(they long to be) close to you v

屋根裏ネコのゆううつ II

ざざあ、とやわらかな波音が耳に届いて、僕はホッと息をつく。
やっぱりオレンジの海は、いつでもやさしい、癒し空間だ。
ちゃんと戻れた事を確かめるみたいに、テラスの椅子に背中をもたせかけると、先に戻ってたルナが、何故かニヤニヤしながら、隣から僕の腕を肘でつんつんつついて、
「マゴちゃん、来てるよー」
小声で囁くように云う。
マゴちゃん?
一瞬、何の事かわからず、テーブルの向こうのナナを見ると、
ナナも無言のまま、小さなあごで砂浜の方を指してる。
振り返ると、あの流木の所に、ゆらりと陽炎のように、ナガヌマが立ってた。
嘘でしょ、何でなの。
まさか、さっきMの海で呼んだのが、聞こえてた?わけじゃないよね。
ナガヌマは、こちらに背を向けて立ち、海を眺めてる、ように見える。
え、これは、どうすればいいの。
声をかけるわけにもいかないし、かといって、放っておくのも失礼な気がする、よね。
どうしたものかと頭を抱えているところへ、ふわりとみんなが戻って来る。
僕らのただならぬ気配を感じたのかな、Lが怪訝な顔で辺りを見渡して、砂浜に立つナガヌマを見つけるなり、にっこり笑って、僕に親指を立ててみせる。
いやいや、やったぜ、とかじゃないでしょ。
どうすればいいの、この状況。
困っていたら、ルナがぴこん、と人差し指を立てて、
「通訳を呼ぼーよ」
にっこり笑ってる。
通訳って?
尋ねる間もなく、ルナは大きな声で、
「みこちゃーん、いるー?」
また、御子なの。
そんな気軽にほいほい呼んでいいのかな。
あの御子だよ?星ひとつに匹敵するかもしれないすごい何か、だよ?
僕とルナの間で、ふわりと金色の靄が揺れて、
「お呼びでしょうか、ご主人様?」
集まって子供の形になると、お約束のように御子が云う。
「お呼びだよー」
ルナはうれしそうに笑ってるけれど。
「何の遊びだ、それは」
不意に後ろから低いしゃがれ声が聞こえて、僕は飛び上がりそうになる。
振り返ると、いつの間にかナガヌマが、テラスの端に影のように立ってた。
「知らないの。魔法のランプだよ」
まじめな顔で(顔は金色に光ってて見えないけれど)答える御子の返事を聞きもせず、ナガヌマはつかつかと歩み寄ると、御子の椅子の背もたれを掴んで軽く引き、テラスの端へその椅子を置いて、すっと無言で腰を下ろす。
「あ」
ナガヌマの分の椅子を出そうとしてくれてたのかな、片手を上げてたJが困った顔をしたら、
「俺はここでいい。海が良く見える」
何だかよくわからない事を云って、ナガヌマは椅子にもたれて、海を眺めてる。
「じゃあ」
ぱちん、とJが指を鳴らして、ナガヌマに椅子を取られてしまった御子に、新しく椅子を出してくれた。
御子は、椅子を取られてもふわふわ浮いてたので、だいじょうぶそうではあったけれど。
「ありがとう」
御子はJに丁寧なおじぎをすると、くるりと僕らを見渡して、
「どうぞ、始めて。彼なら大丈夫、大人しく座ってるという事は、話を聞く気があるんだよ(たぶんね)」
そう云って、楽しげに椅子の上でふわふわ揺れてた。
「それじゃあ」
Lがまた、大袈裟にオッホンと咳払いをして、僕らが探す「金色の左眼」についての説明を、Mにしてくれる。
それを「探せ」と云った本人は、話を聞くともなしにのんびりと、素知らぬ顔でオレンジの海を眺めているけれど。
御子が「力」とナガヌマの半身を元に作り出した「核」は、三つにちぎれたロリポリの各部位にひとつずつ入り、それぞれを生かし続けている(と思われる)。
実際には、「尾」に入っていた「左足」は、軍によって「尾」が生命維持装置に収められた事で、その役割を失いかけていた。
ところが輸送機の落下事故により、同時に運ばれていた別の生命維持装置の中で眠り続けるルナが生命の危機に陥った。そこで「核」本来の「生かす」機能が発動して、ルナの命を救うため、「核」は彼女の中へ入った。
御子によれば、ルナはすでに生命の危機を脱しているので、「核」なしでも問題なく生きられる。それなのに「核」がいまだにルナの体内にいるのは、単に「他に行き場所がないから」であって、「核」がルナを生かし続けているわけではない、との事だった。
もうひとつ、「腹部」に入った「核(左腕)」は、今もその中にあり、ちぎれた「腹部」を生かし続けている。軍から「腹部」を隠した張本人であるH・O・アンダーソン博士は、高齢のため、その腹部のオレンジの海のプール、通称「揺り籠」の中で昏睡状態で眠り続けていた。いつ頃の事なのか正確にはわからないけれど、「揺り籠」の中で生命の危機に陥ったH・O・アンダーソン博士を「生かす」ために「核」は博士の中へ入った。そして、これも御子によれば、今は博士の意思で、「核」は「腹部」とその中にいるロリポリの幼生体「黄金虫」を生かし続けている。
残る「左眼」は、ロリポリ「本体」の中にあるのでは、というのが僕らの推察だった、のだけれど。
「事情は概ね理解しました」
淡々と、10代とはとても思えない(?)落ち着きのある声でMは云う。
「ちぎれて落下したはずの「腹部」や「尾」が、80年経った今も生き続けている理由も、それで納得しました。けれども」
そこで言葉を止めて、あごに手を当てて、首をかしげる。
考え込むようなその仕草はとても自然で、まるでモニカがそこにいるよう。
ついそんな錯覚をしてしまいそうになり、ふと思う。
ナガヌマは、もちろんMがモニカ本人ではない事には、気づいてる、よね。
さっきテラスへ上がって来た時点で、当然、Mの姿は眼に入ってるはず、だけれど、彼は特に気にする風でもなかった、ような。
ちらっと振り返ると、ちょうどこちらを向いていたのかな、ナガヌマと眼が合ってしまい、どきりとする。
「おまえが「M」と呼ぶのは」
しゃがれ声は、心の声で僕の頭の中に響いて、
「M-0、だな。会うのは初めてだが、話は聞いている」
それは、僕の疑問に答えてくれたの、かな。
それだけ云って、すっと眼をそらし、ナガヌマはもう知らん顔で、また海を眺めてた。
話は聞いている
と云うのは、モニカから、なのだろう。
ふふふ、と御子が笑って、
「ほらね、とぼけた顔してるけれど、ちゃんと聞いてるでしょ。大丈夫、そういう人なんだよ」
