sounds of silence v

屋根裏ネコのゆううつ

車窓から外を見ると、いつの間にか市街地の街並みは見えなくなっていて、緑の多い田園風景が広がっていた。
バスは、運動公園の広い駐車場に入り、その端にぽつんと立つバス停の前で停車した。
バス亭の脇には遊歩道が通っていて、その先にはアーチ型のゲートがあり、看板に「ススガ森運動公園」の文字が見えた。
小銭で運賃を支払ってバスを降りると、雨は上がっていた。雲の切れ間から、明るい夏の空がところどころに顔をのぞかせている。
「じゃあ、行こっか」
手をつないだまま、Jは心の声でそう云って、遊歩道を公園の入り口ゲートとは反対方向に向かって歩き出した。
公園の駐車場を出ると、遊歩道がそのまま道路脇の歩道につながっていた。
ジョギングコースにもなっているらしく、歩道の幅が広くて歩きやすい。
ススガ森、という地名だけれど、森が広がっているわけではなかった。
西にあるススガ岳の山裾にあたる緩やかな斜面、そこに広がる、のどかな田園地帯だった。
広い果樹園や畑がそこかしこにあり、その合間に農家らしい大きな家がぽつぽつと建っているのが見えた。
市街地にあるようなビルや高い建物がないので、空が広く感じる。
いや、高い建物は、あった。
進行方向、左手に見える葡萄園らしき緑の向こうに、何やら高い、そして大きい、黒い建物の影がかすかに見えていた。
洋風のお城かな?
まさか
「あれ、さすが目ざといね」
隣を歩くJが、つないでいない方の右手を上げて指差しながら、
「そう、あのお城がLのお家だよ。もう少し近づくまで黙ってて、びっくりさせたかったんだけどなあ」
いたずらっぽく微笑む。
いや、もう十分びっくりしてるけれど。
お城は辺りの田園風景と見事に調和していて、なんの違和感もなく目に飛び込んでくるので、その一枚の風景画のような眺めに、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなるような感覚があった。
テレビか映画の画面でも見ているような、現実とは思えない不思議な感覚。
「そうそう。わたしも初めてきた時「あのお城は何?映画のセットか何か?」ってLに聞いたの。そしたら「はあ、オレんちだけど」ってため息つかれた」
ため息?なんでだろう。Lはお城が嫌いなのかな。
Jは楽しそうに「ふふふ」と笑って、
「ね、わたしたち、Lに対する感じ方が似てるよね。K、だいたいいつもわたしと同じ感想を云ってる気がする。わたしもね、どうして?お城きらいなの?って聞いたの。そしたら、「じゃあおまえ、いっぺん住んでみろよ、絶対きらいになるから」って」
お城が嫌いになるの?よくわからない。
毎日わくわくして、楽しく暮らせそうなイメージしかないけれど。
「ね、わからないよね。Lが云うには「とにかく広い、あと何もかもでかい、疲れる」だって」
広くて移動がたいへん、という事なのかな。でかいはなんだろう。ドアや家具が大きくて重い、とか。
ああ、それで、疲れる、のかな。
それでも、贅沢な悩み、という気がするけれど。
「そうそう、贅沢、ね」
Jは楽しそうに、くすくす笑ってる。
近づくにつれ、お城の全容がだんだんはっきりと見えてきた。
確かに、でかい。
何と云えばいいのだろう、小学校の校舎、よりはさすがに大きくないと思うのだけれど、周りに比較できるような大きな建物がないからかな、より大きく感じられる。
それから、材質が灰色の石壁、と云うのかな、全体的に重々しいので、より重厚な感じがする。
さすがに、周囲に城壁のようなものはなかったけれど、お城のだいぶ手前で、高い鉄製の柵に道を塞がれてしまった。
鉄の柵、と云っても動物園にあるような武骨な鉄の棒を並べて組み合わせただけの柵ではなくて、その柵自体に蔦の装飾が施された、洒落たものだった。ところどころに同じ鉄製のバラの花のような飾りもついていて、いかにも名のある職人が丹精込めて作りましたよという顔をした、お高そうな立派な柵だ。
「はい到着。ここがLのお家だよ」
