(just like) starting over ii

屋根裏ネコのゆううつ III

昼休み、ルナが後ろで、すっと席を立つ気配がして、僕も振り返りながら立ち上がる。
ランドセルを両手で抱えたルナが小さくうなずいて、無言で教室を出て行くので、僕も黙って後について廊下へ出た。
あえてこちらから声をかけたりしなければ、ランドセルを抱えたルナが教室を出て行く事に、教室にいるクラスメイト達が気づく事はない、はずだよね。
正確には、どこからどこまでの認識が消えているのか、あるいは残っているのか、僕にはわからない。
事前に打ち合わせたわけではなかったけれど、たぶん、ルナも同じように考えてたのだろう。
黙って教室を出たルナは、そのまままっすぐに廊下の端を歩いて、突き当たりの図工室の前で立ち止まる。
ここなら誰かが通りかかる事はないし、廊下の向こうからは見えるだろうけれど、こちらからも見えるので、誰も廊下にいないタイミングで飛べば、誰にも見られる事はない、よね。
うん、小さくうなずいて、ルナは僕に抱えたランドセルを差し出す。
あ、そうか。両手が塞がってたら、ゴーグルを付けられないね。
揺らさないように両手でそっと受け取ると、思った以上にずっしり重くて驚いた。
黄金虫って、見た目以上に重いのかな。
「ありがと」
銀のゴーグルを嵌めたルナが、僕に両手を差し出すので、ランドセルを返して、僕も首にかけてたゴーグルとヘッドホンを装着する。
「じゃー行きますよー」
廊下の向こうに誰もいないのを確認したルナが小声でそう囁いて、返事をする間もなくふわりと僕らの体が浮かぶ。
足元には、白く光る「輪」がくるりと僕らを囲んでる。
そう見えたのは一瞬で、次の瞬間には、僕らは暗い地下のラボにいた。
湿っぽい土のにおいと、かすかに薬品のようなにおいがする。
辺りは真っ暗だけれど、ぼんやりかすかにオレンジ色に光るロリポリの腹部「揺り籠」が、闇の中に浮かび上がってる。
すぐにゴーグルが暗視モードに切り替わって、暗い室内も隅々まで見えるようになった。
ネコのNの視界で見るのと同じ、色数の少ない古いセピアカラーの映画のような景色の中に、岩風呂のような揺り籠と、その中に横たわり眼を閉じて眠り続ける博士の姿が影になって見えた。
なんとなくいつもの癖で、隣に立つルナの手をつなぎそうになって、あ、違う、と思う。
ここは、公園の地下のクレーターの跡。H・O・アンダーソン博士の秘密のラボ。だから、意識空間ではなくて、現実だ。
ナガヌマの記憶の中のように、手をつないで飛ぶことも出来ない。
だから、手をつなぐ必要はないんだよね。
「キクちゃん、るなと手をつなぎたいの。だったらそう云えばいいのに」
ゴーグルのせいで赤い眼は見えないけれど、ルナはそう云ってニヤッと笑う。
冗談のつもり、だよね。だって普段は「キクタ」って呼ぶし。
年上のお姉さんぶって、僕をからかってるのかな。
確かにルナは、幼い頃に長い間眠り続けていて、その間、体の成長が止まっていたので、見た目は2年生の8歳児だけれど、実際は32歳、だったかな、ハンスと同じ年のはずなので。
でも、ゲンゴロウ先生によると、遺伝子の年齢は32歳だけれど、実際に起きていた時間はほぼ8年なので、おおむね8歳児で間違いないとの事だった。
実年齢で云えば本当は、70代で癌に冒されて亡くなりかけて、何故か繭になって赤ん坊として再生した僕の方が遥かに年上なのだけれど(ただ、その70年余りの記憶は一切ないので、詳しい事は僕自身にも全くわからないのだけれど)。
「そーね、さっさとおーちゃんを帰してあげなくちゃ」
何が「そーね」なのかはよくわからないけれど、ルナはそう云って、博士の眠る「揺り籠」の縁へすたすたと歩み寄る。
「キクタ、持ってて」
僕にランドセルを差し出すので、両手で受け取ったら、ルナはぱかっとランドセルの蓋を開けて、中を覗き込みながらそっと両手を入れる。
「おーちゃん、お待たせー。狭くてごめんねー。お家に着いたよー」
両手でルナに持ち上げられた黄金虫が、ルナの手の中で、小さくかすかに「きゅい」と鳴いた、ような気がした?
