黒犬のラファエルに案内されて、丘の斜面を少し登り、林道へ出た。
海沿いの防風林の間を縫うように敷かれた林道で、市民のためのハイキングコースとしても開放されているらしい。
林道を登りきると、丘の頂上付近に小さな東屋が立っていた。
涼しげな日陰の屋根の下に木製のテーブルとそれを囲むように三方にベンチがあり、水飲み場とトイレが付設されていた。
水飲み場で頭から水を被り、冷たい水をごくごく飲んでようやく人心地ついた。
そのまま、ずるずると崩れるようにベンチに座ると、
「おつかれー」
Lのハスキーな心の声が云って、ラファエルは、ベンチの脇に腹ばいに座り込んだ。
いつも公園で見かけていた、あの黒犬と同じポーズだった。
あれも、Lだったの。
心の声で尋ねると、
「まあね」
Lはそう答えて、ラファエルは、僕を見上げてしっぽを振ってる。
じゃあ、Lがしっぽを振ってるの、こんなにうれしそうに?
いやいや、待って。ちがう、そうじゃない。
少し落ち着いたとはいえ、まだ、頭が痺れたようにうまく働いてない気がする。
酸素が足りないのかもしれないと思い、大きく深呼吸してみた。
木々の緑の香りと、海が近いせいだろうか、ほんの少し潮の匂いもする。
自然を感じるおいしい空気だった。
ふう。
と、もう一度、大きく息をつく。
つまり、今ここにいるのは、Lのお屋敷の飼い犬のラファエル。
よく似た別の犬ではなく、本物のラファエル。
そして、Lは今もお屋敷の天蓋付きのベッドで眠ってる。
それは合ってる?と心の声で尋ねる。
何を当たり前のことを、あらためて僕はまじめに尋ねているのだろう、と思いながら。
「うん。まあ、その通り、屋敷で眠ってるよ。オレの「体」は、ね。「意識」は、ここにいるけど」
笑い出すこともなく、さっきまでと変わらない陽気な声色で、Lは云う。
「意識」は、ここにいる
どこに?
「ここ、ラファエルの中」
ラファエルが、丸い眼をくるりと回した。
ラファエルの中?
つまり、
Lの意識は、ラファエルの体の中にいるの。
どうして?
尋ねると、ラファエルがふふんと鼻を鳴らして、
「じゃあヒントをあげよー」
楽しそうなハスキーボイスが云う。
「動物の「泡」の話は、Jから聞いてたよなー」
Lはそう云った。
動物の「泡」の話
それが、ヒント
Lの意識が、ラファエルの中にいる事の?
Jの話を思い出してみる。
人の頭の上にある「泡」と同じように、動物にも「泡」があって、それは人の「泡」のように色の違いはなく、全部くすんだ灰色。
そして、「泡」のある動物と、「泡」のない動物がいる。
あの公園で、Jが力の交換で見せてくれた黒犬、つまりラファエルには灰色の「泡」があった。
それから、噴水のところにいた黒ネコにも、物置小屋の上にいたカラスにも、同じ灰色の「泡」があった。
「そう、ちゃんと覚えてるねー、えらいえらい」
ふふん、とラファエルが鼻を鳴らして、
「あの「灰色の泡」がある動物には、オレたちの「意識」が「入れる」。「泡」がない動物には、「入れない」。オレは、そう思ってるぜー」
さらりと、Lはとても重大な事を口にする。
「泡」のある動物には、「意識」が「入れる」
「泡」のない動物には「入れない」
さっきから僕は、Lの言葉をひたすら繰り返すだけのオウムみたいになってるよね、と心のどこかで思いながら。
それでもLの言葉を、もう一度頭の中で繰り返してみたけれど、うまく理解でき、ない?
いや、言葉の意味は理解はできる、けれど、具体的なそのイメージが、ピンと来ない、と云うか。
「うん、あくまで一時的な「意識」の「避難場所」って、オレは考えてるぜー」
いきなり情報の洪水を浴びせられて、まだ酸欠状態の脳が悲鳴を上げているようだった。
まるで情報の海で、荒波にもまれておぼれかけているみたいな気がする。
もう一度、大きく伸びをして、深呼吸をする。
木々の緑と草と土の香り、かすかな海の匂いを思い切り吸い込む。
意識の避難場所。
つまり、Lの意識は今、ラファエルの中に「避難してる」という事。
避難って、何からの避難なのだろう。
「うん。まあ、オレも最近よーやくその結論に至ったとこだからねー。まだきちんとは整理しきれてねーから、ざっくり説明するぞー」
ぺろりとラファエルが黒い鼻を舐めた。
とても自然な、犬らしい動作だけれど、これも「Lの意識」がしている事、なのかな。
「あの「能力」、つまりJの「泡」やオレの「線」で「灰色」に見える、それが、「意識の避難場所」として使える動物の目印、オレはそう考えた。じゃあ「何からの避難なの」っておまえの疑問に答えよーか。あ、先に云っとくけど、いま話してるのは全部オレの想像だからねー。確定事項じゃねーぞー?勘違いするなよー」
ラファエルの丸い眼をくるっと見開いて、Lはそう前置きしてから心の声で話し出す。
「たぶん「能力」を使うと、気づかないうちに体に少しずつ負荷がかかるんだ。まあ、そりゃそーだよね。人間の体に普通に備わってる機能とは全く別の、本来できないはずの事をしてるんだからなー」
能力
云われてみれば、それは、そうなのだろうと思う。
人には見えないものが見えたり、聞こえたりする。しかもそれが、四六時中、休む事なく続いているのだから。
うん。ラファエルがひとつうなずいて、世間話でもするみたいな明るい声音で、Lは話を続ける。
「で、長いこと何度も使い続ける、あるいは短期間で一度に使い過ぎる、とかで、その負荷が体に一定量以上貯まる。そーすると、あの「眠り」に陥る」
陽気なLの声でそう云われたにも拘らず、僕は、どきっとした。
あの「眠り」
あの日、砂浜で、Jが云った言葉が脳裏に浮かんだ。
「でもこれは、やっぱり、病気なんかじゃ、なくて、何かとても、意味のある、必要な、眠り。そう思う」
病気なんかじゃなくて、必要な眠り
それが、
「オーバーフローってやつだなー。眠るのは、おもに、体から負荷を取り除いて、回復させるためだろーねー。で、眠ってる間は、「意識」が体の外へ追い出される」
また僕は、どきりとする。
「意識」が体の外へ追い出される?
どうして。
「体をきちんと休ませるため、プラス、それ以上の負荷をかけないため、だろーねー。その体を追い出された「意識」の一時的な「避難場所」が、「泡」のある動物の中。って事、だとオレは思ってるんだけど。K、おまえはどー思う?」
いきなり名指しでそう尋ねられて、びっくりした。
僕がどう思うか。
Lが、僕に尋ねるの。
それが意外だったので、びっくりしたのだ。
アイの云う「孤高の天才・ミクリヤミカエル」ともあろう子が、こんな凡人の年下の僕に意見を求めるなんて。
「んあ?」
Lはへんな声を出す。
怒ったのかと思ったけれど、ラファエルは変わらずにやさしい丸い眼で、僕をじっと見ている。
「あー、最初に云った通り、これはあくまで想像ね。それに、オレもまだカンペキには整理しきれてねーからなー。おまえからのご意見は絶賛受付中って事だぜー」
そう説明してくれて、なるほど、と納得した。
さっきのへんな声は、照れ隠し?だろうか。
それはさておき、
能力を使い過ぎる→体に負荷がたまる→眠りに陥る
その「眠り」は、体の回復のため。
ゆえに、眠っている間は、体から「意識」が追い出される。
その「避難場所」が動物の中。
にわかには信じられないような話だけれど、にわかに信じられないような事は、すでに僕には、日常茶飯事だった。
それに、Lの推察はとてもわかりやすく、いちいちもっともだった。
いま聞いた限りでは、どこにも破綻はない、気がする。
じゃあ、Jも?
