fly me to the moon iv

屋根裏ネコのゆううつ II

翌日の金曜日。
放課後、ランドセルを背負って席を立とうとした所で、
「キクター」
先に席を立って、教室のドアへ向かいかけてたルナののんきな声に呼ばれた。
「ガブ・・・じゃない、えーとミカエルー?」
疑問形で。
振り返ると、教室の入り口に立つルナの隣で、ガブリエルが笑顔で手を振ってた。
Lの制服を着たガブリエル、だから、ルナは気を使って、「ミカエル」と呼んだのかな。
ルナの元気な声は、教室中に聞こえたのだろう。帰りかけていたクラスの子たち(おもに女の子)が、ひそひそとざわめいてる。
アイほどの見た目のインパクト?はないにしても、孤高の天才美少女であるミクリヤミカエルも、校内ではちょっとした有名人?、だったりするのかも。
「え、あのミクリヤの」
「ギフテッドなんでしょ」
「学校来てるんだ」
「ちょ・・・、すごい美形」
ざわざわざわ、密やかに交わされる囁きと、好奇心旺盛な彼女たちの視線を掻い潜るように、僕はこそこそと教室の後ろのドアへ向かう。
「へえ、Lってー、すごいんだねー」
ルナは何やらのんきに感心しながら教室をくるりと見渡して、ニヤリとガブリエルに笑いかける。
「うん、珍しい動物でも見たような感じかな。ウォンバットとかタスマニアデビルみたいな?」
くすくす笑いながら、ガブリエルは澄ました顔で肩をすくめてるけれど。
「え、だって、騒がれてるのはミカエルで、ボクじゃないからねえ」
ふわりと「オレンジの海」でカーテンが揺れて、ガブリエルの心の声が云う。
「うぉんばっちょ?たすまにゃでびる?それなぁに?るな、知らなーい」
「どちらも、オーストラリアだけに生息する動物だよ。市の動物園にいるのかな、今度行ってみようか」
「おーいいねー行こー。あ、ハナも連れて行きたいなー」
ざわめく教室内を気にも留めずに、ふたりは何やら教室のドア口で盛り上がってる、けれど。
その場所は、ほら、みんなの通行の邪魔になるから、ね。
ルナも、えーとトモちゃん、だっけ?一緒に帰る子たちが待ってるんじゃないの。
「あ、そっか」
ルナは、ぴこんと人差し指を立てると、
「じゃあ、「ミカエル」またねー。キクタもばいばーい」
ガブリエルに笑顔で手を振って、ついでのように僕の頭をふわりとなでて、教室の前の方へと駆けて行く。
「え、ルーちゃん、あの人、友達なの」
「すごーい」
「うん、「ミカエル」ねー、友達だよー」
教室内はまた、ルナを中心にざわめいてる、けれど。
ガブリエルは可笑しそうに肩をすくめ、くすくす笑いながら僕に手招きをして、廊下へ出て行く。
慌てて追いかけると、僕を振り返りながら、
「校門で待ち合わせようか。玄関、別なんだよね」
そう云って、ひらりと手を振る。
そうだね、ガブリエルは5-6年生用の玄関、僕は1-2年生用の玄関から外へ出ないといけないんだった。
廊下のつき当たりで一旦分かれて、それぞれの玄関へ向かう。
けれど、「海」でガブリエルは会話を続けてる。
Lと一緒で、器用だよね。僕はまだ、歩きながら「海」で話すの、あまり慣れてないのだけれど。
「それにしても、大したもんだねえ」
ガブリエルが感心してるのは、ルナの事?それともLの事かな。
「もちろんルナだよ。もうすっかりクラスに馴染んでるんだねえ。まだ3日目?4日目?くらいだよね」
ルナは、火曜に転校してきて、今日が金曜なので、4日目、だね。
確かにガブリエルの云う通り、僕なんかよりもよっぽどクラスに馴染んでる。
それは、消された認識が良い方向に作用してるんじゃないかな、という、少し前にふと思ってた事をガブリエルに話してみた。
もちろん、玄関へ向かって歩きながらなので、心の声で、ぽつりぽつりと。
「なるほどねえ、確かにそれはあるのかも知れない。認識の消された転校生、つまり、どこの誰なのかが曖昧になってる所を、ルナの持ち前のキャラクターで、半ば強引に上書きしちゃってるのかな。それはそれで、やっぱりすごい才能だよねえ」
