午後になって少し雲が出てきたけれど、ぽかぽかの小春日和はまだ続いていた。
軽トラックの窓からスズキの親分に見送られて、ルナとふたり、並んで南の通学路を歩く。
右手に下げた通信会社のロゴ入りの紙袋がちょっぴり重くて、指に紙紐の跡が付きそうだ。
中にはスマホの保証書とマニュアル、と云うのかな、何やら分厚い取扱説明書の冊子と、充電ケーブルと充電器が入ってる、らしい。
スマホを買ってくれると云われて、気軽にスマホ本体だけを、ほいと受け取ればいいのかと思ってたけれど、そんな事はない、よね。
ほいと渡されたスマホ本体は、制服のズボンのポケットに入ってる。
「俺と若様、それから嬢ちゃんのアドレスは登録しておいたからな、いつでもメールしてくれていいぜ」
親分はちょっと得意げにそう云って、ニヤッと笑ってた。
「ありがとう」と僕は親分にお辞儀をしたけれど、メールを送るのは、たぶん親分だけになるかな。
ガブリエルやルナとは、「海」で話した方が早いよね。
僕のスマホは、親分やガブリエルが持ってたものより一回り小さくて、あまり手が大きくない僕にはちょうど良い感じだけれど、子供用なのかな。
なんとなくそう云ったら、隣を歩くルナが、
「違うよ、そーいうモデルなんだよー。ルナのといっしょー」
ポケットから金色の自分のスマホを取り出して、ちらっと見せてくれた。
ほんとだ、一緒、に見える。たぶん、だけれど。
ルナはスマホも金色なの。
イメージ的に、かな、ルナにはよく似合ってる、けれど。
今まであまり興味もなかったので、スマホにそんないろんな大きさの種類や、色が違う物があったりするの、全然知らなかった。
父も母も、もちろんスマホは持ってるけれど、あまり家の中でスマホを触ってるところを、見たことがなかったので。
ふたりのスマホがどんな大きさでどんな色だったのか、全く記憶にないくらい、見覚えもなければ、やっぱりそれほど興味もなかったのかも。
僕のは、ほとんど黒に近いくらいの濃いグレーだった。
ポケットから取り出して、画面をのぞき込むと、真っ黒な画面に時刻の表示が白く浮かび上がってた。
今は、15時35分、らしい。
すぐに今の時間がわかるのは、便利、だよね。
商店街を南へ歩きながら、なんとなくそうつぶやいたら、
「え、キクタ、いったい何時代の人なの。あーそれと、歩きスマホはあぶないよー」
のんきな声でルナはそう云って、ころころと鈴が転がるみたいに笑ってた。
それは、そう、確かに危ないよね。
納得して、スマホをポケットにしまう。
何時代の人って?
そっか、今時の子はみんなスマホを持ってるから、いつでも時間がわかるのが普通なのかな。
「そうねー」
いつもの「ふぅん」と同じ適当な感じで、ルナは歌うように返事をする。
商店街を抜けて、川沿いの遊歩道へ入る辺りで、
「ねー、昨日のあのメガネの人、ハンスちゃんだっけー」
さっきと変わらない無邪気なトーンで、けれど声に出さずにルナは「海」で云う。
「あの人が、「人造アルカナ」のアニーなのねー」
そう、だけれど。
僕らは、ルナにその話をしてたかな、と心の中で首をかしげる。
いや、直接ルナにそう説明した覚えはないけれど、昨日もあの場に一緒にいたのだし、話の流れでなんとなくわかった、のかな。
そうでなくとも、ルナはやたらと勘が鋭そうだし。
「その人造アルカナの研究を続けてたのが、昨日、あの岩のプールにいたハンスちゃんのお父さん、えーと、アンダーソン博士だねー。でも、博士はその研究を途中で諦めちゃった。なんでかって云うと、人造アルカナを作るには、本物の「人の意識」が必要ってコトに気づいちゃったからー、だよねー」
そう、その通り、だけれど。
昨日、あの場に一緒にいただけで、そこまで詳しくわかったの。
びっくりして思わずルナを見たら、んん?と薄っすら微笑んで、赤い眼で僕を見て、
「だって、キクタがそう云ってたから、だよー」
ふふん、とNみたいに鼻で小さく笑って、
「けど、博士のとこにいた悪いやつ、ブラウン?だっけ、その人が博士の研究を盗み出して、こっそり完成させちゃったー。それが、ハンスちゃんの中に入ってる「人造アルカナ」、なのよねー」
ふわりと揺れるように、後ろで手を組んで、とんとんとステップでも踏むみたいに、川沿いの歩道で跳ねる。
その場でくるりとこちらを向くと、ルナは僕の顔をのぞき込むように見て、
「その材料になったのが、「るなの意識」なのかなー」
いつもの力の抜けたような笑顔、だけれど。
ルナの赤い眼は、まるで何かに挑むように、あるいは僕を試そうとでもしてるみたいに、きらりと光って、じっと僕の眼をのぞき込んでた。
その材料になったのが、「るなの意識」なのかなー
いつも通りのんびりとした無邪気なルナの声音で、軽やかな鈴音のように響いたその声は、けれど鋭い刃のように、僕の心に真っ直ぐに突き刺さる。
ハンスの人造アルカナの材料になったのは、ルナの意識、なのか。
それは、僕にはわからない、けれど。
可能性で、云えば・・・。
そう口ごもる僕を見て、くるん、とおどけるように、ルナは赤い眼を回して。
「あらー、ほんとだー、みこちゃんの云う通りだねー。素直で正直ー、まちがいないよー」
あははー、とまるでハナみたいに、ルナは幼い声で笑う。
まさか、とは思うけれど、
それが聞きたくて、ルナは、僕のゴーグルを外させたんじゃ、ないよね。
いや、そんな事より、
人造アルカナの材料の話、そして、ルナに人の意識がない(かもしれない)その話は、僕らは、ルナの前では一切してない、はず、だけれど。
んんー、囁くように云って、ルナは赤い眼をいたずらなネコみたいに細める。
そして、ぴこんと人差し指を立てると、それで自分の耳をちょんちょんと指して、
「だって、「聞こえ」ちゃったんだよー」
いつもの調子で云って、ふにゃっと可笑しそうに相好を崩す。
いや、笑い事、じゃない、よね。
「そぅお?」
わざとおどけるように、ルナは笑顔のまま肩をすくめてみせると、くるりとまた前を向いて、川沿いの歩道をゆっくり歩き出す。
雲間からのぞく午後の日差しに、きらきらと川面がきらめいて、ルナは眩しそうに赤い眼を細めてる。
「じゃー、怒るー?「なによー、人の意識を勝手に使っちゃってー」って?」
そう云ってちらりと僕を振り返り、ふふっとまた小さく笑う。
「でも、るな、みこちゃんが頑張って作ってくれた、えーと「擬似意識」だっけ?「擬似アルカナ」?まーどっちでもいいけど、これ、すごく、気に入ってるんだよー」
だからねー、と云って、ルナはスキップするようなリズムで、ととん、と歩道を跳ねて、
「笑うのが正解だよー」
そう云って、心から楽しそうに、あははー、と笑ってた。
笑うのが正解
その笑顔はとても自然で明るくて、無理や虚勢は少しも感じられない。
けれど・・・。
「いやあ、おまえさー」
不意に、陽気なハスキーボイスが「海」に響いて、びっくりするのと同時に、どこかほっとしてる自分に、僕は少し驚いてた。
L、聞いてたの。
「ごめん、立ち聞きなんてシュミの悪いコトする気はぜんっぜんなかったのよ。ホントによ?ただ、「海」で誰か話してるなーと思って、ドア開けたら、「聞こえ」ちゃった。まじごめん」
ひょこっとドアから顔を半分だけ出して、Lは祈るように顔の前で手を合わせて、
「でも、一言だけ云わせて」
お祈りの手の後ろから、云う。
ルナが「ふぅん」と笑って、
「「聞こえ」ちゃったら、それはしょーがないよねー。いいよー、なあにー?」
いつもの鈴音の声で、からりと応える。
ルナチャンさんきゅー、と、Lはぺこりと小さくお辞儀をして、
「おまえさー、それ、おまえも一緒だってー」
僕も一緒
ルナと、って事?
