don’t let me down ii

屋根裏ネコのゆううつ III

ビッグブリッジを渡る救急車の後部席の窓から、リバーフロントビルを振り返る。
傾きかけた西日を浴びた貝殻のような渦巻き型のビルは、特に普段と変わりがないように見える。
あのビルのいったいどの辺りにルリおばさんの部屋があるのか、橋から見上げた限りでは、わからない。窓の破れたあのマンションの部屋は、ここからでは見つける事はできなかった。
そう云えば、今は何時なのだろう。
感覚的には、ハンスとの約束の時間、16時に近いような気がする。もしかしたら、もう過ぎてしまってるのかも知れない。
ルリおばさんの部屋は、ハンスの部屋の2フロア上なので、マンションの火災報知器が鳴ったり、消防車や救急車がサイレンを鳴らして来ていた事にも、ハンスは気づいてるのかも知れないけれど。
ハンスは、ルリおばさんがそこに住んでいる事を知らないはずだった。
わざわざ知らせはしなかったし、当初からハンスを警戒していたガブリエルにも「教えないでほしい」とお願いをされていたので。
だから、ハンスが23階で起きた騒ぎに気付いていたとしても、16時に約束していた僕が、まさかそれに巻き込まれているとは思わないだろう。
今日は行けなくなった事を、連絡しておくべき、だよね。
そう思ったので、オレンジの海を「振り返って」、ガブリエルの窓の呼び鈴を鳴らす。
からりと貝殻の風鈴が鳴って、
「おや、どうしたの。そろそろ、ハンスとの会談の時間だよね」
ふわりとレースのカーテンが揺れて、ガブリエルの声が云う。
ごめん、ガブリエル。実は行けなくなってしまって、ハンスにお詫びのメールを入れておいてもらえないかな。
「それはまた、キミにしてはめずらしいね。何か緊急事態かな。急用でも出来たの」
何か緊急事態、というガブリエルの言葉に、どきりとする。
ガブリエルは何の気なしに口にしたのだろう、けれど。
もちろん、ガブリエルにも知らせないわけには行かないよね、ついさっき、何が起きたのか。
「実は、そうなんだ。約束の時間より1時間ほど早く、Jと一緒にルリおばさんのマンションへ行ったのだけれど・・・」
なるべく冷静に、落ち着いて、起きた事を淡々と。
そう思いながら、話していたのだけれど。
僕の声はひどく震えていた。
心の声なのに、いや、心の声だから、かも知れないけれど。
聞き終えたガブリエルは、しばらく黙り込んでいた。
冷静さを取り戻そうとするみたいに、大きくひとつ、ふうと息をついて、
「わかった、ハンスにはメールしておくよ。でも、ちょっと待って。嫌な想像をしてしまったんだけれど、あいつはすでに、それを知ってるって可能性は、ないかな。タイミングが、良すぎると思わない?もちろん、あいつにとって、だよ」
早口に捲し立てるようにそう云って、また少し黙り込む。
タイミングが、良すぎる
ハンスにとって?
それはいったい、どういう・・・
「いやごめん、ボクの考え過ぎかな。この件は、お互いにもう少し冷静になってから、また話そう。とりあえずハンスには「ごめん、Kは急用ができて今日は行けなくなった」とだけメールして、ボクもすぐに病院へ向かうよ。大学病院だよね」
気が急いているのか、まだ早口のままで云う。
ガブリエル、今から大学病院へ来るの。わざわざそんな、と思いかけて、いや、それはそうだよね、と思い直す。
僕が同じ立場なら、きっとそうする。すぐにでも病院へ駆けつける、その気持ちは、同じだ。
うん、ありがとう。気をつけてね。
そう声をかけて、「海」での通話を終えた。
ずっとルリおばさんの横で、祈るように両手でぎゅっと彼女の手を握りしめていたルナが、顔を上げて、
「おねぇちゃん?」
ルリおばさんの顔をのぞき込む。
ううん、とかすかなうめき声がして、ルリおばさんの眼が、うっすらと開く。
「おねぇちゃん!気がついた?」
「ルナ・・・。みんなは、無事?」
酸素マスクを付けられたルリおばさんが、絞り出すようなかすれた声で云う。
マスクのせいで声はくぐもっていたけれど、それでもはっきりと聞こえた。
まだ意識がぼんやりしてるのか、焦点の合わない瑠璃色の眼は、ふわふわと視線をさまよわせてる。
「うん、無事だよ。るなも、Jもハナも、キクタも、みんなだいじょうぶ」
ルナがみんなの姿を見せようと少し身を引いて、大きな声でそう答える。
「そ。なら良かっ・・・」