まさに持って生まれた才能、なのだろうな、と思う。
僕には真似できないし、たぶん、頑張って真似してみたところで、ルナのようには絶対ならない、と思う。
「キミは真似なんて、する必要ないでしょ。今でも十分すぎるくらい大人びた、スーパー小学生なんだから」
いつものやわらかな口調でガブリエルは云うので、冗談なのか本気なのか、よくわからない。
スーパー小学生って・・・
ただ、中身が老けてるってだけなのでは。
そう云ったら、ガブリエルは可笑しそうにくすくす笑う。
「またあ、ほんとにキミは、自分の事となると辛辣だねえ」
辛辣、と云うか、事実だよね。
ルナの云う通り、僕はクラスに仲良しの友達がひとりもいない「困ったちゃん」なのだし。
玄関で靴を履き替え、校門へ向かうと、すでにガブリエルが待ってた。
明日土曜日の「ベースへのM訪問」に備えて、今日のうちにNをお屋敷へ連れて帰りたい、と朝から「海」で云われてたので、一緒に帰る約束をしてたのだ。
校門の傍で、ガブリエルが僕に手を振ってる。
Lの制服のスカートを履いた、ガブリエルが。
いや、実を云えば、もうスカート姿にはすっかり違和感はないのだけれど、不思議な事に。
スコットランドの男性が履いてる、キルトみたいな感じ、なのかな。
良く似合ってる、と思えるくらい、とても自然なのだけれど。
「あ、ちなみに」
ガブリエルが「海」でまたクスッと笑って、
「ミカエル「先輩」を見習って、スカートの下にはスパッツ履いてるんだよ。万が一、見えちゃっても大丈夫なようにね。だってほら、さすがに下着は、男の子用だし」
いや、だから、なんでなの。
どうしてそこまでして、制服のスカートにこだわるの。
Lの並々ならぬ制服へのこだわりもそうだけれど、ガブリエルまでそうなの。
天才双子姉弟のこだわりの深さは、やっぱり僕のような凡人には理解できない、のかもしれない。

昨日から引き続き、台風の影響かな、不安定な天候だった。
僕もガブリエルも傘を持ってたのでよかったけれど、校門を出るとすぐにぱらぱらと雨が降り出して、市の外周道路を渡る頃には止んでた。
「ねえ、K、覚えてる?御子の話」
畳んだ傘の水を切りながら、不意にガブリエルがそんな事を口にする。
「いや、きっとまたキミは「興味ない」って云うかも知れないけどさ。御子が云うには、ナガヌマさんは、あの無人島から、「御子の一部」を持ち出した、って事だったよね」
いつものやさしげな笑顔で、雲間から差し込む西日に青い眼を少し細めて、ガブリエルは云う。
それは、覚えてる。
御子が「力」だけの存在で、そこに意志や意識みたいなものはない、という話を聞いた時、だったかな。
でも、御子は僕と話しができるし、ちぎれて墜落するロリポリを助けようとしたり、ルナや博士を助けてくれたりもした。だからそこには、意志も意識もあるのでは。そう僕は云った。
それはナガヌマのおかげだよ、と御子はさらりと云い、
「彼はあの島から「御子」のひとつ、と云うか、一部を持ち出した時に、器ごと彼の体の中に隠した。膨大な「力」を持つ御子を、たとえその一部であってもあの島から持ち出すには、そうするしかなかったのだろうね」
確かに、御子はそう云ってた。
歩道の石畳が窪んで、うっすらと水たまりができてる。それを僕が大回りして避けて通ると、ガブリエルは、「えい」と掛け声をかけて、ひらりと飛び越える。
何だかそれが、ガブリエルらしからぬ、随分と子供っぽい動きに見えて、微笑ましかった。
「という事は、その無人島にはまだ「御子」の本体というか、「全部」がいるんだよねえ」
全部
とガブリエルが云うのは、ナガヌマが「一部を持ち出した」その「残りの全部」、という事かな。
たぶん、御子の云い方から想像しても、その認識で合ってる、と思うけれど。
「あ、誤解しないでね。ボクは別に、その御子の全部の「力」を狙ってるとか、それにすごく興味があるとか、そういうわけじゃないんだよ」
ふふふ、といたずらっぽくガブリエルは笑う。
全部の「力」を狙ってる?
