sounds of silence iii

屋根裏ネコのゆううつ

僕はたぶん、きょとんとした顔をしていたと思う。
今度の日曜日、Lに会いに行こう
Jはたしかにそう云った。
でも、初めて会った日に、Jはこう云ってたのだ。

「半年前、かな。Lはちょっとした厄介ごとに巻き込まれてね・・・。
事故・・・っていうか何ていうか。それで、いまは、そう簡単には会えないし、話もできないんだ」

簡単には会えない、話もできない
その言葉から、Lは今、どこか遠い所、例えば県外の遠く離れた街とか、あるいはもっと遠い外国とか、そんな場所にいるものだとばかり、僕は思い込んでた、けれど。
「あ、そっか。ごめん、説明不足だったね」
てへへと苦笑いして、Jは頭をかいてる。
「Lはこの街の、自分のお家にいるよ。えっと、簡単に会えないし話もできないっていうのは、Lが、半年前の事故以来、ずっと眠ったままだからなの」
お家にいる、
ずっと眠ったまま?
僕はオウムのように、頭の中でJの言葉を繰り返していた。
「うん、ごめんね。ちゃんと説明しようか。半年前に何があったのか。と云っても、わたしも見てたわけじゃないから、実際にLの身に何が起こったのかまでは、わからないんだけど」
うん、聞きたい。
僕はもう一度ブランコの座席で姿勢を正して、まっすぐに隣のJを見た。

「半年前、12月の中頃の、その日も月曜日だったね。わたしとLは5年生の組換えで同じクラスになってたんだけど、あ、これは前にも話したけど、お互いに学校では、ずっとそしらぬ顔をしてたんだ。で、その月曜日の放課後、公園に向かおうと学校の玄関へ行ったら、先に教室を出て行ったはずのLが、靴箱の前で佇んでた。手に、白い封筒みたいなものを持ってね。封筒の口が手で破かれたみたいにびりびりになってたから、たぶん、Lが靴箱に入ってたその封筒を見つけて、その場で中身を確認してたんだと思う。
Lはわたしに気づいて、周りに誰もいないのを確認してからそっとわたしの手をつないで、「ごめん、今日ちょっと遅れるかも」って云った。封筒のことかなって、ぴんと来たから「なあに?ラブレターでももらったの?」って聞いたら、Lはふふって笑って「まあな、人気者はつらいねー」なんて云って、封筒をひらひらさせながら玄関から出て行ったの。Lがどっちへ向かったのかは、わたし、その時見てなかった。まさかそれっきりLにしばらく会えなくなるなんて、その時は夢にも思わなかったから。
わたしはいつも通り公園へ向かって、ここに座って、Lが来るのを待ってた。でも日が暮れてあたりが暗くなってきて、17時のチャイムが鳴っても、Lは来なかったの。約束を破るような子じゃないし、今までそんなこと一度もなかったから、わたし、何かあったのかもって心配になって、大急ぎで家に帰って、Lの家に電話をかけたの。そしたら、お手伝いさんが電話に出て」
お手伝いさん?
話の腰を折ってしまうようで申し訳なかったのだけれど、思わず、僕はそう聞き返してしまった。
お手伝いさんが電話に出るの?そんなお家って・・・
「あ、そっか。じゃあ少し話が脱線するけど、先にLのお家のこと説明しようか」
うん、ごめん。
「ううん、日曜日に会いに行くなら、先に知っててもらった方がいいよね。ミクリヤってLの名字、聞いたことある?この街ではわりと有名な大地主の家で、ご先祖様はこの辺り一帯を治めてたお殿様?だったらしいの。ただ、今のご当主?っていうの?つまりLのお父さんとお母さんね、ふたりには子供がいなくて、それで教会の養子縁組で、まだ赤ちゃんだったLを引き取ったんだって」
なるほど。つまりLは、お家にお手伝いさんがいるような、お金持ちのお屋敷の子、なの。
「そうなの。それで、話を戻すね。お手伝いさんが電話に出て、わたし、何度かお家に遊びに行ったことがあったから、覚えててくれたみたいで、すぐに執事のサモンジさんに電話を代わってくれて」
執事?
