sounds of silence ii

屋根裏ネコのゆううつ

Jの灰色がかったきれいな眼が、僕を見ていた。
いつでも僕に勇気をくれる、魔法の眼だ。
「えーと?あの、それ、いるの?」
Jは少し困ったような顔で笑ってる。照れているらしい。
いる、僕にはすごく大事なことだから。
「そ、そう?わかった」
あきらめたように、Jは小さくため息をついて、苦笑する。
ショートホームルームの後、帰ろうとしていたところを担任のナガタ先生に呼び止められたところから、僕は話し始める。
ほんの小一時間ほど前のことのはず。
できるだけ正確に、あったこと、云ったこと、云われたこと、見たこと、聞いたこと、その時に思ったことをひとつひとつ思い出しながら、Jに話した。
「ふむー」
僕が話し終えると、Jはいつもの考え込むポーズになった。
細い人差し指をあごに当てて、口をきゅっと結んでいる。
「なるほどね。それでさっきのは、アイたちにも同じことが起きるかもっていう実験、だったんだね」
そう、そして実際に同じことが起きた、のだけれど。
「何がきっかけで、どうしてそれが起きたのか、そして具体的に何が起きたのか、わからない?」
僕の中の疑問を、Jがそのまま言葉にしてくれた。
そう、まさにその通りだった。
僕の「声」と、手もしくは指の「音」、それがきっかけなのではと思っていたのだけれど、あの現象の発現とは、どちらも微妙にズレがあったような気がしてた。
そのふたつが全く無関係、という事ではないのだけれど、はっきりとそれがきっかけ、とは云い難い、ような気がする。
直接的なスイッチみたいなものではないにしても、それぞれが何か重要なパーツのひとつ、には違いない、と思うけれど。
それにあの現象は、具体的には、なんなのだろう。あの時、何が起きているのだろう。
記憶が消されているのだろうか。
その場にいた全員の?いや、僕以外の、今回は僕とJ以外の?
ナガタ先生とアイの共通点は、何かを忘れてしまったかのように、惚けていたこと、だった。
でもナガタ先生は僕の名前を覚えていたし、アイもそうだ、Jの事は覚えていた。
その直前の、一時的な記憶だけが消えているのだろうか。
ナガタ先生は「僕を職員室に連れて行き、何か相談事はないのかとしつこく迫っていた」ことを忘れていたし、周りの先生たちも「僕がナガタ先生に連れられて職員室に来た」ことを忘れていたみたいだった。
アイは「Jを公園で見つけて、理由もなく罵っていた」ことを忘れていたし、アイの子分の刈り上げも「意味もなく囃し立てて笑い転げていた」のをすっかり忘れてたみたいだった。
特定の人たちの特定の時間帯、あるいは特定の事柄に関する記憶だけを選んで消す?
便利と云えばこの上なく便利だけれど、そんな都合の良いことができるものなのだろうか。
そして、何より、ナガタ先生や他の先生たち、アイたちにそれをしたのは、
つまりあの現象を引き起こしたのは、「僕自身」なのだろうか。
「ううう・・・」
Jはうつむいて片手で頭を抱えるようにして、何やらうめいている。
声をかけようかと思った矢先に、がばっと顔を上げて、
「もう、Lってば、キミはどうしてこんな大事な時にいないの!」
Jは突然、大声を上げて叫んだ。
きゃん、という小さな悲鳴に似た声が、公園の向こうの方から聞こえた。
Jの突然の大声に驚いたのだろう、あの黒い犬が、ベンチの下に大きな体を潜り込ませて、ちらちらとおっかなびっくりこちらの様子をうかがってる。
「あ、ごめんね、ちがうの、キミのことじゃないよ」
Jはあわてて犬に向かって謝り、ひらひらと手を振ってる。
体の大きな黒犬のくせに、意外と気は小さいのかもしれない。
ひとしきり犬をなだめてから、
「Lはね、えーと何て云うんだっけ、ギフテッド?」
心の声で、Jが云う。
ギフテッド、
天から与えられた才能、とか、聞いたような覚えがあった。
早熟で人並み外れた才能を持つ子供とか、IQが130以上あるような、いわゆる天才児を指す言葉だった、と思う。
