give it back to me ii

屋根裏ネコのゆううつ

オレンジ色の海を見た。
これは、夢、だけれど
僕の心象風景、僕の意識の中。
つまり僕は今、体のない意識体の状態で眠りについて、夢の中で僕の意識空間につながっている、の?
なんだか、おかしなことになっているような。
いや、おかしくはない、のかな。
僕の意識は今、となりのガブリエルの部屋のベッドで眠ってる。
そして、夢の中で、カーテン1枚隔てただけの、この「オレンジの海」につながってる。
自分の部屋にいながら、屋根裏にいる夢を見ているようなもの、なのだとしたら、別におかしくはないのかも。
ガブリエルからは「少しずつ回復してる」と聞いていたけれど、まだ、海には灰が降っていた。
でも、しんしんと降りしきる、というほどではなく、はらはらと舞い落ちる、くらいの小降りになっていた。
空はまだ暗いけれど、空を覆っていたまだらの黒い染みが薄く小さくなっているようだった。
元のオレンジ色の空の範囲が、昨日よりも少し広がっているように思える。
止まっていた波も、今はゆるやかに打ち寄せていた。
波打ち際に降り積もった白い灰が、寄せては返す波に少しずつ洗い流されている。
灰が洗われた場所には、元のきれいな星の砂浜が、顔をのぞかせてた。
本当に少しずつではあるけれど、確かに回復はしているらしい。
途切れ途切れになっていた声は、きちんと届くのだろうか。
試してみようかと思ったけれど、さて、どうやって、呼びかけたらいいのだろう。
ぼんやりと、そんなことを思いながら、波打ち際を裸足で歩いていた。
あたたかな風がゆるく吹いている。
しばらく、そうして風と波の音を聞きながら、冷たい水に素足を洗われる心地良い感触に浸っていた。
やがて、水平線がきらきらと輝きだして、見れば、ふたつの太陽が並んで昇って来ている。
さっきまで空が暗かったのは、まだ日が昇っていなかったためらしい。
まぶしい二重の太陽に眼を細めて、きらめく海を眺めていると、
「K!」
不意に、後ろから僕を呼ぶ声がきこえた。
少しハスキーがかった、やわらかな声。
振り返ると、そこにJがいた。
まぶしい朝日を浴びて、白い袖なしのワンピースの裾をはためかせながら、灰の積もった砂浜を駆けてくる。
ずいぶん、久しぶりにJに会った気がした。
もう半年とか何か月も、顔を見ていなかったような気がするけれど、そんなことはない、よね。
お祭りに行ってからまだ1週間ほどしか経っていないし、お見舞いに行ったのはほんの2、3日前のはずだった。
息を切らして駆けてきたJが僕の眼の前で止まって、両手で僕の両手をつかまえてぎゅっと握った。
意識だけの体でも、走ると息が切れるんだな、なんて、ぼんやりと僕は思ってた。
「K!」
眼の前にいるのに、遠くにいる人を呼ぶみたいに、大きな声でもう一度Jは僕を呼んだ。
「J。・・・ええと、おはよう?」
何と答えていいのかわからず、僕は、そう云った。
我ながら、何と云うか、間が抜けてる気はしたけれど。
Jは、困ったような、今にも笑いだしそうな、あるいは泣き出しそうな、複雑な表情をして
「うん、おはよう」
絞り出すような声でそう云って、ぎゅっと握った僕の両手を、ぶんぶんと上下に振ってた。
何か、ちゃんとそこにいるのを確かめてるみたいな、今にも消えてしまいそうなのを引き止めるみたいな、そんな風に見えた。
何かを云おうとして、Jは口を開いて、まだ息が切れているのと、たぶん、Jも何て云えばいいのかわからなかったらしく、そのまま、下を向いてしまった。
「J、とりあえず、座ろう」
砂浜に手ごろな流木でもあれば、と見渡したら、すぐそこに、思い描いた通りの手ごろな流木がふわりと現れて、「何でもありだよね」というガブリエルの言葉を思い出す。
そうだった、この広い「オレンジの海」全体が、僕の部屋なのだった。
それなら、と思って、流木の上にクッションをふたつ出して、置いてみた。
本当に「何でもあり」だった。
