「ね、お祭り、行ってみない?」
写真を撮り終えて、縁側から家に上がりながら、Jが笑顔で僕にそう云った。
「うん、行ってみよう」
特に深く考えもせずに、僕も笑顔でそう答えた。
ただ、素直に、行ってみたかったのだ。
お祭りに、Jと、浴衣を着て。
縁側から僕らの様子を見守っていた母は、Jへの僕の返事を聞いて、少し驚いた顔をしてた。
その顔を見て、あ、やっぱり、と僕は思う。
きっと母はあの日以来、僕がお祭りを嫌いになった、と思ってたのだろう。
嫌い、というか、何かトラウマ的に苦手になっている、とか思っていたのかも。
たぶん、祖母もそう思ってた。
だからふたりは、あれ以降、一度も僕をお祭りに連れて行こうとはしなかった。
もちろんそれは、僕を心配して、僕のことを思っての事だと、僕にもわかってる。
それでも祖母は、浴衣を用意してくれてた。
いつか僕が、友達とお祭りに行くことができるようになった時のために。
母もきっと、祖母の部屋で向日葵の浴衣を見つけたときに、思ったはずだ。
その浴衣をJに着せたら、もしかしたら、それが良いきっかけになるのでは、と。
まあ、実は僕にはそこまでお祭りに対してネガティブな気持ちはなくて、ふたりの心配は杞憂だったし、それほど深く考えて、Jに行こうと返事をしたわけでもなかったのだけれど。
結果オーライというやつかな。
「いいね、行っといで」
あっさりと僕が承諾したので少し驚いてはいたものの、すぐに満面の笑顔になって、母はそう云った。
そんな母を見て、父も
「神社の参道の周りは自動車通行止めになってるだろうけど、近くまでなら入れるだろうから、送ってくるよ」
にやにや笑って、そう云う。
どうやら父と母の間では、すでに計画が出来上がっていたらしい。
なるほど、まんまと乗せられたのは僕だったわけだ。
でも、悪くない。と云うか、なんだろう、うれしかった。
「お願いね」と母は父にうなずき、「あ、でも」と続けて、
「さすがに小学生ふたりだからね、花火までは見れないかな」
と云う。
花火って、暗くなってから上がるものでしょう。それは、さすがに無理では、お母さん。
「じゃあ、夕方、遊び飽きたら電話してくれ。また車で迎えに行くから」
父は僕にそう云い、母には、
「花火は、まあ、キクタが中学生になってからかなあ」
ふふっと笑った。
僕が中学生になったら、Jは高校生だけれど。
なんとなくそう思って、ふと、不思議な気持ちになった。
僕が中学生、というのは、何だかとても遠い未来のようで、ちょっと想像がつかなかった。
同じように、Jが高校生、というのもすごく遠い、まだまだ先の話のように感じた。
その頃になってもまだ、僕らは仲良く一緒にお祭りへ出かけたりできるのかな。
なんとなく不安な気持ちになってJを見たら、Jはいつもの笑顔で、「どうしたの?」とでも云いたげに、小首をかしげて僕を見ていた。
だから、その笑顔は、ずるいよ。
Jとふたり並んで、父の車の後部座席に乗り込むと、見送りに出てきた母が、
「ジーンちゃんのお家には、私から電話しとくわ。ふたりでお祭りに出かけました、夕方までには帰ります、ってね」
手を振りながらそう云った。
「ありがとうございます、お願いします」
Jは母にぺこりとお辞儀して、「行ってきます」と手を振り返していた。
父が運転席に乗り込み、車が走り出すと、Jがすっと僕の手をつないで、
