げた連中
軍の研究者やその家族、その中にアルカナを持つ者がいる。
当然、彼らの認識は消えない。
地下施設も、ロリポリも全て覚えている。
「特に、ナガヌマに執心しとった連中が厄介じゃの。噂じゃが、どこぞに隠れて不埒な実験をしておったとも聞く。レムナントは、ある意味、不老不死じゃ。実際には口で云う程容易いものでなし、厳密に云えばゆっくりと歳を取り、いずれは寿命を迎えるのじゃが、彼奴等にしてみれば、格好の研究材料であり、世界をも動かせる程の金の卵よ。老いぬ体、その人類永劫の夢に、いくらでも金をつぎ込む輩は、世界中にごまんとおるじゃろうからの。儂が死んだ事になっておるのも、これまでハナが隠れて暮らしておったのも、それが理由よ」
めんどくさがりなナナが、面倒じゃと云わずにゆっくりとそう話す。
それだけでも、事の重大さが十分に伝わってくる。
「でも」
すっと指先で涙をぬぐって、Jがナナをまっすぐに見て、
「それなら、どうして、転校なんて。ハナちゃんの安全のためには、少しでも目立たないようにした方が良いって、ナナちゃんもわかってるのに」
そう尋ねると、ナナはまたちらっと僕をにらむ。
「それよ」
ふん、とナナは鼻息を荒げて、
「此奴の所の「跳ねっ返り」が、余計な事を云うてハナをそそのかす故じゃ」
腹立たしそうに、けれど小声でつぶやくように、そう云った。
直接、僕に文句を云ったところでしかたがない、とナナにもわかっているから、という事なのかな。
でも、跳ねっ返り?って、何。と云うか、誰?
僕の所?と云うのも、何の事やら僕にはさっぱりわからないのだけれど。
JとLも、不思議そうに首をかしげてナナを見て、僕を見る。
僕も同じように首をかしげて、肩をすくめる事しかできなかった。
ふふん、とナナはまた少しいたずらっぽく笑って、
「今にわかる。ほれ、見えて来たぞ」
と云う。
いつの間にか商店街を抜け、川沿いの広い道はゆるやかに河口へと続く下り坂になっていた。
視線の先には頑丈そうな大きな鉄橋と、そこからつながる川の中州には近代的なビルの一群が見える。
ククリ島
12年前の大地震による津波で、甚大な被害を被ったというそこは、その当時の名残も見当たらないほど、立派なビルの立ち並ぶ、未来都市のような姿に生まれ変わっていた。
「一際目立つビルがあろう。バベルの塔がごとき異彩を放つあれよ。あそこが、儂らの今の住処じゃ」
面白くなさそうな顔で、ナナが云う。
今の住処が、あまりお気に召さないのだろうか。
「然り。仰々しいにも程があろ。まあ、セキュリティは万全らしいがの」
ふん、とナナは、鼻息まじりのため息をつく。
云われるまでもなく、真っ先に眼に飛び込んでくる巨大ビルだった。
渦を巻きながら天へと伸びるその姿は、ナナの云うように古い絵画で見るバベルの塔か、巨大な巻貝のよう。
地上何階くらいあるのだろう、かなり高そうだけれど。
「地上30階、地下5階って聞いたぞ。下の方は大型ショッピングモールとビジネス街で、上の方が分譲マンション、さらに上がホテルって話だったかなー。地下は駐車場と発電や何かの機械設備だとか何とかってね」
何でも知ってるLが、さらりと概要を教えてくれる。
「金髪、詳しいの。あれもミクリヤかえ」
ナナが尋ねる。
あれもミクリヤ?
