stand by me ii

屋根裏ネコのゆううつ

錆びついたレールの上を少し歩くと、左右の風景が急に開けた。
丘の斜面の名残のような、藪や木々が点在していた景色が唐突にパッと開けて、目の前にはだだっ広い平地が広がっていた。
右手は100mほど先がごつごつした岩場になっていて、その向こうには海が見えた。
正面と左手は、何もない平地だった。
白っぽく乾いてひび割れた土の地面と、その上に錆びついた鉄の線路がまだ真っ直ぐに続いている。
線路の周りの雑草はずいぶんとまばらになり、どれも枯れて干からびているように見えた。
「何かあるよー。あれは、柵、かな」
Jの声が云う。
柵?
Nの視界では、まだそれらしきものは見えない。
視界の前方、100mほど先に、空を飛ぶ黒い影が見える。
クロちゃんだろう、だいぶ先行しているようだ。
「うん、柵だね。K、こっちでも見えるよ。柵というか、フェンスかな、かなり大きい」
ガブリエルが、隣でNの視界を指さしていた。
かなり大きい、フェンス?
そう云われて、やっと気づいた。
遥か前方の地面が、全体的に上り坂になっているらしい。坂までは、距離にして、数百mくらい、だろうか。
その手前、坂になった向こう側の地面に重なるように、延々と左右に伸びるフェンスが立っていた。
坂の斜面と重なって全体が風景の一部のように見えていたので、僕は気づかなかった、という事のようだった。
ガブリエルの云う通り、かなり大きい。そして、長い。
あの工事現場の塀を思わせるような長さ、規模感、だった。
いや、フェンスの向こう側は、あの工事現場よりも広いかもしれない。
視界の右側、3分の1くらいは、ごつごつとした岩場と海だった。その海の際から、つまり平地の端、岩場と土の地面の境界からフェンスは始まっていた。視界の左端まで、ずっと続く長い長いフェンス。
「おー、いよいよ秘密基地っぽくなってきたんじゃね」
Lの楽しそうな声が云う。
秘密基地かどうかはともかく、たまにテレビのニュースやドキュメンタリーなんかで見るような、軍の基地や施設、その敷地の周りを囲うフェンス?そんなふうに見える。
距離は、まだだいぶありそうだった。
周りが広く何もないので距離感がわかりにくいけれど、フェンスまで2~300mはあるのでは、と思えた。
「んで、J、クロちゃんが云う「いた」ってのはどの辺りなの」
Lが尋ねると、クロちゃんに確認しているらしい、しばらく間があって、Jが
「あのフェンスの上にいた、って。わたしも、まだ見えないんだけど」
少し困ったような声で云う。
「ほほー、つまりあいつの目的地はあの基地か?ふっふー、いいねー、盛り上がってきたぜー」
また遠いとか何だとか文句を云うのかと思いきや、Lは何やら盛り上がっているようで、まあ、良かった?のかな。
「キクタ、あれを」
Nが走るスピードを緩めて、視界が線路の脇、ひび割れた土の地面の一角へ向けられた。
地面に、何か木材を組んだような、枠?の跡、だろうか?
「家の土台かな」
目を凝らして眺めていたガブリエルが首をかしげる。
家の土台
まばらな雑草以外は何もないひび割れた地面に、家の土台だけ。
もちろん、建設途中の家、ではないのだろう。
「うん。津波で流されちゃった家、かな」
ガブリエルが、囁くようにそう云った。
津波
見渡す限り、何もない地面。
まさか、何もないのは、全部流されたから?
そう云えば、線路脇の電柱も、ずいぶんとまばらだった。
傾いて、ほとんど倒れ掛かっているようなものもあった。
あれも、津波で?
「ああ、たぶんなー」
Lが云う。
「この辺はどうかわからねーけど、大地震当時、津波の最大のやつは高さ7mとかあったらしいよ。教会のある丘の周辺やその内陸は10m以上ある崖の上だろ。だから市の大半はあの崖のおかげで被害を免れたんだろーね。崖より南の方は、さっき云った通り、被害に遭いはしたものの、その後の大規模な復興や再開発できれいに生まれ変わったわけだけど。崖の北側のこの辺は、ね。ここだって、海はすぐそこだもんな。何もかも流されちゃったのかもしれねーな」
何もかも流された?
つまりそれは、家や建物ばかりではなく、木や草やこの周辺にいた生き物や、文字通り、何もかも、なのだろうか。
それにしても、大きな建物の残骸だとか、電柱とか構造物の瓦礫や何かそれらしき物すらひとつも見当たらない、けれど。
元々、家や建物自体が少なかったのかな。
あの、基地らしきものの影響?とかで。
「かもなー。基地のフェンスの中だけじゃなく、外側の周囲数kmまで軍の管轄ってかその所有地とか、よく聞く話だよね。さっきKが見つけた家の土台も、人が住んでた家じゃなくて、軍の監視所とか何かそんな感じのやつかも、だなー」
Lの言葉に、あらためて周囲を見渡してみた。
12年前、地震が起きた当時も、軍の管轄地で何もない土地だったの、かな。
だとしても、あの丘の斜面と同じように雑木林や藪もきっとあったのだろう。
そう、ただ広く何もない、という違和感もだけれど、木や草がない、生き物の影もない、というのが、何だかとても寂しく不毛な印象だった。
12年経っても、まだ何もない。
もう少し、雑草が生い茂っていたり、木は難しいかもしれないけれど、藪のようなものでもあれば、多少は違うだろうに。
「死」という、あの夢の声を、ふと思い出していた。
何もかも諦めてしまったような、希望も失くした、感情のこもらない、あの声。
復興と再開発でよみがえった南の市街地と違い、ここは、ずっとこのまま忘れられて、放置され続けるのかもしれない。
いや、それでも、