「鳴いたよね。わー、おーちゃんって鳴くんだねー、かわいいー」
ゴーグルをしてるので見えないけれど、たぶんルナは赤い眼をまんまるにしてる、はず。
そっと両手に乗せた黄金虫を目の前に掲げて、今にも頬ずりでもしそうに見えて、僕は内心ヒヤヒヤしてた。
いや、そう、僕がひとりで勝手に、だね。
ルナにとって黄金虫、いや、おーちゃんは「かわいいー」のだから、それはもう、LがハナやNにするように頬擦りするのも、Jがそっとクロちゃんの羽をなでるようにするのも、ルナのご自由に、なのだけれど。
でも、本当に鳴いたのかな。ロリポリには、口はない、よね。
いや、でも、セミやコオロギとか、いわゆる「鳴く」虫も、口で鳴いてるわけではないか。
羽や何かを震わせて鳴くって、昆虫図鑑か何かで見た覚えがある。
だとしたらロリポリも、口ではなくて別の体の部位を使って鳴くのかな。
「何でもいいでしょ。おーちゃんが鳴いて、るなにお返事してくれたんだから」
ぷいっとルナはつまらなそうにそっぽを向いて、揺り籠の縁に身を乗り出して、
「はかせー、迷子のおーちゃんを連れてきたよー」
眠る博士に、囁くようにそう声をかけてる。
博士は俯いて眼を閉じたまま、残念ながら、何の反応もなかったけれど。
ルナはそれを気に留める様子もなく、ぐいっと両手を伸ばしてそのままオレンジの海に入れ、そっと広げる。
黄金虫は、泳ぐのかな。
気になって、眼で追ってみたけれど、ルナの手を離れた黄金虫は、そのまま漂うように、オレンジ色のプールの底へ、ゆらゆらと沈んで行った。
それはそう。揺り籠の中に、他に、泳いでる黄金虫も見当たらないものね。
みんなでプールの底に沈んで、眠ってるのかもしれない。
同じように黄金虫を眼で追っていたルナも、満足したのか安心したようにほっと息をついて、プールから手を出して、ぱっぱっと雑に制服のスカートで拭いてた。
「ねー、キクタ」
博士の向こう側の方を見るともなく見ていたルナが、くるりと僕を振り返って、
「あれ、なぁに」
博士の向こう側、揺り籠の外側あたりを指差してる、のかな。
僕からは、間にルナとその向こうに横たわる博士の上半身があるので、向こう側は見えない。
少し横にずれて、博士の後ろを回り込むように、揺り籠の縁に沿って向こう側へ進むと、見えた。
あれは、ワゴン、かな。
車輪付きの、三段になった、台車。トロリー、というのだったかな。
歯医者さんや、床屋さんにもある、よね。何か仕事道具を並べて乗せられるようになってる、ワゴン。
前に来た時には、目に入らなかったけれど、最近、ハンスが持って来たものなのかな。
「あー、それなんだけど、それじゃなくって、そこに乗ってる方だよー」
云いながら、まだスカートで手を拭きながら、ルナが僕の後について、博士の後ろを回り込んで来る。
それじゃなく
乗ってる方?
云われてあらためて、台車に乗せられた何かの道具に眼をやって、思わずぎょっとする。
あれは、何。
ワゴンの天板、というのかな、一番上の段には、何か太い棒のような形の道具がいくつか並べられていたのだけれど、それは、どう見ても電動ノコギリ、かな。
棒状で先端に丸い刃がついているものや、銃のような形で引き金があって、銃身に当たる部分にチェーンソーのように回転する刃がついてるもの。
真ん中の段には、大きな木槌や金槌、あとタガネ、と云うのだったっけ、先端が平たく尖った鉄の杭みたいな工具。それからペンチのような、地獄の閻魔様が持ってる悪い人の舌を引っこ抜く道具?みたいなものが並んでる。
何だろう?工事でもするのかな。
ここで工事といえば、あの、本棚の裏の通路を塞ぐ、とか?
