the emperor’s new clothes

屋根裏ネコのゆううつ

交番には、若い警官がひとりいて、他の警察官の姿は見えなかった。
長椅子と机がひとつあるだけの小さな交番で、地味な灰色の事務机にその若い男の警官はこちら向きに座っていた。
交番に駆け込むなり、
「お巡りさん、救急車を呼んでほしい」
アイは、彼に向かって簡潔に用件だけを告げる。
そして、彼に断りもせずに、抱えていたJを長椅子の上にそっと下ろして横たわらせた。
状況がつかめず、椅子から腰を浮かしかけて
「ええと、その子、どうしたんだい」
もごもご云っている若い警察官に向かって、
「緊急なんだ、説明は後でするから、早く!救急車!」
アイは一喝する。
まだ声変わりもしていない甲高い声ではあったけれど、迫力は満点だった。
身長180センチのいかつい茶髪の少年に見下ろされて、若い警官は
「あ、ああ、わかった」
たじたじになってしまい、椅子から腰を浮かした中途半端な姿勢のまま、机の上の電話を取り、消防署に電話をかけてくれた。
電話の向こうの救急隊員から状況を聞かれたのだろう。若い警官がおどおどと
「ええと、呼吸、ですか、少々お待ちくださいね」
のんびり受話器を置いてこちらへJの様子を見に来ようとして、
「呼吸はしてる、脈もある、意識はない」
腕組みをして仁王立ちのアイにじろりとにらまれてた。
可哀相な若い警官は「あ、は、はい」と肩をすぼめて、また中途半端な態勢のまま受話器を持ち直し通話に戻る。
アイの大声が聞こえたのだろう、机の奥のドアが開いて、年配の警察官がそこから出てきた。
若い警官が電話を終え、受話器を置くと、つっ立ったままでその様子を見ていたアイは
「ありがとう」
と腕組みを解いて礼を云い、ぺこりと頭を下げてた。
無口で不愛想、と聞いていたけれど、意外と、なんというか、普通の?まともな?ちゃんとした?少年なのかもしれない。
「それで、どうしたんだね?」
奥から出てきた年配の警察官がアイと僕と長椅子に横たわるJを順番に見てから、アイに尋ねる。
「俺はたまたま通りかかっただけなんだ。その子は幼馴染で・・・」
アイが流暢に説明してくれたので、僕は黙って聞いてた。
「ふむ、ふむ、なるほど。彼女、気を失ってるんだね。倒れたときの状況は?転んだとか?何かぶつかったとか?」
年配の警官がおだやかな声で聞く。警察官というより、お医者さんか学校の先生みたいな話し方だなと思った。
「それは、俺は見てない。こいつがいっしょだったから」
アイは僕を見下ろして、
「おまえ、説明できるか?」
そう聞いてきた。
いちいち見下ろすな。
と思ったけれど、背が高いのだから仕方がないことくらいは、僕にもわかってる。
僕はアイにうなずいて、年配の警官に
「砂浜で流木に座って話をしてた。しばらく話していたら、突然具合が悪くなって、こうなった」
できるだけ簡潔にそう説明する。
気を失った?気絶した?眠った?どう云うべきか迷ったので、こうなった、と云った。
「砂浜か。今日は天気も良かったからね、日射病か何かかな。海で泳いだりしてたわけではないんだね?」
年配の警官が僕に尋ねる。
くたびれ果てて気を失うほど海で泳いだのか、という意味かな。あるいは海の中でクラゲや毒のある生き物に刺されたりした可能性を考えたのかもしれない。本当に、お医者さんみたいな人だなと思った。
「ううん」
僕は首を横に振り、
「波打ち際で少し遊んだけど、海には入ってない。あとはずっと砂浜で座って話してた」
淡々とそう云った。
「なるほど」
うなずきながら、年配の警官はこちらに近づいてきて、長椅子に横たわるJのそばにかがみ込み、
「うん、たしかに呼吸はしてるようだね」
少し安心したように云う。
その時、サイレンの音が遠くから聞こえてきて、すぐに交番の前に救急車が止まる。
赤いランプが、くるくると回って、交番の中に立つ僕とアイと年配の警察官を順に照らしてた。
年配の警官が身を起こしながら、
「来たようだね。すまないが、調書を取らせてもらわないといけない。ひとりここに残って、ひとりは一緒に病院まで付き添ってもらいたいんだ。幼馴染の君、彼女の家の連絡先はわかるかな?」
僕とアイを交互に見て、アイにそう尋ねる。
「わかる。病院に着いたら、こいつの家に電話するよ」
アイは警官にそう云ってから、また僕を見下ろして
「おまえ、悪いけどその調書とかは任せる。ジーンのことは、俺に任せろ。教会にはちゃんと連絡するから心配すんな。そんでおまえも家に電話して、親にここまで迎えにきてもらえ」
わりとすらすらとそう云った。
口惜しいけれど、たしかにそれが合理的と云わざるを得ない、よね。
なんだ、また、この敗北感?
