沈黙は、永遠に続くかと思われた。
灰の海に、大地の鳴くごおごおという低いうなりが響いている。
僕の耳の奥では、いつものあの「音」が、ぴりぴりとパルス音のように遠くかすかに聞こえている。
ほんの一瞬、僕の心をかすめるように通り過ぎて消えた、やさしい天使のようなM-0の声が、延々と僕の脳裏で繰り返し囁いていた。
アルカナとは、地球外生命体
肉体を持たない、意識生命体
その言葉の意味は、僕にもわかった。
M-0は、アルカナ。
地球外生命体で、意識生命体。
つまり、さっきの僕の疑問、
M-0の体はどこにあるの
その答えは、
『肯定します。私には肉体はありません。意識生命体として、ロリポリの中にいます』
淡々と機械音声のようにそう語るM-0の声は、さっきまでと少しも変わらず柔らかく穏やかだった。
アルカナは、地球外生命体、肉体を持たない、意識生命体。
それなら、僕は、
それなら、Jは、Lは、ガブリエルは、アイは、
そして、先代キクタは、キクヒコさんは、ルリおばさんは、おばあちゃんは、
それに、ヌガノマは・・・
色々な思いが、頭の中で一斉に渦巻いていて、うまく思考がまとまらない。
僕の眼は、救いを求めるようにみんなを見る。
Lは、胸にNを抱いたまま、もうその事もすっかり忘れてしまったみたいに、ひび割れた海の一点をじっと見つめている。その青い眼は、きらきらとこれまで見た事もないくらい熱を帯びて輝いていて、きっと頭の中では、ぐるぐると猛スピードで思考を巡らせてるに違いない。
ガブリエルは、腕組みをして眼を閉じ、こちらも何か深い思いに沈んでいるようだった。「アルカナ」という言葉、その単語だけが何度もあのパソコンのデータの中に現れて、画像がひとつもなかった、とガブリエルは云っていたけれど、今ならその理由もわかる。アルカナは、肉体を持たない、意識生命体。だから、その姿は見えないし、写真や動画に収めることはできない。どんな姿で、どんな色で、どんな大きさで、と文字で云い表す事もできない。
Jは右手で僕の左手をぎゅっと握ったまま、左手の人差し指を細いあごに当てて、お馴染みの考えるポーズで固まっていた。けれど、僕の視線に気づくと、灰色がかったきれいな眼をまんまるにして僕の顔をのぞき込み、ふふふ、と声に出さずに笑った。何にも心配いらないよ、とでも云うみたいに。
まるでその魔法で、僕の心の奥の不安を消し去ろうとするみたいに。
数秒の沈黙の後、M-0の声が云う。
『こうしましょう』
その言葉と共に、僕らの目の前に、ふわりとオレンジ色の球が浮かんだ。
ほのかに光る、オレンジ色のボール。ドッジボールよりも一回り小さく、ソフトボールよりも一回り大きいくらい、かな。
あのオレンジの海を思わせる、明るいオレンジ色の球が僕らの目線の高さにふわふわと浮いている。
『肉体を持つあなた達に、よりわかりやすく伝わりやすいように、この光る球を私の分身だと思ってください』
そう話すM-0の心の声に合わせて、オレンジの球がぼんやりと光の強さを変える。
確かに、そう云われると、この球がM-0の代わりに話しているように見える。
アバター、のようなものだろうか。
『それから』
と云って、 M-0は少し云い淀むように黙り込んだ後、
『あなた達は、お互いをアルファベットの記号名で呼び合っていましたね。でしたら、私の事もどうぞ「M」と呼んでください』
そう云って、M-0、いやMが少し照れくさそうに云うのは、何と云うか、とても人間味があって、かわいらしかった。
アルカナのMに「人間味」という言葉を使うのはおかしいのかもしれないし、子供の僕が、おそらく年上できっと大人のMを、かわいらしいとか云うのは、失礼にあたるのかもしれないけれど。
いや、僕は、何か大きな思い違いをしているのかもしれない。
AIか機械音声のようなきれいな言葉を話すからと云って、機械ではないのだ。
肉体を持たない意識生命体だからと云って、心を持たないわけではない。
むしろ、意識生命体なのであればこそ、僕らよりももっと豊かな感情を持っている可能性だってある。
だから、Mに「人間味」や、かわいらしさを感じたのも、何も不思議なことではないのかも。
『肯定。そして、ありがとうございます。「かわいらしい」という褒め言葉は、初めて云われましたが、悪い気はしないものですね』
ふわふわと微笑むようにオレンジの球が揺れる。
それならよかった、と僕もほっとする。
『さて』
と、Mは一呼吸おいて、
『ひとつ、昔話をお見せしましょう』
あらためて、そう云った。
『アルカナとは、何であるか。かつて彼らに問われ、それに答えた最初の王、A-0の「記憶」が私の中に残っています。それを使わせてもらいましょう』
昔話を、見せる
最初の王A-0の「記憶」を、見せる、という事なのかな。
Mが説明してくれる。
『最初の王、とは、最初に彼らとコンタクトした王、という意味です。私たちアルカナの中には、もともと王や臣下といった序列や階級はありません。王と王の間にも順序や優劣などはありません。あくまで、彼らが研究を記録する上で付けた、順番であり記号番号、というだけのものです』
Mの言葉の切れ間を待っていたように、そのタイミングでLがすっと手を上げてた。
Nを胸に抱いているので、胸の前でちょこっと上げたくらいだったのだけれど、Mには見えるのかな。
『はい。L、どうぞ』
僕の杞憂だったようで、MはやさしくそうLに声をかける。
「途中で気になったら、こうしていちいち止めてもいい?それとも質問タイムは最後にまとめた方がいい?」
Lらしい質問だった。
僕もわりとそうだけれど、気になるとつい割り込んで、話の腰を折ってしまいがちな気がする。
Lは無言でニヤッと笑って僕を見る。肯定、という事らしい。
『では、その都度、いまのように手を上げてもらう事にしましょう。できる限りお答えします』
Mには、それが見えるらしい。
見える、と云うより、意識生命体、なのだから、わかるとか、感じるという方が近いのかもしれないけれど。
「了解ー。じゃあ早速だけど、最初の王がA-0なら、最後の王は?その子は何番目なの?」
青い眼をきらきらさせながらLが尋ねる。
『肯定。最後の王、と呼ばれたアルカナ、それは私です。彼らの記録上は、13番目が最後になります』
最後、という言葉に、何となく不穏なものを感じたけれど、きっとそれは僕の思い過ごし、だろう。