鉄柵の間にある、同じ材質でできた洒落た鉄の門の前で、Jは立ち止まり、そう云った。
ここが、ってお城までは、まだあと100メートルくらいありそうだけど。
「正確には、ここからLのお家だよ、かな」
鉄の門の脇にあるインターホンを押しながら、Jは「ふふふ」と笑って云う。
ここから、つまりこの先100メートルはありそうなお城までの間が、全てLの家の敷地、という意味なのだろう、けれど。
広い。
「はい」と短く、インターホンから男性の声が聞こえた。例の、本物の執事さんかな。
「ジョウノジーンです。ミカエルのお見舞いに来ました」
はきはきと、Jがインターホンに向かって云う。
なんだろう、すごく堂々としていて、すごく慣れてる感じが、すごく、すごい。
「K、だいじょうぶ?急に語彙が少なくなってるよ」
心の声でJはそう云って、くすくす笑ってる。
「お待ちしておりました。どうぞそのままお進みください」
インターホンがそう云い、鉄の門がわずかに軋むような音を立てながらゆっくりと開き始めた。
「ありがとうございます」
Jはインターホンに向かって答え、丁寧にぺこりとお辞儀をしてから、「行こ」と僕の手を引いて歩き出す。
Jのこういうところ、本当にいつもすごいと思う。
「えへへ。Lには「おまえなんでインターホンにお辞儀すんの。ばかなの?」って云われたけどね」
照れくさそうに、Jはそう云って笑う。
相手がインターホンであれ、昼寝をしていた犬であれ、きちんとお辞儀ができるJのすごさがわからないとは。
ギフテッドも大したことないな、と云わざるを得ない、かな。
「ふふふ、まあまあ、Lは極端に照れ屋さんだからね。自分ちのインターホンに挨拶されて、照れちゃったのかも」
手をつないだまま、ふたりで開いた鉄の門をくぐって敷地内に足を踏み入れる。
といっても、ここまで歩いてきたのと同じ広さの道路がまっすぐに続いているので、家の敷地に入ったという感じはあまりしなかった。
ただ道の両脇は、ここまでとは様子ががらっと変わっていたけれど。
敷地に入るまでは、広い畑や農地が点々と続いていたり、空き地があったり農家の納屋みたいなものが建っていたり、藪や林があったりと、雑然としたよくある田園の風景だった。
それが、門を通った途端、一面によく手入れをされた丈の高い芝草が生い茂る、映画や何かで見るきれいな草原のような整然とした景色に変わっていた。
ところどころに、もともと林だったであろう名残のような古そうな大木の木立があったり、自然の地形そのままのこんもりとした小山があったり、おそらくこちらも自然そのままなのだろう小さな池や小川のせせらぎまであった。
Jの教会の手入れが行き届いた小さなお庭も素敵だったけれど、Lのお城のこの広大で野趣あふれる庭もまた、すごく・・・、
「そうそう、すごくいいでしょう。わたしもこのお庭好きなんだ。Lはぜんぜん興味なさそうだったけど」
手をつないだまま、スキップでも始めそうな勢いでJは庭のあちこちを眺め、うんうんうなずいたり、小さな歓声を上げたりしている。
Jの気持ちは、すごくわかる。ふだん無気力無反応無感動な僕でさえ、思わずテンションが上がってにやにやしてしまうような素敵なお庭だった。
この庭にまったく興味をしめさないというLも、逆の意味ですごいと云えなくもないけれど。
やっぱりどんなに素晴らしいお庭でも、毎日見ていたら、見慣れた日常の景色の一部になってしまうものなのかな。
「ふむー、そうかなー。あ、でもLも、このお庭のお世話をしてる庭師のシジマさんていうおじいちゃんには、すごくなついてるみたいだったなあ。小さいころから、すごくかわいがられてたみたい」
庭師。
また聞きなれない新しいジョブが登場した。このお城には、いったい何人くらい、そういう専門的な仕事をする人がいるのだろう。
「そうねえ、何人くらいだろうね。10人はいそうな感じするかなあ」
執事さん、お手伝いさん、庭師さん、運転手さん、それから・・・とJはぶつぶつ云いながら指折り数えている。
