the emperor’s new clothes v

屋根裏ネコのゆううつ

波打ち際の夢を見た。
それが夢だとは、すぐにわかった。
僕はあおむけに横たわって、打ち寄せる波とその向こうのオレンジ色の空を見ていた。
僕の体はほとんど水の中にいて、寄せては返す心地良い冷たさの波に、全身を洗われていた。
手足の感覚はほとんどなく、まるで体が海に溶けてしまったかのよう。
耳元で絶え間なく鳴る波の音が聞こえ、目の前を行き来する波の泡とその向こうに広がる明るい空は見えていたので、少なくともまだ目と耳だけは、海に溶けずに残っているみたいだけれど。
波音に紛れて、誰かの楽しそうな笑い声が聞こえている。
元気な少年のような、ハスキーな女の子の声、だろうか。
「おもしれー・・・とは思ってたけど、・・・ほんとに、・・・おもしれーな」
ざあざあと鳴る波音に重なって、途切れ途切れに彼女の声が聞こえる。
誰なのだろう。
聞いた覚えのない声なのに、何故だかすごく懐かしい感じがした。
とても楽しそうに彼女が笑っているので、なんだか僕まで楽しい気持ちになってくる。
「まさか、あの・・・とはねー・・・」
「・・・」
「いやあ、・・・でも、おまえだって・・・思ってんだろ?」
誰かと、話しているのだろうか。
相手の声は、波音にかき消されてしまっているようで、僕には聞こえなかった。
「だいじょぶ・・・、だって・・・あいつなら、・・・やれるさ」
彼女は楽しそうに「ふふふ」と笑って、
「な、そーだろ?K」
不意に僕の耳元で、囁くようにそう云った。

翌日、水曜日の、昼下がり。
13時を過ぎても、アイは姿を現さなかった。
予想していたこと、とは云え、実際に顔を見せないとなると、やっぱり少し寂しい気がする。
ほんの少し、だけれど。
それでもまだ、進もうとする僕の意志が、折れないのなら、
ひとりでも、少しくらい寂しくても、前へ進もうと思った。
Jがくれた勇気が、つづく限りは。
なんて、ね。
そんなことを思いながら家を出ると、通りの向こう側、瀟洒な街灯の上に止まっていた黒いカラスと目が合った。
あの公園のカラス、ではないと思うけれど、小首を傾げてまるで何か云いたいことでもあるみたいに、僕を見下ろしてる。
「だいじょうぶ」
なんとなく、そう小さくつぶやいて、歩き出す。
自転車で行こうかとも思ったけれど、ひとけのないあの駐車場に自転車を止めたままにするのは何だか少し物騒な気がしたので、徒歩にした。
家の前の通りを南へまっすぐに進み、コンビニのある交差点を右へ、大通りを渡る。
駐車場の横にあたる広い雑草のジャングルを右手に見ながら、歩道をまっすぐ西へ。
10mほど進んだところで、
「おーい」
甲高い少年の声に、後ろから呼ばれた。
振り返ると、コンビニから出てきたアイが、こちらに大きく手を振っていた。
そして、店の前に止めてあったマウンテンバイクに飛び乗ると、アイは交差点を渡ってこちらへ向かってくる。
「悪い、遅くなった」
僕のところまで走ってくると、アイは自転車を止め、手に下げていたコンビニ袋からソーダ味の棒アイスを取り出して、押し付けるように僕に1本渡す。
「これも、買ってきた」
自分の分のアイスを取り出してから、さらにコンビニ袋に手を突っ込んで、取り出したのは鮮やかな蛍光オレンジ色のボールだった。
そうか、忘れてた。
彼は「見かけによらず律儀で優しいお兄ちゃん」だったのだ。
その律儀さと優しさがとてもうれしかったので、僕は「ふふっ」と笑って、「ありがとう」と云った。
「おうよ。これがありゃどうとでも言い訳が立つからな」
アイはふふんと得意げに笑って、ボールをズボンのポケットに捩じ込み、コンビニ袋を自転車のハンドルにひっかけた。そして片手でマウンテンバイクを支えながら、もう片方の手でアイスを持ってその包装を器用に歯で噛んで破いて開けた。
今日も来てくれてありがとう、の意味もあったのだけれど、それはどうやら通じなかったらしい。
いや、実は通じているけれど、照れくさくてとぼけてるだけかもしれない。
「とりあえず、アイス食え。溶けちゃうぜ」
アイスを口にくわえて自転車を片手で押して歩き出しながら、アイは云った。
「うん」
うなずいて、僕もアイスの包装を破いて開け、かじりつく。
ひんやりと冷たいアイスは、とてもおいしかった。
駐車場に着くと、アイは奥の塀際の草むら近くに自転車を止めた。
アイスの包みと食べ終えた棒を空のコンビニ袋に放り込み、僕の方に向けたので、僕も棒と包みをその袋に入れる。
アイは袋の口をきゅっと縛ると、昨日と同じ、草むらに半ば埋もれたゴミカゴに、その袋をぽいと投げ込んだ。
そして、
「よし、行くか」
アイが云うので、
「自転車、カギかけないの?」
僕は尋ねる。まず誰もここへは来ないとは思うけれど、それでも物騒では。
「かけない方が、すぐ出れるだろ」
アイは短くそう云った。昨日のことを思い出したのか、少し表情が固い、気がした。
また、ここから逃げなきゃいけなくなった時のために、ということなのかな。
わかった、と僕はうなずく。
それでアイが安心なのであれば、無理にカギをかけさせるほどのことでもないし。
昨日、逃げ出した時に、アイが駐車場の隅に放り投げて行った木の棒を見つけたので、拾って来てアイに渡した。
「おう、サンキュー」
まるで伝説の武器を取り戻した戦士か何かのように、アイはニッと笑って、付近の雑草を棒で叩いてる。
試し切りにされた雑草が、無残にちぎれて飛ぶ。
満足げにうなずいて、アイは昨日と同じ西側の雑草のジャングルに、足を踏み入れた。
一度通っているので、雑草のジャングルは踏み分けられていて、昨日より多少は歩きやすい。