可笑しそうに、囁くように云うけれど、それも心の声なので、みんなに聞こえてる。もちろん、ナガヌマにも。
「結論から云います。その「左眼」は、ロリポリ本体の中には、ありません」
少し申し訳なさそうに、Mは云う。
その答えは、不思議な事に、特に僕を驚かせはしなかった。
どうしてだろう、僕はどこかで、それを知ってたのかな。そう思えるくらい、あっさりとそれを受け入れてた。
それに何より、「左眼」がロリポリの中にないのは、Mのせいでも何でもない、よね。
Mはどこか遠慮がちに、続けて、
「私は3年前から、ずっとロリポリ「本体」の中にいますが、残念ながらそのようなものを見た事はありません。ロリポリを生かし続けるような大きな「力」が、その体内にあるのを、感じた事もありません。それに何より、ロリポリは今も、自身の中に蓄えた「オレンジの海」によって命をつないでいます。深い睡眠に入り、体の維持と修復に努めながら、再び飛び立つための力を蓄えています」
Mの緑がかった瞳が、ふわりと動いて、御子を見る。
「何よりも、御子はそれを、すでにご存知だったのではありませんか」
それは、そう。なのだけれど。
ふん、と面白くなさそうに、ナガヌマが鼻を鳴らして、
「制約、とやらで、それは云えんのだそうだ。ランプの魔人も、大した事はないな」
海を眺めたままで、ひとりごとのようにぽつりと云う。
御子がまた楽しそうにふわふわ揺れて、
「あなた達のように、何者をも恐れぬ向こう見ずではないからね。制約や理(ことわり)には、「力」だけではそうそう抗えるものではないよ」
ふふふ、と笑ってる、けれど。
あなた達のように、って
それは、僕も含まれてるの。
いや、違う、そんな事より、今は「左眼」だった。
未来を語る事はできない、その制約に触れるから、ロリポリの中に「左眼」があるのかどうかも含めて、「左眼の在処」を御子は僕らに云えない。
そういう話だったけれど。
未来を語れないのだとして、過去はどうなのかな。
80年前、ちぎれながら落下するロリポリに、御子は「核」を使った、それは間違いないんだよね。
「うん。それは間違いないね」
あっさりと御子はうなずく。という事は、過去を語る分には、その制約には触れないの、かな。
「80年程度の過去ならば、ね。40数億年に及ぶこの星の歴史全体で見たら、80年なんて誤差の範囲でしょ。それが、数千万年とか数億年とか云われたら、話は別だろうけれど」
御子の言葉に、Lが青い眼をきらきらさせながら、こぼれ落ちそうなくらいまんまるに見開いてる。
数千万年とか数億年って、まさかそれを、御子は知ってるの。制約に触れるから云えないだけで?
コホン、と何故かナガヌマが小さく咳払いをして、
「真に受けるな。そいつの云う事は、話半分に聞いて丁度いいくらいだ」
ひとりごとのように、そうアドバイス?をしてくれる。
「いやあ、話半分だとしても、いやいや十分の一か百分の一だとしても、数十万年か数百万年だぜー?現生人類が誕生した頃か、それより前とか?やっぱ御子ちゃんって、超古代の遺物なんじゃね」
まあその話はまた今度ゆっくりじっくり聞かせてもらおー、そう云って、Lはニヤリと御子に笑いかける。
御子は答えずに、楽しげにふわふわ揺れてたけれど。
ひとまず、80年前に話を戻そうか。
ナガヌマの「左眼、左腕、左足」と御子の「力」を使って作られた「核」は、三つあって、ちぎれたロリポリの体の部位に、それぞれひとつずつ入った、それでいいんだよね。
そう尋ねたら、御子は首をかしげるような仕草をして、
「さて、どうだったかな」
思わせぶりに、云う。
違うのかな。だとしたら、どこが違うの。
「ロリポリが3つにちぎれたのは結果であって、「核」を作った時点では、それはまだちぎれてない、でしょ。あの時「聞こえた」のは、壊れかけて落ちてくる「船」がそのまま地上へ落ちれば、この惑星に甚大な被害をもたらす、って事だけだよ。だから、作った「核」は、初めはひとつだったんじゃないのかな」
まるで他人事のように云うのは、どうしてだろう。
御子には、記憶がないの。
「記憶がないわけではないけれど、かなり曖昧だね。前にも云ったけれど、元々意識のある存在ではないからね。「これ」はただ、身近な人(ナガヌママゴイチ)を模して「力」が戯れに作ったもの。だから、意思や思考や記憶も、ただの真似事に過ぎない。80年前のその時の事も、なんとなくは覚えているけれど、何を思ってどうしてそうなったのかは、ひどく曖昧だね。だから、まるで他人事のように想像するしかないのだけれど、たぶん、作られた「核」そのものは、初めはひとつだったと思うよ。落ちてくる「船」は、ひとつだけだったからね」
落ちてくるロリポリはひとつ、だから「核」も初めはひとつだった。
ロリポリがちぎれて三つに分かれたから、核もそれに合わせて三つに分裂した。
左眼、左腕、左足、に分かれたのは、偶然、という事なのかな。
たまたま、ロリポリのちぎれた体が三つに分かれ、ナガヌマが失った体の部位も三つだった、というだけの事で。
「そうだね。例えばロリポリがもっと細かく、数百もの部位にちぎれて分かれてたとしたら、核もまたそれに合わせて数百個に分かれていたのだろうね。もちろん「生かす」過程でちぎれた部位同士がつながってくっつけば、中にある「核」もくっついてひとつになるのだろうけれどもね」
Mの話では、ロリポリ「本体」は体内の「オレンジの海」によって命をつないでる。
そこに「核」は必要なかったから、そもそも「本体」の分の「核」はなかった、という事なのかな。
Lが首をひねって、僕を見て、
「つまり?ロリポリの体は三つにちぎれて分かれたけど、死にかけてたのはそのうちのふたつだけ。だから「核」はふたつに分裂して、死にかけてた「腹部」と「尾」にそれぞれ入った、って事か?」
そう云うと、
「いや」
即座にナガヌマが否定する。
「その娘の中にも、あの博士の中にも「左眼」はなかった。それは俺自身が確認済みだ」
そう云って、ちらりと御子を見て、
「それにそいつも、「左眼」の存在そのものは否定していないだろう。ならば、どこかにあるのだろう」
それは、そう、なのかな。
御子はまた何も答えずに、ふわふわと楽しげに揺れてるだけだった。

「ひとつ、お尋ねします」
すっと小さく右手を上げて、Mが云う。
「どーぞー」