「そーだよ。おまえが、おじいちゃん「キクタ」本人だった事と云い、おまえが御子の「抜け殻」だった事と云いさー、こっちはいちいちヒヤヒヤしながら聞いてんのに、当の本人のおまえだけは、平然としてたじゃん。なんなんだ?すげー無理してんのか?って思ってたけど、今のでわかったわ。当の本人だからこそ、わりとすんなり消化できるもんなんだな、って。もちろん、本人にしかわからない何かがあって、その上で納得してるんだろーけど」
そう、Lに云われてみて、なるほど?と思う。
僕が「キクタ」本人だった事も、僕が御子の「抜け殻」だった事も、確かに、Lの云う通り、僕にとっては、特にショックでも何でもなく、「へえ、そうなんだ」くらいの事だった。
ルナの意識が、人造アルカナの材料として使われてた(かもしれない)事の方が、僕にとってはよっぽどショッキングだけれど、ルナにとってそれは、「ふぅん」と笑って済ませられるくらいの事、なの。
「そうよー。だって、るなは、るなだしー」
軽やかにルナは笑って、
「それにさー、今さら、「じゃあやっぱり、るなの意識、返すよー」って云われてもねー。いらないよー。そんなの返してもらっても、るなが、るなじゃなくなっちゃうかもしれないでしょー?それか、るなが、ふたりになっちゃうのかなー?それも困るよー」
それは、そうなのかも。
今さらどうにもならないし、現時点で特に不自由はしてない、むしろ気に入ってるくらいなら、そのままの方がいいに決まってる、よね。
ありがとう、L。
「礼を云われるよーな事?」
はっは、とLはドアからひょっこり顔を出して笑う。
「まあ、またおまえが、「けれど・・・」とか云って深みにハマりそーだったからね。ちょっと横から口出ししたくなっただけだぜー」
「あー」
ルナがぴこんと人差し指を立てて、
「それ知ってるー、ローバシンってやつだよねー」
老婆心?
「あら、ずいぶん難しい言葉を知ってるのねえ」
何故か、Lはルリおばさんの口真似で云うけれど。なんでなの、よく似てるけれど。
「さっき、みこちゃんが云ってたんだよー。「ローバシン、余計なオセッカイ、かな」ってー」
ルナがそう説明したら、Lは楽しそうに、はっはーと陽気な声で笑ってた。
だから僕は、ゴーグルの件で、御子から「老婆心ながら」ってアドバイスを貰った話をLにする。
「なるほどね。んで、ゴーグル外したところへ、ルナチャンから一杯食わされたんだ。おまえ、ほんと、かわいい子に弱いよねー」
一杯食わされたし、弱いのも確かだけれど。
「でも、みこちゃんの云う通りだったよー。キクタの眼は素直で正直、それはイイコトだよー」
何故かルナが、僕の肩をぽんぽんと叩いて、慰めてくれてるけれど。
Lの楽しそうな笑い声は、オレンジの海にこだまのようにずっと響いてるし。
Lはそのまま「おじゃまするぜーい」とか云ってテラスに飛び下りると、どっこらせ、といつもの席に座る。
それなら、と思って、テーブルの上に僕の視界の窓を出す。
もう、いっそ出しっぱなしでいいような気もするよね、この窓。
「あーあー、イイナー、オレもおまえのクラスに転校シタイナー」
だらりと椅子にもたれて、Lは妙な鼻声で、へんなひとりごとを云い始める。
「だってさー、右手にハナチャン、左手にルナチャン、だぜー?天国じゃん」
両手を広げて、ギャングみたいな眼帯を嵌めたLは悪い笑みを浮かべて云うけれど。
確かにハナは右の席だけれど、ルナは左じゃなくて後ろの席だし。
「Lも学校に来ればいいじゃん」
しれっとルナが核心を突いて、Lは胸を押さえて「ぐはっ」とか妙な悲鳴を上げてる。
そんなに嫌なのかな、学校へ行くのが。
制服は、休みの日でも着てるくらい大好きなのに。
「いや、あのね、オレもいろいろ忙しいのよ?」
それは、なんとなく知ってる。毎晩遅くまで、いや、明け方近くまで?何やらひとりで黙々とやってるらしい事は。
「なんか、そー云うと、怪しげな研究とかしてそーじゃね。違うからね」
ニヤリとLは笑って、
「ホームスクーリングってやつね」
ふふん、と鼻を鳴らす。
ホームスクーリングって
L、もしかして、飛び級でどこか大学でも目指してるの。
「あれ、よくわかったね。ホームスクーリングって、別に飛び級を目指すためだけってわけじゃねーのに」
だって、「Lだから」ね。
学校へ行かずに家で勉強をするホームスクーリングの制度は海外ではかなり一般的になっていて、中学や高校へは行かずにホームスクーリングで大学のオンライン講座で勉強をして、飛び級で大学へ入学する子も多いらしい。とか、父の見ていたテレビで見た覚えがある。海外のニュースかドキュメンタリー番組だったかな。
「へえ、じゃあL、海外の大学行くのー」
ルナがふわりと尋ねると、
「まあ、受かればねー」
さらっとLが答えるので、驚いた。
そんなにすぐの話なの。将来的に、とかではなく。
「だって、今年卒業だから、いいタイミングかなと思ってさ。このまま中学入学しちゃうと、だらだらと、また3年後とかになりそうじゃん」
だらだらと、しちゃうかどうかは、L次第のような気もするけれど。
「だからでしょ。絶対だらだらしちゃうだろーから、そーしないために、どっか大学受かったら、春から海外行こっかなーってね」
やる気があるのかないのか、Lってよくわからない。
「やる気はないわよ。でも、さっさと大学入って、とっとと卒業しちゃえば、あとはシメたもんだろー。ずーっと好きなことだけして生きていけるじゃん」
はっはっはー、と妙に陽気なテンションでLは笑う。
そんな単純なものではないことくらい、もちろん「Lだから」わかってるのだろう、けれど。
もしかして、学校がめんどくさいのかな。だから一刻も早く、大学まで全部を終わらせてしまいたいって事?
「まあね」
あっさりとLは認めてる。
「じゃあ、もし中学にゲンゴローが先生でいたらどう?」
ルナがイタズラっぽく眼を細めて尋ねると、
「そりゃ中学行くでしょ」
当然と云わんばかりに云い切って、Lはふふんと笑ってた。
やっぱり、Lの価値観はよくわからない。
いつの間にか川沿いの遊歩道から、ビッグブリッジへ上がってた。歩道がつながってるので、いつも自然とそのまま、道なりに進むだけなので。
「そー云えばさー、あの人、かっこいいねー」
隣を歩くルナが、唐突に「海」でそんな事を云う。
あの人
どの人の事かな。
スズキの親分?ではないよね。
「ちが・・・、んにゃ、おっちゃんもかっこいいけどー」
否定しかけて、慌てたのかネコみたいな声を出して、
「ほらー、金の左手の、黒い眼帯の、えーと、マゴイチ?だっけ」
ああ、ナガヌマ?
「そーそー、ナガヌママゴイチー、かっこいいねー。えーと、マゴちゃん?」
マゴちゃん?
Lですら「ナガヌマちゃん」呼びなのに、いきなりマゴちゃんって。
ナガヌマに怒られるよ?