もう驚くまい、話を止めまいと思って聞いていたのに、だめだった。つい、反応してしまった。
「そう、いつも黒いスーツを着ててとってもかっこいいの。そのサモンジさんに、わたし、「ミカエルが約束してた公園に来なくて心配で電話しました、ミカエルは無事にお家に帰ってますか」って聞いたの。そしたらサモンジさんが「そういうご事情でしたか。ジーン様にでしたら、今のミカエル様の状況をお話してもよろしいでしょう」って、教えてくれたの」
・・・。
「あの、K、だいじょうぶ?わたし、説明へたすぎる?」
あ、いや、ちがうよ。ごめん、なんだろう、カルチャーショックっていうのかな、こういうの。
まるでドラマか映画の中のお話でも聞いてるような。
僕、Lと友達になれるのかな。
「えーどうして?LはLだよ。あーでも、Kは話で聞くだけだもんね。実際に会ってみれば、Lも執事のサモンジさんも普通の人と変わらないんだけどな」
なぜか突然、執事ごっこをしてにやにや笑っている父の顔が頭に浮かんだ。
僕にとって執事というのは、父のごっこ遊びに登場する架空のキャラクター的な?その程度の認識でしかなかったのに、まさか同じ市内に、本物の執事がいるお家があるなんて・・・。
いやちがうちがう、それでLはどうなったの。そっちの方がはるかに大事な話だった。
「うん、サモンジさんが云うには、Lは市内の大学病院に搬送されたって。午後3時すぎって云ってたから、Lがわたしと別れて学校を出て1時間くらい経った頃かな、消防署に救急車の出動を要請する電話が入ったんだって。「ニュータウンの工事現場の前に子供が倒れてる」って」
ニュータウンの工事現場の前?
「そう、Kの家の近くかな。大型ショッピングセンターの建設予定地・・・って、あれ?」
Jもいま気づいたらしい。
そう、僕の家の目の前にある放棄された巨大な工事現場だ。
「工事現場の前に、工事車両用の駐車場みたいなのがあるらしくて、Lはそこで倒れてたんだって」
工事現場の、前?駐車場?
あの工事現場は、東西南北それぞれが200メートル以上はありそうな大きな四角形をしていたはず。僕の家は、その東の辺のちょうど真ん中辺り、道路をはさんで反対側に建ってる。
その工事現場の前の駐車場、というと南側、市街地に近い南東の角の近くにある空き地のことだろうか。
たしかに、広い道路に面しているし工事車両が出入りするにはちょうどよさそうに思えた。
空き地そのものの大きさは、南北10メートル弱、東西15メートルくらいだったかな。大型の工事車両が2〜3台は停められそうな広さがあったように思う。今はなにもないただの空き地になっていたけれど。
空き地は工事現場を囲む鋼鉄の高い仮囲いの塀の外側にあるので、誰でも容易に出入りはできるはず、だった。
でも、小学校からはだいぶ遠い。ニュータウンの南に位置しているから僕の家よりはいくらか近いけれど、2km以上はあるはず。なぜLは、そんなところで倒れていたのだろう。
「うん、あの封筒で呼び出されたんだろうとは思うんだけど。呼び出された場所がその駐車場だったのか、それとも倒れてからそこに運ばれたのかは、わからない」
救急車を呼んだ人は?
「それもわからないみたい。通りがかりの人だったのか、あの封筒でLを呼び出した本人だったのか。救急車が到着した時には、倒れてるL以外には、誰もいなかったんだって」
怪我は?Lの体はだいじょうぶだったの?
「うん、すぐに病院で精密検査を受けたらしいんだけど、外傷はなし。倒れたときにちょっとすりむいてたらしい小さな擦り傷が両ひざにあったくらいだったって。脳にも異常はなし、ただ・・・」
そこでJは言葉を切った。
何か、他にまだ云いづらいことがあるのかな。
「ううん、ちがうの。これはその時に執事のサモンジさんから聞いたんじゃなくて、少し経った後で、お家にお見舞いに行ったときに、Lのお母さんから聞いたことなんだけど、L、眠ってるだけなんだって。それも、ただの睡眠じゃなくて、まるで冬眠してるみたいな、深い深い眠りなんだって」
眠ってる・・・
冬眠してるみたいな?