「K、さっき、なんだか不思議な顔してたけど、どうしたの?」
そう心の声で聞いてきた。
あ、いや、父が「中学生になってから」とか云うから、中学生の僕って、まだ想像できないな、と思って。
「あー、なるほどねえ。でも、わたし、来年は中学生だよ?」
云われてみれば、そうだった。
3月になれば、JとLは小学校を卒業して、中学生になるんだ。
あと、8か月?あっという間だ。
「まあ、そんなに今と変わらないと思うけど。同じ市内の中学校だし。月曜日には公園へ行くし」
ふふふ、とJは笑っていたけれど、僕はなんとなく、ひとりだけ置いてきぼりになるような、そんな寂しい気持ちが、少しあった。
なんで僕は2年生なんだろう。
僕も、6年生がよかった。
「あれ、めずらしいね。Kが子供っぽいこと云ってる」
Jは眼を丸くして大げさに驚き、すぐに冗談ぽく「ふふふ」と笑った。
確かに、僕らしくない、かもしれない。
この間、Lのお見舞いに行った日にも、同じような感じがあった。
僕だけが、なんだかちっぽけなただの子供で、なんの力もない、みたいな。
なんだこれは。
「なんだろうね、男の子特有の何かなのかな?でも、世間一般の小学2年生に比べたら、Kはじゅうぶん過ぎるくらい、しっかりしてると思うけどなあ」
そう云いながら、Jのつないでいない方の右手が自然と伸びてきて、僕の頭にふわりと乗って、髪をもしゃもしゃし始めたので、びっくりした。
「あ、ごめん。いま無意識だった」
Jは慌てて手を引っ込めていたので、本当に無意識だったらしい。
いや、無意識だったからって、なんで僕の頭をもしゃもしゃするの。
「あ」
Jの人差し指が、ぴこんと立った。
何かひらめいたポーズだ。
「無意識って、こういうことかあ。考えるよりも先に体が動くんだね」
一瞬、Jが何を云っているのかさっぱりわからなかった。
頭もしゃもしゃをごまかそうと、何か適当な云い訳を口にしているのかと思ったくらいだ。
けれど、わかった、「手をつながない心の会話」と「謎の現象」の話だ。
「そう、その無意識。考えるよりも前に、体が行動してるんだよ」
Jは何か、無意識の極意を掴んだみたいだ。
僕には、それが一体どういう状況なのか、いまいちよくわからない。
「うーん、口で説明するのは難しいね。やろうと思ってできることじゃないからなあ」
Jはあごに人差し指を当てて、考え込むポーズになる。
いつもおなじみのポーズなのだけれど、いつもと違う浴衣姿だから、かな。
何だか、特別編を見てるみたいだった。
「なあに、それ」
例えば、いつもテレビで見てるアニメの、劇場版特別編を映画館で見てる、みたいな感じ。
「それは、わたし、褒めてられてるの?」
うん、すごく特別な感じ、だから。
「じゃあ、ありがと」
ふふふ、とJはいつものように笑う。この「ふふふ」もまた、今日は特別編だ。
「お祭りだからね」
そっか、お祭りって特別なんだ。
「そうだよー」
と、またJの手が伸びてきたけれど、今度は頭をすっと下げてかわした。
今のは、無意識じゃなかったね。
うん、とうなずいて、Jは、
「ふむ」
また人差し指がぴこんと立つ。
今日のJは、とても冴えてるみたいだ。
「謎の現象がなんなのかはわからないけどね、ナガタ先生やアイに使えたのは、無意識だったからなんじゃないかな、って」
さっき、僕が、Jの無意識のもしゃもしゃを避けられなかったのと同じってこと?