Mの云うように「彼らの」、つまり軍の研究者達の記録上では、最初にコンタクトしたのが「最初の王A-0」で、最後に確認できたのが「最後の王M-0」という事になっている、というだけなのだとしたら。
『肯定します。彼らの確認できていない「王」が、まだどこかにいる可能性はあります』
Mが僕の思考を先読みして肯定してくれた。
軍の研究者の確認できていない「王」
キクタは、どうなのだろう。それに「次の王」ガブリエルは。
『その答えは、昔話の後にしましょう。忘れずに、お答えします』
少し考えるように、オレンジの球がゆっくりと明滅してから、ふわりとやさしく輝いて、Mの声がそう云った。
すうっと頭上から黒い幕が下りてくるように、視界が暗くなった。
足の下にあった灰の積もった砂浜の感覚が消える。
Jとつないでいた左手の感覚までなくなったような気がして、思わずぎゅっと力を込めるとそこに白くて細い手はあった。
いつも通り、少しひんやり冷たくて柔らかなJの手だ。
灰色がかったきれいな眼が、不安そうに僕の顔をのぞき込んでいる。
灰の海の風景は消え、何も見えない真っ暗な夜の海を漂うように、僕らは浮かんでいた。
あの夢の主に見せられた夢の記憶と似ている気がする。
あの時は、僕自身の姿すら見えなくて、まるで眼だけの存在になったような感じがしたけれど。
今は、自分の体もつないだJの手もそこにいるJも、右隣にいるLも見えている。
斜向かいにはガブリエルもいて、僕らの中心には、ぼんやりと光るオレンジの球が浮かんでいる。
NはLの胸に抱かれたまま、耳を三角にそばだてて、警戒するように注意深く周囲の様子を窺っている。
翼を閉じた姿勢のまま、きょとんとした顔でふわふわと宙を漂っていたクロちゃんを、Jが空いていた左手を伸ばしてつかまえ、そっと抱えるように抱き寄せてた。
『遠い昔、はるか彼方の、銀河のどこかに、私たち「アルカナ」の住む星がありました』
Mの声は、変わらずに心の中で響いた。
視界が少し明るくなり、目の前に、いや周囲全体に、遥か彼方どこまでも続く星空が広がった。
これは、宇宙?
「うおー」
思わず口をついて出たLの声は、驚きの声というより歓声のようだった。
気持ちは、わからないでもない、かな。
僕らは、果てしなく広がる宇宙の真っ只中にぽつんと浮かんでいるのだから。
まるで夢を見ているような、現実感のなさだった。
暖かくも寒くもなく、何の音も聞こえない。
周囲の星が遠すぎてわからなかったけれど、どうやら僕らは、宇宙を飛んでいるらしい。
『とても平和な、美しい星でした』
しとしと降るやさしい雨のような柔らかな声で、Mがそう云うと、正面に見えていた小さな星がみるみる近づいて、視界を覆うくらい大きなオレンジ色の惑星になった。
これが、アルカナの星。
きれいな明るいオレンジ色の星、あの「海」を思わせるような。
そう思った途端、僕らは目の前に広がるオレンジの惑星に突入して、視界が明るいオレンジに埋め尽くされる。
それも一瞬で消え、気がつけば、僕らは白い星の砂浜に立っていた。
どこまでも続く、オレンジ色の海と空。やさしい雨がしとしとと降っている。
これが、アルカナの星?
オレンジの海は、アルカナの星の風景だったの。
『肯定します。「王」の意識空間は、故郷の星の風景です。』
Mの声が云う。
どこなのだろう、どんな由来があるのだろう、と、僕はずっと思ってた。
アルカナの故郷の星の風景を、僕は意識空間で見てたのか。
Mは云う。
『全ての王が、その意識空間に同じ風景を持っています。ただし私の「海」のように、すっかり荒れ果てて灰に覆われた風景になる「王」もいます。その理由は・・・、いいえ、昔話を続けましょう』
続ければ、その理由がわかる、という事なのだろうか。
あの「オレンジの海」がアルカナの星の風景で、王の意識空間は、その故郷の風景。
けれど、王によっては、それが「灰の海」になることもある。
不穏な気配しかないのだけれど、僕はおとなしく、Mの話の続きを待つ事にした。
『私たち「アルカナ」には、数や年月の概念がありません。ですからその平和な時代が、いったいどれくらい続いていたのか、それは私にはわかりません。ある日突然、その平和に終わりが訪れました。星が、滅び始めたのです』
Mのその言葉が終わらないうちに、周囲の風景が変容していく。
空がまだら模様の黒い渦に覆われ始め、降る雨が白い灰に変わる。
映像を早送りで再生しているみたいに、オレンジ色の海がみるみる干上がって、海底に赤黒いひび割れが走る。
ーーー 死
あの夢の主の、か細い声が耳に蘇るような気がした。
灰の海は、滅びを迎えたアルカナの星の風景。
ヌガノマに襲われ、意識にダメージを負った僕のオレンジの海に灰が降り空が濁り始めていたのは、僕の中の何かが、死の気配を感じていたから、なのだろうか。
高速の早送りで、きれいだったオレンジの海は、あっという間に死の世界へと変わり果てていた。
枯れ果てひび割れた海に、はらはらと白い灰が降り積もる。
低く垂れ込めた空は、真っ黒な渦に覆われている。
大地は震え、ごおごおと低く鳴り続けている。
そんな不穏な風景には不似合いな、Mのやさしい声が話を続ける。
『住み続けることができなくなった星から、脱出を試みたアルカナ達がいました。星からの脱出手段として、彼らはロリポリを使う事を思い付きます』
白い灰の降り積もったかつての砂浜に、黒い大きな岩のようなものが見えた。
あの隕石、ロリポリだとすぐに気づかなかったのは、丸まっていなかったからだ。
体を伸ばしたロリポリは、ダンゴムシと云うより巨大な岩山のように見えた。
よく見れば、その岩が体を覆う甲冑のようになっているのがわかる。
『ロリポリは、星から星へ、食べ物を求めて宇宙を回遊する生物です。群をなすことはなく、単独で宇宙を旅しています。その食べ物がオレンジの海、そのものでした。アルカナの星へやってきた個体も、そのオレンジの海を求めての事だったのでしょう。星全体がオレンジの海なのですから』
そう説明され、目の前に岩山のようにそびえるロリポリを見ても、本当にこれが宇宙を飛べるのかと、にわかに信じられない思いがする。
黒くてごつごつした岩の間に、三角形の複眼がふたつある顔がついているのを見つけ、やっぱりちょっと怖いなと思った。大きさもだけれど、顔が、怖い。
『けれど、その星が滅びを迎えるとなれば、ロリポリは新たな星を求めて再び宇宙へ飛び立ちます。アルカナたちは、そのロリポリに、文字通り「便乗」したわけです』
降りしきる白い灰と不穏に響く地鳴り、そしてそこに静かに佇む黒い岩山のようなロリポリ。