Jの意識も、今、どこかの動物の中に入ってる、避難してる、ということなの。
「たぶんね。まだ見つけてはいないけど、どこかその辺のネコチャンか何かに入ってるんだと思うぜー。あの「オレンジの海」で確認したから、あいつの意識が無事なのは間違いないよ。ちゃんと話せたしなー」
オレンジの海
意識のつながる場所、とLは云ってた。
それなら、その「オレンジの海」につながる事ができたら、僕もまた、Jに会う事ができる、のだろうか。
「そーだね」
あっさりと、Lは肯定する。
そーなの。
そんな簡単そうに答えていいの。
「ただ、「意識」が動物の中に入ると、うーん、どう云えばいいのか、当然、その動物の意識もいるんだよ、体ん中にね。んで、その体は、当然そいつが動かしてるわけでさー。その辺の、なんて云うか、権限の交渉とか?友好交渉条約の締結てきな?つまり、こっちの云うこと聞いてもらって自由に動かせるようになるまでには、まあいろいろと手間がかかるんだよなー」
権限の交渉?条約の締結?
よくわからないけれど、体の中には当然、その動物の意識もいるのだろう。
ラファエルで云えば、今その体の中には、Lの意識とラファエル自身の意識、ふたつの意識が同時に存在している、という事。
交渉とか締結とか、何やら難しい言葉を使って云ってるのは、体の持ち主である動物の意識とのやりとりが、それだけたいへんだ、という意味で、なのかもしれない。
Lが云うと、あまりたいへんではなさそうに聞こえるけれど。
それは、Lだから、なのだろうか。
「オレは、ほら、こいつ、もともとうちの犬だからねー。付き合いも長いし、もう勝手知ったるナントカってやつだよね。だから、こいつに入れたのはラッキーだったぜー」
ふふん、とラファエルが鼻を鳴らして、心の声でLが、ふっふーと笑う。
Lが眠りに落ちたのは、アイによれば、あの工事現場の駐車場、だったはず。
あそこで眠りに落ちた時、ラファエルもその場にいたの。
「いたんだなー。いやー、運が良かったぜー。あの日、アイに呼び出されてさ、オレもちょっとビビッてね?だってこっちはか弱い女子だし、あの筋肉ゴリラが相手だろー?まあさすがに、いきなり殴り合いとかにはならねーにしてもだな、いざって時にはこっちもちょっとビビらせてやろーと思ってね。いったん家に戻って、こっそりこいつを連れて待ち合わせ場所に行ったのよ。こいつは賢い犬だからねー。少し離れて付いて来い、って云えば、ちゃんと離れて尾行してくれんだぜー。だからたぶん、アイは最後までこいつに気づいてなかったんじゃねーかな。いやでも、まさかこんなことになるとは、さすがにオレも予想してなかったけどねー」
はっはっはー、と、Lは楽しそうに笑い飛ばしている。
アイは、気づいていなかったのだろう。犬もいっしょだった、とは一言も云ってなかった。
Lが眠りに陥る時に、ちょうど良い避難場所として、ラファエルが近くにいてくれた。
それは確かに幸運だったと思う。
でも、もしも、眠りに陥る時、近くに避難できる動物がいなかったとしたら、
行き場のない「意識」は、どうなるのだろう。
そう考えてしまったのは、Jが眠ったあの海岸を思い浮かべたからだ。
あの時、あの場所に、Jの意識が避難できそうな動物は、いたのだろうか。
「あー、避難できなくて、その辺をふよふよ漂ってんじゃねーかって心配か?さすがにそれほど無責任に自分の「意識」を放り出したりはしねーだろ。体と意識、両方を守るためのはずだからねー。避難場所が近くにある時にしか、眠らねーようになってると思うけどなー」
なるほど、そうかもしれない。
体を守ろうとする反応も自分なら、意識を避難させようとする反応も自分なのだ。
事情のわからない他人が、外からどうこうするわけではない。
体に負荷が溜まった時点で、条件反射的に、すぐに意識が体から飛び出すわけでもないのだろう。
「オレはこいつがすぐ近くにいたから、あっという間に眠っちゃったけどねー。Jはわりと粘ってたんだろ?砂浜だったし、近くに入れる動物がいなかったんじゃね。魚や貝は全般ダメだしなー」
わりと粘ってた
そう云えるかもしれない。
眠気を感じたのは、あの神社の石段の下だったと、Jは云ってた。
そこから海へ移動して、波打ち際ではしゃいだり、砂浜に座って話したりしてた。
あっという間、では全然なかった。
「あ、おまえが云う「近くに避難できる動物がいなかったら」ってのが、眠気に襲われてるにも関わらず、長時間に渡って避難できる動物がいない状態に置かれていたらどうなるか?例えば実験的に眠気に襲われたやつを檻に閉じ込めるとか、まあそんなんじゃなくても、動物のいない地下室みたいなとこにずっといたら、ってことなら、それは、うーん、わからねーなー。体の方が先に参っちまうのかも?脳とかどっかに異常を来たす、とかかなー。あるいは、そうなる前に、いざとなれば物理的な距離や遮蔽物なんて関係なく、飛んでいけるのかもしれねーけど。「意識」だけだもんな。避難できる動物のところまで、ひとっ飛びでね?」
楽しそうにラファエルが目を細めて、Lはそう云って笑う。
話の内容が楽しいというより、あれこれと考察するのが楽しくてたまらないみたいだった。
僕は思わず、ほっと大きく息をついていた。
つまり、「眠り病」と僕らが呼んでいたものは、やっぱり病気などではなくて、未知のウィルスだとか何か外的要因によるものでもなく、あの「力」にまつわるものだった。
そして、眠りに落ちる時にJが予想していた通り、その眠りは必要なもので、体を守るための大事なもの、だった、という事。
あくまで想像、とLは念押ししていたけれど、僕には、それでほぼ間違いないのでは、と思えた。
とにかく、安心した。
何か知らずに背負っていた重い荷物が、ふっと消え去ったような気分、だろうか。
いろいろ振り回されたと云うか、だいぶ遠回りしたような気もするけれど、でも結果的に、少しずつでもいろんな事がわかって、良かった。
何より、元気そうなLに会えて、良かった。
それで、いつ回復するの。
尋ねると、ラファエルが丸い眼をさらに丸くする。
「え、何が?」
いや、Lが。
不思議そうに小首をかしげるラファエルに、僕は云う。
そこは、大事なところなのでは。
半年間も眠り続けてまだ回復してないのなら、あと何か月くらいの眠りで、Lの体は完全に回復するのだろう。
「あー、なんだそれか」
ふいっと興味なさそうにラファエルがそっぽを向く。
あるいは、何かバツが悪くて、その表情を隠そうとしているみたいに。
「オレならもうすっかり回復してるけどね?あーでも、Jはまだ眠ったばっかりだし、さすがになー。まあ半月も寝りゃだいじょぶじゃね」
他人事のように、そっけなくLはそう云った。
すっかり回復してるけどね?
まあ半月も寝りゃだいじょぶじゃね
???
なんだって?