まさかそんな、アニメや映画の悪役じゃあるまいし。
もちろん、ガブリエルがそんな事を考えるはずもないのは、僕にもわかってる。
それに、あの元帥の話が正しいのだとしたら、御子の「力」はあの無人島で、この国や世界、この星全体を守ってる、はず、なのだし。
「そう、それもあるよね。かの元帥が見たと云う「赤子」、それもおそらく御子の「力」の一部、のはず。彼はどうやら、それが「全て」と思ってたみたいだけどねえ」
云われてみれば、そうなのかも。
御子とは何か、ナガヌマにそう問われた元帥は、
「御子とは、「子供」だよ。文字通り、尊き子、そのままだね。僕が見た時は、赤子だった」
そう答えてた。
元帥がナガヌマに回収を命じたのは、「御子」そのもの。
かつて彼が見たと云う御子は、赤子だった。
実際にはそれは、御子の力の一部だったのだろうけれど。
赤子の姿をした御子が、その「力」の全て、元帥はそう思っていたのだと思う。
小さな子供くらいの大きさを想定していたから、ナガヌマひとりでも十分に回収が可能だと判断した。
けれど、実際にナガヌマが島から持ち出す事が出来たのは、御子の「一部」
残りの全ては今もあの島にあり、御子の言葉を借りれば、「この星が生命にあふれた場所であるよう維持する事。そのために「力」を尽くす事」、その使命を粛々と続けてる。
何故なら、それが純粋な「力」である御子の本能のようなものだから。
「うん」
コンビニの交差点を半分ほど渡ったところで、歩行者用の青信号が点滅し始めて、慌ててふたりで駆け足になる。
どうにか点滅中に渡り終え、ほっと息をついて、走るのを止め、またゆっくりと歩道を歩き出しながら、
「行ってみたくない?その無人島へ」
唐突にガブリエルがそう尋ねるので、僕は意表を突かれてしまった。
ガブリエルは、行ってみたいの。
あの無人島へ?
ふと、あの前歯の欠けた船長さんの「森と岩以外、何もないさー」という声が耳の奥によみがえる。
真っ黒に日焼けした、人の好さそうな船長さんの云った通り、本当に、何にもない無人島、だったけれど。
「うん、予想通りの反応だよ。ほんとに興味ないんだねえ」
隣を歩きながら、大袈裟にがっかりした風に肩をすくめて、それでもガブリエルは笑ってた。
だって、ただの無人島だよ。
何しに行くの。
ふふ、とガブリエルは声に出して笑って、
「ボクは興味あるけどなあ。だって、キミのルーツと云うか、ある意味、生まれ故郷なわけでしょ」
僕の?
いや、御子の、だよね。だって僕は、その抜け殻だし。
「抜け殻、と云うか、器でしょ。もしかしたら、島へ帰ったら、キミの器に再び「力」が戻るのかもしれないよ?」
冗談めかして、ではあったけれど、ガブリエルにそう云われて、僕はびっくりしてしまった。
同時に少し、怖いような、畏れ多いような、そんな気持ちになる。
だって、あの御子の「力」でしょ。
体のちぎれたロリポリを何十年も生かし続けるような、いやそれどころか、この星の生命すべてを守り続けるような、そんなすごい「力」・・・。
いらない、よね。
そんなの、どうしたらいいのかもわからないし。
「まあ、「力」が戻るかもっていうのは、ただのボクの妄想だけどねえ。単純に、興味あるし、やっぱり見てみたいな。ナガヌマさんの見た、御子の全部の「力」のあるところ。どんな感じなのかな。やっぱり、金色に光ってるのかな」
青い眼をきらきらさせながら云うガブリエルは、ああ、なるほど、やっぱりLの双子の弟なんだな、と思う。
この場合も、血は争えない、と云うのかな。
同じ魂と云うか、感性を持ってるんだな、って、少しうらやましくも思った。

途中、雨が降ってたし、話しながらゆっくり歩いてたのもあって、家に着いたのは17時過ぎだった。
まだ、父も母も仕事からは帰っていない。
鍵を開けて玄関へ入り、靴を脱いで、
「どうぞ、上がって」
ガブリエルを振り返ったら、何とも云えない複雑な表情で、家の中を見渡してた。
「いやあ、この家に、「おじゃまします」って云って入るんだねえ。まあ、それが当たり前なんだけど」
困ったように、頭を掻いてる。
それは、そうか。つい2カ月ほど前までは僕の中にいて、この家に、住んでたんだものね。
「うん、何とも云えない、不思議な感覚だねえ」
僕がこの家に越して来た4歳の頃からなので、約4年間、かな。
「そう、人生の3分の1は、ここで暮らしてたんだよねえ、キミの中で、だけど」