今まさに死に逝こうとしている、滅びの星からの脱出。
先の見えない不安に、胸が押し潰されそうな気がする。
ふふん、とNが不満げに鼻を鳴らすのが聞こえた。
見れば、興奮気味のLが眼をきらきらさせながら、Nを抱く腕に無意識に力を込めてしまっているらしい。
Lの気持ちは、わからなくもなかった。宇宙もロリポリも、Lにとっては大好物のはず。
僕の視線に気づいたのか、それともNが鼻を鳴らすのが聞こえたのかもしれない、ガブリエルが僕と眼を合わせて肩をすくめる。
はあ、と小さくため息をついて、Jが僕とつないでいた手をすっと離し、そのまま右手を伸ばして無言でLの手からNを奪い取る。
そこでようやくLはハッと我に返り、あっと大きく口を開け、捨てられた子犬のような悲しい顔で声にならない声を上げていたけれど、すぐに諦めたように下を向いて肩を落とし、
「ああ、ネコチャン、ごめんね」
Lらしくもない情けない声で云う。
「いいえ、どうぞお気になさらず」
いつも通り淡々とNはそう云って、ぺろりと鼻を舐めている。
たぶん、Nは本当に気にしていないのだろう。
Jは左手にクロちゃんを、右手にNを抱いて、にっこり微笑んでいるけれど、重くないのだろうか。
いや、抱いていると云っても浮いているし、実際は手を添えているくらいで、重さはないのかな。
しょんぼりしてしまったLを励ますように、Mが話を続ける。
『いま私やあなた達がいるのはロリポリの意識の中ですが、それとは別に、ロリポリは、オレンジの海の貯蔵タンクのような体内器官を持っています。広い宇宙を旅するために備わっているものなのでしょう。私たちには数の概念がありませんので、いったいどれくらいのアルカナが、ロリポリの体に乗り込んで、星から脱出できたのか、正確にはわかりません。500人か1000人か、おそらくそれくらいのアルカナが、ロリポリに乗り込むことができたのでは、と私は思います』
500人か1000人
体長20mほどのロリポリに乗り込んだことを思えば、膨大な数のようにも思えるけれど、全人口から考えたら、とても少ないのでは、とも思える。
僕の身近で当てはめてみても、500人では、小学校の全校生徒の数より少ないくらいじゃないだろうか。
星が滅びる、という想像を超えた災害の、その規模の大きさに体の芯が冷たくなるのを感じた。
また、黒い幕が降りるように視界が暗くなる。
そして次の瞬間には、僕らは再び、星々のきらめく宇宙空間に浮いていた。
眼下には、すっかり変わり果てたアルカナの星が見える。
黒い渦に覆われ、暗い灰色の雲の間を時折赤く閃光のような稲妻が走り抜けている。
『そうしてアルカナ達は、滅び逝く故郷の星を脱出しました。彼らはそのままロリポリに乗り続けていれば、いつかは第二のオレンジの海に、新たな故郷となる惑星に、辿り着くことができると考えていたのです』
Mはそこでいったん話を止めて、何か質問は?と尋ねる先生のように、僕らの反応を待っているようだった。
僕は、眼の前に広がる暗い宇宙を見つめ、黙ったまま大きく息をつく。ため息のような、大きな吐息。
話が壮大すぎて、パッと質問も思いつかない。
ロリポリに関して、「たぶんあいつ人間なんか食べねーよ」と云っていたLの判断は当たっていた事になる。
オレンジの海が、ロリポリの食べ物。それを求めて、宇宙を旅する生物。
そして、滅びゆく星を脱出し、新たな星を探して宇宙を旅するアルカナ達。
本当に、スケールが大きすぎて、想像すら追いつかない、というのが正直なところだった。
JにNを取り上げられてしょんぼりしていたはずのLも、すっかりMの話に引き込まれていつの間にか元気を取り戻していたらしい。
小さく手を上げて、
「ロリポリは、どうやって宇宙を飛ぶの。丸まったまま?回転するのかな」
青い眼をきらきらさせながら、Mにそう尋ねた。
『肯定、ですが、回転については否定します。ロリポリは体を丸め、そのままの姿勢で宇宙を飛びます。旅の途中、ロリポリの意識につながり、視界を借りて宇宙を眺めたA-0の記憶を見た事があります。かなりの高速で飛行しているようでしたが、回転はしていませんでした』
Mの言葉を聞いて、あらためて周囲を見る。
いま見ているA-0の記憶のこの宇宙の景色は、ロリポリの視界、まさにそのものなのだろう。
『何を動力としているのかは、私にはわかりません。彼ら、アメリカ軍、科学者たちもそれにとても興味を持ち、詳しく調べていましたが、わからずじまいだったようです』
Mがそう説明すると、Lは「ふんむー」とまた興奮気味に鼻息を荒くしている。
なるほど、Jが早めにNを救出してくれて助かったかもしれない。
あのままLに抱かれていたら、最後まで話を聞く頃には、Nは雑巾のようにしぼり上げられていたに違いない。
「でしょ」と、Jはくすくす笑って、Nのあごを指先でなでている。Nは、満足げに眼を閉じて、いつものようになすがままだ。
「おまえら、聞こえてるぞー」
Lはそう云うけれど、隣にいるのだ。聞こえてるのは承知の上だし、Lもそれはわかっていてニヤニヤしながら云ってる。つまり、お約束というやつだった。
「ごめんね、M。この子達、真面目な話の時ほどこうやってすぐふざけるんだ。悪気はないんだよ、気にしないでね」
ガブリエルがこっそりMにそうフォローを入れている。
もちろんそれも、目の前なので全部聞こえてるけれど。
『肯定。承知しています。あなた達の仲の良さは、ロリポリの中から見ていてもよくわかりました』
微笑むようにオレンジの球が瞬いて、
『L、他に質問はありませんか』
Mはそう、Lに尋ねる。
Lは腕組みをして、「むむー」と何やら考え込んでいる。
聞きたい事が多すぎて、何から聞こうか迷っている、のかもしれない。
「アルカナは、どれくらいそうして宇宙の旅を続けたの。あ、いや、数の概念がないって云ってたから、何年とか何十年とか、はっきりした数字じゃなくても、だいたいでいいんだけど」
いつでも明瞭かつ簡潔な物云いをするLが、何だかもじもじしているのがとても新鮮だった。
それだけいろんな思いが溢れて、迷った末に選んだ質問だったのかもしれない。
『肯定します。正確な年数は、私にはわかりません。数百年だったのかもしれないし、もしかすると、数千年だったかもしれません』
少し申し訳なさそうに、Mはそう答えた、けれど。
いや、単位が、十分具体的な気がする。
何年とか何十年、と尋ねたLに対して、答えが、数百年かもしかすると数千年だったかも?