いや、まだ負けてない。まだ僕は膝をついてない。
「わかった」
僕が短くアイに答えると、
「だから、そうにらむなって。今度ゆっくり話そうぜ」
少し困ったような顔で、アイはそう云った。
今度ゆっくり話そうぜ?
いいだろう、望むところだった。
アイには聞きたいことが、いろいろある、気がする。
救急車から、白いヘルメットを被った救急隊員がふたり降りてきて、車の後ろの扉を開けて、折りたたみ式の担架(ストレッチャー、かな)を下ろして広げる。
すぐにふたりは車輪付きの担架を押しながら交番へ入ってきて、年配の警官に敬礼をしてた。
「ごくろうさまです」
年配の警官も敬礼を返して、
「この子です」
長椅子に横たわるJを手で示す。
手際よくJが担架に乗せられ、ふたりの救急隊員に押されて救急車に運び込まれるのを、僕はただぼんやりと眺めていた。
「俺もいっしょに行く」
アイも交番を出て、救急隊員に声をかける。
救急隊員から後ろに乗るように指示されたらしく、アイはうなずいて、担架が運び込まれた後ろの扉に回る。
そして、後部ハッチに手をかけながら、アイはこちらを振り返り
「おまえ、ガブリエルか?」
短く、僕にそう聞いた。
ガブリエル?
何を云われたのかわからず、僕が何も答えられずにいると、
「まあいい、今度な」
そう云ってアイは小さく首を振り、救急車の中へ乗り込んだ。
救急隊員たちが扉を閉め、運転席と助手席にそれぞれ乗り込む。
助手席の救急隊員がどこかへ連絡しているらしく、搬送先とか大学病院とか云うのが窓越しに聞こえた。
やがて再びサイレンが鳴り始め、救急車は赤いランプを回しながら走り去って行った。

「さてと」
年配の警官が云って、部屋の奥から折りたたみ椅子をふたつ持ってきて、机の横と向かいに広げて並べた。
僕に椅子のひとつをすすめ、自分も腰かけながら、
「まずは君の名前と、家の電話番号かな。先にお家へ連絡しよう。迎えを待つ間に、調書も取り終わるだろうからね。事件や事故でもないから、調書と云っても簡単な記録だけだよ」
そう云って、僕に気遣うような笑顔を見せた。
僕は、何かに見捨てられた子供のような顔で、救急車を見送っていたのかもしれない。
云われるまま、椅子に座ると、思い出したように両膝にちくりと痛みが走る。
だいじょうぶ、僕はまだ、だいじょうぶ。心の声が云う。
「スズキキクタ、です。電話番号は・・・」
僕が名前を云い、電話番号を伝えると、年配の警官はうなずきながら電話の受話器を上げ、番号をプッシュした。
すぐに電話がつながったらしい、
「スズキさんのお宅でしょうか、夜分に恐れ入ります。こちらはナギサ通り交番の、私は巡査部長のヤナギと申します。ええ、はい。実はお宅のキクタ君をこちらで保護しておりまして、お迎えをお願いできればと・・・」
先程までと同じ、おだやかな口調で年配の警官はそう話していた。
電話に出たのは、父だろうか、それとも母?
