日曜日は、雨が降ったり止んだりの不安定な天気だった。
どこにも出かける用事はないから、僕はまあ良かったけれど。
母は、朝から庭に干してた洗濯物を昼前に慌てて取り込みながら、何やらブツクサ云ってるのが、2階の僕の部屋の窓越しに聞こえてた。
午後から日課の探索へ行こうとルナと約束してたので、お昼を食べて、部屋で少し休んでからハナの海を「振り返る」
ルナはもう来ていて、テーブルの椅子に腰掛けてお茶を飲んでた。
「早いね」
声をかけて、僕も椅子に座ろうとしたら、すっくと席を立って、
「座ったらまた長くなるでしょー。さっさとお仕事行くよー」
ニッと笑って、ふわりとナガヌマの「記憶の梯子」へ飛んで行く。
また長く?って、昨夜の事を云ってるのかな。
確かにルナの云う通り、昨夜は結局、「休憩」と云いながらだらだらと遅くまでおしゃべりをしていて、そのまま解散になってた。
「今日は、びゅんびゅん行くよー。がぶちゃんみたいにねー」
そう云ってルナは、首から下げた、スマホをこっちに向ける。
画面には、ゲンゴロウ先生?
「ゲンゴローに、ゲンバカントクしてもらうよー。そしたらキクタもサボらないでしょー」
ニヤニヤしながら云うけれど。
え、僕、サボってなんかいないよね。休憩は、少ししたけれど。
「休憩しすぎないよう、スマホのアラームをセットするのだそうです。現場監督は私と云うより、このスマホですね」
ゲンゴロウ先生の機械の声がそう云って、楽しそうに笑ってる。
そんなシュールな話で笑ってていいの。まあ、ご本人が笑ってるのだから、別にいいけれど。
「はいはい、ごちゃごちゃ云ってないで、さっさと行くんだよー」
ルナはさっとリボンの付いていない横木を選んで、素早く僕の手をつなぐ。
「どうしたの。急にやる気満々みたいだけれど」
尋ねたら、眉を寄せて僕をにらんで、
「急に?じゃないよー。るなは、最初からやる気まんまんでしょー。失礼しちゃうなー」
ぷんぷん怒って、横木に触れる。
アーチが開くかどうかという所、まだ中の風景もちゃんと見えないうちに、ぐいと僕の手を引いて、「記憶」に飛び込んでた。
文字通り、びゅんびゅん。
記憶の風景が、飛ぶように流れて行く。
これじゃ、何が何だかわからないよね、と思ったけれど。
考えてみれば、これでいいのかもしれない。
ひとつひとつの「記憶」の内容を全て確認して把握する必要は実はなくて、僕らが欲しい情報は、
「モニカがナガヌマに「カントリーロード」の詳細を話している」ところ、その場面の「記憶」だけ。
ひとまず、それだけ。
あのナガヌマの「記憶」なので、他にも気になる事はもちろんある。知りたい事も、見たいものも、たぶんたくさんある。
でも今は、それらは必要ない。
「そーいうコトだよー」
僕の手を引いて、流れる記憶の中をびゅんびゅん飛んで行くルナが、ちらっと僕を振り返って云う。
そういう事。
それはそう。ルナの云う通りだ。
びゅんびゅんと早送りで進む「記憶」の中のナガヌマは、左腕がなく、左足は義足、左眼には眼帯を嵌めてる。
という事は、これはロリポリ落下後で、ベース脱走後。
あとはモニカが出て来てくれれば、より「当たり」に近づくのだけれど。
早送りで飛ばしていたせいかな。
ナガヌマがどこか屋外のひとけのない山道を歩いていた事だけはわかったけれど、それ以外には何もわからないまま、画面がふわりと闇に包まれる。
この記憶は、ここで終わり。
「はい次ー」