下を向いて肩で息をしていたJが、
「あ、この流木、あの海辺にあった?わたしが、眠った時の」
不思議そうな顔をしながら、それでも素直に腰を下ろして、云う。
謎のふかふかクッションが置いてあることよりも、流木の形状が気になるとは、さすがは庭師、というところかな。
僕のイメージ力が貧困すぎて、直近に見たあの海の流木がそのまま出てきちゃった、というただそれだけの事なのだけれど。
Jに両手を握られたまま、僕も並んで流木に座り、Jの息が整うのを待つ。
ゆるやかな海風に、切りそろえられたJのまっすぐな前髪がさらさら揺れてた。
Jは、ふう、と大きくゆっくり息を吐いて、そしてすぐに息を吸って、僕の顔を見て、
「K、だいじょうぶなの?今どこにいるの?いったいなにがあったの?」
一息に、そう云った。
いつもゆっくりと一言ずつ話すJにしては、珍しい。
それだけ、気が急いている、という事なのだろう。
「うん。心配かけてごめん、だいじょうぶ」
ひとまず、そう答えた。
だいじょうぶ?うん、間違ってない。とりあえず今は、だいじょうぶ。
どこにいるの
なにがあったの
そのふたつの質問には、どう答えたものだろう。
どこにいるのかは、半分は答えられる、意識の方は。体は、わからないけれど。
なにがあったのかは、話せばとても長くなるのだけれど。
少し考え込んでいると、Jが
「ううん、ちょっと待って。Lも呼ぼう」
そう云うなり、ぱっと上を向いて
「L!起きてー!」
今まで聞いたこともないような大声で叫んだので、びっくりした。
え、「オレンジの海」での「通話」って、こうするの?
こんな、何て云うか、原始的というか、アナログな感じなの。
「うるっせーなー、聞こえてるよー」
すぐ後ろで、元気なハスキーボイスが聞こえた。
振り返ると、制服姿のLがニヤニヤ笑いを浮かべながら、こちらに向かって砂浜を歩いてくる。
でも、なんで、制服なの。
しかも相変わらず、雑に着くずしてるし。
「起きてたし、さっきから見てたよー。目が覚めて、海に誰かいるのがわかったから、すぐのぞいたら、Jが砂浜を猛ダッシュしてたからさー。何かまた、ふたりで面白コントでも始めるのかなーと思って、見てた」
本当に寝起きらしい。寝ぐせでもしゃもしゃの金髪を海風になびかせて、顔はまだ半分寝ぼけているみたいにぼんやりしてる。
よっこらしょ、と、Lは中年のおじさんみたいに云って、僕をはさんでJの反対側に腰かけて、ニッと笑った。
「んで、この惨状はいったいなんだよ?これ、おまえの意識空間なんだろ?」
さらりと云う。
さすがは、L。気づいてたんだ。
「まあ、こうなったから、気づいたんだけどねー。意識がこんだけズタボロって、何事かと思ったぜー。でも、とりあえず、こうしてまた戻って来れたんだ、ひとまず「意識は」無事ってコトで、何よりだねー」
ぽんぽん、と僕の背中を軽く叩いて、Lは口元に苦笑いを浮かべる。
意識は。
じゃあ、体が行方不明なことも、もう知ってるの、かな。
「うん。昨日、夜にアイから電話があってね。さんざんあいつの家に電話かけまくってやったから、着信履歴がオレだらけだったんじゃね?あいつ、昨日、おまえんちに行ってたんだって。おまえの父さんと一緒に、おまえを探しに出たりもしてたらしい。今日の午後に、あの公園で会うことになってるよ。何かあいつも話したい事あるって云ってた」
左隣のJを見ると、無言でうなずいてた。
アイの事は、Jもすでに共有されていたらしい。
久しぶりに見た気がするJのきれいな灰色の眼が、やさしく労わるように僕を見ていた。
心なしか、少し潤んでいるようにも見えた。
いったいなにがあったのか、
この惨状はなんなのか、
ふたりの質問に答えるために、一昨日、土曜日の午後から起こった出来事を、順に思い出しながらゆっくりと話した。
警告音を耳にして、家を出てコンビニの前でルリおばさんを目撃したこと。
彼女の後を追跡すると、防空壕のような地下道に入り、そこで懐中電灯の罠に嵌ってヌガノマに襲撃されたこと。