なんとなく、父ならいいなと思った。母に余計な心配をかけたくなかったのと、父なら突然警察から電話があってもたぶん動じないだろうと思ったから。
まあ、どちらにせよ、ふたりに心配をかけてしまうことに違いはないのだろうけれど。
それに、Jのご両親にも、何だか申し訳ない気持ちになる。僕のせいではないとは云え、だ。
年配の警官が、会話を終えて静かに受話器を戻した。
そして、僕を安心させるみたいに少し微笑んで
「お父さん、すぐに迎えにきてくれるそうだよ」
穏やかにそう云った。
それから、調書とやらを取られた。事情聴取的なもの、だろうか。あるいは年配の警官の云うように、簡単な業務記録、というのが正解なのかもしれない。
彼の質問に僕が答え、答えた内容を若い警官がパソコンに入力していった。
僕の名前と住所、Jの名前、Jの住所はホタルが丘までしかわからなかった。
アイの名前も聞かれたけれど、名字は知らなかったのでそう答えた。
何時頃、どうやって海へ行ったのか。海で何をしていたのか。Jが倒れたときの状況。その後、交番までどうやって来たのか。
淡々とできるだけ簡潔に、余計なことは云わないように、僕は答えた。
余計なことを云って、話がややこしくなるのを避けたかっただけだった。
父が迎えに来てくれたら、そのまままっすぐに病院へ行ってもらうつもりだった。
だから、さっさとこの調書とやらを終わらせてしまいたかった。
そんな僕の様子は、熟練の警察官にはきっとお見通しだったのだろう。
ひと通り僕の話を聞き終えると、ヤナギ部長は「ふふ」と笑って、
「君は、賢い子だねえ」
眼を細めて、そんな事を云った。
そして若い巡査に「おい、今のは書かなくていいんだぞ」と念を押してた。
「は、はっ」
すでに入力していたらしく、若い警官は慌ててキーボードの削除キーを連打してた。
その時、外に車の止まる音がして、振り返ると、交番の前に父のおんぼろ軽自動車が止まってた。
てっきり父がひとりでくるものと思い込んでいたのだけれど、助手席から母も下りてきたので僕は少し驚いた。
母は交番へ入ってくるなり、ヤナギ巡査部長に深々と頭を下げ、
「たいへんご迷惑をおかけしまして、申し訳ありません」
そう謝っていた。
父もすぐ母の後ろに立って、深々と頭を下げていた。
ヤナギ部長はさっと立ち上がって、
「いえいえ、お母さん、こちらは職務ですから。それに、キクタ君は自分でここまで倒れたお友達を連れて保護を求めに来たのですから。まだ小さいのにしっかりとした立派なお子さんですなあ」
そう云って笑顔を見せた。
母は「いえ、そんな」と恐縮していたけれど、すぐに僕を見て、
「それで、ジーンちゃんは?」
と聞く。
ヤナギ部長が、「おい」と若い警官に声をかけると、「はっ、たった今連絡がありました」と若い警官がパソコンの画面を見せながら「大学病院の救急センターへ搬送されたようです」と答える。
いつのまに指示していたのか、ヤナギ部長は救急車の行き先を問い合わせてくれていたらしい。
「大学病院の救急センターだそうです」
僕と母を交互に見て、ヤナギ部長はそう云った。
「ありがとうございます。もう、行ってもよろしいですか」
母は、いつでもストレートだ。相手が年上の警察官であろうと、それは変わらないらしい。
「ええ、結構です。もう聴取は済んでおりますので。どうぞお気をつけて」