5〜6mほど進んだところで、前を行くアイが立ち止まった。
そのまま動かないので、「どうかした?」と背中に声をかける。
アイの大きな体が目の前に立っているので、僕には前方の様子がまるでわからない。
「隙間が」
アイが云って、「ああすまん、見えねえな」と体を塀とは逆の草むらの方へずらしてくれる。
外れかけた塀の鉄板を、手前に引っ張って広げた隙間が、なくなっていた。
見間違いで、別の塀を見ているのかもと思ったけれど、そういうわけではなかった。
塀には、昨日アイが棒の先端を突っ込んだらしき場所に、棒の太さと同じサイズの歪みが残ってる。
けれど、広げた隙間はなく、昨日アイに引っ張られた鉄の塀は、逆向きの力で押し込まれたみたいに元に戻され、隙間がなくなっていた。
「あいつが直したのか」
「多分、そうだろうね」
昨日、鉄の塀を引っ張った時、わりと大きな音が鳴っていた。鉄板がねじ曲がって軋むような音が。
だいぶ距離があったとはいえ、静まり返った塀の中にいたあの人物の耳に、その音が届いていた可能性はある。
そう僕が云うと、アイもうなずく。
「その前にもわりと派手に塀を叩いて回ってたしな。しかもぐるっと1周だぜ。塀の中にいたあいつに聞こえてたとしても不思議じゃねえよな」
工事関係者か、管財人?と云うのだろうか、いま現在のこの土地の権利者か、何らかの関係者なのだとして、物音を聞きつけていたのなら、確認のためにこの場所へ様子を見に来るだろう。
壊れて外れかけた塀の鉄板が、大きく歪んで隙間が空いているのを見つけたら、とりあえずその隙間を塞ぐために、鉄板を押して戻そうとするのも当然と思える。
「じゃあやっぱり昨日のあいつは、ここの関係者か」
ホッと少し安心したように息をついて、アイは云う。
まさか本当に、怪談のナントカいうアレだと思っていたのかな。やれやれ、お兄ちゃん、やれやれだよ。
それはさておき、
おそらくまだこちらの姿までは見られていないと思うけれど、存在は、あちらに知られてしまったはずだった。
風や自然現象で、鉄の塀が一部分だけ50cmもゆがんで外れることはそうそうないだろう。
外れかけた塀をゆがめて隙間を開け、中をのぞいていたやつがいる、とあの人物は知った。
そして、その塀の隙間を元の状態にまで押して戻した。
「アイ、鉄板を引っ張ってみて」
おそらく、完全に元通りには、内側の留め金までは直していないはず。道具も部品も持っていなかっただろうし。
「おう」
答えて、アイが昨日と同じあたり、鉄板がゆがんだ箇所に棒の先端をねじ込むと、棒はするりと入った。
そのまま引っ張ると、鉄板がこちらに浮き上がってくる。
やはり、応急的に塀を押し戻しただけで、固定まではされていないらしい。
「これ、直しに来るかな。開かないように完全に」
どうだろう、僕も同じことを考えてた。
日をあらためて、工具や部品を用意して、わざわざ手間とコストをかけてまで、この塀の隙間を直すだろうか。
塀の中にある「何か」の今現在の危険度にもよるとは思うけれど、昨日のあの人物は何も特別な装備もなしに、塀の中を歩いていた、ように見えた。
遠すぎてシルエットしか見えないくらいだったけれど、防護服やヘルメットを被ったりしているようには、見えなかった、と思う。
どちらにせよ、塀が押し戻されて隙間が閉じているからといって、今すぐここを離れなければいけない理由にはならない。
塀はまだ固定されていないのだ。
だったらもう一度隙間を開けて、中へ入ってみるべきでは。完全に直されてしまう前に。
僕がそう説明すると、
「だな、チャンスは今しかないかもしれねえ」
アイはうなずいて、塀の隙間に差し込んだ棒に力を込めて「行くぞ」と云った。
僕がうなずくと、アイはゆっくりと、棒を手前に引く。
なるべく、大きな音を立てないようにしているのだろう。
ゆっくりゆっくりと梃子を利かせて、昨日と同じくらいまで、鉄の塀を手前にゆがませて、60cmほどに隙間を広げた。
そのまま、耳をすませてしばらく様子を伺う。
どこか遠くから、蝉の鳴き声が聞こえる。
僕の耳の中では、遠くで重機が動くような、低い唸りが聞こえている。
他には、何も聞こえなかった。
大急ぎで近づいてくる足音も、見知らぬ大人の叱責の声も、聞こえない。
アイが確認するように僕の顔を見たので、ひとつうなずき返す。
「よし、行こう」
小声で云って、アイは身をかがめ、開いた塀の隙間から、その内側へ、一歩足を踏み入れた。
中に入ったアイは、周囲をぐるりと見渡して安全を確認すると、振り返って僕に手招きをする。
僕も塀の隙間をくぐって、ついに、工事現場の中へ入った。
空気が変わったような気がしたのは、気のせいだろうか。
「アイ、だいじょうぶ?」
思わず、僕はそう聞いてた。
アイは少し口元をゆがめて、苦笑いを浮かべる。
「ぞわぞわするな。あの公園に似てる」
そう云って、あの時と同じように、太い腕を両手でさすってた。
「無理そうなら、引き返す?外で待っててくれてもいいよ。僕ひとりでも行ける」
僕がそう云うと、アイは笑って僕の額を指先で小突いた。
「おまえひとり行かせたりしたら、後でジーンとミカエルに何云われるかわからねえからな。だいじょうぶだ、何か異常を感じたら、すぐおまえに知らせる」
何か異常。
眠気、とかだろうか。
確かに、あの時はJだったからどうにか背負って運べたけれど、アイは無理だ。
運ぶどころか、背負うことすらできないだろう。
「まあ、それもあるしな、少しずつ慎重に進むとしようぜ」
アイの言葉に、僕もうなずく。
目の前には、黒っぽい土の地面が広がっていた。
地面は固くしっかりと踏み固められている。