間一髪のところで、黒ネコのNの体を借りたキクヒコさんに助けられたこと。
そして今、僕の意識は、そのままNの体の中にいること。
約束があったので、ガブリエルのことは、黙っていた。
昨夜、ガブリエルから聞いた話は、Nからの「情報」として、当たり障りのない範囲でふたりに共有した。
話の途中、Lは何度も口を挟みたそうに何かを云いかけ、その度にJに「L」とたしなめられて黙り込んでいた。
そのJはと云えば、口に手を当てて必死に何かをこらえたり、ぎゅっときつく眼を閉じたり、そうかと思えば眼をまんまるにしてぽかんと口を開けたり、相変わらず表情豊かな百面相を見せてくれていた。
一通り話し終えると、「オレンジの海」に静寂が訪れた。
やさしい波の音と風の音だけが、僕らをやわらかく包み込んでいるような、心地の良い静けさだった。
そのしばしの静寂を破ったのは、いつも明るく元気なハスキーボイスだ。
「あー、もう喋ってもいいか?」
遠慮がちに、Lが口を開く。
うん、と僕の左で小さくJがつぶやいて、うなずいた。
コホンとLは咳払いをして、大きく息を吸い込むと、
「おまえ!」
右の鼓膜が破れるかと思うほどの大声で云った。
思わず右を向くと、Lから、額にべしっとチョップを食らった。
痛くはなかったけれど、びっくりした。
「おまえ・・・おまえさー」
Lは、怒っているらしい。
下を向いて、わなわなと着くずした制服の肩を震わせてた。
けれどすぐに、「はあ」と大きなため息とともに肩を落として、顔を上げたLは、いつもの陽気な笑顔だった。
「なんでもかんでもひとりで背負い込む困ったやつだとは思ってたけど、あーあ、そーいうことかよ」
困ったような笑顔のまま、あきれたように、Lは肩をすくめてみせる。
そーいうこと
どういうこと?
「おまえ、2回目なんだなー。道理で、子供のくせに年寄りじみた落ち着きがあるわけだぜー。納得」
2回目?
納得?
僕の何が2回目でLが何を「納得」したのか、僕にはさっぱりわからないのだけれど。
「ジンセイが、だよ。2回目なんだろ。ゲームで云う、周回プレイみてーなもんだろー。そりゃ、たいていの事には動じないわけだよなー。記憶はないにしても、経験値が桁違いだもんな。アイや担任の先生ごときにビビるわけないよなー、だってこっちは80年のジンセイ経験があるんだからさー」
経験値?人生経験?
そういうことなの。
僕の、この、何というか、怖いもの知らずな、向こう見ずな、ところ?
一見鈍感にも思えるこれは、先代「キクタ」の経験値?
「あー、なるほどなあ。だから時々、おじいさんみたいな?おじさんみたいな?とこ、あったんだねー」
Jまで、妙に納得したみたいに、ぽんと手を打っている。
まさか、だった。
この一連の話の中で、まさか、真っ先にLが食いつくのが、そこだとは。
ヌガノマでも、Nでも、ルリおばさんやキクヒコさんでもなく、先代の「キクタ」
でも、云われてみれば、確かにそうなのかもしれない。
先代の「キクタ」こそが、僕ら全員にとっての「木」であり「王」なのだから。
彼とキクヒコさん、ルリおばさんとのつながり、そしておそらく、祖母とのつながり、さらにLやJ、ガブリエルも、その「枝葉」、もしかしたら、あのヌガノマも・・・。
「イレギュラーどころか、おまえがメインだったとはなー。いやー、やられましたなー」
イレギュラー
4人の赤ちゃんに、僕が含まれないのに、僕にも「能力」がある、という話だった、かな。
その僕が、メイン?
確かに、その発想はなかった。
「でも、だからって、おまえがひとりで無茶してもいいって理由にはならねーぞー。おまえが一番年下で、ちびっ子なことに変わりはねーんだからな。さっきのチョップは、それなー」
キッと少し怖い顔をしてそう云って、すぐにLはにやりと笑う。
「そうだよ。いくら中身がおじいさんでも、Kはまだ2年生なんだからね」
Jも珍しく、しかめ面で僕をにらんでた。
あ、うん、ごめん。Jもチョップ、する?