北国で暮らす野生のクマやリスは、雪深く寒い冬を越すために、巣穴の中で冬眠する、そうテレビのドキュメンタリー番組で見た覚えがあった。祖母が、野生動物のドキュメンタリーものが好きで、小さい頃からよくいっしょに見てた記憶がある。
冬眠状態の動物たちは、体温を下げ、呼吸も心拍数も極端に少なくなり、食事も摂らず、眠ったまま、何か月もすごすのだという、春が来るまで。
Lは、どうして眠り続けているのだろう。それも、冬眠のような長い、深い眠りを。
それに、Lを呼び出した人物は、いったい誰なのだろう。何の目的でLを呼び出したの。
そして、Lをそんなふうに眠らせたのも、その「誰か」のしわざなのかな。
それが「誰か」のしわざだとして、人を半年間も冬眠のように眠り続けさせることなんて、可能なのだろうか。
わからない、
謎が、多すぎる。
「病院でもいろいろと検査してもらったみたいなんだけど、眠り続けている原因はわからなかったんだって。それで、検査と経過を診るために2週間くらい入院してから、Lはお家に戻ってきたの。サモンジさんって律儀な人でね、わざわざわたしの家に電話して知らせてくれたの、「ミカエル様がお屋敷に戻られました。まだ眠り続けておられますが、他は以前と変わらず、たいへん可愛らしゅうございます。ジーン様にはいろいろとご心配をおかけしたかと思いますので、まずはお知らせを」って」
何か途中に聞きなれない言葉が入っていたような気がしたけれども、そこは一旦おいておくとして。
Lを呼び出した封筒が、本当にラブレターだった可能性もなくはない、のかな。
ラブレターにしては、呼び出す場所が、放棄された工事現場の駐車場というのがあまりにも、何と云うか、残念な気はするけれど。
呼び出しに応じてやってきたLが、何らかの体調不良で倒れてしまったとしたら、呼び出した本人はあわてて救急車を呼ぶだろう。姿を隠してしまった理由についても、まあ子供ならば怖くなって逃げだしてしまっただけなのかもしれないし、何か余計な疑いをかけられたくなかっただけかもしれない。
「ラブレターじゃなくて、果たし状だった、って可能性もあるし、ね」
そう、Jはまんざら冗談でもなさそうに、真面目な顔で云う。
確かに、呼び出した場所があの工事現場の空き地なのだとしたら、果たし状の方が似合っているかもしれない。
いまどき小学生とはいえ、そんな昔のマンガみたいなことをするやつがいるのかどうかはさておき。
だとすると、封筒での呼び出しと、Lが眠り続けていることに、直接的な関連性はなさそうな気もする。
それなら、Lが眠り続けている原因はいったい何なのだろう。
もしもLの体に、病気の予兆や何か不調の原因があったのだとしたら、Lは、それを事前に察知することはできなかったのかな。
「あ」
思わずそう呟いたJは、人差し指をぴこんと立ててる。
「あの子の「線」で?」
そう、「線」で。
Lの「線」は何かの方向とその危険性を、向きと色で指し示してた、んだよね。
「うん」
もしもLの身に、何か危険なことが起きようとしている、あるいはもっと具体的に、半年以上も眠りにつくような事態が起きる、そんな危機が迫っている、となった場合、L自身を指す「線」が現れるんじゃないのかな。
「うーん、なるほど、確かにそうかも」
Jは立てた人差し指をぴこぴこ動かして、「でも」と細いあごに当てて考え込むポーズになった。
「あの子、そういうのわたしには云わないからなあ。秘密主義っぽいところがあってね、何でも自分で解決できちゃうからなのかもしれないけど、あれこれぜんぶ終わってから、その結果しか教えてくれない、みたいなとこあったから」
なるほど。
それならLは、やっぱり何かに気づいていたのかもしれない。気づいていたけれど、自分ひとりで解決できると思っていたのかも。