安心したようにふっと笑みを浮かべて、ルリおばさんは眼を閉じる。
「おねぇちゃん?!」
ルナが叫んでルリおばさんを揺り起こそうとするのを、救急隊員のおじさんがそっと片手で制して止める。
そして、ルリおばさんの脈を取り、酸素マスクを外して口元に耳を寄せ、その呼吸を確認してくれる。
「大丈夫、呼吸も脈拍もだいぶ安定しています。みんなの無事を確認して、お姉さんも安心したのでしょう。眠っているだけですよ」
救急隊員さんに云われて、ルナはホッと大きく息をつくとルリおばさんを見つめる。
くしゃっとルナの表情が歪んで、泣き出すのかと思ったけれど、グッと堪えたのかな、俯いてその表情はもう見えなくなってた。
この救急隊員さんや、部屋へ救助に来てくれた消防隊のおじさん達は、いったいどう思っているのだろう。
ふと、そんな事が気にかかる。
リビングの惨状を見る限り、ただの強風か何かで強化ガラスが割れただけ、とはとても思えないだろう。
薬品のような臭いや、焦げ臭い臭いもしていたはず。
リビングで何か爆発が起きた、そう思っているのは、たぶん間違いない。
それに、あれだけ大きな爆発音がして、非常ベルが鳴り、一部停電もしていた。
消防と救急に通報したのがビルの管理会社の人か、警備会社の人かはわからないけれど、それらの状況は伝わっているはず。
まさかその原因が、爆弾だとは誰も思わなかっただろうけれど。
部屋にいた僕ら以外には、それはわかるはずもない。
警察車両もいたように見えたのは、爆発でガラスの破片が外側に飛び散ったから、かも知れない。
ビルの下、地上には、フードコートや公園がある。
天気の良い週末の午後で、きっと人も多かったはず。
降り注いだガラス片で、怪我をした人はいなかっただろうか。
リビングに散らばったガラスのカケラを見た感じでは、破片はどれも小さな粒状で、せいぜい小石くらいの大きさだったと思う。
23階の高さから降り注いだ事を思えば、それでも十分危険な凶器には違いないけれど。
警察が呼ばれたのは、そんな人々の避難誘導のため、だったのかも知れない。
「こんな状況でも、まだ他人の心配とはの」
心の声で、ナナが云う。
そっか、狭い後部座席で、膝の上にハナの体を抱っこしてたから。ナナには、今の僕の心の声が聞こえてたの。
「おぬしらしいと云えば、おぬしらしいがの。安心せい、あの部屋のリビングは、海側じゃ。下がどうなっておるかまでは、儂も知らぬがの。少なくともフードコートなんぞは、逆側じゃろう。あれらは、島の中への道路に面しておったからの。風向きにも依ろうが、あちらまでガラスの破片が大量に降り注ぐような事は、まあないであろ」
そうなんだ、それは不幸中の幸い、かな。
あんな理不尽な爆弾なんかで、大勢の無関係な人達が傷つくなんて、嫌だよね。
「理不尽の。それで云えば儂らとて、あやつと何の関係があると云うのじゃ。面識もなく、恨まれるような筋合いもなかろ」
ふん、とナナは小さく鼻を鳴らす。
確かに、それは、そう。
ルリおばさんやキクヒコさんとのつながりを思えば、全く無関係とは云い切れないにしても。
それにしたって、ふたりは一方的な被害者のはず。
キクタが救い出さなければ、どうなっていたか。いや、その事を逆恨みして?
だからと云って、僕らがあいつから爆弾で攻撃されなきゃいけないような、そんな謂れはない、よね。
「尤も、ゲンゴロウの云うように、そもそもテロなんぞというものは、無関係な者を巻き込む理不尽な暴力に他ならぬ。あやつの中に、どんなにご立派でご大層な理由や目的があったとしても、な」
あきらめの混じったような声で、つぶやくようにナナはそう云って、ため息をつく。
理不尽な暴力
それには僕も、怒りを感じる。
それは今日の爆弾や、3ヶ月前、研究棟に届けられた爆弾だけではなく・・・
ーー みんなのお家が燃えちゃう!
ーー はなちゃんのお家、燃えちゃうよ!
ーー いやあ!キクタ!!たすけて!!
ハナの悲痛な叫びが、僕の脳裏からずっと離れない。
あいつが、ブラウンが地下の居住区に火をつけた。
ひとりで家にいたハナは、それを目撃してしまったのだろう。
そしてハナのいる家にも、あいつは火をつけた。
その時ハナが、どんなに怖かったか。ひとりぼっちで、燃える家の中で、どんなに怖くて、心細かったか。
絶対に、許せるはずがない。
けれど、
だったら、どうする?
