土曜日も良く晴れた寒い日だった。
ぴゅうと甲高い音を立てて、冷たい北風が僕の部屋の窓に吹き付ける。
ガラガラと大きなエンジン音が聞こえて、窓から下をのぞいたら、家の前に大きなクレーン付きのトラックが停まってた。
2トンって親分は云ってた気がするけれど、もっと大きいんじゃないかな。
母が用意してくれたダウンの上着を着て、階下へ降りると、エンジン音を聞きつけたのかな、リビングから父が、お風呂場の洗濯機の前からは母が、ぱたぱたと玄関へ出て来る。
あ、そうか。おじいちゃんに挨拶するのかな。それは、そうだよね。
靴を履いて、玄関を出る。
トラックの運転席から下りて来た親分が、ニッと得意げに笑って、
「4トンが空いてたから、そっちで来たぜ。でっかい方がいいだろ?」
でっかい方が、いいのかな。
「うん、ありがとう」
よくわからないけれど、お礼を云ったら、早速頭をがしがしなでられた。
助手席の窓が開いていて、ルナが赤い眼を細めてニヤニヤ笑ってる。
その向こうに、ガブリエルも座っていて、僕に手を振ってた。
そっか、3人で助手席に座るのだから、「でっかい方がいい」のかな。ガブリエルは6年生にしては小柄だし、僕もルナも大きくはないので、3人でもだいぶ余裕はありそうだけれど。
僕の後からのっそり外へ出て来た父が、
「えーと、あー親父、その、よろしくお願いします?」
何故か疑問形で云う。ちょっぴり親分から目をそらすのは、何だろう、照れかな。
「おう、ちょっくらキクタを借りて行くぜ」
いつもの半纏姿で腕組みをして、親分は威勢よく云う。
父と母には今日の事を、前におじいちゃんと学園都市で会った時に、ガブリエルとも意気投合して、一緒に研究棟の解体現場を見学させてもらう事になった、と話していて、親分にもそう話してある。
「おう。キクヒコおじさんの件は、例の「認識が消される」アレなんだろ。それじゃ仕方ねえ。嘘も方便ってやつだ」
昨夜、電話で話した時、親分はそう云って、がははと豪快に笑ってた。
本当に、理解ある祖父で助かる、よね。
孫がそんな得体の知れない謎の現象に関わってる事を、がははと笑い飛ばせるおじいちゃんの懐の深さと云うか、肝っ玉の大きさと云うか、ありがたいなと思う。
得体が知れないからこそ、心配でついて行きたいと思ってくれてるのかもしれないけれど。
「お義父さん、ご無沙汰してます。今日はよろしくお願いします」
サンダル履きで玄関を出て来た母が、親分にそう云ってぺこりとお辞儀をする。
「おお、キョウコちゃん、何年ぶりかな。あんた、年取らねえなあ。ぜんぜん変わってねえじゃねーか。いつまでも別嬪さんだ」
お世辞かな、親分はそんな事を云って、またがははと豪快に笑ってる。
母は「いえ、そんな」とか云いながら、うれしそうににこにこしてた。
トラックを見上げて、「がぶちゃん」と手を振ってた母が、不意にくるりと後ろを向いて、
「ねえ、キクタ。あの子は誰?がぶちゃんのガールフレンド?」
こそこそ僕に聞くのは、何なの。
やめてよお母さん。そんな口うるさい親戚のおばちゃんみたいなの。
「僕の同級生。転校生のルナだよ」
めんどくさいなあと思いながらそう説明したら、
「同級生って、まさか、あんたのガールフレンド?」
眼を丸くしてる。
何でそうなるの。怒られるよ、ルナに。
「違うけど。ススガ丘の学園から転校してきた子だから、今日は一緒に行きたいって」
本当は、
「キクヒコを運ぶんでしょ。だったら、るなも行くよー」
とか、いつものようにルナは云ってたのだけれど。
キクヒコさんがらみの理由は、(認識を消されてる)父と母には説明できないので、仕方がないよね。
「へえ、そうなの。かわいい子じゃない」
そう云うと母はトラックを振り返って、助手席のルナに手を振ってる。
ルナはびっくりした顔で赤い眼をぱちくりさせながら、作り笑いで母にぺこりとお辞儀してた。
かわいい子だから何だと云うの。
母に云わせれば、JもLもみんなかわいい子でしょ。いやまあ、実際にみんなかわいい子なのだけれど。
親分が助手席のドアを開けてくれて、
「キクタ、乗りな」
云いながら、
「嬢ちゃん、若様、ちょっと詰めてくれな」
車の中のふたりに声をかけてる。
トラックの助手席って、高いんだね。
ドアの内側の手すりにつかまって、よいしょと体を持ち上げてたら、親分が僕のお尻を押して助手席へ乗せてくれた。
助手席のドアを閉めて、親分は父と母を振り返り、
「じゃあ、行って来るぜ。そんなに遅くはならねえと思うが、帰りもここまで送って来るから」
そう云って、ひらりと手を振って運転席へ回り込む。
「よろしくお願いします」
母がぺこりと頭を下げて、
「ああ、うん」
とかぼそぼそ云ってた父の頭を後ろからぐいっと押して、お辞儀させてた。
親分が運転席に乗り込んで、トラックが走り出すと、耐えかねたようにガブリエルがくすくす笑い出して、
「相変わらず、愉快なお父さんお母さんだねえ」
愉快と云うか、何と云うか。
「何だい、若様はキクタの両親とは、古いのかい」
親分が不思議そうに尋ねるのは、それはまあ、そうだよね。
「うん、まあそうだね。特にキョウコさんは、4歳の頃から知ってるからねえ」
「へえ、それじゃ、俺よりよっぽど詳しいんだな。俺は、あの子に会うのは、今日で二度目だぜ」
二度目
そっか、これまで父が全く、実家に寄りつかなかったから?