桁が違うのでは。
「うん。何年とか何十年とかは、オレとしたことがだいぶ遠慮したよねー。ちょっとビビってたのかも?」
てへへ、とLは苦笑して頭をかいてる。
わかっていて、だいぶ遠慮してしまった、という事かな。
「うん。だってMちゃんが最初に云ってただろー「遠い昔、はるか彼方の、銀河のどこか」だよ。何年とか何十年で着くわけないんだよねー。うちのこの天の川銀河の直径が約10万光年だからね、端から端まで、光の速さでも10万年かかるんだぜー」
『肯定します。ロリポリが如何に高速で宇宙を飛べたとしても、光よりも速く飛べるわけではありません。アルカナの星が、正確にどこにあったのか私にはわかりませんが、おそらく数十年程度の旅でたどり着く距離だったとは思えません』
Lの発言を受けて、Mはさらりとそう云った。
そんな気の遠くなるような長い時間をかけて、そんな想像もできないような遠いところから、あのロリポリに乗って宇宙を旅して来たの。
すごい。
いや、そんな「すごい」なんて簡単な一言でしか感想を言い表せないのが申し訳ないくらい、すごい。
かすかに微笑むようにオレンジの球が瞬いて、
『L、それにほかの子たちも、質問はありませんか』
Mがそう尋ねる。
Lはまた「むむむー」と妙な鼻息を吐いて、
「いやーこのまま質問してたら、ロリポリだけで延々聞いちゃいそうだから、先に進めようかー」
残念そうに云った。
半分は、本心なのだろうけれど、もう半分は、Lも話の続きが気になるのだろう。
『わかりました、続けましょう』
Mが云って、オレンジの球がほのかに明るく輝いた。
『長い長い旅でした。その旅の間に、500人か1000人ほどいた仲間たちの数も次第に減っていきました。数の概念がないわたし達には、正確なところはわかりませんが、おそらく、出発した時の半数以下にまで減っていたのではと思います』
しんみりとMはそう語る。
いつの間にか、周囲の景色が動いている事に今頃気づいた。
遠くの星々が、ゆっくりと左右に流れて行く。
見える星との距離が遠いのでとてもゆっくりに見えるけれど、実際のロリポリは、ものすごいスピードで宇宙を飛んでいるのだろう。
長い長い年月、遠くあてのない旅。
いったいどんな気持ちなのだろうと想像してみたけれど、言葉にすることができず、僕は黙ったまま、淡く光るオレンジの球と、左右に流れて行く遠くの星々をただじっと見つめていた。
Mのやさしい声が、静かに語り続ける。
『そんな長い旅の果てに、ロリポリはついに「海」を見つけました。ロリポリの餌となるオレンジの海、そしてその体内に乗り込んだアルカナにとっては、第二の故郷となるはずの、オレンジの海』
前方に見えていた小さな点がみるみる近づいて、オレンジとブルーのグラデーションに彩られたきれいな星が眼の前に現れる。
これは、
『それがこの星、地球でした。ロリポリの眼には、この星はアルカナの故郷の星と同じ、オレンジの海に満ちた美しい星に見えたのでしょう。けれども』
そこでMは言葉を切った。
地球
衛星写真や、宇宙ステーションからの動画で見る地球とは、見え方が違うのは、ロリポリの視界で見ているから、なのかな。
僕の知る地球は、海の青と白い雲のイメージだった。オレンジ色は、見た覚えがない。
Mは、沈黙している。
僕らの反応を待っている、のだろうか。
「いや、ごめん。地球に「オレンジの海」なんてあるか?」
沈黙を破るのは、いつものLの陽気な声だ。
「海はあるけど、塩分を多量に含んだ海水に満ちた青い海で、オレンジじゃないよねー。塩水の海じゃ、おそらくアルカナは生きられないだろーし、ロリポリの餌にもならないよなー」
そう云って、Lは何かを思い返そうとするみたいに眼を閉じる、
「ロリポリが餌のある惑星を見つけるための手段はなんだろーね。たぶん嗅覚か発達した複眼による視覚か、あるいは何か未知の感覚器官かもしれねーけど、何かしらのセンサーを持ってるはずだよねー。長くて厳しい宇宙の旅の間に、そのセンサーが破損しちゃった、とかかなー。つまり、地球に来たのは、ロリポリのセンサーの異常による間違いだった、とかね?」
そう推察するLはとても楽しそうで、なんだか僕まで楽しくなってくる。
つらくて厳しい長い旅に引っ張られて、しんみりした気分になっていたけれど、僕がそうなったところで、どうなるものでもない。それは、過ぎた昔の話なのだから。
いつでもどこでもなんでも楽しめるのがLのすごいところだけれど、こんなに楽しそうな顔ははじめて見たかもしれない。
『肯定します。L、ありがとうございます。まさに、今あなたの云った通りの事を、当時の彼ら、科学者たちも考えました。ですが、残念ながらそれは間違っていました。ロリポリのセンサーは、故障していなかったのです』
Mのやさしい声に持ち上げられてうれしそうな顔をしていたLだったけれど、「間違っていました」と突然落とされて、唖然とした顔になる。
「Mちゃん?あんた、そんなトークどこで習ったの。何それ、米軍仕込みのプレゼンテクニックとか?」
びっくりはしたものの、それはそれで面白かったらしい。もうニヤニヤしながらLが云う。
『否定します。A-0の記憶の通りに「昔話」をしているものですから、話の流れも当時のそのままになるのです』
申し訳なさそうに、オレンジの球が明滅している。
なるほど、「さすが意識生命体、そんなユーモアまで解するのか」と、つい思ってしまったけれど、そうではなかったらしい。
A-0の記憶にある昔話では、そこで科学者たちとそんなやり取りがあった、という事なのだろう。
確かにそれはそれで、Lではないけれど、面白いかもしれない。
80年前、ロリポリを前にして、初めてアルカナの王A-0とコンタクトした際の米軍の科学者たちの様子までわかるのだから。
「な。貴重な追体験ってやつだねー」
ふっふー、とLもごきげんな笑顔になってる。
ふわりとオレンジの球にあたたかな光が灯る。