ぱっと10人と聞くと多い気がするけれど、あの大きなお城をたった10人で支えていると思うと、何と云うか、一流のプロ集団、という感じもする。
自然の景観を生かしつつ、美しく整えられた素敵な庭を堪能しながら、ふたりで手をつないでしばらく歩いた。
門をくぐった時にはお城まで100メートルくらいありそうと思ったけれど、さすがにそれは大げさだったらしい。
お城も庭も規模が大きすぎて、距離感がおかしくなってしまう、というのもあったかもしれない。
実際には、2〜30メートルほど歩くと、正面に玄関ポーチが見えてきた。
まあ100メートルが30メートルだったとしても、家の敷地としては広すぎることに変わりはないけれど。
門からほぼまっすぐに続いていた舗装された道路が、玄関前でくるりと円を描くように終わり、そこが広い車寄せになっていた。
ガレージらしきものは見当たらなかったので、ここはあくまで、来客用の車寄せなのだろう。
玄関の扉は、木製の大きな両開きのドアだった。Jの家の教会の玄関と同じタイプの洋風の両開きのドアだけれど、Lの云うとおり、でかい。
玄関前にある3段ほどの広い石の階段を登ると、タイミングを見計らっていたかのように大きなドアがゆっくりと内側に開いた。
いや、まさに見計らっていたのだろう、まるで映画でも見ているかのような完璧なタイミングだった。
開いたドアの内側に、黒いスーツ姿の男性がひとり立っていて、僕らに深々とお辞儀をしていた。
メイドさんがずらりと並んでお出迎えされたらどうしようと思っていたけれど、そんなことにはならなかったので少しほっとした。
「あ、サモンジさん、こんにちは」
Jはドアの内側に一歩入ったところで立ち止まり、僕とつないでいた手をすっと離して、スーツの男性に丁寧なお辞儀をした。
つられて僕も「こんにちは」ぼそぼそ云いながら、Jにならってお辞儀をする。
スーツの男性は、ゆっくりと顔を上げ、Jと僕を交互に見てから、
「おふたりとも、ようこそおいでくださりました」
軽く会釈をしながら、歯を見せずににっこり笑った。
10メートル四方はありそうな広いエントランスのほぼ中心に、サモンジさんは真っ直ぐに立っていた。おそろしく姿勢が良い。
総髪、というのだろうか、長い髪を後ろでひとつに束ねていて、縁のない眼鏡をかけていた。
「ジーン様、お久しぶりですね。ご機嫌麗しゅうございますか」
サモンジさんは、見た目はクールで少し怖い印象だったけれど、声はやわらかで優しい感じがした。
「はい、サモンジさん、ご無沙汰してます」
Jはにっこり笑ってそう答え、
「あ、こちらはお友達のスズキキクタ君です。彼もミカエルに会いたがっていたので、今日は一緒に来ました」
隣にいる僕を手で差しながら云う。
Jの言葉にうなずいて、サモンジさんが僕を見る。眼鏡の奥の眼が、きらりと鋭く光った、ような気がした。
いや、ちがう、微笑をたたえてやさしげに僕を見ているのだけれど、なんだろう、少しでも怪しいものは一歩もこのお城へ入れないぞという、プロ意識的な何か?を感じたような。勝手な僕の妄想かもしれないけれど。
「スズキキクタです、はじめまして」
僕はもごもごと、それだけ云うのがやっとだった。
お城のエントランスの重厚な雰囲気にも、ピシッとしたサモンジさんにも、とにかく圧倒されてしまってた。
「キクタ様、はじめまして。執事のサモンジと申します。よろしくお願いいたします」
そう云って、サモンジさんは僕に丁寧なお辞儀をする。キクタ様、だなんて、生まれて初めて呼ばれたかもしれない。
サモンジさんのお辞儀は、本物の執事のものだった。父の真似ごとの執事ごっことは、当たり前だけれど比べ物にならない、完璧なかっこいいお辞儀だ。
一瞬、見惚れてぼんやりしてしまい、あわてて僕も「よ、よろしくお願いします」もごもご云って、サモンジさんにお辞儀を返す。
微笑みながらうなずいて、サモンジさんはJの方を向き、
「ミカエル様の寝室までご案内いたします。どうぞこちらへ」
優雅な仕草で、広いエントランスの左右にある階段のうち、左手の階段を手で差し示して、ゆっくりと先に立って歩き出した。