「え、じゃあ一度目はいつなの」
なんとなく気になって、聞いてしまった。
だって、結婚式?みたいな事はしてないはずだし。それでも、結婚のあいさつ?くらいは、してたのかな、と思って。
ふふん、と親分は少し遠くを見るように、昔を懐かしむように前を向いたまま、
「一度目は、おまえさんのおばあちゃんと一緒に、挨拶に来てくれた時だ。キイチロウの奴は、仕事だとか云って来なかったがな。キョウコちゃんとおばあちゃん、ふたりでウチへ来てくれたんだよ。「結婚します。よろしくお願いします」ってな」
へえ、そうなんだ。義理堅いと云うか、でも、おばあちゃんらしいと云うか。
「キクタのママ、美人じゃん。若いし」
ルナが赤い眼を細めて、ニヤニヤしながら云うと、
「はい、女優さんみたいですね」
ゲンゴロウ先生の機械音声が突然聞こえて、びっくりした。
え、先生?どこにいるの。パソコンは、見当たらないけれど。
「ここだよー」
ルナが首からネックストラップで下げたスマホを掲げて、僕に画面を向ける。
スマホの画面には、確かにいつものゲンゴロウ先生のアバターがいて、僕にカクカク手を振ってる。
「え、何でなの」
「何でって、パソコンは重いし、るな持ち歩くのイヤだもん」
当たり前じゃん、みたいな顔で、ルナは云うけれど。
「いや、だからって、スマホなの。だいじょうぶ?その、狭苦しくないの、かな」
「画面が小さいですからね、少々狭苦しい、ような気がするだけです。実際は、パソコンよりもカメラの性能が良いですから、視界は良好ですよ」
ぴこん、と笑顔の顔文字を出して、ゲンゴロウ先生のアバターもにっこり笑ってる。
そうなの、だったら、いいけれど。
「すごい時代になったもんだよなあ、まるでSF映画だぜ。あーいや、俺にゃ仕組みは、よくわかんねえけど」
親分はそう云って、またがはは、と笑ってた。
大きな4トントラックは、視界が高くて眺めも抜群だし、助手席も広くてルナとガブリエルと3人並んでもまだ余裕があるくらいだった。
天気も良くて快適なドライブ日和で、つい目的を忘れてしまいそうになる。
今日の目的は、もちろん、キクヒコさんの移送だ。
ハンスは、どこでキクヒコさんを受け入れてくれるつもりなのだろう。
やっぱり、会社の工場とか、何かそういう大きな施設、なのかな。
ガブリエルに尋ねると、
「それがねえ」
何やら難しい顔で、
「あのククリ島の南の方、海沿いの一帯が工業地区になっててね。クヨウケミカルの本社と工場もそこにあるから、てっきりそちらで受け入れてくれるのかと思ってたんだけど、どうも違うみたいなんだよ」
違うの。
本社や工場では、受け入れできなかったのかな。
でも、そうなると広さの問題や、何より業務用電源が。
「そう、それなんだけど、延々待たされた理由が、どうやらその電源の工事だったみたいなんだよね。聞いても例の調子でのらりくらりとかわされて、はっきり答えてくれなかったんだけど。あんまりしつこく尋ねるのもね、急かすみたいで嫌だったから、ボクもそこまで突っ込んで聞きはしなかったんだけど。OKの連絡を電話で貰った時に、ハンスがちらっと「ようやく工事が終わりまして」みたいな事を云ってたんだよね」
工事が終わりまして?