まさに、「勝手知ったる」と云うやつだよね。
2階の僕の部屋へ上がると、
「あ、でもこれは知らないなあ」
楽しそうにガブリエルが云うのは、屋根裏へ上がる折りたたみ式の梯子。
屋根裏への入り口を開けたのは、そっか、僕が眼を覚ました後だから、ガブリエルは見てないんだ。
梯子は、それ以来、しまう事なくずっと出しっぱなしにしてる。
ほぼ毎日、Nの水と食事の用意のために上り下りをするので、その都度出し入れするのは、面倒だなと思って。
「へえ、上ってもいい?」
青い眼をきらきらさせながら、もうガブリエルは梯子に手を掛けてる。
「もちろん、どうぞ」
Nは、いるかな。
普段この時間は、いたりいなかったり、だけれど。
「あー、屋根裏だねえ、懐かしい」
梯子の上で屋根裏を覗き込んで、ガブリエルはしみじみと云う。
懐かしい、って、まだ2ヶ月ほどしか経ってないよね。
「そうだけど、いやあ、いろいろ思い出しちゃってね。Nと徹夜でノートパソコンを眺めてた事とかさあ」
楽しそうに、ガブリエルはくすくす笑う。
「Nは、いないねえ。こんな天気なのに、お出かけかなあ」
こんな天気だけれど、晴れ間がのぞいてるうちに、とか思って、出かけてるのかも知れない。
こんな事なら、前もってNに知らせておけばよかったかな。
でも、週末にベースへ行く事は、話してたので、Nも承知してくれてると思うのだけれど。
「それなら、じきに帰って来るかな。じゃあそれまで、スマホの使い方でもレクチャーしようか」
梯子の上から下りて来ながら、ガブリエルはそう云ってにっこり笑った。

ガブリエルとベッドに並んで腰掛けて、スマホを手に、メールを送ったり送ってもらったり、通話をかけたりかけてもらったりしていると、
ぴりぴりぴり、ヘッドホンから聞こえる「音」が、お馴染みのパルス音に変わる。
それまでは、かすかな風の音みたいな音が聞こえてたのが、不意に切り替わって、少し大きめの音で鳴る。
まだ「音」の意味はよくわからないけれど、このパルス音には、わりと良いイメージがあった。
Jとのお祭りの時の印象が強いから、なのかな。
なんとなく、気配を感じたような気がして、梯子の上を見上げたら、Nがちょこんと座って、こちらを見下ろしてた。
僕の視線を追って梯子の上を見上げたガブリエルが、はっと息を飲んで、
「え、まさかそれ、「聞こえた」ってやつ?」
Nと僕を見比べて、びっくりしてる。
そんな、まさか、ルナじゃあるまいし。
「音」が変わったのと、なんとなく屋根裏からNの気配がしたような気がしただけで。
立ち上がって、梯子の下で両手を差し出すと、Nがひらりと腕の中へ飛び込んで来た。
「それが「聞こえた」ってやつなんじゃないの」
ガブリエルは苦笑しながら僕を見る、けれど。
正確にどうなのかは僕も知らないけれど、ルナや御子が云う「聞こえた」は、もっとディテールというか、はっきりくっきり映像みたいに浮かぶもの、だと思うよ。
御子に至っては、詳細どころかその中身まで丸ごと全部「聞こえて」るみたいだし。
僕の「音」は、ほんのかけら程度というか、まさに抜け殻に残った御子の「力」の名残り、みたいな?
そう説明したら、ガブリエルは何やら顔をしかめて、
「やっぱりさあ、無人島へ行こうよ。もちろん、今すぐじゃなくてもいいから。キミが中学生か、高校生くらいになってからでもいいし」
冗談?なのかと思ったけれど、わりと真面目なトーンで云うので、ちょっと驚いた。
「キミは「興味ない」とか「いらない」とか云うけどさあ」
何故かガブリエルが口を尖らせて、拗ねたように云うので、僕は、困ってしまう。
「何の話でしょう」
腕の中で、Nが不思議そうに首をかしげてるので、さっきのガブリエルとの無人島の話を、Nに心の声でする。
「ははあ」
Nはぺろりと鼻をなめて、僕を見て、ガブリエルを見る。
何か、3人で話したいのかな、と思ったので、ベッドのガブリエルの隣に座った。
察したように、ガブリエルが手を伸ばして、Nの小さな手を握る。
「明日ですか、例の、Mに会いにベースへ行かれるのは」
いきなりNが本題に入るので、少し、意表を突かれた、かも。
てっきり、さっきの無人島の話で、何か意見があるのかなと思ってたので。
「いえ、無人島の件は、ワタシからは特に何も。おふたりで、どうぞよしなに」
さらりとNは云う。
まあ、そうだよね。そっちは、雑談みたいなものだし。
