まるで夢のように、現実感のない巨大な地下空間だった。
そこには、SFか怪獣映画さながらの巨大なダンゴムシみたいな姿の隕石があった。
その隕石の上に、4日前から行方不明になっていた僕の「体」が立っていた。
高さ10m以上ありそうなその隕石の上に立ち、まるで僕らを歓迎するように両手を大きく広げて、僕の体を奪った「あいつ」が云った。
「よく来たな、勇敢な子供たち」
広い地下空間に、朗々と響き渡るほど大きな声で、恥ずかしげもなく。
そう、後から考えれば、僕の方が顔から火が出るくらい恥ずかしいと感じる。
だってあれは僕の体で、「あいつ」は僕の声で云ったのだから。
けれどその時は、不思議と恥ずかしさは感じなかった。
その時、僕の頭の中にあったのは、大きな「?」マーク、
ただそれだけだった。
例えば、ゲームか何かで、主人公が最初の村を旅立って、ちょっとした苦難や最初の敵とかを乗り越えて、どうにか王国の城へと辿り着いたら、何故かその到着を待ち望んでいたかのように王様が云うのだ。
「よく来たな、勇敢な旅人よ」
そんな唐突なイメージだった。
僕の全くあずかり知らぬところで、勝手にストーリーが進んでいたような、そんな感じ、なのかな。
僕らは、僕の体を奪った「あいつ」を追って、廃線になった線路を辿り、有刺鉄線の巻かれた基地のフェンスを乗り越え、クレーターの底にあった廃墟の地下から長い地下道を通って、この巨大な地下空間へたどり着いた。
とても地下とは思えないようなそこには、見上げるほど巨大なダンゴムシを思わせるような隕石らしきものがあり、何故かその上に登って僕らを待ち構えていた「あいつ」が云ったのだ。
「よく来たな、勇敢な子供たち」
これはもう、「?」以外、何もないのでは。
Lは、口をぽかんと開けたまま、まるで金縛りにでも遭ってしまったみたいに、固まっていた。
ラファエルはLの横におすわりをして、動かなくなってしまった主人の顔を心配そうにじっと見上げている。
クロちゃんもいつの間にか地面に降りて来ていて、Nの隣でじっと隕石の上の「あいつ」を見上げ、彫像のように動かなかった。
Jの声も、聞こえない。おそらく、Lと同じように固まってしまっているのだろう。
隣を見ると、ガブリエルが何故か両手で頭を抱えて、下を向いて声にならない声でうなっていた。
Nの意識体は、何か思うところがあるのだろうか。首をかしげて何やら考え込んでいるようだった。
広い地下空間に響いていた「あいつ」の声の残響が消えると、ひんやりとした静寂に包み込まれた。
誰も動かず、何も云わなかった。
その沈黙は、数秒だったのかもしれない。僕には、5分にも10分にも感じられたけれど。
「おまえ、誰だ?」
静寂を破るのは、いつもの陽気なハスキーボイスだった。
大きな声ではなかったけれど、静まり返った地下空間に、Lの声はよく響いた。
さすがに少し、いつもよりも声音が硬い気がした。
その声は「あいつ」にも聞こえたのだろう。
「あいつ」は、ぎょっとしたような顔をしていた、ように見えた。
広げていた両手をゆっくり下ろし、下を向いてその手を見つめ、首をかしげている。
その口がゆっくり開いて、つぶやくような声で
「おれは、・・・おれは誰だ?」
あいつはそう云った。
おれは、誰だ?
自分が誰なのかも、わからない?の。
ヌガノマ、なのだとしたら、それは不思議ではないのかもしれない。
あいつは、ほとんどの記憶を失っている、はず。
もう、自分が誰なのかすら、わからなくなっている、という事なの。
「じゃあ質問を変えるぜ」
Lは云って、
「子供「たち」ってのは、なんだ?ここに子供は、オレしかいねーけど」
すでに次の質問を用意していたらしい、よどみなくそう尋ねた。
確かに、子供はLだけだった。あとは黒犬と黒ネコとカラス、子供の姿は他にはない。
「あいつ」は顔を上げた。
困った顔をしているようだった。
ゆっくりと右手を上げ、おそらく、「泡」に触れたのだろう。
「あいつ」の体が宙に浮かぶと、そのまま、ふわふわと漂うように、けれどまっすぐに下りて来て、僕らの前に音もなく降り立った。
距離にして、ほんの2mほどの場所に「あいつ」が立ってる。
手を伸ばせば届きそうなほど、近い。
Lの右手がさりげなく動いて、脇のホルスターに触れている。
眼帯は、首にぶら下げたままだったけれど、この距離なら必要ない、のかも。
「あいつ」は明らかに困った顔をしてた。
大きなヘッドホンと虫みたいなゴーグルをはめていたけれど、その上からでもわかるくらい、顔には困った表情がありありと浮かんでいる。
自分自身の困った顔を客観的に見る、というのは、なかなかに心穏やかではいられないものがあった。
「あいつ」の困惑が、僕に伝染するような気がして。
困った顔のまま、「あいつ」はLを見て、隣におすわりしたラファエルを見て、彫像のように立つクロちゃんを見て、最後にNを見た。
「・・・参った。助けてくれ」
まっすぐにNを見つめたまま、困惑しきったような固い笑顔で「あいつ」はぽつりと云った。
一瞬、彼が何を云ったのか、僕にはわからなかった。
参った
助けてくれ?
それは、僕に云ったのだろうか。
それとも、Nに?
いや、まさか
「・・・ガブリエル、そこに、いるんだろう?」
すがるようにNを見つめて、いや、実際はゴーグルのせいでどんな眼で見ていたのかは見えなかったけれど、とにかくじっとNを見つめて、あいつは云った。
ガブリエル?