「じゃあ、業務用電源を?どこかに引き込む工事をしてた、って事なのかな。わざわざ、キクヒコさんを受け入れるために?」
ハンスを疑う気持ちなんて、僕にはこれっぽっちもなかったけれど。
でも、そこまでしてくれるの、というのが、正直な感想だった。
ガブリエルもうなずいて、
「ボクもちょっと信じ難くてねえ。いくら兄弟みたいな存在だとは云え、面識もない相手にそこまでするのかな、ってね。会社にもハンス自身にも、何の得もないのに、だよ。それに」
そこで言葉を切って、ルナとスマホ画面のゲンゴロウ先生をちらっと見る。
ルナが小さくうなずいて、すっと僕の右手をつないで、心の声で、
「キクタ、こないだのラボの「道具」の話、るな、がぶちゃんに話したよ。あ、もちろん、ゲンゴローも知ってるよー」
いつもののんびりした調子で云う。
そっか、ありがとう。
僕も、木曜の昼休みに教室までガブリエルが来てくれた時、云いかけてたけれど5時間目のチャイムが鳴ってしまって、それきり云いそびれてた。
という事は、ガブリエルも「道具」の件を聞いて、ハンスにはより疑いを深めてる、って事なのかな。
まだ疑いの段階、とは云え、ハンスは育ての親でもある博士の体から、御子の「核」を取り出そうとしてた、かもしれない。
少なくともルナはそう疑ってる。
そう云えば、あの晩、ハナの「海」でナナと会ったけれど、「道具」の件は話すのを忘れてた。
例の「砂嵐」の記憶の話は、してたけれど、そっちの話ばかりだったね。
「道具」について、ナナの意見も、聞いてみたかったけれど。
でもナナは、最初からハンスには警戒していたし、たぶん今もそれは変わらない。
それでも、あの「道具」を、ナナがどう判断するかは、聞いてみないとわからないけれど。
何か考え込んでいたガブリエルが、ふむ、と小さくうなずいて、運転席の親分の方を向く。
「親分、業務用電源って、引くのはそんなに難しいの」
「ああ、キクヒコおじさんの、生命維持装置の電源か?難しいって事はねえはずだが、云うほど簡単でもねえな」
親分はそう云って、片手をハンドルから離して、無精ひげのあごを指でさすりながら、
「電力会社と契約が必要なのは、普通の家庭用電源と同じだな。一般家庭やマンションなら、契約さえすりゃ家庭用の電気は使えるが、業務用となるとそうはいかねえ。元の線から別物だから引き込み工事が必要になるな。しかも、業務用電力の使用にゃ許可が要るはずだ。触れたら即感電死ってくらいの高圧だから、それも当然だな。ただ、例えばそうだな、「業務用の大出力の電子レンジを1台、どうしても家庭で使いたい」なんて場合なら、家庭用電源から三相200ボルト、つまり業務用と同じ電圧の線を取る事も出来るはずだぜ。それなら、電気工事屋に宅内のブレーカーをいじってもらって、中の配線だけのはずだから、簡単と云えば簡単だ。生命維持装置とやらがそれで動かせるのかどうかはわからねえが」
親分がそう説明してくれるのを聞いて、ぴこんとガブリエルが何やら反応した顔で僕を見る。
うん、僕もひとつ、思いついてた。
「まさか、リバーフロントビルのマンション?ハンスは、自分のオフィス兼住居で、キクヒコさんを受け入れるつもりなのかな」
「かもしれない、だねえ」
少し困惑したような顔で、ガブリエルはうなずく。
親分もうなずいて、
「ああ、あのでかいビルなら、ビル自体には業務用電源も引いてるだろうからな。ビル内のどこかから、マンションの自室まで配線工事さえすりゃ、業務用でも何でも引けるんじゃあねえかな」
その言葉に、ガブリエルは苦い顔、だけれど。
そうかな、考えようによっては、もしそうならありがたいかも。
「でもそれなら、ハンスの部屋へ行けば、キクヒコさんのお見舞いが出来る、って事だよね」
僕が云うと、ガブリエル、そしてルナまで何故か苦い顔になってる。
「ハンスの部屋へ行けば、だけどね」
「るな、あんまり行きたくないなー」
ふたり揃って、あまり気が進まないみたい。
それは、そうか。ふたりにとっては、あまりうれしくはないのかな。
それならまだ、クヨウの工場や施設の方が、お見舞いにも行きやすいのかも。
「どうもその、おじさんを受け入れてくれるっていう、クヨウの顧問かい?ハンスって御仁は、おまえさん達にゃあまり人気がねえみてえだな。嫌な奴なのかい?」
なんて事ないみたいな顔で、平然とそう尋ねるのは、いかにも親分らしい。
嫌な奴なのかい?