意味がわからない。何かの比喩とか、謎かけなのかなと疑ってしまう。
「いや、だから、オレはもう回復してるってば」
そっぽを向いたまま、Lは早口にそう云った。
僕は、ぽかーんとした顔をしていたに違いない。
すっかり回復してる
半月も寝りゃだいじょぶ
僕は、まだ脳が酸欠なのかもしれないと、まず自身を疑った、けれど。
いや違う。
Lの云うことは理解できている。
理解、できて、いるけれど、
・・・じゃあ、
なんで、Lは、眼を覚まさないの。
「なんでって、そりゃ、こっちの方がいろいろ楽だし、便利だから?」
しれっと、Lは云う。
なんで疑問形なの。
ラファエルがぺろりと舌を出したのは、偶然だろうか、それとも。
「いやあ、だってこいつならひとっ走りでどこへでも行けるしさ。学校とかめんどくせーとこ行かなくていいし。眠くなったら、こいつに体の主導権を交代すれば歩きながらでもいつでも寝れるし。メシとかめんどくせーこともぜんぶこいつがやってくれるし。え、ちょ、おまえ何してんだよ、やめろって」
僕は無意識に、足元で寝そべるLの、ラファエルの頭をもしゃもしゃなでていた。
でもたぶん、父や母、それにJが僕の頭をもしゃもしゃするのとは、違う理由で、だ。
人にさんざん心配かけておいて、もうすっかり回復してる?
いや、それはいいとして、その理由が、こっちの方が楽だし便利だから?
何で、どうしてそうなるの。
「いやあ、おまえもいっぺんやってみたらわかるって。なんでこっちが避難場所なんだ?って感じだぜー。オレはこっちがメインでも全然いいけどなー。まあ、最初こそ、ちょっとね。服着てねーのとか、なんかそのへんのもん拾って食ってんのとか、おいこらなにしてんだてめーって感じだったけど。慣れちゃったらもうそんなのどーでもいいくらい、超快適、なんだよなー」
こいつ、いや、この子は
この天才美少女は。
言葉を失う、というのは、こういう感覚を云うのだな、と僕は知った。
ほんとに、何をどう云えばいいのか、何も出てこない。
ほっとしていた事は、確かだった。
「眠り病」が病気ではない、とわかったのと同じように。
Lの体はもう回復していて、つまり、いつでも目を覚ます事はできるはずで、ただ「こっちの方が楽だし便利だから」という理由で、半年間、ずっと眠り続けてラファエルの中で過ごしていた、だけだった、という事にも。
心の底からほっとした。
本当に良かった、と思った。
だけど、その理由が・・・。
全身から力が抜けて、東屋のベンチにずるずると崩れ落ちていくような気がした。
「まあ、冗談だけど。半分はね」
ふっふー、とLが笑う。
冗談
半分?
「いやあ、おまえの反応が素直で面白くて、つい、ね?まあ、こっちのが楽なのは確かだけど、それだけの理由で半年も眠ってるわけねーだろー?」
それなら、残りの半分は何なの。
「云ったろ?「便利だから」って。調べものをするにも、探しものをするにも、こいつの体力と機動力の方が、元の体よりよっぽどすげーからなー。おまえ、知ってる?犬って一晩中でも平気で走り続けられるんだぜ?夜目も効くしさー」
楽しそうにそう語るLは、いったいこの半年間、どんな生活をしていたのだろう、と少し心配になった。
一晩中走り続けるとか、夜目が効くとか、
まさか、夜遊びしてたの、ではないのだろうけれど。
調べもの
探しもの
さっきの、「眠り病」についての見事な考察。
Lは、この半年間、ラファエルの体力と機動力をフルに活用して、独自に色々と調べてくれていたのだろう。
それは、本当にありがとう、だった。
「いやあ?「眠り病」と「能力」に関して云えば、おまえとJが話してるのを観察してて気づいた事も多かったんだぜー。あと、Jも眠ったことで、あらためてわかった事も結構あったしなー。だから色々と予想が形になったのも、ほんと最近なんだよねー。それに、探しものは、個人的なものだしさー」
僕は、大きな思い違いをしていたのかもしれない。
眠り続けているLと、眠りに落ちてしまったJを、僕がひとりで、どうにかして助けてあげなきゃいけない、そんな風に、考えていたけれど、そうではなかった。
Lは、「体」はあのお屋敷で眠っているけれど、「意識」はラファエルの中で、ずっといろいろ調べたり、考えたりしてくれていた。
それにさっきは、あの暗い地下道まで、僕を助けに来てくれた。
僕がひとりで、何もかもを背負う必要なんて、ぜんぜんなかった。
「アイもね、おまえをいろいろ、手伝ってくれてたんだろ?いやあ、最初びっくりしたぜー。あの筋肉ゴリラを相手にさ、どーなることやらと思ってたけど。おまえ、ほんと面白いよなー」
はっはーと、Lは楽しそうに笑う。
そうだった、アイもいた。
僕はぜんぜん、ひとりなんかじゃなかったんだ。
「勇気、かな」
Jの言葉を思い出す。
ひとりじゃないってわかったら、なんか勇気が湧いてくるよなー
Lもそう云ってたと、Jが教えてくれた。
「まあね?それにおまえは、一番年下のちびっ子なんだからさー。そんなに何もかもひとりで背負い込む必要なんて、ぜんぜんないんだぜー?」
ラファエルの丸い眼にじっと見つめられながら、Lにそう云われて、今日の事を、反省した。
さすがに少し、無茶だったかもしれない。
「まあ、助かったんだし、オレもなかなか面白かったから、いいんじゃね」
はっはー、と陽気なハスキーボイスで云って、Lは笑ってる。
Lにそう云われると、なんでだろう、きっとそうに違いないと思えるから不思議だ。
ひとつ、気になった事があった。
探しものは、個人的なもの
Lはそう云った。
個人的にLが探してるもの
なんとなく、ふと、ぴんと来た。
それは、ものではなく、人では。
なぜ急にそう思ったのかは、わからない。
けれど、Lが半年間、ラファエルの体力と機動力を活かして、探していたのは、
もしかして、ガブリエル?