「そう。あの時は、Kが無意識だったの。無意識に、何かを思ったか、何かしようとしたか。その時の「言葉」や「音」は補助輪といっしょで、なくても使えるもので、補助してくれただけ。それがスイッチだったわけではなくてね」
うーん、わかったような、わからないような。
「だから、あの日、バスでKが云ってたのは、たぶん合ってる。無意識だから実験できない。意識した時点で、それは無意識ではなくなっちゃうから」
そこは、自転車とは違うって事かな。
自転車なら、転びながらでも何度も練習すれば、いずれコツを掴んで乗れるようになるけれど。
無意識は、練習してどうにかなるものではない、と云うより、そもそも練習できるものではないだろうし。
「練習じゃなくて、もっと何か修行みたいなのが必要そうだよね。インドの山奥かなんかで、滝に打たれたりとかして、仙人みたいなおじいさんが出てきて「心を無にするのじゃ」みたいな?」
それは、ぜったい無理なやつでは。
Jの長い人差し指が、とんとんとんとリズムよく細いあごをたたいている。
思考がぐるぐる巡っているらしい。
「でもね、コツはありそうな気がするの。無意識の「あの現象」にも、無意識の「心の声」にも。
その点では、自転車と同じかも。自転車乗るときだって、はいバランスを取って、左右のペダルを交互にこいで、ハンドルは軽く握って、目線は前に、とかいちいち考えないでしょ?考えなくても、無意識に乗ってるでしょ?」
いつもながら、Jの説明は、すごくわかりやすい。
もやもやしていた何かが、ひとつにまとまって、すとんと腑に落ちる感じが、とても心地良い。
つまり、目指すのは、無意識になる方法を習得すること、ではなくて、無意識にあの現象を起こせるようになること。そして、無意識に心の声で話せるようになること。
無意識に自転車に乗ることができるのなら、それと同じようにできるのでは、という事かな。
「そうそう。だから、できるようになるまでは、補助輪があってもいいんだよ。手をつないで心の声で話しているうちに、いつの間にか手を離しても話せるようになるのかもしれない。あのバス停の時みたいにね」
証明終わり、と云うみたいに、Jの人差し指があごを離れてぴんと立てられた。
お見事だった。なんだかとてもすっきりした気分だ。
じゃあしばらくは補助輪付きで、焦らずのんびり行こう、という結論だね。
そう心の声で僕が云うと、
「うん、そうそう、のんびり行こうー」
鮮やかな笑顔で、Jは微笑んだ。
浴衣で咲いてる黄色い向日葵みたいに。
「うーん、この辺が一番近いみたいだなあ」
さっきから、左右をきょろきょろ見回しながら、同じ通りを行きつ戻りつしていた父が、そう云って車を路肩に寄せて止めた。
慣れない下駄を履いている僕とJのために、なるべくたくさん歩かずに済む場所を探してくれていたらしい。
「ありがとう」
父のその努力に、お礼を云った。
「いやいやなんのこれしき。じゃあ気をつけて、楽しんでおいで。帰りは、電話ボックスに書いてある住所を教えてくれれば、ナビで検索して迎えに行けると思うから」
「わかった」
僕は父にうなずいて車のドアを開け、歩道へ降りる。
「ありがとうございます、行ってきます」
Jもぺこりと父にお辞儀をして車を降り、後部座席のドアを閉めた。
父が助手席の窓を開けて、
「そのコンビニの角を左へまっすぐ行ったら、次の通りが神社の参道だから」
通りの左手を指さして、そう教えてくれた。
「はーい、行ってきます」
歩道から振り返って、父に左手を振る。
その時になって、気がついた。
もう一方の右手を、Jとつないだままだった。
いつもだったら、すっと自然に手を離すのに、とJを見ると、
「まあ、お祭りだからね」
向日葵のような笑顔でJは云う。
「人多いし、話せるし便利だから、このまま手をつないでいようか。あ、もちろん、Kが嫌じゃなければ、だけど」
僕は、いやなはずがない。
でも、Jはだいじょうぶなの?もしお祭りでクラスメイトとかに会ったりしたら。
僕がそう云うと、Jはコンビニの角を曲がったところで立ち止まり、きょとんとした顔で僕を見ていた。
僕はまた、何かへんなことを云ったのかな。
ぴこん、とひらめいたのか、Jは人差し指を立てる。
「あー、ジョウノジーンが、男の子と手をつないでお祭りに行ってたって、クラスで噂になっちゃうかも?」
心の声でそう云って、Jは声を出して「あははー」と笑う。
「ぜんぜんだいじょうぶ。わたし、そういうの気にしたことないから」
そうなの、だったらよかったけれど。
「ふふふ、お気遣いありがとね。Kって時々、そういうとこあるよね」
また手をつないだまま歩き出しながら、Jは僕の顔をのぞきこんでいたずらっぽく笑う。
そういうとこ
どういうとこ、だろう。
「前にも云ったかもだけど、中身はおとなのおじさんなんじゃないかなって思っちゃうようなとこ」
口に手を当てて、くすくすとJは笑う。
そんなに僕はおじさんっぽいの。ぜんぜん意識してなかったけれど。
「時々だよ、いつもはぜんぜんそんなことないから。時々、おじさんって云うか、心配性のお父さんみたいな感じ?」
心配性のお父さん
なるほど?わかるような、わからないような。
「ね、年のわりに大人びてるからかなあ。でも、心配してくれてありがとね」
ふわふわっと、Jに頭をなでられた。
あ、いまの無意識?