「そうそれなの。本人は、別にそんなもの与えてほしいなんて頼んだ覚えはないけどなー、なんて云ってたけど。あと、まあただでくれるって云うんなら遠慮なく使わせてもらうけどねー、とかも云ってたかな」
何て云うか、すごく天才児っぽい発言だ。
「だからね、こういうの、あの子すごく得意で大好きなの。こういう現象がありました、実験してみたらこうなりました、さて・・・っていう、ああもう」
Jの悔しさは、なんとなくわかるような気がした。
もしもLがこの場にいて、さっきの僕の話を聞き、アイとの実験もその目で見ていたとしたら。
僕が今、答えを出せずにいるこのもやもやとした疑問にも、何らかの答えか、答えにつながるような何かを示してくれたのかもしれない。
「そう、それなの」
そう云って、Jはがっくりと肩を落としてる。
でも、Jにも実際に見てもらえたのは、収穫だったよね。その点だけで云えば、からんでくれたアイには感謝すべきかもしれない。
「そう、かなあ?」
Jは不満げだ。
けれど、Jにもあの現象を見てもらえたことで、最初に僕が考えていたような集団催眠的な何か、ではないことは確かめられた。僕もJもあの時に眠ってはいなかったし、当然夢も見ていないのだから。
それに、「泡」の色が変わったことに気づけたのも、Jがいたからこそだ。
本来は変わらないはずの「泡」の色を変えるほどの「何か」が、あの時に確かに起こっていた、という事になる。
「ふふ、忘れてた。ここにもひとり、我らが名探偵がいたんだった」
そう云って、Jはいつもの笑顔に戻る。
「あ、そうだ、あの「音」は、何か関係してないのかな。キミの耳の中で聞こえてるあの「音」」
Jにそう云われ、あらためて思い返してみる。
確かに、なんだかよくわからないあの現象は、同じくなんだかわからない僕のあの「音」と関係があったとしてもおかしくはない、かも。
それにあの現象は、僕の「声」と手や指の「音」と何らかの関係がある、かもしれない、のだ、けれど。
あの現象が起きたとき、耳の中のあの「音」がどうだったか、大きくなったり小さくなったり、音が変わったりしていたのかどうか、残念ながら、僕には覚えがなかった。
「ふむー、そっか。「泡」の色みたいに見た目でぱっとわかることじゃないもんね」
そう、Jは僕をなぐさめてくれたけれど、「泡」の色について、僕はもうひとつ思い出したことがあった。
Jの「泡」にも、Lの「線」にも、手で触れたり、動かしたり、何かこちらから干渉することはできない、って前にJから聞いてた。
「泡」も「線」も、ただそこにあるだけのもの、だって。
でもあの現象は、「泡」の色を変えた。つまりあれは「泡」に干渉することができるもの、だ。
ということは、
「あの謎の現象も、わたしたちの「力」と同じもの?」
僕の推理を、Jが引き継いでくれた。そう、同じ種類の「何か」なのだと思う。
しばらく黙り込んで、何かを考え込んでいたJが、
「K、おばあちゃんの話、してもいい?」
遠慮がちに尋ねてくる。
だいじょうぶ、あの日の帰り道、高熱を出すまで泣いて、もうすっきりしてるから。
僕はうなずいて、Jに笑ってみせた。
「あのね、あの時、おばあちゃんが、わたしたちの手を握ったとき・・・」
そう、そうだった。その話もJとしたかったんだった。僕はすっかり忘れていたけれど。
あの時、祖母は僕に右手を、Jに左手を握らせて、云ったのだ。

「じーんちゃん、あんたは本当にやさしい子だねえ。まるで、天使様の使いみたいだ」
「あんたの頭の上に、光る輪っかが見えるよ。天使様だねえ」
「キクタ、あんたには、光る冠が見えるよ。王冠かね、あんたはまるで、王様みたいだ」

あれは、生命が燃え尽きようとする最後の瞬間に、何かが祖母に見せた幻だったのだろうか。
それとも、僕とJと手をつないだことで、僕らの中の謎の「力」が、祖母にそんな幻を見せたのか。
「わたし」
Jはまっすぐに僕を見て、口を開く。
「おばあちゃんは、わたしたちと同じ、何かが見える人、だったんだと思う」
もちろん、僕も、その可能性は考えなくもなかった、けれど。
「それでね、わたしの天使様は、うれしいけど、ちょっとちがうかなあって思ってて。でも、Kの王様は・・・」