イメージ的に、工事現場の土は柔らかいのかと思っていた。
掘り返されたり、あるいは掘り返して地下の工事をしたり何かを埋めたりするのにも、固くない方が都合がよさそう、だけれど。
だから、しっかりと踏み固められていたのは少し意外だった。
例えるなら、学校の校庭の地面ような、固さ。安定感はあるけれど、転んだら痛そう、という感じかな。
奥へ向かって、わずかに上りの傾斜があるみたいだけれど、地面は、ほぼ平らだった。
それもまた、少し違和感があるように感じる。
250平方m以上の広い地面が、ほぼ平らという事があるのだろうか。
場所的に云えば、山間部ではなく、海沿いの平野部だから、平らであってもおかしくはないのだろうけれど。
それでも、いくら文字では「平地」とは云っても、多少なり、でこぼこと起伏があるのが自然な気がする。
まるでわざわざ人工的に平らにならされたみたいに、不自然なくらい、きれいに平らな地面だった。
ショッピングセンター建設のために、地面のでこぼこをならして平らにした、それならわかる。
では、その地面をかちかちに踏み固めたのはなぜだろう。
土台を組むにしても、少し掘り返して鉄筋コンクリートを流し込むにしても、地面は柔らかいままの方が都合が良いのでは。
まあ、僕は建設業に明るいわけでも何でもなく、ただそう思う程度のイメージ的なものでしかないのだけれど。
目に見える範囲には、何もない。
黒い土の地面だけで、ところどころ、その硬い表面を割ってたくましい雑草が生えているところがあるくらいだった。
その雑草たちも、夏の午後の強い日差しを浴びて、かさかさに乾き、くたびれてしおれている。
振り返れば、塀沿いは内側にまで外の雑草のジャングルに侵食されていて、そちらは日陰の部分も多いからか、雑草も元気に茂っているようだった。
ふと気づくと、アイが僕の顔を見ていた。
僕が周辺を観察するのを、待っていてくれたらしい。
「ひとまず、昨日の人が立ってた辺りまで行ってみよう」
この広い工事現場の中心辺り、だったはず。
その場所で、あの人物は前屈みになって何かを探しているようだった。
探していた「何か」がその場に残されていることはないにしても、確かめておきたかった。
「了解」
短く云って、アイは手にした「伝説の剣」をぎゅっと握り直し、ゆっくりと前へ歩き出す。
僕も横に並び、周囲と地面に気を配りながら、進んだ。
やっぱり、地面は固い。
自転車で来たとしても問題なく走り回れるくらいの、しっかりとした固さの土の地面だった。
隕石が落ちた穴なりクレーターなりを、塞ぐために土砂を埋め戻して、さらに上から固めたのだろうか。
だとしても、この固さはやっぱりおかしい気がする。
ショッピングセンターを建てるつもりなんて最初からない、そんな固さに思える。
重いロードローラーで何周も何往復もして、しっかり踏み固めたような固さだ。
ショッピングセンターを建てるのに、そんな手間をかける必要があるだろうか。
上に建てるのが、プレハブや簡易的なサーカスのテントみたいなものならばまだしも。
「この辺じゃねえか」
くるりと辺りを見渡しながら立ち止まって、アイが云う。
僕も足を止め、あらためて周囲を見回す。
広い工事現場の、東西南北のちょうど中心辺りだった。
周囲の塀までの距離が、どちらを向いても同じくらいに見える。
昨日の人物がいた場所が、ぴったりこの辺りという保証はないけれど、感覚的には、おそらくこの辺りで間違いはなさそう。
相変わらず、何もない。
固い土の地面には、足あとも残ってはいなかった。
まあそれは、僕らの足あとも残らないということになるので、その点では助かるけれど。
昨日の人物を真似て、体を曲げて、地面を見てみた。
何もない、しっかりと固められた土の表面がよく見えるだけだった。
アイも同じ格好をして、地面を眺めている。
僕が気づかない何かを発見してくれるかと期待したけれど、しばらくすると腰を伸ばして、肩をすくめる。
「あいつ、コンタクトでも落としたんじゃねえか」
ため息まじりに、アイは云った。
だとすれば、彼は別の目的でここへ来たことになる、よね。
何かを探すため、ではなく、別の目的でここへ来て、コンタクトを落とした。だから探していた。
いや、別にコンタクトに限定しなくてもいいのだけれど。何か落とし物をして、探していた。
では何をしに来たのか。何かの点検か、確認、だろうか。
いっそ、昨日、逃げずに話を聞いてみるべきだったのかもしれない。
小学生の質問に、正直に答えてくれるかどうかはわからないにしても、何かのヒントにはなったかも。
僕がそう云うと、アイはあきれた顔をした。
「おまえ、ほんとそのクソ度胸というか、怖いもの知らずだよなあ」
そうかな。
お兄ちゃんが「怪談」を怖がりすぎなだけでは。
そう思ったけれど、何も云わずにいた。
「とりあえず、ぐるっと回ってみるか」
もう一度、辺りを見渡しながら、アイが云う。
確かに、この広さだ。
全部を見て回ったら、何か発見があるかもしれない。まあ、ないかもしれないけれど。
前屈みになっていた姿勢を戻して、伸びをした。
と、何かが聞こえた。
ぴぴぴぴぴ、という連続する電子音のような、かすかな音、だった。
伸びをした姿勢のまま、首を左右に振って音の出所を探っていた僕に、アイが
「どうした?」
と声をかけてくる。
「何か聞こえない?」
尋ね返すと、アイも黙り込んで顔を左右に振る。
右手の方向、東の方から聞こえる、ような気がする。
「何が聞こえるって?」
アイは、怪訝な顔をしてた。
「小さな音だけど、ぴぴぴって電子音みたいな・・・」
説明しながら、まさか、と思った。
これは、僕の耳の中の「音」なのかな?