え、あのお城もLのお父さんの。
「あのお城もって何だよ。うちの親父がお城マニアみたいじゃん。違うけどね?」
Lはニヤッと笑って、
「うちの分家と子会社が、下の方のショッピングモールと一番上のホテルにちょっとからんでるってだけ。あのビル自体は、アメリカの複合企業体が管理してるんだって。その名もザ・カムパニーって会社、というか企業体。で、うちの分家もそのカムパニーに加わってるらしいよー」
複合企業体
はじめて聞く日本語だ。協同組合みたいな感じかな。
分家、って云う単語もなかなかパワーがある、気がする。
「複合企業体は、協同組合とはちょっと違うけど、会社が集まってできてる組織って意味では、まあそんな類いのもんって理解でいいんじゃね。コングロマリットとか、単に巨大企業って云う事もあるねー。分家はパワーワードか?でも文字通りの分家だからなー。九曜グループって聞いたことある?会社名もクヨウ。うちの家紋が九曜紋だから、そこから取ったんだって。ひい爺さんの代に、その爺さんの妹が外国人に嫁いだんだけど、その時に妹思いのひい爺さんが財産を半分に分けたらしい。やり手実業家だった夫の外国人が次々に日本で事業に成功して、九曜グループを立ち上げたんだって。その九曜がグループ企業まるごと、カムパニーに参画してるんだって話だよー」
そう、Lが解説してくれた。
他人事のように、あまり興味もなさそうに、だったけれど。
「え、うん。だって興味なくね。分家だから親戚とはいえ、ひとんちの話だもん。情報として一応知ってるって程度でねー」
Lはそう云って、つまらなそうに肩をすくめている。
そういうものかな。僕には全然わからない世界だ。
何故かナナがまた僕を見て、はあ、と軽いため息をついている。
また、まあ良いわ、だろうか。
例によって、それには触れずにすっと眼をそらし、
「複合企業体、成程の」
何かに納得したみたいに、ナナは小さくうなずいていた。
話している間に巨大な橋に差し掛かる。
僕らは、丸い瀟洒な屋根付きの立派な歩道を歩いて、その橋を渡る。
頑丈そうな鉄の橋は二階建てになっていて、歩道と車道の下を、鉄道が通っているらしい。
大きな橋だけれど、下を列車が通過すると、波打つようにふわふわと揺れた。
ハナはそれが楽しいようで、つないだLの手に両手でぎゅっとつかまって、橋が揺れる度にまた、きゃっきゃと嬌声を上げていた。
橋はまっすぐに、バベルの塔のような巨大なビルにつながっていた。
ビルの1階はレストラン街で、広いオープンカフェや屋台村のような屋外のフードコートも橋から見下ろせる。
2階には橋からつながる鉄道の駅があり、3階は歩道からそのままビル内の各フロアへ進めるようになっているらしい。
車道はまっすぐにビルを突き抜けてまた橋になり、河口の対岸へと続いているようだった。
直進する道路はビル内で分岐して、ホテルやマンションのエントランスへ、また外壁をぐるりと回り込むように地下の駐車場へとつながる道もあるらしい。
僕らは歩道をそのまま進んでビルに入ったけれど、ショッピングモールには入らずに外周の通路をしばらく歩く。
ハナは家への道順がしっかり頭に入っているようで、「こっちこっちー」とLの手を引いて巨大ビルの中をずんずん進んで行った。
僕は、まだ人通りの少ない通路ながらも、すでに目が回りそうだった。
いくつか分岐を経て、上階のマンションへの直通ルートらしい通路に入る。
通路の正面がガラスの扉で塞がれて、ハナがだぶだぶの制服のブラウスの胸元から、首に下げた革製のパスケースを「んしょ」と引っ張り出す。
扉の脇の端末にハナがカードキーをかざすと、ぴっと軽やかな電子音が鳴ってガラスの扉がするすると開いた。
左右に並ぶ4基のエレベータの、扉の上の階数表示が「3」の次が「16」だった。そして1刻みに「23」まで。つまりマンションは16階から23階までの8フロアあり、このエレベータでは、マンション以外の階には直接行くことはできないらしい。
ナナの云うセキュリティとは、これの事なのかな。確かにこれなら、住民以外がマンション部分に勝手に入り込むことは難しいだろう。
けれど、住民は少し不便じゃないのかな、と思う。
例えば、24階より上のホテル部分や、15階から下のビジネスフロアに職場がある場合などは、一度3階まで降りて、別のエレベータへ移動して、そこからまた目的の階まで上ることになる、よね。
「こーいうとこに住む人は、そーいうの気にしないんだろ、きっと」
ハナの代わりにエレベータの呼びボタンを押してやりながら、Lが小声で云う。
周囲に僕ら以外に人はいなかったけれど、公衆の場でのエチケットてきな何か、だろうか。
一見まるで無頓着だけれど、意外とLはそういうところ、すごくしっかりしてる、よね。
「意外と、って何だよ。ちょいちょい失礼だよなーおまえ」
くっくっとLは声を抑えて笑う。
あ、ごめん、そういう意味ではなくて。ほらそうやって、静かに笑うところとかも。
「褒めてるんだよね、K。確かにLは、そういうの、ちゃんとしてるね。お嬢様だから?」
Jが云うと、Lは眉をしかめて「うえっ」という顔をする。
「何それ。ちょっとナナちゃん聞いてよ、Jがオレのこと差別するんだけど。ミクリヤ差別?」
また自分で云っておかしくなっちゃったらしい、Lはぷっと吹き出して、小声でけらけら笑う。
「埒もない」
ふふん、とナナは鼻で笑ってる。
やっぱりLには甘いらしい。声音がやさしい。
手をつないだLが笑うので楽しくなったのか、ハナもLに倣って小声でくすくす笑う。
エレベータが到着して、軽やかなベルの音が鳴り、扉が開く。
乗り込みながら、Lが
「ハナちゃんのお家は、何階なの?」
ハナに聞くと、
「にじゅうさん、だよー」
元気にハナが答える。
23階
Lが指先で軽く押す行き先階のボタンの並びで、23はマンション部分の最上階だ。
扉が閉まり、エレベータがするすると上昇を始める。
こんな高級そうなマンションの最上階に住む「おねぇちゃん」って、いったいどんな人物なのだろう。
ハナが云うには、キクタのおともだち、という事だったけれど。
「おじいちゃんの?」
Jが僕に聞く。
うなずいて、たぶん、と答える。
僕にはまるで心当たりがないので、先代キクタのおともだち、なのだろうけれど。
「ほほう」
Lの青い眼が、きらっと光った。ような気がした。
何か、わかったのかな。
「おい、おまえさー。そのアイみてーなの、やめよ?」
ニヤリとLは笑って、ぴんと立てた人差し指を僕に向け、
「考えろ、K。考えることをやめちゃダメだぜー。考えなくなったら、人間はただの葦になっちゃうからね?」
何だか不思議な事を云って、ぱちんときれいなウィンクをする。
人間は、考える、葦である、って事?