「はい、お願いします」
Jはぺこりとサモンジさんにお辞儀をして、僕の手をつなぎ、「行こ」と心の声で囁いた。
エントランスは円形で、左右に円の孤に沿ってふたつの階段があり、それぞれ階段の上はエントランス全体を見下ろせるテラスになっていた。
お城の外壁は灰色の重厚な石壁だったけれど、エントランスは壁も床も真っ白な大理石だった。
左右のテラスに囲まれたエントランスの中心は吹き抜けになっていて、高い天井から、大きなシャンデリアがぶら下がっていた。
「K、圧倒されてるね。わたしも初めて来た時はそうだったけど」
心の声でJがそう囁く。
僕は、無言でうなずいてた。言葉にならないくらい、文字通り圧倒されてた。
テラスまで上って振り返ると、中心の天井から吊り下げられたシャンデリアがちょうど目線の高さにあって、きらきら輝いている。
玄関の大きな扉の上に磨りガラスの大きな窓があって、そこから差し込む陽光が、複雑な形状のシャンデリアのガラスに反射して煌めいていた。
テラスの先は2階の廊下につながっていて、サモンジさんは迷いのない足取りでそちらへと進んで行く。
廊下に入ると、床の材質が木材に変わった。
磨き上げられた黒い木の床にはちりひとつなく、隅々までぴかぴかだった。
廊下といっても、広い。小学校の廊下と同じくらいの幅があるかもしれない。そして、長い。突き当たりまで、20メートル以上はありそうだ。
廊下の左右の壁には、5メートルおきくらいの間隔で、黒っぽい木製のドアが並ぶ。
行ったことはないけれど、高級ホテルの廊下、みたいな感じなのかな。
ドアとドアの間隔から見ても、その向こうにある部屋はかなり広そうに思える。
突き当たりかと思った廊下の端は曲がり角になっていて、90度右に曲がって、また左右にドアの並ぶ廊下が続いていた。
確かに、広い。
Lが「疲れる」と云うのもわからなくはない、かもしれない。ここに住むとなれば、毎日この距離を歩くことになるのだものね。
曲がった先の廊下には、ちょうど真ん中あたりの右側に、上下へとそれぞれ続く階段があった。
前を歩くサモンジさんはその階段の下で僕らを少し振り返り、確認するように小さくひとつうなずいて、また前を向き、上へ向かう階段を上って行く。
踊り場でくるりと折り返してまた上へ、階段を上り終えると、左右に廊下が伸びていた。
エントランスからの道順は、左の階段、廊下の角を右、右側の階段を上って、つまり、ここは3階の廊下だ。
「ふふふ、帰りもちゃんと案内してもらえるから、覚えなくてだいじょうぶよ」
Jは心の声で、くすくす笑っている。
それは、まあそうなのだろうけれど。自分の今いる場所がわからないで歩いていると、なんとなく、目が回るような気がして。
サモンジさんは廊下を左へ進んで行く。
3階の廊下は、右側にはドアがなく、代わりに明かり取りの細い縦長の窓が、等間隔に並んでいた。
窓から細長い外の光が、黒くてぴかぴかの木の床に斜めの光を落としている。
ふたつ目のドアの前で、サモンジさんは足を止めた。
今まで通り過ぎてきたのと同じ木のドアだった。目印も何もなさそうなのに、間違えたりはしないのかな、なんて、ふと思った。
「こちらです」
短く云って、サモンジさんは慣れた仕草で、ドアをトントントンとノックする。
すぐにドアが内側から外向きに開いて、マスクをつけた女性が姿を現した。
お手伝いさん、だろうか。黒っぽいシンプルなドレスみたいなスカートに、白いエプロンをつけていた。
サモンジさんを見て取ると、女性は頭を下げてそのまま無言で室内に引き下がる。
「どうぞ、お入りください。私はこちらで一旦失礼いたします。お帰りの際は、室内のメイドにお声がけください。お迎えにあがります」
開いたドアに右手を添えて支え、左手で室内を差し示して、サモンジさんは僕らにそう云って頭を下げた。
何度見ても、うっとりするようなかっこいいお辞儀だ。父に見せてあげたい、と思った。
「ふふふ」と心の声でJが笑う。父のあまりかっこよくないお辞儀を、思い出したのかもしれない。
「わかりました。サモンジさん、ありがとうございます」