アイはまたしばらく黙り込んで左右に首を振っていたけれど、
「わからねえ。モスキート音ってやつか?あ、でもあれって子供は聞こえるんだよな」
そう云って、しきりに首をひねってる。
あの「音」だ、間違いない、僕にも他には「音」は聞こえない。
いつの間に、「音」が変わっていたのだろう。
ここへ入った時だろうか。
入る前に、塀の隙間の手前で耳をすました時には、耳の奥では重機が唸るような低い「音」が聞こえていたはず。
その低く唸るような「音」は、今はもう聞こえない。
代わりに、ぴぴぴぴという何かの信号のような連続した「音」が、かすかに鳴り続けている。
少し右へ、東の方向へ移動してみた。
2歩、3歩くらい。
音の大きさは変わらない、けれど、方角はこちらで間違いなさそうだった。
相変わらず、その「音」が何を知らせているのかはわからない。
けれど、塀の内側へ入ってから、この「音」に変わったのだとしたら、その事に何か意味があるのかもしれない。
「行ってみようぜ、俺にはぜんぜん聞こえねえけど。どのみち、他に何も手がかりはなさそうだしな」
アイが云う。
僕の「音」の話はもちろん、JとLが持つ謎の「力」についても、アイには話していない。
手をつないでも心の声で話せなかったし、能力の交換でJの視界で見たアイの「泡」は僕らとは違って緑色だった。
それは別に、だからアイを仲間はずれにするとかそんなネガティブな意味ではなくて、むしろ僕は、アイが「普通」で良かった、と思ったからだった。
謎の「力」なんてない普通の少年なのだったら、それに越したことはない。
そんなややこしいもの、知らないのなら、知らない方がいい。
それでも、アイはこうして僕に付き合ってくれている。
4人の赤ちゃんのひとりだから?同じ教会に置き去りにされた仲間のためだから?
アイが抱えているその本当の理由はわからないけれど、でもそれは、とてもありがたいし、うれしいことだった。
だから僕は、
「うん、ありがとう」
うなずいてアイにお礼を云った。
アイは「ふふん」と笑って、
「礼には及ばねえよ。それより、俺にはぜんぜん聞こえねえから、おまえが先に行ってくれ。後ろは俺が警戒しとく」
そう云って、手にした「伝説の剣」を、ぶんと軽く一振りしてた。
電子音に似た微かな音を頼りに、少しずつ少しずつ進む。
方角は、ほぼ東へまっすぐ。
下の方から聞こえるような気がする。ひょっとして地面の下、なのだろうか。
音が指し示す場所が遠いのか、音の大きさは変わらず、ずっとかすかなままだった。
やがて、正面に、東側の塀が間近に迫ってきた。
東側、つまりこの塀の向こう側は、大通りを挟んで僕の家がある辺りのはず。
音は変わらずに、東の、下の方から聞こえてくる。
音の大きさも、ぴぴぴと鳴るその間隔もほとんど変化はないように思えた。
塀がいよいよ目の前、ほんの10mほどに迫った。
塀の裏側を支える太い鉄のパイプや、がっちりとした留め金までもうはっきり見えるくらい。
その時、
「おい」
アイが囁くように短く云って、僕は足を止めた。
後ろから、アイの木の棒が数メートル先の地面の一点を指している。
僕らが今いる場所と、東側の塀との、ちょうど中間あたり。
土と同じ黒っぽい色だったし、かすかな「音」に集中していたので、僕はそれが眼に入っていなかった。
それは、マンホールの蓋、だった。
黒い土の地面に、同じような黒っぽい鉄のマンホールがあった。
工事現場、なのだとしたら、そして、本当にここにショッピングセンターを建てる計画が進められていたのなら、マンホールがあること自体は、特に不思議な事ではないのかもしれない。
下水道か、あるいはガスや電気や通信ケーブルなどの配管か、それらを通すための地下の管渠、というのだったろうか、地下道のようなものがすでに埋設されていたとしても、何もおかしくはない。
けれど。
この何もない、踏み固められた広い空き地に、マンホールがある、というのは、何だか異質な感じがした。
ちぐはぐな感じ、と云えばいいのかな。
工事が本物なのか嘘なのか、隕石の落下地点を隠したいのかそうでないのか、いったい何がしたいのか、わからない。
考えてみれば、塀もそうだ。
ただ広いだけで何もない空き地を、どうして高い塀で囲ってまで隠さなければならないのか。
いや、そもそもこれは、隠しているのだろうか。目的は、もっと別のところにあるのかも。僕らがそれを、思いつかないだけで。
塀もマンホールも、そして踏み固められた地面も、その本来の目的からすれば、至極当然のことなのかもしれない。
ただ、僕らにはそれが何なのかわからないだけ。
「あいつ、あそこから出入りしてんのか」
アイは、全く違うことを考えていたらしい。
あいつ、と云うのは、昨日のあの人物のことなのだろう。
確かに今のところ、他に出入口らしきものは見つけていないけれど。
だからと云って、マンホールから出入り?そんな面倒なことをするだろうか。関係者であるなら尚更、だ。
僕らと同じ、招かれざる客ならば、わからなくもないけれど。
彼が関係者であるならば、マンホールから出入りしている可能性は低い、と思う。
だとすれば、他にもっと出入りしやすく見つけにくい出入り口があるはず。
彼が関係者でないのだとすると、マンホールから出入りしていたとしても不思議ではない。
何より、塀を壊したり隙間をこじ開けたりするよりも、よほど人目につきにくいのだから、その可能性は高い、と思う。
アイには悪いけれど、彼は関係者ではない、のではないだろうか。
だとすると、もう他に出入り口はないのかもしれない。
関係者ではないのだとしたら、彼は、何者だろう?