『あなた達のやさしさに感謝します。昔話を続けましょう。ロリポリのセンサーは壊れていませんでした。オレンジの海は、この星に、地球にありました。しかも、大量にです。ただ、ロリポリにとって残念なことに、それはロリポリには決して手に入れる事ができない場所だったのです』
センサーの故障ではなく、オレンジの海はあった
しかも、大量に
ただ、ロリポリには決して手に入れる事ができない場所
Mの言葉をオウムのように頭の中で繰り返してみたけれど、僕にはさっぱり見当もつかなかった。
『ロリポリは、オレンジの海にあの大きな体、全身を浸してその栄養分を取り込むことで食事をします。丸めた体を伸ばすと、体の内側、つまり岩のような外殻の下側に、昆虫のような脚が何対も付いています。科学者のひとりは「ムカデのような」という例えを使っていました。私にはそれがわかりませんが、あなた達にはわかりますか?」
Mにそう問われ、全員が一斉にうなずく。
オレンジの球がホッとしたように明るく輝く。
「その「ムカデのような」脚の付け根に、オレンジの海から栄養分を摂取するための小さな穴状の器官があります。それが、あなた達地球人で云う「口」に当たります。つまりロリポリは、食事をする為には体を伸ばし、その下側半分をオレンジの海に浸す必要があったという事です。しかしこの星のオレンジの海では、それは不可能でした。何故なら、地球のオレンジの海は、人間や一部の動物の体内、つまり「意識の中」にあるものだったからです』
人間や一部の動物の「意識の中」?
Mのやさしい声で聞いてもなお、その残酷な現実に言葉を失ってしまう。
つまり、ロリポリに宇宙から見えていたのは、人や動物の意識の中にある「オレンジの海」だったの。
それが、自分には決して手に入らないものだったと知った時、ロリポリはどれほど落胆したことだろう。
「例えば、あくまで、例えばの話だけど」
ガブリエルが手を上げて、口を開く。彼らしくもなく、何か云いづらそうにしているのが少し気になった。
「人間や動物の中にたくさんの「オレンジの海」があるのなら、ロリポリはそれがたくさんいる場所を狙って着地する事もできるよね。そしたら、人や動物がたくさん死んで、そこにできるんじゃないのかな。ロリポリが入れるくらい大きなオレンジの海、クレーターの底のオレンジのプールが」
例えば、あくまで例えばの話。そう、可能性として、という話。
それは例え話だとしても恐ろしい想像だったけれど、実は僕も、似たような事を頭の中で思っていた。
人間や地球上の動物と比べたら、ロリポリは圧倒的に大きく、力も強く、頑丈なはず。
その気になれば、この星に住む生き物をたくさん殺して、オレンジの海を作る事もできたのでは、と。
「んー、無理じゃね」
Lが、あっさり否定する。
そうなのだろうか。できる・できない、やる・やらないは別として、可能性としてはありなのでは。
「ふむー?じゃあKよ、おまえ、人や動物が死んだ後に、オレンジの何かが流れ出てるのを見た事あるか?あーいやいや、ごめん、自分で云ってて気持ち悪いな。やっぱ今のなし。じゃあ人も動物もいなくていいや、だから死んでなくてもいい。この地球上のどこかに、オレンジの何かが貯まってる池とかプールみたいなのを見た事あるか?オレンジ色の何かが溢れ出たり流れたりしているのを、どこかで見た事ある?」
そう、Lは云った。
質問した、と云うより、確認した、という感じだった。
確かに、なかった。
僕の意識空間である、オレンジの海、あの場所以外で、それに似たようなものを実際に見た事は一度もない。
ガブリエルも、同意するようにうなずいている。
「だろ?つまりそーいう事なんじゃね。アルカナの星は、星全体がオレンジの海だったってMちゃん云ってたよね。さっき「記憶」でも見たけど、丸ごとオレンジの海が宇宙空間に浮かんでるようなもんだろ。だからロリポリは、ざぶーんと飛び込めば、あとはもう食べ放題って感じだったんだろーね。オレンジの海を感知するロリポリのセンサーには、宇宙空間から見た地球も同じように見えたんだろーなー」
めずらしくしんみりとした顔で、Lがそう説明してくれた。
『肯定します。ありがとう、L。あなたの説明してくれた通りです。アルカナの星とは違い、この星では、オレンジの海は人やある種の動物の「意識の中」にしか存在できません。ゆえに、ロリポリが食事をする事は、この星では事実上不可能なのです。オレンジの海が、この星の生命の中にどんなにたくさんあったとしても』
もう一度、さっきまで目の前にいたロリポリの姿を思い出してみた。
丸まっていても10m以上ありそうな大きな体。その体の中には、500人か1000人くらいのアルカナが入れるほど、大きなオレンジの海の貯蔵庫がある。
え、ちょっと待って。
ロリポリは80年前に餌であるオレンジの海を求めて宇宙からやって来て、けれど地球ではオレンジの海を摂取することが出来なかった。
いや、その前から、何十年か何百年も、宇宙の旅を続けてた、んだよね。
つまり、そんなにも長い間、飲まず食わずで、まだ生きてるの。
いくら体内に大きな貯蔵庫があると云っても、何十年とか何百年分の食事が入れておけるものなのかな。
「確かに驚きだけど、あり得なくはないよねー」
眼をきらきらさせながら、Lが云う。
「おまえは知らないって云ってたけど、ダンゴムシによく似た深海の生き物でダイオウグソクムシってのがいるのよ。そいつはものすごく大食いで、一度に自分の体重の50%近い量を食べるらしいよ。もともと、食べ物の少ない深海に住んでる生き物だからねー、食べれる時に食べれるだけ食べておけるように進化したのかもね。で、そのダイオウグソクムシ、何も食べずに5年間生きてたって記録があるんだよ、どこだかの水族館で。つまり、めっちゃ食べれるし、代謝が抜群にいい。一度食べたら、数年間食べなくても生きられる。そうやって深海で生きてるそいつと、過酷な宇宙を旅するロリポリ、なんか似てると思わね?いや顔も姿も似てるんだけどね」