不意にその名を呼ばれ、僕はどきりとした、けれど。
「はあ」
という大きなため息が、すぐ隣から重なって聞こえた。
ガブリエルと、Nのため息だった。
え、どういうこと?
ガブリエルが、Nの意識体をそっと椅子に下ろして立ち上がる。
「しかたがない、ボクから話すよ」
ガブリエルの声は、オレンジの海を通して、僕の頭に響いた。
つまり、LやJにも聞こえた?
「はあ?」
Lがホルスターから手を離して、Nを見下ろしている。
「待て待て待て、おいおまえ、なんでそんな所にいるんだよ?いったいいつからだ?ええ?」
Lは、ガブリエルの声だとすぐに気づいたらしい。「なんで」と聞きながらも、彼女の事だ、ものすごいスピードで思考を巡らせているのだろう。
「・・・すまん、ガブリエル」
そう云って、「あいつ」は下を向き、地面に両膝をついてかがみこんだ。
土下座でもするのかとぎょっとしたけれど、そうではなかったらしい。
そのままこうべを垂れてじっと座っている。
「ガブリエル?え、ガブリエルがいるの?どこに?」
彫像のように動かないクロちゃんの中で、Jもうろたえてる。
それは、そう。
いつか良いタイミングでボクからみんなに話す、
そうガブリエルは云っていたけれど。
今がそのタイミングだとは、とても思えない。
何と云うか、よくわからないけれど、いろいろ台無しなのでは。
「黙っててごめんね、J、ミカエルも。ボクはKといっしょに、Nの中にいるよ」
ガブリエルはそう云って言葉を切り、僕の方を向いて
「それから、いまKの体の中にいるのは、ヌガノマじゃない。キクヒコだ。だから、みんな安心して」
困ったような笑顔を浮かべて、僕を安心させようとするみたいに、ゆっくりとうなずいた。
中にいるのは、ヌガノマじゃない
キクヒコ?さん?
あらためて、Nの視界で「あいつ」いや、僕の体を見た。
うなだれて、いたずらが見つかって叱られるのを恐れている子供のような顔で、地面に両膝をついた、あれが、キクヒコ、さん?
「ボクもずっと半信半疑だった。半分はヌガノマかもしれないと思ってた。ヌガノマなのか、キクヒコなのか、その確信がどちらもなかったから。それに、キクヒコなのだとしても、何か考えがありそうに見えた。アイの前に姿を現したり、公園でみんなの前に現れたり、ね。だから、そのキクヒコの計画をじゃましないよう、あえてその可能性は、Kにも云わないようにしていたんだけど」
ガブリエルはそう云って、言葉を切って、
「まさか、キクヒコ、あんた何も考えてなかったの?」
怒っているというより、あきれているような顔で、ガブリエルはNの視界越しに僕の体を見ている。
「何も考え・・・、いや、おれは、ここを、おまえたちに、見せようと・・・」
下を向いたまま、ぽつりぽつりとつぶやくように、キクヒコさんは云った。
僕の顔で、僕の声で。
何だろう、わけもなく、少し悲しくなった。
「そんな事ではないかと、思いました。只、ガブリエルの云う「彼の計画」に少し期待もありました。しかし、やはり、本当に何も考えていなかったとは」
Nもあきれたような顔で云う。
そんな、Nまで。
キクヒコ、さんは、そんな人なの。
4人の赤ちゃんを救い、誘拐されたガブリエルを救い、ヌガノマに襲われた僕を救ってくれた、僕の心の中にあった、かっこいいヒーローのようなキクヒコさんのイメージが、がらがらと音を立てて崩れていくのを感じていた。
「それで、もう満足したの。Kに、キクタに「体」を返してくれるの」
質問、ではなく、命令のような口調でガブリエルが云う。
「・・・もちろん、返す」
いじけた子供のように、僕の声でキクヒコさんは短くそう答えた。
ガブリエルは肩をすくめて、
「じゃあ、K、ここでお別れだね」
僕を見て、唐突にそんな事を云った。
ここでお別れ
どうして?
「ボクは、Nの体に残るよ。だから、キミの意識とキクヒコの意識が入れ替わるだけ。お別れって云っても別に、本当にさよならするわけでもないんだけど、でも8年間ずっと一緒だったからね?別々の体になるんだから、やっぱりお別れ、かな」
そう云って、ガブリエルは少し寂しそうに笑った。
唐突に、僕は、何かにぎゅっと胸を締め付けられるような感じがして、何も云えなくなってた。
僕が、ガブリエルの存在を知ったのは、ほんの数日前のこと、だったけれど。
それでも、8年間、ずっと同じ体の中にいて、同じものを見て聞いて、ずっと一緒だった。
時々、僕の中から聞こえた、僕ではない誰かの声。
てっきり僕の心の声なのだと思っていたけれど、あれは、いま思えば、ガブリエルの声が聞こえていたんだよね。
「ふふ、ばれたか。たまーにね、つい、声が出ちゃった時、あったよね」
楽しそうに、ガブリエルは笑う。
そんな事も、僕は今まで知らなかったけれど、それでも、ずっと一緒だったんだ。
「そんな顔しないで。しばらくはNの中にいるつもりだから、つまりキミの部屋の屋根裏にいることになるよね。キクヒコの記憶がどんな状態なのかわからないけど、あのパソコンを見せたら、少しは記憶が戻るかもしれない。戻らないにしても、あれについて聞きたいことが山ほどあるからね。もちろん、あれ以外についてもいろいろと、いやむしろそっちの方がたくさんあるよね」
僕は、何も云えないまま、そろそろと椅子から立ち上がって、ガブリエルの手を握った。
細くて白くて華奢な、小さな手だった。
「ガブリエル、・・・ありがとう」
いろんな思いがこみ上げてきて、うまく言葉にならず、絞り出せたのはそれだけだった。
ガブリエルはいつものやさしげな笑顔で僕を見つめて、
「こちらこそ、ありがとう」
うなずきながら、そう云った。
「じゃあ、N、お願い」
ガブリエルが云うと、椅子の上にいたNの意識体がこちらを向いてうなずいた。
「Nも、ありがとう」
僕が云うと、Nはふふんと鼻を鳴らして
「いいえ、どういたしまして。また眠くなられたらいつでもお越しください。アナタの部屋の屋根裏で、お待ちしております」
ぺこりと丁寧に頭を下げる。
Nの視界がぐっと動いて、眼の前に両膝をついてかがみ込む僕の体が映った。
祈るように眼を閉じて、キクヒコさんはNを待ってくれている。
長いようで短かったこれまでの冒険が、僕の脳裏を過っていた。
ガブリエルとNだけでなく、みんなにありがとうと云いたかった。
LにもJにも、そしてアイにも。
黙り込んで何かを考えていたLが、ふふんと笑うのが聞こえた。
「まあ、ラスボス戦がなくって、ちょーっと残念だったけどなー」
ふふふ、とJの魔法の笑い声がする。
「また、Lはそんなこと云って。誰ともケンカしなくて済んで、よかったでしょ」
本当に、Jの云う通りだった。
キクヒコさんは、僕の意識をNの中に入れて守るだけじゃなく、僕の体に入ることで、そちらも守ってくれていたのだろう。
Nがぐっと体を伸ばして、うつむいたキクヒコさんの、僕の顔に近づいた。
その黒い小さな鼻が、僕の鼻先に触れ、ぐるんと視界が回転するようなあの感覚がした。
そのまま体が切り替わる、
と思いきや、
どうしたの、いつもより長い、けれど?