いや、それにしては道具が違う、ような気がするけれど。
はっと小さく息を飲んだルナが、
「まさか・・・」
何か云いかけた時、揺り籠の向こう側に白く光る「輪」がふわりと現れる。
ルナは言葉を飲み込んで、すっと右手で僕の制服の腕を掴む。
「おや、これはこれは」
壊れたスピーカーみたいな声がして、輪の消えた空間に姿を現したのは、車椅子のハンス。
彼が車椅子の手元で何やら操作をすると、ピッと甲高い電子音が響いて、ラボの照明がぱちぱちと瞬いて点いた。
「誰かと思えば、親愛なるK。それに、いばら姫のルナ。ごきげんよう」
いつものように大仰に手を広げてお辞儀をしてから、
「どうしてここへ?」
ゆっくりと顔を上げたハンスは、不思議そうに首をかしげてる。
どうしてここへ
咎めるような云い方ではなかったけれど、相変わらず何枚もレンズを重ねたゴーグルのせいで、ハンスの表情はよくわからない。
「迷子の黄金虫が来たの。だから、連れて来てあげたの」
いつもののんびりした調子で、ルナは云う。
すっと僕の腕を掴んでたルナの手が、僕の手をつなぐ。
どうしたの、と思う間もなく、
「ゴーグル、外さないで」
心の声で、ルナは短くそう云った。
ゴーグル?
確かにハンスが灯りを点けてくれたので、ゴーグルなしでも見える、けれど。
それに僕は、ルナに云われるまで自分がゴーグルをしてる事すら忘れてたくらいだったので。
でも、
外さないで?
どうして
「おやまあ、迷子の黄金虫が。それはそれは、わざわざご親切に、ありがとうございます」
ハンスはまた大袈裟にお辞儀をして、
「しかし、今日は平日ですよね。おふたりとも、まだ学校の途中なのでは」
またのんびりと首をかしげる。
「学校は、いま昼休みだよー。早めに帰してあげた方がいいかと思って」
いつも通りのルナの声、だけれど、なんだろう、少し違和感を覚える。
ルナの小さな手は、ぎゅっと僕の手を握ったまま。
「ハンスはどうして」
なんとなく、僕が話した方がいいような気がして、そう問いかけて、云いながら気づいた。
「あ、もしかして、センサーが僕らに反応したのかな?それで見に来てくれたの」
尋ねると、ハンスはにっこりと口を微笑みの形にして、
「左様です」
割れたスピーカーみたいな雑音まじりの声で云う。
「それは、あの、お騒がせしちゃって、ごめんなさい」
ぺこりと僕は頭を下げる。
ルナも隣で、同じように頭を下げてた。じっと、ゴーグル越しにハンスを見つめたまま、だったけれど。
ふむふむと、ハンスは機械義手の左手をあごに当てて、
「いえいえ、そうですか。先日お招きしたので、もうここへは「飛べる」のですね。おふたりがここへ来られるとわかっていれば、もう少し片付けておいたのですが。あれこれと散らかしたまま、見苦しい事で、申し訳ありません」
辺りを見渡すともなくくるりと首を回して云う。
「うん」
ルナが「輪」で・・・と説明しかける僕を止めるみたいに、ルナがぎゅっとつないだ手を強く握るので、びっくりして僕は止まる。
ルナ、どうしたの。
心の声には、答えずに、
「じゃあ、昼休み終わっちゃうから、もう帰るねー」
いつもの声でルナは云って、ハンスにひらひらと手を振る。
「ああ、K、少しお待ちを。ひとつだけ」
ハンスに引き止められて、ルナがビクッと身を固くするのが、つないだ手から伝わって来る。
「うん、何?」
僕はルナの反応の方が気になって、ついハンスには素っ気ない返答になってしまう。