「へえ、ルナチャン、ナガヌマちゃんに会ったの。あーそう云えば、オレも昨日初めて見たんだった。そこに立ってたよねー」
Lがテラスの向こう、砂浜の流木の辺りを指して云う。
あ、そうだった。
ホワイトが現れた時だ。みんな「海」につながってたから、ナガヌマの姿が見えたはずだし、声も聞こえたのかな。
「聞こえたぜー、渋いしゃがれ声だったねー。確かにかっこいいよなー、マゴちゃん」
Lまで「マゴちゃん」呼びになってるし。
怒られるよ?
「怒らないよー。だって、子供に甘いって、みこちゃん云ってたじゃん」
へへー、と軽やかに、ルナは笑ってる。
そう云えば、御子はそんなコトも云ってたっけ。
「相変わらず、人の云うコトは聞かないし、何物をも恐れないし、子供には甘いし、困った将校サンだね」
あ、それで思い出した。
L、カントリーロードって、何?
「おい、なんだ、藪から棒に。カントリーロード?」
「あーそれ、マゴちゃんが云ってたんだよー。「カントリーロードだ」って」
ルナが無理やり低い声を出して云うのは、ナガヌマの真似なのかな。あんまり似てないけれど。
「それは、どーゆー話の流れなの」
Lが首をかしげて、けれどその青い眼は、何やらきらきらと光ってる、ようなので。
僕は、さっき御子とルナを連れて「海」の記憶の保管庫へ行ったこと、そこに新たにルナの梯子が増えてたこと、そして、ナガヌマが現れて、御子と話してたことをLに伝える。
「ちょうどいい、「左足」も来ている事だしな。聞きたい事がある」
そう云って、ナガヌマは御子に「左眼の在処」を問おうとした、けれど。
「それを聞いてあなたはどうするの」
問い返す御子に、ナガヌマは淡々と、既に生命を失くした自分にはどうする事もできないと告げ、
「どうするかは、「キクタ」に任せてある。」
そう云って、ちらりと僕を見て、
「尤も、モニカによれば、既にキクタは計画を立てていたそうだが」
そう云いかけるのを、御子に止められた。
それは生命あるものの理に触れる、と御子は云う。
未来を知る事
死者に語りかける事が出来ないのと同様に、僕らはそれを聞く事が出来ない。
御子はそう云ってた。
すると去り際に、ナガヌマは云った。
「カントリーロードだ」
ぽつりとひとりごとのように。
「かつておまえは、そう呼んでたそうだ」
そう云い残すと、ゆらりと陽炎のように揺れて、姿を消してた。
Lの青い眼が、きらきら輝いて、
「かつて、「そう呼んでた」?それに、「既にキクタは計画を立てていた」?その計画のコードネームかな。カントリーロード?」
首をかしげる、と
ふわりと「海」でレースのカーテンが揺れて、
「Country roads, take me home to the place I belong・・・」
また、いい声で歌ってるのは、ガブリエルだよね。
カントリーロードって、歌なの。
「うん。アメリカの古いポップス、ジャンルはカントリーなのかな。流行したのは、70年代だそうだから「キクタ」がベースにいた頃、だねえ」
からからと貝殻の風鈴が鳴って、ガブリエルがひらりとテラスの前の砂浜へ降りて来る。
ぱちんと指を鳴らしたつもりで、テラスのテーブルにふたり分のお茶を出す。
「ガブちゃん、歌上手ねー」
ルナが感心してる。確かに、ガブリエルは声もいいし歌も上手いよね。
「ありがとう。Kはルナを送って、マンションへ行くところかな。ボクも向ってるよ、ハンスのとこだけど」
ハンスのとこ
キクヒコさんの件の相談かな。
「うん、それもあるし。ベースの資料をまるっとコピーさせてもらう約束をしたんだ。うちには、英語に強い頼もしい姉がいるからねえ」
「おいコラ、勝手にアテにすんな。全文翻訳とか、そんなめんどくせーコトやらねーぞ。ネットの自動翻訳にぴこぴこ打ち込んで読めばいいじゃん」
「おや、じゃあミカエルは貴重な軍の資料を見なくていいんだね?」
「はあ、何云ってんの。コピーしてもらうんだろ?オレにもそのコピーをおまえがコピーしてくれりゃいいだろ」
「翻訳はしてくれないけどコピーだけ寄こせって?わがままなお嬢様だなあ」
忘れてた。
このふたりの会話も、僕はいつもヒヤヒヤするんだった。
「えー、それ、るなも見たいなー。でも、全部英語なのねー」
ビッグブリッジの歩道をスキップするみたいに軽快に歩くルナの横顔に、ちらっと悪魔の笑みが浮かぶのを僕は見てしまった。
この子、怖いかも。
「え、なーんだ、ルナチャンも見たいの。じゃあ翻訳するよー。ばりばり翻訳して、みんなに転送しまくるぜー。軍の機密文書をなー」
ふはははー、子供番組の悪役みたいな笑い方をLはしてるけれど、まんまと罠に嵌ったのは、Lの方、だよね。
ガブリエルは苦笑して肩をすくめると、
「後で、ゲンゴロウ先生の所にも寄っていいかな。キクヒコのデータもコピーさせてほしいんだ。ほとんど、ハンスのものと同じだろうけど、比較と参考のためにね」
「いいよー」
ルナがまるで我が家のように気安く云うので、何だかうれしくなる。もうすっかり、ルリおばさんの部屋にも馴染んでるって事かな。
「もしかしたらその「カントリーロード」は、キクヒコの方にしかないかもしれないし、さ」
ガブリエルがそう云って、確かに、と思う。
キクタの個人的な計画なのだとしたら、ベースの資料にはなく、キクヒコさんだけが持ってる可能性は高いかも。
きらり、とLが眼を輝かせて、
「おい、それ、オレにも寄こせ」
うれしそうに云う、けれど。
やっぱり、まんまと罠に嵌ってるよね、それ。
Lは気にする様子もなく、
「で、それ、どんな歌なの」
好奇心の方が何より優先されるみたいだ。Lらしいと云えば、とってもLらしい。
「そのままだよ。「田舎道を辿って、懐かしい故郷へ帰ろう」って歌だねえ」
懐かしい故郷へ帰ろう
それが、「キクタ」の計画?
ぴこん、と何かが僕の中でつながる。
それって、もしかして・・・。
はっはー、Lが陽気に笑って、
「そーいう事かなー。さすがおじいちゃん、記憶を失くしても、ちゃんと同じコト云ってるじゃん」
ロリポリを、宇宙へ帰す、その計画って事?
そんな夢のような話を、「キクタ」は真面目に計画してたの。
「それも、Mちゃんに聞いたらわかるかもなー。「モニカによれば」って、マゴちゃん云ってたんでしょ。モニカちゃんの記憶を見てるMちゃんなら、知ってるんじゃね」
それは、そうかも。
このタイミングで、Mのところへ行ける、というのは、何かがつながりつつあるような、そんな予感さえする、ような気がする。
あの日以来、あちらからは何の音沙汰もないけれど。
M、本当にあのロリポリの中に、いるのかな。
Lたちと「海」でしゃべりながら、そんな事を思ったりもしつつ歩いていたら、いつの間にか、あのビルの3階のマンションのエントランスへ着いてた。
「道」も出さずに、特に迷ったりする事もなく、無意識に。
やっぱり、無意識って強いのかな。
なんとなく、以前、Jとそんな話をしてた事を、ふと思い出してた。
ガラス扉の前で、
「じゃあ僕はここで」
そう云って回れ右をしたら、ギンガムチェックのスカートのポケットから、カードキーを引っ張り出してたルナが、
「え、なんで」
がしっと片手で僕のランドセルを掴んで。
「寄っていきなよー。ハナもおねーちゃんも待ってるよー。後でガブちゃんも来るしー」
云われてみれば、そう。
どうして僕は、早々に帰ろうと思ったんだろう。ここまで来て、ハナの顔も見ずに?
このところ連日、みんなとは顔を合わせてるから、かな?