ぐるんぐるんぐるん、いつまでも視界が回ってる。
ぐるぐるが、止まらない。
「おい、なんだこれ」
回る視界に、狼狽えるLがちらりと見えて、すぐにぐるぐると流れ去る。
ほとんど同時に「きゃ」というJの短い悲鳴が聞こえ、その声もすぐに消えていく。
なんで?どうして、LやJまで?
ぐるんぐるんぐるん、いよいよ目が回り、まっすぐに立っていられなくなって、僕はその場に尻もちをついた。
とっさに、眼を閉じていたらしい。
唐突にぐるぐるが止まり、眼を開くと、そこは、一面の灰。
はらはらと音もなく、白い灰が降りしきる。
あの灰の海だった。
真っ黒に渦巻く、低く垂れ込めた空から、白い灰が降っている。
ねっとりと淀んだ空気を震わせるように、低い地鳴りのような音が重く響いている。
ばりばりと遠雷の轟くような激しい音が、時折遠く聞こえる。
灰の海
でもどうして?
降り積もった灰の上に座り込んだ僕の視界に、白い手が差し伸べられる。
眼を上げると、そこにはLが立っていて、僕に右手を差し出していた。
すがるようにその手を掴むと、あたたかい小さな手が、見た目にはそぐわない強い力で僕の手を握り、そのままぐいと引っ張って立ち上がらせてくれた。
「これが噂の「灰の海」ってやつかー?」
僕の顔をのぞき込むようにして、Lはいつもの陽気な笑顔でニッと笑う。
「おまえの「海」が壊れかけた時にちらっと片鱗は見えてたけど、こりゃ想像以上に、悲壮な感じ?終末感ハンパねーなー」
海水が全て干上がり、あちこちひび割れてそれが疼くように赤黒く光る海を眺めて、Lはそう感想を述べる。
まだ少し眩暈がして、瞬きをしていたら、Lと繋いだままだった右手をその上から誰かに両手で掴まれた。
「K、だいじょうぶ?体には戻れたの?」
灰色がかったきれいな眼が僕の顔をのぞき込む。Jだった。
僕とLの手を両手で掴んで、まるで実体を確かめようとするみたいに何度もぎゅっと握りしめている。
「待て待て。これがKの体なんだとしたら、おまえの体はどうなってんだ?教会からここへ飛んできたのか?」
肩をすくめてLが云う。
「あ、そっか」
Jは「てへへ」と照れたように笑う。
それは、そう。
と云うことは、僕らは今、意識体でここにいる。
考えてみれば、いや考えるまでもなく、Lの云う通りだった。
実体で、灰の海に立っているはずがない。実体で、オレンジの海に立つことがないのと同じで。
では、ここはどこ?