ここにもいつかは草木が生い茂り、自然の溢れる豊かな場所になるのでは。
人の手が入らないのならば、尚のこと。
なんとなく、寂しさ、物悲しさがあの灰の海と似ているような気がしたけれど、そんな事はなかった。
少なくとも、この場所はまだ「死」んではいないのだから。
「あれは、駅?の跡、かな」
Jの声がして、見上げると、前方の空で、クロちゃんが大きく輪を描くように旋回していた。
線路の先に、何か柱のような、棒状の影が立っているのが見える。
それから、コンクリートっぽい灰色の土台のような、駅のホーム、かな。
近づいてみると、それはまさに、駅の跡、だった。
単線の線路脇に、ひび割れたコンクリートのプラットホームが20〜30mほど、ある。
ただそれだけの駅。
元々それだけの駅だったのか、周りにあった駅舎などは全て津波に流されてしまったのか、そこまでは、わからない。
遠くから細長い影のように見えていたのは、ホームの上の屋根を支えていた柱のようだった。
屋根はひとつも残っておらず、数本の柱と梁の一部がかろうじて原型をとどめているだけだった。
駅名を示すような表示や看板も何もない。
「隠された秘密の基地だったのなら、元々、この駅を利用する人も少なかったのかもしれないね。軍関係だったのだとしたら、物資の輸送も鉄道は使わずに輸送機や船を使っていたのかも」
じっとNの視界を食い入るように見つめながら、ガブリエルが、そう考察してくれる。
確かに、そうかもしれない。
線路とホームと屋根の残骸らしき柱、それだけしかないので、あとは想像するしかないのだけれど、多くの人が日常的に頻繁に利用していた駅には、どう見ても見えなかった。
ホームの端まで歩いてみると、線路はホームの先で終わっている。
ここが、鉄道の終点だった。
錆びた鉄のレールが、終端でぐにゃりと上に捻じ曲げられていて、行き止まりを表すプレートか標識がかけられていたのであろう鉄の支柱だけが、線路の先にぽつんと突っ立っていた。
あちこちひび割れたコンクリートのホームの隅、かろうじて残っていた1本の柱の影に、曲がった水道管と蛇口が飛び出していた。
元はここに、洗面台か、手洗い場のようなものがあったのかもしれない。
「水、出るかな」
Lが、歴史を感じさせる錆びついた蛇口のハンドルをくるっと捻ると、赤茶色の鉄錆の混じった水が滴り落ちた。
管の中に残っていた水が流れ出たのかな。
「お」
何かを期待したのか、楽しそうにLがくるくるとハンドルを捻ると、水の勢いが増して、すぐに錆や汚れのない透明な水が溢れ出た。
「おおー」
Lは歓声を上げている。
水音を聞きつけて、ラファエルも興味ありげにLの脇に近づいた。
いや、まさかとは思うけれど、L、水を飲むつもりなの。
「おい、どんだけ走らされたと思ってるの?こんなの、飲むに決まってんだろ」
勢いよく流れ出る水道の口に顔を近づけるLの前に、すっとラファエルが割り込んだ。
「あ、こら、おまえ、ご主人サマを差し置いて?」
文句を云いかけて、Lが言葉を止める。
ラファエルは、蛇口から流れ落ちる水に鼻先を近づけると、くんくんとしきりににおいを嗅いでいる。
おかしなにおいはしなかったらしい、今度はコンクリートの上で飛沫をあげる水道水の水たまりに、少しだけ舌をつけて舐め、何やら口の中で確認していた。
毒見?をしてくれているのかな、ご主人よりもまず自分が先に?
「そう見えるね」
隣でガブリエルも同意して、膝の上でNもうなずいてる。
ラファエルはもう一度、今度は蛇口から滴り落ちる水流に直接舌をつけて、一口二口水を口に入れ、ゆっくりと口に含んでから飲み込み、最後にLの顔を見て「わふ」と小さく吠えた。
飲んで良し、と云うことらしい。
「おお、さんきゅー」
にっこり笑ってLはラファエルの頭を乱暴にがしがしなでてから、流れ落ちる水道水をがぶがぶ飲み始めた。
「ではワタシも」
Nが云い、Lの足元にできた水たまりに顔を近づけて、舌ですくって水を飲む。
ラファエルも、Lの顔の下に潜り込むようにして、こぼれ落ちる水を飲んでいる。
水音を聞きつけたのか、それとも水の匂いがしたのだろうか、少し先へ進んでいたはずのクロちゃんも戻って来た。ばさばさっと羽ばたきながらNの隣に降りて来て、水たまりにくちばしを突っ込んで飲み始める。
Lだけではなく、みんな結構な距離を走って、飛んで来たのだ。
曇り空とはいえ、まだ8月の真夏だった。暑いし、のども乾いていた事だろうね。
それは、何というか、とても不思議な光景だった。
まるで世界の果てかこの世の終末のような、何もない乾いた大地にポツンと突き出た錆びた水道の蛇口から、溢れ出るきれいな水を飲む金髪の少女と大きな黒犬、そして黒ネコとカラス。
「うん、宗教画か何かみたいだね」
ガブリエルが云うのもわかる。
どこかヨーロッパの大きな美術館とか、古い伝統ある教会にでも飾られていそうな、ある種の芸術作品のよう。
「いやー、我が国の水道技術の高さに、感謝ですなー」
Lは口元を手で拭いながらようやく顔を上げて、何だか地元の政治家みたいな事を云ってたけれど。
地震とその後の津波にも耐えた、この辺りの地下にあるはずの水道管の頑丈さには、確かにびっくりだった。
「実はさー、家を出る直前まで悩んだんだよねー。水筒とおやつも持って出るべきかってさー。ランドセルに詰めて、用意はしてたんだけどなー」
灰色の雲が流れる少し薄日の差し始めた空を見上げて、Lがそんなことを云う。
朝から一日探索に出るのだから、それはある意味必須だったのでは。
どうして持って来なかったの。
「いやあ、ランドセルに水筒って、いかにもじゃね」
いかにも?