僕は、あいつをどうするの。捕まえて、同じようにあいつに火をつける?
どこかに閉じ込めて、ガラス窓に時限爆弾を貼り付ける?
銃を乱射して、手榴弾を投げつける?
ちがう
そんな事がしたいわけじゃない。
そんな事をしても、僕の怒りや悔しさが、収まるとは思えないし、僕はたぶん、怒りや悔しさを収めたいわけじゃない。
あいつに仕返しや、復讐をしたいわけでもない。
じゃあ、いったいどうしたいのか、
それは、よくわからない、のだけれど。
「どうしたいのかわからぬ、か。ともすれば、それは、あやつも同じなのやも知れぬな」
ぽつりとつぶやいたナナの言葉に、僕は息を飲む。
あいつも同じ?
「いやすまぬ、そう構えるな。あやつとおぬしが同じと、そう云うたわけではないわい。何を考えておるやらわからぬ、儂らはあやつをそう思うておるが、もしかするとあやつ自身にも最早それはわからぬのではと、そう思うたのみ。只の戯言じゃ」
ナナはそう否定して、力なく笑うけれど。
僕がハッとしたのは、もしかしたらそうなのかもと思ってしまったからだった。
無関係な人に当たり散らしたり、誰彼かまわず傷つけたり、そんな事を僕がしたいと思ったわけではないし、思った事すら、たぶんないはずだけれど。
もしかしたら、僕の意識の及ばない、無意識のどこかに、そんな思いが潜んでいないとは、云い切れないのでは。
「まあ落ち着け」
ふふん、とナナは小さく笑って、小さな左手で、ぽんと軽く僕の手を叩く。
「無意識に何が潜んでおろうが、おぬしに限ってそれはないわい。万が一にでもそんな事になれば、まずおぬし自身がおぬしを止めようとするじゃろ。たとえどんな手を使ってでも、の」
まるでそんな場面を見た事があるみたいに、どこか明確な確信を持ってナナが云うのが、僕には不思議だった。
それと同時に、ナナがそう云い切るのなら、きっとそうに違いないのだろう、とも思う。
そう思っている僕自身が、何より不思議だった。

ひと通りの検査が終わり、先に検査を終えていたルナとJの待つ1階の待ち合いロビーへ、ハナ(ナナ)と手をつないで向かう。
ロビーの時計は午後6時を回っていて、受付の終了した大学病院の待ち合いロビーは、閑散としてた。
正面玄関はまだ開いてるみたいだけれど、面会時間が終われば、施錠されるのだろう。
検査をハナ(ナナ)と一緒にしてもらったのは、レムナントであるハナを病院で検査される事に不安があったから、だったのだけれど。
「相変わらずじゃの」
ナナがいつものように、多くを語らず短く云った通り、僕の心配しすぎなだけだった。
検査と云っても簡単なもので、聴力や視力に異常がないか、受け答えがきちんとでき、意識ははっきりしているか、それくらいのものだったので。
「そうは云うけれど、ナナ、もしも血圧や脈拍を測られたり、採血されたりしたらどうするつもりだったの」
手をつないだナナに、心の声で思わずそう尋ねたら、
「どうもならん。異常な数値が出たとて、その認識は消されるであろ」
さらりとそう云って、もう知らん顔をしてた。
云われてみれば、そう。いつもの僕の心配性なのだけれど。
ロビーの隅にちょこんと並んで腰を下ろしていたルナとJに声をかけようと近づくと、その向こうから歩いてきた白衣の男性が、
「おや、君は」
僕の方を見て、云う。
顔を上げたら、銀縁メガネのレンズがきらりと光る。
アンドウ先生だ。
「スズキくん、だったね。今日はどうしたの。妹さんの付き添いかな」
僕と手をつないだハナをちらりと一瞥して、ソファに腰掛けたJに気づいて、
「おっと、君もいたのか。ジョウノさん、だったね」
眉を寄せて、表情を曇らせる。
僕とJが一緒にいるのを見て、何か嫌な想像でもしたのかも知れない。そしてたぶんその想像は、ほぼ間違いではないのだけれど。
Jと声を揃えたように「こんにちは」と挨拶はしたものの、しばし沈黙に包まれる。
無言で見つめ合う僕らに、入口の方から、
「あれ、アンドウ先生?」
軽やかに声をかけるのは、ガブリエルで。
一瞬、アンドウ先生が苦虫を噛み潰したような顔をしたのを、僕は見てしまった。すぐに、やさしい小児科医の作り笑いに戻っていたけれど。
「先生がみんなを診てくれたの、かな?」
ガブリエルが尋ねると、
「みんなを、私が?」
怪訝な顔になったアンドウ先生だったけれど、すぐに察したらしい。
「では、リバーフロントビルから運び込まれた子供達と云うのは、まさか」
思わず、という感じでそこまで口にして、先生は口ごもる。
患者のプライバシーを詮索しないため、かな。