「キクヒコの件です。坊ちゃまから何度かメールをいただいていたのですが、なかなかこちらの都合がつかず、お待たせしてしまいたいへん申し訳ありません。今週末か、遅くとも来週末には、受け入れできるよう準備しておりますので、今しばらくお待ちください」
申し訳なさそうに、ハンスはそう云って、車椅子の上で深々と頭を下げる。
それは、ガブリエルからも聞いてた。
ススガ丘学園大学の研究棟から、キクヒコさんを生命維持装置ごと運び出す、という話。
運搬のための、クレーン付きのトラックは親分が出してくれる事になっていた。
会社が休みの土日であれば、トラックはいつでも出せるからと、親分は云ってくれてたのだけれど。
肝心のハンス、と云うか彼の会社のクヨウ・ケミカル側の受け入れ体制が整わず、待たされてる、とガブリエルも困った顔で云ってた。
とはいえ、キクヒコさんが入っているのは業務用電源が必要な米軍の生命維持装置なので、他に運び込めるような場所のアテがあるはずもなく。
「気にしないで。受け入れてもらえるだけでもありがたいから」
おべっかのつもりもなく、本心から、僕はそう云ったのだけれど。
「誠に恐れ入ります」
何やら大仰にハンスに頭を下げられてしまい、ちょっと困ってしまう。
「じゃあ、もう行くね。忙しいのに、わざわざ見に来させちゃってごめんなさい」
ぺこりともう一度、僕はハンスに頭を下げる。
ルナも頭を下げて、同時にふわりと体が浮かび上がって、足元に白い「輪」が見えたと思ったら、次の瞬間には、図工室の前の廊下に、僕らは立ってた。
ルナと手をつないだまま。僕は、片手にルナの赤いランドセルを提げて。

「お菓子のお家」
心の声でぽつりとそう云って、ルナは僕とつないでた手を離すと、僕の手からランドセルを引ったくるように取って、すたすたと教室へ向かって歩いて行く。
お菓子のお家
ルナの意識空間、金色の草の海へ行く、って事かな。
さっき様子がおかしかった事と、たぶん関係があるのだろう。
僕の「オレンジの海」ではなく、ルナの「お菓子のお家」と云ったのは、Lや他のみんなには聞かせたくない話、なのかな。
教室へ向かいながら、ルナの「海」を振り返る。
そよそよと風の吹く、金色の草の海。
くるりと見渡してみたけれど、ルナの姿は見えない。
お家の方にいるのかな。
教室へ入ると、ルナはもう自分の席に座って、ドナドナモードになってる。
僕も席に座り、念のため、5時間目の社会の教科書を机に出してから、ドナドナモードに入る。
お菓子のお家のお庭に、ルナはいた。
ブランコに腰かけて、俯いて、足をぶらぶらさせてる。
「どうしたの」
尋ねたら、ふてくされたような顔で無言のまま隣のブランコを指差してる。
僕が隣のブランコに腰かけても、ルナは黙り込んだままで。
仕方なく僕も黙ったまま、ルナのお菓子のお家を眺めてた。
教室ではチャイムが鳴り、ナガタ先生が入って来て、5時間目が始まってる。
しばらくうつむいたまま、黙って足をぶらぶらさせてたルナが、
「あのね」
おもむろに口を開いて、
「Lやナナが、ハンスちゃんを信用できないって云うの、るな、ぜんぜんわかんなかったんだけど」
いつもののんびりとした調子で、けれど少しだけ元気なく、
「さっき、わかっちゃった、かも」
ぽつりと云う。
さっき、わかっちゃった
ハンスを信用できない
それは、Lとナナ、それからガブリエル、3人の共通認識。
でも、僕とJ、それにルナは、ハンスは信用できると思ってる。いや、思ってた。
仲間内で、意見が正反対に異なるのだけれど、それは「役割分担」と、Lは云ってた。
ハンスに疑いの眼を持つLたちと、ハンスを信用できると思う僕たち。