おずおずと頭を向けると、Jはにっこり笑って、僕の頭をまるでぬいぐるみでもなでるみたいに、やさしくふわふわっとなでた。
「ん?中身はおじいさんじゃねーだろ。装備もステータスも子供並みで、経験値だけが80年分なんだぜ?」
「だから、80年の人生経験、つまり、おじいさんってことでしょ、中身がね。とっても心配性のおじいさん、だよ」
人差し指をぴこんと立てるいつものポーズで、Jがまじめにそう云うと、Lは、ぷはっと吹き出してた。
「うん。まあ、おまえの理解もまちがってはないよね。だからそれでいいや」
Jは、どうしても僕をおじいさんにしたいらしい。
まあ、Lの云う通り、大筋では間違ってないのだろうけれど。
それに、だったらJを、まるで眼の中に入れても痛くないかわいい孫のように思う気持ちが、僕の中に全く1ミリもこれっぽっちもないのかと云えば、それはそれで、何故か否定できない気がした。
ので、まあ別にいいか、ということにしておこうと思った。
「それにしても」
Lが、そんな僕の複雑な心境を察してか、かすかに笑みを浮かべながら話題を変えてくれる。
「あいつ、ほんとにバケモンだったんだな。80年前の軍人って事は、何歳なんだよ。余裕で100は超えてんだろなー」
確かにそうだった。
ヌガノマが80年前にすでに軍人、つまり大人だったのならば、あの眠りと覚醒を何度も繰り返す事で、ほとんど年を取っていない、という事になる。
見た目は、何歳くらいに見えただろう、と数日前の記憶を辿る。
地下で暗かったし、真っ黒に汚れたあの顔からは、外見の年齢は判断し難いけれど。
40代か30代?いや20代と云われても違和感はないかもしれない。
少なくとも、絶対に老人には見えなかった。
それに、何度も繰り返しているという長い眠りの間、あいつの意識は、いったいどこにいるのだろう。
僕らと同じように、どこかの動物の中にいるはず、だとは思うけれど。
「それも含めて、あいつは全部が「呪い」だと思ってんのかもな」
考え込む表情になって、Lがぽつりとつぶやくように云う。
それも含めて、呪い?
80年以上も続く、短い覚醒と長い眠り。
「そう。あいつは、どうも「能力」についてまるで理解しようとしてないように思えるよね。いや、「王」の居場所を探したり、他人の体に意識を移したり、っていう、その使い方については、無意識か意識してかはともかく一応わかってるっぽいけどさ。使いすぎるとどうなるとか、他人の体に意識を入れるリスクとか、そういう仕様の部分は全く理解してないし、まるで気にもしてない。まあ誰も教えてくれないんだから、わかるはずもないんだけどね。って云うより、端から理解する気がないような、考えることすらしてないって印象だなー。最初から「呪い」だとか決めつけて、拒絶感や嫌悪感しかないのかもねー。そんな状態で、目的のためか何か知らねーけど、むやみやたらと「力」を使って、他人の体に意識を入れて、記憶をすり減らしまくってるわけだろ。短期間しか起きてられねーってのもおそらくそれのせいなんじゃねーかな。そうして、あっという間に負荷がたまって、あの眠りでどこかの動物の中にその意識が入るわけだけど、それもやつにとっちゃわけのわからない「呪い」なのかも。だって、あいつの意識空間が、明るく楽しい素敵な場所だと思うか?思えねーよなー。暗い恨みつらみのどろどろ渦巻く空間じゃね?何年も十何年も、眠ってる間はずっとそこに「閉じ込められてる」とかあいつは思ってるんじゃねーかな。しかもそれが「呪い」だと思って嫌悪感しかないわけだから、オレたちみたいに動物と意思疎通して、楽しく過ごそうなんてこれっぽっちも思わないんだろうしなー。動物の意識も「呪い」の声か何かに聞こえてんのかもね。そして目覚めると、すり減らしたおぼろげな記憶で「王」を探し求めて、また「力」を使いまくる。その繰り返し。つまり「呪い」の悪循環、負のスパイラルってやつだね」
ぽつりぽつりと考えながら語るLの推察は、いずれもその通りに思えた。
ひとつ、ふと思ったのは、数年から十数年という眠りのサイクル。
ひょっとしてそれは、動物の寿命なのでは。
「ああ、なるほどな。元の体に戻る方法もわからない、のか。だからその動物が死ぬまで、ずっと体から出られず眠り続けてる。あり得るな」
Lは淡々とそう云ったけれど、僕は恐ろしい想像をしてしまい、ゾッと背筋が寒くなるのを感じた。
もしも、今、ヌガノマが僕の体に入っているのだとしたら?
あいつがそのまま、地下のどこかに隠れて姿をくらましてしまったら?