ルナはチャキチャキ云って、保管庫の広場へ戻り、いま見た記憶にリボンを付けると、次の横木に触れて、アーチを開く。
早いね。これなら、ひとつに1分もかからないかも。
次の「記憶」へ入り、またびゅんびゅん早送りで進みかけて、ルナが記憶の再生を止める。
「これは、戦争中?」
そうだね。どこか広い運動場のような場所に、兵士達がずらりと整列してる。ナガヌマがどこにいるのかは、ちょっとわからない。
みんな同じ服装だし、こちらに背中を向けてずらりと並んでる。
「ハズレには違いないよー。はい次ー」
さらりと云って、ルナはまた広場へ戻る。
早い、今のは30秒くらいかも。
ふっふん、得意げにルナは鼻で笑うと、またさっきと同じようにリボンの印を付けて、次の「記憶」を開く。
そうしてさらに5つくらい、連続で「記憶」をびゅんびゅん確認したところで、
「ちょっと休憩しよー。早いのはいいけど、これはこれで疲れるねー」
つないでた僕の手を離して、椅子に向かおうとするので、ルナの手をつかまえる。
「休憩するなら、「オレンジの海」の保管庫へ行こうか。白いお花畑、あそこのテーブルで休もうよ」
「んにゃ、何でー」
云いかけて、ルナも察したらしい。ぴこんと人差し指を立てて、
「あー、がぶちゃんとJ?ふたりもお仕事してるの」
たぶん、ね。
少し前から、僕の「海」の保管庫に誰かの気配がしてた。
ルナの手を引いて、オレンジの海の保管庫を「振り返る」
白いお花畑に、丸い木のテーブル。
ふたりの姿は見えなかったけれど、キクヒコさんの「記憶の梯子」、その横木には、早くも目印のリボンがたくさん付いてた。
ルナが僕の視線を追って、梯子のリボンを驚いた顔で見て、
「え、あんなにたくさん?もしかして、昨日から始めてたの」
「そうかも。ガブリエルも、仕事が早いからね」
話していたら、ふわりと空気が揺らいで、手をつないだふたりが、梯子の前に現れる。
そのままこちらを振り返りもせずに、目印のリボンを付けて次の横木を開こうとしてる。
僕らに気づいてないみたいだね。
「おーい、休憩しよー」
ルナがいつもの調子で声をかけると、ふたりが同時に振り返る。
「あれ、ルナちゃん、K」
Jの魔法の声が云って、
「おや、陣中見舞いかな」
ふわりとガブリエルが微笑む。
「ジンチューなに?わかんないけど、ゲンゴローもいるよー」
首から下げたスマホのストラップをつまんで、ルナはそれを揺らしてみせる。
いや、ちょっとそれ、ゲンゴロウ先生の視界が揺れてるよね。
「えー?あ、そっか。ゲンゴローごめんー」
「大丈夫です。だいぶ慣れて来ましたから」
淡々とゲンゴロウ先生は機械音声で云う。
え、でもそれは、だいぶ慣れるほど、ルナが振り回してるって事、だよね。
「だからごめんてー」
ルナは悪びれもせずにさらっと云って、「座ろー」Jとガブリエルに手招きする。
4人でテーブルを囲んで座って、挨拶もそこそこに、
「J、指を鳴らしてみて」
僕はJにお願いする。
「指を?わたしが?」
首をかしげながら、Jがぱちんと指を鳴らすと、テーブルに5人分のお茶がふわりと現れる。
5人分、しっかりゲンゴロウ先生も数えてるところが、いかにもJらしい。
「おお、「権限」だね」
Jがにっこり微笑んで、ガブリエルは青い眼を細めて、
「これで休憩しながらお仕事ができるねえ。福利厚生バッチリだ。ある意味「もっと働け」っていうメッセージとも取れるけど」
くすくす笑いながら、僕を見る。
もっと働け?