特に何かを考えたわけではなく、そう思い浮かんだだけだった。
ラファエルの体が、ぴくっと少し跳ねるように動いた。
「あれ、おまえ、何で知ってんの?あーそれがあれか?Jが云う、名探偵の勘ってやつ?」
ラファエルは変わらずに丸い眼で僕を見つめていたけれど、何故か僕にはLがニヤニヤしているのがわかった。何故かは知らないけれど。
名探偵の勘、とかではなく、知ってる、というわけでもなく。
想像と云うか、消去法で?だろうか。
Lのお見舞いに行った時のお母さんとシジマさんの言葉から想像した事、そしてアイから聞いた事などをざっくりとLに話した。
ぺろりとラファエルがまた黒い鼻をなめて、
「あー、そう云えばあの時、そんなこと云ってたか?オレ、ぜんぜん気にとめてなかったぜー。ははあ、シジマのじいちゃんかー、やれやれだなー」
Lは苦笑してた。
あの時。
そうか、あの時もラファエルがいた。
だから、僕らとシジマさんの会話を、Lも聞いてたんだ、ラファエルの中で。
そう考えて、あれ?と思った。
あの後、しばらく経って、僕がJに「Lに兄弟はいるのか」を確認したのは、あの公園の電車ブランコで、だったような気がするけれど。
あの日、ラファエルは公園にいなかったのだろうか。
「いなかったんじゃね。まあオレも毎週欠かさず顔出してたわけじゃないからね?おまえとJがそんな話してんのは、聞いた覚えがねーなー」
聞いた覚え、というLの言葉で、さっきからちょいちょい気になって聞きそびれていた事をひとつ思い出した。
「ほう、何かね?」
その、時々Lがへんなキャラになるのは、何なの。
いや、ちがう
聞きたかったのはそれではなくて、
あの公園で、僕とJはほとんど手をつないで心の声で話していたはずだった。
Lには、その話が聞こえていたの。
「聞こえるだろ、「オレンジの海」で。てか、おまえ自分で云ってなかったか?手をつなぐのはおまけみたいなもんで、本当は手をつながなくても聞こえる、そっちが本来の使い方だ、とか何とか」
そう云ってから、Lは何か気づいたらしい。
ラファエルが眼を丸く見開いて、
「あーなるほどな、それが「オレンジの海」だってのは、まだ知らなかったのか。じゃあ教えてあげよー。それが「オレンジの海」だよ。手をつないだら、つながる。あと、寝てるときにもつながったりする」
ふふん、と鼻を鳴らしてる。
意識のつながる場所
オレンジの海
なるほど、Lはラファエルの中からそこにつながって、僕とJの話を聞く事ができたの。
だったら、会話に参加してくれたらよかったのに。
じゃあ、今こうして僕が心の声でLと話せるのも、Lが「オレンジの海」につながってるから、って事なの。
「そうだぜー。どーやってつながるかの説明は、うーん、めんどくさいからパスね。まあ、そのうちわかるんじゃね」
なんでそこは教えてくれないの。
「えーだって、どー説明すりゃいいのかわかんねーもん。そのうち自然とできる、としか云えねーなー」
そう云って、またラファエルはそっぽを向いている。
本当かな。Lにも、どう説明すればいいのかわからない、なんて事があるのだろうか。
「おいおい、やめろよ、そーいうの。アイじゃあるまいし。オレも普通の小学6年生だからね?いくら何でも、何から何までぜんぶ知ってるわけねーだろ」
ふっふ、と、Lは笑って
「そんな事より、おまえ、なんであいつに追いかけられてたの。まさか、「ヌガノマ!」って呼んだとか?」
陽気な調子で、そう僕に尋ねる。
「ヌガノマ!」って呼んだとか?
それこそ、アイじゃあるまいし、だった。そんなことするわけがない。
少し長くなるけど、と前置きして、アイと隕石について調べてた事、あの工事現場へ入り込んでマンホールを見つけた事、そして今日はひとりで、そのマンホールの中を調べていた事までをざっくりと説明した。
「はあ」
Lは聞き終えると、困ったようなため息をついた。
「それはそれは、もっと早くに声かけるべきだったかも?いやでも、ラファエルじゃそのマンホールの縦穴は下りれねーしなー」
ふむー、と、Lは何やら考え込んでる。
それから、云うべきか少し迷ったけれど、Lがガブリエルを探しているのなら、耳に入れておくべきだと思ったので、その話の続きも話すことにした。
古い下水道まで逃げて、非常口の灯りの下で、あいつが云った言葉。
みくりやがぶりえる
Lはいま「何から何までぜんぶ知ってるわけねーだろ」と云ったばかりだったけれど、でも僕は、聞かずにはいられなかった。
どうして、あいつがガブリエルの名前を知ってるの。
なんであいつは、僕をガブリエルだと思い込んで、追いかけて来たの。
「・・・」
すーっと、ラファエルの丸い眼が細められ、Lは黙り込んでた。
Lの声は聞こえなかったけれど、さっきまでの、陽気な彼女の雰囲気が一変して、何か暗い炎のようなものがめらめらと燃え上がるのが、一瞬、ラファエルの黒い眼の中に見えたような気がした。
あの時Lが云っていた「一生許さねー奴リストの第1位」は、冗談や何かではなかったらしい。
ふるふるっとラファエルが勢いよくかぶりを振って、
「あー、ごめんごめん」
さっきまでと同じ、陽気なLの声が云う。
「じゃあ、おまえには話しとくかー」
くるりとまた、ラファエルの丸い眼を回して、僕を見て、
「わけもわからずあの怪人に地下道を延々追いかけられたんじゃ、おまえも納得いかねーだろしなー」
ふっふー、とLは笑う。
うん。知りたいのは、僕が追いかけられた理由、というより、あいつがガブリエルを追う理由、の方だけれど。
ラファエルはもうやさしい眼に戻っている。
さっきちらっと見えた暗い炎は、まるで幻か僕の見間違いだったみたいに。
コホン、と、Lはひとつ咳払いをして、
「ちょっと重い話だぞー、覚悟しとけー」
少しも重い話ではないみたいに明るく、Lは話し始める。
「おまえの予想通り、ガブリエルは、4歳の時から眠りつづけてるよ。あの屋敷で、8年間、ずっと眠ったまま。点滴やら注射やらで栄養は摂ってるけど、あんまり成長してなくてなー、ちっこいままだ。親父がどこかの医者だか科学者だかに作らせた妙な機械につながれて、体中に線とか電極をぺたぺた貼られて、電気を流されてるよ。8年間ずーっとね」
何年も眠り続けるようなそんな病気は、
そう云ったLのお母さんの顔が浮かんだ。寂しそうな、どこか諦めてしまったような顔。
半年どころか、8年だったんだ。
きゅっと何かに胸を締め付けられるような気がした。
ラファエルの丸い眼が、僕をじっと見る。
Lが心の声で続ける。
「あいつはね、4歳の時に誘拐されてるんだよ。攫われて、半日かそこらで救出されたんだけど、その時はすでに眠ってた」
締め付けられていた胸が、何かに押し潰されそうになる。
誘拐
半日で救出された
その時すでに眠ってた
「犯人の名前はヌガノマ。そう、さっきのあいつだ。本名かどうかもわからねー。攫われて数時間後に、一度だけ、屋敷に身代金を要求する電話をかけて来たらしい。あいつが無事に発見された時、犯人は現場にはいなかった。以来、警察やらの公式な発表では、消息不明ってことになってる」
僕は、息をするのも忘れていたかもしれない。
淡々と語るLの声は、さっきまでと同じに聞こえる。
彼女の怒りや悔しさは、その声からは、僕にはわからなかった、けれど。
「一生許さねー奴リストの堂々第1位だからな。しんでも許さねー」
「しんでもかまわねーと思って手加減なしで思いっきりやったからなー」
あの時のLの、少し過激とも思えた物云いは、決して大袈裟でも何でもなかったのだろう。
ラファエルが少し眼を細めて、僕を気遣うように見つめている。
だいじょうぶ。ラファエルの眼をまっすぐに見つめ返して、大きく、息を吸い込んだ。
「それからずーっと、ガブリエルは眠ったままだ。8年間、ずーっとね。オレは、てっきりあの野郎に何かされたんだと思ってたよ。何かおかしなウィルスでも注射されたとか、わけのわからん薬でも飲まされたんじゃねーかって。でも、オレも同じように眠っちまって、それで半年間いろいろ調べて、考えて、わかった。ガブリエルは、どこかにいる。どこかの避難場所に、今のオレと同じようにねー。あいつも能力者なんだ。「線」の色がオレやJと同じ「白」なんだよ。だから、おまえの云う通り、探しものはガブリエル。正解だぜー」
くるっとおどけるようにラファエルの眼を大きく見開いて、いつもの元気な声でLはそう云って、
「話の流れでついでに云っちゃうけど、おまえを探しに行ったのは、実はちょっとおまえの協力が必要になったからなんだよねー。まさかおまえがあんな目に合ってるとは思いもしなかったから、タイミング的には超ラッキーだったけどなー。ついでにあの野郎に一泡吹かせてやれたしなー」
ふっふーと陽気に笑う。
ごめん。
ぺこりと頭を下げて、僕はLに謝った。
「何がだよ。オレが学校サボッてのんきに犬やってるやつだと思ったことか?まあいいよー、半分は事実だしなー」
ふふっとLは笑う。
それから、ありがとう。
「そっちも、もういいってば。おまえを助けられて良かったよ。「線」のおかげだなー」
なるほど、あの地下で僕の居場所がわかったのは、「線」を辿って来たから。
犬の体でも、能力は使えるの。
でもそれだと、今度はラファエルに負担がかかるのでは。
「うん。犬でも「線」の方は使えるぜー。もういっこの方はたぶん無理。試してみたけどできなかったから、あっちは本体じゃなきゃ無理な上に、体への負荷も相当でかいんだろーと予想してるぜー。でも「線」の方でもラファエルに負担がかかるってのは、たぶんおまえの想像通りだなー。おまえを探しに行ったのも、それが理由だよー」
もういっこの方?