いつか、僕の体が寿命を迎えるまで、ずっとこの状態が続く、という事になるのだろうか。
「いや、そんなことにはならねー。オレの「線」で、おまえの体はぜってー見つけてやるよ」
がしっと、僕の肩を組んで、力強くLは云った。
本当に、こういう時のLはとても男前でかっこいい。見た目は、制服を着くずした美少女なのに。
「それにさ、こっちには「空飛ぶミニーチャン」もいるしなー、はっはっはー」
Lは照れ隠しのようにおどけて笑う。
「だから違うってば。ミニーちゃんってなに?」
Jは僕の肩に乗ったLの左手をぺちんと軽く叩いて、
「でも、何だかかわいそうな人だね。80年も、そうやってひとりで暗い場所で苦しんでるんだとしたら。あ、でも、だからって、もちろん、ガブリエルを誘拐したり、Kを襲ったりしたことは、絶対に許さないけどね」
神妙な顔をしていたかと思えば、最後にはぷんぷん怒り出した。
ヌガノマの身に起きた不運と不幸、そしてその長い年月を思えば、確かにJの云うように、同情の余地もなくはない、気はする。
けれど。
「うん。いくらどんなに不運で不幸だからって、同じように他人を不幸にしてもいいって事にはならねーからなー。やっぱりオレの一生許さねーやつリストの第1位は、いまだにあいつで揺るぎないなー」
Jの怒りが伝染したのか、Lも怒っているみたいだった。
云い方はいつもの陽気な感じだったけれど、表情は険しかった。
「Kの体はもちろんだけど、Kのおばさんも、だね。無事だといいけど」
Jがヌガノマへの怒りを収め、心配そうな顔で云う。
「うん。おまえが昨夜ひとりで、ネコチャンの体で襲撃現場の検証に行ったのは、全然誉められたことじゃねーけどな。でも昨夜の時点で、現場に誰ひとり残ってなかった、って事がわかったのにはでっかい意味があるなー」
Lがちらりと僕をにらんでから、また考え込む表情になって、云う。
「おまえの想像通り、どっちがおばさんの体の主導権を持ってたとしても、負傷した自分の体と眠りについたおまえの体をまとめて現場から移動させるには、ちょっと無理があるよね」
そして、Lは言葉を切り、少し下を向いて、眉間に深い皺を寄せる。
何か、嫌な想像をしてしまったみたいに。
「うん。考えたくねーけど、可能性で云えば、あいつの意識がおばさんの体から出て、おまえの体を奪ったんだとしたら、おまえの体が現場になかった事の説明はつくけど、な。おばさんも自分の身ひとつなら、どうにか自力で脱出できたかもだし」
やっぱり、Lもそう思うのか。
「ひとつわからねーのは、キクヒコ?がどこへ行ったのか、だけど。ネコチャンの話じゃ、おばさんは以前にもあいつに体を奪われて、その時はキクヒコがあいつの体を奪うことでおばさんを解放した、って事だったよな。なら、今回も同じ事をしたのかも。おまえをネコチャンの体に入れて逃して、自分はヌガノマの体へ飛んだ。「輪」の力とやらで飛べるんだろ、キクヒコは」
なるほど、それは考えなかった。
確かにそうかもしれない。それなら、ルリおばさんは自分の体を取り戻して、ひとりで脱出することができる。
「でも、それで「王」の、Kの体をヌガノマに取られちゃったら、何にもならないんじゃない?」
Jが不服そうに云う。
それもそう、だけれど。
「ごめんな」という、あの時のキクヒコさんの言葉。
じゃあ、あれは、僕に云ったのかな。
ヌガノマに体を奪われることになるけど、ごめんな?
そういう意味だったのだろうか。
僕の意識さえ無事に救出できれば、体は二の次、どうでもよかった、とか?