いったい誰の意識空間、なのだろう。
「整理してみようか」
後ろから声をかけられて、振り返るとガブリエルが立っていた。
胸に、Nを抱いている。
「おいおまえ、8年ぶりの再会がこれかよ?なかなか凝った演出じゃねーか」
Lが僕の手をすっと離し、Jの手からもするりと抜けて、ガブリエルにつかつかと歩み寄る。
「L!」
Lの右手がガブリエルの顔に向かって動いたので、叩くつもりなのかと思って、思わず声が出た。
右手はゆっくりと開き、ガブリエルの柔らかそうな白い頬をむにっとつまんだ。
「やあ、ミカエル。久しぶり」
頬をむにっとつままれたまま、ガブリエルはいつものやさしい笑顔で云う。
「ボクにこんな事できるわけないでしょ。ほら、Nを抱いててくれる?」
ガブリエルにNを渡されて、Lはガブリエルの頬から手を離す。
「このやろ、ネコチャンを使うとは卑劣な」
口ではそう云いながら、Lの顔はだらしなく弛んでいる。
さすがガブリエル、巧い。
「あ、J、初めましてだね。挨拶は後でゆっくりでもいいかなあ」
ガブリエルはそう、Jに微笑みかけて、
「まず、Kの体の中にいたのは、キクヒコだった。これは、間違いないよね?」
Nに尋ねる。
Lの胸に両手でぎゅっと抱かれたまま、Nはまじめな顔でうなずいて、
「おそらくは。只、敵か、もしくは未知の存在が、キクヒコのフリをしていた可能性も否定はできません。行動と発言から、キクヒコであろうと判断しましたが、確証はありません」
僕らをここへ誘き寄せた未知の敵が、キクヒコさんのフリをしていた?そんな可能性もあるのだろうか。
「はい。その証拠、ではありませんが、その可能性を考えた根拠は、今キクヒコの意識がワタシの中にいないため、です。キクタ、アナタの意識は、間違いなくワタシの体を出ております。すでに自身の体に戻っているはず。しかし、キクヒコはワタシの中にいない。アナタの中にもいないのでしょうか」
Nにそう云われ、あらためて自分の意識空間を振り返る。
振り返る、という表現はおかしいけれど、なんとなく、頭の中で振り返るイメージで、僕の「オレンジの海」が見えた。
脳裏、という言葉があるけれど、本当に脳の裏側にそんな場所があるのかもしれない。
頭の中で「オレンジの海」が見え、そこには誰もいない。
白い星の砂浜には無人の東屋と、あの流木がぽつんとあるだけだった。
他ならぬ僕の意識空間だ、感覚的に誰もいない事はわかる。
キクヒコさんはいない。
そして僕は、どうやら自分の「体」に戻れているらしい。
つまり、この眼の前の「灰の海」は、僕の意識空間ではない、という事になる。
何気なくふと手を見ると、白い灰が降って来て、僕の手のひらの上で、すっと消えた。
降りしきる灰は、あのオレンジの海の雨と同じように、僕の意識体に触れると消えてしまうらしい。
「じゃあ、ここはどこなのか。まずそれをどうにかしようか、ミカエル」
ガブリエルがLを見て、しれっとそう云った。
「おい、丸投げすんな。だいたいおまえ、なんでここにいるんだよ。なんでKと一緒にネコチャンの中にいたの。さっきKがネコチャンから出る時、おまえに8年間とかどーのこーの云ってたのは聞こえてたけど、おまえの口からはっきり、まずそれを説明しろ」
Nを抱いているのでLの怒りは収まったのかと思いきや、そんなことはなかったみたいだった。
いや、怒りというより、率直にそれを知りたいのだろう。それは、そうだと思う。Lはずっとガブリエルを探していたのだから。
「この非常時に。Jへのはじめましての挨拶まで割愛してるのに。まったくわがままなお嬢様だなあ」
ガブリエルはいつものやさしげな笑みを浮かべたまま、肩をすくめてる。
まあ、それも、そうなのだけど。ガブリエルの云い分も、もっともなのだけれど。
「長くなるから簡潔に云うよ。8年前に誘拐されて、キクヒコとルリさんに助けられて、眠っちゃったからそのまま意識だけKの中に避難してたの。はい説明おわり」
そう云ってガブリエルは黙り込み、何か考える表情になった。本当にもう説明はおわり、らしい。
「え」
Jは、「Kの中に避難してたの」に驚いたのだろう。
灰色の眼をまんまるにして、僕を見て、ガブリエルを見て、もう一度僕を見た。
仕方がないので、僕はJにうなずいた。それは、その通りなので。僕もつい先日まで知らなかったけれど。
そしてその説明だけでは、あまりにも簡潔すぎるけれど。
「はあ」
Lは、少し肩をすくめてため息をつき、それきり何も云わなかった。
てっきり、もっと何かさんざん文句を云うのかと思ったのだけれど。
ガブリエルの云う「非常時」が効いているのかな。
もちろん、Lだってそれは十分わかっているはずだった。
けれど僕は、あらためて、ふと、思う。
この双子が目の前に並んで立っている、その事に、胸が熱くなる。
場違いだけれど、そんなこと云ってる場合じゃないのはわかっているけれど、それでも、僕はうれしかった。
ちらっと僕を見て、ふふっと小さくガブリエルは笑い、Lは知らん顔でそっぽを向いてた。
胸にNを抱え込むように腕組みをして、数秒黙って考え込んで、
「材料が足りねー」
ぼそりとLが云う。
ガブリエルに向かって、云ったみたいだった。
ガブリエルが、Lをじっと見る。
「オレたちをここまで連れてきたあいつが、キクヒコだったとして、あいつの目的が、さっきちらっと云ってたよーに、「おまえたちに、ここを、見せようと(思った)」だったとすると、ひとまずその目的は果たせたって事になるよなー。けど「見せようと」して、「見せて」、それで終わりってことはねーよな。あのクレーターと地下施設と、トドメにあの隕石ダンゴムシだぜ?見せて、これこれこうと説明しなきゃ何のこっちゃわかるわけねーだろ。だったらキクヒコが消えたのは、あいつにとっても想定外だったはず。Kに体を返して、見せたかった理由を「子供たち」に説明する、そこまでがあいつの計画だったんじゃね。でも何故か消えちゃって、そのタイミングでオレたちはどこかの誰かの意識空間「灰の海」にぐるぐる引き摺り込まれたってわけだ。んじゃこれ、キクヒコの意識空間か?いや、ありえねー。だってあいつは「王」じゃねーし、何なら海とのつながりも失くしてるはず。それなら他のやつ、ヌガノマか?それもねーなー。あいつにこんな事ができるんなら、地下道でKと追いかけっこなんかするはずがないよねー。最初からぐるぐるして掴まえりゃいい話だもんな。ほら、足りねーだろ。材料というか、登場人物が、なー?」
Lの青い眼が、きらきら輝いてる。
こんな状況でも、いやこんな状況だからこそ、だろうか。Lの頭脳はフル回転して、答えを探し求めている。
そんなLを下から見上げて、
「ひとつ、情報を共有させてください」
Nが云う。
「おう、ネコチャン、なんだい?」
愛娘にでれでれのお父さんみたいなしまりのない顔で、LがNを見下ろして云う。
「キクヒコを擁護するつもりは毛頭ありませんが、先日来、そして今日これまでの道中でも、ワタシが「キクタの中にいるのが本当にキクヒコなのか」確信が持てなかった理由でもあります。それは、彼の活動時間が長すぎる事です。8年前、ヌガノマとの対決から惨憺たる状態で戻って来て以来、キクヒコは一日のほとんどの時間を眠って過ごしていました。最近では、少しずつ起きている時間が増えてはいましたが、それでも2~3時間がせいぜいといったところです。故に、今日は」
「ははあん、「子供たち」にここを見せたくて朝からはりきって頑張りすぎちゃった結果、ついに過労でダウンって事か」
Lが苦笑して肩をすくめる。
さっき、ガブリエルに問われ、キクヒコさんは云ってた。
「おれは、ここを、おまえたちに、見せようと・・・」って。
やっぱり、それが目的だった、という事なのかな。
そしてそのために稼働限界を超えて活動しすぎてしまい、ついに眠ってしまった?