ぜんぜん気配を感じなかったので、避けられなかった。
「あ、無意識だねー。わたし、コツつかんだかな?」
ふふふ、とJはうれしそうに笑ってる、けれど。
僕の頭を無意識になでるコツをつかんでも、それはあまり意味がないのでは。
「え、そうかな。意味ない?いや、あるよ。意味ある」
ふん、と鼻息を荒くして、Jは人差し指をぴこんと立ててる。
無意識という感覚に慣れる、とか、そういう意味ってこと、かな。
「え、ちがうよ。無意識にKの頭をふわふわなでるっていうことに、意味がある、ってことだよ」
Jは自信満々に、人差し指をぴこぴこ振ってみせながら、そう力説していたけれど。
残念ながら、僕にはぜんぜん意味がわからなかった。
神社の参道は、予想通り人でごった返していた。
夏休みで、日曜日ということもあり、家族連れや小中学生が多いようだった。
車が2台すれ違えるくらいの道幅はあるのだけれど、その両側に出店が並んでいるので、実際に人が通れるスペースは道の半分ほどに減っている。
人の群れは大まかに2列の流れになっていて、神社の境内へ向かう上りの流れと、その逆に神社の境内から参道の出入り口へと向かう下りの流れがあるようだった。
その流れも、整然としたものではなく、流れを横断しようとする子供たちがいたり、逆行して目当ての出店へ向かおうとする人がいたりで、ごちゃごちゃだった。
あまりの混雑ぶりに躊躇したものの、通りから参道へ続々と入り込む人の群れに押されるように、僕らもその参道の濁流の中へ進んでしまった。
そのまま、立ち止まることもできず、僕らは神社の境内へ向かう流れに乗せられてた。
「K、だいじょうぶ?」
はぐれないように、僕がどこかへひとり流されて行かないように、という心配からだろうか。
すぐ隣にぴったりとくっついて歩きながら、Jが僕の顔をのぞき込んで云う。
手をつないだままでいて正解だった。
心の声で話せるのはもちろん便利だけれど、何より手をつないでいなかったら、人に押されてすぐにはぐれてしまいそうだった。
「ほんとだね。人が多いだろうなあとは思ってたけど、こんなに混んでるなんて、びっくり」
さすがのJも、少し閉口気味のようだった。
これほどいっぺんに人が押し寄せているというのは、何かタイミング的なものなのかな。
例えば、境内で何かイベント的なものが始まるとか、あるいはそれがちょうど終わって人が溢れ出したところ、とか。
「うん、そうかも。ちょっと一旦避難しようか」
歩きながらきょろきょろあたりを見渡していたJが、
「あ、あっち、すいてそう」
僕の手を引いて、人の流れから脇道へ逸れようと動き出す。
「すみませーん、ごめんなさーい」
誰にともなくお詫びをしながら、Jは僕の手を引いたまま、するすると人波をぬって進む。
すごい特技だ。
参道にいくつかある脇道のひとつが、小さな祠のある路地になっていた。
確かにそこは、狭い路地なので出店も出ておらず、人も少なそうだった。
どうにか無事に祠の前にたどり着いて、ほっと息をつく。
祠は、お稲荷さんらしい。
小さな狐の石像が、2体並んで立っていた。
今のところそこには誰もいなかったけれど、お稲荷さんへお参りに来る人のじゃまにならないように、という気配りなのだろう、Jは僕の手を引いて、祠のわきへ移動する。
「はあ、びっくりしたねえ。何か、人生の激流みたいなものを見ちゃった気分かも」
ふふっとJは、まだ混雑している参道の方を眺めながら笑う。
まだいくらかは、余裕がありそうでよかった。
「K、人混み苦手だもんね、いきなりあれは、ちょっと高難易度すぎだよね」
いや、僕のことより、あんなにたくさんの人の「泡」をいっぺんに見たら、Jがどうにかなっちゃうのではないかって、そっちの方が心配だった。