僕らと同じで、どこかで隕石の事を知って、落下地点を調べている人、なのかな。
偶然にしては、タイミングが良すぎる気がするけれど。
80年前の隕石の落下を、今、たまたま僕らと同じ時期に知ったの?どこで?
僕らは、Lが云っていたという言葉からそれを知った。そして、Lは、おそらくだけれどあの「力」か、「眠り病」について調べているうちに、隕石にたどり着いたはず。
あの人物も、Lと同じことを調べている?いや、それは考えにくい。
眠り病のことを知る人は、Lの両親とミクリヤのお屋敷の人たち、Jの両親とアンドウ先生たち病院関係者に限られるはずだし、あの「力」について知る人は、もっと限られているはず・・・。
本当に?
僕らが知らないだけで、JとLの他にもあの「力」を持つ人がいるのだとしたら?
例えば、祖母のように。
あの「力」が何なのか、それが僕らにはわからない以上、そんな人は絶対にいない、とは言い切れない。
むしろ、いると考える方が自然なのかも。
だとすれば・・・。
「入れるかな」
僕は声に出してそうつぶやいていた。
アイは、肩をすくめてる。
「そう云い出すんじゃねえかとは思ったけどよ。マンホールの蓋って、確か道具がなけりゃ開けられねえんだぜ。開けられさえすりゃ、重さは30キロとか40キロって聞いたような覚えがあるから、どうにかなるかもしれねえけど」
もう一度、マンホールの蓋を見た。
街でよく見かけるマンホールの蓋とそれほど変わりはないように見える。市のマークだとか、「水」とかの文字は書かれていない、表面には、滑り止めの模様が刻まれているだけで、何かを示すような刻印やナンバーのようなものもなかった。
直径1mほどの円形で、縁には2カ所の小さなくぼみと、もう1カ所大きめのくぼみがあった。
このくぼみに、その専用の道具とやらを差し込んで引っ張り上げるのだろうか。
中心付近にはさらに6つ、等間隔に六角形を描くように小さな穴が開いていた。空気穴だろうか。水が溢れた場合や地下に溜まったガスなどを抜くためのものなのだろう。
「その道具って、どんなもの?」
大きなものなのかな。アイに聞くと、
「さあな、詳しいことは知らねえけど、金属製の鉤爪のついた棒とか、バールみてえなもんじゃねえかな」
首をかしげ、難しい顔をしながら、云う。
「道具を、持ち歩いてたと思う?」
さらに聞いた。
どこから入ってこのマンホールに出てくるのかはわからないけれど、ずっとその道具を持ったままで来るのだろうか。
例えば水道工事の業者とかであれば、現場へ向かう際に乗る作業車に常時積んである、とかならばありそうだけれど。
「少なくとも、昨日あそこに立って何か探してた時には、そんな道具みてえなもんは、何も持ってなかったように見えたな」
そう云って、アイは辺りを見回している。
まさか、その辺に置いてあるなんて事が、有り得るだろうか。
辺りは相変わらず何もない黒い土の地面で、何か道具的なものを置くような場所も道具そのものも見当たらない、けれど。
塀の内側にまでジャングルのように侵食している、雑草の茂みの中ならば、あるいは、こっそり置いてあるなんて事があるのかも。
同じことを考えたのだろう、アイは5mほど先の東の塀際まで進んで、手にした棒で雑草の草むらを掻き分け始めた。
まもなく、かつんと固い音がした。
誤って塀を叩いてしまったのかと思ったけれど、違った。
アイが身をかがめ、草むらから何か長い棒状の金属を引っ張り出した。
「嘘だろ、あったぜ」
信じられない、という風に、アイは肩をすくめてみせた。
手には、1mほどの黒い金属の棒を持っていた。
真ん中あたりに十数cmほどの短い横棒が十字に溶接されている。
棒の片側の先端は、矢尻のような返しのある鉤爪になっていた。
道具を手に戻ってきたアイは、木の棒を僕に渡して、両手で鉄の棒を持ち、先端の鉤爪をマンホールの大きめなくぼみに合わせ、差し込んだ。
「で、こうか?」
縦長のくぼみに沿うように、鉄の棒をぐいと押すと、かちっと何かがスライドするような音がした。
「で、こうだろ」
十字に交差した鉄の横棒を両手で持って、アイが棒を回転させる。
棒は90度回って、蓋の下から、がちゃりと何かが外れるような音がした。ロックが解除されたような音だった。
「で、引っ張るのか?違うな、梃子か」
アイはそう云うと、鉄の棒をマンホールの外側に、ぐいっと傾けた。
あっけなく、いとも簡単に、蓋が浮き上がった。
「おお、やってみりゃ案外できるもんだな」
はははと笑って、アイはそのまま棒を斜めに倒していく。
蓋は、棒を差し込まれたくぼみのある側が、完全に浮き上がっていた。
そのまま、アイは両手で棒を掴み直して、外側へぐいと引いた。
横にスライドするような形で、マンホールの蓋が開いた。
ぴぴぴと耳の中で鳴る電子音が、少し大きくなった気がした。
やっぱり「音」は、地下から聞こえているみたいだ。
その音に引かれるように、僕はマンホールの開口部に近付いていたらしい。
「おいおい、待て待て」