「おそらくは。只、それでもワタシの中へ来なかった理由にはなりませんが」
Nが首をかしげるのは、そこがわからない、という事なのだろう。
すでにガブリエルが中にいるから入れなかった、という事はないはずだよね。
さっきまで、僕もガブリエルといっしょにNの中にいたのだから。
「いやあ、それじゃね」
Lが、ちっちっと舌打ちして指を振っている。
「やっぱり「基本はひとりまでしか入れない。但し「王」は別勘定」、って方が納得できるぜー。だって王はほら、自前の海がでかいからね。外付けSSDみたいな感じ?」
外付けSSDの例えは、よくわからないけれど。
でも、もしそうなのだとしたら、キクヒコさんはどこへ。
「さてなー。けどさすがにそこまで無計画じゃねーだろ。自分の体、というか意識の状態は知ってんだから、避難場所くらい用意してんのが普通じゃね」
Lの云う事ももっともだ、と思ったら、
「いや、無計画だよ。あいつ、何も考えてないんだ」
ふてくされたような顔で、ガブリエルがばっさり切り捨てた。
困ってしまってNを見ると、
「はい、否定できません」
Nも肩をすくめるようにしてうなずき、ぺろりと鼻をなめてる。
その時、地鳴りのように低く鳴り続ける音に混じって、上から空気を切り裂く風のような音が聞こえ、ばさばさっという羽ばたきとともに、クロちゃんが灰の地面に舞い降りた。
クロちゃんがJを見上げて、
「ラファエル、いない」
心の声で云う。
クロちゃんは、ラファエルを探しに行ってくれてたの。
意識と避難所の関係で、ガブリエルとのつながりでNが、Jとのつながりでクロちゃんがここに一緒に入れているのだとすると、ラファエルは、入れない事になる、のかな。
「あーたぶんそうねー。クロちゃんありがとーだぜー。まあ、ラファエルは、あー見えて気が小さいからねー、こんな世紀末的な風景のとこ来たらきっとビビって動けなくなっちゃうだろーから、来なくて正解かもねー」
Lはクロちゃんににっこり笑いかける。
そうなると、あの地下にラファエルはひとりぼっち?と思いかけて、いや違うよね、と思い直す。
僕らの意識だけがここへ来ているのだとすると、Lも僕も、そしてNとクロちゃんも、体はラファエルのそばにいることになる。
「うん。あいつがオレたちの体のそばで見張っててくれてるんなら、ひとまず体の方は安心だなー」
Lがにやりと笑う。それは、そうだった。
半ば無理矢理に意識だけがここへ連れて来られていて、いまの僕らは戻り方すらわからないのだ。
体が抜け殻のような状態になってしまっているのだから、ラファエルがそばで見ていてくれると思えば、それほど心強い事はなかった。
「それでひとつ思いついたんだけどさー」
LがくるりとJの方を向いて、
「J、おまえ、あのダンゴムシの「泡」見た?」
突然、何やらすごいことを云い出す。
あの隕石に、「泡」?
確かに顔があって、巨大なダンゴムシみたいではあったけれど。
そう云えばLは、「こいつ、生きてんのかなー」とかも云ってたけれど。
まさか、
「え、隕石でしょ。「泡」はないでしょ。気にして見なかったから、覚えてないけど。それに、あんなにおっきいんだよ?あの大きさの「泡」が出てたら、気にしてなくても眼に入るから気づくと思うけど」
さすがのJも、隕石という先入観で見ていたら、「泡」の有無は気にしなかった、という事かな。
それに、もしあれが本当に巨大な宇宙ダンゴムシか何かだったとしても、80年前に空から落ちて来たんでしょ。長い時間も経ってるし、そもそも落下時の高温と衝撃とで、さすがに生きてはいないのでは。
「ほんとに?」
Lが僕を見て、またにやりと笑う。
何か云いかけると、
「あった、「泡」、灰色の」
クロちゃんがぽつりと云う。
「J、見えないの、仕方ない。あの子、「泡」、頭の上、岩の中、ほとんど隠れた」
つまり、それは、
灰色の「泡」があった。あの子の「泡」は、頭の上の岩の中にほとんど隠れていたから、Jには見えなくても仕方がない、という事?
尋ねると、クロちゃんはこくんとうなずく。
ふっふー、とLが笑う。
「やっぱあいつ生きてたねー。じゃあキクヒコは、あん中だろ」
すごい事をさらりと云う、けれど。
なんでそんなにうれしそうなの。
80年前の隕石が実は生き物で、しかもまだ生きてる?
さらに僕の体の中にいたキクヒコさんは、限界が来て眠ってしまって、今はその隕石の中?
