noise & bubbles ix

屋根裏ネコのゆううつ

外に出ると、雨はいくらか小降りになっていたけれど、まだ強い風が吹いていた。
さした傘が風にあおられて右へ左へもっていかれそうになる。
Jの水色の傘は、家を出る前に父に頼んで直してもらった。
思った通り父は得意げに、ねじ曲がった傘の骨を丁寧に1本ずつ元の状態に戻し、外れかけていた布地の金具も留め直してくれたので、完全に元通りとはいかないまでも、ひとまず雨をしのぐのに不自由はないくらいには修復されていた。
父がガレージから車を出してきて、僕とJは後部座席に乗り込んで並んで座った。
父の車はオンボロの軽自動車だけれど、ボックスタイプなので後ろの座席が意外と広々している。
家族で出かけるときも、僕は決まって後部座席に座ってた。
「さて、ジーンちゃんのお家は、どちらかな」
運転席でカーナビを操作しながら、父が後ろを振り返って尋ねる。
「ええと、ホタルが丘です。住所は・・・」
ホタルが丘といえば、市の東の端、海岸沿いの丘陵地帯だったはず。意外と遠くて驚いた。
僕の住む新興住宅地が市の北の端だから、正反対とまでは云えないけれど、端と端に違いはない。
徒歩で僕の家からJの家まで行こうと思ったら、おそらく小一時間はかかるんじゃないかな。車だったら、10分15分くらいだろうけれど。
「あれ、ホタルが丘のジョウノさんっていえば、教会の?」
父が尋ねる。知り合いだったのだろうか。
地元の新聞社に勤めているせいか、父は市内の道や土地や人の情報に妙に詳しい。
「はい、その教会がわたしの家です」
Jがうなずいて答える。
「へえ、教会のお嬢さんか。なるほど、確かにそういう雰囲気あるねえ」
父の感想が、まるで僕の心の中をそのまま読んだようだったので、ちょっとびっくりした。
血はつながらなくても、一緒に住んでいると親子って似てくるものなのかな。
Jはといえば、「あ、いえ、お嬢さんなんて、わたしそんな・・・」とまた素直に照れてる。
父はJの反応にうれしそうに笑って、
「じゃあ場所はわかるから、ナビなしでもだいじょうぶ」
ピッとナビの画面をタッチして、道案内設定をキャンセルする。
そして後部座席を振り返り、
「それではお客様、狭い車ではございますが、到着までどうぞごゆっくりお寛ぎください」
座席の背もたれに頭をぶつけそうになりながらお辞儀をしてた。
「はい、よろしくお願いします」
Jもぺこりとお辞儀を返す。このヘンなおじさんのあしらい方が、少しわかってきたのかもしれない。
車がゆっくりと走り出す。風雨にさらされる空き地だらけの住宅街が、左右の車窓を流れていった。
Jがそっと手をつないできて、
「Kが年の割に落ち着いてる理由、なんとなくだけど、わかった気がする」
不意にそんな事を云う。
いったいどの辺りの何を見てそれがわかった気がしたのだろう。僕にはさっぱりわからないのだけれど。
「お父さんとお母さんのおかげだね。それからもちろん、おばあちゃんも」
さらりと心の声でJは云う、けれど。
ますますわからない。
というか、そもそも僕は落ち着いてるんじゃなくて、反応が鈍いだけなんだと思うけれど。鈍いというか、無反応というか。
そう心の中で云うと、
「そうだねえ、特にお父さんに対しては、徹底的に無反応だよね」
そう云って、Jは少し笑った。もちろん声は出さずに。
あの人は、反応すると喜ぶから。Jの反応にもいちいちうれしそうだったでしょ。僕はもうめんどくさいからスルーしちゃうけれど。
「なんて云うのかな。Kのご両親もおばあちゃんも、Kをちゃんと一人前として扱ってる、というか。子供だからただ可愛がるだけじゃなく、逆に一方的に、あーしなさいこーしなさいって云うのでもなく、ね。ちゃんと対等な人として接してるというか」
そう云われてみると、そうなのかなという気がしなくもない、かな。
ただ、祖母はさておき、あの父や母がそこまで深く考えてそうしているとは、僕には思えないのだけれど。