「へえー」と、感心してしまうのは、そのダイオウグソクムシの不思議な生態もそうだけれど、それよりもそれを知ってるLの方に、だった。
Lは、何なの。宇宙も秘密基地も深海生物も、何でも知ってるの。
「うん。Lだからね」
どこか呆れたような笑顔で、しみじみとJが云う。
Lだから
ものすごいパワーワードだった。なるほど、Lだから、か。妙に納得してしまった。
ガブリエルは、めずらしくニヤニヤ笑っている。当たり前なのだけれど、Lにそっくりなニヤニヤ笑いだった。
「ん、なんだおまえら、揃ってニヤニヤして。またへんなキノコでも拾って食ったのか」
Lは照れ隠しなのか、そう云って知らん顔をした。
また、って何。僕は、へんなキノコなんて一度も拾って食べた事はないけれど。
『ありがとう、L。ロリポリの生態については、私も詳しくは知らないのです。でも、あなたの云う通り、この星の深海生物とはよく似た特徴を持つ種、なのかもしれません』
出来の良い教え子を褒める先生みたいにMは云って、オレンジの球が瞬いている。
Lはそっぽを向いたまま、無言でひらひらと手を振ってる。そういうのいいから、話を続けよう、という事らしい。
『先程のKの疑問への答えは、おそらくLの推察通りだと思います。一点付け加えると、ロリポリは眠っています。この星へ落ちて来てから、あなた達の言葉を借りれば「80年間」、ずっと眠り続けています。その理由は、この星への着地の際、ロリポリにはもうひとつ、不幸な出来事が起こったためです。長く厳しい宇宙の旅のその途中で、知らずにダメージを受けていたのかもしれません。ロリポリは、この星の大気に突入した際、その体が千切れてしまったのです』
柔らかなMの声で云われても、その話はショッキングだった。
体が千切れた?
隣で、Jが短く息を飲むのが聞こえた。
Lが手を上げて、
「じゃあ、クレーターがふたつあるのは、そのせい?」
短く尋ねる。
海沿いのクレーターと、さっきまで僕らがいた、工事現場の地下、そのふたつ。
Jが息を飲んだ理由が、僕にもわかった。
「隕石は空中でふたつに割れて、2箇所に落ちた」
そう云ったのは、確かにJだった。でもまさか、その隕石が遥か宇宙の彼方から長い旅をして来た生き物だったなんて、あの時は誰も想像すらできなかった。
『肯定します。正確には、ロリポリの体は3つに千切れました。あなた達が見たロリポリは、頭部を含む一番大きな「本体」です。その次に大きな部位が、Lの云う「海沿いのクレーター」に落ちたロリポリの尾の先端から下腹にかけての5mほどの「尾」です。
もうひとつ、ロリポリの「腹部」にあたる推定2〜3mほどの部位が、海沿いとこの本体の間のどこかに落ちたようです。あなた達は、キクヒコに案内されて、海沿いのクレーターから地下道を通ってここへ来たのですね。それならおそらくご存知の通り、海沿いに落ちたロリポリの「尾」はすでに彼ら、アメリカ軍によって回収、運び出されています。つまり、その時以来、ロリポリの本体は、今も眠り続けています』
Mがそう云って話を止めると、たまりかねたようにJが、
「わたし」
と云って、黙り込む。ひどい事を云ってしまった、と、Jが感じているだろう事はわかった、けれど。
「おまえのせいじゃねーだろ。それに、おまえが云ったのは仮定の「隕石」の話だろ。ロリポリじゃねー」
Lがいつものように、そっけない態度でJを慰めてる。
本当にいつも思うけれど、どうしてLは、Jにもうちょっとやさしくできないのかな。
「うん。それに、回復のために眠ってるんでしょ。だったらまた、いつか宇宙を飛べるようになる、んだよねえ?」
ガブリエルは、Mに尋ねたのかと思いきや、Lに聞いてた。
「なんでオレに聞くんだよ。ロリポリマスターとかじゃねーんだけど?」
肩をすくめるLに、
「あれ、そうなの。妙に詳しいから、てっきりそうなのかと思ったよ」
にっこり笑顔でガブリエルは首をかしげてみせる。
この双子、怖い。
じゃれてるだけなのか、本気で喧嘩してるのか、僕にはわからない。
「もちろん、じゃれてるんだよ。ねえ?」
ガブリエルはパチっときれいなウィンクをしてみせる。
「そんなことより」
Lがコホンと咳払いをして、
「3カ所だぞ。驚くのはそっちだろ。海沿いのクレーターと、このニュータウンの工事現場の間に、何かそれらしい場所なんてあったか?」
確かに、そうだった。
「具体的な地名とか、何かもう少し情報はないの」
LがMにそう尋ねる。
『否定。残念ながら、A-0の記憶には、それ以上の情報はありません。ロリポリの体は3つに分かれ、ここと、海沿いと、その間の何処かに落ちた、と。その第3の部位「腹部」がどこに落ちたのか、それが発見されたのかどうかも含め、A-0には何も知らされなかったようです』
申し訳なさそうに、オレンジの球がかすかに瞬いている。
発見できなかった、という事もあり得る、のだろうか。
ロリポリの体全体からいえば、推定2〜3mの腹部、というのは小さく感じる。
10m以上はありそうな頭部「本体」や、5mほどあったという「尾」に比べたら、確かに小さい。
けれど、2〜3mの落下物、と考えると、見つからないとか見落とすとは、考えにくい。
「うん。2〜3mという目につきやすくもコンパクトなサイズがね、他の部位と比べて、回収も運搬も、一番お手軽だよね」
ガブリエルがうなずいている。
「そのサイズじゃ地面にそんなにでかい穴も開かなかったのかもだなー。それこそ、軽トラでも横付けして、さっと積んで持ち帰れるくらいだったのかも」
Lも云う。
アメリカ軍に軽トラがあるのかどうか、僕は知らないけれど。