Lは、能力がふたつあるの。
「はあ?おまえだってあるだろ。使ってたじゃねーか、あの公園で、アイに」
あの公園で、アイに。
あの時、
そう云えば、あの時も黒犬がいた。
あれも、Lだったの。
それに、あれは僕の「力」だった?
「おまえ、冴えてるんだかぼんやりしてるんだかわかんねーやつだなー。Jみてーだぞ」
ええ・・・?
「なんでそこで嬉しそうな顔するの?おまえ、ばかなの?」
はあ、と、Lはため息をついてる。
おお、これがLの「ばかなの」か。すごい、本物だ。
「だからそのJみたいな反応やめろって」
いや、それはともかく、
もういっこの「力」、あれは何なの。
「何ってあれは、え、おまえが聞くか?あーでもまあ、使った本人より端から見てたオレの方が、客観的に把握しやすいとかってのもあるのか。あれは、いわば、認識の喪失。オレは、そう考えてる。人の認識を部分的に消し去るんだ。それに伴う記憶もろとも。どっちかって云えば、あれが「能力」の本質って気がしてるぜー。「線」や「泡」は、オマケというかオプションみたいなもんかなって。そうあるべき、と云うか、そうじゃないとおかしい、と云うか、そう考えると諸々納得がいく、って感じかなー」
認識の喪失。
人の認識を消し去る。記憶もろとも。
アイの場合は、Jに対する、意地悪を云って構いたい・ちょっかいを出したいという、アイの云う「裏返し」の認識、それから彼自身の中のミカエルとガブリエルに対する妬み・僻みといった感情、その部分的な認識。
ナガタ先生の場合は、僕を利用して彼女自身を良き教師として見せたいという自己顕示の認識、そしてそれを見せられている周りの先生たちのやれやれまたかという諦めと傍観の認識。
あれが「能力」の本質
「まあ、とは云っても、オレもあの「能力」については、おまえがあの公園で使ったのを見たのが最初だから、使ったことはないけどなー。この体じゃ使えなかったし。ただ、感覚的に使える気はしてるし、その感覚が正しけりゃ、Jにももちろん使えるはずだぜー。まあひょっとするとオレがとんでもない勘違いをしてて、実はおまえにしか使えない、って可能性もなくはないけどねー」
認識の喪失。
あの公園自体も、そうなのかもしれない。公園がある、ということは誰もが認識している。けれど、入ろうとすることはできない、それは一般の人々の認識の外にある。
父と母も、そうだ。ミドノ原という地名は知っている。けれどそこに関する何かを思い出そうとすることは、その認識の外にある。
そう思ったので、父と母に起きたことを、かいつまんでLに話した。
「うん。あの公園とおまえの両親に「力」を使ったのは、おまえじゃないけど、少なくとも、同じ「力」なのは間違いないなー」
あっさりと、Lはそう肯定した。
同じ「力」
僕ら以外にも、同じ「力」を持つ人がいるの。
「そりゃいるだろ、数はそう多くないかも知れねーけど。この街には、少なくともあと数人はいるはずだぜー。公園をあんな風に「入りにくく」したやつと、おまえの両親に「力」を使ったやつ?ってか、あの工事現場の方が怪しいな。「力」が使われてんのは、お前の両親に、じゃなくて、工事現場に、かもな。あるいは両方かも、それぞれ別のやつが使ったのかもしれねー」
その人たちは、眠らないのだろうか。
Lのお母さんから聞いた、アンドウ先生の話では、何年も眠り続けるような眠り病は「世界でも例がない」、と云う話だったけれど。
「うん。そりゃ「何年も」眠り続けるような例は、ないんだろーね、ガブリエル以外には。オレは半年だけど、まあ、半分は好きで寝てただけだし。それに、そもそも、そいつらがオレたちみたいに意識して「力」を使ってたとは限らねーしなー。無意識に、あの公園を「あんな風に」した、本人は「力」を使ったことすら気づいてない、って可能性もある。いや、むしろそっちの方があり得る。「力」を認識してねーんだ。認識してないものを普段からそうじゃんじゃか使うはずもない。極端に云えば、一生に1回たまたま無意識に使っただけ、なんてこともあるかもよ。それなら、体に負荷も何もねーだろ?」
「力」があっても、気づかずにいる。だから意識して使うこともなく、体に負荷もかからない。故にあの眠りに陥ることもない。なるほど、確かにそうかも知れない。
「じゃあ逆に、眠ったほうはどうだ。オレもJも、まあ「泡」が見えたり「線」が見えたりっていう、たまたま気づきやすい「力」だったってのもあるけど、知り合ってからは、あれやこれや実験だなんだって「力」を使いまくってたからなー。そりゃ眠くもなるよなー」
眠ったほうのもうひとり、ガブリエルは、どうなのだろう。
彼も「力」に気づいていて、使っていたのだろうか。まさか、4歳の時に?
「気づいてた可能性は高いと思うぜー。あいつも、まあオレに負けず劣らずの、一筋縄じゃ行かねー性格してたからなー。これはオレの想像だけど、攫われた時、あいつは自分ひとりでどうにかしようとして、「力」を使ったんじゃねーかなー。誘拐からわずか半日ほどで発見されたってのも、発見現場に犯人がいなかったってのも、あいつの「力」の結果なのかも知れねーとオレは思ってるぜー」
なるほど、確かに一理ある。そして一度に大量の「力」を使ってしまったために、体が負荷に耐えられなくなり、あの眠りに陥った。
近くに、避難場所となる「灰色の泡」を持つ動物がいたのかも知れない。あるいは、Lの云うように、その動物の元まで意識を飛ばしたのかも。
「そ。だから、その動物を、オレは探してるってわけ。単に学校サボりたいだけじゃねーんだぜー」
ごめん、それはもうわかった。
もう一度ぺこりと頭を下げて、ラファエルの頭をもしゃもしゃなでた。
「おい、だから、それやめろって」
くすぐったいのか、それとも照れているのだろうか、Lは身をよじって僕の手から逃れようとする。
楽しいので続けたかったけれど、もうひとつ、聞きたいことがあった。
さっきLが云いかけてた、僕に頼みたいこと、
一体なんだろう。
「あーそれな。よし、いい機会だ、おまえに犬の視界を体験させてやろー」
Lはそう云うと、むくっとラファエルの体を起こして、木のテーブルに両方の前肢をちょこんと乗せた。
犬の視界?