いや、理屈はわかるような気がするけれど、どちらも突拍子がなさすぎて思考がついていかない。
「いやいや、おまえこそ、なんでそんなに狼狽えてんの。あー、「あのダンゴムシに僕たち食べられちゃうかも?」って事か。だいじょぶ、たぶんあいつ人間なんか食べねーよ。だって、口なかったもん。それにあのでかい体で全身岩みたいなごつごつだよ。もっと栄養価の高いもんがエサだろ、だからだいじょぶ」
ぽんぽん、と僕の肩を軽く叩いてLは云う。
食べられちゃうかも、とは思わなかったけれど。まあ、あの大きさなので、少し怖かったのは確かだった。
口がなかった、のは、云われてみれば、そうだったろうか。大きな三角の複眼の下に、それらしい器官は外見上はなかった、ように思う。
「キクヒコはともかく」
わざといじわるそうにガブリエルはそう云って、
「最初のテーマに戻ろう。「ここはどこなのか」だね。ミカエルは「登場人物が足りない」って云ったよね?」
ちらりとLを見る。
Lは黙ってうなずく。
「ボクは、ふたつ心当たりがあってね。そのひとつを、まずは共有しようか」
そう云って、ガブリエルはぐるりと一同を見渡して、
「KとNは、もう知ってる事だけど。あの防空壕の先の地下道でキクヒコに助けられて、Kと一緒にNの中に入ってから、ボクらはNが寝ぐらにしてたKの部屋の屋根裏にいたんだよ。そこで、キクヒコのノートパソコンを見つけた。Nによると、キクヒコとKのお父さんは古い友人だったらしい。その屋根裏をNに教えて使わせたのも、キクヒコだった。そうだよね?」
Nに確認する。Nはこくんとうなずいて、
「はい。間違いありません」と云う。
ガブリエルは満足げにうなずいて、
「Kが眠ってる間、Nの体を借りてそのパソコンの中身を確認してたんだけど、キクヒコの個人的な古い写真やメモが少しと、残りの大半は、何かの研究データとか記録ファイルらしきものだった。それがわりと膨大な量で、しかも全部英語だった。ご存じの通り、ボクは英語がさっぱりダメだからねえ。でもわからないなりに、何かヒントになるものはないかと、地道にファイルをひとつずつ確認してたんだよ。その時に、何度も何度も出てくる単語がある事に気づいたんだ。ファイル名に付いているのもあったし、中身の見出しや文章の中にも頻繁にね。でも肝心の「それ」が何なのかはわからなかった。テキストしかなくて、つまりその単語だけしか出てこなくて、それらしき画像もないし、「それ」についての説明らしきものも、見つけられなかったんだ。だから、まずはその単語の意味をミカエルに聞いてみたいんだけど」
そう云って、ガブリエルは真剣な顔で正面のLをまっすぐに見つめて、
「Arcana(アルカナ)って、何?」
ゆっくりと言葉を刻むように、そう尋ねた。
アルカナ
英語、なのかな。
僕には聞き覚えのない単語だった。
Lは、ほんの数秒、眼を閉じてた。
単語の意味を思い出していたわけではなく、その意味を元に何か考えを巡らしていたように僕には思えた。
Lはゆっくりと、長いまつ毛に縁どられたきれいな青い眼を開いて、
「アルカナ。ラテン語で「秘密」とか「神秘」を意味する言葉だねー。元々の意味は「引き出しに隠されたもの」とかだったかな。あー、そのパソコンがここにありゃ話は早いんだけどなー。今からみんなでKの家の屋根裏へ移動するか?ってわけにもいかねーしなー」
そう云いながら、腕組みをして黒く濁った低い空を見上げてる。
秘密、神秘
引き出しに隠されたもの
何とも思わせぶりな単語、だけれど。
「秘密、神秘、引き出しに隠されたもの、か。それって、人の名前、もしくはあだ名とかコードネームみたいなもの、って可能性はないかな」
ガブリエルが聞くと、Lは腕組みしたまま、
「つまりおまえの云う、心当たりのひとり目がその「アルカナちゃん」か?とは云え、画像も何もないんだろ?それってほんとに人なのか?軍の作戦とか何か計画の名前とかじゃね」
そう云って、肩を少しすくめる。
アルカナ作戦とか、アルカナ計画って事?