いやいや、僕に云わせれば、Jの天使様はなるほど納得だけれど、僕の王様は、おばあちゃんの見間違いじゃないのかなと思える、のだけれど。
「さっき、アイに云ったでしょ、K。「もういい、帰って」って、そしたらあんなに騒いでたアイたちが急におとなしくなって、すごすごと帰って行ったでしょ。あれを見た時に、おばあちゃんの言葉を思い出したの。ああ、ほんとに王様みたいだ、って」
王様、
国の最高権力者、国を動かし人を動かす絶対君主。
人を動かす。
それが、あの謎の現象の正体なのかな。
Jの眼からは、そんな風に見えていたの。
「なんてね。あーもう、ほらね、やっぱりLじゃないとダメだあ。ごめん、わたし、なんかふわっとした事しか云えない」
そう云って、またJはしょんぼりと肩を落としてる。
でも、そんなことはないよね。
僕には、あの不可思議な現象と祖母の云う「王様」を結びつけて考えることはできていなかった。
Jの素直で柔軟な発想は、この先も何か大事なヒントにつながる大きな力になる、そんな気がする。
「うう・・・6年生にもなって、6年生にもなって2年生に慰められてる、わたし」
Jは、まださっきのを引きずってるらしい。
でも、さっきJが云った、祖母も「何かが見える人」だったという説に関して、僕は、もうひとつ思い出したことがあった。
あの時、僕らの手を握った祖母の話す声は、ほとんどかすかな、唇の間を空気が通り抜ける音しか聞こえないくらい、弱々しいものだった。
にも関わらず、僕にもJにも、祖母の云っている言葉が一字一句はっきりと聞こえてた。
それは、手をつないでいたから、では。
つまり祖母は、僕らと同じ、手をつないだら心の声で会話ができる人だった、という事。
「そう、だから、わたし、おばあちゃんが見た王冠や天使の輪は、幻なんかじゃなかったと思う」
Jの言葉が終わるか終わらないかのうちに、不意に何かが僕の中から湧き出して、知らずに僕の眼から、涙がこぼれ落ちていた。
それに気づいたJが、はっと息を飲んで自分の口を片手で塞ぎながら、云う。
「ごめん、K。キミを悲しませたくなかったの、だからやっぱりこの話はまだ・・・」
Jは慌ててた。どうしたらいいかわからないみたいに、急に立ち上がろうとしてブランコが揺れ、また慌てて座ったりしてる。
ちがうよ、J、これは、悲しいんじゃないんだ。
悔し涙、だった。
毎日顔を合わせられるところに、こんなにも近くに、僕の一番の味方がいた事。
そんな大事なことに、いまの今まで気づいていなかった、そんな僕自身に対する悔しさ。
もちろん、いつだって祖母は僕の味方で、一番の理解者だと思ってた。
けれど、祖母は、僕が思う以上に、もっと深い本当の意味での僕の理解者だったんだ。
何かが見える不思議な力のことを、祖母がどれくらい知っていたのかはわからない。
手をつないだら心の中で話ができることも、もしかしたら知らなかったかもしれない。
だとしても、もっときちんと、あの「音」の事を祖母に相談したらよかった。
もっともっと、たくさん祖母と話してみればよかった。
はあ、僕はまだまだだなあ、と思う。
わかった風な顔をして、わかったような事を云っているけれど、実は何にもわかっていなかった。
「K・・・」
Jが、困った顔をしてる。
こんなにやさしい「じーんちゃん」を、困らせるのは、ダメだよね、おばあちゃん。
僕は左手でごしごしと涙を拭って、Jの灰色がかったきれいな眼をのぞき込む。
きらきら輝くJの眼の中に、僕が映っている。
この眼は、いつでも僕に勇気をくれる、魔法の眼だ。
「・・・もう、またそれ」
Jは困った顔のまま苦笑してる。
僕はJの真似をして「ふふふ」と笑ってみた。
不思議なことに、なんだか気持ちがふわっと軽くなる感じがした。
すごい、魔法の「ふふふ」だ。
「もう、魔法はいいってば」
Jは降参、とばかりに肩をすくめてみせ、僕の眼を見て、いっしょに「ふふふ」と笑った。

ひとしきり「ふふふ」と笑い合った後で、
ところで、と僕は切り出す。まだ、気になっている事があった。
「うん」
と、Jが僕を見る。
ミカエルって、Lのこと?