Jがそう答えて、サモンジさんにぺこりとお辞儀をする。
僕も慌ててお辞儀をする、と、Jはそれを待っててくれたらしい。僕の手を引いて、室内へ入って行く。
僕らが室内に入ると、後ろで静かにドアが閉まった。サモンジさんが閉めてくれたのだろう。
部屋の中は、広くて、明るかった。正面には、白いレースのカーテンがかけられた大きな窓がある。位置的に窓の向こうには中庭があるのかな。
部屋の床にはふかふかの淡いベージュのカーペットが敷かれていて、その時ようやく、僕は土足のままここまで案内されていたことに気づいてた。
Lの家は、部屋まで靴を脱がない西洋風の習慣であるらしい。
部屋は横長の長方形で、左手の壁には白いドアがふたつあった。
部屋の中にドア。
クローゼットとか、だろうか。あるいは、シャワールームとか洗面所とか、かな。
お城に入るのは、というより、本格的な洋風のお家に入るのは、僕には初めての事だったので、部屋の構造とかが今ひとつピンと来ない。想像が追いつかない感じだ。
部屋の右手には、奥の壁際の真ん中に、天蓋付きの大きなベッドが置かれていた。
映画や海外のTVドラマなんかで見るような、天蓋付きのベッドだ。もちろん、実際に見たのは初めてだった。
その、ベッドが置かれた側、部屋の右半分は、部屋の中央を仕切るガラスの向こう側だった。
つまり、僕らのいる部屋の入り口ドアのあるこちら側と、ベッドのある部屋の向こう側は、透明なガラス板で区切られていた。
医療ドラマや映画で見るような、無菌室や集中治療室、といった感じだろうか。
眠り続けるLを自宅で看護するために、Lのご両親は、この無菌室、というかガラスの仕切りを、設えたのかな。
先ほどのメイドさんは、そのガラスの仕切りのこちら側に立っていて、ベッドの方を見つめている。
よく見るとメイドさんの後ろのガラスには、同じガラス製の扉があるのが見えた。その扉を通って、こちら側からベッド側へ行けるようになっているらしい。
ガラス扉はもちろん、閉ざされていた。
メイドさんの脇には、椅子と小さなテーブルも置かれていて、普段はそこに座って、ベッドを見守っているのかも。
「だいじょうぶ?」
Jは、僕がひと通り室内を観察するのを、どうやら待っててくれたらしい。
僕がうなずくと、
「じゃあ、Lに会いに行こ」
心の声で云って、僕の手を引いて部屋の真ん中のガラスの仕切りに近づく。
そのタイミングを待っていたのだろうか、メイドさんがガラス扉を開いて中に入り、ベッドの傍らに立つ。
そして天蓋の幕を引き上げて、ベッドの中がこちらから見やすいようにしてくれた。
「ありがとうございます」
Jがガラス越しにメイドさんにお辞儀をすると、メイドさんも小さく微笑みながらお辞儀を返して、そのままスッと後ろへ下がり、部屋の隅の方へ移動してた。
天蓋の幕が引き上げられた広いベッドの上に、Lが眠っていた。
「L、会いにきたよ。今日はKも来てくれたよ」
Jは声に出して、そう、Lに言葉をかける。
Lの柔らかそうなふわふわの長い金髪が、ゆるいウェーブを描いて枕の左右に広がっている。白に近い金色のきれいな髪だった。
眠っていて、当たり前だけれど眼は閉じているので、青い眼はわからなかった。
小さな白い顔が少し青ざめて見えるのは、体温が低いため、だろうか。
鼻の付け根から左右の頬にかけて、うっすらとそばかすが散っているのも、何ともかわいらしい。
襟に白いレースのついたパジャマの胸元が、呼吸に合わせて微かに上下している。
薄いタオル地の白い布団がかけられているので胸から下は見えないけれど、思っていたよりも背が低いかもしれない。
Jより低い、というより、僕とそう変わらない身長に見える。
今までJから聞いていた話から、僕が勝手に頭の中で想像していたLのイメージとは、だいぶ違ってた。
「あれ、そうだった?」
Jが心の声で意外そうに云う。
うん、L、女の子みたいだ。
僕がそう云うと、
「うん?女の子だけど」
Jにしてはめずらしく、とがめるような口調だった。
え?
待って、J、今なんて?