いかにも小学生、という感じ、かな。
でも、それでいいのでは、例の「認識」の実験てきには、正しい気がするけれど。
「そうだけど、迫力がね。いかにも小学生っぽすぎて、迫力に欠けるじゃん?」
ふふん、とLは笑ってる。
迫力
また、迫力、だった。
どうもLの天才理論と迫力へのこだわりは、両立しずらいものらしい。
「武士は食わねど、ってやつかなあ。違うか?よくわからないねえ」
ガブリエルも隣で肩をすくめてる。
「ひとまず、お水も飲めて、少し休憩できてよかったね。みんな元気出たかな」
Jが引率の先生みたいな事を云って、律儀なNは「はい」と素直にうなずいてた。
何というか、みんないい子だ。
「それで、あのフェンスのどの辺にいたって?あいつ」
Lにそう云われ、あらためて線路の終端の向こうを見ると、思ったよりも近くにあのフェンスがそそり立っていた。
駅を目指して進むうちに、思いの外、フェンスに近づいていたらしい。
線路の端から、ほんの2〜30mほど先、だろうか。
高さ2m以上ありそうな巨大なフェンスが、右は海との境目あたりまで、左は見えなくなるくらい遠くまで、延々と続いていた。
7mの津波に耐えた事もうなずける、コンクリートの土台にしっかりと固められた、頑丈そうなフェンスだ。
フェンスの天辺には、錆びた有刺鉄線が、らせんを描くようにぐるぐると巻かれている。
工事現場の塀とは違って、外部からの侵入を拒んでいるのは見るからに明らかだった。
よく見れば、フェンスの編み目に石や土の塊や、木の枝や根のようなものがあちこちに突き刺さり、あるいは絡みついている。
駅のホームの屋根の残骸だろうか、大きなトタン板の破片のようなものも見えた。
それらは全て、津波で流されてフェンスに引っかかったものなのだろう。
「んー」
Jが云って、クロちゃんが羽ばたいて飛び上がる。
前方のフェンスの上まで飛んで行き、上空でくるりと大きく旋回している。
「そこから、斜め右、かなあ。まっすぐフェンスに向かうんじゃなくて、少し右寄り、海の方に近づくような感じで進んでみて。大きな木が倒れかかって、フェンスが壊れてるところがあるの」
Jの声がそう云った。
「おっけー、出発するぜー」
水を飲んで少し元気を取り戻したらしい、Lがいつもの陽気な声で云って、Jの指示に従って歩き出す。
ラファエルもすぐ横に並んで続き、Nはラファエルと反対側、Lの左側に並んで進む。
近づいて、よく見えるようにはなったけれど、フェンスの向こう側は、こちら側と同じ殺風景な土の地面だった。
ひとつ違うのは、地面が手前から奥に向かって斜面になっていることだ。
急な上りの斜面の高さはフェンスよりも少し高いくらい、だろうか。
天辺は平らのようで、左右で高さの違いはあまりないように見える。
自然の地形らしいので、真っ平らではなく、多少はでこぼこしているようだけれど。
「んー、ぱっと見、基地はないみたいだなー。まあ相当広そうだから、あの斜面の向こうに何かしらあるのかも知れねーけど」
青い眼をきらきらさせながら、Lは辺りの様子を観察しつつ進んでいく。
まあ、気持ちは少しわかる、かも知れない。
あの工事現場の周りを、アイとふたりで入口を探して何周も歩いた時、きっと僕も今のLと同じような眼をしていたのだろう。
「わ、出た」
Jが、お化けでも出たみたいな声で短く云った。
見ると、クロちゃんは、フェンスにかなり近づいて、あいつの姿を探していたようだった。
「ごめん、あの子がいたよ。さっき云った、そのフェンスに倒れかかった?大きな木の上」
Jがあらためてそう教えてくれる。
Nの視界が、正面のフェンスを右へ右へとパンして行くと、倒れた大きな木が、あった。
流木か太い木の電柱、だろうか。枝も根もないつるんとした丸太のように見えた。
太さ5〜60cm、長さは3m近くありそうな大きな丸太の棒だった。
これもまた、津波でどこか遠くから流されて来たものなのだろう。
それが、フェンスにのしかかるように倒れていて、その部分のフェンスが大きくひしゃげ、壊れていた。
その木の、上?
いた。
斜めにフェンスに倒れかかった木の先端に、見慣れたシャツと半ズボン姿の子供が立っていた。
木の重みでフェンスが潰れてしまっているとはいえ、斜めになった木の先端は、潰れていないフェンスの天辺とほぼ同じ高さ、つまり地上2mくらいはありそうだった。
Lとラファエルが走り出し、Nもほとんど同時に走り出していた。
クロちゃんはいったんフェンスの付近を離れ、駅の電柱へ戻ったようだった。
フェンスは上に有刺鉄線が巻かれているので、止まることができなかったらしい。
「キクタ」は、クロちゃんを眼で追っていたようだったけれど、駅の方へ飛び去ったとわかるとこちらを向いた。
もうヘッドホンをとんとんしなくても、僕らの位置を正確に把握しているのだろう。
おそらく、僕らが駅に着いて水を飲んでいるところも、あの木の上から眺めていたに違いない。
走って近づく僕らに向かって、「キクタ」は右手を高く上げて、おいでおいでと手招きをしていた。
「あんにゃろ、絶対なめてるよな」
走りながら、Lが悪態をつく。
笑顔で手招きをしていた「キクタ」は、僕らが木の根元に着くか着かないかのタイミングで、ふわりと上へ飛んだ。
僕には見えなかったけれど、「泡」を掴んだのだろう。
そのまま、ふわふわと宙を漂うように、フェンスの向こう側へと飛んで行く。
その先にある斜面も越えて、さらに向こう側へと飛んで行ったようだ。斜面の向こうに姿が消え、こちらからは見えなくなった。
真っ先に、木に取り付いたのは、Nだった。
斜めになった丸太の木もそのつるつるの表面も意に介さず、軽く2、3歩で駆け上がって、木の先端をとんと蹴って跳んだ。
そのまま、自由落下でフェンスの向こう側の地面にひらりと着地する。
これは、あれでは。フリーフォール、というやつでは。
「ひゅう」と僕の隣でガブリエルが音を出さずに口笛を吹いた。
見ると、楽しげな笑顔を浮かべてる。どうやら、Jと同じタイプらしい。
「Jと同じ、何?」
こちらを向いたガブリエルにそう聞かれたので、
絶叫マシン平気なタイプ?と聞き返すと、
「ああ、わりと平気かも。乗ったことないけど。だってキミが乗らないからねえ」
そう云って、おかしそうにくすくす笑ってた。
それは、そうだ。4歳から、僕の中にいたのだから、絶叫マシンに乗る機会は、なかったよね。
「追いますか」
Nが短く尋ねる。
どうする、クロちゃんはまだ、駅から戻って来ていない。
Lもラファエルも、まだフェンスの向こう側だった。
みんなを待とう。
とっさに、僕はそう答えてた。
何か、不思議な違和感を覚えていた。
追っても危険はないような気もした、けれど。
ここは、みんなを待つべき。そう思った。
「承知しました」
Nは答えてその場にちょこんと座り、目の前の斜面を見上げる。
「キクタ」はもう見えなかった。
あの斜面の上に降りたのか、そのまま飛び続けているのか。
ただ、もう見失う心配はないような気がしていた。
実際に、あいつはこのフェンスの倒れた木の上で僕らを待ってた。
駅でみんなが水を飲み、小休止する間も、ここで僕らを待ってたはずだった。
そしてわざわざ目立つ木の上に立ち、僕らが気づくと笑顔で手招きをしてみせてから飛んでいった。
ひょっとしたら、あの斜面の上で、また僕らを待っているのかもしれない。
なんとなく、そう思った。理由は、わからないけれど。
それが、違和感だった。
あいつは、敵なの?