アイに肩を掴まれて、僕はその場で引き止められた。
「中は真っ暗だぜ。さすがに灯りも持たずに入るのは無謀だろ」
その通りだった。
マンホールの縦穴は、ほんの1〜2m先が真っ暗な闇に飲まれていて、それがどれくらい深いのかもここから見ただけではわからない。
奈落の底へ続いているような、暗い闇だった。
穴の壁面に、鉄のタラップがついているので、灯りさえあればそれを伝って降りられそうではある。
けれど。
昨日のあの人物は、本当に、こんな所から出入りしていたのだろうか。
マンホールの蓋が簡単に開いたのは、昨日のあの人物も開けていたから、と考えれば確かにうなずける。
錆びついたりもしていなかったし、軋みすらしなかったのは、昨日開けたばかりだったから、かも。
でも実際にこの底なしの闇のような穴を見てしまうと、この中を通るくらいなら塀をこじ開けて入る方がまだしもでは、とも思えてしまう。
それに、昨日のあの人物は、ひとりだった。
ひとりで穴の中からこの蓋を開け、帰る時には穴に入って中から蓋を閉じた?
そんなことが可能なのだろうか。
それに、蓋を開ける道具は、穴の外の草むらに隠すように置かれていた。
蓋を閉じる時には、あの道具は使わないのだろうか。
いや、ひとりではなかったとしたら?
もしかしたら、僕らからは見えない場所に、仲間がいたのかもしれない。
その仲間が、最後に穴の外から蓋を閉めて、道具を草むらに隠した。
でも、もしそうなら、その人物は穴から塀の外へ出られずにここへ取り残されることになる。
いや、違う。昨日なら、別の場所から外へ出られる。
僕らがこじ開けた塀の隙間から、だ。
そこから塀の外へ出て、塀の鉄板を外から押し込んで、隙間を塞いで立ち去った、と考えることはできる。
そしてその方法でなら、仲間はいなくても、ひとりで、ここから出て行くことができたはずだ。
でも、もしも、塀の隙間がなかったとしたら、どうするつもりだったのだろう。
マンホールの蓋を中から閉めることができず、開けたままで、穴を通って出ていくしかなかったのでは。
あらためて、昨日の人物がよくわからなくなってきた。
マンホールの蓋を開ける道具まで用意していながら、この場所への侵入は、ずいぶん無計画というか、行き当たりばったりな印象もある。
まるで、この場所が何で、ここに何があるのか、ちっともわからないみたいに。
つまり、僕らみたいに。
「その、音は、この穴から聞こえてんのか?」
すっかり自分の考えに沈んでいた僕に、アイが遠慮がちに声をかけてきた。
「うん」
正確には、この穴から、と云うより、この穴よりももっと先の?もっと深くの?もっと遠くの?どこかから、という感じ、かな。
蓋が開いた時、少し音が大きくなったような気がしたけれど、
その後、穴に近づいても、特に音が大きくなったり、ぴぴぴの間隔が短くなったり、という事はなかった。
この「音」が、何かの場所を示しているのだとしたら、なんとしてでもそこへ行きたいところなのだけれど。
「どっちにしても、このままじゃ入れねえ。懐中電灯は必要だな。それに、おまえ、これ、どこにつながってんだ?もし下水とかだったら」
アイは嫌そうに顔をゆがめてみせる、けれど。
「下水道だとしても、何も流れてないんじゃない?」
その下水を流す元になるはずだったショッピングセンターはなく、夢のニュータウンもないのだから。
せいぜい、僕の家の下水が流れているくらい、じゃないかな。
「あ、そうか。じゃあ、鼻栓は必要ねえかもな」
ほっとしたように、アイは笑顔を見せる。
懐中電灯は、僕は持っていないけれど、父のガレージで見かけた覚えがあった。
どのみち、一旦家に帰る必要がありそうだ。
いま、何時なのだろう、と空を見る。
日の傾き具合から見て、15時すぎか16時前、といったところだろうか。
微妙な時間ではある。
家に帰って懐中電灯を探し、ここに戻ってくるのに少なくとも30分か、もしかしたら小一時間はかかるだろう。
そこからあの暗いマンホールに入って、できれば暗くなる前には外へ戻って来たい、となると穴の中を探索する時間は1時間もないかもしれない。
「また明日にするか。そしたら俺も、家から懐中電灯を持って来れるしな」
アイの提案に、僕も賛成だった。
「うん、そうしよう」
うなずいた。
明日、また明日。
毎日そう云ってる気がするけれど、
それは、毎日少しずつでも前に進んでいるという事、だよね。
「蓋、戻すぞ」
アイは、マンホールの蓋のくぼみに刺さったままになっていた鉄の棒に手を伸ばす。
「うん」
僕がうなずくと、棒を持つ両手に力を込めて押した。
横にずれて外れていた蓋が、元の位置へ押し戻されて、穴にぴたりと嵌った。
アイがいなかったら、今日の探索はこのマンホールを開けられずに止まっていたはずだ。
いや、マンホールの蓋に気づいたのはアイだったから、僕ひとりでは気づいたかどうかもわからない。
「ありがとう」
あらためて、アイにお礼を云った。
「なんのこれしき、礼には及ばねえよ」
ふふん、とアイは右腕をぐいと曲げて力こぶを作って見せ、