僕はずばり尋ねる。
「あ、さっき、アイが云ってたよね。よくあれだけでLのことだってわかったねえ、さすが」
Jはつないでいない方の片手で、拍手するような動きをする。
「おまえ、ミカエルがあんな事になっちまって、それで今度はそのチビスケがどうのこうの・・・」
詳しくはよく覚えていないけれど、アイは確かそんな風な事を云ってた。
「そう、ミクリヤミカエル、あだ名はL。わたしたちの仲間、ギフテッドのLだよ」
ミカエルなのにLなの、Mじゃなくて?
僕が云うと、
「それ」とJは人差し指をぴんと立てて見せ、
「わたしも同じこと云ったの。Mじゃないの?って、そしたら・・・」
Mってなんか、弱そうでヤダ、とか?
「なんでわかったの?」
Jは眼をまんまるに見開いて驚き、そして笑った。
なんのことはない、「線」と同じ理屈だよね。
「糸」は弱そうでやだから「線」、「M」も弱そうでやだからミカエルのエルで「L」。
案外、わかりやすい天才児なのかもしれない。
「くう・・・」
Jは妙な声を上げて、足をばたばたさせてる。
「今の、Lの目の前でやってほしかったなあ。あの子、どんな顔するだろう」
足ばたばたは、喜び?興奮?わくわく?何かそういうものの表現らしい。
こういうJの無邪気なところ、本当にいつもすごいと思う。
僕にはないものだから、だろうか。
「コホン、じゃあついでだから、まとめて説明しちゃおうか」
まとめて?
「アイがいろいろへんなこと云ってたでしょ、それをまとめて。べつに内緒にしとくような話でもないし」
Jはいつも通りの感じだったけど、僕は電車ブランコの座席に座り直して、まっすぐに隣のJを見た。
きちんと聞くべき話、だと思ったから。
「じゃあまず、孤児院の説明からしようか。アイはしきりに孤児院孤児院って妙に強調してたけど、元々、教会に孤児院があったわけじゃないの。
今からええと、12年前かな、ある冬の寒い日に、教会の玄関に4人の赤ちゃんが置き去りにされてたのがそもそもの始まり。
牧師さんが赤ちゃん達を見つけて、ひとまずは引き取ってくれたんだけど、牧師さんも奥さんもその時点で50代?60代かな?わりと高齢だったから、養子縁組できちんと引き受けてくれる人を探すために、孤児院、というか正式には、児童養護施設?って云うんだっけ?その登録をしたんだって」
12年前。Jは今、6年生だから12歳、だよね?
「そう、6年生だからね」と強調してJは「ふふふ」と笑う。
なんだろう、当分ネタにされそうな予感がした。
「その牧師さんと奥さんが、わたしのお父さんとお母さん」
なるほど、Jのお母さんが初老のご婦人だったのは、そういう事情だったのか。
父は、孤児院、いや児童養護施設のことを知っていたのかな。たぶん、知ってたのだろう。
車の中でJの住所を聞いた時、父は「へえ、教会のお嬢さんか」という云い方をしてた。
施設のことを僕に悟らせまいとして、あえて「教会のお嬢さん」という云い方をしたに違いない。ぼんやりしているように見えて、意外に気が回るのだ、あの人。
「4人の赤ちゃんは、みんな外国人の赤ちゃんでね、そのうちのひとりが、わたし。ひとりはアイで、ひとりはミカエル、つまりLね」
さらりと、Jはものすごく重要な情報を云う。
一瞬、わけがわからなくなりかけた。
アイも施設の子だったの?そして、Lも?