あるいは、ヌガノマの狙いが僕の体を奪う事だったとは、キクヒコさんにも思いもよらない事だったのかもしれないけれど。
「この「海」の惨状が、おまえが受けた精神的なダメージだけじゃなく、ヌガノマに体を奪われた影響もある、って考えることもできるよな。そんなの考えたくもねーし、まあ、実際どうかはわからねーけど」
実際どうかはわからない。
Lの云う通りだった。
ヌガノマの考えは僕らにはわかるはずもないし、あの襲撃現場であの後なにが起きたのかも僕らには知る由もない。
可能性でいえば、何でもありそうに思えてしまう。
「じゃあ、一番はKの体を見つける事、だね。二番はおばさんの無事を確認する事、かな」
思考の深みに嵌りそうな僕を、Jが掬い上げてくれる。
「だなー。見つけて、その後のことはその後だ」
Lもそう云ってうなずいて、
「あいつに奪われてなけりゃ、それでヨシ。もし奪われてたら、どうにかして取り戻す。あいつに体を奪われても、「王」は「海」とのつながりも記憶も失わない、ってことでいいんだよな。あー、また嫌なこと云うけど、「王」は「海」そのものだから、つながりは失わないかわりに、壊されちゃうのかもしれねーな、「海」自体がさ」
今のところ、「海」に異常がある以外は、記憶には特に問題がないように思える。
昨日、襲撃の時の記憶が混乱していたけれど、「大半を失う」とは、また違うはず。
でも、Lの云うように「海」が壊されてしまう?のだとしたら、そっちの方がはるかに重大な問題なのでは。
海が「壊されて」しまえば、僕だけがつながらなくなるのではなく、みんながつながらなくなる。
「王」が「海」そのものなのだから、それは、そうなのだろう。
けれど、実際には、「海」は昨日よりも、少なからず回復しているように見える。
まず、途切れることなくつながっているし、風景も少しずつだけれど回復してる。
ひょっとしたら体は、ヌガノマに奪われていないのだろうか?
でも、だとしたら、どこへ?
考えても答えが出ないことは、重々わかっているけれど、それでも考えずにはいられなかった。
「うん、気持ちはわかる。でもまあ、焦るな。まだこっちには見てない手札もあるぜー」
Lはそう云って、ニッと笑った。
「まあ、あんまりアテにできねー手札だけどなー。なんたって、あの、アイが持ってるやつだからさー」
肩をすくめると、Lの着くずした制服の上着が、肩口を滑り落ちそうになってた。
そうだった。Lに「話したい事がある」と、アイは昨夜の電話で云ってたらしいけれど。
いったい何だろう。
こう云っては悪いかもしれないけれど、確かに、Lの云うように、あまりアテにできなさそうな気がした。
アイのことだから、また何かとんでもない勘違いをしてるとか、あるいは怪談かオカルトめいた話とか。
そうでないといいけれど。
「ところで」
Lがあらたまって僕の方を向いて、
「いつ突っ込もうかと思って、Jに止められたり、話の流れでそのままスルーしちゃってたけど、もういっこ聞いていいか?」
Lにしては珍しく、なんだか遠慮がちな質問の仕方だった。
僕がうなずくと、
「あのさ、おまえのネコチャン、言葉を話せるわけ、じゃないよな?さっきのおまえの云う「Nの話」は、意識を通じたイメージの共有てきなものを、おまえの解釈で翻訳したもの、ってことでいいんだよな?」
言葉を話せる
Nの話?
一瞬、Lが何を聞いているのかわからなかった。
「いや、文字通りなんだけど?ネコチャンが自分で「私の名前はNです」って日本語でしゃべるわけじゃねーんだよな?」
え、しゃべる、けれど。
あれ?ラファエルは話せないの、かな。
いや、考えてみれば、犬やネコが人間の言葉を話せるわけは、ないのかな?
こちらの云う言葉を、Lの云う「意識の共有」てきなもので多少は理解してくれていたとしても。
え、でも、Nは普通に話していたけれど。
忘れもしない、Nの第一声は、「やれやれ、気づくのが遅すぎですね。アナタ、本当にキクタなのですか?」だった。
はっきりきっぱり、日本語で。
「なんだと?」
Lの声が、1オクターブほど跳ね上がってた。
驚いて、というより、心配するような眼で僕の顔をまじまじと見て
「おい、おまえ、あいつに首絞められすぎて、まだ脳に酸素が足りてねーとかじゃねーよな?まさか幻聴とか聞いてるんじゃ・・・」
「どうして?ラファエルはしゃべらないの?」
Jが、そう云って、さらりと割り込んで来る。
見れば、不思議そうに小首をかしげてる。
「ああん?何だおまえら、オレがおかしいっての?え、じゃあ何、Jのミニーチャンもしゃべるの?」
Lは驚いた顔で、僕とJとを見比べてる。
「ミニーちゃんじゃないけどね」
真面目なJはきちんとそこを否定してから、
「しゃべるって云っても、Kの話してくれたNちゃんみたいに流暢な日本語じゃないけど。カタコト?っていうの?外国人留学生みたいな」
人差し指をあごに当てて、思い出すように空を見上げながらそう云った。
どういうことだろう。
Lの反応を見る限り、おそらくラファエルは、しゃべらないのだろう。
Jのミニーチャン、ではなく、空飛ぶ仲間は、片言の日本語でしゃべるらしい。
Nは、人間相手に話しているのとほとんど違和感がないくらい、流暢な日本語をしゃべる。
僕の幻聴や何かではなく、間違いなくしゃべっていた。
ただ、思い返してみると、ところどころ、機械的というか、テンプレっぽいというか、
例えば、「キクヒコは云いました」とか、「ワタシにはわかりかねます」とか、決まったフレーズを何度も繰り返し使うようなところは、あったかもしれないけれど。
Nが特別なのかな。
普通は、しゃべれないか、しゃべれたとしても片言くらい、なのだろうか。
「うーん」
渋い顔でぎゅっと眼を閉じ、腕組みをして考え込んでいたLが、パッと眼を開いた。
「学習、か。動物たちの意識も、学習してるのかも」
学習?