市街地に入ったところの信号待ちで、父がルームミラー越しに僕を見て、
「そう云えば、ふたりともお腹すいてるんじゃないか?お昼食べてないんだろう?」
そう尋ねる。
車内のデジタル時計を見ると、14時を回っていた。
3時間目の途中で臨時休校になったので、給食はもちろん出なかった。
時間的にお腹はすいているはずだけれど、僕は食欲がぜんぜんなかった。
「わたしも」
Jが心の声で云う。
それに今は、あまりにぎやかなところへ行きたい気分でもない、かな。いや、それは別に、今に限ったことではなく、僕はいつもそうなのだけれど。
「でも父さん、さっき電話したから、お家の人がJ・・・ジーンちゃんを待ってるんじゃないかな」
「あーそうか。きっとお昼ご飯を用意して、帰りを待ってるよな」
「うん、僕ならお腹すいてないからだいじょうぶ。家に帰ってからでいいよ」
母もたぶんお昼を食べていないだろうし。
「了解。では予定通り、ホタルが丘教会へ直行いたします」
ちょうど信号が青に変わったので、父は最後のキメのお辞儀ができなかったらしい。
どのみちミラー越しではちゃんと見えやしないのだけれど。
「ありがとうございます、お願いします」
Jは後部座席で、父の後頭部にぺこりとお辞儀をしていた。
Jのこの生真面目さというかまっすぐな素直さの方が、僕の無反応なんかよりよっぽどすごいと僕は思うのだけれど。
「ふむー、じゃあこれは、うちの父と母のおかげなのかも?」
そう云ってまた、Jは小さく口元で笑った。