うん、とガブリエルがうなずいて、
「明日は、午後から出かけるんだけどね。ボクがNの体を借りる都合上、今日のうちに一緒に帰ろうと思って。明日、Kが出かけてるのに、ボクの体だけがこの部屋で寝てるわけにもいかないでしょ」
「それで、わざわざワタシを迎えに?」
「だって、Nは知らないでしょ、ボクの家」
「伺った事はありませんが、ススガ森のお城、なのでしょう。おおよその位置はわかります」
それは、Nの云う通りかも。
近くまで行けば、自然と「お城」が目に入るし。
「だからって、Nひとりで来て、って云うのもねえ。庭までは入れるだろうけど、屋敷はほら、無駄に広いからねえ」
ガブリエルは苦笑してる。
無駄に?かどうかはともかく、広いのは確か、だよね。
「では、早速向かいましょうか。あまり遅くならない方が良いでしょう。夜は雨になると思われます」
そう云って、Nはぴくぴく髭を震わせる。
だったら、早く出た方がいいよね。
と云うか、ガブリエル、ここから歩いて帰るつもりだったの。
てっきりまた、お坊ちゃまの特権を使って、サモンジさんのお迎えを頼むのかなと、なんとなく思ってた。
いやいや、とガブリエルは笑顔で首を振って、
「もちろん歩いて帰るよ。サモンジは屋敷の執事であって、僕の執事じゃないからねえ。そんなに気安くほいほい使うのも悪いでしょ。それに、歩けない距離じゃないよね。小1時間くらいで着くんじゃないかなあ」
さらっと云う、けれど。
もう17時過ぎで、たぶん18時近い、よね。
家に着く頃には真っ暗では。
「真っ暗って事はないと思うけど。まあ、ススガ森は田舎だから、この辺よりは暗いかなあ。でもNもいるし」
それはまあ、Nも一緒なのでひとりではないけれど・・・
云いかけると、がらがらとガレージの門が開く音が聞こえた。
ルナのように「聞こえた」わけではなくて、普通に耳で聞こえた、のだけれど。
ぴこん、とひらめいた、ので、
「ちょっと待ってて」
云い置いて、部屋を飛び出し、階段を駆け降りる。
サンダルをつっかけて玄関から外へ、飛び出そうとしたら、ちょうど入って来た母と正面衝突するところだった。
母も車で一緒だったの。雨なので職場まで父に迎えに来てもらった、のかな。
「何よ、慌てて。どうしたの」
驚いた顔で、母が咎めるように云う。
「ごめん、おかえり。えーと、父さんに、ガブリエルを送ってほしいなって」
たどたどしく、そこまで云ったら、母は全て察したらしい。
くるりと外を向くと、
「キイチロウさん!車、仕舞わなくていいから!」
ご近所中に響き渡るような大声で、母は云った。
まあ、ご近所は、空き地しかないので、いいけれど。
ばたん、と車のドアの音がして、のっそりと父が歩いて来る。
見るとオンボロ軽自動車はまだ歩道に止まっていて、ガレージにしまう前、だったらしい。
「えーと?出かけるの」
降り出した雨の中、傘もささずにのんきに尋ねる父に、
「ガブちゃんを送ってあげてほしいの」
いつもの直球ストレートで母が云う。
ガブちゃん?と小声でつぶやいて、ぽりぽりとあごの辺りを指先でかきながら、父が母を見て、僕を見て、ぴこん、と何かがつながった顔になる。
ニヤリと無精髭の口元を歪ませて、
「承知しました」
雨の降る歩道で、父はいつもの不恰好な執事ポーズでお辞儀をしてた。

父の車でガブリエルとNをお屋敷へ送り、帰って晩ご飯を食べてお風呂に入ると、もう夜8時を回ってた。
少し早いけれど、明日は午後からMのところへ行くのだし、もう休んでおこうかな、とベッドに腰掛け、部屋の灯りを消そうとスイッチに手を伸ばしたら、からりと貝殻の風鈴が鳴る。
またずいぶんと遠慮がちに。
静かに鳴らすのが流行ってる、わけではないと思うけれど、みんな気を使って、勢いよく鳴らないように、そっと窓を開けてるのかな。
海を「振り返る」と、Jのお庭の窓が開いていて、左腕にクロちゃんを載せたJが顔をのぞかせてた。
「K、まだ起きてる?」
魔法の声が囁くように云うのは、何故だろう。夜だから、気を使って、なのかな。
起きてるよ。
そう返事をして、部屋の明かりを消して、ベッドに横になり、テラスへひらりと降り立つ。
窓を見上げたら、Jはふわりと微笑んで、窓から僕を手招きする。
「お庭へ来ない?ピクニックしよう」
いたずらっぽく笑うのは、冗談のつもりなのかな。
こんな時間に、夜のピクニック、って事?