「否」
オレンジの海で、そう声がして、
「オモチャで遊びたかったのであろ」
ふわりと、Lの隣のいつもの席にナナが現れる。
何なのみんな、急に出てくるの、流行ってるの。
「いやあ、こんだけ「海」でわいわいしてる気配がしたら、そりゃ気になるよねー。たぶん今頃、Jも聞き耳立ててるんじゃね」
はっは、楽しそうにLは笑ってる。
て云うか、ナナ、オモチャって何?
「それよ、手に下げた袋の」
手に下げた袋
スマホの事?
早くスマホで遊びたかったから、僕はさっさと帰ろうとした、の。
「違うと申すか」
ナナが不思議そうに首をかしげる。
違う、と思う、けれど。
僕はナナの前にもお茶を出しながら、答える。
「ほう、それは意外じゃの」
意外、って。
「昔のおじいちゃんは、新しいオモチャを手に入れると、ハナチャンも放ったらかしにして遊んでた、って事じゃね」
ニヤニヤしながらLが云うと、
「左様」
ナナはあっさりうなずいてる。
「てっきり、またその病気が出たのかと思うたが。違うのか」
違う、と思う。
ナナに云われるまで、手に紙袋を下げてた事すら忘れてたくらいだし。
「なんでもいいよー。行くの?行くんでしょ?」
カードキーで自動扉を開けたルナが、僕のランドセルをぐいぐい引っ張ってドアをくぐる。
行くの?行くんでしょ?って
「行く」しか選択肢がないのでは。
いやもちろん、断る理由もないし、行くのだけれど。
ガブリエルが可笑しそうにくすくす笑って、
「なるほど。Kには、ルナみたいな多少強引なくらいの子が、案外合ってるのかもしれないねえ」
何だかしみじみと、親戚のおばちゃんみたいな無責任なコト云ってた。
エレベーターで23階へ上がって、ルナがカードキーで部屋のドアを開ける。
「おかえりー」
ハナが待ち構えてたみたいにリビングを駆けて来て、ルナと並んで立つ僕を見て、驚いた顔で僕らの顔を見比べて、前で足踏みしてる。
「あはは、ただいまー」
ルナが笑って両手を差し出すと、ハナがぴょんとその腕に飛び込む。
「今、キクタとるな、どっちへ行こうかなーって迷ってたの。ハナはかわいいねー」
にこにこしながら、ルナはLみたいに、抱き上げたハナに頬ずりしてる。
えへへー、と照れたように笑って、
「キクタ、遊びに来たのー」
ルナに抱かれたまま、くるりと僕の方を向いてハナは満面の笑み。
「来たよ。ハナ、昨日も会ったでしょ」
僕は紙袋を下げてない方の手で、ハナのドレッドの髪をふわふわなでる。
本当に、すぐそこまで来ていながら、この笑顔を見ずに帰ろうとするなんて、僕はどうかしてたに違いない。
「おかえり。学校、どうだった?」
ソファから顔を上げて、ルリおばさんがルナに尋ねる。
「楽しかったよー。お友達もできたしー、ヨッちゃんていうのー」
ルナはハナをそっと下ろして、ルリおばさんの向かいのソファに腰を下ろすと、早速そう報告してた。
「あら、それは良かったわねえ。キクちゃんも、送ってくれてありがとう。お茶淹れるわね」
にっこり笑うと、僕にソファを勧めながらルリおばさんは立ち上がり、キッチンへ向かう。
僕はぽかんとして、あ、はい、と勧められるままソファに腰を下ろしてた。
なんて云うか、ルナってすごいな、と思って。
「るなが、なんで?」
ソファの上にランドセルを下ろし、ハナに手を伸ばして「ハナ、おいで」と横に座らせながら、ルナは不思議そうに首をかしげてる。
なんでって、
すごく普通に、ちゃんとした小学生だなって。
思ったままにそう云ったら、「海」でLが吹き出してた。
「いやあ、ごめんね?今までおまえの周りには、「ちゃんとした小学生」がいなくて」
ガブリエルが続けて、
「全然学校へ行かない子だったり、8年も寝てる子だったりね。ちょっと責任感じちゃうよねえ。でも、Jはそんなボクらの中にあっては、唯一の常識派と云うか、ちゃんとした小学生?でしょ」
「いやいや、あいつは一見普通だけど、だいぶ変わってるからね?クラスでも浮き気味じゃね。あーどっちかって云うと、沈み気味かなー」
「だいぶ変わってる?それ、Jもキミにだけは云われたくないと思うけどねえ」
何やら、双子の天才児が「海」で勝手に盛り上がってる、けれど。
なんだろう、たとえば僕が、家に帰って母から、「学校、どうだった?」と聞かれたとしたら。
実際には、母はずっと仕事に出ていて、僕が帰る時間に家にいたことはないので、現実的にはまずない場面なのだけれど、それは一旦置くとして。
僕は、母になんて答えるだろう。
「楽しかったよ。今日うちのクラスに転校生が来てね、僕の後ろの席なんだ。ルナって子なんだけど・・・」
いやいや、絶対に云わないでしょ、そんな事。
せいぜい、「うん、まあまあ」とか、「いつも通りかな」とか、もしかしたら「うん」で終わり、かも。
「それはでも、人それぞれじゃね。オレもそっち派だわ。もし聞かれても「うん、別に」とか、たぶんそんな感じ。それで云うと、ガブちゃんは、ちゃんと答えるよね。「うん、楽しかったよ。今日は体育の授業があってね。ミカエルったら、体操服を学校に置いてなくてさ。仕方ないから、ボク見学してたよ。まあでも、みんなの前で着替えるわけにも行かないから、ちょうど良かったけどねえ」とか何とか」
相変わらず、Lはガブリエルの真似も上手いけれど。何なのそれは、セリフに妙なリアリティあるよね。
「まるで見てきたように云うねえ。さすがミカエル」
ガブリエルは可笑しそうにくすくす笑って、
「でも、そうだね。人それぞれ、性格も違えば、家庭環境も違うし。Kの場合、お母さんがキョウコさんだから、って云うのもあるよね。多くを語る必要がないでしょ。先回りして全部云ってくれるから、返事は「うん」だけで済んじゃうんだよねえ」
それは、そう。なるほど、じゃあルナが特別すごいわけでも、僕が何か欠けているわけでも、ない、のかな。
「うーん、キクタは、「困ったちゃん」だよねー」
ルナが、ハナのドレッドの髪を指先でふわふわ玩びながら云う。
困ったちゃん
って、何。
「クラスに仲良しの友達いないのって聞いたら、平気な顔して「いないけど」とか云うの。困ったちゃんでしょ」
「あらあら、それは困ったわねえ」
ティーポットとカップを載せたトレイを手に、キッチンから戻ってきたルリおばさんが、全然困ってなさそうな顔で云う。
「ベースで育ったからかしらね。特にキクちゃんが子供の頃は、周りに同じ年頃の子供なんていなかったでしょうし。だからそれが当たり前で、平気なのかも?」
それって、いわゆる再生前のキクタだよね。
今の僕には、その記憶もないのに?
あるいは、ひとつ思い当たるとしたら、僕が、何て云うか、普通の人じゃないから、かな。
御子の抜け殻で、アルカナで、ナガヌマの遺伝情報から模倣して作られた、赤ん坊のような「何か」だったから、なのかも?