僕の体を奪った、敵?なのだろうか。
「ふむ」
隣でガブリエルが小さくうなった。
ガブリエルは、どう思う?
そう尋ねると、くるりとこちらを向いて、
「ボクは、キミの勘を信じよう」
いつものやさしげな笑顔を浮かべる。
え、いや、うん。それは、ありがとう。
でも、ガブリエルがどう思うのかを聞きたかったのだけれど。
「ああ、ごめん。言葉が足りなかったね」
ガブリエルは、ふふっと笑って
「ボクもキミと同じように感じた。だから、ボクはキミの勘を信じるよ」
そう云ってうなずいて、青い眼をきらきらさせながら、前を向いた。
上空でばさっと羽音がして、見上げるとクロちゃんがフェンスの上を飛び越え、そのまま斜めに滑空してNの隣に降りて来た。
「L?だいじょうぶ?」
クロちゃんが振り返って、心配そうにフェンスの向こうを見る。
ラファエルが器用に木の上をすたすたと小走りに駆け上り、フェンスのこちら側へひらりと飛び降りて来た。
さすが、森を駆け巡る猟犬の血筋だ。
丸太の一本橋を怖がるそぶりも見せなかった。
「おい、マリオじゃねーんだぞ」
木の根元で腕組みをして、木の天辺とフェンスをにらみつけながら、Lは何やら文句を云ってた。
木の重みでひしゃげたフェンスをよじ登れば、つるつるの木を上まで登る必要はないかもしれない。
けれど、木に押しつぶされた形とはいえ、フェンスの天辺だった部分には、とげとげの錆びた有刺鉄線が巻き付いたままになってる。有刺鉄線を避けて、フェンスを乗り越えるのは難しそうに見える。
有刺鉄線を避けるには、木の上を登って、天辺から飛び降りるしかない。
あるいは、これだけ長いフェンスなのだ。くまなく探せば、どこかに通り抜けられる破れ目が、あるかもしれないけれど。
「いやあ?津波にも耐えるフェンスだよ?そう簡単には破れねーだろ」
どんどん、と木の根元を強く踏みつけて、Lは何かを確かめているらしい。靴が滑らないかどうか、乗った重みでさらにフェンスがひしゃげたりしないかどうか、かな。
全員がかたずをのんで見守る中、
「ででってーででっで!ほい!」
よくわからない掛け声とともに、Lは木の上を駆け上がる。
木の天辺にたどり着く手前辺りで、鉄のフェンスがきしむような音を立てて、ぐっと沈んだ。
Lの体重が乗ったことで、木の重みに耐えきれなくなったらしい。
Lよりも重いはずのラファエルが乗った時に沈まなかったのは、すばやく走り抜けたため、だったのかな。
地上から高さ2mほどのところにあった木の天辺が、1m少しくらいの高さまで下がった、かも。
「ほい!」
また妙な掛け声とともに、Lは木の上から飛び降りて、大きな靴音とともに土の地面に見事に着地した。
「いってーいててて」
足の裏が、かな。
がに股で着地したままの姿勢で、Lはしばらくうめいてた。
Jが、ほっと大きな安堵のため息をつく。
「うん、まあ、計算通り?」
顔を上げて、Lは苦笑いを浮かべてる。
計算通りなのになんで疑問形なの。
それに、これ、帰りはどうするの。
だいぶひしゃげて下がったとはいえ、木の天辺までは1m以上ある。よじ登るのも一苦労なのでは。
「帰り?」
Lがにやにや笑いを浮かべてる。
「帰りはおまえもいるだろー。ふたりがかりで登るんだよー。ふたりいればさー、もしかしたらシーソーみたいに、こう、ぎったんばっこんできるかもだなー」
天才少女とはとても思えないような、ものすごく雑な計画にあぜんとした。
ぎったんばっこんって、何だか楽しそうではあるけれど。
「いやあ、なんかごめん。ゆかいな姉で」
ガブリエルも隣で、楽しそうに笑ってた。
まあ、ケガもなく無事にフェンスを越えられたので、良かったけれど。

「ちょ・・、これ何?みんな早く登ってきてー」
Lの着地を見届けて、先に斜面の上を見に上空へと飛び上がっていたクロちゃんから、Jが素っ頓狂な声を上げてる。
何というか、どう表現していいかわからないけれど、とにかく驚いてる?という感じ、かな。
「おお、基地か?基地だな」
Lが色めき立って駆け出し、急な斜面を這うように登り始めた。
ラファエルもすぐに続き、Nも並んで走り出す。
斜面の土も、地面と同じく白っぽく乾いたものだった。
ぼろぼろと崩れ落ちるようなことはなかったけれど、踏み固められた道があるわけでもないので、でこぼこの土に足を取られ、かなり登りにくい、ように見える。
走るのも山を登るのも、僕はNの中からただ見ているだけなので、本当に申し訳ない気持ちになる。
3mほどの高さの斜面を(Lたちが)苦労して登り終えると、眼の前はすぐに下りの斜面になっていた。
頂上に平らな地面はほとんどなく、何というか、高さ3mほどの小さな山、それが連なった山脈、のような。
下り坂の先は、すり鉢状の地形になっていて、全体的には丸いお椀のような・・・。
まさか、これは、
「クレーターだ」
呆然とした表情で、ガブリエルがつぶやいていた。
クレーター
隕石の落下の衝撃で、地面が丸くすり鉢状に抉り取られ、ふちには降り注ぐ土砂で斜面が形成される。
図書館の画像で見た、まさにそれ、だった。
直径は、5~60mはあるだろうか。
円の東側の3分の1ほどは海にかかっているため、その部分は欠けていて、まん丸のクレーターではなかったけれど。
深さは、中心部分はおそらく5~6mくらいだろうか。
お椀の底に当たるクレーターの中心部分には、海に面して20m四方くらいの大きな建物が立っていた。
津波の影響だろうか、建物の窓はすべて割れて落ちていて、屋根も壁もあちこち剥がれ、半ば崩れかけた廃墟、といった印象だった。
「基地って感じじゃねーな。倉庫か、何かの格納庫、かな」
青い眼をきらきら輝かせながら、Lが云う。
今にも斜面を駆け下りて、あの廃墟に突入しそうだ。
薄日の差し込む曇天の下、影になったクレーターの中は、不気味なくらい静まり返っている。
80年前の、隕石の落下地点、
ずっと探していたクレーターは、こんなところにあったの。
そう考えて、すぐに違和感を覚えた。
でもここは、どう考えても「ミドノ原」ではない、よね。
ガブリエルが大きくうなずいて、僕を見る。
「うん。それに、K、覚えてる?記事には「ミドノ原に巨大な隕石が落下」って書いてあった。クレーターの大きさは、落下した隕石の大きさによってだいたい決まるんだったよね」
そう云われて、思い出す。
記事の後で、隕石についてアイがいろいろ見せてくれたサイトに載ってた。
「うん。その数式は「かける0.1」だったはず。つまり、クレーターの直径が1kmなら、かける0.1で隕石の大きさは100mって事だよ。じゃあ、このクレーターは?直径およそ50mくらいに見えるよね。かける0.1で、隕石の大きさは5m。人間に比べたらそりゃあ確かに大きいけど。でも5mの隕石をわざわざ新聞で「巨大な隕石」って云うかな。5mの隕石だったのなら「5mの隕石が落下」でいいんじゃないかな。それに5mって、隕石としては、普通かむしろ小さい方なんじゃない?少なくとも「巨大な」とはとても云えない気がするよね」
ガブリエルの云う通りだ。
数式までは僕は覚えていなかったので、その点ではガブリエルの記憶力の良さに驚いたけれど。
つまり、このクレーターは、「ミドノ原の巨大隕石」とは別のもの、という事になる、のだろうか。
じゃあ、ミドノ原の隕石は、いったいどこに?