市街地の外周道路をぐるりと左へ回り込むようにして車は東へ進み、すぐに丘陵地帯に入った。
海に近いせいだろうか、また雨と風が少し強くなった気がする。
防風林の間を縫うように、緩やかだけれど長い上り坂が続く。
この道を、Jは毎日歩いて学校まで通ってるの、すごいな。
「え、うん。でも学校までの距離だけで云えば、Kのお家の方がぜったい遠いよ?」
そうなのかな。僕にはJの家の方が遠く感じるけれど。
「お互いに初めて通る道だから、それぞれ遠く感じるのかもね」
実際はどっちが遠いのか、きっと父ならわかるだろうと思い、聞いてみようかと口を開きかけると、
「はい、到着いたしました」
父が車の速度を落としながら云う。
木立の間に、小さいけれど立派な白い教会が見えた。とんがり屋根の上に十字架が、強風を受けて少し揺れている。
車は門の前で止まって、煉瓦が敷かれた小径のある庭を挟んだその向こうに教会が建っていた。
「中まで車で入っても、だいじょうぶかな?」
父が振り返ってJに尋ねる。
「はい、建物の前まで入れます」
すっと、ごく自然な動きで僕とつないでいた手を離して左手前方を指しながら、Jは答えた。
庭を左から回り込むように敷かれた煉瓦の小径の向こうに、教会の建物の入り口らしい両開きの大きな木の扉が見えた。
ちょうど車1台分くらいの幅の小径だった。
「きれいなお庭だなあ」
父はそろそろとゆっくり車を進めながら、感心したように左右を眺めて云う。
たしかに、小径の両脇は手入れされた芝生に覆われていて、門から繋がる木の塀に沿って生垣や小さな花壇もある、小ぢんまりとしたすてきなお庭だった。天気が良ければ気持ちよさそうだ。
「えへへ」
Jは少し照れくさそうに、でもうれしそうに笑ってた。きっと彼女もこのお庭が大好きなのだろう。
車の音が聞こえたのだろうか、教会の右手にある平屋のドアが内側から開いた。なるほど、こちらが住居、というか母屋なのだろう。
白髪の上品そうな初老の女性が、傘を開きながら外に出てきた。
「あ、おかあさん、です」とJが僕と父に云う。
ちょうど教会の入り口の正面、少し小径が広くなったところに父は車を止め、エンジンを切ると素早くドアを開けて車を降りる。
そしてその場で両手を体の両脇にぴったりつけて気をつけの姿勢をすると、母屋の前に立つJの母に深々と一礼をし、ひらりと車を回り込んでJが座る後部座席のドアをさっと開けた。
まさかここでもあれをやるつもりでは、と僕はひやひやしたけれど、さすがの父もそこまでお莫迦ではなかったようで、執事ポーズはしなかった。やりたそうに左手を腰の後ろでむずむずさせてはいたけれど。
「ありがとうございます」
Jは父に会釈して、傘を開きながら車を降りた。
僕も降りてJのお母さんに挨拶するべきだろうか、と躊躇しているとJが振り返って、
「じゃあキクタくん、また月曜に公園で」
傘を持っていない方の左手を小さく振りながら云った。
腰を浮かしかけていた僕はそのまま座りなおして、
「あ、うん、じゃあまた。今日はありがとう」
Jに手を振る。
Jは小さくうなずいて微笑み、ドアを支えていた父にぺこりとお辞儀をして、母屋の方へ駆けていった。
父は後部座席のドアを閉め、そのままJの後を追って母屋の方へ行き、Jのお母さんに何やら挨拶をしているようだった。
最後にもう一度、Jと彼女のお母さんにぴしっとしたお辞儀をして、父は車に戻ってきた。
教会の玄関前の広場でUターンをして、車がゆっくりと走り出す。
Jとお母さんは、家には入らずに見送ってくれてた。
僕は後部座席の窓を開け、木立の向こうにJが見えなくなるまで、手を振った。
窓を閉めて、座席に座りなおす。
車は防風林の間の坂道をゆっくりと下って行く。
何か唐突に寂しくなって、もうJの姿は見えないとわかっていながらも、僕はリアウィンドウ越しに後ろを振り返った。
「あ・・・」
思わず声が出ていた。
僕の声に、ルームミラーをちらっとのぞいたのだろう。
「おお」
父は短くそう云って、車のスピードを落とし、路肩に停車した。
強風にちぎられた灰色の雨雲の隙間から、光の帯のように日の光が差していた。
暗い空から、幾筋かの光がカーテンのように重なってそこだけ明るく差し込んでいて、その下に教会の屋根の十字架が日差しを受けて輝いていた。
「きれいだなあ」
父も運転席から振り返って、後ろの空を見ていた。
まだ雨は降っていて、光の当たるところでは雨粒がきらきらと輝いて見えた。
「天使でも降りてきそうな光景だな」
ひとりごとのように、父がそうつぶやくのが聞こえた。

「じーんちゃん、あんたは本当にやさしい子だねえ。まるで、天使様の使いみたいだ」

祖母の声が、僕の脳裏によみがえった。
僕は、涙をぽろぽろとこぼして泣いていた。
祖母の声を思い出したからじゃない。
さっき後ろを振り返って、あの雲間から差す光を見た時には、
いやちがう、
さっき後ろを振り返った時点でもう、どうしようもない寂しさに襲われて、涙があふれて止まらなくなってた。
「キクタ・・・」
父の手が伸びてきて、僕の頭をがしがしなでる。
「よくがんばったな」
労わるように父は云う、けれど。
ちがう、僕は何もがんばってなんかいない。
Jに涙を見せたくなくて、ずっと必死にこらえていたとか、そういうわけじゃない。
もちろんなんともなかったわけではなかったけれど、でもさっきまではだいじょうぶだった。
悲しさとか寂しさとか、黙っていたら胸の中に勝手に湧き上がってくるそういう感情にまとめて蓋をして、見えないように感じないように、上手に隠せていたのに。気づかないふりができていたのに。
いやちがう。
ちがうのは僕の方で、本当は父の云う通りなのかもしれない。
さっきまでは、Jがいたから、きっと無意識に気を張っていただけだったのかも。
こらえにこらえていたものが一気に噴き出したように、僕の涙と嗚咽は後から後からあふれ出て止まらなかった。
ひとしきり僕の頭をなでて僕の髪をもしゃもしゃにかき混ぜてから、
「帰ろうか」
父はそう云ってようやく僕の頭から手を離した。
「うん」
返事をしたつもりだったけれど、口からあふれ出る意味不明な嗚咽に埋もれて、その言葉はきっと父には聞こえなかっただろう。
サイドブレーキを解除する音がして、車がゆっくりと走り出す。
僕はもう一度振り返って、とめどなくあふれ出す涙をぬぐって空を見上げた。
本当に、教会の屋根の上に、天から差す光の帯の中に、天使が降りてくるのが見えるような気がした。