あ、能力の交換、かな。
「そ。手つないでみ」
Lに云われるままに、僕はベンチから身を乗り出して、テーブルに乗せられたラファエルの両手を僕の両手でそっと握った。
ぐるん、と視界が回転するような感覚がして、目線が少し低くなった。
視界の左右が少し広いのは、犬の視界だから、だろうか。
それから、色が、モノクロ、とまでは云わないけれど、セピアカラーのような、色数が少ない昔の映画を見ているような、そんな感じがした。
目の前には木製のテーブルと、そこに乗せられた犬の前肢、そしてそれを両手で握っている僕の手が見えた。
その手の少し上の空中に、何か細い糸のようなものが浮かんでいる。
灰色の半透明の糸、その表面を少し色の濃い線がらせんを描くようにぐるぐると走り抜けている。奥から、手前に。これが、方向を指し示している、ということかな。
すごい、これが、Lの「線」。
「うん、Jの言う通り、理解が早くてほんと楽だな。観察力も鋭いし。おまえ、ほんとに2年生か?」
ほんとに2年生、
それ、最近よく云われる。なんでだろう。
「はっはー、まあいいや。それより、おまえの「音」、これ面白いな、なんだこれ。宇宙の「音」かなー?」
宇宙の「音」?
宇宙に音があるの。
「あー、宇宙は真空だから、音は聞こえない、ってやつか。確かに空気がないから、その振動で伝わる音は、宇宙では聞こえないって云われてるよなー。でも、空気がないってだけで、音がないわけじゃないだろ。聞こえないだけで、宇宙にも音はあるんだぜー。いろいろと面白そうな音がねー」
面白そうな音。
その考えは、なかった。
あの「音」は迷惑でこそあれ、今まで、僕の興味を引く対象ではなかったから。
宇宙の音か、確かに、聞いてみたい気がする。
「だろ?太陽フレアの燃え盛る音とか、恒星風の吹き荒ぶ音、小惑星が激突する音とか、ブラックホールの音なんて、どんなんかなー?わくわくするよなー。おまえのこの「音」がそれだとしたら、いろいろ面白いことになりそうだなー」
Lは、宇宙大好き美少女だったの。
いや、宇宙というより、未知なるものが大好きなのかもしれない。
僕のあの「音」をこんな風に楽しそうに聞くことができるなんて、Lは、やっぱりすごいな、と思った。
そう云えば、Jもなかなか興味深そうに「音」を聞いていた。ふたりは、そういう点ではよく似ているのかもしれない。
その時、
目の前の「線」が、ちりちりと明滅した、ような気がした。
この現象は、以前にも似たものを見たことがある。
あの時、眠りに落ちる前の、Jの「泡」と同じ。
「おっと、そうそう、そっちが本題だったぜ。気づいたんだなー」
Lが云う。
これは、つまり、ラファエルの体に負荷がたまっている、ということ。
遠からず、あの眠りに陥る、のかな。
「そ。まだ、たまーにちらつく程度だから、しばらく猶予はあるんだろーけどなー。でもこんな状態じゃ、安心して探索にも出られねーしな。だから、一旦戻ろうと思ってさ」
一旦戻る、それは、もとのLの体に、だろう。
「そこで、おまえの出番ってわけだ」
ふふふ、とLは笑い「手、もう離していーぞー」と云う。
ラファエルの前肢から、そっと手を離すと、ぐるんと僕の視界に戻った。
どうしてそこで僕の出番、になるのか、よくわからないのだけど。
「さっきも云った通り、もう回復はしてるんだから、戻ろうと思えばいつでも戻れるはずなんだ。ただ、犬の体に意識が入るのも初めてなら、そこから出て自分の体に戻るのも初めてだろ。安全のために、より確実な方法で戻りたい。つまり、ラファエルに入った時と同じ状態で、戻りたいってこと」
なるほど、それはわかる気がする。
さっきLが云ったように、意識だけだから、実は物理的な距離は問題ではなく、戻ろうと思うだけでぱっと飛んで戻れるのかもしれない。
けれど、実際に試したわけではないから、何が起こるかはやってみないとわからない。
Lの意識が体から出た瞬間に、ラファエルが眠りに落ちてしまうかもしれない。
それなら、Lとラファエル、両方の安全を確保した上で、「戻る」べきだろう。
で、ラファエルに入った時、って、どうだったの?
「あの時、オレはもう半分眠ってたけどな。アイが救急車を呼びに走って、すぐにこいつがオレのそばに近づいてきた。それで、鼻先でオレの鼻に触れた。そしたら、こいつの中に入ってた。あー、この云い方だと、ディテールの90%を端折ってるけど、まあ、細かいところはおまえが実際に眠るときのお楽しみって事で、とっとけー」
要するに、「鼻先で鼻に触れた」と「こいつの中に入ってた」の間に、90%のお楽しみ要素がある、とLは云いたいらしい。
意識が自分の体から飛び出して、他の動物の体に入る。それを「お楽しみ」と云える辺りが、Lの凄さなのだと思うけれど。
Jは、だいじょうぶかな。
Lみたいに、楽しんでくれてるといいけれど。
そんな事を、ふと思った。
つまり、Lとラファエル、両方の安全のために、Lの意識がラファエルの体に入ったその時を再現する、ということ。
再現、というか、逆再生、という感じだろうか。
その時と同じ状況を作り出した上で、それをしてみる、という事なのだろう。
眠っているLの鼻に、ラファエルの鼻先で触れる。
そして、Lの意識が、ラファエルの体を出て、本来の自分の体に戻る。
ふむ、確かに、それが確実な気がする。
「だろ?じゃあ、よろしく頼むぜー」
ラファエルが僕を見て、ぱちりときれいなウィンクをした。
犬って、ウィンクできるの。
いや、Lが半年で、そこまで犬の体を使いこなしている、ということなのかな。
え、
じゃあ、よろしく、って何?
僕はいったい、何をよろしく頼まれたの。
天才の話は時々飛躍しすぎて、凡人の僕にはちょっと追いつけない。
「おいおい、いくらラファエルがうちの犬だからって、ひとりでほいほい、オレの部屋まで入って行けるわけねーだろ。そりゃ、今オレにあの「認識の喪失」が使えりゃそうするけどさー。ラファエルが家の中にいるって認識を、屋敷にいる全員から消せばいいんだからなー。でもさっきも云った通り」
ラファエルの体では、そっちの「力」は使えない。
だから、僕が必要、そういう事かな。
「そ。まあ、Jが起きてたら、あいつでも良かったんだけどねー。残念ながら、今それができるのは、K、おまえしかいねーんだ」
妙に芝居がかった云い方で、Lはそう云った。
なんか、楽しんでるよね。
「はっはー、何事もねー、楽しんだもんの勝ちなんだぜー」
すごい天才理論だ、思わず納得してしまいそうになる。
まあ、Lのお屋敷へ行って、Lの部屋までラファエルを連れて行く、
それくらいは、お安い御用だけれど。
真っ暗な地下の下水道で、あのヌガノマの右足に思い切り噛みついて後頭部からコンクリートの地面に転倒させる、なんて荒わざに比べたら、ぜんぜん簡単、かもしれない、けれど。
問題は、僕にあの「力」を使うことが、できるのかどうか。
「できるさ、当たり前だろー」
さらりと、Lは云う。
本当に不思議だ、Lにそう云われると、きっとできるのだろうと思える。
「それも認識だよ、K。認識は敵にも味方にもなる。なら、味方にしよーぜ。できるもんはできる。できるのかどうかじゃねーんだ、できるんだから。あー、おまえが眠るのが楽しみだなー。そしたらおまえにもいろいろわかって、今よりもっと面白くなるんだけどなー」
なんだかそれらしく説得されたと思ったら、最後にはとんでもない事を云い出した。
いや、そう云えばさっきも、「おまえが眠る時の楽しみにとっとけ」とか何とか云ってたような。
僕も、眠るの。
4人の赤ちゃんじゃないのに?