どちらが正しいとかではなくて、「半々でちょうどいい」とナナも云ってた。
けれど。
「どうして」
さっき、あの短い時間で、何があっただろう。
ルナが、ハンスを信用できなくなるような、何か。
あの道具、かな。
電動ノコギリやチェーンソー、大きなペンチみたいな工具。
「うん」
ルナは小さくうなずいて、
「どう見ても、隠し通路を塞ぐような工具じゃない、でしょ」
それは、そうだね。
ぱっと見た瞬間は、あの場所で、工具?それなら、あの通路を塞ぐのかな、と思ったけれど。
穴を塞ぐなら、土を掘るスコップとかシャベルとか、土を運ぶ手押しの一輪車とか、だよね。
電動ノコギリや小型のチェーンソーなんて、何に使うの、って思ってしまうけれど。
「わかんない?」
ルナがそう尋ねるのは、その使い道、かな。
だったら、うん。
僕にはちょっと、想像つかない、けれど。
ふう、と小さくため息をついて、ルナは顔を上げる。
「みこちゃん、いる?」
その呼びかけにも、やっぱりいつもの元気がない。
「おやおや」
ふわりと金色の靄が揺れて、
「姫様はご機嫌ななめかな」
光る靄が集まって、小さな子供の形でふわりと僕らの眼の前に浮かぶ。
今日も御子は、楽しげにふわふわと揺れてた。
ルナは、御子の問いかけには答えず、
「質問があるの」
一方的に云うのは、確かにわがままなお姫様っぽいけれど。
御子は気にも留めない様子で、
「うん、「聞こえた」よ。その質問なら、答えは簡単。御子の「核」は人の道具や力では取り出せないよ」
さらりと、そう云った。
質問、答えは簡単。
御子の「核」は人の道具や力では取り出せない?
いったい、御子は何の話をしているの。
「おや」
御子がふわりと揺れて、僕を見て、
「わからない?察しの良いあなたにしては、珍しいね。さっき、博士の所で見た「道具」の話だよ。どうやらあの道具で、博士の体から「核」を取り出そうとしたんじゃないか。姫様はそう疑っているんだよ」
おだやかな御子の声で、いつものように淡々と云われたにも拘らず、僕は、ぞっと背筋が寒くなる。
あの道具で、博士の体から「核」を取り出そうとしたんじゃないか?
誰が・・・
そう尋ねかけて、尋ねるまでもない事に気づく。
まさか、ハンスが?
思わず僕は御子を見て、ルナを見る。
相変わらず困ったような、ふてくされたような顔のまま、ルナはうつむいて、足元の金色の草むらを見つめてた。
「取り出せないの。ぜったいに?」
地面を見つめたまま、ぽつりとルナは御子に尋ねる。
「うん、絶対に」
御子はきっぱりとうなずく。
「こう云ってはおこがましいかもしれないけれど、仮にも「力」の結晶である御子の「核」だからね。それ以上の「力」でない限り、取り出す事も切り取る事も、ちょっぴり削り取るなんて事も、絶対にできないよ」
そう云われ、ルナが顔を上げて、重ねて尋ねる。
「じゃあ、どうなるの。もしも、むりやりに「核」を取り出そうとしたら」
「さて、どうだろう。やってみた事はないけれど、おそらく「力」に押し負けて、道具が壊れる、かな。人の力くらいではびくともしないはずだから、反動や何かで怪我をするような事もないはずだけれど」
淡々と説明する御子の言葉を聞いて、さっき見た工具を思い出す。
ワゴンの上に無造作に並べられた電動ノコギリや小型のチェーンソー。
あれらの道具が、壊れていたかどうか。
見た目でそうとわかるほど、ではなかったのかな。はっきりとそう、壊れてる、と思った覚えはなかった。
あるいは準備して、そこに置いていただけで、まだ何もしていなかった、とか。