いつの間にか、ルナが発言を許可するのがデフォルトになりつつあるけれど。
「そのロリポリを生かすための「核」、最後のひとつ「左眼」を見つけて、どうするつもりですか」
何故か、Mがくるりと横を向いて、ナガヌマにそう問いかけるので、僕はドキッとしてしまう。
「あ、失礼しました。話しかけてはいけないのでしたね」
Mが少し慌てたように云うので、じゃあやっぱり、今のはナガヌマに尋ねてたの。
何だか、モニカがナガヌマにそう聞いているのを見るようで、僕はドキッとしてしまったけれど。
「肯定します。Lのお話では、それを「探せ」と云ったのは、彼だったのでしょう」
それは、そうなのだけれど。
「どうするかは」
遠い眼で、オレンジの海を見つめたまま、ナガヌマは
「キクタに任せてある」
ぽつりと、それだけをつぶやいて、黙り込む。
そう、前に御子に尋ねられた時も、ナガヌマは同じように答えてた。
「なるほど、ありがとうございます。承知しました」
Mはぺこりとお辞儀をして、僕を見てかすかに微笑む、けれど。
なるほど、承知しました、なの。
任されてしまった僕には、どうしたらいいのか、全然わからないのだけれど。
そんなのでもいいの。
「そうなのですか」
Mが不思議そうに僕を見る。
え、じゃあMにはわかるの。
「私が、ですか。いいえ、わかりませんけれど」
即答されて、面食らう。
わからないのに、承知したの。
「肯定。私にわかるかどうかは、この際、問題ではありません。彼の回答は「どうするかは、キクタに任せてある」でした。それは、私にとって十分に納得できる答えです。ゆえに承知しました」
何でなの。
その僕自身が、どうしたらいいかわからないのに?
「はい」
まっすぐにやわらかな声でMはうなずいて、
「K、あなたは、モニカの最後の言葉を、覚えていますか」
そう云って、首をかしげて僕を見る。
もちろん、覚えてる。
モニカは最後に、灰の降る枯れた海を眺めて、かすかに微笑んで、
「キクタと子供達を頼みます。あの子達は、私の希望です。彼らが、あの素敵な夢を叶えられますように」
胸の前で軽く手を組み合わせ、祈るようにヘイズルの瞳を閉じて、やわらかな慈雨のような声で、囁くようにそう云った。
ふっふん、Lが何やら楽しげに含むように笑って、
「それじゃあ、いよいよ最後の質問、いってみよーかー」
はっはー、陽気なハスキーボイスが、「オレンジの海」に響き渡る。
最後の質問
このタイミングで?
確かに、モニカの最後の言葉と、それは全く無関係とは、僕にも思えないけれど。
ニヤリと笑ったLが、スッと右手を上げて、
「Mちゃん、「カントリーロード」って、何?」
いつもの陽気な笑顔で、そう尋ねる。
今回の訪問を計画した時、Mにその質問をしてみようと思ったのは、モニカの記憶を持つMなら、それを知ってるはずだと思ったから、だったよね。
確かに、その可能性は決して低くはなかった、あの時はそう思った、けれど。
「肯定。モニカの記憶は、私にはほとんどありません。モニカ自身の記憶、彼女がレムナント化する以前の記憶は・・・。ですので、「カントリーロード」、その言葉にも全く覚えがありません」
申し訳なさそうに、うつむきかげんに、Mは云う。
その声はいつも通りやわらかく、この「海」に降る雨のようにやさしい。
「だよねー。さっきそう聞いてたもんなー」
Mからの返答は、Lも予想通りだったのだろう。
それでも、用意していた最後の質問は、まっすぐMにぶつけてみるべき、
Lはそう思って尋ねたのだろうね。僕も、そう思う。
Mの中にその答えを示す「記憶」はない、それを確かめられただけでも、質問の意味は、きっとある。
「おい」
ナガヌマが低いしゃがれ声で呼ぶので、どきっとした。
相変わらず、海の方を眺めたままなので、その声が誰に向けられたものなのかは・・・
ちらり、とナガヌマが黒い眼だけをこちらに向けて、
「おまえだ、ランプの魔人。どうにかしろ」
御子だった、らしい。
どうにかしろ
というのも、なんと云うか、ずいぶんざっくりした依頼だけれど。
「あのね、ランプの魔人のご主人様はルナであって、あなたではないのだけれど」
相変わらず、楽しそうに御子はふわふわ揺れながら云う。
ルナがぴこんと反応して、
「じゃあ、るながお願いするよー。みこちゃんー、どうにかしてー」
何をどうにかするのか、わかってるのかどうなのか、いやたぶんわかってないと思うけれど、ルナはいつも通りのんきな声でそう御子にお願いしてる。
でもそれは、御子にどうにかできる問題では、ないよね。
自身の記憶の残滓・レジデュを使ってMを生み出したのは、モニカだ。
そのために、モニカ自身の記憶は、全て失われてる。
失くした記憶を取り戻す、それは星ひとつに匹敵する「力」である御子とはいえ、いや、だとしても、全く別のもの、無理なのでは。
「その通り」
ふわりと御子は揺れて、
「失くした記憶を取り戻す、消えて無くなってしまったものを元の状態に戻す、それはまた、全く別の種類の「力」だよ。この宇宙全体、ありとあらゆるものに等しく流れる「時間」という、とてつもなく大きな「力」だね。大きさももちろんだけれど、全く異なる「概念」だからね。この「力」ではどうすることもできないな」
「失くしたものを戻せと云ってるわけじゃない」
海を見つめたまま、ため息をつくようにナガヌマが云う。
「モニカのそれはすでに失くとも、彼女に聞いた話は、「ここ」にある」
ナガヌマの金色の左手が、人差し指を伸ばして、自身の頭を指さしてる。
「ここ」
そうか、そもそも「カントリーロード」という言葉を教えてくれたのは、ナガヌマだ。
「モニカの話では、キクタは計画を立てていた」
その時に、ナガヌマはそうも云ってた。
つまり、ナガヌマはモニカから、カントリーロードの話を聞いてる。
だから、どうにかしろ、と云うのは、それを話す事ができない「制約」の方。
「あのね、ランプの魔人は「神様」じゃないんだよ。未来に関する事は云えない、それはこの宇宙をあまねく包み込む世の理(ことわり)だ。ただのちっぽけな「力」でしかないものに、どうにかできるわけがないでしょ」
御子が肩をすくめるように、ふわりと揺れる。
「んー?でもー、モニカちゃんがマゴちゃんにそのお話をしたのは、未来じゃなくて過去なんでしょー。過去の思い出話をするだけなら、いいんじゃないのー?」