『A-0は、彼らが「腹部」を発見して持ち去った、とも聞いていないようですので、どちらとも云えません。ガブリエルの云った「回復のために眠っている」という点は、肯定します。A-0の記憶の通りに云えば、「ロリポリは体が千切れ飛ぶことができなくなった。そのため、眠りについた」との事です。再び飛び立つため、回復のための眠り、と解釈するのが適当だと私も思います。』
Mがそう話すと、Lはうれしそうに僕とJを見て、くるりと眼を回してみせた。
おどけたような顔に見えるけれど、きっと頭の中ではいろんな考えが巡っているはず。
「ふむふむそっかー、損傷があったとは云え、ロリポリが無事で良かったぜー。それなら、アルカナはどうだったの?」
無邪気な様子で、Lは続けてMに、そう尋ねる。
アルカナは、どうだったの。
どうなった、のだろうか。
岩のような巨大な体を持つロリポリは、この星の「オレンジの海」に入れなかった。
では、肉体を持たない意識生命体のアルカナは・・・。
『L、あなたはどう思いますか?』
Mが、Lにそう尋ねる。
質問に質問で返すとは、これもアメリカ仕込みの会話術?でないのだとすると、当時のA-0も研究者とそんなやり取りをしていたのかな。
あるいは、MがLとの会話を楽しみ始めただけなのかもしれないけれど。
「うーん、今の話でいくと、アルカナも、そう簡単にはいかなかった、って感じかなー」
Lは少しだけ考えてから、意外な事を云った。
意外。そう、僕は、アルカナは「海」に入れたのかと思ってた。
人間や一部の動物などの意識の中には、たくさんのオレンジの海があった。
アルカナがいったい全部で何人くらいいたのかはわからないけれど、当時のこの市に住んでいた全人口とその他の動物を合わせた数よりも多い、という事はない、よね。
アルカナは、肉体を持たない、姿の見えない、意識生命体。
それなら問題なく入れるのでは・・・
「ふむふむ。じゃあ、Kよ、人間の意識の中の「海」に入ったアルカナは、どうなるんだー?あるいは逆に、アルカナが中に入ってきた人間の意識は、どうなると思う?」
Lはそう、僕に尋ねる。
「オレンジの海」は、人間や一部の動物の意識の中にある。
アルカナは、その「オレンジの海」の中でしか生きられない、肉体を持たない、意識生命体。
そのアルカナが、人間の意識の中にある「海」に入ったら・・・
どうなる?
単純に考えれば、アルカナ入りの人間になる、のだろうか。
ひとつの体に、本来の意識とは別にアルカナの意識、というか意識体であるアルカナも存在する?
そんな事が可能だろうか。
ふと思い浮かんだのは、僕ら「能力者」の事だった。
能力者の意識は、別の能力者の意識に入る事ができる。但し、海へのつながりと記憶の大半を失う。
能力者同士の場合は、双方が、つまり意識を入れた側も入れられた側も、海へのつながりと記憶の大半を失う。
では、アルカナの場合は?
『肯定。L、あなたの云う通り、そう簡単にはいきませんでした。その理由は、わかりますか?』
Mはそう云って、さらに質問を重ねた。
やっぱりMは、Lとの会話が楽しくなってきたらしい。
Lは苦笑して僕に肩をすくめてみせてから、
「想像でも良ければねー。えーと、アルカナ様ご一行が何百人いたか何千人だったかはわからねーけど、全員が無事に「オレンジの海」に入れて助かりました、めでたしめでたし。だとしたら、この街は今頃アルカナの入った人だらけになってるはずだろー?でもそんな人がいっぱいいるの見たことある?ないよねー。だったらおそらく、無事に助かったのは数えるほどだったんじゃね。で、その助かった数少ないアルカナってのが・・・」
そこで言葉を切って、Lは「どーぞ」とばかりに僕に手のひらを向けた。
全員が無事に助かったのだとしたら、この街は今頃アルカナの入った人だらけになってる
そんな人がいっぱいいるのは見たことがない
無事に助かったのは数えるほどだった
その助かった数少ないアルカナが・・・
「能力者?」
ほとんどLの誘導尋問みたいな形で、僕はそう口にしていた。
『肯定。正解です』
Mがそう云った、けれど。
そうだとすると、大半のアルカナは、助からなかったの。
その助からなかったアルカナは、どうなってしまったのだろう。
それに、助かったアルカナが能力者、なのだとしたら、肉体を持つ僕らは、人間なのかアルカナなのか・・・。
『昔話を続けましょう』
柔らかな声音で、けれど淡々とMが云う。
オレンジとブルーのグラデーションが美しい、ロリポリの見た地球が映し出されていた周囲の景色に、また真っ黒な幕が降りて来る。
次に映し出されたのは、クレーターの底だった。
はるか頭上に空が見える。
これは、ロリポリ落下直後のクレーター、だろうか。
落下時の高温の影響か、斜面のあちこちに蒸気のような白い煙が上がっているのが見える。
ロリポリの視界で見ているものらしく、隕石そのものは見えない。
『ロリポリの落下地点、先程まであなた達がいた場所には、まず彼ら、アメリカ軍の研究者、調査チームが駆けつけていました。落下の際、大気との摩擦で高温に熱せられていたその外殻もやがて冷め、彼ら、アメリカ軍の調査隊員たちが近づくと、多くのアルカナが堪えきれずにロリポリから飛び出しました。何故なら、ロリポリの体内器官の「海」はその時にはもう、とても快適とは云えないひどい状態になっていたのです。長い旅の間、そこに閉じこもるしかなかったアルカナたちの眼の前に、ようやく念願の「海」が現れた、意識の海、オレンジの海が。いても立ってもいられず、反射的に飛び込んだ者も多かった事でしょう。けれど、人間の「オレンジの海」に飛び込んだ瞬間、アルカナたちは消滅しました。溶けて消えてしまったのです』
オレンジの球が弱々しく瞬いて、悲し気に揺れた。
周囲の風景も早送りで流れているらしい。
立ち上っていた蒸気は消え、軍服を着た大勢の人間が、遠巻きに忙しく動き回っているのが見える。
そんな人間の「海」めがけて飛び出したアルカナたちは、溶けて消えてしまった?
消滅
どうして?