そのことばかり気になって、自分のことにはぜんぜん構っている暇がなかったのが、かえって良かったのかもしれない。
「わたしは、まあ、慣れてるから。って云いたいところだけど、あのまま進み続けるのは、ちょっと厳しかったかも?」
Jは頭をかいて、苦笑している。
「ただ見えるだけで、そこから何か、音とか温度とかね、そういうのが伝わってくるわけじゃないんだけど。さすがに、あんなにたくさん密集してふわふわ浮いてると、それだけで「圧」がすごい、ね」
圧、確かにすごそうだ。
「あ、後学のために、Kも見てみたいよね?この辺からならだいじょうぶかな。んー、もう少し離れようか」
5歩6歩ほど、Jに手を引かれて路地を奥へ進む。
左右は民家の塀とビルの壁面で、路地の先は別の通りへと繋がっているみたいだった。
塀はもしかすると、民家ではなく神社の敷地の塀なのかもしれない。
ほんの少し離れただけなのに、参道の喧騒はもうそれほどやかましくはなかった。
僕の中の「音」も、今日は遠くの雷のような音が、かすかにごろごろ鳴っているくらいだった。
浴衣姿のJが僕の方を向いて、「いい?」と聞いてきた。
これもまた、特別編だ。浴衣って、ずるいな、と思いながら
「うん」と僕はうなずく。
Jが両手で僕の手を包み込むようににぎり、視界がぐるんと回転するような感覚がして、Jの視線に変わる。
思わず、息を呑んだ。
距離が離れていなかったら、声を上げてしまったかもしれない。
それは、想像していた以上に、異様な光景だった。
参道には、大量の「泡」が、ゆるゆるとまるでそれ自体が生き物であるかのように、うごめいていた。
人の群れが列を成して、手前では左へ、奥の方では右へゆっくりとばらばらに流れているので、それが何か怪しい儀式的な動きのようにも見えて、余計に異様さが際立っていたのかもしれない。
彼らの頭の上には、泡、泡、泡。
緑や黄色、そして青、ところどころに、赤。
「ふむー」
頭の中でJの声が聞こえる。
「そうやって客観的に説明されてみると、確かに少し気味がわるいかも。でも、こうやってたくさん並んでると、一目瞭然って感じするでしょ」
一目瞭然
それは、色の違いで区別がつきやすい、という意味で、かな。
「そうそう。あの辺は安全そうだな、とか。あそこは危ないな、とかね」
ぴんときた。
それでさっき、Jはするすると人波をすり抜けられてたの。
「おお、正解。そうそう、せっかく見えてるんだし、たまには便利に使わないとね」
安全そうな人のところを、選んで進んでたのか。
確かに、それは便利かもしれない。
「まさかとは思うけど、これがほんとの使い道?なんてことはないよねえ」
冗談めかして、Jは笑った、けれど。
まさにそれが正解、ではないかもしれないけど、ひょっとすると近いのかもしれない。
「え、うそ」
遠くから、危険を事前に察知して、正確に回避するため。
離れた場所から、その人間が敵なのか味方なのか、安全なのかそうではないのか、それを判断するため。
そのための「力」、なのだとしたら、とても正しいもののような、そんな気がする。
理屈的に正しい、というか。解釈に無理がない、というか。
自然の法則とか、そういうものに含まれる正しさ、みたいな?うまく云えないけれど。
Lの「線」も、実際に僕は見たことはないけれど、話に聞いた限りでは、性質は「泡」と似てると思う。
何かを、知らせてる。
おそらく、安全な方向がどちらか、危険なものがどちらにあるか。
「あー、なんて云うんだっけ、ロボットもののアニメとかで、見えない遠くの敵の位置がわかるような、ほらあれ」
飛行機や船のレーダーとか、潜水艦のソナーとか?