「この棒は、元の草むらに置いとくか」
塀のそばの草むらへ走って行き、鉄の棒を生い茂る雑草の中にそっと置いた。
「さて、じゃあ引き上げようぜ」
戻って来ながら、アイは云う。
そうだった、アイはずっと「ぞわぞわする」嫌な感じを抱えながら、ここまでつき合ってくれてたんだ。
いくら頑丈そうに見えるからと云っても、小学6年生なのだし。
あまり無理をさせるわけにもいかない。
塀の際を通って、あの南側の塀のすき間まで戻ることにした。
すき間からこの広い工事現場の真ん中をまっすぐにその中心まで行き、そこからまたほぼまっすぐに東へ進んでここまで来た。
そして、塀のそばでマンホールを見つけたので、このまま東側の塀沿いを南へ戻れば、別のマンホールや、他にも何かが見つかるかもしれない。
そう考えていたのだけれど、残念ながらその予想は見事に外れた。
何も新たな発見はできないまま、僕らは南側の塀の隙間の前まで戻っていた。
マンホールがあったのだから、それとつながる地下の管渠があるはずで、他にもマンホールを見つけられれば、地下道の伸びる方角やその規模がおおよそわかるかも、と思ったのだけれど、どうやらそれは、こちら側には続いていなかったらしい。
アイの後ろに続いて、塀の隙間をくぐって、外へ出る。
やっぱり何か、空気が変わったような感じがして、遠くから聞こえる蝉の声が大きくなった気がする。
そして耳の中の「音」は、ぴぴぴという電子音が聞こえなくなり、低く機械が唸るような音に変わってた。
場所なのか、距離なのか、あるいは「塀の隙間をくぐる」という行為自体がそのきっかけなのだろうか。
今すぐ回れ右をして、もう一度塀をくぐったら、また、ぴぴぴという電子音に似たあの音が鳴り始めるのかな。
試してみようかと思った時、アイが
「車が止まってる、あれは・・・」
短く、警戒するような声でそう囁く。
僕の位置からでは、背の高い雑草のジャングルと前を進む大きなアイの背中しか見えない。
伝説の剣は僕が持ったままだったので、アイは両手で雑草をかき分けるように進んで、駐車場に出た。
僕もすぐ後に続く。
駐車場の入り口辺り、通りの路肩に黒い外国車がハザードをつけて停車していた。
僕は車には詳しくないけれど、この寂れた駐車場には不似合いな、見るからに高級車といった雰囲気だった。
ワックスで磨き上げられた黒いボディが、西に傾きかけた日の光を浴びて、ぴかぴかに輝いていた。
僕とアイが立ち止まり、黙ったまま車を眺めていると、するすると車のウィンドウが下に下がる。
車内から、男の人がこちらを見ていた。
あれは・・・
「親父、なんでこんなところに?」
アイは駐車場を進み、入り口の手前で止まった。
僕もアイの横に並んで止まる。
「なんでこんなところに?それはこちらの台詞だ、アイ。こんなところで、そんな小さな子を連れて、いったい何をしている?」
怒っている、というより、あきれているような云い方で、アイの父、アンドウ先生は車の中から云った。
「お、俺は、その、キャッチボールしてたら、ボールがその塀の中へ入っちまって、それで、取りに・・・」
慌ててズボンのポケットをまさぐりながら、アイがもごもごと云う。ボールは、どこかで落としたのだろうか、ポケットになかったようだった。
相変わらず、アイは嘘がへただ。
父であるアンドウ医師には、お見通しだったろう。
あきれ果てたと云わんばかりに、彼は無言で大げさに肩をすくめてみせた。
「お・・・、父さんは、なんで」
アイが尋ねると、
「今日は夜勤だからな、家で出勤の準備をしていたら、電話があった。バスケ部のコーチからだ。おまえ、ここ数日無断で練習を休んでいるそうだな。夏風邪でも引いたのかと心配されたぞ。医者の息子なのにな」
冷淡に、アイの父はそう云った。
相変わらず、なんというか、いやな喋り方をする人だ。
息子に対して、優しさや思いやりを表に出すことが、まるで恥だとでも思っているみたいな。
そう考えるとうちの父は、とつい想像してしまい、あのにやにや笑いと得意げな執事ポーズが頭に浮かんで、それはそれで、困ったものだと思った。
「な、なんで俺がここにいるって・・・」
アイが問いかけると、アイの父は「はあ」と大きなため息をついて、
「まったく、一から十まで説明が必要なのか?おまえのその自転車、盗難防止用のGPSがまさかこんなところで役立つとはな。コーチからの電話の後、すぐに自転車の位置情報を確かめたら、街外れの工事現場だ。何事かと思うだろう?おまえが「バスケがしたい」と云うから、練習に参加させてもらえるよう、医大のバスケ部のコーチにわざわざ頼み込んだというのに。おまえはもう飽きて、無断で練習をサボった上に、下級生を連れてこんな場所で探検ごっこか?あきれるしかないだろう」
「違う、俺はそんなつもりじゃ・・・」
「おまえがどんなつもりだろうが、そんな事は私にはどうでもいい」
アイの言い訳をさえぎって、アイの父はバッサリと云う。
「この工事現場の探検ごっこは、禁止だ。二度とするな」