ニヤニヤしながら、ルナが尋ねると、
「過去の思い出話を、ただの思い出話として、さらりとできるものならね。それができないから、ナガヌママゴイチも「どうにかしろ」なんて無茶を云ってるんだよ」
「その通りだ。さっきから何度も、口をついて出そうになってる。だが、声に出す事ができない。これは、なんだ?」
「それが、制約。いかに傍若無人で恐れを知らぬナガヌママゴイチであっても、抗えないものだよ」
ふわりと御子が揺れる。
制約
抗えないもの
だったらどうして
「キクタは、それに反することが出来たのか、かな。その答えは簡単だね」
ふふふ、と御子は小さく笑って、
「あなたは「隙を突いた」んだ。世界の理やそれによる制約にしたって、何もかもをぎちぎちに拘束・束縛するものではないよね。手錠や鎖のようなものではなく、どちらかと云えば、ゆるやかに包み込む網のようなもの。網ならば、その網の目を掻い潜ることも出来なくはない。あなたがした事はまさにそれで、世の理の網目を掻い潜り、制約の隙を突いたんだよ。狙ってか偶然かは兎も角として、ね」
御子の説明は、わかりやすいようで、よくわからない。
隙を突いた、なんて云われると、やっぱり何か僕が悪い事をしたような気分になる。
悪い事、と云うより、ずるい事、かな。
ふむ、とめずらしく御子が、まじめな声で、
「良い悪いとか、ずるいずるくないとか、そういう話ではないんだよ。本来は、抗えないものだ。今のナガヌママゴイチのようにね。制約によって、口にする事ができない。けれどその一方で、彼は「生者と死者は話しをしてはいけない」という制約に、こっそりと反してる。とぼけて海に話しかけるような顔をしてね。それと似たようなものだね」
そう云って、僕を安心させようとするみたいに、ふわりと揺れる。
今のナガヌマと同じ、と云われて、なんとなく、納得できた、かも。
いつもの僕の悪い癖、なのかな。深刻に考えすぎなだけ?
御子の云うように、どこかで「罰を望む」ような心理が、僕の中にあるのかな。
「待て」
ナナが短く云う、何故かものすごく渋い顔で、ナガヌマをにらんで?
「そこにある、と云うたの。おぬしのその頭の中、つまり「記憶」によ」
そう問いかけて、はっと何かに気づいたように慌てて、
「ああ、いや、今のはひとりごとじゃ。すまん、年を取ると声が大きくなっていかんの」
ナナは大袈裟に呵々と笑って、オレンジの空を見上げて、とぼけた顔をしてる、けれど。
そこにある
記憶
ナガヌマがモニカから聞いた、カントリーロードの話、その記憶。
だとしたら、それは、
ハナの記憶の保管庫に、ある。
ナナの渋い顔の理由が、僕にはわかった。
だけど、これ以上ナナに負担をかけるのは・・・。
云い淀むと、ルナが僕の頭をぽんと軽くチョップして、
「なんでよー、るなとキクタで探しにいけばいいでしょー」
あ、そうか。え、そうなの。
ルナは、ハナの海にも行けるの。
「行けぬ事はないじゃろ。儂がルナの海へ行く事もできたのじゃからの。あの時は「王」じゃと思うておったが」
最初は、そうだった。「輪」の力を使えるルナを「王」と勘違いして、僕とナナのふたりで、彼女の海へ飛んだ。海ではなくて、金色の草の海、だったけれど。飛べたので、てっきり「王」だと思っていたけれど、ルナはアルカナですらなく、「核」の「生かす」力によって、アルカナを模して作られた擬似アルカナだった。
それは、御子の力を元に作られたアルカナなので、いろいろと特別製だ。時々何かが「聞こえた」り、窓や扉なしで、「王」のように僕の海へ移動できたりもする。
それなら、ナナにこれ以上の負担をかける事なく、カントリーロードの「記憶」探しができるね。
「記憶の再生や一時停止なんぞは、儂が権限とやらをおぬしに渡せばいいのじゃな」
そうだね、ルリおばさんの記憶を修復した時の要領で、今度は僕が、ナナから権限を付与して貰えばいいんだと思う。
だったら、ルナについて来てもらうまでもなく、僕ひとりでも探しに行けそうだけれど。
そう思ったので、そう云ったら、
「ブッブー、はいダメー」
両手で大きなバツ印を作って、ルナが笑う。
急にどうしたの、そんな、子供みたいな。いや、子供なのだけれど。
コホン、とルナはわざとらしい咳払いをして、
「キクタはひとりで行きたがるでしょうが、それは容認できかねます」
ツンと済ました顔で云うのは、それは、Nの真似かな。
また「聞こえた」って事、なの。
ふふん、とルナは得意げな笑み。
Nの声が「聞こえる」のは、いいな。正直、すごく、うらやましい。

「待ってください」
今度はMが手を上げてる。
「彼の頭の中にある「記憶」、だとすれば、レムナント化した後の、モニカの「記憶」にもあるのかもしれません。それなら、私にも探せます」
そう云われてみれば、そうなのかな。
確かに、レムナント化した後のモニカの記憶、4年前にラボでハンスと会った時の事は、Mも知ってたけれど。
「ただ、モニカが、どこまでの記憶を分裂に使用したのかはわかりませんので、モニカが彼にその話をした時期によっては、もしかすると、既に失われているのかもしれませんが」
うつむきかげんでそうつぶいたMが、顔を上げて、
「いいえ、諦めずに探してみましょう。私には他にするべき事もないのですから。それに、モニカの云う、子供たちの「あの素敵な夢」の話を、私も聞いてみたいのです」
きらきらと緑がかった眼を輝かせて云う。
「あの子達は、私の希望です。彼らが、あの素敵な夢を叶えられますように」
祈るような、モニカのやわらかな声が、今も僕の耳に残ってる。
それはたぶん、ロリポリを宇宙へ帰す、「キクタ」の計画。
きっとそうに違いない、とは思うけれど。
一方で、本当にそんな夢みたいな話が、叶えられるのかな、とも思う。
こんな、ただの小学2年生の、僕に。
御子がふわふわと揺れて、ナガヌマの方を振り向いて、
「ほらね、心配しなくても、あなたが余計な世話を焼くまでもなく、ちゃんと次に進むべき道を見つけ出すでしょ。この子達は優秀だからね」
それは、御子やナガヌマが、無理に制約に抗おうとしなくても、という意味かな。
ナガヌマは何やら苦い顔で、ちらっと御子をにらんでから、ふっと海を眺めて、
「灯台・・・」
ぽつりとつぶやいて、眉間にシワを寄せる。
灯台?