探知機、かな。
「そうそれ。え、「泡」は、探知機なの?じゃあ、あの動物の、灰色の「泡」にも、やっぱり何か意味があるんだね、きっと」
そうだと思う。
色もそうだけど、「泡」のある・なしにも、やっぱり、LとJが思っていた通り、何かの理由があるはず。
「ふむー。だとすると」
Jは僕の両手を握ったまま、難しい顔をして、眼を閉じていた。
眉を寄せ、口をとがらせて、何かを聞いているような。
あ、僕の「音」か。
「そう、この「音」も、何かを知らせてるのかなって。なんだろう、今日は、ぴこぴこ鳴ってるけど」
ぴこぴこ?そんなかわいらしい音が鳴っていたかな。あまり意識していなかった。
いや、手をつないで「力」の交換をする前は、たしか遠雷のようなごろごろという「音」だったような。
交換しているので、今の僕には聞こえないのだけれど。
「ごろごろ?ううん、今は、ぴこぴこだね。昔のテレビゲームみたいな音。あ、音には方向はないのかな」
そう云いながら、Jは眼を開いて、今度は左右に首を振ったり上を向いたりしてる。
音の方向?
それも、僕は今まで特に意識したことはなかった。
「音」は、僕の中で鳴っている、と思っていたから。
音の出どころは、当然、僕の頭の中だと思っていたのだ、けれど。
違うのかもしれない。
実は「音」にも方向があって、それによって何かを知らせてる?
今日のJは、本当に冴えてる。
これも特別な「お祭り」の効果なのかな。
それならもう、いっそ毎日「お祭り」だったらいいのに。
真剣に「音」の出どころを探っていたJが、急に「ぷはっ」と吹き出して、
「ちょっと、K。キミはどうして、いつもわたしが真剣に何かしてると、面白いこと云ってじゃまするの?」
ぷぅと頬をふくらませて、抗議するみたいに、僕の手をにぎる両手にぎゅっと力を込めた。
灰色がかったきれいな眼が、笑いながら僕をにらんでる。
面白いこと?
何も云ってないけれど。
「云ったよ。「毎日がお祭りだったらいいのに」なんて、そんな小学生みたいな。あ、小学生か」
ふふふ、と笑って、「手、離すね」とJは握っていた片手をそっと離した。
ぐるん、と視界が戻ってくる。
耳の中の「音」も戻ってきた。
ぴこぴこ?という表現が正しいのか、はともかく。
確かにごろごろという遠雷のような音ではなく、電子音のような、ぴりぴりというパルス音のような「音」に変わっていた。
「どこから聞こえると思う?同じかどうか、答え合わせしよう」
そうJに云われ、あらためて耳をすましてみた。
頭の中の「音」に、耳をすますという表現が合っているのかどうか、少々疑問ではあるけれど。
Jの真似をしたつもりはなかったのだけど、確かに左右を向いたり、上を見上げてみたりすると、「音」の聞こえ方が変わった、ような気がした。
頭の中で響いているように感じる「音」でも、聞いているのが耳なのだとしたら、向きは関係あるのかもしれない。
音の出どころは、耳でとらえることができるのかも。少なくともその方向くらいは。
「どう?」
と聞かれ、
「上?かな」
感じたまま、そう答えると
「おおー」
Jが嬉しそうに、つないでいない方の手の平を、僕に向けてきた、
ので、僕もつないでいない方の手の平で、ハイタッチをする。
「いっしょだった?」
僕が聞くと、
「うん、上の方、遠くから聞こえてくる感じがしたね。空かなあ」
Jはそう云った。
空の音。
空から聞こえる音、といえば、何だろう。
風の音、鳥の声、飛行機やヘリコプターの音、雷の音・・・
あるいは、
音で何かを知らせる、伝える、としたら、何だろう。
サイレンやチャイム、アラーム、呼び鈴、ドアをノックする音、電話のコール音・・・
音そのもので意味がわかるものもあれば、音で注意を促して眼で見てはじめてわかるものもある、かな。
しばしの静寂。
遠くから、お祭りの喧騒が聞こえ、僕の耳の中では、ぴりぴりという電子音に似た音が鳴り続けている。
まあ、そう簡単に答えが見つかるものでもない、か。
Jの「泡」の色だって、長年の観察と経験から、ようやく何となくの意味がわかりつつある、というところなのだし。