そして僕の方をちらりと見て、
「君も、悪かったね。アイに無理やり付き合わされたんだろう。怪我や事故が起きる前に気づけて、本当に良かった」
形ばかりかな、申し訳なさそうな声で云う。
云い方はさておき、彼は彼なりに、父親としてアイのことを心配しているのは、間違いなさそうだけれど。
「違うよ」
僕はアンドウ先生の眼をまっすぐに見て、云った。
「僕が、アイを誘ったんだ。アイは僕を心配して、ずっと付き合ってくれた。だから、アイは悪くない」
そこは、きちんと云うべきだと思った、だから、云った。
思わず、だったけれど。
「ほう」
全く興味のわかない、ただのかわいそうな下級生だと思っていた僕がそう反論をしたのが、心底意外だったのだろう。
あらためて、まじまじと車の中から僕を見て、
「ああ、君はあの時の、確かスズキ君、だったか。まだ小さいのに、ずいぶんしっかりしてるんだな」
少し驚いた顔で、アイの父はそう云った。
「それなら、君にも注意しておこう。探検ごっこは結構だが、この場所は遊ぶのには相応しくない。立ち入り出来ないよう、高い塀で囲まれているのはそのためだ。君ならそれくらいわかるだろう」
それは、わかる。
僕は黙ってうなずいた。
アイの父は、少し笑ったように見えた。
「よろしい、話は以上だ。ふたりとも、気をつけて帰りなさい」
そう云うと、車のウィンドウがまたするすると動いて閉じた。
高級車らしい静かな走行音を残して、アイの父の車は走り去った。
アイは、ぽかんとした顔で車を見送っていたけれど、はっと我にかえって僕の顔を見ると、
「おまえ、ほんと・・・」
そこまで云って、絶句してしまった。
何を云おうとしたのだろう。おまえ、ほんと、怖いもの知らず?
でも相手はアイのお父さんだし。怖いも何もありはしないよね。
とりあえず、僕は草むらに止めてあったアイの自転車のところへ行き、それを押してアイのところへ戻った。
どのみち、今日はもう、僕もアイも家に帰るしかない。
アイの真っ赤な電動マウンテンバイクは、重かった。
アイは、こんな重い自転車を、平然と押して歩いていたの。
「ありがとう」
僕を見て、アイが云う。
「礼には及ばねえよ」
アイの真似をして、僕はそう云い、笑った。
「な、おまえ」
アイも笑った。
「バスケしてるんだね」
それでそんなに背が高いのか。
「おう、もともと、運動は好きだからな。体のデカさを活かすなら、バレーかバスケだろ?バレーは、なんか痛そうだから、バスケにした」
なんか痛そう?よくわからないけど、そうなんだ。
バスケをして背が伸びたのではなく、元々背は高くて運動が好きだから始めた、ということかな。
「でも、悪かったな。まさか親父にバレるなんてな」
申し訳なさそうに、アイがぺこりと頭を下げる。
「気にしないで、アイのお父さんの云う通りだと思う。怪我や事故がなくて、ほんとによかった」
入ってはいけない場所に、無断で入り込んでいたのは間違いない。
それに、
「こっちこそ、バスケの練習をサボらせちゃって、ごめん」
僕もぺこりと頭を下げた。
「それは、俺が勝手にやったことだ。おまえは知らなかったんだしな、それこそ気にすんな」
アイはそう云って笑い、それから、少し云いづらそうに、
「で、どうすんだ、これから」
「これから、家に帰るけれど」
「ちがうだろ、そうじゃなくて、隕石の調査だよ」
わざととぼけてみたけれど、まあ、とぼけ切れるものでもないよね。
「ひとりでもできることをするよ。あの塀の中にはとりあえず何もなさそうだし、別の方向から調べ直してみる」
僕はひとまず、そう云った。
「おう、そうだな。日曜はバスケが休みだから、また付き合えるぜ」
アイはそう云い、にっと笑ってた。
こんな人の良さそうな笑顔を見せるやつだったなんて、数日前までは思いもよらなかった。
「ありがとう。じゃあまた、何かあったら連絡するよ」
僕が云うと、
「おう、家まで送るぜ」
アイがうなずいて、歩き出そうとするので、
「近いからだいじょうぶ。アイこそ、今日は早く帰った方がいいんじゃないの」
お父さんは夜勤だって云ってたから、今夜は、家で顔を合わせる事はないのかもしれないけれど。
「あ、うーん、まあ、そうだな。わかった、じゃあここで」
アイはそう云って、自転車にまたがった。
「じゃあまたね」
僕は、右手に、伝説の剣を持ったままだったことに今さら気づいた。だから、剣を振った。
「おう、またな」
アイは笑って手を振り、前を向いて自転車で走り去る。
どんどん小さくなるアイの後ろ姿を見送りながら、僕は、ほんの少しだけ、Jの気持ちがわかった気がした。
初めてJと会ったあの日、
祖母の「泡」の色が黒いことに気づき、それを僕に云うべきか迷い、云えずに僕と別れたJの気持ちが。
立場も場面も重さも、あの時とはぜんぜん違うのだけれど。
云うべきかどうか、迷い、云えない、その気持ちが、ほんの少しだけ。
僕は、アイに嘘をついた。

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