そんな鬼みたいな事、僕が云うわけないでしょ。
「もう、Lがいないからって、ガブリエルがKにいじわる云わなくてもいいでしょ」
Jが腕組みをして、ガブリエルをにらんでる。
へへへ、とガブリエルはおどけるように笑ってた。
キクヒコさんの歪んだ「記憶の梯子」を、赤い眼を細めて眺めてたルナが、
「キクヒコの記憶はどう?直せそう?」
いつもより少し神妙な声でふたりに尋ねる。
ふむー、とJがルナを見て、隣のガブリエルを見る。
ガブリエルがJにうなずいて、ルナと僕を順に見て、
「Kが夢で見た通り、キクヒコの「記憶」自体はまだあるよ。それが砂嵐で乱れて見えなくなってる。キクヒコに記憶がないのは、たぶんそのせいなんだろうね。だとすると、ナナちゃんの見立て通り、キクヒコが「認識の喪失」を2度(以上)使った、それが「記憶の梯子」が壊れた原因、だからキクヒコは記憶を失くしてる、そう見るのが、正しいのだろうね」
穏やかな声で、そう説明してくれる。
「そ-だとすると、どーなるの」
ルナが子ネコのように首をかしげて尋ねる。
「ルリさんの時とは、状況が違う、かもしれない。ヌガノマホワイトの壊れた意識が体に入る事によって、「記憶」と「海」とのつながりが無理矢理に切断されたのが、ルリさんの状態だった。だからボクらは、ルリさんの「記憶の梯子」から「切断された」2か所の切れ目を見つけて、その「記憶」を修復する事でつながりを元に戻せたんだ。でもキクヒコの場合は・・・」
そう云って、ガブリエルはあごに手を当てて、考え込む。
キクヒコさんは、そもそもヌガノマホワイトに意識を移されたのかどうかもわからない。
それで云えば、「認識の喪失」を2度以上使ったのかどうかもわからない。
あくまでそれは、ナナの「記憶の梯子」に起きている現象と比較しての推察に過ぎない。
「K」
魔法の声で、Jが僕を呼ぶ。
「キクヒコの梯子に「線」は見えないんだよね。ルリさんの時みたいな、黄色の線」
Jにそう尋ねられて、あらためて、キクヒコさんの梯子を振り返る。
今日はゴーグルを付けずに首にかけていたので、装着して、フレームの横のボタンで、線モードに切り替えるけれど、梯子を指す「線」は見えない。
僕は首を横に振って、ゴーグルを外して首にかけながら、
「見えないね」
声に出して云う。
その点で云えば、ルリおばさんとは違って、キクヒコさんは、ヌガノマホワイトに意識を移されていない、という事になるのかもしれない。
大きく歪んだ、キクヒコさんの「記憶の梯子」
あちこち途切れた横木が、ぼろぼろで傷だらけのようにも見えて、痛々しい。
「痛々しい」
ルナが、僕の心の声を真似て、つぶやくように云う。
「でもナナのは、「痛くもかゆくもない」って云ってたね。「いたいの飛んでけ」しなくてもだいじょうぶって」
ひとりごとのようなルナのつぶやきに、ガブリエルがぴこんと反応する。
「いたいの飛んでけ、って、あのヌガノマホワイトの撃たれた傷を治した「力」だよね」
ガブリエルが尋ねると、ルナは表情を曇らせる。
「そーだけど、あれは、るなもちょっと考えなしだったなー。やらなければよかった。でも、体が勝手に動いちゃうからなー」
「いや、ルナを責めるつもりはないんだよ。そうじゃなくて、あれは御子の「核」の力だよね」
ガブリエルが尋ねるので、僕はうなずく。
たぶん、そうだと思う。ルナが「勝手に動いちゃう」って云うのが、まさにそう。
御子が云うには、「核」には意志や意識はなくて、「生かす」という能力だけがある。
だから、眼の前に「生かす」必要のある生命がいれば、意志や意識とは無関係に、ただ「生かそうとする」そう云ってた。
うん、とガブリエルもうなずいて、
「だから、輸送機が墜落した時、「ロリポリの尾」の中にいた「核」は、すぐ近くの故障した生命維持装置の中で命の危機に瀕していたルナの体に入った。何故なら、「尾」は生命維持装置の付いたコンテナによって生かされていて、その目の前でルナが「死にかけていた」から。そう云ってたよね」
そう、だけれど。ガブリエル、どうしたの。
ガブリエルの青い眼が、きらきらと燃えるように輝いて見えて、僕はどきっとしてた。
僕の問いかけには答えず、ガブリエルは青く燃える眼で、じっとルナを見つめて、
「8年前、ルナがまだ小さかった頃、キクヒコがどこからかボロボロになって帰って来た。その彼を生命維持装置へ入れたのは、ゲンゴロウ先生なの」
ゲンゴロウ先生?
ガブリエルが見つめてたのは、ルナじゃなくてスマホの中のゲンゴロウ先生?