うん、と小声でJはうなずいて、笑顔のまま僕を手招きしてる。
お庭へ、という事は、Jは今、クロちゃんの中にいるのだろう。
「王」以外の誰かの意識空間へは、普通には入れない。
入ろうと思えば入れるけれど、海とのつながりと記憶の大半を失う、かもしれない。
ヌガノマに意識を移されたルリおばさんがそうなったのは、アルカナの仕様ではなく壊れたヌガノマ側に原因があったのでは、という説が今のところ有力だけれど。
それを除いても、「王」以外の人の意識にそのまま入る事には、何か禁忌てきなものがある、ような気がする。
例外的に、意識が動物の中へ入っている状態であれば、問題なく入ることが出来るのは、夏に僕とJが眠りに落ちて、それぞれNとクロちゃんの中にいた時に実証済みだった。
クロちゃんの中にいるJの意識空間へ、だったら、僕は問題なく入れる。あの時も、自慢のお庭を案内してもらって、のんびりピクニックを楽しんだ。あの日は、朝から、だったけれど。
テラスの床を軽く蹴って、ふわりとJのお庭の窓へ飛び上がる。
窓枠に飛び乗ると、Jが右手で僕の左手をつないで支えてくれた。
「おじゃまします」
ぺこりとお辞儀をしながら云うと、
「いらっしゃい、どうぞ」
Jは僕の手を引いて、お庭へふわりと舞い降りた。
夜のお庭は、昼間とはまた違って、とても素敵だった。
樹々の梢の向こうに、まんまるのお月さまが昇ってる。
明るい月あかりに照らされたお庭の歩道に沿って、足元を照らすように淡い黄色のキャンドルが灯されてる。
ゆらめくキャンドルの灯りに照らされる木々やお花が、幽玄な雰囲気で、まるで僕らを夢の世界へ誘うよう。
Jに手を引かれて歩道を進むと、お池のほとりの噴水の脇、ピクニックテーブルに、お茶とお菓子が用意されてた。
ほんとにピクニックするの。
「そうだよ。嘘だと思ったの」
Jは少し驚いた顔で、僕にどうぞと席をすすめて、隣に座りながらくすくす笑う。
嘘っていうか、冗談かなって。だってもう夜だし。
そう云ったら、Jは魔法の声で「ふふふ」と笑って、
「普通に考えたら、ね。小学生が夜にピクニックだなんて、叱られちゃいそうだけど。意識空間のお庭だったら、安全だし何の心配もないでしょ」
それは、そうだけれど。
小さなピクニックテーブルの傍には止まり木が立てられていて、Jがそちらに左腕をのばすと、クロちゃんはぴょんと横木に飛び移る。
「K、夏休み明けに目を覚ましてから、のんびりする暇もなかったでしょ」
魔法の声でため息まじりにそう云われて、そうだったかな、と思う。
確かに、目覚めてすぐにハナが転校して来てナナと出会い、眠るルリおばさんとも再会した。
ナナとナガヌマの記憶を見に行ってた頃にハルの事件があり、目を覚ましたルリおばさんと一緒に捜索に出たりもしてた。
その後、Lのスカボロフェアがあって、ガブリエルが退院し、ミクリヤのパーティでハンスとドーリーに会った。
ハナが穴に落ちたり、ナガヌマやドーリーが「海」に来たり、みんなでルリおばさんの記憶をつなげるために記憶の保管庫へ行ったりもした。
そして、ガブリエルとNと一緒にキクヒコさんを探しにススガ丘へ行き、ルナとゲンゴロウ先生、それから親分にも会った。
云われてみれば・・・
「働きすぎ」
ぽつりと、でも意外にきっぱりとクロちゃんが云うので、どきっとする。
そうだね。働いてるつもりはなかったけれど、ちょっといろいろ欲張り過ぎかな、とは思う。
ふふふ、とJは笑って、
「夜のピクニックは、クロちゃんの発案なの。「キクタをのんびりさせたい」って」
そう云われて、またちょっとびっくりして、クロちゃんを見る。
クロちゃんは少し首をかしげて、黒くて丸い宝石みたいなきれいな眼でじっと僕を見てる。
それは、ありがとう。
でも僕、そんなに疲れて見えたのかな。
「疲れてない。だから、よけいに心配。また病気、なる、よ」
クロちゃんの心の声に云われて、なるほど、と思った。
「おじいちゃん?」
だよね、クロちゃんも、Nと一緒で、「キクタ」が育ててたんだもんね、あの地下のベースで。
だから、病に倒れた「キクタ」を覚えてるんだ。
「そう。あの時、ワタシ、何もできない。でも今は、Jのお庭で、のんびり、できる」
そっか、それで、夜のピクニックに誘ってくれたんだ。
ありがとう。
もう一度、僕は心からクロちゃんにお礼を云って、その小さな頭をそっとなでた。

心がほっとやわらかくほどけるようなおいしいお茶を飲みながら、夢の世界のように幻想的なJのお庭を眺める。
オレンジの海は「癒し空間」だってナナやLはよく云うけれど、いやいや、Jのお庭には敵わないかもしれない。
「いやいや、さすがにそれは、ねえ」
Jはひらひらと手を振って、しきりに照れてるけれど。
「ね、K、修行、覚えてる?」
照れ隠しみたいに、不意に思い出したようにJは云う。
修行
云われて、思い出す。という事は、僕、忘れてた、よね。
夏に「あいつ」の追跡をどうするかって相談してた時、Lが云ってた、「能力」の修行の事、だよね。
「そうそう。わたし、だいぶ飛べるようになったんだよ、「泡」で」
ふふん、とJはNみたいに得意げに鼻を鳴らす、けれど。
J、「泡」で、飛べるの。
「あいつ」があの公園や、海沿いのクレーターでやって見せたみたいに?