何の事だろう、と思って見ていたけれど、ナガヌマはそれ以上は何も云わずに、すっと椅子から立ち上がる。
それから、おもむろに振り向いて、
「あいつが、紙札なんぞを渡しているのを、何をまどろっこしい事を、と思っていたが」
そう云って、ナガヌマはテーブルの上のドーリーのタロットカードをちらりと一瞥して、
「俺もいっそ、紙にでも書いて渡したくなるな」
ひとりごとのようにそうつぶやいて、ゆらりと陽炎のように揺れると、姿を消してた。
制限時間、かな。
御子がふわふわ揺れて、
「相変わらず、反骨と云うのかな、負けず嫌いな御仁だね。去り際にまたヒントを云おうとして、制約に止められたんだよ」
そう教えてくれる。
ヒント
灯台?
「うん。でも、云いかけたところを止められてるからね、「灯台」が云いたかったわけじゃないと思うよ。間違っても、この国の海沿いの「灯台」をしらみつぶしに調べに行ったりしないでね、時間の無駄だから。それなら余程、あなた達の思いついた通り、彼の「記憶」をしらみつぶしに調べに行く方が確実だ。途方もない作業には違いないけれど、それでもいつかは辿り着くでしょ。そこにあるのは確かなのだから」
途方もない作業
云われて、少したじろぐような想いは確かにある。
ルリおばさんの記憶は、壊れた記憶を「線」が指し示してくれたので、探すという点では、あまり苦労はなかったけれど。
「状態を示すのみ、なんだとしたら、今度は無理そうだなー。カントリーロードの記憶が、他の記憶と何か違う状態になってない限り、「線」では探せねーだろーなー」
ふむー、Lは腕組みをして、オレンジの空を見上げてる。
「さて、ナガヌママゴイチも退散した事だし、通訳のお仕事もこれにて終了かな」
ふわり、と椅子から浮かび上がって、御子はもう、金色の靄が消えかかってる。
「うんー、みこちゃんありがとうー、またねー」
ルナが消えかけのもやをふわふわなでて、手を振る。
「またね」
ゆるやかな風に乗るように、金色の靄が消え去り、御子の気配も消える。
オレンジの海の二重の太陽も、だいぶ西の空に傾いているらしい。
コテージの屋根の向こうに隠れて、太陽そのものはもう見えなくなってる。
Mがまた、遠慮がちに手を上げて、
「もうひとつ、よろしいでしょうか」
云いながら、ルナを見てるけれど。
「いーよー」
当たり前のような顔で、ルナもにっこり笑ってMに話を促してる。
「ルナ、ありがとう」
Mはやわらかな笑みを見せ、僕の方を向いて、
「もうひとつ、あなた方に謝らなければいけない事があります」
笑みを収めて、まじめな顔で云うので、僕は何事かと身構えてしまう、けれど。
「あー、さっきの話かなー」
Lが陽気なハスキーボイスで割り込んで、
「いっしょじゃね、「嘘」じゃなくて、「云わなかった」ってだけでしょ」
そう云うLには、もう何の事かわかってるのかな。
「うん。その件だとしたら、オレ達もだいぶ勘違いしてたからねー。Mちゃんだって、そこまで知らなかっただろーし」
勘違いしてた
Mも知らなかった?
「はい。先ほどの彼、ナガヌママゴイチの事です。前回、あなた達に問われた際、私は詳細を語らず、あえて明言を避けました。その理由は、レムナントについて語る事で、話がモニカに及ぶ事を避ける為、でしたが」
「しかもあの頃は、地下の怪人ヌガノマ(ホワイト)と、ナガヌマちゃんを混同してごっちゃにしてたからね、オレ達」
Lは苦笑して、肩をすくめる。
ああ、その事なら、確かにそう。
その誤解に気づいたのは、ナナがヌガノマ(ホワイト)と実際に会って、顔を見て初めて「別人」だと指摘してくれたからだった。
レムナントについての詳細も、モニカ・A-0の記憶を持つMなら当然知ってたのだろうけれど。
「Mちゃんは黙ってただけで、オレ達を騙そうとしたわけじゃないよねー。だから、さっきの話といっしょ。気にする事ないってー」
はっはー、陽気なハスキーボイスは、やっぱり全てを吹き飛ばす魔法なのかもしれない。
ほっとMが息をついて、
「ありがとう、L」
ぺこりとお辞儀をしてた。

「さて」
Lがあらたまった調子で、
「これでひと通り、Mちゃんに聞きたかった質問は終わりかなー」
陽気なハスキーボイスで云って、くるりとみんなを見回す。
そうだね、聞きたかった事は、ひと通り聞けたかな。
・ルナの事
・Mの事
・左眼の事
・カントリーロードの事
そして、
・モニカが亡くなった時の事
半分は解決、と云うか納得、できたけれど、残りの半分は未解決。
さらに疑問が増えたりもしたけれど、
それでも、次へ進むべき道は見つけた。
「じゃあ、おいとま、しましょうか」
ルリおばさんがホッと息をつきながら云うのは、何だろう。
今回のベースへのM訪問が、何事もなく無事に済んで、良かった、という事かな。
「それはそうでしょ」
何よ、とでも云いたげに、ルリおばさんが僕をにらむ。
いや、何もないよ。良かったよね、何事もなくて。
「物足りない、と?」
不意に、いつか云われたNの言葉が耳の中によみがえって、僕は慌ててかぶりを振る。
そんなわけない。
何事もなく、みんな無事で、Mもラスボスなんかじゃなかった。
答えの出なかった問題がいくつか残っているけれど、少なくとも、次にやるべき事はわかってる。
だったら、何も云う事はない、よね。
「ルナ、どうするの。またコンビニでタクシー呼んでもいいし。何だったらもう、そこから「飛んで」帰って来てもいいわよ」
ルリおばさんがそう云うので、少し驚いた。
ルナの体への負担を心配して、「輪」の力を使わせたがらないルリおばさんが、「「飛んで」帰って来てもいいわよ」って云うなんて。
コホンと小さく咳払いをして、
「何よ、たくさん歩いたり、ずっと立ちっぱなしだったり、疲れてるかなと思っただけよ」
照れ隠しのように云う。
そうだよね、それはそう。
「わーい、おねぇちゃん、やさしーい。でも、るな、上まではみんなに付き合うよー。キクタひとりにしたら、また何やらかすかわからないもんねー」