スマホ画面のゲンゴロウ先生のアバターは、驚いた顔で固まってる。
いや、当時の記憶を辿っていたのかな。すぐに四角い口をカクカク動かして、
「うろ覚えですが、私がキクヒコ君をあの中へ入れた覚えはありません。キクヒコ君が歩いて部屋へ入って来たような記憶もないですので、彼は体ごと、あの生命維持装置の中へ「飛んで」来たのでしょう」
そう云って、また少し考えて、先生のアバターはカクンとうなずく。
「何か物音がして、装置を見た。すると中にキクヒコ君が倒れていた。そうです、それで、慌てて装置の電源を入れ、中のキクヒコ君を確認しました。体中が傷だらけで、砂ぼこりにまみれていました。まるでどこかの戦場から帰還したかのよう、彼の全身を清潔な濡れタオルで拭きながら、そう思ったのを覚えています」
ガブリエルの眼が少し上を向き、ルナの赤い眼をまっすぐ見据えて、
「ルナ、キミはその時の事を、覚えてる?」
そう尋ねる。
「ええ?覚えてないよ。4歳とか、それくらいだもん。キクヒコが、あのソーチの中で寝てたのは、なんとなく覚えてるけど。いつからそうだったのかは、覚えてない」
「じゃあ、「いたいの飛んでけ」は?」
ガブリエルにそう尋ねられて、ルナはきょとん、とした顔をする。
僕も一瞬、虚を突かれたようになる、けれど、そうか、質問の意図がわかったかもしれない。
キクヒコさんの体はボロボロだった。まるでどこかの戦場から帰還したかのように。
そこに、ルナがいた。
だったら、ルナの中の「核」は、反応するのでは。
「あー、え?「いたいの飛んでけ」してないよ。どうしてかな、キクヒコには、「いたいの飛んでけ」しなかった。何で?あんなに痛そうだったのに?」
ルナは困ったような顔になって、呆然としてる。
でもそれは、ルナの意識や意志ではどうにもならないんじゃないのかな。
あの時、肩から血を流すヌガノマホワイトを前にした時にも、ルナは、彼女の意志と云うよりも、まるで何かに導かれるように、するするとあいつの前へ進み出て、「いたいの飛んでけ」をしてた。
「核」が、大量に血を流し命の危機にあった(かもしれない)ヌガノマホワイトに反応したから、では。
だとしたら、
「ルナ」
困ったようにうつむいてしまったルナに、僕は呼びかける。
「さっき、キクヒコさんの「記憶の梯子」をじっと見つめてたでしょ。どうして?」
尋ねたら、ルナは不思議そうに首をかしげて、
「どうして?わかんないけど、キクタもさっき云ってたじゃん。「痛々しい」って。だからかな、痛そうだなって、思って?」
そう答えるので、僕は席を立ち、ルナの手をつなぐ。
「来て」
ルナの手を引いて立たせ、ふわりと飛ぶ。
キクヒコさんの「記憶の梯子」へ。
見るからに痛々しく、傷ついた「記憶の梯子」だけれど、やっぱり僕の「線」は反応しない。
ルリおばさんの梯子に反応したのは、記憶が壊れ、つながりが切れていたから。
8年前、ルナの中の御子の「核」は、何故かボロボロのキクヒコさんの体には反応しなかった。
けれど、先月あの地下のラボで、肩を撃たれ、血を流すヌガノマホワイトには反応した。
その違いが何なのか、僕にはわからない。
でも、もしかしたら。
「え」
魔法の声に、振り返る。
Jが灰色がかった眼をまんまるにして、こっちを見てた。
キクヒコさんの梯子の前に降り立つ、僕とルナを。
「左足が、ルナちゃん、足が光ってる」
Jの声に、見下ろすと、ルナの左足、白い包帯の巻かれた、ハイソックスの左足が、金色に光ってる。
「ルナ」
隣を見ると、ルナはどこかぼんやりとした顔で、歪んだキクヒコさんの梯子を見上げて、
「あー、痛そうだね。かわいそう」
いつもの声で、そうつぶやいて、ふわりと両手を掲げる。
「いたいのいたいの飛んでけー」
歌うように、ルナは囁く。
その声に応えるように、ルナの掲げた両手が金色の光に包まれる。
「いたいのいたいの飛んでけー」
やさしく囁くルナの声が、何度も何度もそう繰り返すのを、僕はただ、ぼんやりと聞いていた。
「はい、おしまい?」