なるほど、それならそのものの画像がない事にも説明がつく、かもしれない。
「もうひとつは?」
Lが尋ねると、今度はガブリエルが肩をすくめてみせる。
「もうひとつは、みんな知ってるでしょ。たぶん、頭に浮かんでるんじゃない?」
そう云って、ガブリエルは僕を見る。
みんな知ってる
頭に浮かんでる
その通りだった。この「灰の海」を見た瞬間に、たぶん、僕も真っ先に思い出していたはずだった。
あの夢の主だ。
オレンジの海で眠っていた僕に、この「灰の海」の夢を見せた人物。
そして同じその夢で、あの赤く光る地下道と4人の赤ちゃんを運ぶキクヒコさんとルリおばさんの「記憶」を見せた人物。
「登場人物が足りない」と云ったLの頭にあったのも、おそらく同じ人物だったのでは。
「まあね、まだ「登場」してないのは、「夢のあの子ちゃん」くらいじゃね」
登場
確かに、声だけで、しかもほんのちょっぴりなので、登場してないと云えばしてないけれど。
「もっかい呼んでみるかー」
何かもはや心の内のわくわくを隠し切れない顔で、Lが云う。
「前におまえの「海」で呼んだ時は、返事がなかったけど、今回はあっちのホームグランドだろ。それに、わざわざ全員をぐるぐるして引っ張り込んだくらいだから、何か用があるんじゃね」
確かに、Lの云うことにも一理ある。
わざわざ引っ張り込んでおいて、何故だんまりなのだろう、とも思うけれど。
何か企んでいるのか、僕らの様子を観察しているとか、あるいは、単にここへ引き摺り込むのが目的だった、とか。
「観察に一票かなあ」
ガブリエルが云う。
「何かを待っているのかもね。ある程度の時間が必要なのか、それともタイミング的なものか」
そう話すガブリエルの頭の中には、相手の具体的なイメージがあるように思えた。
「うん。英語はさっぱりだって云ったけど、わからないなりに毎晩数時間も眺めていたら、なんとなく雰囲気で文脈が読めるようになるでしょ。品詞って言うんだっけ。それが名詞で、物の名前なのか、計画や何かの事柄を表しているのか。つまり普通名詞として使われているのか、固有名詞として使われているのか、くらいはわかる。そして「アルカナ」は、あのパソコンのデータの中では固有名詞として使われていた。と、ボクには思えた」
さらりと云う、けれど。
眺めていたら読めるでしょ、とか
普通名詞か固有名詞かくらいはわかる、とか
いやいや、僕には絶対わからないけれど。
やっぱりこの子も天才では。
ふふん、と笑ったのはLだった。
「おっけー、じゃあそれで行こーぜ」
そう云うなり上を向いて、
「おーい!アルカナちゃーん!」
元気なハスキーボイスで、叫んだ。
ずっと低く響いていた地鳴りのような音が一瞬止んだのでは、と思えるくらい、低く垂れ込めた真っ黒な空の下に、Lの声は思いのほか大きく響き渡った。
しんしんと音もなく降りしきる真っ白な灰がその声を吸い込むように、残響が消えていく。
一瞬の静寂、そして、
『否定します』
心の声がそう答えた。
聞き覚えのない、初めて聞く声だった。
あの「夢の主」の声じゃない。
みんなにも聞こえたのだろう、さっと見渡すと全員が同じように眼と眼を見交わしている。
これが、この意識空間の主。
落ち着いた大人の女性の声、のように聞こえたけれど、自信はなかった。
中性的、と云えばいいのだろうか。男性だと云われればそうも思えそうな、柔らかい印象の声だった。
「あれ、アルカナちゃんじゃないの。じゃあ、あんたは誰ちゃん?」
まるで近所の知り合いのおじさんかおばさんと話すような親しげな口調で、Lが云う。
物怖じしない、という言葉は、きっと彼女のためにあるのだろう、と僕は思った。
一瞬の沈黙、答えてくれないのかな、と思った矢先、返答があった。
『私は、M-0。彼らは、そう呼んでいました』
エムゼロ
コードネーム?Mのゼロ番、という事だろうか。
それに、彼ら、というのは、
『肯定します。但し補足すると、Mが順番を、0は王を表します。「王」も彼らが付けた呼称で、階級や序列を表すものです』
しっとりと染み入るやさしい雨のような声が答える。
Mが順番
アルファベット順、と云う事かな。
それに、王
彼らが付けた呼び名で、階級や序列を表す
つまり、 M-0は、アルファベット順でいえば、13番目の、王?
何だか話がいきなり深い所へ入り込み過ぎてる気がする。
Lが僕にうなずいて、小さく手を上げて僕を制するような動きをした。
僕も小さくうなずき返す。この話は、一旦置いた方がいいかもしれない。
「なるほどねー。じゃあ、M-0ちゃん、アルカナって、何?」
すっかり友達のような距離感で、Lが尋ねる。
彼か彼女かわからないけれど、 M-0が気を悪くしないだろうかと僕は内心やきもきしていた。
せっかく返事をしてくれたのだ、機嫌を損ねてまたどこかへ去られてしまっては元も子もない。
Lが僕を見て、ぱちっときれいなウィンクをしてみせる。任せろ、という事かな。
ことコミュニケーションに関して云えば、確かにLほど達者な子を僕は見た事がない。
だからもちろん、云われるまでもなくLのコミュ力を信頼しているけれど。
『アルカナも、彼らが付けた呼び名です。私達の「種」全体を指す呼称。そう私は認識しています』
つい眼を閉じて聞き入りたくなるくらい、耳に心地良い柔らかな声でM-0は云う。
私達の「種」
種族とか人種、という事なのだろうか。
「彼ら、って云うのは、アメリカ軍の科学者たちの事?あの地下施設で、隕石の調査とか研究をしてた人たち?」
まるで学校の先生に何かを尋ねる小学生のようなトーンで、Lは尋ねる。
いや、その通りなのだけれど。大人か年長者らしき人?に、ものを尋ねる小学生、で間違いはない、よね。
また一瞬の沈黙の後で、
『肯定します。アメリカ軍、科学者、研究者。彼らは自らをそのように称して、隕石「roly-poly」の調査や研究を行なっていました』
アルカナ、 M-0は淀みなくそう答える。
柔らかでやさしい物云いだけれど、どこか機械的というか、AIのような印象も受ける話し方だった。
それに、隕石ロリポリ?