「そう。Lに関しては、わたしも知ったのはつい最近なの。えーと順番に話すとね、Lともうひとりの子は、赤ちゃんのうちに養子縁組が決まってよそに引き取られてたから、わたしが物心ついた頃にはもう教会にいなかったの。
だからわたし、Lともうひとりの赤ちゃんの名前も知らなかった。何かそういう約束?契約?みたいなのがあるらしくて、お父さんとお母さんは、ふたりのこと何も話してくれなかったから。
Lが施設出身の子だってわかったのは、あのランドセル引っ張られてこの公園に連れて来られて、仲良くなってしばらく経ってからだったかなあ」
4人の赤ちゃんは、兄弟?というか、4つ子?なのだろうか。
「それは違うみたい。血液型が違うんだって。4人ともそれぞれ別々の外国人の子供、らしい、との事。ひとりは顔も知らないからわからないけど、Lもアイも、わたし、似てないし、ね」
確かに、あの巨漢のアイと目の前の華奢なJが兄妹なんてありえない、ひとつも、1ミリも似ていない。
「そう、それにLは金髪に青い眼の、きらきらの美形だからなあ」
金髪に青い眼で、きらきらの美形で、さらにギフテッド?
いったいどれだけのものを、神様から与えられているの。
「ね、不公平」と、Jは少しふくれてみせる。
でも、アイも教会で育った子なのだとしたら、さっきのあの態度は一体なんなのだろう。反抗期なのかな。
「教会にいた頃は、あんな子じゃなかったんだけどね。と云っても、アイの養子縁組が決まって教会を出たのは、小学校に上がる前だったから、もうあんまり覚えてないんだけど。
無愛想でぶっきらぼうなところはあったけど、あんな粗野な乱暴者じゃなかったと思うんだけどなあ」
どこかで、ひねくれてしまったのだろうか。
5〜6歳までとはいえ、それまで自分を育ててくれた教会のことや、一緒に育ったJのことを、あんな風にけなせるものなのかな。
「うーん、何か否定したいのかな、自分の過去を。売れ残り、とか、しきりに云ってたでしょ。あれ、自分もそうだと思ってるのかも。赤ちゃんのうちに養子縁組が決まったLともうひとりの子に対する嫉妬?みたいな?その気持ちは、わたし、ぜんぜんわからないけど」
ふむ、まあ、アイの心の葛藤については、とりあえず僕もどうでもいいかな。
それより、12年前、何があったんだろう。
4人の赤ちゃんの両親がそれぞれ別人なのだとしたら、4組の夫婦、つまり8人の大人の外国人が存在しているはず。
彼らはどこへ行ったのか、今どこにいるのだろうか。そもそもなぜ同時に4組の夫婦が、まだ小さな赤ちゃんを手放さざるを得ないような状況に陥ってしまったのか。
事件性がない、とは思えないのだけれど。
「それについては、もちろん当時お父さん、つまり赤ちゃんを発見した牧師さんがすぐに警察に連絡して、警察でも事件か事故か、両方の可能性をいろいろと調べてくれたらしいんだけど、手がかりは何もなし、だったんだって」
何もなし、そんなことがあり得るのだろうか。
4人の赤ちゃんと8人の大人、つまり12人の人間がいて、4人の赤ちゃんだけを残して8人の大人が消え、後にはなんの痕跡も手がかりもない?
もちろん、いま僕がぱっと思いつくような事は、当時の警察がすでに調べ尽くしているだろうとは思う。
赤ちゃんが生まれた病院の記録だとか出生届だとか、その両親のいずれかあるいは両方が働いていた職場があったはずだとか、外国人なのだったら出入国記録だとか。
それらが何もない、というのなら、考えられることは少ないはずだ。それらの記録が故意に隠されたか、あるいは誰かに消されたとか。
「実はね、Lと仲良くなって、教会で養子縁組された子だってわかった時に、わたし、同じ話をLにしたの。あの子、ご両親から教会での養子縁組の話は聞いてたみたいなんだけど、その前の話、教会の玄関に置き去りにされてた事は聞いてなかったんだって。ご両親もわざわざそんなこと教えなかったんだろうね。
で、その話を聞いたLも、今のキミとほとんど同じ事を云ってね。それから自分でもいろいろ調べてみたらしいの。市の図書館へ行って古い地方新聞を片っ端から読み漁ったり、ネットでそれらしい情報をひたすら検索したり、ね。でも・・・」
天才児Lの能力をもってしても、何も見つけられなかった。
「うん。でも、だからこそ、絶対に何かある、ってLは確信してたみたい」
確かに、僕にもそう思える。
10年以上経っていたとはいえ、何も見つけられない、なんて普通では考えられない。
すべての手がかりが、何かの偶然でひとつずつ消えていき、ついにひとつもなくなってしまった?