小部屋のパイプ椅子から元気に立ち上がって、ルナはまた僕の頭をふんわりとチョップする。
また何やらかすかって
僕が何かやらかした事なんて、ルナは知らないくせに。
「ブッブー、るな、ぜーんぶ知ってるよー。だって、「聞いちゃった」もんー」
また両手で大きなバツ印を作って、ルナは得意げに、えへへーと笑う。
それ、ずるいよね。
Lがよく云う「チート能力」で云えば、ルナの「聞こえた」も、かなりのものでは。
何もかも「聞こえる」わけではないし、対象を選ぶこともできないみたいだけれど。
懐中電灯を点けて、部屋の灯りを消し、みんなで通路へ出る。
Mとの会談も終わったので、もうゴーグルを嵌めてもいいかな。
誰に確認したわけでもなかったけれど、誰にも「ダメ」とは云われなかったので、僕はゴーグルを装着する。
やっぱり、小さな懐中電灯1本の灯りよりも、ゴーグルの視界の方が遥かに良く見えるので安心できる。
ふふん、と小さく鼻を鳴らして、ルナも片手で器用にゴーグルを嵌めてた。
ホールの灯りも消した方がいいのかな。消しておいた方が、蛍光灯の寿命も、少しは長持ちするよね。
テラスで尋ねてみたけれど、ナナは知らん顔でそっぽを向いてた。
また、儂に聞くな、かな。
ルリおばさんが小さく肩をすくめて、
「あたしもホールの灯りのスイッチがどこにあるのかは、知らないわね。点けたのは、キクヒコでしょ。あいつ、ほんと無責任よね」
いやまあ、キクヒコさんにしたら、僕らにロリポリのホールを「見せようと」思って、灯りを点けて待っててくれたのだろうけれど。
最後に「輪」で飛んで逃げるような形になってしまったのは、想定外だったのかも、だよね。
「まあね。灯りのスイッチがどこにあるかは、例のベースのデータを探せばどこかに出てくるだろーから、わかったらまた消しに来るって事にしよーぜ」
ラファエルが通路からホールへ続く大きなハッチを振り返り、Lが海で云う。
そうだね、今日のところは、点けたまま帰るしかないかな。
「では、私も上までお見送りします。ベースの外へ出るのは、3年ぶりですので」
Mがやわらかな声で云うのを聞いて、なんとなく、切なくなった。
3年間、Mはずっと、ひとりぼっちで、ロリポリの中にいたんだよね。
ふわりとやわらかく、Mは微笑んで首を振る。
「否定します。ひとりぼっち、ではありません。ロリポリの中には、未だたくさんのアルカナ達が眠っています。彼らの様子を見たり、時折眼を覚ます彼らの話し相手をしたり、あなたが思うほど、寂しくはなかったのですよ」
そう云われて、僕はホッと息をつく。
Lは別のところで、ぴこんと反応してたけれど。
「たくさんのアルカナ達って、何人くらいいるの。あ、見えないから数えられないのかな」
テラスで、青い眼をきらきらさせながら、LがMに尋ねる。
通路を西へ、ルナと並んでラファエルは歩き出してる。
僕とNも、並んで歩き出す。
「何人くらいでしょう。云われてみれば、数えた事がありませんでした。Lが仰るように姿は見えませんが、「探知」の能力で、数える事はできるかもしれませんね。私の印象では、数十人から、多くても百人くらい、でしょうか。前にもお話しした通り、滅びゆく故郷の星を脱して以来、アルカナ達は増える事がありません。減る一方、ではありますので、「探知」すれば数える事はできるでしょう。数えきれないくらいいてくれたら、良かったのですけれど」
それは、長い年月による寿命、だけではなくて、ロリポリから飛び出して、成人の人間の中へ飛び込んでしまうような事故も、多かったのかな。
80年前から、12年前まで、ベースでロリポリの調査と研究が続いていた間は、軍の研究者があのホールには頻繁に出入りしていたのだろうし。
「否定します。落下時にアルカナ達が「飛び出した」事故以来、A-0や他の「王」達が、それぞれつながりのあるアルカナ達に、警告を発してくれていたようです。うっかり外へ飛び出す事のないように、と。ただ、前にも云いましたが、「王」とは云え、命令をしたり、何かを禁じるような権限を持つわけではありません。あくまで「警告」、いいえ「お願い」のような形でしょうか。危険なので出てはいけない、飛び出したりしないでほしい、そんなニュアンスです」
そうMが説明してくれるのを聞いて、僕はまたホッと息をついてた。
それなら、ロリポリの中には、僕が思っていた以上に、たくさんのアルカナがまだ残ってるのだろう。
ロリポリが再び宇宙へ飛び立ち、新たな星に辿り着きさえすれば、そこでまたアルカナ達の楽園を築けるくらいの、たくさんのアルカナが。
「肯定。その日を夢見て、アルカナ達は眠りに着いています。そしてロリポリもまた、そのために眠り続けています。再び宇宙へと飛び立つ、その力を蓄えるために」
その夢を、本当に僕らに叶える事ができるのだろうか。
カントリーロード
「キクタ」が残した計画を、僕らに実行する事が、できるのかな。
帰りはあっという間に、長い地下通路を通り過ぎて、あの西側の出入り口へと通じる、小さなハッチの前へ着いてた。
パスコードを入力して、ハッチを開く。
警告のブザーが鳴り響き、赤いランプがくるくる回る中、急ぎ足でハッチをくぐる。
なるべく床を見ないように、していたつもりだったけれど、視界には入ってしまうよね。
「これは」
Mが視界の窓をのぞき込んで、息を飲む。
そうか、Mはモニカが亡くなる前にロリポリの中へ飛ばされてるから、この状態を見ていないんだ。
僕は茶色い床を通り過ぎたところで立ち止まり、振り返って、手を合わせる。
モニカは、亡くなったとは云え、まだゴーストとして存在してるから、手を合わせて祈るのは、何だか違うような気もしたけれど。
それでも、そうせずにはいられなかった。
ルナも隣で、左腕のクロちゃんを落とさないように気にしながら、手を合わせて眼を閉じてた。
Nとラファエルもちょこんとお座りをして、頭を下げる。
「モニカは、どうして」
ぽつりとそう云いかけて、Mがはっと小さく息を飲み、