ヤナギ部長はうなずきながらそう云って、ちらっと僕を見た。
なるほどこの母にしてこの子ありだな、と微笑みを浮かべたその顔には書いてあったような気がしたけれど、僕の気のせいかもしれない。

3人でおんぼろ軽自動車に乗り込み、市内の大学病院へ向かった。
しばらく沈黙が続いたあと、母が助手席から身を乗り出して後部座席の僕を振り返る。
そして、上から下まで僕を眺め、その視線が僕の手元で止まった。
なんだろう、と見下ろすと、僕は手にJの下駄を持ったままだった。
左手の指にJの下駄の鼻緒を引っかけてそのままJを背中に担いでいたから。
アイが僕の背中からJを持ち上げて抱えた後も、下駄は僕の指に引っかけたままだった。
そのまま、いま気がつくまで、Jの下駄は、すっかり僕の意識から外れてた。
これもひとつの無意識、だろうか。
いつでも直球勝負の母にしてはめずらしく、母は黙ったままだった。
何も云わずにじっと下駄を見て、それからまた僕の顔を見て、やがて「はあ」と大きなため息をつく。
そしてため息の言い訳をするように、
「こんなことになるなんてね。浴衣なんて見つけなければよかったのかしら」
ひとりごとのようにぽつりと云った。
「キョウコさん、それは違うよ」
めずらしく、たしなめるような口調で、父が云う。
「ジーンちゃん、あんなにうれしそうに笑ってたじゃないか。なあ、キクタ」
それには、僕も同意だった。
「うん、お祭りでもずっと楽しそうに笑ってたよ。浴衣を着て、海へ行くのが小さいころからのあこがれだったって。だから、ふたりであの海まで行ったんだ」
もちろん、Jが倒れたことと、母が浴衣を見つけたことに何の因果関係もないことくらい、母にもわかっているだろう。
それでも、そう考えてしまう気持ちも、すごくわかる。
もし浴衣を見つけていなければ、それをJに着せて僕といっしょにお祭りへ行かせようなんて考えなければ、と。
「そう、ね。失言だったわ、ごめんなさい」
誰にともなく、母は謝って、また助手席に前向きに座り直した。
そして、
「ジーンちゃん、目を覚ましててくれるといいんだけど」
またひとりごとのように、母はぽつりと云う。
「ああ」
ハンドルを握り前を見据えたまま、父がうなずく。
そう、それが普通の感覚だ。
さっきのヤナギ巡査部長も「日射病か何かかな」と云ってた。
一時的に意識を失っているだけ、と考えるのが普通なのだろう。
今の時点で、Jが、そう簡単には目を覚まさないだろうと思っているのは、Lと同じ状態だと知っている僕だけ、のはず。
でも、アイは、どちらかと云えば僕に近い見方をしていたように思えた。
やっぱり、アイは何かを知ってる。
それが、同学年の6年生だからなのか、それとも彼もあの4人の赤ちゃんのひとりだからなのか、その理由までは、僕にはわからないけれど。
病院の駐車場に車を止め、3人で車を降りて正面玄関へ向かうと、すでに灯りは消え、入り口の扉は施錠されているようだった。
ガラス扉越しに見ると、常夜灯と非常口を示す緑の灯りだけが、ぼんやりと広い受付ロビーを照らし出していた。
玄関の脇に、「夜間外来受付」と書かれた看板の灯りが見えて、矢印が病院の右手を指し示している。
3人で小走りにそちらへ向かうと、建物を右へ回り込んだところに、街灯に照らされた夜間外来受付の入り口が見えた。