「あるいは、こいつを隠すために、「巨大な隕石がミドノ原に落ちた」って偽のニュースを流した、とかか?」
Lが腕組みをして、クレーターを挑むような眼でにらみつけている。
「でも、ミドノ原にもあやしい場所がないわけじゃねーよなー。あの工事現場、何をあんなに必死になって隠してるんだろーね。じゃあ、両方かもしれねー。隕石は、ふたつ落ちたんじゃねーのかな。あっちとこっちと、つまり、両方当たりじゃね」
Lはずいぶんざっくりと、あえてわかりやすく簡略化してそう推察してくれたのだろう。
両方当たり、そこに異論はなかった。
でも、ひとつの街に隕石が同時にふたつも落ちる、そんな事があり得るのだろうか。あったとして、それはいったいどれほどの確率なのだろう。
「隕石はひとつで、落ちてくる途中で割れてふたつになったとか、じゃない?」
Jの一言に、思わず息を飲む。
「天才?」
ガブリエルが、ぽつりとつぶやいてた。
巨大な隕石が、地上に落下する直前に割れてふたつになった。
ひとつはミドノ原に落下して、もうひとつは海沿いのこの場所へ落ちた。
そうだとしたら、同時にふたつである点も、その二カ所の類似点にも説明がつくのでは。
「うーん」
Lが、腕組みをして空を見上げている。
「いやあ、ないとは云い切れないけど、空中で割れた隕石は、その時点で爆発するらしいんだよね、摩擦とか空気抵抗とか、そんな大気中の何かで?まあ、そういう事例があった、ってだけで、まだはっきりとした原因なんかはわかってないらしいんだけど。だから、割れたまま落ちてきたってのは、どーかなー」
Lは首をかしげて、
「でもそう考えると、Kの云う通り説明はつくんだよなー。ひとつの隕石が、割れて二カ所に落ちた。だから介入してきた軍が、両方とも同じように緘口令を敷いて、柵やフェンスで囲って立ち入り禁止にした。うん、おかしくねーよなー」
Lの云う、隕石の空中爆発にも聞き覚えがあった。
何年か前にどこか外国で起きたとかで、ニュース映像だとか、ネットの動画とかでも見たような気がする。
ふたつの隕石が、たまたま同じ時期に、同じ街に落ちる事は、まずあり得ないのだろう。
落下の途中に空中で割れた隕石は、その場で爆発するらしい。過去にそういったケースがあった。
けれど、僕らの目の前には実際にクレーターがある。
そして、ミドノ原には80年前に隕石が落ちたという新聞記事がある。落下地点として疑わしい工事現場もある。
「うん。原因不明の事例はさておき、過去の新聞記事よりも、まずは目の前の現実だよね。まあ、せっかくだし、行ってみよーぜー」
まるで近所の駄菓子屋にでも行くような気軽さで、Lが云う。
確かに、ここでクレーターを眺めたままあれこれ云ってみたところで、どれも想像でしかない。
眼の前にあるのだから、見に行ってみればいい、よね。
「そ。ところで、「あいつ」はどこ行ったんだろーね?」
Lが云って、あらためてクレーターの周囲を見渡してる。
そう云えば、そうだった。
「泡」につかまって、斜面を越えたところまでは見えていたけれど。
クレーターの周囲には、他に何も目につく物はなかった。
東側は、クレーターを3分の1ほど削り取ったようにすぐそこに海が広がってる。
実際には海がクレーターを削ったわけではなく、順番としては逆、クレーターが海にかかるような位置に、隕石が落ちた、という事なのだろうけれど。
クレーターの西側は、乾いた土の地面が延々と続き、その向こうには丘の裾野かあるいは川沿いの起伏なのか、茶色っぽい地面の間に濃い緑色の場所がぽつりぽつりといくつか見える。おそらく、僕の住むニュータウンもその辺りにあるはず。その更に西にあるススガ岳の黒い山肌は、ぼんやりと影のように遠くにかすんで見える。
北側は、同じ土の地面が少し続いた後に途絶え、濃い灰色の岩肌の崖か断層?いや、柱状節理、というのだったかな。特徴的な角ばった柱のような形の大きな岩がいくつも並んで立っている地形が見えた。
南側には、何もない広い大地とさっき通ってきた線路と、遠くに丘の緑が見えている。
「キクタ」らしき姿は、どこにも影も形も見えなかった。
ますます、わからなくなった気がする。
「キクタ」は、いったい何がしたいのだろう。
手招きまでして、明らかに僕らをこのクレーターへと導いていた、ように見えた。
僕らにこれを、見せたかった?のだろうか。
あるいはこの先に、まだ何かがあるのだろうか。
「とっつかまえて聞いてみよーぜ」
Lが、ニヤッと笑いながら云う。
不思議と、違和感を覚えなかった。
一昨日あの公園で、Jが「あの子に聞けたらいいのにね」と云った時には、かなりびっくりしたけれど。
今は僕も、「あいつに聞ければいいのに」と思っていたのかもしれない。
「うん」
ガブリエルがうなずいたので、隣を見たら、
「ボクも今、同じ事を思っていたよ」
いつもの笑顔でそう云った。

クレーターの底は、ぬかるみだった。
廃墟になった建物は、クレーターの底、海に面した場所に建てられていた。
海岸はコンクリートで護岸され、かつては立派な堤防が築かれていたようだった、けれど。
地震と津波の影響だろうか、コンクリートの堤防は半ば崩壊してた。
潮の満ち引きによって、崩れた堤防から海水が建物付近まで流れ込むようになってしまったらしい。
湿気が多いせいなのか、それとも土壌が周辺とは異なるのだろうか。廃墟は、伸び放題になった雑草の濃い緑に覆われていた。
乾いた地面に枯れた雑草がまばらに生えているくらいだったクレーターの周辺とは、かなり印象が違う。
廃墟の建物は、Lの予想通り、倉庫か何かの物資の集積所として使われていたものだったらしい。