さらりと聞くので、ぜんぜん嫌味がない。
ガブリエルも苦笑しながら、
「人気がないのは、確かだねえ。嫌なヤツかどうかは、どうだろう。個人的には、ボクは苦手だなあ」
「へえ。如才ない若様でも「苦手」なのかい」
意外そうに親分が云うと、
「るなもー」
便乗するようにルナもぴこんと右手を上げる。
「ええ?嬢ちゃんまでかい。そりゃあまた」
細い眼をさらに細めて、親分はあごを掻いて、
「キクタは?」
またさらりと尋ねるので、困ってしまう。
僕は、今や少数派だし。
「僕は」
云いかけて、何て云えばいいんだろうと思って、考え込む。
僕はハンスを、どう思ってるのだろう。
確かに、あのヌガノマホワイトへの取り調べ映像を見せられて以降は、一時期ほどは、単純に面白い人だな、とは思えなくなってたかもしれない。
ドーリーやモニカに関して、僕らに嘘をついてた事も、気にならないとは云い切れない。
3年前の、モニカ襲撃・殺害についてのガブリエルの推察も、まだ疑惑に過ぎないとは云え、引っかかる点があるのは確か。
そして、ラボにあった解剖用の道具。
疑いたくなる要素はいくつもあるけれど、どれもまだ推測や疑惑の域を出ない。
疑わしい事に違いはないのだけれど、それでも、僕は・・・。
「ハンスを、信じたい、かな」
アルカナを守りたい、と云ったあの時のハンスの言葉は、嘘じゃないと思いたい。
博士やモニカについて語るハンスの、祈るようなおだやかな表情は、お芝居なんかじゃないと信じたい。
「ほう」
ちらりと僕を見て、すぐに前を向いて、親分は眼を細めてる。
「そりゃあ、会うのが楽しみだな」
ニヤリと口の端を上げて、親分はぎゅっとハンドルを握り直してた。
丘の上は、冷たい風が吹きつけて、灯りの消えた無人の研究棟は、だから余計に寒々しく見える。
西棟の正面入り口、ガラス扉の前に親分がトラックを停めると、扉のすぐわきに、車椅子のハンスがひとりで待っていた。
今日は、ドーリーはついて来てないらしい。
寒いのに、ずっと外で待ってたのかな。
「あの人かい」
サイドブレーキを引いて、エンジンを止めながら親分がガブリエルに尋ねる。
「うん。クヨウケミカルの顧問、ハンス・アンダーソンだよ」
わざわざ肩書を云うのは、親分が認識を消されないよう、上書きするため、なのだろう。
助手席のドアを開けて、降りようとしたら、ルナが首から下げたスマホ画面に向かって、
「ねー、ゲンゴロー、画面を消して、カメラだけONにできる?やっぱり、るな、ハンスちゃんにゲンゴローを見せたくないよ」
ささやくように、ぽつりと云ってた。
「お安い御用です。では念のため、スマホも消音モードにしておいてください。ルナちゃんが手で持ってくれていれば、心の声は聞こえますよね」
にこりとゲンゴロウ先生のアバターが笑顔を見せて、フッとスマホの画面が真っ暗になってた。
ルナの気持ちは、わからなくもないかな。
僕がハンスを信じたいのとは別の所で、ハンスが疑わしいのもまた確かなのだし。
用心は、しておいて損はないのかも。
トラックを降りると、ハンスが電動車椅子を進ませて、僕らの前までやって来た。
「これはこれは、皆様お揃いで」
いつもの割れたスピーカーみたいな声で、車椅子の上から大袈裟なお辞儀をしてみせる。
いつも通りの、ハンスだけれど。
「ハンス、まさかとは思うけれど、車椅子で丘を登って来たの?」
思わず尋ねると、ハンスは大袈裟に肩をすくめて、
「それはまさかですよ、親愛なるK。東側の校内の道を車で来ましたので、ご心配なく。もちろん、塀のところからは、車椅子ですが。ほんの数百メートルほどです」
「それなら、良かった」
それは、そうだよね。
車って、車椅子でも乗り降りできるのかな。自分で運転してきたわけじゃないのだろうから、運転手さんは車で待たせているのかもしれない。
トラックの運転席から降りて来た親分が、ハンスに手を上げて、
「こんちは、あんたがアンダーソン先生かい。俺は土建屋をやってるスズキってモンだ。あー、キクタの」
「おじいちゃんだよー」
ルナがにっこり笑って、いつもののんびりした調子で云う。
さっきまでの不安げな様子は、かけらも見当たらない。やっぱりルナって、すごいな。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。お孫さんとは日頃から親しくさせていただいております、クヨウケミカルのハンス・アンダーソンと申します。スズキさん、どうぞその「先生」というのはおやめください。ただの「ハンス」で結構です」