ゴーグルもヘッドホンもなしで?
あのLでさえ、眼帯やデリンジャー(のモデルガン)を目印に使って・・・、いや、でも、Lはたった1日であの技を習得してたんだよね。
「何もなしでできるのは、Jくらいのもんだろ」
とか、Lはあの時に云ってたけれど。
「うん。やってみたら、わりと、すっと飛べたねえ」
ふふふ、魔力の高そうな魔法の声で笑って、
「あ、でも最初はやっぱり、ふわー、くらいだったよ。すぐに落ちてきちゃうし。だから、クロちゃんに見てもらいながら、練習して」
練習って、まさか教会のお庭で?
「うちのお庭ではできないでしょ。お母さん、びっくりしちゃうよ」
あはは、とJは口に手を当てて笑う。
それは、そうだよね。
「だから、人の目のなさそうなところ、って考えて」
人の目のなさそうな
え、公園?じゃないよね。
「あー、公園もちらっと思ったけど。でも、狭いでしょ。だから、もっと広い場所で」
公園がダメな理由は「狭い」から、なの。
まあでも、そうなのかな。飛んでも、すぐに端に着いちゃいそうではある、よね。
「あの廃線の駅、覚えてる?あそこなら、うちの教会からそんなに遠くないし、人の目は絶対にない、でしょ」
ふふーん、と得意げにJは笑う、けれど。
あんな所までひとりで練習しに行ってたの。あ、いや、クロちゃんも一緒なら、ひとりではないけれど。
それに、確かにJの云う通り、人の目は絶対にない、よね。
そもそもあの辺りも、認識を消されてるし。
「泡」で空を飛ぶための練習場所には、もってこい、かもしれない。
まさかあの場所の認識を消した誰かも、後々そんな風に利用されるとは夢にも思わなかっただろうけれど。
それで、飛べるようになった、って、その、どれくらい?
何故かおそるおそる、僕はJに尋ねる。
何を僕はそんなに恐れてるのだろう、って、心のどこかで不思議に思いながら。
「うーん」
Jはぴこんと立てた細くて長い人差し指をあごに当てて、空を見上げる。
明るい満月が照らす、きれいな紺色のお庭の夜空を。
「どれくらい?」とJは目線を下ろして、クロちゃんをまっすぐ見つめて、
「こないだ、最後に飛んだ時は、あの駅からフェンスを越えて、クレーターの上をぐるっと回って、また駅に降りたんだっけ。あれって何メートルくらいかな」
「何メートル?わからない」
クロちゃんは首をかしげてる、けれど。
え、ちょっと待って、駅からフェンスを越えて、クレーターの上まで、それだけでも50m以上はあるよね。
クレーターの直径が50mとして、その上をぐるっと回って?
50mの円の周りって、何mくらいあるの。100m以上はあるよね。
「むむ、円周率ってやつだね。そっか、Kはまだ習ってないんだ。かける3.14だよ。だから、50かける3.14は?・・・157、かな」
ぴこん、とJは人差し指を立てて、にっこり笑ってる。
クレーターの周囲が157m、駅からクレーターまでが約50mとしたら、つまり、Jは200m以上飛べるの。
え、それは、もはや鳥なのでは。
「鳥ではないよね。だって、クロちゃんほど速くは飛べないもん」
まじめな顔で否定してるけれど、いや、それはそうだよね。
クロちゃんほど速く飛べたら、それはもうほんとに鳥だもの。
「J、鳥、じゃない。でも、ほとんど、鳥」
クロちゃんもまじめな顔で云う。
だよね、200mも飛べたら、それはもうほとんど鳥だよね。だって、ニワトリやペンギンよりも遥かに飛べるって事でしょ。
「わあ、クロちゃんにそう云われると、うれしいなあ。でも、やっぱりクロちゃんくらい速く飛びたいよねえ」
にっこり笑ったかと思ったら、Jは本気で悔しがってる。
クロちゃんくらい速くは、「泡」ではちょっと無理かな。やっぱり、翼が必要だよね。
「うーん」
クロちゃんも首をひねって、何て答えたらいいのかわからない、のかな。
でも、ふと気になった。
J、そんなに練習したりしたら、また体に負荷がかかって・・・。
僕がそう云いかけると、
「あ」
ぴこん、とまたJは人差し指を立てて、
「Kに云ってなかったっけ。あれ、じゃあLからも聞いてないの」
そう云って、制服の襟元のボタンを外して、胸元から何やら引っ張り出したのは、ペンダント、かな。
小さなリングと棒状のスプーンみたいな形をした飾りのついた、銀のペンダント。
「これ、ベビーリングだよ。おじいちゃんが、わたし達4人のために用意してくれてたんだって。ルリさんから貰ったの」
ベビーリング?