ちょうどその前にタクシーが止まっていて、中から初老の女性が下りてきたところだった。
白髪の上品そうな女性、Jのお母さんだ。
「ジョウノさん」
父が声をかけながら駆け寄り、彼女の手前で立ち止まって深々と頭を下げた。
「大事な娘さんをお預かりしておきながら、たいへん申し訳ございません」
父はそう云って頭を下げたまま、動かなかった。
すぐに母も追いついて父の横に並び、
「本当に、申し訳ございません」
深々と頭を下げる。
僕も母の横に並んで、「ごめんなさい」と頭を下げた。
お詫びを云って頭を下げたところで何かが変わるわけではないけれど、そうせずにはいられない気持ち、というのがあるのだなと、僕はひしひしと感じていた。
「スズキさん、どうぞ頭を上げてください。奥様も、まあまあキクタさんまで」
Jのお母さんは、すっかり恐縮しているようだった。
父が頭を上げて、
「すみません。まずは中へ、行きましょう」
そう云って、夜間外来の入り口のドアを開く。
それはそう、お詫びをしたいのは僕らの勝手な思いだけで、Jのお母さんとしては、それよりも一刻も早くJの様子を知りたいはずだ。
中は正面玄関と違って蛍光灯の白い灯りが点いていて、すぐ左手に守衛室と書かれたドアと小窓があり、その向こうには小さなカウンターがあって、男性の看護士さんが立って何やら書類を書き込んでいた。
父が急ぎ足でカウンターへ向かい、「すみません」と男性看護士に声をかけ、
「先程、救急車で搬送された女の子、ジョウノジーンさんは今どちらに・・・」
そう尋ねる。
「失礼ですが、ご家族の方ですか」
看護士さんに聞かれ、父は半歩身を引いて、
「お母さんです」
Jのお母さんを手で示した。
看護士さんはカウンターの中にいる他の看護士らしき人と何やら言葉を交わしていたけれど、こちらからは話の内容までは聞こえなかった。
「救急センターですね、ご案内します」
看護士さんが僕らを振り返って云い、先に立って廊下を歩き出す。
僕らも彼の後に続いて廊下を少し進み、正面にさっきのロビーが見えてきた辺りで、看護士さんはロビーには向かわず廊下を右へ曲がった。
長い廊下をしばらく進むと、向こうに見覚えのある茶髪の長身が見えた。
廊下の隅に、所在なさそうに立っている、アイだった。
近づくと足音が聞こえたのかアイはこちらを振り返り、僕に軽く手を上げていたけれど、Jのお母さんもいっしょにいるのを見て、ばつが悪そうに視線をそらしてた。
Jのお母さんは早足になってアイに近づくと、
「アイ、電話ありがとうね。久しぶり」
ぽんぽんとアイの肘のあたりを軽く叩いて云う。
「ああ、うん、久しぶり」
さっきまでの威勢のよさはどこへやら、久々に育ての母に会って、照れくさそうに視線も合わせられないアイは、見た目はいかついけれど中身はやっぱり普通の小学6年生なんだなと思う。
「それで、ジーンは・・・」
Jのお母さんがアイにそう尋ねかけた時、アイが立っていた場所の向かいの壁にある両開きのドアが片方だけ開いて、白衣を着た医者らしき中年の男性が出てきた。
メガネをかけた医師の眼がくるりと僕らを見渡して、
「アイ?お前はここで何をしている」
いきなりアイの名を呼んで声をかけたので、驚いた。
「親父」
困ったように顔をしかめたアイが、小さくつぶやくのが聞こえた。
この人が、アイのお父さん?