でも、この病院の小児科の先生なのだから、救急車で搬送された僕らの事情を尋ねるのは、普通なのでは。
「はい。たぶん、わたし達、だよね」
Jが同意を求めるので、僕は素直にうなずく。
別に隠し立てするような事でも、ないよね。
アンドウ先生の気持ちを思うと、隠してあげた方が親切だったのかな、と思わなくもないけれど。
「それで、ガブリエル坊ちゃんは、お友達のお見舞い、かな」
困ったような苦笑を隠そうともせずに、アンドウ先生はガブリエルに尋ねる。
よせばいいのに、もうこれ以上聞かない方がいいのに、と僕は思ったけれど。
「うん、みんなのお見舞いと云うより、ルリさんのお見舞いにね。一緒に搬送された女性、キリノルリさん。ボクらにとっては、お姉さん的な大事な人だからねえ」
さらりとそう云ってのけるのは、さすがガブリエル、という感じだけれど。
「キリノ、ルリ・・・さん?」
もしかしたら覚えていないかも知れない、と少しだけ僕は期待してたのだけれど、そんな事はなかったらしい。
まだほんの3ヶ月ほど前、だものね。
先生の息子のアイが地下道で倒れていたところを救助して、この病院に運び込まれ、入院中に行方をくらました女性の名前。(地下道、とはアイは云えずに、工事現場の駐車場で見つけた、と云ってたらしいけれど。まあ、先生にはどちらでも一緒だよね)
「ルリさんの具合はどう?入院が必要なのかな」
固まるアンドウ先生にはお構いなしに、ガブリエルはソファのルナとJを振り返ってそう尋ねる。
「うん。バクハツの音で、コマクが破れたか何かで、治るまで1週間か長ければ2週間くらい、入院って」
ルナのざっくりとした説明に、ガブリエルは「ふむ」と顔をしかめて、
「破れた鼓膜の再生って、そんなにかかるものなの、先生。手術が必要なのかな」
くるりと顔を上げて、アンドウ先生に尋ねる。
先生はハッと息を吸い込んで、お医者さんの顔に戻り、質問の内容を噛みしめるように何度かうなずいてから、
「鼓膜の損傷具合にもよるけれど、1〜2週間の入院なら、自然治癒で治るレベルだろうね。手術はないと思うよ。聴力が戻るまで、おそらく「数日は安静が必要」だけれどね」
数日は安静が必要
そこに妙に力を込めて云うのは、また逃げ出されたら敵わない、と思ったからなのかな。
さすがに今回は、ルリおばさんも逃げ出したりはしないと思うけれど。
「そっか、それは良かった、のかな」
ぽつりとつぶやくガブリエルは、いつも通りのおだやかな顔、だけれど。
そうだね、大事に至らず、耳が聞こえなくなるような事もなさそうで、それは、良かったと云えるのかも知れない。
「では坊ちゃんを待って、みんなでお姉さん、キリノさんのお見舞いに行く所だったのかな。それじゃ、くれぐれも・・・」
僕らをくるりと見渡して、立ち去りそうな気配を見せていたアンドウ先生が、入口の方へ顔を向けたまま、固まる。
認識の喪失?ではないと思うけれど。
先生の目線を追って、入口ドアを振り返る僕の眼に、パッと明るい光が差した(ような気がした)。
灯り始めた玄関前の街灯の光を背に、片手でキャリーバッグを引きずって、肩に明るい茶色のフード付きコートを引っ掛けた制服姿の女の子が、颯爽と自動ドアを潜り抜けて来る。
開いたドアから吹き込む風に、長いふわふわの金髪を揺らしながら、かつかつと革靴の音を響かせて、夏空のような鮮やかな青い眼が、くるりと待ち合いロビーを見渡してる。
L、もう帰って来たの。
「ボクが知らせたんだよ。さっき、駅に着いたって家に電話があったからね。そしたら、駅から直接こっちへ来るって」
ガブリエルがそう説明しながら、右手を上げてLに振る。
みんなの顔に、明るい光が差しているのを、僕は心が暖かくなるような気持ちで見てた。ガブリエルはもちろん、Jも、ルナも、そしてナナも。
さすがに満面の笑顔、とはいかないけれど、みんながホッとしてるのがその表情から伺えて、僕ももちろんホッとして、うれしくなる。
やっぱりLは、僕だけでなく、みんなにとっての太陽みたいな存在、なのかもしれない。
そんな場合ではないのだけれど、いや、そんな場合ではないからこそ、かな。Lの帰還は、とてもうれしくて、とても頼もしい。
ただひとり、アンドウ先生だけは、何故かどっと疲れたような表情を浮かべていたけれど。

「あら皆さんお揃いで?」
陽気なハスキーボイスで云って、Lはくるりと僕らを見渡して、いつものようにニッと笑う。
それから、くるりと眼を上げて、
「あれ、アンドウ先生がみんなを診てくれたの」
その質問は、さっきガブリエルもしてたよ、ね。
「違います。たまたま通りかかっただけですよ、ミカエルさん」