何かが起きることは「線」の力ですでに知っていて、そこへあの封筒が届いた。だからJには「ちょっと遅れる」とだけ云って、ひとりでその何かを確かめに行った。まさかその何かが、半年以上も眠りにつくような事態に陥る事だとは思いもしなかったのだろう。
とは云っても、Lが眠りについた原因については、僕にはさっぱり見当がつかない。
まあ、その道のプロである大学病院で検査しても原因がわからないのだから、僕のようなただの小学生にわかるはずもないのは、当たり前なのだけれど。
せいぜい僕に思いつくのは、新種のウィルスか何かが原因の未知の病気とか、それともあの謎の「力」が関係している謎の現象なのか、あるいはあの工事現場に何か得体のしれない秘密が隠されているとか、いずれにしても、単なる僕の妄想と云われてしまえばそれまでの、根拠のないただの想像にすぎない。
「あの封筒、今どこにあるんだろう」
ぽつりと、Jがつぶやく。
あの封筒
「あ、ごめん、そんなに深い意味はないの。ただちょっとだけ気になって」
確かに、いったい何の手紙だったのか、差出人は誰なのか、中には何が書いてあったのか、まったく気にならないと云えば噓になる。
Lが持っていたとすれば、制服のポケットか、ランドセルの中?いやわざわざランドセルを下ろして蓋を開けて中にしまうほど大事なものでもない、かな。
病院に運ばれたときに持っていたのなら、退院するときに服や荷物といっしょにまとめて返してもらえるはずだよね。だったら、あるとしたら、Lの家、なのかな。
あ、でももし、Lが倒れたときに、呼び出した誰かがそばにいたのだとしたら、救急車を呼んでその場を離れる前に、そいつが持ち去った可能性もある、かもしれない。
「あー証拠隠滅?なるほどなあ」
Jはあごに人差し指を当てて、名探偵のポーズで何やら考え込んでる。
ちょっとだけ気になって、と云うわりには、意外と気にしているように、僕には思えたけれど。
確かに、封筒から呼び出した人物がわかれば、その人にLが倒れたときの状況を聞く事はできるかもしれないけれど・・・。
ふわあ、というどこか間の抜けた音が遠くから聞こえて、見るとあの黒犬がベンチの前で大あくびをしていた。
いつの間にか、だいぶ陽が西に傾いている。と思った途端、17時のチャイムが遠くから鳴り響いた。
市の真ん中にある市庁舎の屋根と、その他、駅や学校など市の数か所にあるスピーカーから、毎日17時とお昼に鳴るおなじみのチャイムの音だった。
「あらら、もうそんな時間なの。今日もなかなか、情報過多だったねえ」
しみじみとJが云う。
本当にそうだった、前回にも増して、さらに考えることが増えた気がする。
「日曜日、晴れるといいね」
そう云って、Jは僕の眼を見てにっこり微笑んだ。
あの、心がほっとする魔法の笑顔で。

火曜日からの平日は、なかなか充実していた。
元々、それほど変化のない毎日を当たりさわりなく過ごせればそれでいい、といういささか年寄りめいた小学校生活を送っていた僕の日常からすれば、それはとてつもない変化だったと云っても過言ではないかもしれない。
あの謎の現象の、実験と検証。
もちろん、あんなことがそう頻繁に起こっても困るので、実験は時と場所をわきまえて、かなり慎重に行なっていたけれど。
例えば、夜、部屋でひとりの時に、部屋の照明に向かって「消えて」と云い、指をぱちんと鳴らす、とか。
何も起こらなかった。他にもいろいろ試してみたけれど、「物」には作用しないみたいだった。
学校帰りにひとりであの公園へ行き、噴水の脇で昼寝をしていた黒ネコに「起きて」と云い、指をぱちんと鳴らす、とか。
これも、何も起こらなかった。何度か試していたら、うるさかったのだろう、黒ネコは迷惑そうな顔でのそりと起き上がって、公園の生垣の向こうへ姿を消してしまった。
カラスにも試してみたけれど、何も起こらなかった。「動物」にも効かないのかもしれない。
無関係な見知らぬ人を実験に使うのはさすがにはばかられたので、「人」に対しての実験はなかなか機会に恵まれず、結局できずじまいだった。