「言葉を?」
僕とJの疑問は、ほぼ同時だった。
「うん。ラファエルは、今回初めてなんだ、人の意識が中に入るのが。だから、意思疎通はできるけど、まだ、しゃべれない。ネコチャンは、先代「キクタ」とキクヒコ?が長年ほとんど途切れなく中にいたって話だったよな。だから、その時間に少しずつ言葉を覚えてしゃべれるようになっていったんじゃねーかな。ミニーチャンは、その中間。たぶん、Jの前にも、人の意識が中に入ったことがあるはず。一度か二度かはわからねーけど、初めてじゃないんだろね。だから、片言でもしゃべれる」
そう云うなり、Lはそわそわと立ち上がり、
「オレ、ちょっとラファエルに入ってくるわ」
「ダメ」
振り返って砂浜を走り出しそうになるのを、すでにその行動を先読みしていたらしい、Jが素早く腰を浮かせて腕を伸ばし、制服の裾を捕まえて止める。
「何でだよ。おまえらだけ狡ぃぞ!オレだってラファエルとしゃべりたいんだよー」
裾を引っ張られたせいでまた肩口からずり落ちてしまった制服の上着には気にも止めずに、Lは切々とそう訴えてる。
気持ちは、わかる、けれど。
「起きたばっかりなのに、またラファエルに無理させるつもりなの?それに、今キミまでラファエルに入っちゃったら、誰がアイの話を聞くの?」
Jが云うことは、いちいちもっともだった。
Lもわからずやではないので、そう云われては大人しく引き下がるしかない、よね。
しゅんと肩を落として、黙ってまた流木に腰掛けてた。
制服の上着が、半ば肩からずり落ちたままだったので、そっと手を伸ばして直してあげた。
「クロちゃんだよ」
Jが唐突に、ぽつりと云う。
例の、空飛ぶ仲間の名前、かな。
うん、とJはうなずいて
「お庭に招いてお話しした時にね、聞いたの。あなたのお名前は?って、そしたら、カタコトで「クロウ」って。だから、じゃあクロちゃんって呼んでいい?って聞いたら「ハイ」って」
クロちゃん
クロウ?
「Lの説で云うなら、前に入った人が名前をつけたのかもね。カラスだから、クロウって」
カラス
何となく、そんな気はしてた、かな。
いや、あの公園が何かの「力」に守られた特別な場所なのだとしたら。
そこにいた動物、黒犬、黒ネコ、カラス。
黒犬は、ラファエルで、黒ネコは、Nだった。
だから、消去法で云えば、残るのは、カラス。
そして、「空を飛べる」というJのヒントからも。
「じゃあ、話し合いはうまく行ったんだな」
Lが顔を上げて、そう尋ねる。まだ少ししょんぼりしていたけれど、Jの話には興味津々なのだろう。
「うん。話してみたら、とっても紳士的ないい子だったよ。「じゃあ食事の時は、そう云うから、見えないようにJはお庭にいて」って云ってくれた。あ、もちろん片言だから「J、アナタお庭、イイデスカ?」みたいな感じだったけど」
「おお」
Jの丁寧な説明に、Lは青い眼をきらきらさせてる。
「それと、死骸を食べる件も思い切って聞いてみたの。いい子だし、きっと何か理由があるんだと思ったから」
し・・・
と云って口ごもっていたのが嘘のように、Jはきっぱりと云う。
何か、吹っ切れたのだろう。理由を聞いて、きちんと納得したことで。
何事にもまっすぐに向き合う、Jのすごいところだ。
「あの子にとって、それは、なんて云うか宗教的な意味があるみたい。仲間の死骸を食べる事で、亡くなったその子が自分の体の中へ入って、その魂がきちんと生まれ変われますように、っていうお祈りがこもってるんだって。それと、死骸が他の動物や何かに荒らされないようにっていうやさしい思いもあるみたい。だから、わたし「知らなかったよ、失礼なこと云ってたらごめんね」って謝ったよ」
「ほう、なるほどなー」
Lはもうすっかり、眼を輝かせてJの話に食いついてる。
さすが、なのは、Jの方だろう。