引きつったような笑顔で、何故か念押しするようにアンドウ先生が答えると、
「うん。ルリさんの具合について、先生の所見を伺ってたんだよ」
ガブリエルがそう補足してくれてた。
「では私はこの辺で。みなさんくれぐれもお大事に」
さっとみんなを見渡して、軽く会釈をすると、先生はそそくさと逃げるようにその場を去って行く。
少し疲れた後ろ姿に、なんとなく僕は頭を下げてしまう。
律儀なJも、しっかりぺこりとお辞儀をしてた。
「何なの、あのお医者さん。ヤな感じー」
ルナがいつもの調子で云うので、僕は慌てて口に人差し指を当てる。
ちらっと振り返ったら、もう先生は向こうの通路の方まで行ってたので聞こえはしないと思うけれど、しんと静かな待ち合いロビーなので、ね。
「アンドウ先生。アイのお父さんだよ」
Jがそっと隣でささやくと、
「えー?ああ。ふぅん」
いったいどんな納得をしたのかな、そう云って、ルナはふむふむとうなずいてた。
Lがスッとまじめな表情になって、
「それで、ルリちゃんの容体は・・・」
ガブリエルに尋ねかけたら、
「来なくていいわよ」
心の声が云う。
ルリおばさん?気がついたの。
オレンジの海を「振り返る」と、テラスの入り口に、白い木枠のルリおばさんの窓が細く開いていた。姿は、見えないけれど。
「うるさくて寝てられないわよ。ああ、違うわ、あんた達じゃなくてね。リバーフロントビルの、例のカムパニーの現地代表やらホテルの支配人やらが病室にまで押し掛けて来て、この度のお詫びやらお見舞いやらって、うるさくて。こっちは、全然「聞こえない」って云うのにねえ」
聞こえない
何なのそれは。ナナゆずりのブラックユーモアかな。
「そしたら「では筆談で」とか云い出して、何やら書き始めるじゃない。イヤんなっちゃった。ちょうど耳鼻科の先生が病室へ来て「絶対安静です」って追い返してくれたから、助かったけれど」
「良かった、思ったより元気そうじゃん」
カチャリと基地のドアが開いて、ホッと息をつきながら、テラスにLが降りて来る。
L自身は、と見れば、ロビーのソファ、ルナの隣に腰かけて、ドナドナモードになってた。
「ちょっとミカエル?バカ云わないで、元気なわけないでしょ。爆弾で吹き飛ばされかけたのよ?さすがに今回は、もう死んだかと思ったわよ」
平然とルリおばさんはそう云うけれど、云われてあらためてゾッとする。
本当にね、どうなる事かと思った。いや、思う間すらなかった、かな。
「ああ、それでね。ナナ、聞いてるんでしょ?」
「聞いておる」
声とともに、ふわりとナナもテラスに現れる。
「カムパニーのお偉いさん方が、警備不行き届きだとかのお詫びとお見舞いを兼ねて、部屋が直るまでの間、ホテルのスイートを借り切ってくれるらしいわよ。費用はもちろん、全額あちら負担。食事も洗濯も、その他生活に必要なもの全て、ね。まあ多分、保険か何かを使うんでしょうけれど」
「ホテルって、マンションの上の?あれってそもそも、ルリちゃんのじゃね」
「オーナーってだけよ。経営してるのは、ミクリヤのホテル部門でしょ。つまりカムパニーのお金で、あたしとミクリヤが儲かるってわけよね。まあそれはどうでもいいけれど。だから、ナナとルナは、あたしの名前を出せば、しばらくホテルで暮らせるわ。もちろん、あたしも退院したら合流するけれどね」
ホテルで暮らせる
それは、助かるけれど。
場所は同じ、リバーフロントビル、だよね。
「ああ、キクちゃんの心配はもっともよね。あの爆弾魔、でしょ。でも、考えてみたの。あいつがまた、同じ事をするかしら。ねえ、大学の研究棟を思い出してみて。爆弾を送り届けて、爆破して、それっきり、でしょ。あいつの目的が何なのかは知らないし、知りたくもないけれど、たぶんもう、あのビルを爆破したりは、しないんじゃないかしら。どう思う?」
それは、云われてみれば、そうかもしれない、とも思う、けれど。
絶対にそうとは、限らない、よね。
研究棟の時は、なかったけれど、今度は、二度目があるかもしれない。
「もうひとつ、安心材料、ではないかもしれないけれど。カムパニーって、結構あなどれないわよ。あのビル、今回に関しては、確かに警備がザルだったかもしれないけれど、警備システム自体は、伊達じゃないみたい。不審な人物が清掃用のゴンドラを不正に操作していた事、その中に身を潜めて、ビルの外側で爆発物を使用した事まで、しっかり把握してたわ。この短時間でね。すぐに消防と救急に連絡が入って、救急車が駆け付けたのもそのおかげみたいね」
ブラウンの存在やその犯行に気づいた、って事?