ハンスはハンスで、いつものように流暢に、まるで用意してたみたいにすらすらと云って、にっこり笑って、もう一度親分に丁寧なお辞儀をしてた。
くるりとハンスは、ガブリエルに向き直り、
「たいへんお待たせしてしまいまして、申し訳ございませんでした。坊ちゃまもさぞや、気をもまれた事でしょうね」
「いや、こちらこそ、無理なお願いをしちゃってごめんね。それで、受け入れは、もうだいじょうぶなの」
「はい、おかげさまで。準備万端整えておりますので、どうぞご安心ください」
大袈裟に両手を広げてから胸に右手を当てて、ハンスはにっこり笑ってうなずく。
それからくるりと僕の方を向いて、
「ところで、親愛なるK。つかぬ事をお尋ねしますが」
カチャカチャとゴーグルのレンズを回しながら、
「この場所、研究棟一帯の「認識」は、「消されて」いるのですよね。だとすると、あなたのお爺様は・・・」
云いかけて、首をかしげる。
その仕草で、聞きたい事はわかったので、
「おじいちゃんは、普通の人だよ。アニーじゃない。だから、ハンス・・・」
僕も云いかけて、云い淀む。「アルカナに関する事は・・・」、そう僕が口に出すのも、たぶん親分にはダメだよね。
察したように、ハンスが大きくうなずいて、
「なるほど、承知いたしました。発言には十分に気をつけるといたしましょう。ぼくもアメリカで、認識を消された人達をたくさん見てきましたので、大丈夫です。配慮できると思います」
「気を遣わせちまって悪いねえ。まあ、俺はだいじょうぶなんで、気にせず話してくれていいぜ」
ふふん、と頼もしく笑う親分は、本当に頼もしい。
ここへ来るまでの間も、実は運転中に固まってしまうんじゃないかと僕もガブリエルもひやひやしていたのだけれど、一度も固まることなく、見た感じは、何ともなさそうだったので、驚いた。
もしかしたら、事前に何度かひとりでここへ来て、練習と云うか、認識を消されないコツみたいなのを掴んだり、とかしてたのかもしれない。
「とにかく、中へ入らない?ここは寒いし」
ガブリエルが云うと、親分が、
「じゃあ先に入っててくんな。俺ぁ台車を降ろして、後から行くぜ」
くるりと身を翻して、トラックへ向かう。
台車
そう云えば、荷台に何か大きな、形で云えばフォークリフトのフォーク部分みたいな、車輪の付いた道具が積んであったけれど。
あれの事かな。
それはそうだよね。シングルベッドくらいの大きさの、蓋の付いたカプセルのような生命維持装置なので、道具なしで運び出せるものではないよね。
気になったので、僕も親分についてトラックに戻り、荷台をのぞき込む。
親分は何故か運転席へ戻って、トラックのエンジンをかけてた。
僕が不思議そうな顔で見てたから、かな。エンジンをかけたまま、運転席から降りて来た親分が、
「台車を降ろすのにクレーンで吊るんだよ」
ニヤリと笑って、そう説明してくれた。
なるほど、それはそう。
あの車輪の付いたフォークみたいな台車?そのものが、かなり大きいし、重そうだものね。
人の手では持ち上げられないから、クレーンで降ろすんだ。
エンジンをかけたのは、クレーンを動かすため、かな。
「おまえさん、土建屋になりてえのか」
僕が興味津々に眺めてたから、かな。
クレーンにかかってたワイヤーを外しながら、親分はうれしそうにニヤニヤ笑ってたけれど、
「若様についててやんな。あの先生は、曲者だぜ」
ふっと笑みを消して云う。
くせもの
それは、何だろう、親分の長年の人生の勘、みたいなもの、なのかな。
ひと目見ただけで、ハンスがくせものだって、親分はそう思ったの。
「そんな顔しなさんな。心配性の年寄りのただの戯言だよ。だが、若様も嬢ちゃんも「苦手」で、おまえさんは「信じたい」んだろ。だったら、ついててやんな」
眼を細めて、親分はニヤリと笑う。
「うん、わかった」
うなずいて、僕はみんなの所へ戻った。
ガブリエルを先頭に、ルナがその隣、後ろに僕とハンスが並んで、ぞろぞろと西棟の入り口から中へ入る。
灯りは点いていなかったけれど、自動ドアはすっと開いて、建物の中も外からの光と非常口の灯りで、暗すぎる事はなかった。
「実験室は、5階でしたか」