それからもうひとつ、家で母と手をつないでみた。ついでに父とも。
風呂上がりにキッチンへ行くと、母が翌日のお弁当の準備をしていた。僕は給食があるので必要ないのだけれど、母は自分の分と父の分、ふたり分のお弁当を、毎日用意してる。
父はリビングでテレビを見ているらしい。ニュース番組の音声がかすかに聞こえてた。
「おかあさん」と声をかけて、黙って右手を出してみた。
「あら、なに?握手したいの?」
察しの良い母は本当に楽だ。余計なことをしゃべらなくていいので。
手をにぎってくれたので、心の中で、おかあさん、何か聞こえる?と聞いてみた。
それに対しては返事がなく、
「で、なあに?おこづかいの値上げ交渉かなにか?」
と口頭で聞かれた。
あの「力」が遺伝するものなのだとしたら、祖母から母へ、そして僕へと受け継がれたものなのかも、という仮説は、残念ながらもろくも崩れ去った。
「ううん、ただ握手したかっただけ」
手を離しながらそう云ったら、母は眼をまんまるにして驚き、僕の額に手を当てた。
「もう、また熱でも出たのかと思ったじゃない」
熱はなかったらしく、母はすぐに手を離して、そそくさとお弁当の用意に戻った。はずかしかったのかもしれない。
視線を感じて振り返ると、いつから見ていたのか、キッチンの入り口でにやにやしている父と目が合った。
なにも云わずにいると、父は僕の前にひざまずき、うやうやしく手を差し出している。
案外、こういうとぼけた人ほどわからない。そう思ったので、父にも実験に参加してもらうことにした。
父の手を握り、父さん何か聞こえる?と心の中で聞いてみた。
父は無言のまま、僕の手をおしいただき、深々とおじぎしている。
父さん?聞こえないの?あーもしもーし。
しつこく呼びかけてみたけれど、返事はなかった。
「ちょっと、キイチロウさんまで何してるの?じゃまじゃま、あっちでやってよ、もう」
母に叱られ、父は僕の手を離し、しゅんと肩を落としてリビングへと去って行った。
我が家での手をつなぐ実験では何の成果も得られなかったけれど、実験しながら、ひとつ思いついたことがあった。
部屋に戻り、ベッドに寝転がって白い天井を眺めながら思案してみる。
もしも、眠っているLと手をつないだら、僕たちは話ができるのだろうか。
ふむ、難しいかもしれない。
そもそも、僕とJとの心の声での会話は、「心で思った」言葉が、「相手に聞こえる」というものだ。
理屈はわからないしわかりようもないのだけれど、感覚としては、そういうものだった。
だから、「心で思っていない」こと、つまり無意識の領域にある何か、は、たぶん伝わらない。
眠っている人の意識は、どちらかと云えば、無意識の領域に近い気がする。それに、体は眠っているのだから、仮に僕らの声が聞こえたとしても、答えられないのではないだろうか。
いや、答えられないにしても、何か反応を促すことは、もしかしたらできるかもしれない。たとえば、「聞こえたら手を握り返してみて」と云ってみたらどうだろう。
何かの映画か、TVのドキュメンタリー番組だったかでそんなシーンを見たような気がする。事故で意識を失った人が救急病院に運び込まれると、お医者さんや看護師さんがその人の腕や肩をぽんぽん叩きながら云うのだ。「聞こえますかー、聞こえたら手を上げてみてくださーい」
その方法なら、会話はできなくても意思の疎通はできるかもしれない。
あとは、歯科医だ。「痛かったら左手を上げてくださいねー」・・・いや、それはちがうか。歯科医の場合、患者は意識があるし、眠ってもいないよね。そんなことを考えているうちに、その日はいつの間にか眠ってしまった。

金曜日の夕方に、Jから家に電話があった。
Lの家に電話をかけて、日曜にLのお見舞いに伺いたいことを伝え、OKをもらった、との事だった。