レムナントであるあいつの認識は消されるはずだけれど、より強烈な不審な侵入者という認識と爆破の事実とで、上書きされた、という事だろうか。
「なるほどなー、だからもし次があったとしても、セキュリティで未然に防げるかもって事か。ああ、防げるって云うか、そもそもあいつが付け入る隙もないくらい、ガチガチにセキュリティを高めるだろーって事かな」
「おそらくね。だからむしろ、ナナとルナにはあのビルにいてもらった方が安心だわ。気分的には、イヤでしょうけれど」
「否も応もないわ。儂らは居候ゆえな。家主の意向に従おう」
腕組みをしたまま、淡々とナナは云って、
「ルナも、それで良いか」
やさしい声色で尋ねる。
「ナナも一緒なら、るなもそれでいいよー。あーもちろん、ハナもゲンゴローも、おーちゃんもねー」
ルナはいつもの調子で、歌うように云う。
「無論、みんな一緒じゃ」
ふふん、とナナは鼻を鳴らす。
ガブリエルがホッと息をついて、
「それなら良かった。実は今晩からでも、うちの無駄に広いお屋敷に招待しようかと考えてたんだけれど、それはそれで、ナナちゃんは落ち着かないよね。ルリさんも気兼ねしちゃうだろうし」
確かにあのお城、いやお屋敷だったら、広さ的にはもちろん、セキュリティも普通の家なんかよりずっと高いよね。
ルナとハナは喜びそうだけれど、ナナとルリおばさんは、そっか、気を遣ってしまうのかな。
Lもふむふむうなずいて、
「うちのセキュリティも云うほどじゃねーしなー。無駄に広い分、穴も多そうだし。ラファエルがすり抜けちゃうくらいだからねー。カムパニーが本気出してくれるんなら、断然ホテルのが安全だよねー。マンションよりひと目も多いだろーし」
云うと、ガブリエルがぴこんとひらめいたみたいに、
「だったら、父にお願いして、グループ総帥の権限でホテルの警備を増やしてもらうとか、どうかな」
人差し指を立てたら、ルリおばさんの軽いため息が聞こえた。
「ガブリエル、お坊っちゃまのワガママもたまにはいいのでしょうけれど、ほどほどにね。警備はそれこそ、カムパニーに任せておけば大丈夫だと思うわ。何せあちらは、事件や事故や裁判沙汰を何よりも嫌う、複合企業体ですものね。何て云うんだったかしら、CSR?コーポレート・ソーシャル・何とか?企業の社会的責任、ってやつよね」
そういうものなのかな。僕にはよくわからないけれど、でもルリおばさんがそこまで云うからには、カムパニーの対応は信じられるものなのだろう。
「とりあえず、あたしからは以上よ。ごめんなさいね、片耳が聞こえない事以外、体は何ともないのだけれど、薬と点滴のせいかしら、眠くて仕方がないの。もう耐えられそうにないわ」
片耳だけなんだ。血が出ていた左の方かな。じゃあ右は聴こえるようになったんだね。
でも、「体は何ともない」はずはないよね。僕らを庇って、いちばん後ろで爆風を受けて、廊下に投げ出されているのだし。
それは、こちらこそ、ごめんなさい。ルリおばさん、ありがとう。
どうぞ、ゆっくり休んで。お大事に。
「あら、キクちゃんたら、そんな事も云えるようになったのね。「おばちゃん」も悪くないわねえ」
僕はまじめに云ってるのに、何がそんなにおかしいのか、ルリおばさんはそう云ってくすくす笑ってる。
「冗談よ。あんた達も、早くお家へ帰りなさいね。あ、ルナ、カードは持ってるのよね?」
「持ってるよー。救急車に乗る前に、お部屋へ行ってちゃんとお財布ごと持って来たよー」
へへへー、ルナは得意げに笑ってるけれど、あの状況で、そこまで頭が回るの。
僕はあの時、爆発のショックとリビングの惨状に呆然とするばかりで、病院で検査してもらってその後どうするとか、ましてや帰りの事なんて思いつきもしなかった。
「あんたと一緒にしないで―。るなはオトナだもんねー」
ぜんぜんオトナとは思えないような顔で、へっへー、とか云ってるけれど。でもほんとだね、中身はしっかりしてて、僕なんかよりもぜんぜんオトナなのかもしれない。