『おそらくは、K、あなたが先程云った事とも無関係ではないのでしょう。能力者の意識が別の能力者の意識に入る、能力者同士の場合は、それぞれが「海」とのつながりと記憶の大半を失う。それが、アルカナの場合には、人間の意識に入ると、瞬時に消滅するのです。詳細な原因はわかりません。けれど、実際にそれが起こった事は、A-0がはっきりとそう感知し、記憶しています。「王」はアルカナの存在を感知できます。A-0は、自分の知るアルカナのうちの何人かあるいは何人もが、人間の意識の中に入り、瞬く間に消滅したことを感知したのです』
人間の意識に入ると、アルカナは瞬時に消滅する
A-0は、アルカナのうちの何人もが、人間の意識の中に入り、瞬く間に消滅したことを感知した
そんな、どうして、そんな事に。
何十年、あるいは何百年も、真っ暗な宇宙を漂い、ようやくたどり着いた安息の地で、故郷の海と同じ、懐かしい「オレンジの海」に思わず飛び込んだ途端、消滅した?
溶けて消えてしまった?
そんな残酷な結末を、アルカナたちは予想だにしなかったのでは。
けれど、冷静に考えれば、有り得なくもない話、なのかもしれない。
故郷から遠く離れた銀河の果ての、環境の全く異なる異星なのだ。
同じような「海」に見えても、同じものとは限らない。
実際に、アルカナの星の「海」は、この僕の意識空間で見る限りでは、果てしなく広く広大だった。
普通の人間の意識の中にあるそれが、全く同じものであるとは、思えない。
オレンジの球が、かすかに瞬いて、
『否定します。K、確かにあなたの云うように、意識生命体であるアルカナの故郷の星と、肉体を持つ生命である人の意識、です。似て非なるもの、ではあるかもしれません。ですが、本質的に近しいものではあるのです。でなければ、ロリポリのセンサーが反応するはずはありませんし、アルカナが反射的に飛び込めるはずもありません』
淡々と、Mの声がそう告げる。
早送りで変わっていた周囲の風景がゆっくりになり、止まる。
視界の眼の前に、つまりロリポリの前に、十数人の人が並んで立っている場面で止まっている。
『しばらくして、それを証明する事例が現れました。「王」A-0が、ロリポリの外側で生きているアルカナの存在を感知したのです。しかもそのアルカナがいたのは、ここではなく、「尾」の落下地点、あなた達の云う海沿いのクレーター、その付近に設営されていた、彼ら、アメリカ軍の医療施設でした』
ロリポリの外側で生きているアルカナ
それは、人の意識の中で、という事なのだろう、けれど。
全部が全部、瞬時に消滅するわけではなく、何か消滅せずに生き残る条件があった、という事なのだろうか。
それが、この眼の前に立っている人達?
軍服を着たアメリカ軍の兵士、白衣の医師や看護士らしき人が数人、それから、住民だろう、老人や大人の男女、そして子供。
『肯定します。当時、彼ら、アメリカ軍は、ロリポリの調査のための科学者だけでなく、他にも多くの兵士や医師を伴っていたそうですが』
Mが少し云い淀むと、Lがすっと手を上げて、
「補足するよ。オレとK、あーそれにガブリエルおまえもか、オレたちは当時の新聞記事を調べて確認したんだけど、アメリカ軍は隕石落下に伴う災害救援の名目で、100名以上の兵士を派遣してたらしいよ。まあ、大半は研究者や学者だったんだろーけど、名目上、実際に、市民の救援に当たっていた兵士や医師もいたんだろーねー」
そう云うと、オレンジの球がほのかに明るく灯る。
『ありがとう、L。なるほど、理解しました。私はその海沿いのクレーターを見た事がなく、直接当時の彼ら、アメリカ軍とも話したことがありません。今もA-0の記憶を見ているだけですので、その辺りの詳細がよくわからなかったのです』
Mが云う。
なるほど、最後の王、というくらいだから、研究者と接触したのもだいぶ後になってから、だったのかも。
オレンジの球が瞬いて、
『肯定します。ですから、もし話の中でおかしな点があれば、今のように補足してもらえると助かります。記憶を失くしているキクヒコよりは、私の方が上手に話せるのではと思いましたが、そうもいかないようですね』
自嘲するように、ふわふわと揺れた。
ガブリエルが激しく首を横に振って、
「いーや、キクヒコの頼りない記憶だけで今の話を聞いてたら、ボクはたぶん、途中であいつをぶん殴っていたかもしれない。だから、Mにはすごく感謝してるよ」
にっこりとやさしい微笑みを浮かべて、云う。
ぶん殴って?と思ったけれど、僕はあえて口を挟まない事にした。
ガブリエルが微笑みを浮かべたまま、僕にうなずきかけている。
オレンジの球がうれしそうに瞬いて、
『ガブリエル、ありがとう。では、話を続けましょう』
やわらかな声で、Mが話を続ける。
『海沿いの落下地点には、漁師と呼ばれる人たちが住む、3〜4軒ほどの小さな集落がありました。そこでは、十数人の人が暮らしていたようです。ロリポリの「尾」の落下による衝撃波で、古い家々は粉々に吹き飛ばされ、幸い住民に死者は出なかったものの、ほぼ全員が怪我人でした。アメリカ軍はクレーターの外側に仮設の病院を建てて、集落の怪我人をそこに収容し、治療に当たっていました。アルカナが感知されたのは、その病院でした。すぐにその病院にいた人全員が、ここへ連れて来られました』
なるほど、つまり静止した視界の前にいるのが、その病院から連れてこられた人達。
云われてみれば、兵士や医師以外の住民らしき人達は、頭や腕、足に包帯を巻いているのがわかる。担架に乗せられたままの人物は、体の左側がほとんど包帯でぐるぐる巻きにされ、かなりの重傷者に見える。
『肯定します。「王」A-0は、ロリポリの中にいましたから、全員を目の前に連れてきて、一体どの人間の中にアルカナが入って無事に生きているのか、確認する必要があったのです』
Mが言葉を切ると、視界が、並んでいる人達にズームされるように動いた。
人の表情までわかるくらい、僕らから見れば、ほんの数m先に立っているように見える。
Mが再び口を開いて、
『その中から、「王」A-0はふたりの人間を指し示しました。看護士に抱かれた赤ん坊と、担架に乗せられた重傷を負った若い男です。赤ん坊の名前は「キクタ」、男の名前は「ナガヌマ」と云いました』
柔らかな声でそう告げられたのに、僕の首筋に冷たいものがゾクッと走り抜けるのを感じた。
赤ん坊の名前は「キクタ」
男の名前は「ナガヌマ」
しっとりとやさしい声で、Mは確かにそう云った。
arcana ii
屋根裏ネコのゆううつ