「Lのお家、ススガ森にあるの。少し遠いから、駅からバスで行こう。日曜の朝10時に駅のバス乗り場で待ち合わせで、いい?」
電話口から聞こえるJの声は、なんだか新鮮だった。いつもは頭の中で聞こえているから、少し遠くから聞こえるような感じがする。
「日曜の10時に、駅のバス乗り場、わかった」
僕が答えると、
「じゃあまた、日曜日にね」
そう云って、Jは電話を切った。
電話ではあの笑顔が見えないのが、少し残念だった。

土曜日の午後、母は出かけていて、父がひとりで家にいた。
母は、学生時代の友人とお茶会だとかで、父が駅の近くまで車で送り、母を置いて帰ってきたのだった。
戻ってきた父を、リビングで待ち構えてつかまえた。母のいないタイミングで、いくつか聞いてみたいことがあったから。
リビングのソファに腰かけ、テレビをつけようとリモコンを手にした父に、
「父さん、教会の児童養護施設のこと、知ってたの?」
といきなり直球で聞いてみた。
「ん、ああ、おう」
テレビはつけずにリモコンをテーブルに置き、父はソファごと僕の方に体を向けた。
「なんだ、ジーンちゃんに聞いたのか」
「うん。施設の由来も聞いた。4人の赤ちゃんが置き去りにされてた、って」
僕が云うと、父は少し驚いた顔をした。でもすぐにいつものにやにや顔になって、
「生まれて数ヶ月の赤ん坊だった子が、もうあんなに大きくなったんだなあ。早いもんだ」
しみじみとそう云った。そして、
「4人とも元気なのか?まだ教会にいるんだろう?」
逆に父から質問を返された。
そうか、養子縁組の話は、何か契約とかがあって秘密なのだという話だった。だから教会側と子供を引き取った当事者以外は知らないのか。
一緒に暮らしていたJにも詳細は知らされてないくらいだから、Jのお父さんお母さんは、その辺り、きっちりした人たちなのだろう。
そんな秘密を、無関係な僕が軽々しく漏らすわけにはいかない。
ひとまず「うん」とだけ答えた。僕が普段から口数の少ない子供だったことが幸いしたらしい。父はそれ以上つっこんでは聞いてこなかった。
「10年、いや12年前か。俺が大学を出て、新聞社に入ったばかりの年の冬だったな」
父は昔を思い出すように、遠くを見る目で何も映っていない真っ黒なテレビ画面を見つめて云い、
「まだいろいろと、やる気に燃えてた頃だな」
口の端に皮肉っぽい笑いを浮かべてる。今ではすっかりやる気のない燃えカスになっちまった、とでも云いたいのかな。
父のほろ苦くもシニカルな思い出話が始まりそうだったので、
「本当に、当時なにもわからなかったの?」
あわてて僕は、聞きたい話を振る。
「赤ちゃんの両親のこととか、赤ちゃんを教会に置いて行った人のこととか」
そう尋ねると、父は少し困ったような顔をしてうなずいた。
「いま考えても不思議な話だけどなあ。こんな田舎の小さな街だろ。外国人が何人もいれば、それだけで目立つはずだけどなあ。仕事をするとなれば、職種も限られてくるしな。通訳か、外国語の講師か、何かの技術者か学者とか。しかも赤ん坊が4人いて、それぞれ親が違うらしい、となると、なおさら、な」
お手上げ、と云わんばかりに、父は大げさに肩をすくめてみせた。
けれど、何かを思い出したように「ああ」と呟いて、記憶を辿るように目線を上に向け、
「先輩の記者の中に、ひとり変わったことを云ってた人がいたな。その人は、幼児誘拐のプロの犯罪組織がらみを疑ってたらしい。それもアジア・オセアニア一帯をまたにかけた、世界規模のな」
わりと真剣な表情で、父は云う。冗談や何かではない証拠に、いつものにやにや笑いが消えてた。
「幼児誘拐の犯罪組織?世界規模の?」
映画やドラマでしか聞いたことのないような単語ばかり、だけれど。
何だか、おだやかではない話になってきた。