エレベーターの前で車椅子を止めて、ハンスが尋ねる。
返事をしようとしたら、彼がすっと手を上げて、
「その前に、1C実験室、というのは、どちらでしょう」
そう尋ねるので、どきっとした。
1C実験室
目的は、ロリポリの尾、だよね。
以前、ここで起こった事は、ハンスにも共有していたから、ここへ来るなら当然、ロリポリの尾を見てみたい、と思ったのだろう。
どきっとした自分自身の反応に、僕は驚いてた。
とっさに僕は、彼にロリポリの尾を見られたくない、と思った、のかな。
いや、ハンスに見せてもいいものかどうか、その判断に迷ったから、どきっとした、だけかもしれない。
固有名詞を口に出さず、実験室の番号だけを云ったのは、親分への配慮だろうか。
まだ外でトラックから台車を降ろしてる親分に、ここでの会話が聞こえる事はないけれど。
「ああ、ごめんね、ハンス。1C実験室は、ウミノ先生がいないと入れないんだ。今日は寄るつもりがなかったから、ボクらも鍵は借りて来なかったんだよ」
さらりと、少し申し訳なさそうに、ガブリエルが云う。
僕はうなずくようなふりをして、下を向く。
今日はゴーグルをしていないので、眼を見られたら嫌だな、と思って。
僕の眼は、御子によれば、嘘をつけない眼、らしいので。
「そうですか、それは残念です。見たからと云って、何が出来る訳でもありませんけれども、後学のためにと思いましてね。入れないのでは仕方がありません。またの機会の楽しみにしておきましょう」
さらりと特に気にする風でもなく、ハンスは云ってエレベーターに向き直る。
一歩前に出て、エレベーターの呼び出しボタンを押しながら、僕は内心、ほっとしてた。
ロリポリの尾のある1C実験室を、ハンスに見せるかどうか。
事前に打ち合わせておかなかったのは、うかつだった。少し想像力を働かせれば、ハンスが見たがる事くらいは、予想できただろうに、ね。
とっさの機転で、さらりと嘘をついてくれたガブリエルには、感謝しかないけれど。
ガブリエル、見せたくなかったのかな。
たぶん、1C実験室には鍵はかかってない。
前回、ゲンゴロウ先生に案内されて入った時にも、鍵を開けたりはせずに、普通にドアを開けて入ってた。
だから、もしハンスが入ろうと思えば、後日ひとりでここへ来て、いくらでも入る事ができてしまう。
ガブリエルの嘘がばれないようにするためにも、あとでゲンゴロウ先生に聞いて、鍵をかけておいた方がいいかもしれない。
「もう聞いたよ、カギの場所。あとで帰る前に、るなが閉めておくよー」
のんきな心の声が聞こえて、びっくりしたけれど、ハンスに悟られないように、さりげなくルナを見る。
今の「海」じゃないよね。
「じゃないよー。あんたの「海」だったらLに聞こえちゃうじゃん。るなの「草の海」だよー。つながってるんだから、キクタとは話せるでしょー。がぶちゃんとはむりだけど」
そうなの。
いや、そっか。理屈で云えば、そうなのかも。
ルナのアルカナは特別製で、御子が「王の海」を模して、いろいろカスタマイズしてくれてる。
だから、ナナと「ハナの海」を通していつでも話せるのと同じで、ルナとも話せるんだ。
「キクタって、たまにボケてるよねー。何なの、おじいちゃんだからー?」
心の声で云って、ルナは赤い眼を細めて、僕を見てる。今にもニヤニヤ笑い出しそうな顔で。
おじいちゃんだから、かな。
たまにナナにも云われる、おぬしいよいよボケておるのか、とか。
本当にそうなのかな。
「じょーだんだよー。ほら、エレベーター来たよー」
のんびりとしたルナの声とともに、チンと軽やかなベルの音が鳴って、エレベーターの扉が開いた。
5階のゲンゴロウ先生の実験室も、鍵はかかっていなかったはずだけれど、ガブリエル、どうするつもりだろう。すんなりドアを開けてしまったら、ハンスに不審がられないかな。
僕はひとりで気をもんでいたのだけれど。
前を歩くルナが、ポケットから何かちゃりんと取り出して、
「がぶちゃん、はいこれ、カギー」
「ありがとう」
ガブリエルも、自然にそれを受け取ってた。
心の声でルナが、
「心配しなくても、こっちのお部屋のカギは持ってるよー。カギかけてないけど」
かけてない、って、じゃあガブリエルが鍵を差して回したら、鍵がかかっちゃうのでは。
「がぶちゃんだよー?キクタじゃあるまいしー、それくらいわかってるよー」
ルナは楽しそうにくすくす笑ってた。心の声で、だけれど。