「そうだね、「泡」は特にわかりやすい、ってLも云ってた。次が「線」かなあ、「線」も色が見えるからね。見えない分、Kの「音」がいちばん厄介かもしれないね」
あごに人差し指を当てて、また「考えるポーズ特別編」を披露しながら、Jも考え込んでいた、けれど。
「ん、何?どうしたの」
僕がじっと見つめていたからかな、ふっとJは顔を上げて、考えるポーズをやめてしまった。
「あ、なあんだ、ポーズを観察してたの?」
ふふふ、とJは笑った。
観察してた、というわけではないけれど、まあ、見てた。
「いいよー、見て見て。せっかくこんな素敵な浴衣着せてもらったんだし、どんどん見てもらわないとね」
腰に手を当てて、Jはポーズをとってくれた。
そしてそのまま、ふっと参道の方を眺めて、
「あ、だいぶすいてきたかな。行ってみよっか」
そう云ってポーズを解除すると、Jは僕の手を引いて、参道の方へと戻り始める。
途中、お稲荷さんの前で立ち止まり、祠に向かって丁寧にお辞儀をする。
「さっきは避難させてもらって、ありがとうございました」
小さな声で、お稲荷さんに向かってJはそう云った。
僕も横に並び、「ありがとうございました」とお稲荷さんにお辞儀をする。
僕を見て微笑んで、
「よし、行こ」
Jは云い、小走りに参道へと駆け出した。
からんころん、と涼しげなふたりの下駄の音が、狭い路地に響いていた。
参道の混雑は、一時的なものだったらしい。
だいぶ緩和されていて、まだ大勢の人はいるものの、普通に歩いてもぶつかる心配はしなくてもよさそうなくらいだった。
上り下りの流れもかなり人がばらけていて、さっきよりは歩きやすい。
その分、流れを無視して縦横無尽に我が物顔で走り回る、浮かれた小学生の集団には、激突されないよう注意が必要だったけれど。
僕とJは、並んだ色とりどりの出店をのぞきながら、のんびりと神社の境内へ向かって歩いた。
お昼に母特製のお好み焼きとJ特製のサラダをたくさん食べてきたばかりだったので、おいしそうなにおいを漂わせている出店の食べ物にはそれほど心が惹かれなかったのは、幸いと云うべきだろうか。
僕のあまり多くはないお小遣いにとっては、という意味で。
「K、見て、わたあめ屋さんがある」
そう云ってJは小走りにわたあめの露店に近づき、透明なビニールのシート越しに、店のおばさんがわたあめを器用にくるくる作っていくのを、小さな子供のようにきらきらと眼を輝かせてながめていた。
J、わたあめ食べたいの?買う?
そう心の声で聞く。
道はだいぶすいていたけれど、僕らはまだ手をつないだままでいた。
何故ってそれは、お祭りだから。
「ううん、おなかいっぱいだし。それに、浴衣にくっつけちゃったりしたらたいへんだから、今日は食べもの系はやめとこっか」
ふふっ、と楽しそうに笑って、Jは次の露店へとまた小走りに移動する。
からんころん、と下駄が鳴る。これもまた、特別な、お祭りの音、という感じだ。
ざわざわと周囲の喧騒が聞こえている。人の話し声、子供の笑い声、屋台の焼きそばが焼ける音、露店の発電機が唸る音、神社の太鼓と笛の音・・・
耳の奥では、ぴりぴりと電子音のような「音」が鳴り続けている。
けれど、どれもけっして不快ではなかった。
苦手な人混みを、今日だけで克服できた、とは思わない。でも。
思っていたほど、ではないかもしれない。
苦手だ、と、どこかで勝手に決めつけてしまっていただけ、なのかも。
なんて、そんな風に思えるのは、きっと、Jがずっと手をつないでいてくれてるから、なのだろう。
笑顔でときどき振り返りながら、彼女がずっと僕の手を引いていてくれるから、だ。
参道のつき当たりに、神社の石段が見えてきた。
なんとなく、神社のお祭りに来たのだから、お参りをしていくべきなのかなと思ってた。
特に、神様に何かお願い事がある、というわけでも、ないけれど。
「んん?お願い事、あるでしょ」
Jが僕を振り返って云う。
お願い事、ある?
少し考えて、
あ、Lが早く目を覚ましますように?