家に帰り着くなり、僕は39度の熱を出してダウンした。
特に普段から病弱な子供だったわけではないのだけれど、雨の中を走って帰ったのがこたえたのかもしれない。
Jはだいじょうぶだったろうか、と高熱で朦朧とした意識の中で思ったけれど、確かめるすべは僕にはなかった。
翌日の水曜日がお通夜で、木曜日がお葬式と決まったらしい。
とはいえ、近くに親戚がいるわけでもなく、遠くに住む親戚ともほとんど付き合いのない父と母だったし、ご近所付き合いもない家だったので、お通夜もお葬式も家族3人だけでひっそりと行うことにした、との事だった。
何より祖母本人が、生前からそう希望していた、というのがいちばんの理由だったらしい。
水曜は丸一日寝込んでいたので、僕はお通夜には出席できなかった。
夢うつつで、階下から聞こえるお坊さんのお経の声を聞いたような気もする。
家の中には、ほのかにお線香の香りが漂っていた。
何度かトイレに起きたりもして、その時に廊下から祖母の部屋をのぞいたりもした。
小さな祭壇が設えられていて、おだやかな笑顔の祖母の遺影が飾られてた。
またあのどうしようもない寂しさに襲われて涙があふれそうになったので、僕は慌てて部屋に戻り、ベッドに潜り込んできつく目を閉じた。
木曜の朝には熱もすっかり下がっていた。
礼服の代わりに、母が用意してくれていた学校の制服を着て祖母の葬儀に参列した。
参列、といっても家族3人だけなのだけれど。
昼前には葬儀が終わり、家で簡単にお昼を食べて、昼過ぎに市の火葬場へ行った。
お葬式もその後の火葬も何事もなく粛々と進み、あっけないほど淡々と終わってしまった。
またあのどうしようもない寂しさに襲われはしないかと僕は内心どきどきしていたのだけれど、さんざん泣いてたっぷり眠って気持ちというか頭の中はひとまず整理されていたらしい。
いつも通りのおとなしく無口な子供で1日を過ごすことができて、内心ほっとしてた。
我が家にはお墓がなく、またこれも祖母の遺言で、遺骨は海洋散骨をすることになっていた。
「海へ還れるなんて素敵だねえ」
そう云って祖母は笑って、生前にそう決めていたらしい。
葬儀の翌日、金曜日はおだやかな晴天だった。
黒いスーツを着た葬儀社の男性が車でやってきて、僕ら家族は3人でその白いバンに乗り込み、市の南東にある港へ向かった。
そこから葬儀社の手配した小型船に乗って沖合に向かい、散骨をするのだという。
沿岸を離れ沖に進むほど小船は揺れに揺れて、なかなかスリリングな体験だった。
父は大きな波を乗り越える度に「ほっほう」と奇妙な歓声を上げていた。
「散骨ってどうなのかしらと思ってたけど、手間なしでいいわね。お天気もいいしクルージング日和じゃない」
最初はそんな呑気な事を云っていた母だったけれど、船が沖に進むにつれ次第に口数が少なくなっていった。
どうやらひどい船酔いをしてしまったみたいだった。
「ねえ、散骨って海だけなの?山はないのかしら。わたしの時はぜひ山にしてちょうだい」
青い顔で母は僕にそう云い残して、よろよろと立ち上がり、船室のトイレへ入っていった。
山でも海でも僕は構わないけれど、少なくとも「わたしの時」は、もう船酔いの心配はしなくてもいいのでは、と思ったけれど、おとなしい僕は黙って母を見送った。
本当に良い天気で、多少の揺れさえ我慢すれば、波を切って進む船は海風がとても気持ちよかった。
母の船酔い以外は、特に問題もなく散骨を終え、僕らを乗せた船は無事に寄港した。