大学病院のお医者さん、なのだろうか。
「た、たまたま通りかかったんだ。具合が悪そうだったから、交番まで運んで、救急車を呼んでもらって、一緒にここまで来た。幼馴染なんだ。それだけだ」
ふてくされたようにそっぽを向いて、アイはぶっきらぼうにそう云った。
「ほう」
アイのお父さんはメガネの奥の眼を細め、そっけなくそれだけ云った。
アイの長身に隠れて見えなかったのだろう、Jのお母さんが横に少し移動して、
「アンドウ先生、お久しぶりです。ジョウノです」
アイのお父さんにお辞儀をする。
そうか、アイのお父さん、という事は、養子縁組の時にJの両親と顔を合わせているんだ。
「ジョウノさん?ああ、なるほど。それで幼馴染か」
ちらりとアイを見て、納得した、という風にアイの父、アンドウ医師はうなずいてた、けれど。
ほんの少し、違和感を覚えた。
アイのお父さん、アンドウ医師に、だ。
なんとなくだけれど、言葉やしぐさが、妙に芝居がかっているような。
それに、救急センターで診察するときに、医師は患者の名前を見ないのだろうか。
救急車にはアイも同乗していたのだから、救急隊員に問われて、あるいは病院へ到着した時点で救急センターの人に、Jの名前や年齢など、わかることは伝えているはず、じゃないのかな。
ジョウノジーン、という名は、J自身が自己紹介の時に「へんななまえでしょ?」と云っていたけれど、いや、僕はぜんぜんへんじゃないと思うけれど、まあ、めずらしい名前には違いない。
うちの父でさえ、「ホタルが丘のジョウノさんって云えば、教会の?」と、ぴんと来てたくらいなのに。
アンドウ先生は、まるで今はじめて気づいた、みたいな顔をしてる。
なんでだろう、という違和感だった。
「それで、ジーンの容体は、どうなんだ」
ふてくされたような顔のまま、父親をにらみつけるように見て、アイは聞いた。
アンドウ医師はまた、芝居のようなあきれた顔をして、大きなため息をついてから、
「アイ、お前はなんだ、彼女の家族か?違うだろう?部外者に患者の容体をぺらぺら話す医者がいると思うのか?お前、仮にも医者の息子だろう?」
大袈裟に肩をすくめて、そう云った。
仮にも?
仮にも医者の息子
この人は今、そう云ったのだろうか。
養子であるアイに対して?
いや、僕が深読みしすぎなだけ、なのかもしれないけれど。
でも血のつながった実の息子じゃないからこそ、それは云ってはダメなのでは。
「それで、あなたがたは?」
アンドウ医師は僕ら3人を順にちらりと見て、冷淡に云う。
まるで、あんたらも部外者だろう?と云われているようだった。
「スズキと申します。息子が、今日はジーンちゃんと一緒に出かけておりまして・・・」
父が説明を始めると、全部を聞かないうちに、
「ああ、わかりました。ご家族でないのでしたら、どうぞここでお待ちを」
めんどくさそうにそう切り捨てて、アンドウ医師はJの母の方を向いて、
「ではジョウノさん、ジーンさんの容体をご説明しますので、どうぞこちらへ」
さっき出てきたドアを再び開けて、Jのお母さんを室内へ招き入れると、こちらには目もくれずに中へ入り、ばたんとドアを閉めた。
「くっ」
アイは、悔しそうに顔をゆがめて、閉じたドアをにらみつけていたけれど、すぐにこちらを振り返って、
「すまない」
僕ら3人に頭を下げてた。
「ああいうやつなんだ、親父は。不愉快な思いをさせちまって、すまない」
僕は、驚いた。
たしかに無口で不愛想だけれど、でも、ぜんぜんいい子、だよね、アイは。
Jは、何て云ってただろう。
記憶を辿る。
「無愛想でぶっきらぼうなところはあったけど、あんな粗野な乱暴者じゃなかったと思うんだけどなあ」
たしか、そう云ってた。
なんだ、じゃあ、やっぱりJの思ってた通りだったの、かな。
「いやいや、気にしないで。こちらが場所もわきまえずに、いきなり大勢で押し掛けたんだから」
父があわてて手を振りながらアイにそう云って
「それより、君がキクタとジーンちゃんを助けてくれたんだね、どうもありがとう」
深々とお辞儀をしてた。
「ほんとよ、キクタひとりだったら今頃どうなってたことか。ありがとうね」