「はあ?4人の赤ん坊だから眠るなんて誰が云ったんだよ。そういう都市伝説みたいなのは、筋肉ゴリラのアイにでも云わせとけ。あのなー、眠るのは「力」の使いすぎでって最初に云ったろー。おまえもこのところ、わりとじゃんじゃん「力」使いまくってたからなー。まあ、遠からず、って感じじゃね」
そう云ってLは、「ふふふ」と心から楽しそうに笑う。
云われてみれば、そうだった。
今日、Lから聞いてわかったいろいろな事実から鑑みると、4人の赤ちゃんであるかどうかは、眠り病とは関係がない。
あの「力」を使いすぎることで、体に負荷がたまり、それが限界に達すると、あの眠りに陥る。
Lが云うには、半月も眠り続ければそれは回復し、おそらく元通り目覚めることができる。
それはとてもシンプルで、わかりやすい答えだった。
けれど、
だったらどうして、もっと早く教えてくれなかったのだろう。
アイの公園でのあの時も、もっと前にも、Lはずっと、ラファエルの姿で僕らのすぐ近くにいたのに。
「それは、おまえの楽しみを奪っちゃ悪いかなーと思ってさー」
Lは「ふふふ」と意地悪く笑って、
「まあそれは冗談。オレもいろいろ確信したのは、つい最近だからなー。おまえの考察も、ずいぶん参考になったぜー?それに、オレはオレでいろいろ調べて動いてると、おまえはおまえでどんどん動いてくれるからなー。その点でもすげー助かった。だから、中途半端なとこで声かけるより、お互いにある程度動いていろいろわかってからの方がいいなと思ってね。そんなこんなで、タイミング的に、今がベストだったってこと」
ふむー
Lの云うことは、いちいちもっともなのだけれど、なんだか、うまく云いくるめられているような気もする。
「なんでだよ、いざって時にはちゃんと助けてたろー?ほら、Jが眠っちゃって、おまえがかついで海岸通りを歩いてた時も、アイを連れてってやったりさー」
あ、
云われてみれば、そうだった。
あの時も、これ以上ないタイミングで、ラファエルの声がして、黒犬に追われたアイが姿を現したのだ。
なんだ、そういうことだったの。
なんだかんだ云いながらも、Lは、僕らを見守ってくれてたんだ。
ありがとう、お姉ちゃん。
素直に、僕はそう云った、のだけれど、
「おい、そ-いうのやめろって、キモチワルイ」
ラファエルが、本気でいやそうな顔をして、僕をにらんでる。
そう云えば、Jが云ってた、「Lは極端な照れ屋さんだからね」って。
「あいつー、余計なことばっか云いやがって」
ちっと舌打ちしながらも、Lはどこか楽しそうだった。
何事も、楽しんだもんの勝ち
Lのその思想は、かなり徹底しているみたいだ。
確かに、眉間に皺を寄せて、難しい顔をしたらなんでも解決できるわけではない。
むしろLのように全てを楽しんで、リラックスしてコトに挑むほうが、良い結果につながることが多いのかもしれない。
「まあともあれ、今日はおまえも疲れてるだろーから、作戦実行は明日以降だなー」
ぐっと背中を伸ばして、ラファエルが立ち上がり、空を見上げている。
つられて見上げると、だいぶ日が西に傾いていた。
16時過ぎか、17時前くらい、だろうか。
確かに疲れてはいたけれど、ラファエルの負担を考えると、あまりのんびりもしていられない、よね。
「だなー。おまえの都合さえ良ければ、明日でもいいかー?」
うん、もちろん僕は構わなかった。
地下道を走り回った疲れも、一晩寝れば元気になるだろうし、夏休みなのでどのみち明日も特に予定はないし。
「じゃあ明日、よろしく頼むぜー。とりあえず今日は帰るか、家まで送るぜー」
そう云って、ラファエルはふるふるっと体を振って立ち上がり、東屋を出て林道を西へ下り始める。
ラファエルの後について歩き出しながら、天才美少女に家まで送ってもらうなんて、なんだか申し訳ない、と思ったけれど、今は大きな黒犬なので、とても心強いのも確かだった。
「だろー?あーあ、本音を云えば、まだ戻りたくねーなー。できることなら、オレもう、ずっとラファエルのままでいいんだけどなー」
また半分冗談なのかと思ったけれど、どうやらLは、かなり本気でそう云ってるらしい。
「本気も本気だぜー。だってこいつ、強いし足も速いしさー、すっげースタミナあるし。おまえも「眠る」時は、ぜひ犬を強くおすすめするぜー」
おまえも「眠る」時は
もう完全に、近々僕が眠るのは確定みたいな口ぶりだけれど。
「ほぼ確定だろーなー。これでおまえだけ眠らない、ってなったら、それはそれでまた面白いけどさー」
ふっふっふー、と楽しそうにLは笑う。
僕だけが眠らない。
そんな可能性もあるのだろうか。
「可能性で云えば、そりゃなんでもあるさー。あの「能力」は、精神とか意識とかに由来するもんだと思うけど、おまえがどれだけ「力」を使ってもすり減らない精神力を持ってるとか、「力」を使う方の燃費が抜群に優れてるとか、そういう特異体質だったとしたら、眠らない、かもしれない。でも、見た感じ、おまえはオレらと変わらないフツーの子供だし、2年生ってことは、オレやJより4歳年下ってことだろー?じゃあ眠るだろー」
年齢も関係あるの。
「仮定だけどなー。じゃあ、おまえ、6年生より2年生の方が強い何かが、あると思うかー?」
ない、かな。
肉体的にも精神的にも、2年生よりも6年生の方が強い、それはそうだろう。
だとすると、大人になれば、力を使い過ぎても、あの眠りに陥らなくなるかもしれない?
「あー、それはあるかもなー。多少使い過ぎても、普段通りに夜眠るだけで回復できるとか、ちょっと多めに眠るだけで回復できるとかは、あり得る話だよなー。それか、逆に、大人になると「力」が一切使えなくなる、だから当然大人の眠り病もない、とかなー。いずれにしても、サンプルが少な過ぎて、可能性とか仮定でしか話せないから、想像だけなら何でもアリになっちゃう。そこへ来て、何故かおまえだけ眠らない、ってなったら、ほら、面白いだろー?」
面白い、か、どうかはともかく。
何か別の基準というか、別の視点というか、そういうもののひとつにはなるのだろうか。
あるいは、例外として切り捨てられる、のかもしれないけれど。
「ははあ、なるほどねー」
Lは、何か納得したような様子でそう云ったけれど、何が「なるほど」なのかは、僕にはわからなかった。
いつの間にか林道は終わって、街外れの田舎道を少し歩き、すぐに市街地の外周道路へ出た。
ここに出るんだ。
だとすると、さっきの林道は、ホタルが丘教会にかなり近かったのかもしれない。
「うん、かなりと云うか、あの東屋からそのまま南へ下ればすぐ目の前に見える距離だよ。Jが家にいるなら寄ってもよかったけど、あいつまだ入院してるからなー」
どこでそんなに南へ下っていたのだろう。
あ、市の下水道。
あそこへ出てすぐに右へひたすら逃げたから、それでだいぶ南下していたらしい。
「うん、それだなー。たぶん1km近くは南へ走ってるんじゃね」
さらりとLは云う。
そりゃ、ラファエルにとっては1kmなんて散歩みたいなものかもしれないけれど。
「あーそうねー。ほらなー、やっぱり犬がおすすめだってー。今ごろJは、かわいいネコチャンで満足してるかもしれねーけどなー」
Lは、僕にはしきりと犬を推してくるのに、どうしてJはネコで確定なの。
「んー、だってあいつ、ネコチャンっぽいじゃん。超マイペースで、何考えてんだかわかんねーとことかさー」
超マイペース?何考えてるかわからない?