「それは多分に言い訳がましいの。その理屈で云えば、ルナも普通でない事になろ。じゃがおぬしは、「ルナはすごく普通に、ちゃんとした小学生だ」と云う。矛盾しとるな」
ナナにちらりとにらまれる、けれど。
だから、じゃないかな。
だからこそ、ルナはすごいな、って思う。
御子の核の作り出した「擬似意識」でありながら、ちゃんと普通の小学生だ。
「じゃあそれは、るながすごいんじゃなくて、みこちゃんがすごいんじゃん」
ふふん、とルナは、何故かうれしそうに笑ってる。
ルナがすごいって云われるよりも、御子がすごい方がうれしいのかな。
それは、もちろん、御子はすごいけれど。
「さてと」
ガブリエルが、テラスで席を立つ。
「ボクも下に着いたから、一旦失礼するね。先にハンスのところへ寄って来るよ」
そう云って、ふわりとテラスから窓へ舞い上がる。
「三つ編み、おぬしひとりで、H何某のところへ行くのか」
ナナが何やら難しい顔で尋ねるのは、何でだろう。
うん、と窓に手をかけたガブリエルがうなずくと、ふむ、とナナは何やらうなって、
「いや、誰ぞの心配性が儂にも伝染ったかの。杞憂じゃろうが、気をつけての」
ちらりとボクの視界の窓を見て苦笑して、ひらりとガブリエルに右手を振る。
「ナナちゃんありがとう」
ぺこりとガブリエルは小さくお辞儀をして、いつものやさしげな笑みを浮かべ、
「行ってきます」
手を振って、窓の向こうへ消える。
「ねー、おねーちゃんー」
ルナがふと、テーブルの端に置かれたキクヒコさんのノートパソコンを眺めて、
「ゲンゴロー、今日もスリープモードなの」
云われてみれば、画面は真っ暗で、何も映ってない。
「ずっとそのままよ。今日は、講義はないのよね?」
ルリおばさんが尋ねると、ルナは、うん、と小さくうなずいて、ノートパソコンに手を伸ばす。
電源ケーブルの挿されたプラグの周辺が、丸くグリーンに点灯しているので、バッテリー切れ、とかではなさそうだけれど。
慣れた仕草でルナがちょんちょんとキーボードを叩くと、ぶーん、と低く唸るような音がして、パソコンが目を覚ました、のかな。
真っ暗だった画面が何度か瞬いて、デスクトップが映し出される。
けれど、そこに、ゲンゴロウ先生のアバターは見えない。
「いないねー。サーバーの方で寝てるのかなー」
そう云って、ルナが立ち上がりかけるのを、まるで予想してたみたいに、ルリおばさんが片手を上げて止める。
「ちょっと待ちなさい。あんた、今、実験室に「飛んで」サーバーを見に行こうとしたでしょ。ダメよ、何のために引っ越ししたと思ってるの」
「う。でもー」
口を尖らせて、それでも素直にソファに座り直して、ルナは心配そうにノートパソコンを見つめてる。
「昨日は、オンラインの講義をしてたんだよね。その後は、帰って来たの」
ルリおばさんに尋ねると、ルナとふたりで同時にうなずいて、
「ルナの転校について、話したのよ。先生、喜んでたわ。疲れてたみたいで、少し話したら、スリープモードになってたけれど」
僕のイメージ的に、だけれど、ゴーストの稼働時間は、それほど長くはないのかな、と思う。
ナガヌマもドーリーも、僕の知る限りでは、いつも数分とか、短い時間で消えてしまう。
これまで一番長かったのは、パーティ会場に現れた時のドーリー、かな。
それでも、数十分くらい。一時間は経ってなかったと思う。
それに比べたら、ゲンゴロウ先生の稼働時間は驚異的だった。
あの引っ越しの日は、少なくとも3〜4時間はずっと、ノートパソコンの中から話ができてた。
昨日の講義も、オンラインとは云え、2時間くらいはかかるものだろうし。
稼働時間が長いから、その分、長い休息が必要、という事なのかな。
そう思ったので、
「普段も、講義の次の日は休んでる事が多いの」
そうルナに尋ねたら、うん、とルナはうなずいて、
「最近、特にそうだねー。歳のせいかなーって、ゲンゴローは云ってたけど、そんな歳でもないよねー。でも、起きてる時間が、だんだん減ってるかも?」
困ったように苦笑してる。
「ガブちゃんが資料のコピーをもらって来てくれたら、まずその辺を確認だなー」
Lが「海」ではなく、心の声でそう云ったのは、僕にだけ聞こえるように、なのだろう。
さっきの僕のゲンゴロウ先生の稼働時間についての考察も、聞こえないように僕の心の中だけで思ってた、のだけれど、さすが、L。
同じような事を思っててくれたの、かな。
ルナは、無意識に、なのかな、ぴこぴこぴこぴこ、さっきからノートパソコンのキーボードを、適当な感じで叩き続けてる。
不意に、ぶーん、と一際大きな音が鳴って、
「お呼びでしょうか」
画面に、ゲンゴロウ先生のアバターが現れたので、びっくりした。
「ちょっと何よ、魔法のランプじゃあるまいし」
ルリおばさんも驚いた顔で、でもしっかりツッコミを入れてるところは、さすが、なのかな。
「お呼びだよー。ゲンゴロー、ただいまー」
ルナがにっこり満面の笑みで、画面に向かって手を振ってる。
「ああ、ルナちゃん、おかえりなさい。学校はどうでしたか。お友達はできましたか」
感情のこもらないはずの、機械の声、だけれど、ルナにそう尋ねるゲンゴロウ先生の声は、とてもやさしい。
「うんー。ゲンゴロー聞いて、早速お友達できたよー。ヨッちゃんていうのー」
「そうですか、それは良かったですね」
ぴこん、と笑顔の顔文字アイコンを出して、ゲンゴロウ先生もうれしそうだった。
「キクタさん、ルナちゃんを送ってくださったのですね。ありがとうございます」
ぺこりと先生のアバターが画面の中でお辞儀してる。
「いえいえ、僕は」
クラスに仲良しのお友達もいない、困ったちゃんですので。
先生にお辞儀を返しながら、「海」でそう云ったら、
ぷはっ、とLが噴き出して、
「ちょ、おまえ、そーいう自虐ネタ、やめろ」
椅子にもたれて、けらけら笑ってる。
やっぱり「オレンジの海」には、Lの明るい笑い声がよく似合う、よね。
ルナがゲンゴロウ先生に転校初日の様子を詳細にレポートしていて、何だか微笑ましい気持ちでそれを聞いてた。
チャイムが鳴って、ルリおばさんが席を立つ。
「ガブリエルかしら」
壁際のインターホンの受話器を取って、ルリおばさんは何やらボタンを押す。
「早くね?またケンカでもしたのかな」
確かに、まだ30分も経ってない気がするけれど、Lは何でそんな楽しそうなの。ガブリエルがハンスとケンカするのが?