「いいえ、何でもありません。失礼しました」
苦笑を浮かべて、首を横に振る。
Mが何を云おうとしたのか、気になったけれど、その寂しそうな横顔を見たら、僕にはもうそれ以上、何も聞く事はできなかった。

エレベーターで地上へ上がり、変電所の塀のドアから外へ出ると、オレンジ色の西日に照らされたニュータウンは、眩しすぎるくらい明るく感じた。
スマホ画面を確認したら、時刻は16時10分。
3時間近く、ずっと暗い地下にいた事になるので、それは、眩しいよね。
「では、私はここで」
Mが云って、すっと席を立つ。
思わず僕が立ち上がると、つられたのかな、みんなも一斉に立ち上がる。
Mはまた、ロリポリの中へ帰るんだよね。大勢のアルカナ達がいるから、寂しくはないかもしれないけれど。
何だか僕はしんみりしてしまってたのだけれど、
「やれやれ、何のために来たのじゃ」
あきれたように肩をすくめたナナに、
「今後はいつでも、お互いの「海」で会えるであろ」
そう云われて、あ、そうか、そうだよね、と思い至る。
「肯定。ナナの云う通りです。何かあれば、またいつでもお呼びください」
Mがそう云うと、ルナの赤い眼がきらりと輝いたのを、僕は見逃さなかった。
「何よー、いつでも呼べば話せるんだよー?キクタはうれしくないの」
ルナは口を尖らせてるけれど、僕はMの心配をしてただけだよ。
いつでも、なんて云ったら、ほんとにいつでも呼ぶよ?特にルナは。
ルナが大きな口を開けて、何か文句を云いかけてたけれど、
「はい、いつでもどうぞ」
さらりとMが云うと、途端にルナはにこにこ笑って、
「だよねー。ほらー、キクタはいちいち心配しすぎなんだよー」
結局、文句は云われるのだけれど。
ふふふ、とMはおだやかに笑って、
「今日は、ありがとうございました。またお会いしましょう」
テラスの端で振り返り、丁寧なお辞儀をする。
みんなもそれぞれ手を振りながら、別れの言葉を口にする、けれど、
「Mちゃん、またねー!」
元気なルナの声に、ほとんどかき消されてた。
ふわりと消えたMの笑顔が、モニカの横顔と重なって、僕はきゅっと胸を締め付けられる、けれど。
だいじょうぶ。
心の中で、僕は「ふふふ」と笑う。
だいじょうぶ。
あの素敵な夢を叶えられますように
モニカの声は、その祈りは、まだ僕の耳に残ってる。
ぼんやり佇んでた僕の頭にふわりとチョップして、
「じゃー、るなも帰るよー」
ルナはニッと僕に笑いかけて、
「その前に」
ぐっと左腕を上げる。クロちゃんが乗った左腕。
「クロちゃん、いくよー。せーの!」
掛け声とともに、膝を曲げて、ルナまでいっしょにジャンプしてた。
さすがベテランのクロちゃんは、そんな不安定な状態からでも、とんと軽くルナの腕を蹴って舞い上がる。
「おおー、やっぱりかっこいいねー」
うれしそうにぴょんぴょん跳ねてたかと思ったら、くるりと下を向いて、ラファエルの首に飛びつくように抱きついて、
「ラファエルも、またねー」
熱烈に頬ずりをしたら、テラスでLが、
「お、おお」
うろたえてるのが、面白い。
「いや、いきなり来るから、びっくりするでしょ」
照れたようにそっぽを向きながら云うけれど、Lだっていつも、いきなりそれをやってるよね。ハナとかNとかに。ルナにも、だけれど。
「だから、お返しだよー」
へへへー、ルナは楽しげに笑ってラファエルを解放すると、今度はNを抱き上げて、
「Nちゃんも、またねー」
同じようにぎゅっと抱きしめて、頬ずりをしてる。
Nはいつものように、なすがまま、されるがまま。
満足げにNをそっと地面に下ろして、
「じゃー、またねー」
電柱の上のクロちゃんと、僕と、ラファエルと、Nに、順番にひらひらと手を振って、ふわりと白く光る輪の中にルナの体が浮かび上がり、すっと消える。
同時に、テラスの僕の隣に座ってたルナも、すっと消えてた。
「嵐のような娘じゃの」
ナナが苦笑して、
「では、儂らも帰るとしよ」
そう云って、ルリおばさんとゲンゴロウ先生をちらりと見てから、
「おぬしら、会議はほどほどにの」
ニヤリと僕らに笑いかける。
ゲンゴロウ先生、で思い出したけれど、ハナはだいじょうぶなの。
ずいぶん長時間になってしまったけれど、飽きずにパソコンで遊んでるのかな。
「否」
ナナの返答は相変わらず。
ルリおばさんが肩をすくめて、
「もうとっくに寝ちゃってるわよ。ノートパソコンを抱えたままでね」
それはそれは。
眠りながらでもちゃんとパソコンを抱えて、ハナも頑張ってくれてたんだね。
そう云えば、ゲンゴロウ先生も、
「はい、そろそろバッテリー切れのようですね。あ、いえ、電源はルリさんのお家からきちんといただいていますので、切れる事はありません。私のバッテリーが、です。まもなく、スリープモードに入ります」
機械音声でそんな事を云われると、本当にパソコンが話してるみたいに聞こえるよね。
いや、本当にパソコンが話してる事に間違いないのだけれど。
「どうでもいいけれど、あんた達も早く家に帰るのよ」
ルリおばさんが、険しい顔で云うのが、少し気になった、けれど。
「ではの」
ナナがゲンゴロウ先生のパソコンとともにふわりと消えて、ルリおばさんもまだ何か云いたそうな顔をしながら、はあ、と小さなため息をついて、テラスを横切り、窓から帰って行った。

ナナの予想通り、まだ4人で話したい事はあったのだけれど、ルリおばさんが妙に心配していたのも気になるし、ひとまず、移動しようか、と歩き出す。
「まあね、ルリちゃんが心配するのも、わかるよね」
テラスの椅子にあぐらをかいて座り直しながら、Lが云う。今日も制服のスカートの下にはスパッツを履いてるらしい。
「たったの3年前、だもんね」
ぽつりとJが云う。
「現場はすぐそこだしねえ」
ガブリエルが云うのも、たぶん、そういう事。
「おまえ、家に帰った方が良くね?」
Lもめずらしく神妙な声で云う。
まあ、そうなのだろうけれど。