それは、僕の知ってるJとは違う人なのでは。
Jは、ペースはのんびりだからマイペースと云えなくもないけど、すぐ顔やしぐさに出るし、わりとわかりやすい人だと思うのだけど。
「ほほー?そりゃまた面白いなー。あいつがネコ被ってるのか、おまえの眼が節穴なのか。どっちにしても、あいつが眼を覚ますのが楽しみだねー」
本当に、Lは何でも面白がるんだね。それはそれで、すごい才能だと思う。
「べつになんでも面白がってはいねーよ、学校とか超つまんねーもん。おまえらが面白すぎるだけじゃね。あーでも、それであいつがネコチャンじゃなかったりしたら、それはそれで面白いかもなー。ウマとか、キリンとかさー。そんで「L~、わたし、キリンになっちゃったんだけど、どうしたらいいかなあ?」とか、云いそうじゃね」
思わず吹き出してしまった。
確かにJなら云いそうだったし、何より、どうしてふたりは、お互いの真似がこんなに上手いのだろう。
「え、あいつ、オレの真似とかできんの?」
できる。
なんだっけ、
「はあ、おまえなんでインターホンにおじぎすんの?ばかなの?」
とか?
今度はLが吹き出した。いや、ラファエルは吹き出したりはしないけれど、心の声で、だ。
「それは、ぜひ聞いてみたいねー。今度やってもらおーぜー」
いつの間にか、ニュータウンの外れのコンビニの前まで来ていた。
大通りを挟んだ向こう側に、あの工事現場の駐車場の入り口が見える。
「でも、おまえんちって、何て云うか、すげー立地だよなー。あの工事現場の目の前だろ?なんかあんのかなー」
信号が青に変わるのを待っていると、Lが、交差点の向こう側、左手に見えるあの駐車場と、正面に小さく見える僕の家と、その間にある工事現場の長い塀を見比べながら、つぶやくように云った。
あらためて云われてみると、確かにそうだ。
何故、父はあの土地を買って、あそこに家を建てたのだろう。
土地を買ったのも家を建てたのも、まだ独身の頃だったはず。
その理由らしきものは、今まで聞いたことがなかった。
「売れない新興住宅街で市内よりも土地が安かったから」
たぶん、尋ねればそんな理由を答えそうな気がする。
確かにそれもあっただろうけれど、本当の理由が、別にあるんじゃないだろうか。
なんとなく、そんな気がした。
信号を渡り、家の前まで通りを歩く。
「うん。まるであそこを見張ってるみたいだよな、おまえんち」
Lが云ったのと、まったく同じことを、僕も考えていた。
あの「力」によって、ミドノ原を思い出すことができない、父と母。
逆に云えば、ふたりは何かを知っている。知っているからこそ、思い出そうとするたびに、認識を奪われる。
それでも土地を買い、家を建てた、父。
何かに抗おうとしているみたいに。
それでも、「ここでずっと見ているぞ」とでも云うみたいに。
「あの「力」の性質から考えて」
同じように黙って何かを考え込んでいたLが、おもむろに口を開いて、
「人に対して攻撃的なことは、しないはずなんだ。しないのか、できないのか、そこはわかんねーけど。もしそれができるんなら、いくらでももっと過激で効果的な方法はある、けどやらねー。たぶん、できないんだろーな。ただ、忘れさせる。ただ、認識を消す。アイの時だってそうだろー。Jにひどいこと云われて、おまえは怒ってた。だから、それがもしできるんなら、見えない力でアイを一発ぶん殴るくらい、してたはず。オレがあのヌガノマの足に噛みついて、引きずり倒したみてーになー。でも、「力」はアイにそれをしなかった。ただ、認識を消して、追い払っただけ。攻撃は、できない。ただ、守るだけ。なんとも煮え切らねー、中途半端な「力」だなーと思ってたけど。おまえの両親に対するそれは、あの土地を守ってるって云うより、あの土地に関わらせないように、おまえの両親を守ってる、そんな「意志」みてーなものを感じる、よーな気がする。もしそうなんだとしたら、それこそが、煮え切らねー中途半端な「力」の本当の使い方、なのかもしれねーなー」
そう云って、Lは「ふふん」と笑って、
「でもおまえの云う、親父さんが「それでも見てるぞ」ってのは、なんかいいね。守ろうとして「力」を使った誰かと、守られるだけじゃなく「力」にその理由を忘れさせられても「見張ってる」親父さんの関係が、なんかいい。まあ、オレの勝手な想像だけどなー」
照れくさそうに、ラファエルは、ぷいとそっぽを向く。
まあ、「見張ってる」も僕の勝手な想像なので、おあいこなのでは。
冷静に考えれば、あの父にそんなかっこいい何かがあるとは、お世辞にも思えないし。
家の前に着くと、ラファエルは足を止めて、
「じゃあ明日、昼過ぎでいいか?迎えに来るぜー」
Lが心の声でそう云う。
うん。でもバスで行くから、迎えはだいじょうぶ。お屋敷の門の前で待っててよ。
「あーまあ確かに。ここから徒歩じゃあ、かなり歩くよなー。おっけー」
くるりと背中を向けて、ラファエルはしっぽを振る。
いつのまにか日もかなり西に傾いて、オレンジ色の夕日が、ラファエルの黒い背中を照らしてた。
L、今日はありがとう、また明日。
その背中に心で声をかけると、
「こちらこそだぜー。明日はよろしくなー」
ちらっとだけ振り返って、照れくさそうにLは云い、すぐに前を向いて、たたっと走り出した。
ラファエルの黒い影が見えなくなるまで見送っていると、もうほとんど黒い点にしか見えないのに、
「そーだ、K、ひとつ云い忘れてたけど」
不意に頭の中に、Lの声が聞こえて、びっくりした。
これ、どこまで聞こえるんだろう。
「はあ?どこまでって、あ、そーか。まあ、自分で確かめろ。ヒントは「オレンジの海」なー」
ふふっとLは笑って、
「あ、云い忘れてたことなー。おまえ、これからはひとけのない所をひとりでふらふらうろつくなよー。ヌガノマがおまえをガブリエルだと思い込んでるんだとしたら、あの程度で諦めるとは思えねーからなー」
はーい、わかったよお姉ちゃん。
「だからおまえ、そーいうのやめろって。オレはまじめに云ってるんだぞー。ほんと気をつけろよなー」
いや、僕も真面目に返事をしたのだけど。
でも、今後はもうマンホールに潜ることもないだろうし、下水道にも特に用はない、よね。
あるとしたら、工事現場の探索くらいだけれど、それは日曜にアイを呼んで一緒に行ってもらえばいいのだし。
ひとりになった途端、どっと疲労が押し寄せてきた。
「オレンジの海」が気になったけれど、もう考えられそうになかった。
また今夜にでも、夢の中でゆっくり考えよう、そう思った。
over the rainbow
屋根裏ネコのゆううつ