「だって、あいつ急にキレるから、面白くね?」
まあ、確かに急に冷淡になるので、びっくりはするけれど、別に面白くはないでしょ。
「フォローありがとう、K。でも今日はケンカしてないよ」
海でくすくす笑う声が云って、部屋の入り口のドアが開くと、ガブリエルが「お邪魔します」と入ってくる。
「早かったわね。まさかまた留守だったの」
ルリおばさんの予想は、なるほどそっちの可能性?でも留守だったにしては、逆に時間がかかりすぎな気がする。
「ううん、ちゃんといたよ。約束してたからね。データをコピーさせてもらうつもりだったんだけど、すでにハンスがコピーしてくれてたから、そのメモリーを受け取っただけ」
そう云って、ガブリエルはソファの僕の隣に座って、
「ゲンゴロウ先生もいるんだ、じゃあ、ちょうど良かったかな」
くるりと、みんなの顔を見渡して、
「今朝早く、ホワイトが目を覚ました。それで、午前中に早速、ハンスがあいつの取り調べをしてくれたらしい。その映像もコピーしてくれたからね、一刻も早くみんなに見せたくて、挨拶もそこそこに辞して来ちゃった」
ケンカしたわけじゃなかったのは良かったけれど、ホワイトがもう目を覚ましたの。
あの出血量では、しばらく目を覚まさないのでは、ってナナは予想してたけれど。
「レムナント故にな。あれほど大量の血液を、たった一晩やそこらで作り出せるとは思えぬ」
そう云って、ナナは包帯の手を唇に当てて首をひねる。
「ルナの治癒効果じゃないかって、ハンスは云ってた。傷口の治療だけでなく、血液も作り出して与えてたのでは、って」
そうガブリエルが云う。
生かすための「力」
御子の「核」は、それに特化してるそうだけれど、そんなにすごいの。
「云われてみれば、そりゃあね、体がちぎれてるロリポリを、何十年も「生かし」続けてるくらいだからなー」
Lがそう云うのを聞いて、納得した。
あの大きな体のロリポリが、体がちぎれた状態で80年も生きている事を思えば、ホワイトの撃たれた傷を塞ぎ、流れ出た血液を補充する事くらい、「核」にとっては、わけもない事なのかもしれない。
「むー、フクザツ。やっぱり、るな、助けなければよかったー?」
悪びれる風でもなく、どこかちょっぴり悔しそうに、ルナがぽつりとつぶやく。
「なんの。そのおかげで「取り調べ」が早く済んだのじゃ。むしろお手柄じゃろ」
ニヤリとナナが笑うと、
「あ、そっかー。じゃあよかったー」
ルナがほっと息をついて微笑む。
「ルナ、ゲンゴロウ先生のパソコンを持って、「海」へ行こうか。ナナちゃんとミカエルにも、映像を見せてあげたいし。先生にも僕らの会話が聞こえるように、ね」
ガブリエルが、何やらメモリー的なものをゲンゴロウ先生のノートPCに差し込んで、ルナにそう声をかける。
「はーい、りょうかーい」
ルナはソファに座ったまま両手でノートパソコンを抱えて、ドナドナモードになる。
からん、と貝殻の風鈴が鳴って、ルナに反応したのかな、と思っていたら、
「ごめん、お待たせ」
魔法の声がして、僕は思わず海を振り返る。
ふわり、とお庭の窓からJが砂浜に降りて、
「今日、図書委員のお仕事があって、遅くなっちゃった。みんなが「海」にいるのは聞こえてたんだけど、なかなか終わらなくて」
へへへ、とJは照れたように頭を掻いてる。
「そりゃ、お勤めご苦労さんだぜー。まあ、タイミングばっちりだけどね?」
Lがニヤリと笑ってる。
おじゃまします、とお辞儀をして、Jはテラスへ上がる。
「聞こえてたよ。ホワイトの取り調べ?あんまり楽しくなさそうだけど、後で話だけ聞くよりは、見といた方がいいよね」
そう云ってJは両手をグーにして、ガッツポーズ、かな。
「あ、ルナちゃんこんにちは。ゲンゴロウ先生とナナちゃんも」
律儀にみんなに挨拶して、Jもいつもの席に座る。
楽しい映画を見るわけではないけれど、と思いつつ、みんなの分のお茶をテーブルに出す。
Lとナナにも新しいお茶を淹れ直した。冷めたりはしないのだけれど。
僕はソファのハナの隣に移動して、
「ハナ、眼をつぶっててね」
そう云ったら、ハナは「はーい」とにっこり笑って、僕の腕にしがみついて、眼を閉じる。
寝る態勢?もう眠い時間かな。
まあ、ホワイトの尋問なんて見るより、楽しい夢でも見てた方がぜったいにいいよね。
ホワイトは、牢につながれてた。
どこで用意したものなのか、昔の映画で見るような囚人をつなぐ鎖が右手首と右足首から、それぞれ鉄格子につながれ、頑丈そうな鉄の輪で止められてる。
錆びた鉄の檻は、あのナガヌマの記憶で見た狭い牢、なのだろう。
映像はスマホを固定して撮影したものらしく、横長の画面はカラーだった。
監視カメラのモノクロの映像を想像してたので、少し意外な気がしたけれど、あの牢獄がちょうど映る位置に、監視カメラはなかったのかな。
「カジモド」
壊れたラジオのような、割れたハンスの声が云うけれど、映像には、ハンスは映っていない。
カメラのこちら側にいるのだろう。
檻の向こう側、古い木のベッドにもたれるように、ホワイトはうつむいて、地面に座ってた。
「意識が戻っているのは、わかっています。眼を開けなさい」
低い声で、淡々とハンスは云う。
ゆっくりと、ホワイトが暗い右眼を開く。
スマホのカメラに付いた照明が眩しいのか、眼を細めて、下を向く。
「****・・・」
あの聞き取りにくい英語で、ホワイトが何か云いかけると、
「日本語で話しなさい」
遮るように、ハンスが冷たい声で云う。
「片言でも、話せるのは知ってます。こちらの日本語が理解できる事もね」
ホワイトは何も答えず、暗い眼をわずかに細めて、口元を歪めただけだった。
「あなたを撃ったのは、誰ですか」
冷淡にハンスが尋ねると、ホワイトの顔に、明らかに狼狽するような表情が浮かぶ。
「・・・ghost」
怯えた顔で、ホワイトは云う。
「はっ」とハンスは短くため息をついて、
「日本語で、「幽霊」です。では、誰の「幽霊」が、あなたを撃ったのですか」
その質問に、ホワイトはぶるっと身を震わせる。
「・・・生キテタ、・・・生キ、カエッテ、来タ」
錆びた金属を擦り合わせるような、耳障りな声が云う。
片言の日本語で、
生きてた、生き、かえって、来た?
いったい誰が?
「・・・Dr.Brown」
その言葉に、僕は思わず背筋がぞっとしてた。
ハンスも一瞬、息を飲む気配がした。
自分で口にしたその名を恐れるように、ホワイトは落ち着きなく視線を泳がせ、体を震わせる。
「顔を見たのですか」
ハンスの問いに、ホワイトは小さく首を横に振る。
「銃が暴発し、爆風をまともに受けてブラウンは死んだ。あなたがそう云ったはずです」
淡々と、噛んで含めるように、ハンスは云う。
「***」
Yes、とホワイトは云いかけたのだろう、すぐに日本語で云い直す。
「・・・死ンダ。デモ、生キテタ。・・・***、*****、ぶらうんハ持ツ、持ッテタ。ソシテ、****、***・・・」
たどたどしい英語混じりの片言の日本語で、よくわからない。
そう思っていたら、ハンスがため息まじりに、
「銃やライフルをブラウンは持ってた。そして、あなたを殺しに来た?あの男が銃器や弾薬を海沿いの米軍施設から盗み出し隠し持っていたらしい事は、ぼくも知っています。それが、死から甦ってまで、わざわざあなたを殺しに来る理由は、とんとわかりませんがね」
しばしの沈黙。
ホワイトは震える体を右腕で抱くようにして、ちらちらと上目使いにハンスの方を見ている。
あの時、「4ごう」と蔑むようにハンスを見ていた同じ人物とは思えないほど、怯え、落ち着きなく目線を彷徨わせながら。
「どうして、それがブラウンだとわかったです?姿を見たのですか」
「・・・Yes,」
「おかしな事を云いますね。姿を見て、ブラウンだとわかった。しかし顔は見ていない。相手がわざわざ名乗ったとでも?」
「・・・***、・・・****」
ホワイトがまた英語で何か云いかけるのを、
「日本語で、云いなさい」
ハンスが静かな声で制する。
「・・・ニホン、ゴ、・・・ワカラナイ。・・・***、****」