わりと頑丈そうな鉄骨のプレハブ造りで、窓や屋根はほとんどなくなっていたものの、建物自体は、今すぐに崩れ落ちるような心配はなさそうに見える。
建物のすぐ前はアスファルトの広場になっていて、ヘリポートだったらしい白く丸いラインが引かれた跡が辛うじて残っている。
その広場の先に、コンクリートで固められた堤防と港があったらしい。今はもう半ば崩壊して海に沈みかけていたけれど。
おそらく12年前までは、小さいながらもしっかりとした港だったようで、この施設への物資はあの寂れた鉄道ではなく海から船で運んでいたのでは、というガブリエルの予想は概ね当たっていたのかもしれない。
軍艦や潜水艦はさすがに無理だとしても、小型の輸送船くらいなら十分に停泊できそうな港だったように思えた。
広場には木製のパレットが積み上げられていたり、空の木箱の残骸のようなものも転がっていた。
どれも湿気と満潮時の海水に浸って、ほとんど真っ黒に変色して腐っていたけれど。
「さて」
建物の周辺をひと通り見て回ったものの、「キクタ」の姿はどこにもなかった。
いよいよ建物の中へ入ってみようかというところで、Lが足を止める。
建物の前で腕組みをして、細い首をかしげ、
「すごく今更だけど、クレーターの底に倉庫って、何かヘンだよね?」
そんな事を云い出した。
新聞によれば、隕石が落ちてすぐに、隣の市に駐屯していた軍から100人以上の兵士が救援のために派遣された、との事だった。
もちろん、救援というのは建前で、隕石の調査、が目的だったのだろうとは容易に想像できた。
隕石の調査にやってきた軍が、周囲の土地にフェンスを立てて区切り、クレーターの中には倉庫を建てて、立派な港まで作った。
隕石そのものの調査や何かは別の場所で行われていて、ここは単なる輸送の拠点とその倉庫、だったようにも見える。
隕石やその破片や周りの土のサンプルだとか、必要なものだけを集めてここから船で運び出し、調査は隣の市の駐屯地とやらで行ってた、という事なのかな。
それにしては、港も、それからクレーターを囲むあのフェンスも立派過ぎるような気がする。
短期間の採取と調査のためだけなら、もっと簡易的な柵なり港なりで十分なのでは。
それに、隕石そのものはもちろんとして、落下跡であるクレーターも本来は調査の対象なのではないだろうか。
調査対象のど真ん中に倉庫を建てる、というのは、確かに少しおかしい気がする。
「そーなんだよねー。何かヘンなんだよなー」
腕組みして倉庫を見つめたまま、Lは首をひねってる。
クレーターの周辺は、かなり広い範囲があのフェンスで囲まれていた。
50mほどのクレーターを囲うにしては、広すぎるくらい、あのフェンスは広大だった。
特に、海とは反対側の、西側はその果てが見えないくらいずっとフェンスが続いていた。
「うん。でも、クレーターの上からざっと見渡した限りでは、地上には何もなかったんだよね。東はすぐ海だし、北は高い岩の断層、南は鉄道とちっぽけな駅だけ、西側もずーっとフェンスがあるだけで」
確かに、そうだった。
クレーターの印象があまりにも強烈過ぎた、というのもあったかもしれないけれど。
クロちゃんで空から見渡しているJにも、何も見えなかったのかな。
「うん。みんながあの斜面を登ってくるのを待ってる間、クロちゃんがあのクレーター?の周りをぐるっと回って周囲を眺めてくれたんだけど、特に何もなかったし、あの子の姿も見えなかった、って」
Jがそう報告してくれる。
「今更だけど」
もう一度、Lはそう云って
「罠、って事はないよね?」
視線を落として、Nを見下ろす。
それは、僕に聞いてるんだよね。
「そ。あいつの、あのKの見た目とにこやかな笑顔に、ついうっかりだまされそうになってたけど、あれ、ヌガノマかもしれないんだよなー。いや、手口がさー、なんか似てない?あの工事現場のマンホールにKを誘い込んで、たぶん上から蓋閉めたのもあいつだろ?んで、その次はルリおばさんを使って、またおまえをおびき寄せて、防空壕に誘い込んで」
云われてみれば、そうかもしれない。
「今日だってさー、これ見よがしに教会に姿を現して、まあ、たまたまJが帰ってて見つけたのは偶然だとしてもだな。手招きしてこんなとこまで連れてきて、クレーターはともかく、あったのは崩れかけた倉庫だけ、だよ。何かあやしくない?」
あやしい。
けれど、いまのLの話で、ひとつ大事なことを思い出せたかもしれない。
「ほほう、それは何かね」
Lがまた何かよくわからないキャラになっているのが少し気になったけれど、それはともかく。
あのマンホールの罠の時と、ルリおばさんの罠の時には、共通点があった。
それが、今日はない。
だから、今は少なくとも、まだ罠には嵌っていない、はず。
「あ、「音」だ」
ガブリエルが、隣で人差し指をぴこんと立てている。
そう、僕の頭の中の「音」。
警告を示すような、ぴぴぴという連続音。
マンホールの時も、ルリおばさんの時も、きっかけはあの「音」だった。
あの「音」に何か意味があるのかと思い、あの「音」に導かれるように、知らず知らずのうちに、僕は危険な方へ危険な方へと進んでた。
あの「音」は、ずっと僕に危険を知らせてくれていたにも関わらず、だ。
でも、今日はあの「音」はまだ一度も鳴っていない。
いま鳴っている「音」は、Lがラファエルの姿で僕を助けに来てくれた時と同じ、ぴりぴりというパルス音だった。
Jとお祭りに行った時にも鳴っていた、あの「音」だった。
「あー、あの、ぴこぴこいうかわいい音ね」
ぴこぴこ、いや、僕は、ぴりぴりだと思うけれど。