どきどきしながら見守ってたのだけれど、ガブリエルはごく自然な仕草で、鍵を差し込んで、回して、すっとドアを開く。
どういう事?カギがかかってないのは、ガブリエルも承知してたはずだけれど。
回したら鍵がかかるんじゃないのかな。回したように見えた、よね。
「あんたってほんと、たまに子供みたいだよねー。あとでがぶちゃんに聞いてみたらー?」
ルナは心の声で云いながらちらりと僕を振り返って、赤い眼を細めてみせる。
「海」で話せないのって、本当に不便だね。
今のどういう事?ガブリエル、何をしたの?って、すぐに聞けないのが何とももどかしい。
「ほほう」
僕の後から車椅子で室内に入ったハンスが、くるりと見渡して何やら感心してる。
「さすが、一流大学の実験室ですね。立派な設備です」
パソコンや、何かのモニターが壁際にたくさん並んでいて、確かにすごそう、とは思ってたけれど、ハンスが見ても立派な設備、なの。
「ふん、お世辞でしょ」
ルナは心の声でさらりと云って、ガブリエルと並んでずんずん奥へ進んで行く。
ふん、って
何だかハンスが可哀相になってくる。
彼には聞こえてないのだけれど。
「こっち、奥だよ」
部屋の右端から、ガラスで仕切られた奥の部屋へのドアを開けながら、ガブリエルが振り返ってハンスにそう声をかける。
車椅子、通れるかな。それほど狭くはないけれど、よくわからない器具や何かのコード類が通路にはみ出してるので、僕はそれらを少しずつ押したりわきへどけたりしながら、ハンスの進路を確保する。
「ああ、親愛なるK。あなたのご親切に感謝いたします」
いつもの調子で大袈裟なお辞儀をしてるハンスを、「いいから早く」と手招きで呼ぶ。
抱えたコード類の束が、見た目以上に重かったので、のんびりされたら僕の腕力がもたない、と思って。
「おおっと、これは失敬。すぐに通りますので、しばしご辛抱くださいね」
慌てて車椅子を操作して、僕の横を通り抜けてくれるハンスの生真面目な横顔を見て、思う。
やっぱり僕は、彼を信じたいなって。
「もう大丈夫、親愛なるK、それを離していただいて。あ、ゆっくりですよ、慌てて足の上にでも落としたらたいへんです」
機械の左手をがしゃがしゃ鳴らしながら、身振り手振りでハンスは云うけれど、後ろでそんな大騒ぎされたら、かえって慌ててしまうよね。
苦笑しながら、ゆっくりとコードの束を元の位置へ戻して、ハンスの車椅子に続いて奥の部屋へのドアをくぐる。
この奥へ入るのは、僕も初めてだった。前回は、ガラスの向こうで待っていたので。
薄暗い奥の部屋は、真ん中に置かれた生命維持装置が放つぼんやりとした青い光に照らされて、何か秘密の研究所みたいだった。
奥の壁際には、サーバーラックがずらりと並んで、赤や緑の小さな灯りがたくさん、ちかちかと明滅してる。
低く唸るような音がするのは、サーバコンピュータの稼働音なのかな。それとも、生命維持装置の音か、もしかしたら空調の音かもしれない。
「ふむ」
ハンスがつぶやくように云って、
「近くで見せていただいてもよろしいでしょうか」
僕を振り返り、それからガブリエルとルナの方を向いて尋ねる。
どう答えるべきかな、一瞬、迷ったけれど。
「どーぞー」
いつもの調子で、ルナののんきな声が答えてくれた。
すぐそばで装置をのぞき込んでいたガブリエルも、ハンスのために少し避けて場所を開けてくれる。
ハンスは車椅子を装置のすぐそばまで進めると、身を乗り出すようにして、体を左右に動かしながら、確かめるように見ているのは、装置の中で眠るキクヒコさんではなく、装置そのものを、なのかな。
「ふむ、ふむ。なるほど」
ひと通りそうして眺めると、ハンスは右手をあごに当てて、何やら思案顔で、
「親愛なるK。ひとつ、お願いがあります。ああ、いえ、お願いと云うより、ひとつ、試してみたい事があります」
そう云い直して、まっすぐに僕を見る。
試してみたい事
ここで、何かを始めるの?
でもいったい、何を。
「何を試したいの」
全く想像もつかないので、僕はハンスにそう尋ねる。
「この生命維持装置を「輪」で飛ばせるかどうかを、です」
表情を変えずに、奇妙なゴーグル越しにまっすぐ僕を見つめたまま、ハンスは淡々と云った。
生命維持装置を「輪」で飛ばせるかどうか
僕は、虚を突かれたようにぽかんとしてたと思う。
「輪」で飛ばす?