ホワイトの言葉に、ハンスが息を飲み、
「clown mask?・・・ピエロの面、ですか」
おそらく、映像を見る僕らのために、なのだろう、そう通訳してくれる、けれど。
ピエロの面
まさか、爆弾魔は、ブラウンなの。
「何故、そんな物を」
ハンスのつぶやきは、質問ではなかったのだろう。
けれど、ホワイトが云う。
「・・・カオ、ぶらうんノカオ、・・・バクハツ、コワレタ、・・・***、****」
「ブラウンの顔は、銃の暴発で爆風を浴びた。その酷い火傷の痕を隠すため、ピエロの面を?」
ハンスはそう云って、押し黙る。
沈黙はそう長くは続かず、すぐにまたため息とともにハンスは口を開く。
「だからと云って、仮面で顔が見えない事に変わりはありません。死んだはずのブラウンが、銃を持ちピエロの仮面を被ってあなたを殺しに来る?まるでくだらないホラー映画のようですね」
それがホワイトの云う通り、幽霊なのだとしたら、
「まるでくだらないホラー映画のよう」
そうハンスが断ずるのもわからなくはない、けれど。
ハンスにもあの公園で話した通り、ピエロ面の男は、実在してる。
研究棟の防犯カメラの映像に、確かに映ってた。
爆弾魔、
そして、そいつがホワイトを撃った犯人、なのだとしたら。
「あなたの云う通り、ブラウンは軍の地下施設から銃器を盗み隠し持っていた。幽霊になったブラウンが、その銃であなたを撃ったのかどうかは、ともかくとして」
ハンスはそう云って、ホワイトの反応を窺うように言葉を止める。
ホワイトは震える右手で、腕のない左肩を抱くようにして、怯えた目を泳がせて、辺りをうかがっている。
「盗んでいたのは、海沿いの施設からだけではないでしょう。ブラウンは、父のラボからも様々なものを盗み出していた。長年の研究データや貴重な資料、そして・・・」
ハンスはそこで言葉を切り、じらすようにまた黙り込む。
ホワイトの眼が、沈黙に耐えかねたようにこちらを向いた、その瞬間、
「黄金虫をね」
ゆっくりと、ハンスがそう口にした時、ホワイトの顔色が変わった。
いや、実際に顔色は、レムナントの墨のような黒なので、変わりはしないけれど。
さっと血の気が引くようにこわばって、何かを理解したみたいに、固まる。泳いでいた目線も止まる。
「はっ」とまた、ハンスは嘲るように短いため息をつく。
「確かに、あの盗人が黄金虫を常に持ち歩いていたとしても不思議ではありません。「揺り籠」から盗み出した、アルカナ入りの黄金虫を、お守り代わりにです。それは、元はと云えばあの男が考えた事ですからね」
「ぶ、らうん・・・」
耳障りな声で、ホワイトがつぶやく。
「***、****。・・・れむ、な、んと」
「そう、幽霊なんかではありません。あなたを撃ったのは、レムナントのブラウンだ。レムナント化したのは、カジモド、あなただけではなかった、という事でしょう」
ハンスの言葉に、ホワイトの顔が歪む。
その顔から、さっきまでの恐れは消え、そこに浮かぶのは、怒り、だろうか。あるいは、悔しさ、のような感情?僕にはその心の内まではわからないけれど、表情は、そんな風に見えた。
「しかし、不思議な話ですね」
がらりと声色を変えて、ハンスはいつもの芝居がかった明るい声で、
「だってそうでしょう。あなたと揉み合いになり、銃の暴発によってブラウンが死にかけた。あれは、今から30年も前の話、でしょう。隠し持っていた黄金虫のアルカナを使って、彼がまんまとレムナント化して生き延びていたのなら、今まで彼は、いったいどこで何をしていたのです?30年もの間、誰にも見つからず、どこかの地下に籠っていたとでも?ぼくはともかく、あなただってずっとこの地下にいたのでしょう?この街の地下に広がる広大な地下道を、我が物顔で闊歩していたのは、ウィリアム・ホワイト、他ならぬあなたでしょう」
どこか馬鹿にして嘲笑うような、いや、明らかにそう、挑発的な云い方で、ハンスは云う。
ホワイトは顔を歪めたまま、じっと右眼でハンスをにらみつけている。
「30年間、そのあなたに一度も見つからず、気配さえ残さず、ブラウンはいったいどこに隠れていたのでしょうね。そして何故、今になって現れて、いきなりあなたに銃を向け、発砲したのでしょうか。こう云っては何ですが、今のあなたを撃ち殺す事に、いったい何の意味があるのでしょう。弾丸の無駄、としかぼくには思えませんが。しかもブラウンは仕留めそこねて、あなたを逃がしてしまったわけでしょう?」
ふふふ、と可笑しそうにハンスは笑って、
「けれど、さすがに今度は外さないでしょうね。ブラウンはここにさえ来れば、檻に鎖で手足をつながれ動けないあなたを、いくらでも狙い撃てるのですから」
ホワイトがはっと息を飲む。じゃらっと鎖を鳴らして、確かめるように右腕を強く引くけれど、短い鎖の長さ以上には、彼は動けない。右足も、同様に。
ふふふ、ハンスは楽しそうに笑い続けてる。
こみ上げる愉悦を抑えきれないみたいに。
がしゃんがしゃん、鎖を引かれて、錆びた鉄格子が鳴るけれど、檻はびくともしない。
「***!」
ホワイトが何かを叫ぶ。何と云ったのか、僕には聞き取れなかった。
ふふふ、ふふふ、ハンスの笑いは止まらない。
お腹の底から湧き上がる喜びを、閉じた口に含むように、低い笑い声は止む事なく続いてた。
ホワイトは鎖を引くのをやめ、すがるようにその右手で錆びた鉄格子を掴む。
悲しげな、まるで哀願するような眼でこちらを見上げて、
「***・・・、***・・・」
滑舌の悪い発音と聞き取りづらい声で、ホワイトは同じ言葉を繰り返す。
これって、
「help、助けて、ですか」
笑いを止め、呆れるように、ハンスが云う。
映像で姿は見えないけれど、大袈裟に肩をすくめる芝居がかった仕草まで見えるよう。
「昨日も云いましたよ、カジモド。あなたは、これまでに一度でも、救いを求める子供達の声に、耳をかたむけた事があるのですか」
嘲るようなハンスの声は、不自然なくらい明るく、陽気だった。
「悪趣味じゃ。見ておれん」
苦いものでも吐き出すように云って、ナナは画面から顔を背ける。
確かに、いつもの明るく礼儀正しいハンスと同じ人物とは思えないくらい、暗く陰鬱で、あまり良い趣味とは云えない、けれど。
彼の素性を思えば、それも仕方がない、かもしれない。
呪い、とハンスは以前に云ってた。
不自由な手足、声も視力も、機械の助けを借りなければ生きられない。
彼をそんな身体でこの世に誕生させたのは、他ならぬ、ウィリアム・ホワイトだ。
その恨みや憎しみの深さ、怒りの激しさは、僕には到底理解できるとは思えないし、わかる気がするだなんて、間違っても云えない。
「せいぜい、恐れおののき、怯えるがいいですよ。あなたの手に掛けられた子供たちが、どんな思いをしていたか、これでようやく、あなたの鈍い頭でも理解できるのではありませんか」
割れたスピーカーのような声で淡々と告げるのは、まるで死神のささやきのよう。
「help・・・、help・・・」
懇願するように、がしゃん、がしゃん、と錆びた鉄格子を揺らし続けるホワイトのかすれた声は、ハンスの耳には最早届いてさえいないのかもしれない。
映像はそこで唐突に、ぷつん、と途切れて終わった。
何とも云えない沈黙が、ルリおばさんの部屋に、そして「オレンジの海」のテラスに満ちる。
耐えかねたように口を開いたのは、ナナだった。
「金髪、どう見る」
短く問う、いつものナナらしい端的な問いかけはLに向けられてた。
「いやあ・・・」
陽気なハスキーボイスが、オレンジの海に響く。
その声を聞いただけで、ほっと僕の心にあたたかい光が差し込むような気がする。
「参ったね。ナナちゃんの云う通り、ちょーっとハンスちゃんのセンスを疑っちゃうよねー」
苦い笑みを浮かべて、頬を指先で掻きながら、Lは云う。
「スマホで撮影したり、日本語で喋るよう指示したり、明らかに、オレ達に見せる事を想定した動画なんだろーけど、ちょっとね、演出過剰じゃない?わざとらしいと云うか」
演出過剰、わざとらしい?