赤ちゃん用の指輪って事、かな。
「そう、ベビーリングってね、赤ちゃんの1歳の誕生日に贈るものなんだって。幸せを祈って、指輪と銀のスプーンをね。スプーンは、食べ物に困らないようにっていう意味もあるんだって」
へえ、それは、知らなかった。
「キクタ」が4人の赤ちゃんのために用意してた、って事は、それもアイテムなの。例の負荷軽減と、何か「力」をパワーアップさせるセンサーの付いた?
「そう。これを貰ったから、わたしもLも、「力」を止めれるようになったんだよ。ON・OFFできる、って云うのかな。必要な時だけ、ONにして、普段は止めておけるの」
そう聞いて、何だかすごくほっとしてた。
ガブリエルは、「道」の力を最初から出し入れできるって云ってたけれど、Jの「泡」とLの「線」はずっと出たままだから、その分、体への負荷が溜まりやすいはず、だよね。
それがずっと気にかかってはいたけれど、今の僕にはどうする事もできないし。
そっか、ちゃんと用意してたんだ。
それぞれ4人の1歳の誕生日に贈ろうと準備してたけれど、あの火事のせいで渡しそびれちゃってた、って事なのかな。
「うん、だから、ルリさんが云うには、アイはもう持ってるはず、って。あの火事の時、すでに身に着けてたはずだから、って」
あ、そっか。アイは、あの時すでに1歳になってたんだもんね。
じゃあ、今も着けてるのかな。それとも、どこかに大事にしまってるのかな。
「ね。教会にいた頃、アイがペンダントしてるのを見た覚えはないから、どこかにしまってるのかも?もしかしたら着けてたけど、わたしが小さかったから覚えてないだけかもしれないけど」
小さな子供の頃は、どこかに引っ掛けたりして首がしまったら危ないし、教会のお父さんお母さんが外してくれてたのかもしれないね。
それに、アイは何故か能力に目覚めていないらしいので、身に着けていなくても、負荷が溜まる事はない、かな。
「うん、だからわたしも、負荷の心配はだいじょうぶ。飛ぶ練習で「力」を使っても、普段はOFFにできるから、問題ないよ」
ふふふ、とJが魔法の声で笑ってくれて、あらためて、よかった、と思う。
おじいちゃんありがとう、って、僕が云うのはおかしいけれど。
「今度、Kも一緒に行こ。飛ぶ練習」
さらりとJが云って、クロちゃんも当然のように軽くうなずいてる。
僕も、飛ぶ練習、するの。
「え、イヤなの」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、Jは僕をにらんでる、けれど。
イヤではないよ。もちろん、ええと、喜んで?
思わずそう云ってしまってから、父みたいだな、と思って、ちょっとびっくりした。
でも、実際にあの時、キクヒコさんは僕の体で、ゴーグルとヘッドホンを着けて、僕らの眼の前で飛んで見せてくれてた、ので。
僕も「泡」で飛ぶことが出来るのは、間違いないのだろう、けれど。
「けれど?」
クロちゃんが小首をかしげてじっと見る。
いえ、がんばります、喜んで。
「ふふふ」
魔法の笑い声と共に、Jがふわりと席を立って、
「じゃあ、今からイメージトレーニングしよ」
そう云って、僕に手を差し伸べてる。
イメージトレーニング
そう云えば、あの時もJはお庭でイメージトレーニングしてたね。
「うん。意識空間だからね、何もなしでも飛べるんだけど、そこはそれ。普通にふわっと飛ぶんじゃなくて、あえて「泡」に触れて「飛ぶ」ことを意識してみて」
確かにJの云う通り、意識空間なので、空を飛ぶのも海に潜るのも、瞬間移動だって思うまま、だけれど。
あえて「泡」に触れて「飛ぶ」ことを意識
それが、コツって事?
僕も立ち上がって、差し出されたJの右手を左手でつなぐ。
右手を頭の上に上げると、あの不思議な感触の「泡」に触れた。
「そ、意識空間だからね」
ふふふ、と魔法の声が、今日も僕に勇気をくれる。
ばさっと羽音をたてて、クロちゃんがお庭の空へ舞い上がる。
白くてまんまるのお月さまが、柔らかく手をつないだ僕らを照らしてる。
クロちゃんを追っていたJの灰色がかった眼が、ふわりと僕に降りて来る。
「じゃあまずは」
天使のような微笑が、ふわりといたずらっぽく揺れて、
「わたしを、あのお月さままで連れてって」
魔法の声が、1/fのゆらぎで、僕の耳にするりと滑り込んだ。




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