「じゃあね、おやすみ」
さらりと云って、ルリおばさんの窓が閉じる。
おやすみなさい、ゆっくり休んでね。
そう声をかけて、病院の待ち合いロビーを「振り返って」、現実が戻って来る。
広いロビーの時計は、午後6時半を回ってた。
さすがに、心配してるよね、うちの父と母も。
ポケットのスマホを取り出して、救急車に乗り込む前に電源をオフにしてた事を思い出して、電源を入れる。
通知音が連続して鳴り響いて、慌ててマナーモードに切り替える。
「あんたまさか、電源切ってたの」
ルナがあきれたような顔で云うので、
「だって、病院でしょ。救急車に乗る前に切ってたよ」
「だからあんた、いったい何時代の人なの。マナーモードでいいでしょ。電源オフは、手術室とか、シューチュー?何だっけ、そーゆー場所だけだよ」
集中治療室?そうなの。
「まあいいから、早く確認しなさいよ。キイチロウさんとキョウコさんからでしょ」
ニヤニヤしながらLが云うのは、何でだろう。
スマホ画面を見ると、父からの不在着信がずらりと並び、母からはメールが来てる。
「ほらね」
何でわかったんだろう、と思いながら、とりあえず母からのメールを開く。
ーー すぐに連絡して 母
何これ。
僕のスマホ画面をのぞき込んだLが、困った顔で苦笑して、
「ほらあ、キョウコさん心配してるじゃん。すぐ電話して、ほら、電話電話」
心配はしてるのだろうけれど、まだ6時半過ぎだよ?
確かに、小学2年生が出歩く時間じゃないかもだけれど。
Lに云われるまま、母への通話ボタンをタップして、あ、しまった父にすればよかったかな、と思う間もなく、
「もしもし、キクタ?あんた今どこにいるの?無事なの?」
コール音がする間もなく母が出て、いきなり質問攻めにされて、たじろぐ。
「え、っと、大学病院?無事は無事だけれど」
「もう、何で電話出ないのよ、心配するでしょ?マンションで爆発があったっていうし、あんたはぜんぜん電話には出ないし・・・」
すごい勢いでまくし立てられて、僕は何も云えなくなってしまう。
え、爆発って、そんなニュースとかになってるの、かな。
Lが何やらキャリーバッグをごそごそしてると思ったら、取り出したのは、新聞、かな。
「号外」の文字が大きく書かれた、薄っぺらい1枚だけの新聞。
「ククリ島のリバーフロントビルで爆発」大きな見出しと、ヘリコプターかドローンで撮影したのかな、カラーの大きな写真は、マンションのガラス窓がなくなってるルリおばさんの部屋?ぼろぼろの穴だらけのカーテンが風にはためいて、歪んだ窓枠が外に飛び出してる。
こんな大事になってたの。
「ちょっと、キクタ!あんた聞いてるの?ジーンちゃんは一緒なのよね?ふたりとも無事なのね?」
「あ、うん。無事だよ」
ルリおばさんは入院してるけれど、なんて間違っても云えない雰囲気で。
「ロビーにいるのね?大学病院ね?迎えに行くから、そこを動いちゃダメよ?わかった?」
「うん、わかった」
「ジーンちゃんのお家にも電話しとくから。ふたりでそこで待ってなさい。いいわね?」
「あ、うん」
返事をする間もなく、電話は切れてたような気がする。
とにかくすごい剣幕で、母の勢いに圧されて、何も伝えられないまま。
いや、まあ、無事な事は伝わってる、かな。Jが一緒にいる事も。
「ダメよ、キクちゃん、スマホの電源オフしちゃ。持ってる意味ないじゃん」
Lがニヤニヤしながら、ガシッと僕の肩を組む。
「ミカエル、新聞、見せて」
ガブリエルが手を伸ばして、Lはひらりと手にした「号外」をガブリエルに渡す。
「すごかったねー、あんたのママ。何て云うか、「ママ」って感じー」
ルナは何やら感心したように、赤い眼をまんまるにしてるけれど。
って、え、聞こえてたの、母の声。
「聞こえるよね、シーンとしたロビーだし。キョウコさんの声、大きくて聞き取りやすいからねー」
ぽんぽん、とLの手が僕の肩を叩くのは、何なの。ドンマイ?かな。