「キッド・ナッピングってやつだな。今時そんな、とも思うが、実際に人身売買なんかが日常的に行われてる国や地域もまだまだあるらしい。そういう組織は、世界のあちこちで攫ってきた子供を集めて、闇で売るんだそうだ。ただ、先輩には悪いけど、今回のケースは、俺は違うと思う。だったらなんで犯人は、苦労して攫ってきた赤ん坊を、わざわざこんな田舎の街の教会に置いていくんだ?突然悔い改めて善人にでもなりたくなったってのか」
ふん、と鼻息を荒くして、父は云った。めずらしく、腹を立てているらしい。
でも誰に?子供を狙う犯罪組織に?それとも無責任にただ物騒な説を唱えていた先輩に?両方かもしれない。
「そんな組織から、赤ちゃんたちを救い出した誰か、かもしれないね」
なんとなく思いついて、ぽつりと僕は云った。
父は驚いたような顔をしていたけれど、すぐにいつものにやにや笑いを浮かべて、
「いいね、正義のヒーロー説か。俺もそっちの方が断然好きだな」
僕の頭に手を伸ばして、またがしがしかき混ぜようとしてたので、僕はソファに座ったまま身を捻ってその手をかわす。
なんとなく云っただけだったけれど、可能性としては、なくもない気がしてた。
犯罪組織が関わっているというのは、気持ち的には嫌だったけれど、それを抜きにしても、何かの事情で親元を離れざるを得ない状況にあった4人の赤ちゃんを、匿名の第三者が預かって、教会に置いて立ち去った。だとすれば、何の手がかりも残っていない、という状況にもうなずける、かも。
まあでも、12年前の事件の真相については、いい。
Jも「わからないならわからないでいい」と云ってたし、僕もそう思う。
「そうだ、僕、明日」
ソファに座り直して、話を変えた。
「J・・・ジーンちゃんと、友達の家へ遊びに行くんだけれど」
もうひとつ、父に聞きたい事があった。
「ほう、いいね。いってらっしゃい」
父はうれしそうに、にやにや笑っている。
「その友達、ミクリヤっていうんだけど、父さん、何か知ってる?」
そう尋ねると、父は細い眼を見開いて、
「ミクリヤって、あのススガ森のミクリヤか?お殿様じゃねえか」
そう云って大げさに驚いてみせる。
お殿様って、まさか父までそんな云い方をするなんて。
やっぱりこの街では、Lのお家は、そういうちょっと特別な存在なのかな。
「お殿様?」
知らないふりをして、とぼけて聞いてみた。まあ実際に、Jから聞いた話以外は知らないので、ほとんど知らないも同然だけれど。
「市の西にあるススガ森に、でっかいお城みたいなお屋敷があってな。いや、みたいなじゃなくあれはまさにお城だな。ヨーロッパのどこかの瀟洒な古城を丸ごと買い取って、そいつを現地でばらばらに解体して、でっかい船でその石材やら何やらをぜんぶ運んできて、こっちで組み立て直した、って話だぞ」
ヨーロッパの古城って、買えるの。しかもプラモデルか何かみたいに、分解して運んで別の場所でもう一度作り直すとか、そんな事までできるの。
なるほど、お城に住んでるのなら、お手伝いさんもいるだろうし、執事だっているだろう。
「何というか、スケールが・・・」
「そりゃそうだ、先祖代々本物のお殿様だからな。庶民とは感覚からして違うんだろう。でも、ミクリヤ家におまえさんと同じ年頃の子供がいたんだな、それは知らなかった」
はっきりと、知らなかった、と父は云った。父が知らないということは、やっぱり養子縁組の話は、教会側でも受け入れた家族側でも、しっかりと秘密が保持されている、ということなのだろう。
うっかり口を滑らさなくてよかった、と内心ほっとする。
ひとまず、父に聞きたかったことはだいたい聞けたので、僕はテーブルの上のリモコンに手を伸ばし、テレビの電源をONにして、父にリモコンを渡した。
「おう、サンキュー」
今日は、どうやら執事モードではないらしい。父は、にっと笑ってリモコンを受け取り、チャンネルを切り替えて、何か歴史物のドキュメンタリー番組を、見るともなしに見始めた。

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