それとも、そもそも御子の「核」を取り出そうとしたのではなく、別の目的であの場所に置かれていたのかもしれない。
「はあ」
声が聞こえるほど、大きなため息をついて、ルナが僕を見る。
「あんたってほんと、何なの。お人好し?」
赤い眼で僕をじっと見て、ルナはいつもの声で云う。
お人好し、なのかな。
だって、僕には、そうは思えない。
あのハンスが、育ての親である博士の左腕を電動ノコギリで切り裂いて、御子の「核」を取り出そうとするだなんて、思えない。
ハンスがそんな事をしなきゃいけない理由も思い当たらないし、たとえどんな理由があっても、穏やかに眠る博士の体を傷つけようとするだなんて。
そう考えて、ふと、思う。
何か、理由があるのかな。博士の体から、御子の「核」を取り出さないといけないような、理由が。
例えば、博士の身の安全を守るため、とか。
「ふむ」
ふわりと御子が揺れて、考え込むみたいに腕を組むような仕草をして、
「生命を「生かす」ための「核」だからね。人や他の生命体に悪影響を及ぼすような事はないはずだけれど。但し絶対にない、とは云えないかな。何故なら御子は、全知全能の神様なんかではないからね」
そう、前置きのように云ってさらに続ける。
「でも、「御子」そのものを体に入れてたナガヌママゴイチでさえ、(最初は兎も角)入れて以降は何の影響もなかったよ。それが、生命を「生かす」そのために、ナガヌマの半身を元に作られた「核」ならば尚のこと。実際、ルナは10年以上、博士にしても10年近く、体に入っているけれど、何の悪影響も出ていないよね」
それは、云われるまでもなく、そう。
「けれど、何故か車椅子の彼はそれに気づいた。そして博士の身を守るべく、「核」を博士の体から取り出そうとしてる、あるいは取り出そうとした。あなたは、そう思うの?」
淡々といつもの穏やかな御子の声でそう尋ねられると、自信がなくなってくる。
だいたい、ハンスがどうやってその博士の体の不具合に気づくのか。
まさか博士が目を覚まして、左腕が痛いとか辛いとか訴えた、とでも?
そんなはずはない。
博士は、覚悟を持って「核」と共にあのロリポリの腹部「揺り籠」と、その中で眠る黄金虫やアルカナ達と添い遂げようとしてる。
それを、僕は知ってる。
その博士が、今さら「核」を取り出すようハンスに頼むはずはない。
お人好し?
僕はどこかで、無理してでもハンスを信じようとしてる、のかな。
ありもしない理由をこじつけて?
でもハンスは、
ヌガノマホワイトに攫われたハルを助けてくれたし、ハナがあの川沿いの穴に落ちた時だって、様子を見に来てくれて、「輪」で助けてくれた。
ちょっと変わった人ではあるけれど、ハンスは、悪い人じゃない。
うん、と小さくルナがうなずいて、
「ハンスちゃんは、お父さん思いのやさしい人。るなもそう思ってた。でも・・・」
そう云って、黙り込む。
ひとつ、思いついて、僕は尋ねる。
ルナ、もしかして、あの道具を見た時に、何か「聞こえた」の?
それで、急に・・・
「ううん、何も聞こえなかったよ」
ルナは小さく首を横に振る。
「でも、「聞こえた」わけじゃないけど、思い出したの。あの道具、るな、見たことある」
そう云って、ルナは眼を上げて、まっすぐに僕を見る。
あの道具、電動ノコギリや小型のチェーンソーみたいなあれを?
いったいどこで?
「ゲンゴローの研究室。学生の誰かが、しまい忘れて出しっぱなしになってたの。あれ、解剖に使うんだって。骨を切ったりするって、ゲンゴローが教えてくれた」
ぽつりぽつりと、いつもの声でルナは云う。
解剖、骨を切る?