「さて、どーしたもんかなー」
そう云ってLは、僕の肩から手を離して、腕組みしてる。
「と云うと?帰りの手段かな。ミカエルも一緒なら、車を呼びなさいって母には云われてるけど」
ガブリエルが新聞から眼を上げると、
「いやあ」
Lは首を横に振る。
「それはどーでもいいの。そんな事より、キョウコさんとキイチロウさんだよ。おまえ、「ルリちゃんちに行く」ってのは、ふたりに云ってあるんだよね?」
うなずいて、僕は首をひねる。
うちの父と母の事で、Lは「どーしたもんか」って頭を悩ませてるの。今日、難しい試験を終わらせて来たばかりなのに。
「試験もどーでもいいでしょ。ルリちゃんちに行った事は知ってる。爆発があった事も知ってる。今日は土曜日で、キイチロウさんはお休みだよね。でも、あんな事件があったら、新聞記者の人達は休みでも出勤して、現場にも取材に行ってるだろーね。って事は、当然、マンションの何号室の誰の部屋で爆発があったのかは、遅かれ早かれ、キイチロウさんにはわかっちゃうよね。それが誌面に載る載らないは別として、新聞社に勤めるキイチロウさんにはわかっちゃう。キリノルリ、ルリちゃんの部屋だ、ってね。そんで、おまえは電話に出ない。やっとつながったと思ったら、「大学病院にいる」って云う。こりゃもう、どーするもこーするもないねー」
Lは肩をすくめて、お手上げのポーズ、かな。
「元より、どうもこうもしようがないわ。事実である故な。おぬしの推察が正しければ、「この事件」で上書きされる、であろ」
ナナにそう云われて、ようやくわかったかもしれない。
Lは、父と母にどう説明しようかって、それを悩んでくれてたの。
ふたりは、認識を消されてる。だから、「爆破事件」の話をしても、固まってしまうんじゃないかって。
「ふぬ?じゃあおまえは、固まらないと思うの。そのナナちゃんの云う「おぬしの推察」って、何?」
そうLに尋ねられて、僕は救急車の中でなんとなく思っていた事をLに説明する。
消防士さんや救急隊のおじさん達が、現場を見ても固まる事なく、自然に何かしらの「事件」として受け入れていたように見えた事。
そして、さっきのルリおばさんの話。
「ああ、カムパニーが事件の大筋をすでに把握してたってやつだなー。不審な人物が清掃用のゴンドラを不正に操作して、そいつはゴンドラに身を潜めて、ビルの外側で爆発物を使用した、確かになー。認識が上書きされてるんだろーね」
「但し」
ナナが念を押すように、薄灰色の眼で僕をじろりとにらんで、
「その不審人物が誰であるかなどは、云う必要もなし、それを云えば固まるやもしれんがの」
それはもちろん、そうだね。
犯人は見知らぬ愉快犯のテロリストまがいの人物で、それが誰かなんて僕もルリおばさんも知らない。
あえてふたりにそう云うまでもなくて、そういう体の説明でいいって事だよね。
謎のテロリストが、何故か偶然ルリおばさんの部屋の外に爆弾を置いて逃げた。それが爆発した。僕らは間一髪、部屋の奥の廊下へ逃げて助かった。僕らを庇って最後に逃げたルリおばさんは、爆風で鼓膜に傷を負って、2週間ほど入院が必要だけれど、耳が聞こえなくなるような心配はない。そんな事件に、僕らは運悪く巡り合わせてしまった。
「ふむ、それでよかろ」
面白くなさそうな顔でナナはうなずく。
その気持ちは、わかるような気がする。
でも本当のことは云えないし、云ってもふたりにはそれは認識されない。
「因果な能力よな。知れば知るほどによ」
本当に、そう。
それを知る事が、父と母にとって幸せな事だとは思えないけれど、だからと云って、知らせる事が出来なくてもいい、というものでは、ないよね。
今度の事は、もしかしたら本当に、知らなくてもいい事かもしれないけれど。
特に、爆弾魔のブラウンの事なんて、父と母は知る必要がない、よね。

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