祖母は「海へ還れる」という云いかたをしていたそうだけれど、僕にとって散骨は、何ていうか、祖母とのお別れ、という感じはしていなかった。
散骨は、と云うより、お葬式もそうだったかもしれない。お通夜には参加できなかったので、わからないけれど。
火葬は、祖母の形をしていたものが骨になって出てくる、という現実が想像以上に衝撃的ではあったけれど、祖母とお別れした感じとはまた別の何かだった気がする。
お葬式も散骨も、何か「お別れのセレモニー」的なものとして受け取ってしまっていたのかもしれない。
本当に僕が祖母と心からお別れをした瞬間があったのだとしたら、あの日、Jの家からの帰り道、空の雲間から差し込む光を振り返って見たあの時だったのだろうと思う。
土日は、特にどこかへ出かける事もなく、家で何をするでもなくぼんやりとして過ごした。
母は、父の運転で食材の買い物に出かけた以外は、祖母の部屋の片付けをしていたみたいだったし、父も母のお供以外は庭の草むしりをしたり洗車をしたり、ガレージの片付けなどをしていた。
日曜日の夕方、庭に面した掃き出し窓が開いていたのでなんとなくそこに腰掛けて、見るともなしに庭を眺めていた。
前日、父が張り切って草むしりをしていたのでまあ普段よりはきれいになっていたけれど、残念ながら、ホタルが丘教会の素敵なお庭には比ぶべくもない。
そう云えば、祖母には庭いじりの趣味はなかったのかな。
掃き掃除や落ち葉の片付けをしているのは見たことがあるけれど、率先して庭の手入れをしようとはしていなかったように思う。
この家は父の家だから、と遠慮をしていたのかな。
「ん?どうしたの、また難しい顔しちゃって」
祖母の和室から出てきた母にそう声をかけられた。
また難しい顔って、そんなに僕はしょっちゅう難しい顔をしているのかな。
「おばあちゃんは、庭いじりとか好きじゃなかったの?」
どうしてもそれが聞きたかったというわけではなかったけれど、なんとなく聞いてみた。
「んー、たぶん好きだったわよ。子供の頃は海沿いの庭の広い家に住んでたんですって。市内へ来てからはずっとアパート暮らしだったからね、この家に越してきた時は「庭があるね」って喜んでたのよ」
母は僕の横に座り込んで、庭を眺めながら云う。
「へえ、でもお掃除くらいしかしてなかったよね」
庭の隅に小さいけれど銀杏の木があって、秋には黄色く紅葉してきれいだった。風が吹くと落ち葉がたくさん散って、祖母が竹箒で掃除をしていた。
「いじり出したら止まらなくなるから我慢してる、なんて云ってたけど、ほんとは遠慮してただけだと思うのよね。こんな立派な家に住ませてもらえるだけで十分、とかよく云ってたし」
さすがに親子だけあって、母が口真似する祖母の口調は声もよく似てるし、そっくりだった。
まだそこに祖母がいて、笑っているような気がする。
「ん?何よへんな顔して」
難しい顔とかへんな顔とか、さっきから母は自分の息子の顔が何かご不満なのだろうか。
「おばあちゃん、その辺にいて笑ってるような気がする」
庭の銀杏の木をながめたまま、僕は思っていたことをそのまま口にした。
母は一瞬、驚いたような顔をしていた気がする。
でも、散骨で海に流したのは骨のかけらだけだったし、火葬場の煙突から空に上って行ったのは煙と灰だけだった。
僕の「おばあちゃん」は、きっとまだこの家にいて、やさしい微笑みを浮かべて僕らを眺めているような気がしたのだ。
云ってしまってから、もしかして母を困らせてしまっただろうかと少し心配になった。
けれど、母は僕の頭をふわふわなでながら、
「あんたがそう感じるのなら、きっとそうなんだろうね」
そう云って、にっこり笑った。
「うん、それならよかった」
うなずいて、僕も笑った。

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