ルナがそう云うのを聞いて、僕はハッと我に返る。
ルナの両手も左足も、もう光を失って、普段通りに戻ってた。
「ルナ・・・ちゃん」
スマホから、ゲンゴロウ先生の機械音声が途切れがちに聞こえて、
「ゲンゴロー?どーしたの、スリープモード?」
いつもののんきな声でルナが尋ねる。
「い、いえ、大丈夫です。お騒がせしました」
淡々と答えるゲンゴロウ先生もいつも通りで、ホッと僕は息をつく。
あらためて見上げた眼の前の梯子は、まだ歪んでいるけれど、切れていた横木は修復されて、さっきまでの痛々しさは、もうどこにもないように思える。
ナナの梯子と、同じくらい、の状態に見える。
「治ったの?」
ぽつりと、ルナに尋ねると、いつもの赤い眼で僕をにらんで、
「わかんないよー」
ルナは口を尖らせてる。
「でも、「核」は反応したよね」
すぐ後ろで声がして、振り返ると、ガブリエルがそこに立ってた。
隣にJもいて、心配そうな顔でルナを見つめてる。
「ルナちゃん、だいじょうぶなの」
Jが尋ねると、ルナは困ったように眉根を寄せて、
「たぶん?るなは、何ともないけどー」
んんんー、首をかしげて、うなってたと思ったら、上を向いて、
「みこちゃーん、いるー?」
困ったときの、お約束、かな。
いいな、それ。ちょっとうらやましい。
金色の靄が、どこからともなく現れて、ゆらりと揺らいで、子供の形になる。
「おや、これはまた、興味深い顔ぶれだね」
くるりと僕らを見渡して、御子は楽しげに揺れる。
興味深い顔ぶれなの。
僕とルナと、Jとガブリエルが?
尋ねたけれど、御子は答えずに、肩をすくめるような動きをして、
「(ごめん、口が滑ったよ。これは云えないやつだったね)」
それは、何なの。心の声かな。
でも御子はいつも心の声で話してるので、普段との違いがよくわからないけれど。
御子はもう僕には構わずに、素知らぬ顔で(?)くるりとルナの方を向いて、コホンと咳払いすると、
「お呼びでしょうか、ご主人様」
いつものセリフを云う。
「お呼びだよー」
ルナもいつものように答えて、
「ねー、みこちゃん、るなの「いたいの飛んでけ」って、何なの」
いきなり尋ねてる。
御子はじっとルナの顔を見つめて(いつものように表情は見えないのだけれど、たぶん見つめて)
「いたいの飛んでけ。それは何?」
さらりと聞き返す。
「え、みこちゃん、知らないの。小さい頃にやってもらった事ないの」
ルナはまた、かわいそうな子を見るような眼で御子を見てるけれど。
御子に「小さい頃」があったのかどうか。
「御子だからね。今でも十分小さいよね」
うなずきながら、御子が淡々と云うのは、何なの。冗談のつもりなのかな。
「もちろん冗談だよ。立ち話も何だし、座ろうか」
そう云うと、御子はふわふわと漂うようにテーブルへ移動する。
僕らも後に続いて、またテーブルを囲むように席に着く。
御子はあらためて、僕らをくるりと見渡して、
「うん、「聞こえた」よ。でもやっぱり知らないな、そんな機能は「核」にはないよ」
あっさりと、そう云った。
いたいの飛んでけは「核」の力じゃないの。
いかにも、「生かす」ための能力、という感じがするけれど。
うん、と御子はうなずいて、
「あなたの云う通り、「核」の力の本質は「生かす」こと。生命を失いかけた、命あるものを救う事、だね。ルナの云う「いたいの飛んでけ」は、それとはだいぶかけ離れてる。ルナのそれは治癒でしょ」
さらっと云うけれど、その違いがよくわからない。
「核」のは、治癒じゃないの。
「さて、どう云えばいいかな」
いつものセリフをつぶやいて、御子は腕組みをして首をかしげる。
「御子の「核」はいわば力の結晶だ。厳密に云えば、御子の「力」と、ナガヌママゴイチの半身から貰った「生命力」、その結晶だね。
だから、その「生かす力」は、何と云うか、かなり大雑把な力技なんだよ。血が足りないなら血を、骨が砕けたなら骨を、「力」と「生命力」で作り出して、与える。ざっと説明するとそんな感じ。そうして命をつなごうとするんだよ」
大雑把な力技?