「そう。やっぱり困ったときは、神頼みだよ」
えっへん、とばかりに自信満々にJはそう云って、つないでいない方の手で僕の浴衣の袖をぎゅっと掴んだ。
けれど、いいのかな。Jのお家は、教会・・・
「ええー?そんな心の狭いこと云わないでしょ、神様だもん。それに、家ではちゃんと朝晩お祈りしてるし」
Jの宗教観に意見するつもりはまったくないし、それぞれの神様の教えがどんなものなのかも、僕はよく知らないけれど。
まあ、Jがそこまで云うのなら、お参りしようか。
と、石段に向かいかけたところで、
「あ」
心の声で短く云って、Jはくるっと近くの金魚すくいの屋台の方を向いた。
なんだろう、と石段の方を眺めると、見覚えのある、茶髪の巨漢の姿が見えた。
アイだ。
3,4人の子分を従えて、肩で風を切るように石段をのしのしと下りてくるところだった。
「めんどくさいから、知らんぷりしよ。まさかこんな人の多いところで、からんでこないとは思うけど」
Jは参道に背を向けて、金魚すくいに夢中な人になりきった。
僕は、石段の方を向いたまま、Jをかばうように、間に立ったままでいた。
まあ、僕の方が背が低いので、どれだけかばえているかは疑問だったけれど。
例のあまり賢くなさそうな笑い声で何やらわいわい騒ぎながら、アイたちが石段を下りてきた。
甚平、というのだろうか、丈の短い涼しげな和装が、茶髪の長身に意外と似合っていた。
僕らの横を通り過ぎる時、アイが「ん?」というような顔をして、後ろ姿のJを見た。
それから、僕をじろりと見て、もう一度、Jを見た。
僕のことは、やっぱり覚えていないみたいだった。
たぶん、Jには気づいているのだろう。
ジーンといっしょにいる、こいつは誰だ?という顔をしていた。ような気がする。
一瞬、足を止めかけたけれど、先に進んでいた仲間に呼ばれ、「おう」と威勢のいい返事をして、アイはのしのしと振り返りもせずに歩いて行った。
J、アイ行ったよ。
遠ざかるアイの後ろ姿を確認しながら、心の声で僕は云った。
けれど、Jの返事はなかった。
J?
もう一度呼ぶと、
Jは「はっ」と音が聞こえるほど深く息をのんで、
「あ、ああ、ごめん。ぼーっとしちゃってた。アイ、どっか行ったね」
まだどこかぼんやりとした様子で、そう云った。
心なしか、Jの顔色が悪いような気がした。少し、青ざめているような。
J、だいじょうぶ?
「えへへ、ごめんね。なんだろ、ぼんやりする。さっきの人混みで、酔っちゃったのかな」
苦笑するJには、先ほどまでの元気さが、なくなっていた。
いったいどうしたんだろう、急に、バッテリーが切れてしまったみたいに。
どこか、静かなところで休もうか。お参りは、また今度にしよう。
僕がそう云うと、
「そうだね、いまはこの石段、上れないそうにないかも。急に、どうしたんだろね、何だか、力が抜けちゃって」
へへ、と力なくJは笑った。
辺りを見渡してみたけれど、この参道には、座って休めそうな場所は見当たらなかった。
どうしよう、とりあえずこの人混みから脱出したいところだけれど、どこへ行けばいいのかな。
ひとまず大通りへ出て、電話ボックスを探して、ちょっと早いけど、父に迎えに来てもらおうか。
そんなことを考えていると、Jが「ふーっ」と大きくゆっくり息を吐いて、
「うん、だいじょうぶ。少し落ち着いた」
そう云いながらも、左手は僕の右手とつないだまま、右手で僕の袖にぎゅっとつかまっているのだけれど。
「だいじょうぶだってば。それより、ね、K、わたし、行きたいところあるの」
そう云って、Jは、つかんだ僕の袖をぐいぐい引っ張る。
こんな、駄々をこねるようなJもめずらしい。
これもお祭りの効果なのだろうか。
「ね、海行こ。わたし、海行きたい」
唐突に、Jはそう云った。
海行こ、海行きたい
灰色がかったきれいな眼をきらきらさせながらそんな風に云われたら、僕には断れるはずもない。
でも、どうして海へ?
「どうしてって、浴衣と云えば、海じゃない?」
そう云って、Jはふわっと笑った。
どこかはかなく、まるで今にも消えてしまいそうな、そんな笑顔で。
sounds of silence viii
屋根裏ネコのゆううつ