そんなはずはない。
という事は、何も見つからないように故意に隠された、と考えるべきだろう。
見つけられては困る何かの理由があって、それを見つけられたら困る誰かが確かにいた、という事だ。
それに少なくとも、4人の赤ちゃんたちが、自力で教会の玄関前にやって来られるはずがない。
4人の赤ちゃんを教会の玄関前に置き去りにした「誰か」が、必ずいるはずだった。
寒い冬の日に赤ちゃんを置き去りにした、と聞くとひどい話に思えるけれど、置いて行った場所が教会の玄関前、という部分だけを見れば、そこには悪意のようなものは感じられない。
何かやむにやまれぬ事情があって、例えば彼ら自身に何かの危険が迫っていて、せめて赤ちゃんだけは無事にその危機から逃がそうとして、それこそ神様にすがるような気持ちで、教会に置いて行った、とも考えられなくはない。
すべての痕跡が見つからないのも、それを知られることで赤ちゃんたちに危険が及ぶのを防ぐため、つまり赤ちゃんたちを守るために、あえて彼らが隠して行ったから、なのかもしれない。
「K・・・もしかして」
すっかり物思いに沈んでいた僕に、Jが遠慮がちに声をかけてくる。
「キミもあれなの?ギフテッド?」
え、ちがう、と思う、けど。
「2年生とは思えないよね、こないだから何度も云ってる気がするけど。本当は、中身は大人の、おじさんとかなんじゃないよね?」
Jにしてはめずらしく、眉根を寄せて真剣な顔で云う、けれど。
でも、おじさんって・・・そんなに年寄りくさいのかな、僕。
「え、いや、あ、あはは、そういう意味じゃないってば。うーん、大人っぽくて、しっかりしてるというか、ええと、頼りがいあるところとか、ね」
くるりといつもの明るいJの表情に戻って、慌てて手を振り回して云い訳してる。
「でもね」
ふっと視線を公園の向こう、例のベンチの前で寝そべっている黒犬の方へ、見るともなく漂わせて、
「わたしは、わからないなら、わからないままでも、いいかなーって」
ぽつりとそう、Jはつぶやくように云う。
「アイの養子縁組が決まって、いよいよわたしひとりになって、お父さんとお母さん、引き取り手を探すのをやめたの。寂しくなっちゃったのかな。それで、児童養護施設の登録も取り消して、わたしが小学校に上がる時に、わたしを正式にふたりの養子にしてくれたの。元々、子供のいない家だったから、ね」
そっか、そうだったんだ。それは、よかったね、J。
「うん。だから、わたしは、わからないままでもいいや」
Jは視線を僕に戻して、いつものように「ふふふ」と笑った。
確かに、Jの云う通りかもしれない。
事件性があろうとなかろうと、何か理由があって隠された過去を、無理やり探し出して掘り返したところで、そこに幸せな結末が待っているとは限らない。
「そうそう。それに今、わたしけっこう幸せだし」
ふふっ、と笑って、Jは笑顔で空を見上げた。
幸せ
僕はどうだろう。
幸せだ、と云ってJのように笑うことが、僕にはできるだろうか。
「あ、ほらまたそうやって、暗い顔するー」
Jの細い人差し指が伸びて、僕の頬をつついた。
そう云えば、最初に会った日にも云われた。なんだっけ。
おーい、キミその時々暗くなるのやめよう?明るくいこうよ、ほら笑ってー、だ。
「なんでそんなしっかりおぼえてるの?やっぱりキミもあれなんでしょ」
残念ながら、僕はギフテッドではないけれど。
ふふふ、と僕は笑う。気持ちがふわっと軽くなる。
やっぱり、この「ふふふ」はすごい。ぜったい魔法だと思う。
「気に入ったならKも使うといいよ、魔法じゃないけど」
ふふふ、とJも笑った。
そして、「あ、そうだ」と何かを思い出したのか、Jは僕を見て、
「今度の日曜日、何か予定ある?」
そう聞いた。
日曜日、特に何もなかったと思うけれど。
「じゃあ、Lに会いに行こう」
人差し指をぴこんとまっすぐ立てて、Jは笑顔でそう云った。

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