それが、あの隕石の名前、なの。
『肯定します。ロリポリもまた、彼らが付けた名称です』
ロリポリ
あのいかつい見た目の大きな隕石にはあまり似つかわしくない、なんとなくかわいい名前だけれど。
「ははあ、「roly-poly」。英語の幼児語だねー。意味は「ダンゴムシ」だよ」
ニヤリと笑って、Lがそう教えてくれる。
幼児語、なるほど、それでどことなくかわいい響きなのかな。
ダンゴムシは、見た目通りで、わかりやすいと云えばわかりやすい。
「じゃあ、オレたちをここへ連れて来たのは、あんた、アルカナのM-0ちゃん、って事でいいのかな」
Lが尋ねると、今度も一瞬の沈黙の後で、
『肯定。その通りです』
そうM-0は答えた。
「ふーん、それでオレたちにいったい何の用なの」
そう尋ねたLに対して、M-0の沈黙は少し長かった。
やっぱり、AIのような印象を受ける。
「はい・いいえ」で答えられる質問に対してのレスポンスは早いけれど、何かを説明するとか、考えて話すとなると時間がかかる、のかな。
『キクヒコが、助けを求めていました』
そのM-0の答えは明瞭だったけれど、僕には少し意外な印象だった。
キクヒコさん?M-0は、彼と知り合いだった、の。
ふと見るとガブリエルと眼が合って、彼は首をかしげてみせる。知らない、あるいは、わからない、という事かな。
確かにあの時、キクヒコさんは云っていた。
「参った。助けてくれ」と。
その後、「ガブリエル、そこにいるんだろう」と続けていた事も考えると、キクヒコさんが助けを求めたのは、Nの中にいたガブリエルだったはず。
その言葉を聞いて、M-0は自らの意思でキクヒコさんの援護を買って出て、僕らを自身の意識空間へ連れて来た、と云うのだろうか。
『肯定。私が、キクヒコの代わりに、キクヒコが伝えようとしていた事を、あなた達に話す事ができるのでは。そう考えました』
しっとりと落ち着きのある大人の声で云われたから、なのかな。
少し意外な感じはしたけれど、違和感は特に覚えなかった。
タイミング的にも、ごく自然だったように思える。
キクヒコさんが限界に達し、眠りに落ちるのと同時に、僕らをここへ招き入れた、のだとすれば。
「ん?じゃあ、M-0ちゃんはどこにいるの。オレたちとキクヒコのやりとりを見てた、ってことだよね?」
Lが尋ねるのも、もっともだった。
あの場にいて見ていたのでなければ、あれほど見事なタイミングで、僕らをここへ連れてくる事はできなかったのでは。
偶然、と考えるには、あまりにもきれいにタイミングが合いすぎていた。
『肯定します。見ていました。私は、ロリポリの中にいます。ひとつ補足すれば、先程のあなたの予想通り、キクヒコの意識も今はロリポリの中で眠っています」
さらりと落ち着いた声で、M-0はそう云った。
ロリポリの中にいる
キクヒコさんの意識もそこで眠ってる
ロリポリが隕石ではなく灰色の「泡」を持つ巨大な生物であるのなら、その中に「王」であるM-0とキクヒコさんの意識がいる、その事自体は特におかしな事ではない、のかな。
けれど、やっぱり、びっくりしてしまう。
ロリポリが、生物である事に、なのだろうか。
いや、それもだけれど、ロリポリが生命でその中にM-0がいて、そのM-0の意識空間に僕らがいる、という事に、だよね。
つまり僕らの意識は今、あの隕石の中にいる。
LがNを胸に抱いたまま、僕の隣に並んでニヤリと笑いかけてくれる。
いつもの陽気な、あの笑顔で。
すっと左隣からJの右手が伸びて、僕の左手をぎゅっと握る。
僕が、怖がってやしないかと心配したの、かな。
見るとJは小さく首を横に振って、「ふふふ」と魔法の声で笑った。
M-0との会話をLに任せ、黙って事の成り行きを見守っていたガブリエルが、ここで口を開いた。
「キクヒコは、ボクらに何を伝えたかったんだろう。M-0には、それがわかるの」
ガブリエルはそう、M-0に尋ねる。
思えばキクヒコさんは、いつも時間切れで伝えたい事を伝え切れない印象があった。
「時間がない。最低限必要な事を伝えておく」
8年前、僕の中に入ったガブリエルにそう云って、能力や王について駆け足で伝え、ルリおばさんの救出に向かった。
そして今日も「おれは、おまえたちに、ここを、見せようと」その思いだけで、稼働限界を超えてまで、僕らをあの地下へ導いた。
『肯定。キクヒコから聞いたわけではありませんが、おそらく、私と同じ思いのはずです』
そこで少し言葉を切って、M-0は続ける。
『私が、あなた達に伝えたいのは、私達のこと、そして、あなた達のことです』
そう云った。
私達のこと、つまり、アルカナのこと。
そして、あなた達のこと
僕たちのこと?
『肯定します。先程、「アルカナは、何」と問われて、私は「私達の種全体を指す呼称」と答えました。それは、間違いではありませんが、答えとしては不十分です。それを承知で、そう答えました。正しい答えは、アルカナとは何であるか、その詳細を説明することです。それを、あなた達にお話ししましょう』
アルカナとは何であるか
それとは直接関係がないかもしれないけれど、M-0の声を聞いた時から、僕には気になっている事があった。
この「灰の海」はM-0の意識空間。そして、M-0は、「王」で、ロリポリの中にいて、僕らを見ていた。
そうなのだとして、ではM-0の体はどこにあるの、という事だった。
意識は、ロリポリの中にいる。それなら、本体はどこにいるのだろう。
僕らの意識は今、M-0の意識空間にいる。でも体は、あの工事現場の下の、ロリポリのいる広い地下空間にいる。
M-0の体も、あの地下施設のどこかにいるのだろうか。
僕の心の声に応えて、
『あなたのその疑問にも、これから話す事が答えになるでしょう』
何も知らない子供を教え導く、やさしい先生のように、M-0は云う。
僕もLも、そしてガブリエルも、固唾を飲んで次の言葉を待つ。
僕の左手を握るJの右手に、ぎゅっと少し力がこもるのを感じた。
『あなた達にもわかりやすいように、彼らの言葉を借りる事にします。彼らが、私たちを説明する時に使っていた言葉をそのまま、です』
ごお、と一際激しく大地が鳴った。
遠くの干上がった海の底がばりばりと音を立てて裂け、赤黒いマグマが血のように吹き出している。
M-0の心の声は、それらの騒音をものともせずに、僕らの心に直接響く。
『アルカナとは、「地球外生命体」です。そしてそれは「肉体を持たない、意識生命体」です』
雷鳴のような大地の裂ける轟音が響き渡る中、M-0の声は穏やかにやさしく、まるで天使の囁きのように、僕らの心にまっすぐに届いていた。
arcana
屋根裏ネコのゆううつ