生物学のゲンゴロウ先生の研究室にだったら、そんな道具があるのも不思議ではないけれど。
それが、博士の眠るラボに、どうして。
「その時ね、ゲンゴロー、すぐにそれを鍵のかかるロッカーにしまって、るなに云ったよ。「あぶないから、絶対に触っちゃいけない」って。るなの手や足くらい、簡単に切れてしまうくらい「あぶない道具なんだよ」って。だから、もしまた出しっぱなしになってるのを見つけても、絶対に触らずに、すぐに教えてって」
云いながら、たぶん、ルナは無意識に、左足の膝を両手で隠してた。
白い包帯の巻かれた、ルナの金色の左足。
骨を切る、解剖用の電動ノコギリ。
手や足を簡単に切り落とせるような、危ない道具。
それが博士のラボにあるのを見て、ゲンゴロウ先生の警告を思い出した。
だからルナは、ハンスに不信感を抱いたんだ。
ハンスはそれで、何をするつもりだったのだろう。
それとも、すでに何かをしようとしたのだろうか。
「車椅子の彼は、博士のクローンだったね」
御子がそう尋ねるので、僕はうなずく。
車椅子
割れたスピーカーのような声
機械義手の左手、そして両足も義足。
嫌な想像が頭に浮かんで、
「まさか、ハンスは「核」を自分の体に入れるつもりで?」
思ったら、そう口に出してた。
不自由な体
「呪い」とハンスは云ってた。
ふわりと、御子は肩をすくめるようなしぐさをして、
「さて、どうだろう。それは、彼にしかわからない事だけれど」
「御子の「核」は・・・」
勢い込んで云いかけて、その言葉の重さに、僕は口をつぐむ。
ふむ、と御子が腕組みをするように、その問いを引き継いで、
「彼の体を治せるのか、かな。それは、たぶん、無理じゃないかな。「核」は、「生かす」ための「力」に特化したものだからね。彼は、残念ながら、死にかけていない。生きている、でしょ」
そうなの。
体がちぎれたロリポリを「生かす」ために作られた「核」だから?
そうかもしれない。
ルナの体に「核」が入ったのは、ロリポリの尾が生命維持装置の中で生きている状態で、すぐそばに「命の危機に瀕した」ルナがいたから。
以前、そう御子は教えてくれた。
博士の体に「核」が入ったのは、死にかけて「核」に生かされていたロリポリの腹部「揺り籠」の中で、博士もまた「死にかけていた」から。
「そう、前にも話した通り、御子の力の結晶である「核」には、意志や意識なんてないんだよ。あるのはただ「死にかけた生命体を生かす」という機能だけ。そのために、命の危機に瀕した生命体に入る。それ以外の物には入らない。そのように作られたものだからね。そして御子の「力」である以上、それを越える「力」でない限り、無理矢理に引きはがすような事はできない。当たり前の話だね」
当たり前の話
さらりと御子は云う。
それは、そうなのかもしれない。
だから、話としては、僕にもわかる。
けれど。
「ふにゃああーーー」
突然、ルナがネコみたいな声を上げて、ネコみたいに両手をぐいっと上に伸ばして、大きく伸びをするみたいな動きで、そのままブランコからぴょんと飛び下りたので、びっくりした。
何、どうしたの。
「姫様、ご乱心?」
驚きもせずに淡々と御子が云うのも、何なの。
「だいたいねー、あいつ、嘘つきだもんねー」
金色の草の海の、靄に煙る金色の空に向かって、ルナは大声で云う。
あいつ、って、ハンスの事?