「女の子だってば。え、わたし、云ったよね?きらきらの美少女だよって」
云ってない。
きらきらは云ってたけど、美少女は聞いてない。
たしか、「きらきらの美形だからなあ」って、Jはそう云ってた。
「うそ?え、じゃあK、今までLのこと、男の子だと思ってたの?」
思ってた。
完全にそう思ってた。
1人称が「オレ」だったし、なんて云うか、云うことがいちいち男前だったから。
Jの表情が、くるくると忙しく変わっていた。
困った顔から驚いた顔に、そして今は、声を出して笑い転げたいのを必死にがまんしている顔に。
ガラス越しで、しかも心の声で話しているし、メイドさんには何も聞こえていないだろうけれども、
体をもぞもぞ揺らしながら百面相をするJが不審に思われたりしないかと、僕はそっちの方が気が気ではなかった。
もちろん、Lがまさかのきらきら美少女だったことには、本当にびっくりしたけれど。
あらためて、ベッドで眠るLを見た。
どこからどう見ても、かわいらしい美少女だった。
眠り姫、という言葉が頭に浮かぶ。
小さな頃、祖母が読んでくれた絵本の童話、だったかな、まさにそのものだった。
あんなかわいい顔のいったいどこから、
「おいおまえ、ちょっとそこの公園までつきあえ」とか、
「おまえなんでインターホンにお辞儀すんの?ばかなの?」とか、
そんな乱暴なセリフがぽんぽん出てくるのだろう。
「ちょ・・・K、ごめん、わた、わたしが、ちゃんと云わなかっ・・・もう、面白、やめ・・・」
また、Jの笑いのスイッチが入ってしまったらしい。
メイドさんから見えないよう、僕を盾にして顔を伏せ、必死に笑いを堪えている。
その時、とんとんとん、と部屋のドアがノックされる音がした。
ガラスの向こうにいたメイドさんが素早く反応し、ガラス扉を開けてこちら側にやってくると、僕らに一礼をして、ドアに向かう。
メイドさんがドアを外側に開くと、そこに薄紫色の上品なワンピースを着た女性が立っていた。
Lのお母さん、だろうか。いや、お姉さん?
いやいや、ご当主には子供がいなくて、Lを養子にした、という話だったはずだから、やっぱりお母さんだろう。
メイドさんがすっと身を引いて、そのままくるりと回れ右をし、ガラス扉の前の定位置に戻ってきた。
「あらあら、ジーンちゃん、どうしたの?ずいぶん楽しそうね」
しずしずと部屋へ入ってきたLのお母さんがにっこり笑ってそう云うので、あわてて隣を見ると、Jは笑いをこらえた顔のまま、固まっていた。
灰色がかった眼には、涙まで浮かべている。そんなに面白かったのかな。
顔は固まったままでも、すっとさりげなく、僕とつないでいた手を離していたところは、さすがJだ。
「お母さん、こんにちは。ご無沙汰してます」
涙顔を隠すように、Jはいつもより丁寧に、深々とお辞儀をしてからゆっくりと顔を上げ、
「ごめんなさい、久しぶりにミカエルに会えたから、ついうれしくて」
えへへ、と笑って上手にごまかしていた。女の子って、すごいな。
「あ、こちらはお友達のスズキキクタ君です。彼もミカエルに会いたがってたので、今日は一緒に来ました」
犯人はこの人です、と云わんばかりに、Jがさりげなく僕をLのお母さんの方へぐいっと押しやっているような気がする。
「ははじめまして、スズキキクタです」
僕の方があたふたしてしまった。
「まあキクタさん、いらっしゃい。お会いできてうれしいわ」
にっこりと、Lのお母さんは会釈した。
20代、という事はないと思うけれど、30代には見えない。
うちの母は何歳だっただろう。母よりぜんぜん若く見えた。
その時、開いたままだった部屋のドアが、外からノックされた。
見ると、部屋の前の廊下に、ワゴンを押したメイドさんが立ち、こちらにお辞儀をしていた。
Lのお母さんがそちらを見て「お願いします」と云いながらうなずくと、廊下にいたメイドさんは「かしこまりました」と丁寧なお辞儀をして、部屋に入ってきた。ワゴンは、廊下に置いたままだった。
そして、部屋の中にいたメイドさんとふたりで協力して、隅にあった小さなテーブルと椅子を部屋の中央へ運ぶ。
メイドさんの休憩用のテーブルと椅子かと思っていたけれど、そうではなかったらしい。
椅子は3脚用意されていたので、僕らが座るため、なのかな。
メイドさんの手で、テーブルにはきれいなレースのテーブルクロスがかけられた。しわひとつない、真っ白なテーブルクロスだ。
テーブルのセットが終わると、ふたりのメイドさんは無言のまま、今度は廊下のワゴンから湯気の立つ白い陶器のティーポットとお揃いのカップ、それにお洒落なガラスの器に盛られたお菓子を運び、手際よくテーブルの上に並べていく。
あっという間に、お茶会の準備が整えられていた。見事な手際だった。
「ありがとう」
Lのお母さんは満足そうにうなずいてメイドさんにそう声をかけると、僕らの方を向いて、
「さあ、お茶にしましょう」
そう云って、優雅に微笑んだ。




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