そうなのかな。僕は、そうは感じなかったけれど。
「相手があのホワイトだからねえ。長年の恨みつらみが、抑えきれなかった、とかじゃない?」
ガブリエルが云うと、うん、とLはうなずいて、
「それはそう。そーなんだけど、やりすぎじゃない?って話。あえてそう見せてる、安っぽい子供向けのヒーロー・ショーみたいな。「こいつは絶対に悪いやつ」だから、「子供たちよ、憤れ」、そう云われてるみたいで、「うぇっ」てなるよねー」
肩をすくめて、ふふんと鼻を鳴らす。
「んなこと、今さら云われなくってもこっちは知ってるっての。実際あいつに誘拐されたり、首絞められたりしてるんだぜ?あいつが過去にやってたコトも、ルリちゃんの記憶でばっちり見てるしなー」
それは、確かにそうだけれど。
「それをわざわざ鎖で牢につないで、「今にもレムナントのブラウンがおまえを殺しに来るぞ」って脅す。しかもその姿を録画して、いたいけな子供たちに見せる。うん、ナナちゃんの云う通り、「悪趣味」だよね」
ずばり、Lはそう云い切る、けれど。
そうなのかな。
たまたま、この動画はそんな風に見えてしまっただけで、ハンスにそんなずる賢い計算や、何かあえて演出して、僕らの心象を操作するような意図はない、ように僕には思えるけれど。
そう云ったら、Lはにっこり笑って、僕の視界の窓をのぞき込んで、
「おまえは素直ないい子だからね、それでいいと思うぜー。オレは厭な感じがしてちょっぴり警戒した。役割分担だね、それでいいんじゃね」
ニヤリと笑ってる。
「ボクは元々ハンスが苦手だけど、今回はどちらもわかるって感じかなー。Kが云うように、深い意図はないような気もするし、ミカエルやナナちゃんが云うのも、まあわかる、かなあ」
ガブリエルはいつもの笑顔でそう云って、
「それはさておき、爆弾魔、だよね。ほんとにブラウンなのかな」
まじめな顔になって、話題を切り替えてくれる。
そう、ハンスの意図やセンスはともかく、だ。
うん、Lもまじめな顔でうなずいて、
「それに関しちゃ、ハンスちゃんの考察には概ね賛同できるかな。ブラウンが黄金虫を持ってただろうってのも納得だし、死にかけてレムナント化したってのも、まあそうなんだろーなと思える。でも、これもハンスちゃんが云ってたけど、じゃあ今までブラウンはどこに隠れてたの、ってのが、謎だよね。レムナントだから眠りの周期が長いとは云え、さすがに30年もずっと眠ってたわけじゃないだろーし。仮に30年も地下のどこかで眠ってたんだとしたら、その間に誰かに見つけられててもおかしくないよね。まあ、見つけるとしたら、主に地下を徘徊してたホワイトなんだろーけど」
さっきの映像の印象では、ホワイトは、ブラウンは既に死んでいて、それが幽霊になって現れたものと思い込んでいたようだった。レムナント化していた事は、ハンスに指摘されるまで思いもよらなかったのだろう。
古い広大な地下の坑道だから、ブラウンだけが知っていて、ホワイトの知らない地下道や空間がどこかにあり、ブラウンはそこに身を隠してた。そんな可能性も、なくはないのかも。
それに、ヌガノマであるホワイトも、レムナントだ。
同じように眠りの周期が長いはずだから、30年間ずっと、休みなく地下を徘徊してたわけじゃなく、そのうちの何年か何十年かは、あの地下のねぐらで眠っていたはず。
眠りの周期によっては、たまたまブラウンと出会わなかった、としても、不思議ではないかもしれない。
「キクタ、お面の話。おっちゃんの」
テラスでノートパソコンを抱えたルナが、視界の窓から僕に云う。
あ、そうか。あの話、まだみんなに共有出来てなかったね。
親分から聞いた、夏祭りのおばけ屋敷から盗まれた「ピエロのお面」の話を、僕はみんなにする。
「うん、ボクは親分からメールでSNSの写真が送られて来て、その時にだいたい聞いてるよ。ミカエルにも話したね」
ガブリエルが云って、Lがうなずく。
「河川敷の空き家の倉庫、だろー。さっきの考察も含めて考えたら、空き巣に入るって手口は、いかにも手癖の悪いブラウンっぽいよねー」
どの辺りの河川敷なのかまでは親分から聞いてなかったけれど、僕はあの、ハナが落ちた川沿いの穴を思い出してた。
ナガヌマの記憶で、地下の十字路でホワイトと別れたブラウンが向かった先は、あの桜の木の下へ通じる地下道だった。
あの先がどこへ通じているのかは確かめていないけれど、川沿いに地下道の出入り口があったとしても、おかしくはないのかも。
そして、ブラウンには、その周辺の土地勘があった、のだとしたら。
爆弾を届けるために、彼は顔を隠す必要があった。
そこへたまたま、お祭りの出し物で、おばけ屋敷を見かけたのか、あるいは偶然、空き家の倉庫へ盗みに入ったところが、おばけ屋敷の会場だった、という事なのかな。
「だからって、なんでよりによってピエロなの、って気はするけどなー」
Lが肩をすくめて、
「それに、爆弾を届けようとした目的も、やっぱり不明のままだね。爆弾魔がブラウンなのだとしたら、博士とナガヌマちゃんの「御子についての話」を盗み聞きしてた可能性があるわけだけど、だからって、爆破なんてしようとするか?」
爆弾の届け先、研究棟西棟の実験室1Cにあったのは、「ロリポリの尾」と「御子の核」
いずれも、爆破なんて間違ってもしてはならないものだし、普通はしようだなんて思えないものだ。
ロリポリの尾は破壊されれば放射性物質と化し、人体に有害な放射能を撒き散らす。
惑星にも匹敵する御子の力、その結晶でもある核を破壊すれば、何が起こるかわからない。
それこそ、かつて元帥が懸念していたように、この国が、あるいはこの星の人類が滅びるかもしれない。
それを爆破しようだなんて、前にゲンゴロウ先生が云ってたように、あの爆弾は、テロ行為としか、思えない。
ふう、と小さなため息が聞こえた。
腕組みをしたルリおばさんが、眼帯をしてない方の眼で、じっとノートパソコンを見下ろして、
「目的はわからないけれど、何かを「爆破しようとした」のは事実よね。あいつが届けたのは、果物でもケーキでもなく「爆弾」よ。何かの間違いでなんてありえない。そこにあるのは、悪意であり、敵意でしょ。あいつにどんな思惑があるのかは知らないし、知りたくもないけれど、少なくとも、ピエロ男が「敵」であるのは、間違いないわよね」
少なくとも、「敵」
悪意か、敵意か、あるいはその両方をもって、時限爆弾を届けた者。
明確な「敵」
ふん、とナナが鼻を鳴らす。
「そんな者、おらぬに越したことはない。慎ましく穏やかに暮らしておれば、そんな輩に目を付けられる事もない。儂は以前、おぬしらにそう云うたの」
ナナは困った顔で、小さく肩をすくめて見せる。
もちろん、そう。ナナの云う通りだ。
そんなのいない方がいいし、そんな奴が現れた今でさえ、望んでこちらから接触しようとは思わない。
僕らは、警察でも軍でもない、ただの子供で、何の力もない普通の小学生だ。
銃や爆弾を持っているような、そんな「敵」と戦うすべなどあるはずもないし、戦おうとも思わない。
「そうね、だから、逃げ回るのよ。引っ越しでも何でもして、降りかかる火の粉から逃げ回る。それしかないでしょ」
ルリおばさんの言葉に、僕らはただ無言でうなずく。
その通り、僕らにできる事は、
逃げ回る、それしかない。