ほほっと声に出してナナが笑い、
「云い得て妙じゃの」
Lを見て、満足げにうなずいてた。
「あし?あし?」
ハナは不思議そうにLを見上げて、右足をちょこっと上げて、つないでいない方の右手で、その足を指さして首をかしげる。
そんなハナをLは両手で抱き上げて、
「もーハナちゃんは、カワイイワネーカワイイネー」
また甘ったるい鼻声を上げて、ぐりぐりと頬擦りする。
ハナは「きゃー」と歓声を上げて、またにこにこ笑っている。
いいけれど、他に誰も乗ってないし。でもエレベータも公共の場なのでは。
チン、と軽やかにベルが鳴り、エレベータが止まる。
扉が開くと、ほのかに甘いお花のような香りがした。
4基の扉が並ぶエレベータホールの先には、両開きの扉がひとつ。
思わず振り返ってみたけれど、反対側には何もない壁。
この両開きの扉の向こうに、23階の住居が並ぶ廊下があるのだろうか。
Lが抱いていたハナを、扉の前にそっと下ろす。
ハナが首に下げたカードホルダーを、扉の横の壁にあるパネルにかざす。
ここにもカードキーが必要なの。セキュリティは確かに高そうだけれど。
ガチャッとロックが解除され、両開きのドアが自動的に内側へ開いていく。
自動ドアなの。
いちいち驚いていたけれど、本当に驚くのはそこではなかった。
開いたドアの向こうに想像していたような廊下はなく、そこは広い広い、リビングだった。
リビングというより、何かのホールかショールームのような広さ。
「え、1フロアぶち抜きで借りてんの。おねえちゃんって、どんな大富豪なの」
ひゅーっと音を出さずに口笛を吹いて、Lが途方に暮れたように云う。
複合企業体、というLの言葉を僕は思い出す。
このビルは、その巨大企業が建てたもの。
その最上階の、1フロア丸ごとを借りて住めるような人って、その複合企業のどこかの社長とか重鎮、なのでは。
広いリビングの向こうには、大きな窓があり、その向こうには青い海と空が広がる。
「海の見える高いところ」に住んでるって、ハナは云ってた。
まさにその通りで、全然間違ってないけれど、これは想定外だった。
後ろで扉が自動で閉まり、ガチャッとロックが掛かるのが聞こえた。
「おねぇちゃんー、ただいまー」
ハナが元気にそう云って、広いリビングをとことこ駆けて行く。
戸惑いながら、僕らもハナの後に続く。
リビングの奥、窓の手前にこちら向きに大きなソファが置かれていて、そこに誰か座っている、のだろうか。
窓からの外の光が強く、ソファも座る人影も黒い影にしか見えない。
「あれー、ナナちゃんー、おねぇちゃん、寝てるよー」
ソファの手前で立ち止まり、ハナが云う。
「たたき起こしてやるが良い。客じゃぞ、と」
ナナがそう云いかけるのを、ハナは大きく首を横に振って、
「ううんー、ナナちゃんよく見てー。長いほうの寝るやつだよー、おねぇちゃん、起きないよー」
口を尖らせて云う。
長いほうの寝るやつ
起きない?
あの「眠り」の事だろうか。
では、「おねぇちゃん」も、能力者?
近づいて、ソファの前に立つハナの後ろに立ち、僕は自分の眼を疑った。
黒い革張りの大きなソファに斜めに身をもたせかけ、右腕を上げ、頬杖をつくようにして眠り込んでいる、女性。
それは、僕のよく知る人だった。
でも、どうして
なんでここに、ルリおばさんがいるの。
何かの間違いか、あるいは、これは長い長い夢では。
そう、僕は思った。

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