御子の声でそう説明されるのは、何だかすごく意外な気がした。
だって「核」は、「生かす」ために入ったルナの体に意識が存在しない事を知ると、それを一から作り出したんでしょ。
そう以前に、御子から聞いてた。
キクヒコさんのアルカナを模して、擬似アルカナとでも云うべき、ルナの失くした意識の代わりを。
ふふ、困ったように御子は笑って、
「それは特例だよ、とも云ったよね。例えば、で云うには、ちょっと相応しくないかな。けれども、それだって力技だよ。ルナを「生かす」ために、どうにかしようと「核」は無理矢理の力技で擬似アルカナを作り出した。長い時間と幾度も試行錯誤を重ねて、ね」
力技で、ひとつの生命体にも等しい「擬似アルカナ」を作り出したの。
確かにそれは特例で、本来の御子の力や、「核」に備わった力を超える奇跡のような何か、なのかもしれない。
それを「力技」の一言で片付けてしまうのは、何だか違う気もするけれど。
「それなら、特例の力技だね。御子の「力」である限り、どこまで行ってもそれは力技だ。例えその結果が、奇跡のように見えたとしてもね」
御子にそこまではっきり云い切られてしまうと、じゃあそうなのかな、と思うしかないけれど。
ふわりと御子は、微笑むように揺れて、
「対してルナの「いたいの飛んでけ」は、治癒力だ。傷を修復し、癒すものだよ。「核」本来の力とはまるで違う」
淡々と云うけれど、やっぱりその違いが僕にはよくわからない。
力技で直すのと、治癒力で治すのと、何がどう違うの。
ふむ、と御子はあごに手を当てるような仕草をして、
「例えるなら、お医者さんと大工さん、かな」
いきなりそんな事を云い出すので、僕は意表を突かれて、眼をパチクリしてしまう。
お医者さんと大工さんは、それはまるで違う、けれど。
「ルナがお医者さんで、核が大工さん?」
ふんわりした例えを、ルナがふんわりと説明、と云うか問い返す。
「そうだね。ああ、もっとわかりやすい例えがあるよ」
御子がくるりと、僕とガブリエル、そしてJを順に見て、
「あなた達は、壊れた記憶を修復した事があるよね。キリノルリかな。あの人の壊れた記憶を直して、意識を「海」につなげ直した」
それも「聞こえた」のかな。今さらだけれど、毎回驚くよね。
それは、その通り。僕はうなずいて、Jとガブリエルも無言でうなずく。
「うん、あなた達のそれも、大工さん。それに対して、さっきルナがあの「記憶の梯子」にした「いたいの飛んでけ」、それは、お医者さん」
もっとわかりやすい例え
御子はそう云ったはずだよね。それがわからない僕は、何なの。もしかして、困ったちゃんだから、なの。
困ってしまって僕は、困った時の頼れる天才を・・・
「ミカエルでしょ?残念、いないよね」
眼が合った途端にガブリエルがそう云って、くすくす笑い出す。
「もう、ガブリエル。助けてあげて」
Jが腕組みをして、頬をふくらませてガブリエルをにらんでる。
ふくれっつらのJも、とてもかわいい。
おや、困ってるわりに余裕ありそうだけど、そう云ってくすくす笑いながら、ガブリエルがぴこんと人差し指を立てて、
「力技の大工さんと、繊細なお医者さん、という事かな。大工さんの方は、結果重視。とにかく直ればOKで、手段や過程は問わない。
お医者さんの方ももちろん結果が大事な事に変わりはないのだけど、過程も大事。手を抜かない。間違いや手抜かりがあってはならない、そんな感じ?」
そう御子に問うと、ふわりと揺れる。
「うん。大工さんを出したのは、比較の対象として少し失礼だったかもしれないね。繊細で手を抜かない大工さんもきっと多いだろうからね」
例えの良し悪しはともかく、ガブリエルのおかげで、ようやく分かったかもしれない。
つまり、「核」の力と「いたいの飛んでけ」は、似て非なるもの、って事かな。
結果は同じように見えても、中身の手段はまるで違う?
「そうそう、それが云いたかったの、似て非なるもの、だね」
御子はあっけらかんとそう云って、楽しそうにふわふわ揺れてる。
だから、御子には「いたいの飛んでけ」がわからない。
そういう事?
「ようやく話が振り出しに戻ったね。そういう事だよ」
ふわりと笑う御子を、ルナが赤い眼でじっと見つめて、
「じゃー結局、「いたいの飛んでけ」はどこから来たの。るながもともと持ってたの」
いつもののんびりした声で尋ねるので、少し驚いた。
ルナが元々持ってた?