「そう。あとさー、性格悪いよねー。あのホワイトだっけ、鎖で牢屋につないで、ねちねちいじめたりさー」
ホワイト、
鎖で、ねちねち
あの、取り調べの事、かな。
あれはまあ、確かに。
ナナやLのハンスへの不信感が決定的になったのも、あの取り調べの映像からだった、ね。
ガブリエルは、初対面からあまりいい印象は持ってなかったみたいだけれど。
僕も、初対面だけで云えば、わりと印象は最悪だった、かな。いきなりぐるぐるされたし。あ、でもナガヌマが反撃してくれて、助かった(?)けれど。
「でも」
びしっとルナは人差し指を立てて、その指先を僕の方に向けて、
「キクタはまだ、あいつを信じてる、でしょ」
赤い眼を大きく見開いて、じろりとにらんでる。
信じてる、のかな。
ハンスが、博士のラボに解剖用のノコギリやそれに類する道具を並べてたのは、物的証拠からも間違いないけれど。
さっき彼自身も、「あれこれと散らかしたまま、見苦しい事で、申し訳ありません」とか平然と云ってたので、それを隠そうともせずに認めてた、って事だよね。
だったら、目的は「博士の「核」を取り出す」事じゃなくて、何か別の用途だったのかな、って気がする。
本当に博士の体を切り裂いて「核」を取り出そうとか考えてたのなら、あの道具を僕らに見られたら、少しは慌てたり、何か云い訳をしたりするのでは。
「はあ、何なの、このお人好し」
ルナはあきれたように、僕を指してた人差し指をくるくる回して、踊るようにぱっと開いて肩をすくめる。
「とにかく、これで4対2になったからねー」
腰に手を当てて、挑むように僕に云う。
4対2
ルナ、L、ナナ、ガブリエル、で4。
僕、J、で2、だね。
役割分担
半々、ではなく、4対2。
それはともかく、
いつもの、元気なルナに戻ったみたいで、僕は心の中でほっとしてた。
それでも僕は、ハンスを信じたいと思ってしまうけれど。
そんなお人好しな僕の仲間が、きちんと冷静に疑いの眼を持ってくれてるって事も、すごくありがたいと思う。
「それが「キクタ」の良い所、だからね」
ふふふ、と御子は楽しそうに笑って、
「やっぱり、あなたはナガヌママゴイチに良く似てるね」
急にそんな事を云うので、どきっとした。
「えー、マゴちゃんもお人好しなの」
ブランコに座り直して、また足をぶらぶらさせながら云うルナは、何故か少し不満げだけれど。
「お人好しでしょ。見知らぬ地球外生命体を救うために、半身をぽいと差し出すような人だよ?」
「あ、そっか」
半身をぽい?
それは、ロリポリを救うためでもあったけれど、この国、と云うか、この星を救うためでもあって。
でも、だからと云って、ナガヌマと同じ事が僕にもできるとは、とても思えないけれど。
そう云ったら、何故かふたりが同時に首を横に振って、
「やりそう」
「やるだろうね」
何でなの。どうしてそんな、ふたりで声を揃えて同意見なの。
「あんたはそーいうやつだからだよ。平気な顔してやるんだよ、きっと。それでまたみんなにさんざん心配かけたりするんでしょ」
ちょっと待って。どうしてやってもいない事で、ルナにそんなに怒られなきゃいけないの。
それは、何て云うかルナの勝手な想像だよね。
僕はそんな事できないし、やらないよ。たぶん、だけれど。
「まあまあ。とりあえず、姫様のご機嫌も直った事だし、そろそろ授業に戻ったら」
ふわふわと楽しげに揺れながら、御子が云う。
あの御子に、僕らの授業の心配をされるだなんて思ってもみなかったので、びっくりした。
「それもローバシン?」
ニヤニヤしながら赤い眼を細めてるルナは、もうすっかりいつも通りで、良かったけれど。
「そうだね、余計なお世話だ。じゃあ、またね」
ふわりと揺れた御子は、両手を振るような動きをして、そのまま揺らいで、靄に紛れて消える。
いつもの事だけれど、去り際がすごく、あっさりしてる。
御子にひらひらと手を振ってたルナが、
「あ、帰る前に、もうひとつ」
びしっとまた人差し指を立てて、僕をにらんで、
「さっきの話、Lには云わないでね」
念押しするように云った。
さっきの話
博士のラボの、道具の話、かな。
当然、Lやみんなにも共有すべきだと思ってたけれど、
どうして?
もう、とルナはあきれたように肩をすくめて、
「Lは来週、大事な試験でしょ。余計なコトに気を取られたり、頭を使わせたくないの」
云われて、あ、そうか、と思う。
それはそう。Lだから、それしきの事で頭がいっぱいになったりはしないだろうけれど。
でも、今は試験に集中させてあげたいのは、確かだよね。
「そう。だから、試験が終わるまで、内緒。今日のところは、「黄金虫は無事に帰したよ」でおしまい。るなから、メールしとくから。わかった?」
わかった。
答えたら、
「じゃあ、授業に戻ろー。サボってばっかりいると、あんた、Lみたいに大学行けないよー」
ルナは赤い眼を細めて、ニッと笑ってた。

タイトルとURLをコピーしました