「こんなおっきなものを?そんな事できるの?」
ルナが、僕の中の疑問をそのまま尋ねてくれる。
でも、僕の心の中の声が「聞こえた」わけではなく、きっとルナも同じように思ってたのだろう。
それは、そうだと思う。
だって、「輪」で飛ばせるのは、せいぜい「人ふたり」くらいなのでは。
「できるかどうかで云えば、できると思います。改造された「能力」ではありますが、元はと云えばアルカナの能力です。「飛ばせる」と認識できれば、それはできるはず、ではありませんか」
ハンスはゆっくりと生命維持装置を振り返り、それをまじまじと見つめながら淡々と云う。
「飛ばせる」と認識できれば、それはできる
アルカナの能力
認識の力、という事なのかな。
Mは、初めて会ったあの時、僕ら全員の意識を、いっぺんに彼女の意識空間へ引き込んだ。
僕とLとJ、ガブリエル、それからNとクロちゃん。
そして、二度目に会った時にも、モニカの記憶を見せるために、僕ら全員を彼女の「灰の海」へ移動させた。
あの時は、僕とLとJとガブリエル、そしてナナとルリおばさん、それにルナとゲンゴロウ先生もいた。
意識体ではあるけれど、8人だ。
「集中力を要します」とMは云ってたけれど、時間をかけて、集中すれば、それは可能。
意識体を引き出す・飛ばす、彼女の「渦」の能力と、人や物を飛ばす「輪」の能力は、改造であるか否かだけの違いで、元は同じもののはず、そう云ってたのは、モニカだった。
「集中すれば、できるの。ハンスにも?」
思わずそうつぶやいてしまって、はっとなる。
ハンスは僕を見て、ほんの少し口の端を上げる。
「できます」
きっぱりと、ハンスはそう云い切って、
「はっきりと「できる」イメージが、ぼくの中にありますので、大丈夫です。但し、親愛なるK、あなたの仰る通り、集中力を要します。それから、反動でしばらくは「輪」を出す事さえ出来なくなるでしょう。ああ、しかしそれは、おそらく一晩か長くとも二晩も眠れば回復できるくらいのものかと」
まるでやってみた事があるように云うけれど、ハンスにはそこまで明確なイメージができている、という事なのかな。
確かにMも、一度目に僕らを引き込んだ後、二度目に「力」を使うまでの間、キクヒコさんとの会話で時間を引き延ばしていたような印象があった。あれは、回復を待ってたのかもしれない。
「それから、もうひとつ。キクヒコの生命維持装置を「飛ばす」以上、ぼく自身も一緒に飛ばします。生命維持装置だけが移動して、万一にも向こうで何かトラブルがあってはいけません。ぼくが一緒に飛べば、その心配もありませんのでね」
それは、ハンスの云う通りだ。
生命維持装置を飛ばして、次にハンス自身も飛ぶ、という事が今回はできない。
何故なら回復には一晩か二晩かかるから。
それなら一緒に飛ばして、受け入れ先にハンスがいてくれるのが何より安心だろう。
「わざわざお休みの日に、トラックをご手配いただいたあなたのお爺様には、とんだ無駄骨を折らせてしまった事になりますね。くれぐれも、よろしくお伝えください」
そう云ってハンスは、僕に丁寧にお辞儀をする。
お伝えください、って
「え、もう行くの。おじいちゃんを待って、ハンスが直接云えばいいんじゃ・・・」
云いかける僕に、ハンスはすっとゆっくり右手の人差し指を上げて、
「お話ししている間に丁度良い感じに集中できましたので、タイミングを逃したくないのです。それに、認識を消された方の眼の前で、生命維持装置ごと消えるだなんて、あまりにも無粋とは思いませんか?」
口の端を上げて、ハンスはニヤリと笑う。
それは、そう。また親分が固まってしまうのを、眼の前で見るのは、僕も嫌だけれど。
ふむ、と小さくハンスはうなずいて、
「また状況が落ち着き次第、あらためてご連絡差し上げます。もっとも、一見した限りでは、キクヒコは思ったよりも状態は悪くなさそうです。もっと酷い状態かと覚悟していたので、その点は少し、安心しました。もちろん、精密検査をしてみない事には、はっきりした事は申し上げられませんが」
コホンと咳払いをする。
精密検査
でもそれで、眠り続けている原因や、どこか体に悪い所があれば、治療を進められる、という事、だよね。
「よろしくお願いします」
僕は心からそう云って、ぺこりとハンスに頭を下げる。
ガブリエルとルナも、一緒に頭を下げてた。
「はい、どうぞ安心して、お任せください」
にっこりとハンスは微笑んで、
「それでは、親愛なるK、それから皆様も、ごきげんよう」
車椅子の上で大袈裟に手を広げて、いつものように芝居がかった大仰なお辞儀をする。
ふわり、とその体が車椅子ごと少し浮き上がり、後ろの生命維持装置も、床から浮かび上がる。
白く光る「輪」が、生命維持装置と車椅子のハンスをぐるりと楕円形に取り囲んだと思ったら、次の瞬間には、ふっと目の前から消えていた。
がちゃっとドアの開く音がして、振り返ると、親分が実験室のドアに手をかけたまま、入り口で固まっていた。
(just like) starting over vi
屋根裏ネコのゆううつ III