あ、いやそれはともかく。
だから、今日はまだ「罠」に嵌っていない、のでは。
「ほほう。罠嵌りのベテランが云う事には、さすがに説得力がありますなー」
Lが、にやにや笑っている。
だからそのへんなキャラなんなの。ぜんぜんわからないけれど。
「そんじゃーまあ、安心して行ってみよーか」
ぱしっと手のひらに拳を打ち付けて鳴らし、Lはまっすぐに廃墟を見つめる。
「建物の中は飛びづらいから、わたし、屋根の上から見張ってるね。ほとんど屋根ないから、建物の中までよく見えるし」
Jがそう云って、クロちゃんがばさっと羽を鳴らして飛び立つ。
「おー、頼むぜー。あーそれとK、「音」が、ぴぴぴに変わったらすぐ教えてくれよなー」
ニッといつもの陽気な笑顔で云うLに、
「わかった」
と僕は声に出して答える。
いや、まあ、声に出しても、聞こえるのは「オレンジの海」から、なのだけれど。
扉が外れて開いたままの入り口から、Lは慎重に倉庫の廃墟へ一歩、足を踏み入れる。
ラファエルが横に並んで進み、Nは、Lの後ろに続いて入った。
なんとなく、空気が変わったように思えたのは、気のせいだろうか。
割れた木の床板のあちらこちらから、背の高い雑草が生い茂っている。その緑の匂いが、建物の中にこもっているせいかもしれない。
「音」は変わらなかった。
ぴりぴりというパルス音が、ずっと変わらずに上の方から聞こえている。
広い倉庫の中は、仕切りのない空間だった。
元はあったのかもしれないけれど、今は黒っぽい鉄の柱が並んでいるだけ。
奥の方、3分の1ほどがテラスのように中二階になっているらしい。
左側の壁面に、上へと登る鉄の階段が付いていた。
右側の奥の隅が、3m四方ほど周囲の壁と同じコンクリートボードで囲まれたスペースになっていた。
左側の面に両開きの鉄の扉と、その脇にスイッチパネルのようなものが付いている。
中二階の上まで同じように囲われていて、上にも同じ位置に同じ鉄の扉があるようだった。
エレベーターだ。
スイッチパネルには、上向きの三角ボタンとすぐ下に下向きの三角ボタンもあった。
上は中二階、で下には、地下があるのだろう。
倉庫の屋根の上にエレベーターの機械室らしきものは見当たらなかったので、油圧式か、巻き上げ機が下にあるタイプなのかもしれない。
「ふむふむー」
LがJの真似をするようにあごに人差し指を当てながら、エレベーターのスイッチを何度か押したけれど、何の反応もなかった。
「まあ、動かないよねー」
少し残念そうに肩をすくめて、Lは苦笑してた。
テラスの下、奥の壁面は二段の棚のようになっていて、隅の方に、外に打ち捨てられていたのと同じような木箱がいくつか置いてあるのが見えた。
エレベーターと中二階のテラス、そこへ登る階段以外は、特に何もない広い空間だった。
元々何もなかったのか、あるいはすでに撤収して全て持ち去られたのか、もしくは、津波に流されてしまったのかも。
雑草に埋もれるように、床にいくつか木のパレットが転がっていて、Lは用心深く、踏みつけないよう迂回して歩いていく。
「J、階段の上には何かあるの?」
Lが足を止めて上を向き、屋根の真ん中、棟の上に止まったクロちゃんを見上げながらそう聞いた。
「んー、特に何もないねえ。あの子もいないよ。あ、床が穴だらけだから、上には登らない方がいいと思うよー」
すぐにJがそう教えてくれた。
「了解。うーん、下にも何もないねー」
奥の棚まで進んで、湿気で真っ黒くなった木箱をのぞき込みながらLが云う。
Lの足元で、首を伸ばして何やら辺りの匂いを嗅いでいたNが、
「キクタ、地下があるようです。土の匂いと、空気の流れがあります」
そう云って、奥の壁際を左へ、二階へ登る階段の下へと向かう。
「L、地下があるってNが」
云いかけて、僕にも見えた。
階段下の壁際の角、だった。
床板が跳ね上げ式の扉になっていて、壁側に大きく開いていた。
ちょうど背の高い雑草に隠れていたし、階段の影になっていて、Lには見えていなかったらしい。
「あ、それ扉だったのか。パレットが立てかけてあるのかと思ってた」
Lの云う通り、大きさ的にも、確かに木製のパレットのようにも見えた。
跳ね上げられた扉の下には、同じ形の四角い穴が空いていて、二階へ登るのと同じ、黒っぽい鉄の階段が下へと続いていた。
「地下だよ、やったねー」
Lが何故か、僕に向かってにっこり笑ってみせる。
いや、Nに向かって、なのだけれど、明らかに僕に向かって、なのだろう。
「J、降りて来て。Kの大好きな地下道があるよ?」
にこにこしながら、LはJを呼ぶ。
すーっと音もなく滑空して、クロちゃんが降りて来る。
「もう、なんでLはすぐそういう事云うの。つつくよ?」
「え、やめて。もう云わないから」
Lの皮肉はさておき。地下道、なのかな。地下室、かも?
「うん、上に何もなさすぎるからなー。あるとしたら地下基地かなーって」
Lがそう云ってしゃがみ込み、Nの頭をなでながら、地下に伸びる階段をのぞき込んでる。
「さっきおまえも云ってた通り、港の規模とかフェンスの作りがしっかりしすぎてるだろ?ただの物流拠点だけにしては、大掛かりすぎるよね。だから、何か理由があって、持ち出せなかったんじゃねーかなーと、思ったんだ。サンプルはまだしも、隕石そのものをね。それで、地下に基地を作っちゃったんじゃないかね。隕石の調査と研究のための基地を」
なるほど?
港の規模とフェンスの作りから、そこまで想像できるとは、さすが、L、とは思うけれど。
わざわざ地下に施設を作る必要があるのかな。
地上に、あんなに広い土地があるのに?