でもまさか、いきなり僕が後ろから撃たれたりはしないでしょ。もしもそんな奴がどこかに潜んでたとしても、Lもいるから「線」でわかるし、僕もゴーグルとヘッドホンもつけてるし。
「あー、まあそりゃね。でも気持ち的にだなー。じゃあ、ひとまずコンビニまで戻ろ―ぜ。バス停あったよね。あそこなら、ベンチもあるし。車通りもあるし、コンビニからも見えてるし」
気持ち的に、とLが云うのもわかる。
実際に僕が襲われるかどうかは別として、ひとけのない西側の通りに、いつまでもいるのは、何だか落ち着かない気がする。
ルリおばさんが、ルナに「輪」の力を使ってもいいと云ったのも、たぶんそれ。
あの子がひとりでタクシーに乗って家まで帰るその道中が、どうにも心配で耐え難かったのだと思う。
まだ16時すぎで、天気もいいし、十分に明るい。
オレンジ色の西日を受けて、歩道には僕とラファエルとNの長い影が伸びていた。
コンビニ前のバス停には誰もいなかったけれど、大通り沿いだし、Lの云う通り、車通りもある。
何より、コンビニの店内まで良く見えるくらいなので、店の中からもこちらが見えてるだろう。
だいじょうぶ。
「とは云え、バス停に近所の小学生がいつまでも座ってたら、それはそれでおかしいかな。コンビニのおばちゃん、顔見知りでしょ」
ガブリエルの言葉に、僕もうなずく。
できれば、陽が沈まないうちに、みんなにも家に帰ってほしいけれど。
「K、やっぱりお家へ帰って、部屋で話そう」
Jの魔法の声でそう云われると、やっぱりその方がいいかなって気持ちになる。
「わたし達も、それぞれお家に帰ろ。何だか、落ち着かないよ」
テラスの広くなったテーブル越しに、Jがみんなをくるりと見て云う。
「そう、そこでひとつ提案があるんだけど」
おもむろにLが云って、ゆるりと人差し指を立てる。
「オレの基地で会議しよ―ぜ」
ニヤリと笑ってる。
あまりにも唐突な提案で、僕は、ぽかんとしてしまう。
「それ、ぜんぜん関係なくない?」
Jがめずらしく、ストレートな突っ込みを入れてしまうくらい。
モニカが亡くなったその原因を知ってしまい、どことなく不安な気持ちがあって、ルリおばさんはルナに「飛んで」帰ってもいいと云い、僕らにも早く帰るよう念を押してた。
同じ不安は僕らの中にもあって、だから「家に帰ろう」とJは云った。
それがどうして、Lの基地で会議する事になるの。
「え、なんで?」
Lは人差し指を立てたまま、不思議そうな顔をしてる、けれど。
ガブリエルがくすくす笑って、
「ミカエルの中では、関係あるんだよね。さっきまで大勢いたテラスのテーブルが、どことなくがらんと寂しくなってる。そして、いま僕らがみんな揃って動物に入ってる。こんな時でもないと、ミカエルの基地にみんなで行ったりはできないもんね。だから、って事でしょ」
それは、云われてみればそうだし、僕もガブリエルの白い部屋やJのお庭には行った事があるけれど、Lの基地にだけはまだ、行った事がない。
だから、実は前から一度行ってみたかったのは、やまやまだけれど。
「うん、だろー?だから、基地で会議しよーぜ。もちろん、それぞれ家へ向かいつつ、だよ」
ニッと笑って、Lは席を立つ。
ガブリエルも立ち上がり、僕もつられて席を立つ。
「Lってほんと、端折りすぎ。いきなりだし」
困った顔で苦笑して、Jも椅子から立ち上がって、
「あ、でも、わたし、Kを家まで送ってから帰るよ」
「え、じゃあボクも」
ガブリエルが云いかけると、
「だいじょうぶ、クロちゃん速いから。ふたりは、ほら、ここからだとススガ森は遠いし、お家に向かって。その方が安心」
魔法の声でそう云われて、Lが肩をすくめながら、
「じゃあ、基地のドア開けとくから、各自準備ができたら勝手に入って来てくれていいぜー。あ、Kはちゃんと家に帰って、キイチロウさんとキョウコさんに「ただいま」云って、自分の部屋でドナドナモードになって、そっから来るんだぞー」
ニヤリと笑って、基地のドアへ飛び上がってた。
なんだろう、急にみんな、過保護だよね。
まあ、気持ちはわからなくもないし、ありがたいけれど。
Lがドアの前でくるりと振り返って、
「おまえが一番危なっかしいからねー」
冗談めかして云ったけれど、顔は笑ってなかったような。
「じゃあボクも、帰りはNに任せて、一足先に基地へおじゃましてるよ」
ガブリエルも云って、ふわりと基地のドアへ飛び上がる。
「わふ」
とラファエルの声がして、振り向いたら、コンビニの前の歩道で、「早く帰れ」と云わんばかりに、顔で僕の家の方を指してる。
隣でNも、じっと僕を見上げて、「その通り」みたいな顔でうなずいてた。
「じゃあね、ラファエル、Nも。今日はお疲れ様、ありがとう。ふたりをよろしくね」
声に出して云って、ラファエルとNの頭をなでて、手を振る。
家に向かって歩道を歩き出す僕を、クロちゃんが電柱の上から見守ってくれて、僕が歩くのに合わせて、次の電柱へと飛んで行く。
なんとなく急ぎ足になりながら、家の前に辿り着き、電柱を見上げる。
さすがに、声を出したら家の中にいる父と母に聞こえてしまいそうで、クロちゃんには心の中で「ありがとう」を云って、手を振った。
「Jも、ありがとう」
テラスの端、手すりの前で隣に立つJに、ぺこりとお辞儀をする。
「いえいえ、どういたしまして」
灰色がかった眼を細めて、Jがやさしく微笑む。
「じゃあ、わたしもLのとこで待ってるね。慌てなくていいから、ちゃんと「ただいま」云って、お父さんとお母さんを安心させてあげてね」
なんだろう、やっぱり急に、みんなからすごく子ども扱いされてるような気がする。
いや、まあ、たまにLにも云われるように、みんなの中で、僕が一番子供でちびっ子なのは、間違いないのだけれど。
「うん。つい、忘れがちだけどね。だから、たまにはいいでしょ」
ふふふ、と魔法の声で笑って、Jはふわりと僕の頭をなでて、胸の前で小さく手を振る。
そしてにっこりと天使のように微笑んで、すっと宙を舞うようにLの基地のドアへ飛び上がった。

タイトルとURLをコピーしました