Lの扱いをばっちり心得ているところが。
それを知りつつ、素直に食いつくLも、とてもかわいい、良い子だ。
「ぷっ」
Lが突然吹き出したので、びっくりした。
「おまえ、それ、完全に「かわいい孫たちを見守るおじいちゃんの視点」じゃねーか」
僕を指さして、楽しそうに笑ってる。
「ね。先代の話を聞いちゃったら余計にね、今の、すごくおじいちゃんっぽかったよ」
Jもくすくす笑い出した。
そんなこと云われても、僕はただ素直な感想を述べただけ、なのだけれど。
特に意識しておじいちゃんぶってるとか、そんなつもりなんてさらさらないのだし。
じゃあどうすればいいのか、わからなくて、困ってしまう、のだけれど。
「いや、どうもしなくていい。おまえはそのままでいいよ、面白いから」
そんなに面白かったのかな、笑いすぎて涙目になりながら、Lは云う。
まあ、楽しそうで良かったけれど。
「Lは、もう。云い方がちょっと意地悪だよね。でも、「そのままでいい」ってところは、わたしも一緒かなあ。Kらしくて、いいと思う」
Jの「魔法」の声でそう云われてしまうと、じゃあ「そのままでいい」かな、と思ってしまうのだけれど。
ガブリエルの「Jにもめっぽう弱いよね」という楽しそうな声が脳裏によみがえりそうになり、慌てて消した。
「約束」のために、できるだけ考えないようにしないと。
油断したら、どこでうっかり「心の声」がもれてしまうかわからないのだから。

「じゃあ、わたし、Kの体を探しに行くね」
ひと通りの話が終わると、Jはそう云って、すっと立ち上がる。
真面目なJらしく、朝から真面目に僕の体を探しに行ってくれる、もちろんそれは、とてもうれしくて、ありがたい事だった。
でも、その真面目な表情には、どこかわくわくしているような、高揚感みたいなものも伺えた。
そのわくわくの正体を、僕も、そしてLも知っている。
Nのネコの体で初めて屋根から飛び降り、夜の街を疾走した時の、あのわくわくするような高揚感。
あれと同じような感覚を、おそらくJも感じているのだろう、クロちゃんの体で、僕の姿を探して空を飛びながら。
文字通り飛ぶように砂浜を駆けて、Jは、自分の「お庭」へと戻って行った。
僕と同じことを思っていたらしい、LがそんなJを見てうれしそうに「ふふふ」と笑ってた。
灰が積もった星の砂浜の片隅に四角い窓が開いていて、その向こうに、緑あふれるJのお庭の風景が見えていた。
Jが窓をくぐって向こう側へ姿を消し、窓が閉じると、そこには何もなくなった。
ただその先には延々とつづく白い砂浜の景色が広がっている。
窓が閉じる、つまり「海」との接続が切れると、入り口は見えなくなる仕様らしい。
「ちょっと早いけど、オレも風呂入って出かける準備するぜー」
Lもそう云って立ち上がり、Jの真似をするように座っている僕の頭をふわふわっとなでて、「ふふっ」と笑って歩いて行った。
Jの窓と同じように、Lの秘密基地へ通じるドアが砂浜に開いていて、ドアの向こうにはぴかぴか光る長い廊下が見えていた。
ドアの前で振り返ってLは僕に笑顔で手を振り、パタンとドアが閉じると、Jの窓の時と同じように何もないただの星の砂浜になってた。
そのまま、ひとりで流木に腰掛けて、しばらくぼんやりとして過ごした。
何かを考えていた、と云うより、本当にただぼんやりと風の音と波の音を聞いていただけだった。
僕の意識が、無意識にしばしの休息を求めていたのかもしれない。
意識が無意識にって、言葉としては少しおかしいけれど。
しばらくそうしてのんびりと海で過ごして、そろそろ僕も出かける準備をしようか、と思い、眼を覚ました。

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