「うん。隕石が落ちたのは、80年前。K、おまえ、宇宙開発競争とか、知ってる?あと、冷戦時代、とか」
Lの青い眼が、きらきらしている。
そうだった、Lは宇宙大好き美少女だった。
「宇宙カイハツ競争?なあに、それ。冷戦は、なんとなく?アメリカとロシアが仲悪かった時の何かでしょ」
Jがそう訊いてくれて、助かった。
僕もほぼ、Jと同じ事を思ってた。
「うん。当時はロシアじゃなくてソ連だけどね。ざっくり云うと、ソ連が先に人工衛星を飛ばすのに成功したんだよ。世界初の宇宙進出ってやつね。それ以前から競い合ってはいたんだろーけど、宇宙開発に関しては、ソ連がちょっぴりリードしてたんだなー。そうなると、ソ連は衛星軌道上から、地上がまる見えってわけだ。で、80年前って云えば、日本が戦争で負けて、アメリカ軍がまだ日本にたくさん駐屯してた。そこへ宇宙から隕石が落ちてきた。アメリカとしては、是非とも調査研究したいよね。でも、地上でやってたら、ソ連の衛星からまる見えだよねー」
なるほど、それで、地下で。
「そ。実際、冷戦時代には、アメリカ本国でも軍事兵器の開発なんかは、地下施設でやってたらしいよ。宇宙から見られないようにするためにねー」
「ふむー。仲良く一緒に研究したらいいのにねえ」
「いやいや、Jさん?冷戦時代の話だよ。今は仲良く一緒にしてるでしょ、国際宇宙ステーションとかで」
「あ、そっか。ならいいけど」
仲良く一緒に、は、とてもJらしい意見で、何だかうれしくなった。
地下施設については納得だけれど、でもそれにしては、
「うん、この階段が入り口って、狭すぎじゃね、ってことだろー?だから、地下道。ここは単にこの倉庫から出入りするためだけの階段で、メインの入り口はもっとでかいのがどこかにあるはず。それこそ、輸送船がまるごと横づけできるようなドックがあるようなやつとかね。そことつながってる地下道が、この下にあるんじゃないかなーと思ってねー」
ぱちん、と見事なウィンクをして、Lは云う。
さすが、宇宙大好き美少女で、基地大好き美少女だった。
「でもそれって、地下が基地だったらいいなーっていう、Lの願望なんじゃないの」
Jにはすっかりお見通しだったようで、するどく突っ込まれていたけれど。
「はっはー。まあそんなわけで、いざ、地下探検に出発するぜー」
元気よくそう云って立ち上がり、Lは制服のスカートのポケットから何やら取り出した。
「てれててっててー」とかよくわからない効果音を口で云いながら。
自慢げに手に持って見せているのは、ペン型の懐中電灯、だろうか。
用意がいいというか、何というか。
まさか、家を出る時から、地下基地があるのを予想してた、わけではないよね?
「予想はしてないけど。これは、あれよ。探索7つ道具てきなやつのひとつ?」
Lは、また疑問形になってる。
自慢したいのか照れてるのか、両方なのかもしれない。
「え、地下におりるの?ちょっと待って」
Jが、何やら慌てている、のかな。
あ、もしかして鳥目?
クロちゃんは、暗い地下では眼が見えないのでは。
「んー?鳥目って迷信だよね。ニワトリとかハトとか、一部視力の弱い鳥がいるってだけ。だってフクロウとか、夜でもばっちり見えるって云うだろー?カラスも見えるはずだけど」
Lがそう教えてくれる。
あ、そうか。すごく眼が良くて、人間よりもたくさんの色を識別できるくらいなのだし。
それなら、Jは何を困っているの。
「地下でしょ?狭いし飛べないでしょ。L、ちょっと腕貸して。あの、何て云うんだっけ、鷹狩り?の人みたいにこう」
腕貸して?
鷹狩り?
「あー鷹匠ね?鷹をこう、腕に止まらせてる人の事だろ?」
Lがそう云って、懐中電灯を持っていない方の左腕を上げて肘を曲げる。
腕にカラスが止まるの。それは、かっこいいのでは。
「お、なんだ、K。うらやましいの?じゃあ、あいつから体を取り戻したら、おまえにもやらせてあげよーね」
ふふん、と得意げにLは笑っていた、けれど。
ばさっとクロちゃんが羽ばたいて地面から飛び上がり、Lの腕に止まった途端、
「いてててて、こら、J、痛いって。もっとそーっと止まれないの」
大騒ぎを始めてた。
「そーっと止まったら落ちちゃうでしょ。あーそっか、クロちゃん、爪があるからねえ。普通につかむだけで腕に刺さっちゃうのかあ」
云われてみれば、そうだった。
テレビで見る鷹匠も、腕に何か頑丈そうな皮のプロテクターのようなものを付けて、そこに鷹を止まらせていたような。
「あーね。ごっついグローブてきなの嵌めてたよね。じゃあ、ちょっと待って」
そう云って、Lはまたスカートのポケットに手を入れて、ごそごそし始めた。
本当に?7つ道具が入ってるのかな。
「Kってさー、たまにそうやってかわいいこと云うよねー」
ごそごそしながら、Lはニヤニヤ笑ってる。
かわいいこと?
でもさっき、探索7つ道具って、Lが云ったのでは。
「Kは素直ないい子だからね」
よくわからないけれど、Jに褒められたので、まあいいかと思った。
Lはポケットから、ぐるぐる巻きになった鎖を取り出す。
ラファエルのリードだ。鉄の鎖っぽく見えるけれど、樹脂だと云ってたあれ。
それの端を左手で握って、握った手から腕にかけて、ぐるぐると巻きつける。
「よし、これで痛くないぜ。たぶん」
見た目は、何というか、スパルタクスの剣闘士?みたいになってるけれど。
「あー、鉄じゃないんだね。じゃあ滑らないかな」
肘を曲げて構えたLの腕に、器用にクロちゃんが飛び乗って、バランスを取っている。
「お、おう。けっこう重いな」
「え、失礼だなあ。重くないよ?」
重いのだろうか、重くないのだろうか。
見た目は、Nとそう変わらないくらいの大きさに見えるけれど。
「うん。見た目ほどは重くないかなー。でも、ずっと腕に乗せて歩くのはちょっと重いぞー」
そう云いながらも、Lはちょっとうれしそうだった。
ので、まあ、だいじょうぶかなと思った。
「よし、じゃああらためて、地下探検に出発だぜー」
いつもの陽気な声で云ったけれど、Lはおそるおそる、いや、慎重に?だろうか、一歩ずつゆっくりと地下への階段を降り始める。
Nの視界で見ても底の見えない深い闇の階段へ、僕らは足を踏み入れていた。

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