母もそう云って、アイに頭を下げる。
「や、何、やめてくれよ。俺は、ただ、幼馴染だから、ジーンとは。だから、ほっとけないっつーか。い、妹みたいなもんだから」
大人ふたりに頭を下げられて、アイは本気であわてふためいてた。
うん、やっぱり悪い子じゃない、よね。
ただ、それでもいつか、こいつをビームで倒すけど、僕は。
アイがいいやつかどうかと、Jをお姫様だっこした事とは、また別の問題だし。
「じ、じゃあ、俺、帰るわ。ここにいたら、また親父になに云われるかわからねえし」
そう云うなり、アイはくるりと僕らに背を向けて、足早に廊下を歩き出す。
「気をつけてね」
母が背中にそう声をかけると、アイは背中を向けたまま右腕を上げて、ガッツポーズみたいにぐいっと腕を曲げてみせていた。
太い腕だった。筋肉むきむきの。
「いい子ね」
母が云う。
「うん」
それは、僕も認めざるを得ない、けれど。
しばらくそこで待っていると、ドアが開いて、Jのお母さんが出てきた。
アンドウ医師もすぐに続いて出てきて、
「では、ジョウノさん、私はこれで」
Jのお母さんにお辞儀をして、僕らにも軽く会釈をし、すたすたと廊下を歩き去っていった。
すぐに両開きのドアが大きく開いて、車輪付きの担架に乗せられたJがふたりの看護士さんたちに運ばれて出てくる。
「ではお母さん、小児科の方へ」
看護士さんが云いかけると、Jのお母さんは片手を上げてそれを制して、
「看護士さん、私はスズキさんにご挨拶をしてから参りますので、どうぞ先に行ってください」
おだやかに落ち着いた声で、そう云った。
看護士さんは僕らをちらっと見て、
「わかりました。小児科はこの廊下の右手、東棟の2階になります。入院の手続きもそちらになりますので」
そう云って、Jのお母さんにお辞儀をする。
Jは、酸素マスクを付けられていた。けれど、ほとんど外れかけていて、形だけ、という感じだった。
呼吸はしているのだから、それはまあ、そうだろう。
母は、Jを見るなり、涙目になってうつむいていた。
看護士さんたちに担架を押されて、Jは小児科の病室へ運ばれて行く。
Jのお母さんは、うつむいてしまった母の手を取ると、
「スズキさん、ジーンに素敵な浴衣を着せていただいて、ありがとうございます。きちんと洗濯してお返ししますので」
やわらかに微笑みながら、そう云った。
母は真っ赤な眼をして、「いえ、そんな」と云ってうつむき、それきり何も云えなくなってしまったみたいだった。
「キクタさん」
いきなりJのお母さんに呼ばれて、僕はびっくりした。
「ミカエルのお見舞いに、ジーンといっしょに行ってきたのでしょう?」
そう、Jのお母さんは云って
「あなたから見て、どう?今のジーンは、ミカエルといっしょなのかしら」
Jによく似た、落ち着いたやさしそうな眼が、まっすぐに僕を見る。
そうか、Jは、お母さんに話していたんだ。
Lが今どんな状態なのかを、そして、
「あの子、わたしもいつかミカエルみたいに眠っちゃうのかも、なんて云ってたのよ。冗談っぽく笑ってたけれど、本当は不安だったのかもね」
やさしい声で、Jのお母さんは続けて云う。
どう答えればいいのか、僕は迷っていた。
Jがどこまで、Lの事をお母さんに話していたのかは、わからない。
Lといっしょ、と答えれば、Jは少なくとも半年かそれ以上、眠り続けると云うのと同じ意味になる。
でも、Lが病気や何かではなく、ただ眠っているだけなのだという事までJが話していたのだとしたら、Lと同じで眠っているだけ、と教えてあげるのは、悪い事ではないような気もする。
でも、医者でもない僕が、Jのお母さんにそんな病状の告知めいたことをして、いいものかどうか。
迷ったまま、僕が何も答えられずにいると、
「ごめんね、困らせちゃったわね」
ふふふ、とJのお母さんは笑った。Jにそっくりなやさしい笑顔だった。
「また落ち着いたら、ジーンのお見舞いにも来てちょうだいね」
そう云って、Jのお母さんは、僕の肩をぽんぽんとやさしくたたいた。
そして、父とうつむいたままの母の方を向いて、