そんな可能性もあるの。
御子が僕を見て、少し首をかしげるようにして、
「その可能性は、なくはないけれど限りなく少ないかな。それよりは、「核」と「擬似アルカナ」の影響で生まれた何か、その方がしっくりくるね。その「力」の発動には、少なからず「核」が影響してる、あなたは、そう見ているのでしょ」
さらりと云われて、たじろぐ。
確かに「核」の影響で、ルナの意思とは関係なく、「いたいの飛んでけ」は発動するのかな、とは思っていたけれど。
それは、「いたいの飛んでけ」が「核」に由来する力だと思っていたからで。
「由来、なるほど、それだね。「いたいの飛んでけ」は、「核に由来する力」だ」
うん、と自信たっぷりに御子がうなずくので、僕はまた困惑してしまう。
そんな、何か僕の思いつきみたいな案を、御子が自信満々に肯定しちゃっていいのかな。御子ともあろう者が?
「それもまた誤解だね」
ふわふわと御子は楽しげに揺れて、
「前にも云ったけれど、御子に意識や意思なんてものはないんだよ。いまこうしてあなたと話してるこれは、ナガヌママゴイチと話すために、彼を模して作ったただの擬似意識、でしょ。
少しばかり長生きしている点と、人にはない膨大な「力」を持つ事以外には、何にもないふわふわの幻みたいなものだ。あなたが実際にルナの「力」を何度も間近に見て、その経験を元に思考して導き出した答えなら、それは自信たっぷりにうなずくよ。他ならぬ、あなたの答えだからね」
御子が淡々と事実を云っていて、自分自身を卑下する訳でもなく、そんな意味すらもないのはわかるけれど。
どうしてそこまでまっすぐに僕を信じてくれるのかな。それがとても不思議で、少しこそばゆい気がする。
ふふんと小さく笑って、ルナが御子の頭の辺りをふわふわなでながら、
「神様でもないしー、だよねー。じゃあ、「聞こえる」の力は?」
尋ねたら、御子は「ああ」と小さくつぶやいて、
「それもあったね。でもそれだけだよ」
ふわりと軽やかに笑う。
それだけ
なんて簡単な一言で片付けられる事では、断じてないと思うのだけれど。
「話を戻そうか。「記憶の梯子」だよね。さっきのあれは、キリノキクヒコの梯子、だね。ねえ、ゴーグルをかけて見てごらんよ」
御子に云われるまま、ゴーグルをかけて、あらためてキクヒコさんの梯子を見て、驚いた。
目の前に「線」が出てる。黄色い線が、梯子を指して、ぐるぐると表面の螺旋模様が流れてる。
「どういう事?」
Jが魔法の声で尋ねるその言葉は、僕も聞きたい事だけれど。
「ルナの「いたいの飛んでけ」でハシゴが修復された。それによって、砂嵐のノイズが消えるか薄まって、「線」が「記憶」の異常を検知できるようになった。という事かな」
ガブリエルが尋ねるのは、御子に、なのだろう、けれど。
御子は素知らぬ顔で、楽しそうにふわふわ揺れてるだけ。
「御子ちゃん?」
腕組みをしたJが、強めの魔法の声で、咎めるように御子を呼ぶので、僕はびっくりしてしまった。
まるで御子のお母さんか、いやお姉さんみたいに。
「おっと、これは失礼だったね。見事な推察にすっかり感心してしまって、言葉を失ってたんだよ」
ぺこりとJに頭を下げて、御子は照れたように頭を掻く仕草をしてる。
「あ、わたしこそ、ごめんなさい。つい、Kを見てるみたいな気分になって」
てへへ、とJはいつもの照れ笑いでごまかしてた。
それはさておき、「線」だよね。
これで、あの時のルリおばさんの梯子と同じ状況になった、のかな。
「案ずるより何とやらだね。確認してみたら」
さらりと云って、御子はふわりと浮き上がる。
「みこちゃん、帰るの」
ルナが尋ねると、
「うん、「聞こえた」からね。この後はみんなで「記憶」の大冒険だよ。頑張ってね」
何やら予言めいた言葉を残して、ふわりと金色の靄に紛れて、御子の姿は消えた。
livin’on the edge iii
屋根裏ネコのゆううつ III