「たいへんご心配をおかけしまして。先生のお話では、ジーンはどこにも異常は見当たらないそうです。怪我などの外傷もなく、呼吸も脈拍も少ないようですけれどちゃんとあるそうです。ただ、目を覚まさない原因がわからないので、しばらく検査のために入院することになるそうです」
そう、落ち着いた声で話した。
やっぱりある程度は、JからLの様子を詳細に聞いていたのかもしれない、とその時、僕は思った。
むしろうちの父と母の方がショックを受けているようだった。
母は何も云えず、父も「そう、ですか」と絞り出すように云うのがやっとだった。
「でも、主人が教会の集まりで出張中だったのが幸いでした。あの人、ジーンのこととなると、何と云うんでしょう、相当な・・・」
そう云って、Jのお母さんはくすくす笑った。
ああ、Jのお母さんだな、と僕はものすごく納得した。
Jのあの、明るさ、たくましさ、やさしさ、しなやかな強さは、まちがいなくこのお母さん譲りなのだろう。
「いえ、わかります。いや、その、ご主人の気持ちが、私も、すごく・・・」
父がまた妙なことを云いだして、母からわき腹に肘鉄を食らっていた。
僕は、いや、父からは何も譲り受けていないことを祈ろう、かな。
Jのお母さんの明るさに救われる形で、父と母も多少なりともショックから立ち直ったようだった。
「では、入院の手続きがあるそうなので、私はこちらで失礼いたします」
そう云って、Jのお母さんは僕らに丁寧なお辞儀をする。
「こちらこそ、お時間を取らせてしまい、すみません」
父がそう云ってお辞儀を返して、母も並んでお辞儀をしたので、僕もぺこりと頭を下げた。
エレベーターの方へと歩き出してから、Jのお母さんは振り返って、
「でも、何事もなかったみたいにそのうち目を覚ますような気がします。強い子たちですからね」
そう云って、僕の顔を見てにっこり笑った。
強い子たち。
LもJも、という事なのだろう。
「はい」
きっぱりとそう答えて、僕も笑顔でJのお母さんを見送った。

帰りの車の中で、父と母にLの事をざっと説明した。
僕とJのお母さんの話が、ふたりにはたぶんちんぷんかんぷんだったろうと思ったのと、Jの容体の事をあれこれ想像して余計に心配させるのもかわいそうだと思ったので。
まあ、原因不明の眠り病だと説明されて、それで安心できるのかと云えば、それはそれで疑問ではあるのだけれど。
Lに兄弟がいるかもしれず、その子も眠り病かもしれない件は、云わなかった。
兄弟説は、あくまで僕とJとの想像でしかなく、今のところ何の証拠もなかったから。
「じゃあ、あのアイちゃんは?彼も教会の子なんでしょう?さっきの様子では」
アイに関しては僕もまだよくわからないことがいろいろあったので、あえて触れなかったのだけれど、勘のいい母はごまかせなかったらしい。
まあ、アイが自分で「妹みたいなもん」とか云っちゃってたのだけど。
「アイも眠るかも、ってこと?それは、わからない」
本当にわからないので、僕はそう答えた。
「アイちゃんが突然寝ちゃったらたいへんね、誰が運ぶのよ」
母にしてはめずらしく、なかなかシニカルな冗談を云うなあと思いルームミラー越しに見たら、真剣な顔で云っていた。本気で運び手の心配をしていたようで、それはそれで母らしい、かも。
「冬眠みたいな眠り、か。まあ、医者が調べても原因不明だって云うんじゃなあ。うーん、でも、やっぱり気になるから会社で少し調べてみるよ、12年前のことも含めて」
そう父は云っていた。
話したら話したで、ふたりには余計にいろいろ考え込ませちゃったかな、と少し後悔していたけれど、
「でも、教えてくれてありがとな、キクタ。何にもわからずにあれこれ心配してるだけより、調べものができる方がよっぽどいい。それがジーンちゃんのためなら、尚更な」
父が云い、
「そうねえ、ほんとに眠ってるだけなら、ジーンちゃんのお母さんの云う通り、そのうちぱっと眼を覚ますかもしれないわよね」
母もようやくいつもの母らしく前向きなことを云っていたので、まあ良かったのかな、と思った。

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